はてなキーワード: 小林麻央とは
小林麻央さんが亡くなって、海老蔵さんの自宅へ来るマスコミがいろいろ批判されてる。確かに批判はその通りなのだが、マスコミのせいと簡単に押し付けていいのだろうか?
誰が差し向けてるかを考えないと。
政府の陰謀論などもあるけど、やっぱりマスコミはテレビ視聴者の代理なんだろうなと思ってる。ワイドショーを主に見てる(と思う)のは、お年を召した年配の女性の方々。つまり、ババアである。そのババアが知りたいことがワイドショーを始め、特にお昼の番組の傾向を決めてる。芸能人のうわさ話が好きだったり、ババアが金持ってるから、旅番組とか通販とか健康食品のCMばかり。マスコミよりも、そのババアをどうにかしなければ、日本の将来は危うい。謙虚な女性にババアを変えなくては。
昨日某弁護士のテレビ出演をネタにしておもちゃにして遊んでた連中は、今日は小林麻央と某弁護士を絡めてネタにして遊んでただろ
なにを勘違いしてるんだ?
彼女や彼女の遺族が報道を望んでいないなら、それを優先してほしい。そう思って今日一日、注意深く過ごした。スマホの画面に手を変え品を変えあらわれる関連リンクを踏まないよう、ラジオが「悲しいお知らせ…」と言ったらすぐ消すよう。しかし矢継ぎ早に情報が表れてくる。疲弊してしまう。私人の死を社会全体で弔いすぎだと感じる。
報道しない情報発信者を評価する仕組みがほしい。彼女のことだけに限らない。自分の日常におよそ関係のない誰ぞのゴシップも、悪事の被害者のプライベートも同じだ。インターネットは理性を効かせないと世の中のすべてのことに一言申し上げたくなる気安さに満ちている。その中で、何も言わない、調べない、関わらない分別を備える人々は可視化されず、結果また報道が過激になる。私は今の時点でこの仕組みが変わる方法を見つけられない。
(話はやや情緒的になるが)麻央さんの死に衝撃を受け、明日は我が身と突きつけられた患者や家族もいると思う。各界お悔やみの言葉を目にしながら、自分が弔われるような恐怖を感じてはいないだろうか。もしくは、彼女のように高潔には日々を乗り越えられず、我を比べてやりきれなくなってはいないだろうか。彼女が励まし続けたという、死と隣り合わせの患者が、報道の裏で過分に怯えていないことを願っている。
死は極端にプライベートな出来事で、感想を述べていいのは死んだ本人だけ、弔っていいのは本人を知るものだけだ。彼女の本心がどうであったのか、どう家族と死の準備をしていたのか、当事者以外知らないし、知ったところで生まれるものはない。彼女の死は彼女だけのものだ。
それでも懲りなく死後に語られる話は、残された人々の心を落ち着かせるための物語に過ぎない。若すぎる、美人薄命、子供が幼い、その境遇の謎を解くかのようにドラマを見出す報道が続くだろう。それはもう彼女のためではなく、個々人のカタルシスを行っているだけだと弁えたい。
私たちは必ず死ぬ。それがいつなのか、なぜなのかは分からない。生き様と死に様は関係ないし、ましてや他者に評価されるものではない。誰かが死んでいる今この瞬間も自分は生きている。そうであれば、その生に集中することが生き物の務めではないかと思うのだけれど。
悲しいニュースでした。
小林麻央さん、ご冥福をお祈りします。
乳がんで亡くなるということが世の中からなくなる日を待ち望んでいます。
ですが、検診は年に何度も受けるものではありません。
「セックスレスだから」「疲れているし」「その気がないので」なんて言っていると、大切な人を失うときに後悔してしまうかもしれません。
今夜帰ったら、妻のおっぱいを触りましょう。
https://twitter.com/aki_5744/status/878122987567726592
小林麻央さんが亡くなって、夫・海老蔵さんの言葉を無視して自宅に群がる報道陣。一方、訃報を聞いて海老蔵さんの言葉を察して冒頭でしか触れず、番組内容を変えず放送することを「すみません」と訃報に耐えきれず涙を流しながら言った坂上忍。この訃報の全てに関わってる報道陣はマジで坂上忍を見習え
これ見てマジでむかついた。
お前や番組が自粛したのは当事者が近いから、その苦しみを自分のことのように感じられるからだろ?
