はてなキーワード: 正論とは
母子家庭でも普通に暮らせる社会を作るのは政府の責任、ってのはよくわかった。それには大いに賛成する。
政府の立場として納税者を増やしたいのは当然で、それをある程度はやりきった上でじゃないと貧困家庭を作らない政策が実現できるとは思えない。だからまず保護を受けない人生設計をしてほしい、は正論なんじゃないの?
例えば、10代でシングルマザーになって良い仕事が見つからないのは政府の責任なの?職業訓練なんかもあるだろうけど、10代でシングルマザーになる人が職業訓練を受けてる姿を想像できない。子育てしながら職業訓練?本当にできるの?だったらまず、10代の出産はちょっと考え直さない?という話だと思う。
貧困の連鎖が家庭の教育や周囲の環境によって引き起こされてるって聞いたことがあるような気がするけど、まず10代の出産を思いとどまらせるのはその人生設計が破綻しないための最初の提言なんじゃないのかな?無理のない範囲でやってもらうことだと思えるけど。どうしても10代で出産しなきゃいけないの?シングルマザーって本当にキツいから、そこからの復活は本当に難しいんだよね。
オリンピック中止を願う人が60%もいるアンケート結果が出たとニュースで見た。
子供の運動会中止なのに大人の運動会はやるんですか?という意見ははてブでも結構見る。
オリンピックの組織委員会でさえ、開催することで夢が提供など言っている。
正論を語っているように見えるが大事な要素が全然語られていない。
もちろん科学的に安全性が確保できていなかったりするのであれば開催すべきではない。
運動会と同列に語ってしまう意見は科学的な観点でしか見れていない。
コロナ対策は科学と経済の両軸で語るべきだと政府はずっと言ってきている。
経済的な効果が全然見込めないのであれば、それは運動会と同列に扱うべきなので中止すべきである、というが自分の意見だ。
もちろん私も見えていない部分が多々ある。
お前どんだけ図々しいこと言ってるんだよって話だ
まあ助けを求める方からすればそんな言葉が心をこれ以上無いくらい抉るということもわかるが
「逃げろだけが無責任」というのなら、もう無視して勝手に死ねば?という方がまだマシになる。
そして、まあ助けを求める側からしても、中途半端な助け舟よりは開き直られた方がまだ「救いの裏切られ」がなくて良いのかもしれない。
それにしても思い出すのはミナコさんの件だ。
苦しんでいた人を助けてあげようとして、ツラいことあったら連絡してね、と伝えたら、
毎夜の如く長電話の猛攻を受けることになったという。
助けてほしいという気持ちはわかるが、無制限に野放図に全ての救いを相手から引き出そうというのはもはや救いの搾取ではないのか。
だから「相談には乗るけれど、いつでもなんでもというわけにはいかない」と一々断りを入れる必要に迫られることになったのだ。
可哀想な人を助けたいという意思にどれだけの「責任」を負うのかということ。
無責任でいたいのなら無責任であることを申告しなくてはならないというところか。
だが今のクソリベラル時代は、「助けられる人間なんてそうそういないよ」みたいなスタンスを激烈に攻撃してくるからな。
仕事がつらい。
何がつらいのか。
でももう疲れてつらくて仕事する気になれないから定時の18時でいつも帰ってるんだよね。
それで仕事回ってるかというと、ほんとは先延ばしにしてはいけない仕事を先延ばしにしてるだけなんだよな。つまり回ってない。
じゃあやっぱり仕事の量が多いことが辛いのかもしれない。
でも単純な仕事量というか不平等感とか、気疲れって面もあるかな。
職場で人が入ったり辞めたりしてるうちに、全体の人数が減って、それで溢れた仕事の大部分が俺のところに流れてくるんだよな。
あとは上司が65歳過ぎて、「もうすぐ引退だから、仕事引き継ぐね」とか勝手に言い出して引き継ぎという名の丸投げくらってるし、
しかもいつ引退するのかよく聞いたら「3年後ぐらいかなぁ」って、
ぐらいかなぁってなんだよ。
しかも3年後って…、半年後にはお前の仕事全部なくなるペースで仕事丸投げしてくるじゃん。
しかも仕事ぶん投げて暇になった時間は職場のど真ん中でグダグダサボり出すし。
お前見てると何もしてないのに疲れるんだよ。
まぁ現場人員が募集しても集まらないから少ない人数で頑張ってるってところは高く評価してるんだけど、
現場管理してるはずの人間が部下に「その仕事終わったら暇になる??」とか聞いてんじゃねーよ。
しかも部下から正論で自分の不手際指摘されたら、「あいつ(部下)は俺の言うこと聞かないんで、もう話したくないです」とか言い出すし、
「言うこと聞かないってどういうこと?どんな指示を出したの?」って聞いたら、「いや、特に指示は出してないですけど」って
確かに、欲しいもの(待遇)があれば努力して手に入れろ(できなかったらあきらめろ)というのは正論。
でも、その正論に反することを言ってきたのがフェミニストなんじゃないんですか?
