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2013-12-21

30代、パートおっさんにいくつか違和感

http://anond.hatelabo.jp/20131220023223

自分境遇が似てるんだけど、ちょっと違和感がある点をいくつか

ホント大二病哲学かじってたら、もうちょっと違うだろみたいな指摘もいくつか見たけど

ネットゲームを少ししたり、ブログを書いたり、まとめサイトに書き込みをしたり、という生活です。

まとめサイトに書き込み」に違和感

ある程度読書量あると、まとめサイトってすぐ飽きると思うんだけど

まあソースは俺だけど

でも、専門雑誌論文読みまくってたリテラシーあるなら、普通に2chログ漁るよね

コミュニケーション目的なら、なおさらまとめサイトより2chのが反応いいし

しか増田は人付き合いに興味ないらしいので重ねて謎

ボクシング総合格闘技ブラジリアン柔術などを学ぶのは熱が入っていましたが、虚無感も感じていました。一時強くなってもまた次の時代に新技術や新しいトレーニング方法などが改良されて、今自分が身に着けた技術とかは古い雑魚技術になるんだよなあと感じてましたが。

ここ、もやっとするんだよなあ。格闘技経験ないけど、スポーツとかで

今までの積み重ねがひっくり返される革新ってのは確かにあるんだけど

はいえ、今まで鍛えた身体は裏切らないみたいなのがあるので

積み重ねが全て無に記す虚無感ってまではいかないんじゃないかなあ

大学時代ボクシングをやったり、(略)2,3のしょぼい分野(全部似てる分野)で、日本10番くらいになったのが思い出です。

ボクシング学生大会日本10番になったわけではないんだよね

もしかして、そのボクシング総合格闘技ブラジリアン柔術とか日本10番って

格闘ゲームの中のことだったりしませんか?

まあ格ゲー日本10番でも十分すごいけど

一つ後悔というか、やっとけばよかったなあってのは、『絵を描けるようにする』ことです。漫画も数本描いたり、絵の参考書なども20年くらい読んだりしているのですが、「下手ではないけど、、、」程度です。 絵で伝えるってのは技術として素晴らしいものなので、もっと子供の内から学んでいれば楽しめたのかなあとか思います