世の中の事件や事故の被害者、加害者の関係者には何の遠慮もなく土足で踏み込んでくるくせに、
今回だけものわかりよく良い人ヅラしてんじゃねーよ。このクソダブルスタンダードが。
追記
偽善がどうの〜なんて話してない。
坂上のあの涙は本物だと思うし、悼む気持ちも本物だと思う。
ただ対象者の距離が遠いとき、その痛みが見えないふりをする。(ふりなのか、ニブいのかは分からないが)
その暴力性をわかってないだろ?ふざけんな!って話。
親は愛してくれるし友達は人並みにいる
他人と比較されると選ばれないっていうのは衣食住に困らない生活の中で私の精神をゴリゴリ削っていってる。
好きな人とすごく仲良くなることはあっても恋人にしたいと思われることはないし
男友達から飲みに誘われることはあってもデートに誘われたことは一度もない。土間土間で酔っ払って12時に現地解散。
多くの人を集めた中から少しでも優秀だと思われることもない。30分のグループ面接でわかるほど私は仕事ができそうにないみたいだ。
どれだけ自分なりに欠点を考えてなおしてみてもうまくいかないし、なおせないようなところが悪いのかもしれない。
容姿も性格もこれまでの人生も他人と比べられて全部否定されつづけてこれからの人生がどこかで楽しくなるという、生きる希望を持てる人はいるのだろうか。
例えばすごく不謹慎なはなしなんだけど小林麻央は私と人生を取り換えられますと聞いて取り換えるんだろうか。私は取り換えるけど。
一生誰にも評価されることのない人生と物理的な苦しみと恐怖どっちがつらいのだろうか。
死ぬほど遊んできた人間の一番になったらどれだけ私の中の倉の中に長期間置かれて熟成されすぎたみたいなグズグズの承認欲求は満たされるんだろう。
こんな楽しい人生辞めてたまるかナニクソと思えるだろうな。いいな。
もう生きたくないとずっと思ってるのに死ねないのは22歳の娘には過剰なスキンシップをとる母親がいままでだしてくれたお金が申し訳ないから
選ばれるほどじゃない側の人間はなぜ生きれるのか、選ばれるほどじゃない側の人教えてほしい。
J-CASTニュース 4/27(木) 20:41配信 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170427-00000013-jct-ent
J-CASTニュース 4/23(日) 13:16配信 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170423-00000002-jct-ent
安藤美姫、羽生結弦をご飯に誘う 「いつも断られる」に皆が納得
J-CASTニュース 3/31(金) 19:06配信 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170331-00000008-jct-ent
これらの記事はすべてJ-CASTニュースというニュースサイト発信のものであり、
同時に、すべてYahoo!ニュースに掲載されているものである。
Yahoo!ニュース上のコメント欄では以前から問題視されてきたことだが、
J-CASTニュースの特定の記者の記事には、このような誤解を招く見出しがつけられている。
もちろん、羽生選手が鈴木選手を「ごとき」呼ばわりしたわけではないし、
小林麻央さんが入院したことで手の空いた海老蔵さんが「ゆっくり眠れそう」なわけでもない。
「皆が納得」の「皆」って誰のことなんだろう。少なくとも私は納得していない。
このような記事が、J-CASTニュースからは日々垂れ流されている。
「見なければいいじゃん」と思う人は多いと思う。
確かにこんな記事は見たくないし、私も積極的に見ないようにしている。
その理由は
よくクリックされれば、記事アクセスランキングの上位に掲載される。
私の様に日常的にYahoo!ニュースをチェックしていると、
ランキング上位のこのような記事が必然的に目に入ってしまうのだ。
どうにかこういうのなくならないかなあ。
「山を越え終わると、こうして何度でもまた越えられて、
永遠に越えていけるのではないかと思ってしまいます」と前向きな気持ちを明かしたとのニュースで
1、
「それでも世の中を涙で振り回して楽しく嘘をつき通しているこの方に
ステージ4同じ癌患者(私他同じ病棟の入院患者さんや医者の先生でさえも)は
とても迷惑している。
乳癌=マオみたいにすぐ元気になれるんでしょ?的な世間の目で見られているようで・・・
こんなに苦しくて辛いのに
悲しくなるばかりです。。 」
2、
「本当にどんな薬を使ったのか教えて欲しいです。
回復するのでしょうか?