無条件の特別待遇を求めてきたのは(現代の)フェミニストが先ですよね?
これが、女性参政権のような問題であれば、形式的な平等・不平等の問題でしょう。
しかし、萌えキャラポスターに対する批判は、形式的に平等な他人の自由を制約して、特別扱いしろという主張です。
クォータ制は、形式的に平等な競争や選考において、選考者の自由を制約して特別扱いしろという主張です。
第二派フェミニズム以降の主張は、基本的にこのようなものです。
ではなぜ、フェミニストがこのように特別扱いしろという主張をしたのでしょうか?
その根拠は、女性が差別され、社会的な地位が低いゆえに、特別扱いがむしろ本質的な平等になるからですよね。
であれば、差別され社会的な地位が低い男性、即ち弱者男性もまた特別扱いすべきということになります。
最初から、フェミニストが、女性を特別扱いしろという主張を一切してこなければ、弱者男性論者はフェミニストに文句なんか言ってなかったでしょう。
あるいは、そもそも、弱者男性などという概念すら発見されることはなかったでしょう。
みんな努力するか、努力しないか失敗すれば諦めて受け入れていたでしょう。
パンドラは女だということを思い出せ。
自分から望んで誤りを選択したわけじゃないのに、正論で捲し立てられると自尊心がからっぽになるんだよな。でも仕事だから成果をあげるために「つらい」って思いながら手を動かしている。こんなの無理だよ、自殺するレベル。でも正論だから会社からは咎められていない。
ぐうの音も出ない正論
中止の理由にオリンピック選手はあんまり関係なくない?単純に「リスク(コロナ感染拡大の可能性)に見合ったメリット(経済的利潤、精神的高揚)が得られない」言っとけばザ・正論て感じ。
病名が被ることは別に気にしないが社会の中での生きづらさというのは確かに存在する。
これの嫌なところは、試験とか能力検査ではあまり引っかからない点。例えば俺はSPIとかは比較的高めにとれる。公務員試験とかの一般教養も苦手科目を集中的にやれば、地方クラスは結構突破しちゃう。クレペリンは何度もやったせいか一般人に擬態可能だった。
ただ日頃から感じているのは「極端な先送り癖」「一つのことへの強い執着、執着がなくなった際の虚脱状態」「他者とのコミュニケーションが常にどこかおかしい」「だろう癖」などがある。当然仕事はうまくいかない。人より優れている部分はどこかにあるのだろう。だけど基本的な事務作業があまり得意ではないしミスも当然多い。確認のし忘れや「だろう」で済ませてしまうことで問題になることは多々ある。相手が確認したはずだろうから〆切まで何も言われなければそのままにしてしまったり、自分がしたいことしかできなかったり。怒られてもそれは改善しない。
思えば小学生時代から挙動がおかしかった。精神年齢は常に他の人より3つは下。
小学生のとき、バイクのプラモを部活動で作っていたことがある。そういう自由な部活だった。だけど結局1年かかってもバイクは完成しなかった。説明書も読んで家でも試行錯誤していたのに。いまならわかるけど、手先が不器用と言うより根本的な作り方を理解していなかったんだろう。接着剤の使い方や部品の管理が全く出来ていなかった。単純なことに気を配れない。自分がそうだと思ったこと以外が目に入っていない。