人と話すことが全く面白くない人が絵で伝えたいことってなんだろう

普通に繋がる人と違って、創作で繋がる人達

傲慢残酷で程度の低い、だが愛すべき人達です

ちょっと元増田に耐えられるか心配

2013-10-10

萌えオタクに返り咲いたけど

中学校の頃ずっとオタクだった。

乙女ゲームテニスの王子様ハガレンキャラクターガチ恋していて、夢小説を読みあさっていた。

百合にもはまっていた。ゆるやかなBLにもはまっていた。ファンサイトめぐり趣味だった。

アニメイトでグッズを買っていたし学校でそれを使っていた。イラスト集設定資料集、缶バッジ……

彼氏アニメキャラでいいと思っていた。

お年玉お小遣いはほぼアニメ関連に消費されていった。


いま、また萌えオタクにかえってきた。

当然のように、アニメキャラに満たされるし、グッズは無限にほしいし、アニメできゃーきゃーいっていた。

でも数日の間だけだった。


まずアニメゲームを素直に見れなくなってしまった。

萌えアニメゲームに出てくるデフォルメされたキャラクターがみんなダメ人間に見える。

この人は童貞こじらせ、この人は共依存、この人は執着心が強い、これは空気読めないタイプ、この人コミュ障じゃん……など

現実世界感覚萌え世界にまで侵食してきて、萌えられなくなってしまった。

それからアニメグッズ。

アニメイトで売っているアニメグッズのクオリティは恐ろしく低い。

水族館とか観光地おみやげレベルである

とても買えなくなった。そんなグッズが作られているのが悲しくなった。

イラスト集設定資料集も、ダサさに我慢ができなくなった。

なんだこのデザインは!!と、ひとりで勝手に憤っていた。


マーケティング戦略にもイライラしていた。

予算と人員が足りないと思うので仕方がないと諦めるべきなのだが、どうにもこうにもお茶の濁すにしてもグダグダで、田舎っぽかった。

あとファンであるオタク仲間にも、イライラしていた。

モンペクレーマーか、ガチ勢と云われる信者しかいなかった。

自由がなかった。閉鎖された村だった。


前科ものなので今でも萌えアニメ乙女ゲームを見ると飛び込みたくなってしまうのだが

昔は勢いで黙殺できていたものが、できなくなった。

こうしてオタク卒業するのだろうか。それとも大二病的な何かなのだろうか。

2013-09-06

http://anond.hatelabo.jp/20130906101623

お前だけじゃなく、世の中すべての人間が「新しい悩み」を自ら解決してますよ。

自分だけ特別に大変な所に居るとか考えてるからおかしくなるわけで。

なんなんだろうね、この大二病だかキモイ病気は。

無駄に、成功者とかすごい人みたいなのが情報が物凄く流れてるから

より自分も付く別に違いない、って思っちゃえる率が高くなってるんだろうね。

色んな成功者見てけば、それぞれ少しずつ自分に近いところも見れるし。



で、なんでもかんでも病気のせいだもんな。そりゃ世の中おかしくなってくわな。

世の中総病気だよな。

2013-08-02

「「「ーーって奴なんなん」って奴なんなん」って奴なんなん」って奴なんなん

中二病高二病大二病?院二病?社二病

2013-03-23

35病

http://anond.hatelabo.jp/20130323124047

中二病高二病大二病社二病を乗り越えて患うのが35病だと思う。30代後半から徐々に発症する。

若者のだったつもりがいつのまにかおっさんおばさんの仲間入り。こんな症状が出たら罹患を疑うべき。

正直、頭が禿げるとか加齢臭がするとか脂肪が増えるとか肌が荒れるとか、そういうのは年齢とともにやってくるものなのでしかたがないことだと思う。

でもこういう「会社や店で横柄な態度のおっさん」が年寄りになると、最終的に菅直人石原慎太郎田中真紀子みたいなジジイババアが出来上がるのだと思う。

若いころ「武満徹を殺せ」なんてビラを巻いていた坂本龍一も、今ではすっかり説教クソジジイになっている。

35病の厄介なところは、中二病などと違って年齢を重ねれば重ねるほど悪化していくところだ。

最近女性だけでなく男性向けにもアンチエイジング流行っているそうだけど、年をとりたくなければまずは見苦しいおっさんおばさん言動と行動をやめるべきだ。

かく言う俺も今年で34だ。街で見苦しいおっさんおばさんを見かけると「俺もそのうちああなるのか」と非常に憂鬱になる。

追記

「それ年齢関係なくて、そういう奴は若くてもそんなだ」というご意見を頂いている。確かに石原慎太郎坂本龍一富野由悠季若いから尊大な嫌なやつだったと思う。

でもこの人ら、年齢を重ねるごとに尊大さが悪化して説教クソジジイになったじゃないですか。これって年齢とは決して無関係とは思えないんですね。人生経験がかえってマイナスに働くというか、成長ではなく老化していくというか。

この文章からにじみ出ていると思うけど、俺も子供の頃から世の中を斜めに見る嫌な子供だった。それが嫌な若者になり嫌な大人になった。このままいけばきっと嫌なジジイになるのだと思う。三島由紀夫が45歳であんな死に方をしたのは、そういうジジイになるのが嫌だったからだと思う。