オプジーボや日本未許可の薬を使ったのなら、それこそブログに書いてください。
誰だって生きたいし、同じ癌で苦しんでる人に教えてください。
いくらかかっても治したいと思う人は百万といるはずです。」
以上
保険外診療、豪華個室部屋含め、普通の稼ぎでは受けられない治療をして
これだけ元気ですって言うのは無神経で反感買います。
本人には届かないそうですし。
ブログ上のこととは言え何であそこまで強く明るく振る舞えるのか。
まあそれも間違いではないだろう。
ただ、誰かに支えられてこその強さというより自分の内側から沸き上がってくる強さの気がする。
多分小林麻央って人生を通して(特に思春期や学生時代)家族や友人から常に愛されながら生きてきたんじゃないだろうか。
顔中にニキビができてちょっとブサイクになってしまったときも、リレーでバトンを落として自分のせいでクラスが最下位になったときも
責め立てる人間などいなくて、周りの人みんなに(特に男から)相当優しくされてきたんだろう。
そんな中でどんな状況でも自分を嫌いにならない精神が形成されたんだろう。
人ってなかなかこういう自分と向き合って素直に愛したりできないものだけど
それはあえて悪い言い方をすれば悲劇のヒロインに堕ちてしまったその状況さえ楽しんでいるのかもしれない。
いや、ガンで余命いくばくもない状況を楽しんでいるってのは失言だった。
ネット上じゃブログは小遣い稼ぎなんて言ってる人もいる。死後書籍化で稼ぐんだろうという意見もある。
だけど普通に考えて、もうすぐ死ぬ人間が(もちろん回復を祈ってはいるが)小銭のために髪が抜け落ちた自分の写メなんか晒せないよ。
6月頃から胸に違和感があったんだけど、逆流性食道炎になりかけていたからそっちの違和感だと思ってあまり気にしないようにしてた。
ネットで触診の仕方を調べて試すもしこりも触れないし、仕事柄上半身がよく凝るし肋間神経痛かもなぁとも思ったり。
でも6月は小林麻央さんのこともあり、テレビで乳がんのことを見かけることが多かったので不安になることもあった。
そうこうしているうちに会社の健康診断の時期になり、軽い気持ちでオプションで乳がん検診を受けることにした。
市の検診だと曖昧だったりすると聞いたことがあったので検診センターのエラストグラフィ(硬さを調べられるやつ)の超音波検査(年齢的にマンモではわかりにくいため)を選んだ。実費で約6000円。
9月の初め、健康診断当日。初めての乳がん検診にドキドキしながら検診センターへ向った。これで胸の違和感のこともはっきりする、しこりもないし何もないはず。
受付を済ませ、先に超音波検査からと案内され検査室に行くとキレイでお若い女の技師さん。
冷たいゼリーのようなものを塗られ、まずは右胸から結構グリグリされて痛い。「エコーは痛くないんじゃなかったのか!?」と必死にこらえる。
するとモニターに黒い楕円形なものが映ったのが見えた。何もないと思っていたので一気に不安になった。カチカチとマウスをクリックしたと思えば(おそらくデータを残してる)今度は色を変えている。
エラストグラフィはしこりが硬ければ青く映るというのを事前に調べていたため、見ないようにと思ったけど見てしまった。しこりは青く映っているように見えた。
その後4回くらいカチカチとマウスを動かしてから技師さんが「次、左です」と言った。左胸はくるくるとスムーズに終わり、これで超音波検査は終わった。左胸がすぐに終わったことでますます不安になった。
その後、いつもの健康診断だったんだけど動揺を隠しきれなくて血圧測定では脈拍が90だったり視力検査で見えるものも見えなかったり散々。
