はてなキーワード: 天皇とは
天皇陛下にも人権をと言うことなら、天皇制を廃し、天皇を辞めるのも陛下の意思決定次第なのかと思うけど、千年単位で続く事柄の取り返しのつかない決断は、一個人の判断に任せるにはあまりに荷が重い。
だけど幸いにも日本は言論の自由が保障されてるので、特にネットの普及した現代では国民が陛下に対しこうした“お手紙”を書くことも自由だろうと思う。
こうした声を普及して、いつでも辞めやすい環境を作りつつ、陛下の“お気持ち”を尊重する、それで良いんじゃないかと思った。
辞めるとしたら、天皇と言う個人ではなく存在に対して世界がこの人権感覚になるまでの2000年ほど、これまでこの国のことをありがとうございました。と、心から思えそう。
歴史的には戦争もあったけど、2000年と言うのを鑑みるとそれだけには捉えられない、と言うかとてもじゃないけど計り知れないし、その代の天皇個人も何とも言えないと思う。
ってよく言ってる人いるけど、本気で言ってるのか?
いや、初詣に行くとか、クリスマスを祝うとか、そういう表面的な話ではなく、
日本人の歴史と文化の中に刷り込まれている宗教観は自覚していないだけで、あると思うぞ。
そもそもインドから中国を経由して流れてきた仏教を、自分たちのローカルな神を混ぜて魔改造したのが
そのときから、日本ではキリスト教やイスラム教のように強い神の宗教、強い経典のある宗教ではなく、
生活の中に溶け込ませることで、透明化させた宗教を作り続けてきたわけよ。(もちろん宗教側からの要請もあれば、時の権力者からの要請もあって)
現在の象徴としての天皇もなんかよくわからんけどすごい人、尊敬できる人って思ってる人が多い時点で、
なんかしらんけど天皇すごいし尊敬できるって思ってる一般人は、別に国家神道をあがめているわけではなく、
国家神道なんかと天皇は切り離されてなんかすごいって思われてるわけで。
その、なんかしらんけどすごいし、尊敬しとこ(ご利益あるかもしれないし)っていうのがそもそも宗教の源泉だしね。
というわけで、自分は無宗教です!と恥ずかしげもなく言える人は、自分の思想の中に入り込んでいる宗教観を今一度確認した方が良い気がする。
天皇制に賛成とか反対とかおいといて。
体制が崩壊したときに天皇が必要になる可能性がある、という話。
支配体制が入れ替わるときに天皇の権威を確保してた方が勝ちということにするというのが日本の歴史のルールだ。
ほとんどは単なる形式ではあるが幕府と名の付くものは天皇から権力を借りているという体裁をとってる。
現代の日本でも内閣総理大臣は「天皇が」任命することになっているのは憲法にも書いている通りだ。
日本政府が日本を支配する歴史的正当性の根拠は天皇の権威なの。
それと同時に日本国の主権者は国民であるとする近代国家の仕組みと折り合いをつけて、今の日本国の体制においては天皇は象徴に過ぎないと言っている。
今の流行りは全ての物事の本質を再確認し、時代と共に、あるいは、誤った認識の流布によってできた事柄に異議を唱える事で、それが新時代を構築する近道だと信じがちだけど。
本質の再確認にしろ誤った認識の流布にしろ、要素が一つとは限らないという事を本質の大前提として加味して考えないといけないのではないだろうか?
もちろん、この主張自体は考えの一つとして同調するが、じゃあなぜ、このように経済を圧迫してまでこういった行事をやる必要があるのか、肯定的にとらえた場合どうなるのかに配慮が足りないのではないだろうか?
私には理解できないが、絶対の頂点、神のような存在(天皇は神の末裔として)を拠り所にしている者がいて、そういった者事態に大きな経済的価値があるのかもしれない。
それに付随して、日本の重要でトラディショナルな行事に各国はどのようなリアクションを取ってくるのか、その姿勢からどの様な政策をしていくのか図っているかもしれない。
困っている人がたくさんいて、何を優先するのかはとても重要な事だが、物事のタイミングや優先度を図り、より大きい収益を得て、最終的に様々な問題に取り組むのは決して間違いではないのではないだろうか?
という考えも、一方で持っていて、その中に綻びがあったり、公的な人間が個人的な利益を得ようとする時に、特に何も責任がない外野は厳しく突っ込むべきなのではないだろうか、
なんて、おもっちゃったりするきょうこのごろです、ごめんなさい
菊タブー(きくタブー)は、日本の天皇・皇室に対する批判やパロディーに対する禁忌(タブー)、及び直接的暴力も含む圧力の総称(通称)。 皇室の紋章が菊(菊花紋章)であることから、婉曲的にこう呼ばれる。
(本文読んでない)
おれも高校生くらいまでは要らないと思ってた。
でも天皇による国益って大きいっぽい事に気付いたし、世界で唯一の皇帝だし、日本の文化的にも重要な意味があるんだろうな、って今は思ってる。
自分は天皇制に好意的だったんだけど、今回の即位の礼で幻滅した。
儀式、ショボくない?