追記

http://anond.hatelabo.jp/20130330190713

35病のサンプルとしてリンクしておく

2012-09-01

好きなことのスキルを磨くために努力してたら嫌になったけど

大学生の私は漫画絵を書くのが昔から好きで、書いては周囲の人間から

「上手いねえ、才能あるよ」などともてはやされていたために

自分には才能がある、という感覚意識の根っこで潜在的にあったようなのだ

いざインターネットピクシブというプロアマ入り乱れた巨大フィールドで発表したら

自分いか素人レベルなのかを思い知らされた。

そこで終わりたくなくて、練習や研究を重ねて死に物狂いでやってきたのだが

いよいよ自分の描く絵がすべて駄目に見えて、あげく上手くなりたい気持ちが先行しすぎて

何を描きたいのか自分でも良くわからなくなった。

ただここで諦めるのも今までの努力とかを捨て去るような気がしてもったいなく思える。

しばらく離れてみては?というアドバイスも貰ったが

実際にしばらく絵を描いてないとどんどん感覚を忘れてうまく描けず、余計にイライラ

絵を好きで描いていて、才能があるよ、と言われて本格的な練習を始めたのがきっかけならば

僕はきっと自分の才能ある(と自分で思っていた)センスで描いた絵を褒められたくて、

絵を描くのが苦痛で、才能もないとわかり、あとは努力をどれほどできるか、たまに他人にアドバイスを求めるような自分

褒めてもらいたい理想自分ではないということにもうすうす気づいている。

一方で、私は美術系ではなく、普通化の進学校から、一般に難関と呼ばれている大学に進み、在籍している。

現実問題として自分が才能を仕事に出来るようなレベルになれるということは思っていない。

から当然、普通の(平均的な)人生を送るのが当然(このご時勢それすらも難しいだろうけれど)だということも理解している。

しかし一方でどこかクリエイティブ世界に憧れを抱いており、文武両道ではないが、その分野でも

なんとか満足いくだけの能力を手に入れたいとも思っている。

傲慢浅薄でくだらないプライドと欲望だということはよくわかっている。

才能という言葉で片付けるにはまだ自分に伸びしろがあると信じたいが、そのための努力というか、

もう描くこと自体が辛くなっている、でも上手くなりたいという気持ちだけはある。

そらく打ち込む分野は絵でなくてもよかったに違いない。ただ幼少期よりの経験的なイメージから

絵をかくのが成功には一番近いのではないか、というクソみたいな理由から出発している。

同時にそれがプライドを引き上げてる原因でもあるのだが。

いざ他の趣味でも始めようかと思ったが、他に何かやってみようという気になれない。

そらくそこでも無駄努力をしようと躍起になるはずだ。

からといって画面と睨めっこしたり他人の絵の模写に挑むのがきつすぎる。

ヘタレだと思ったかゆとりだと思ったことでしょう。

あるいは若気の至りでただの大二病なのかもしれないけれど、

ニコニコ動画ピクシブ出身アマチュアが、金取る世界へ飛び込むことのスゴさ・カッコよさ

(わからない人にはわからないことだと思うけれど)に憧れて無用努力を続けるアホは本当に多いです。

夢を追い続けるバンドマンのそれとほとんど変わらないですね。

就職したらそれどころじゃないのかもしれませんが、この性格じゃあ鬱病でも発祥して死ぬような気がしますね

2012-02-29

物事を細分化して、それぞれを深く考察して現象に解釈を与えるのが学問だとするならば、社会問題って学問じゃ解決できないような気がする。

なんて言うか、たくさん言葉を使って、切り分けて輪郭をはっきり捉えていくに連れて、どんどん元々の有り様から変質してしまっていると思えて仕方がない。

放射能云々でカンニング竹山放火した人たちやら瓦礫受け入れに反発する人たちってのは、もっと単純な理由から反応しているんであって、難しく考えても意味はないんじゃないかな。

人間が死を恐れる理由と似てると思う。なぜか、よりも先に、怖い、がある。だから通じないし、解決できないし、面倒くさいんだ。

そもそも解釈を与えるのが学問だと仮定したんだから、解決なんてできないって端から結論は出ているわけで。

からといって考えることをやめてしまったらうんぬんかんぬんではあり、困難な物事にぶつかったときに考えることと知識としての学問は必要なんだろうけれどもさ。

どこが分水嶺なのかは人によってまちまちなんだろうけど、争っている人、火病ってる人がいるのを見ると、傍観者としてしか関われないなあって思う。

いつ当事者になるともわからいからこそ、安全場所にいるうちに対策を考え、できるのならば矯正したり排除すべきなんだろうけれども、それもまたどうなのかなって思うしなあ。