すべての健康診断が終わったあと、車に乗り込んで速攻スマホで『乳がん検診 超音波検査 黒い影』でググりまくった。だけど時間がたつにつれて記憶が曖昧になってしまってどれがどれに近いのかわからなくなり、これはもう絶対に精密検査だどうしようと泣いた。
この検診の翌日が休日だったのも悪かった。朝から晩までパソコンで調べまくった。まだ結果も来てないのに。調べれば調べるほど「乳腺のう胞」なんじゃないかと思ったけどエラストグラフィで青だったことがどうしても気にかかり、また泣いた。もし乳がんだったら?と思うと不安で不安でパソコンの前から離れられなかった。
この日、初めて闘病ブログというものがあることを知った。たくさんのがん患者の方がブログを書いていた。告知された日のこと、手術前日のこと、抗がん剤治療のこと、副作用のこと、治療費のこと、何気ない日常のこと。
たくさん闘病ブログを読んだけど、皆さん前向きだった。
それでもわたしは怖かった。まだ結婚だってしてないし子供だって今はほしくないけどほしくなるかもしれないし。
怖くて怖くて仕方がなくて、結果が来るまでだまっていようといたけど家族に「乳がん検診で黒い影が映ってた」と伝えた。結果が来るまで待ったほうがいいと思うけど、どうしても気になるなら乳腺外科に言ってみればと言われ、次の日会社を休んで乳腺外科へ行くことにした。
基本的にどこも乳腺外科は予約診療なのか受付で止められたけど無事受診できることに。
問診票に乳がん検診経験の欄があり、寸前まで経験無しにしようと思っていたけどどうしても嘘つけなくて3日前の日付を書いた。
案の定、問診室で「えええええ!?!?」と驚かれ、検診センターに連絡してもらえることになったけど、昨日の今日で結果は見れないらしい。
診察ではとりあえず触診され異状なし。先生には「技師さんに何か言われたの?」「年齢的にがんにかかるのはまれ」と。
しかしわたしは不安でいっぱい。「でも色が青かったんです」「最近若い人もなってる」と半泣きで訴えるも「触診では何もないしすぐにどうこうなるもんじゃないからとりあえず結果がくるまで待って下さい」と言われる。
診察室を出たわたしは看護師さんに小部屋に案内され「落ち着くまでここにいて大丈夫ですよ」となぐさめられる。
この看護師さんはおそらく主に患者さんのお話を聞いたりする人だったと思う(泣いていたので記憶が曖昧)不安なこととかあったら言ってくださいねと声をかけられ、泣きながら2日間で調べまくって不安で不安でしょうがないことを伝えた。
同級生の身内の方が乳がんで亡くなったと書いてあったことも不安の一つだった。彼女のフェイスブックには若ければ若いほど進行が早いと書いてあったし。
久々に人前で号泣したわたしは結果も出てないのにウィッグやら仕事が不安定とか医療費とか家族に心配かけたくないとか初対面の人によく話したな!と今思えば恥ずかしすぎて死にたくなるようなことをべらべら話した。
ひたすら看護師さんは優しく見守ってくれて、それが余計涙腺を刺激されて涙が止まらなかった。落ち着いては泣くを繰り返してなんだかんだでその小部屋に1時間以上篭ってしまっていた。
落ち着いたときに「結果も出てないのにこんな長時間篭ってるひといるんですか(;_;)」と聞いてみたら「いますいます、まれに」と。わたしやっぱりまれかよ、とまた泣いた。
不安でも悲しいことにお腹はすくのかお腹がなってしまい、何時か聞くとお昼すぎてしまっていてさすがにやばいと思って落ち着いた瞬間に御礼を言って帰ることに。