あらゆる場面で、説明を受けているのに何も理解せずに自分勝手で場当たり的な行動をして、他の人が間違いを教えてくれていた。健康診断では胸部エックス線の撮影のやり方がわからず一人だけ別行動をしていた。郵便の仕組みを学ぶ授業では自分で勝手に手順を変えようとしていた。どの学年においても人の話を聞いて行動した記憶が薄い。常に自分がやりたいことを自分の判断で行っていた。
中学生はThe挙動不審。はからずも部長になったときは本当に酷い状態だった。周りからの信頼を無くして逃げるように部を去った。図書委員にしても他校との定例会で大いびきで寝ていたり、文化祭では異様に張り切ってしまい周りをドン引きさせていた。学年からの評価は「将来大物になりそう」だった。
常にどうしようもない人生である。人より羞恥心が薄いというか客観で自分を捉えられないせいか、他者とのコミュニケーションはいつもおかしい。大人になってもコミュニティ内でのトラブルメーカーである。正論で人を攻撃し、逆に攻撃もされる。追い出され逃げ出したコミュニティは数知れない。
そんな感じがいまも続いている。これは正直どうしようもない。一時期は薬を処方して貰っていたが大した効果はなかった。診断が間違っていたのかもわからない。
こんな推敲もへったくれもない文章書いているのは、徹夜あけの気分を紛らわすためなんだけどね。
俺はこの先、どうしたらいいんだろうか。
なんとかならんのか。
嫌なら金払えは正論、んなこたぁわかってる。
テレビクオリティのCMとか、Web広告用でも「ちゃんと作られてる」ものは気にならんのよ。あーそうですか、程度で意識に残らないんだけど、低クオリティのやつは目に入った瞬間、耳に入った瞬間にイラッとくるわけ。
特に素人音声を1.5倍速にしてエフェクトかけたみたいな音に、落書きみたいな漫画合わせてコンプレックス商法しようとしてるようなやつ。
なんなの?もう少しコストかけてちゃんと作れよ。映像音声品質以外にも構成力もなくて、何を訴求しようとしてんのか伝わってこないのもダメ。
ネット上のあちらこちらに沸いている「バカ」を叩きのめす行為に最近ハマっている。
「バカ」というのは代名詞であり、正確には「論理的に誤っていることを主張する人」を指す(以後、この定義を用いる)。
こちらは明確な根拠を持って「バカ」を叩きに行くので、負けることはない。
「バカ」が「バカ」である理由は、単に知識や情報を保有していないからなのに、あえてそれを狙って叩くというのは、弱い者いじめ以外の何物でもない。
それを知った上でわざわざ「バカ」を叩くのだから、これは弱い者いじめだ。
負けることがない相手を叩きのめすというのは、人の快楽をここまで高ぶらせるものなのか。
散々相手を叩き、相手から出る言葉が支離滅裂で論理的に破綻しているところをまた叩く。
口汚い言葉を相手が吐こうが、本題については何ら有効な反駁を主張できていない。
連休中に少し余裕があったので色々なサイトを見て回っていたのだが、特定のサイトで「バカ」が大手を振って誤った主張をしているのを見かけてしまった。
最初はやんわりと説明をしてそれを否定したのだが、相手が逆上して荒唐無稽なことを言い始めたので、つい徹底的にねじ伏せてしまった。
プライベートな情報の管理に気をつければ、相手の実力行使に遭うこともなく「弱い者いじめ」ができる。
ターゲットとしているバカたちの個人ページのブックマークを全て消し去りたい。
私にはそれができるのだろうか。