私の安全を確保するために、あなたを排除します、なんて論法は通じないだろうし、ともなれば共生するか、住み分けするかしかないんだけれども、そんなに簡単なことでもないし。

概念としての住み分け共生は可能だろうけれど、実生活でとなると問題は立ちはだかるわけで、そういうことするのは途方もないからなんか面倒で、好きにやってなよって思ってしまう。

楽だし、ある意味では賢い処世術なのかも知れないけれど、常にいつくるともわからない危険に晒されているわけでもあって、だとすればその危険回避するためにいよいよコミュニケーションを閉ざす必要も考えなければならなくなって、なるほど傷つかないための非コミュなる分類もあり得るのだろうななどと思い至るわけだけれど、そう言った非コミュにはそもそも発言権なんてないだろうし、ますます悶々と思い悩むしか方法はなくなって、相談しようにもその窓口へ行くまでに精神的な敷居ができてしまっていて、そう言った状況下において増田2ちゃんは甚だ住みよい住環境提供してくれているのだなあと気が付かされるわけなのであります

ものすごい自己愛と表裏一体の自己嫌悪が渦巻いているような感じなんだなあって思って、それはつまり厨二病にも通じるのかも知れないし、高2病にも通じるのかも知れないし、大二病にも通じるのかも知れないし、要は内向的ナルシストしかないのだろうなと、やっぱり前にも達した結論に帰結するわけで、ほらみろ考えるだけ無駄だったじゃないかと思う一方、なんで厨二病に然り高二病に然り、二年次に掛かる概念なんだろうと思って、いやいや違うぞ、そもそもの起源が中『二』であっただけでそこには何も意味なんてないんだよって考えつつも、三年制の学校における二年生の自由さ、気楽さ、目的も意義もない自己反芻の多様さを想定すると、あながち関係がないとも言えないんじゃないかとなどとも妄想が膨らみ、なんて言うか、二っていう数字はとてもいいなと、零と合わせて素敵な数字だなと感じていることに気がついた折に、数字意味を見出す働きってどこからくるのだろう、社会から人間からかとか無謀な問題を提起してみたりして、そんなことどうでもいいやないのと思い、でもきっとどこかしらにはそういったもの研究した文章が残っているんだろうなあ、すげえなあと感心する次第なのであります

頭の中で文章をうんたら考えるより、浮かんだ文章をそのまま書き出している方が楽しいなって思うのです。もちろん、ひどい文章、無残な表現、ぐだぐだとして読みにくい構造になることが多いでしょう。反対に、短すぎたり、突飛すぎたりしてついていけない文脈になっていることだって多いことでしょう。直前の文章における、逆説の使い方が適切なのか、もっといい言い回しはないのだろうかととか考え始めると、わたしの場合は根を詰めすぎてしまって訳がわからなくなるのです。だから、あんまり気負い過ぎないほうがいいのだと思う。こうやって、意味もなく、意味のない長文を書きたれているこの時間こそが至福であり、なんていうか久々に楽しくて止まらなくなっているのです。

読む人のことを考える文章は、書くのがとても難しい。それこそ、文章と向かっているだけのはずなのに、コミュニケーション能力を測られているような気がします。それが一体誰なのか。わたしが想定した架空の誰かなのか、どこからともなくやってきていつの間にか培われてしまった常識というものなのかは知りませんが、とにかくまあ面倒で、厄介で、鬱陶しいわけなのです。無論、悩んでいる最中にそんなことに気づいているわけがありません。気づいていないのですが、とにかく苦しいわけです。産みの苦しみってやつとは違いますもっと煩雑な、ごちゃごちゃとした混沌が頭を塗りつぶしてしまうのです。