装飾品や衣装は素晴らしくて、さすが!って感じだったんだけど
松の間は体育館みたいだし、女性皇族のカツラは浮いてるし、クオリティ感が低い。
照明やカメラ配置などは特に酷かった。宮内庁の中の素人がやってんのか?って感じ。
失ってわかるありがたみ,みたいなところはあると思うよ。
国家って意外と面倒だからね。少なくとも国民の大半が「我々は一つの国だ」って認識してくれないと秩序が不安定になる。
日本はまだ歴史があるから直接の対比にはならないだろうけど、アメリカみたいに愛国心教育したり、軍隊に敬意を払う教育したりとか、かなりソフトに力を入れる必要は出てくるんじゃないかな。
サヨが不敬とかいうのは自分がニュートラルってアピールなので煽ってやったらいい。馬脚出すから。
まーあと50年は無理だよ。だって憲法に書かれちゃってるもん。関連法規も山ほどあるし。
あと、それなりに若い層にも天皇制支持はいるから要注意な。昔の現人神ではなくて伝統を守り続ける血筋の方々みたいなニュアンスだと思う。本人たちはしんどいけど、一方で開かれた皇室って天皇制を続ける努力をしてる。
皇室があるだけで外交もやりやすい、被災した人への慰めにもなる。いい面悪い面どっちもある。可哀想、非合理だけで通る世界じゃないんだよ。
天皇っていうか皇族の皆さんの生きづらさを考えると要らないよねとよく思うけど、口には出せる雰囲気じゃないよね。居なくなったら諸外国との交流や弔問を誰がやるのか問題になるのか。王族がいない国はどうしてるんだろうね。
天皇制についてTwitterとかで書くと共産主義者とかクソ左翼とかレッテル貼りされるのでここで。
単純に考えて、天皇制って法の下の平等に反してると思うんだよ。
そんでもって天皇自身は権能を持つことがない。つまり国家運営には全く無意味(意味を持っちゃいけないんだもんね)。
別になくしても困らないような組織であるということ。存在することで1つの家族の人権を侵害するということ。この2つが致命的すぎてちょっと存続させる意味がわからない。
そりゃ伝統ってのも大事かもしれないよ。ずっと続いてる制度であることに価値を見出す人がいるのもわかる。でもそれは人権を無視して、法的な原則を無視してまでやることなのか? だって意味はないんだよ?
自衛隊が9条に違反してる、みたいなことよりよっぽど矛盾した存在でしょ。法の下の平等に1条目から反していく我が国の憲法、アバンギャルドが過ぎる。前衛つーか前時代的なんだろうけど。
ネトウヨの人とかがさ、「皇室を尊敬しています」みたいなこと言うけど、尊敬することが人権侵害のエクスキューズになるの? ちょっと冷酷すぎない?
あと、なんか即位とかにもたくさんお金かけたんでしょ? 礼砲も撃って式典もやって、すごくお金もかかってるだろうしそもそも皇室の運営にもめっちゃお金かかるよね。
そのお金さ、他のことに回せないの? 保育士や介護士の人たちは給与が低いし人員も足りてない。きっと他にもそういう職業はある。お金が足りないから増税するとか言って緊縮してるけどさぁ。消費冷え込ませてる場合じゃないじゃん。
つーか、今や共産党ですら天皇制廃止を言ってないって気合が足らなさすぎでしょ。
あとTwitterのクソ左翼も大概にしてくれ。アベ憎しがしたい為に安倍の挙動を「不敬」とか評価してるの狂ってるだろ。なんで君らもナチュラルに君主制を受容してるの? 時の政権が憎いかどうかはそりゃそれぞれ政治信条があるだろうけど、人権を重視するリベラル志向が天皇制を擁護する理由がマジで1つもわからん。
人権を軽視する人たちが天皇制を擁護するのはまだわかるが、しかし己は基本的人権の庇護を受けてる中で人権軽視もまた意味不明だな。
今回、即位の儀式についてキリスト教団体から憲法違反であるとの声明が出されました。
5月の令和への改元の時にも同様の声明が出されており、意見を異にする牧師の方が記事を書いていました。
https://salty-japan.net/2019/05/05/anti-japanese1inchristiancommunity/
https://salty-japan.net/2019/05/13/anti-japanese2inchristiancommunity/
日本キリスト教協議会(NCC)などが声明を出すが、NCCは個別のキリスト教組織の連合体であり、各団体の
NCC担当者や議長や委員会が声明を出している。キリスト者の総意と思われても迷惑するものもいる。
NCC総幹事の金性済(キム・ソンジェ)牧師が5月の記者会見の場で、
「若者は天皇制や立憲民主主義の問題を語っても聞く耳を持たない。日本国内の日本人自身の市民運動で
自己完結できるのか。隣の韓国をはじめ北東アジアと国を越えて一緒に考えていくのが一つの突破口」
という趣旨の話をしたが、韓国と区別する北東アジアとは北朝鮮のことではないのか。
在日大韓基督教会は李仁夏牧師のもとでNCCに加盟、後に李仁夏牧師はNCC議長となる。
現在、NCC総幹事である金性済(キム・ソンジェ)牧師は、かつて李仁夏牧師が赴任していた川崎教会の後任牧師。
彼らの持つ韓国独自の神学は、韓国でも少数派となる進歩的「民衆神学」派、親北朝鮮のグループゆえに、
李仁夏牧師がNCC議長を務めた当時WCCの会議において日本のNCCがホスト役になって、北朝鮮のキリスト教団体
はたして、北朝鮮に「本物のキリスト教団体」が北朝鮮政府によって公認されるだろうか?
1970年代、金日成ら北朝鮮の指導者たちは、宗教人が皆いなくなったので宗教をも存在しないと公言。
しかし南北対話の道筋がつくと対外工作組織として朝鮮基督教徒連盟を設立し、キリスト教徒がいると発表。
金日成の姻戚で朝鮮基督教徒連盟を作った牧師の康良煜(カンリャンウク)こそが、1972年南北赤十字大会で
耳目をひきそうなところを要約すると、こうですが、本文も長いですがわかりやすい記事なので是非ご一読ください。
天皇制や政教分離について意見を述べたら「反日」だとは増田も思いません。
天皇行事の宗教性や祭事に対しての公金支出に関しては増田も大いに議論があって良いと思いますが、乗る叩き台に
ついても素性を吟味したいですね。