「ちゃんと水分取ってくださいね、売店が下にあるので」と優しくされて、泣きそうになったけどここは堪えた。
検診センターでの結果は異常があれば今週中に結果が届くと教えてもらえたので、今週を乗り切れば大丈夫、触診は大丈夫だったし大丈夫、もし精密検査になってもあの看護師さんがいるここならきっと大丈夫と自分に言い聞かせた。
この週は家に帰るのが毎日怖かった。なんなら郵便屋さんのバイクの音も怖かった。
しかし土曜になっても結果は来なかった。でも何かの手違いで月曜に来るかもしれない、月曜まで油断できない。とまた不安になる。振り返ってもほんとに自分アホだと思う。
結局翌週の月曜になっても火曜になっても何も届くことはなく、検診日から二週間後に結果が届いた。
やっぱりというか「乳腺のう胞の疑い(一年後再検査)」だった。結果を見たときは「疑いってことはわかんないんじゃ」と思ったけどエコー画像で診断がつくと言うし、あの乳腺外科で号泣したときにのう胞については聞いていたので、特に異状が現れなければ1年後でいいかなとすぐに落ち着いた。
今振り返ると心の底からどうかしていたと思うんだけど、あそこまでどうかしていた原因はインターネットに縋り付いていたからだと思う。朝から晩まで調べまくればそりゃ不安にもなるし、どれが正しくてどれが間違いなのかわからないしどうしても悪い方の情報ばかり見てしまうし。そんな調子で闘病ブログまで読み漁るとそりゃ不安でいっぱいになる。
乳腺外科医のQ&Aもたくさんあったけど、診てもないのにどうしてわかるの?と思ったし。
だからもしわたしのように検診で何か不安なものを見てしまっても、インターネットで調べるのは絶対にやめたほうがいい。
不安で調べたくなる気持ちはすごくわかるけど、結果が届くまでもストレスなのに余計にストレスが重なって本当に何か病気になってしまいそうになるよ(わたしは逆流性食道炎が復活した)
ただ世の中にはこんなふうに不安な日々を過ごしたあとに告知された方がいるんだと思うと本当に自分が情けなくなるし申し訳なく思う。
こんなことを書いていいのかも迷うし、患者の方からしたら腹ただしく思うかもしれないし。
でもわたしみたいに(まれだとは思うが)なる人もいるかもしれないし。
今回の初めての乳がん検診でたくさんのことを学んだ。健康であることへの感謝。いつ自分が病気になってもおかしくないということ。インターネットに頼りすぎないこと。乳がんは早期発見が大切、乳がんは完治するということ。前向きに治療に取り組んでいる患者さんがたくさんいるということ。
こんな不安な気持ちを抱くことになるならわざわざ実費でしかも年齢的に必要ない検査を受けるんじゃなかったと思ったこともあったけど、今は受けてよかったと思う。
自分の心の弱さも知れて、大恥もかいて、もっときちんとした大人にならねばと再確認できた。
今、「こんなはずじゃなかった」という状態になっている。
「あの時はよかった」「あの時は幸せだったな」と、
考えたくないのに浮かんできてしまう。
苦しい。
でも、私はここから抜けたい。
きっと、今この場所であの時よりももっと幸せになれたらいいんだ。
今できてないことがあるから、こうやって過去のことを羨んだり、
うまくいっている人たちのことも羨ましがったりしてるんだ。
(でも、もしかしたら周りからはすでに「魔女」と思われているかもしれない。
こんなにも羨んでたら、きっとこの感情は溢れ出ている気がする)
きっと、できることをするしかない。
がんばりたい。
魔女になりたくない。
小林麻央さんもこんな気持なんだろうか。