からなのだろう。分析したつもりになって悦に入って何がしたいのだろう。修造さんに叱られるかも知れないけれど、やっぱり色々思ってしまうなあ。全てにおいて理由があるなんて限らないのかも知れないけれど、大抵の物事については確かに理由や動悸があるはずだもの。例えば衝動的にこの文章を書いているのだとしても、その衝動はどこから来たのか、なぜ生まれたのか、どうして依然としてとどまるところを見いだせないのか、考えることはできるし、一応の答えを当てはめることは可能だと思う。

問題は、その答えに納得できるかどうか、その答えが適切であると認められるかどうかなんだよなあ。認められないんですねえ、わたしは。優柔不断から。そうなのかな。もっと正しいものがあるように感じることが多い気がする。自分で出した答えに正しさが見いだせず、そもそもに於いて自分の中に確固とした正しさを確立できていない人間が、正しさについて悩むなんて馬鹿げてる。でも、正しさについて確固とした答えを持っている人って脆いと思うなあ。固いだろうけれども、ダイヤモンドみたいなものだと思う。無論、それだけの輝きと価値を合わせもってはいるのだけれど。

ダイヤモンドにもなることができないクズ石が何を語るのかという自虐が出てしまう。いやいや、クズ石ですらないかも知れない。では一体何なのか。わからないなあ。卑下する必要はないのかも知れないけれど、自分が何なのかなんて誰にもわからないんじゃないかなあって思う。例えば学生とか、どこどこの社員だとか、夫だとか、身分を示す言葉はたくさん纏っているだろうけれど、その言葉を纏っている本体は一体何なのかと問われたたらみんな答えに窮すると思う。デカルトかって感じ。デカルト知らないけど。

知らないことがたくさんあって参ってしまうわ。こんなくっそくだらないチラ裏書き散らして恥ずかしく無いのって、それ一番言われているから。

2011-11-13

http://anond.hatelabo.jp/20111113033746

貴方達のような感想が私は大好きです。有難う御座います

本当に私は人間性が無いと思います

私は親の価値観押し付けられ、毎日公務員になりなさいと言われ続ける子供時代だったので、人間性が無いのかなと思います

そして貴方達のような人に中学生の頃「勉強して何になるの?面白いの?意味なくない?世間体?」というような事を言われて、何かが弾けてDQNになりました。

そこから一切勉強していません、趣味バイトしかしてません。

それで、つい数ヶ月前に彼氏に殴られてハっとして、小学生の頃に戻って、勉強しているんです

自分人生を取り返したいというか、別にそんな大それた事ではないですけど、まあそんな感じで自分探ししてるんです

中身は小学生ジャンル的には今「大二病」辺りです

死んでいるようにしか見えない不気味で傲慢な今の状態から私は抜け出せるのでしょうか。ご指摘嬉しいです

2011-09-12

DJミサワ

選曲まだしてねぇけど、今夜DJイベントだわー

マジ時間ねぇ、選曲まだしてねぇけどー

ミサワ大二病てことでいいんですかね?

2010-12-30

思いやりがない。

思いやりがないので、身近な他者に対して酷いことを平気で言う。

それを酷い発言と思わず、正論と思っている。

複数人で行動するときは常に受身。

感情的になることを否定。

議論好き。

議論好きなので、普通に話していても議論の方向へ持って行く。

結論はいつも正論理想論

読む本のほとんどが実用書か学術書。

資本主義が悪い、と繰り返す。

猫を愛でる。

大二病

2010-07-16

http://anond.hatelabo.jp/20100716152516

ちがうよ。

小二病中二病⊇高ニ病⊇大二病⊇社二病

だよ。

と思ったけどこれって元をたどるとどこまで行くんだろう。

コロコロ超人無双スペクタクル、が小二病

数人の超人が君臨し周囲を無双、が中二病

超人なんていないよ、みんなどんぐりだよ、が高ニ病、

どんぐりなんてもんじゃないよ、みんないっしょでみんなちがうんだよ、が大二病

みんなこうやっておとなになるんだよ、きみはまだ若いから仕方ないけど、いずれわかるよ、が社二病

じゃあ、小二病の前に何があったのか

はっ

ぼくはうちゅうのしんりを知ろうとしているのかもしれない。

2010-06-14

http://anond.hatelabo.jp/20100614101019

中二病を批判する高二病ってかんじですね。

そしてそれを批判するオレ大二病。w

2010-06-07

http://anond.hatelabo.jp/20100607152318

中二病で非現実世界観の虜となり、

高二病きれいな現実世界観の虜となり、

大二病政治社会ドキュメンタリーに傾倒し、自分の近い未来を夢想して、

社二病ですべてを受け入れ、さらに自分の終着思想を人に強要する社蓄の完成

2009-11-15

http://anond.hatelabo.jp/20091115001734

いや、中二病じゃないだろ。中二病は群衆に浮かれない俺すごいって病気。だが高二病患者なのが元増田。しかも大二病も併発してそう。

中二病は患っていないと思う。普通学生よりも頭良いよ。というか、今の俺より頭良さそう。中二病患ってるんじゃなく一気に高二病シフトしたように見える。

そしてこの頭の切れるところが問題だと思った。仮に頭の低い人が悩みを抱えないなら、悩みの数は多くなるのかもね。

元増田のようなものを悩んで生活しない間が華。

http://anond.hatelabo.jp/20091115005541

今気がついたけれど、横やり入れたのも中二病とは違う感じだったからまあいいや。

中二病を地でいく奴はそんなにいない。あっても一過性というか、高校入学初期くらいだと思う。生活がシフトする時期や緊張から解れた時期に患わないというか患えないんだ。俺、中二の時なんかまるで遊ばなくて、高二のときにはじめてたわんだからそうなっただけなんだ。だから仮にこの理屈が正しいのなら、ずーっと頑張っていて勉強にかじりついたりしていて、そういう周りの連中のことなんか一度も考えないような人は中二病を一度も患えないと思う。遅れて患うほどレアにも見えるからそんなのあるわけないじゃないって言いたかったんだ。

遅れて発症するといきなりドロップアウトになるんだよなあ。この病気。要するに、勉強しかしてこなかった人ほど発症が遅れる傾向があるみたいでさ。

2009-11-14

http://anond.hatelabo.jp/20091114213127

それが思春期ってものだからだろ?wあ、トートロジーで申し訳ない。でもそうだろ?

元増田は順調に中二病を経てそして高二病に罹患して思索を行っている。

進学すればきっと大二病にもかかるだろう。

きわめて正常な発達段階を遂げている。

普通が多様化している現在元増田はこれまでと変わらず普通の枠に収まったまま普通に生きていくだろうとしか思えない。

2009-11-13

歴史は、理系では理科に対応する。

 歴史の授業では、過去に起こった出来事を教える。しかし、「なぜそのような事が起きたのか?」「どのような法則性があるか?」などの解釈はほとんど教えられない。これは、小学生理科と似ている。小学生までの理科では、観察される事実実験結果を覚えることが中心で、「なぜそのような事が起きたのか?」「どのような法則性があるか?」などの解釈はあまり教えられないからである。歴史だけを学ぶのは、非効率であり、簡単な歴史を学んだ後は、経済学政治学などを中心に教えるべきだ。

 歴史の授業では、過去に起こった出来事を教える。しかし、その出来事に対する解釈はあまり教えられない。そのため、戦争があった事を学んでも「残酷ですね」くらいの感想しかもてない。下手をすると感想文を書かされる。

 社会科教育として、そんなことをしているので、下記のリーマンショック解釈のように、中二・大二病解釈をする”歴史好き”な教員・生徒を発生させる。

リーマンショックの原因はサブプライムローン

サブプライムローンの問題は中流階級貧困層へ転落

中流階級貧困層へ転落した原因はアメリカの消費奨励政策

アメリカの消費奨励政策は新自由主義銀行家の利益のため

新自由主義が異常に世界流行ったのは共産主義の崩壊

http://anond.hatelabo.jp/20091113023238

 不況機構などは、歴史研究することで発展した経済学である程度理解することができる。しかし、歴史好きほどそのような学問を学ぶことなく、自分勝手な中二・大二病解釈をする。

 歴史は、理系科目でたとえると、小学生理科と似ている。小学生までの理科は、観察される事実実験結果を覚えることが中心だからだ。理系科目では、それらを覚えた後、中高と進むにつれて観察される事実実験結果の解釈方法を学ぶ。観察される事実実験結果は無数にあり、それを覚えていくのは非効率だからだ。

 同様に、過去に起きた出来事を覚えることを中心とする歴史を学ぶのは非効率である。歴史小中学生までに薄く広く教え、以降は、経済学政治学等の過去に起きた出来事の解釈を中心として教えるべきだ。理科が、物理学化学名前を変えて、事実解釈方法を学ぶようになるように。

2009-11-09

http://anond.hatelabo.jp/20091109164506

大二病悪化させて、自分ブログリフレ派のバナー付けないようにね。後々、恥ずかしい思いするよ。

2009-11-06

http://anond.hatelabo.jp/20091106070545

「人もそれ以外の動物も生きるため、己の欲望を満たすためには、働かなくてはならない」

大二病的に翻訳すると

今日資本主義家畜として働く

となる。

2009-09-24

大二病は、日本人特質なんじゃない?

中二病大二病は、日本人の特性なんじゃない?だから、多くの日本人は、大二病。もちろん俺も。

下記のエントリーをみて、改めてそう思った。

http://anond.hatelabo.jp/20090924092317

http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/7eaba4bbf3409d6bf7151d9501304ff2

http://anond.hatelabo.jp/20090924093733

テレビとか全く見てないんだけど こっち界隈の人はこの件についての反対派ばかりマスコミは登場させると批判しているが

ネトウヨさん界隈は賛成派ばかりマスゴミに出てると批判している。

要約すると、八ッ場ダム建設問題において、建設派と建設中止派の両陣営とも、「マスコミ自分の陣営が不利になるような情報ばかり伝える。その情報は誤り、もしくはごく少数派の意見である。このような情報を垂れ流すのは、報道ではなくプロパガンダだ。」みたいなこと言ってる。実際は、この問題に対する報道は、一つの記事・番組内では多少偏りがあるものの、すべてのTV局・新聞がどちらか一方の味方をしているという状況ではない(と思う俺もTV新聞をすべてチェックしてるわけじゃないが)。

しかし、建設派と建設中止派の両陣営とも、プロパガンダに感じてしまう。なぜか?それは、両陣営とも大二病だから。

両陣営とも、その人の"常識的に考えて"(通称jk)圧倒的に自分の陣営の主張が正しい、もしくは圧倒的多数派だと考えてる。そのため、相手陣営に有利な報道が少しでもされると、プロパガンダに感じる。マスコミという、見えない敵(悪い組織)と戦ってしまう。両陣営とも大二病である。

原因は、「"常識的に考えて"圧倒的に自分の陣営の主張が正しい、もしくは圧倒的多数派だと考えている」ことにある。一般的に、このような両陣営が長年もめてる問題で、圧倒的に片側の陣営が正しいということはない(少ない)。大抵の場合は、いい意味でも悪い意味でもお互い様だ。しかし、"常識的に考えると"圧倒的に自分の陣営の主張が正しいと感じる。そして、自分と異なる主張をするやつは、常識がない人や情報が足りない人(情弱)、悪の組織だと考え、それらの人や組織説教したり、戦いを挑んでしまう。大二病の発病だ。

さらに原因を掘り下げると、"常識的に考えて"*が、原因なのがわかる。もっというと、人々が異なった常識

常識

(1)ある社会で、人々の間に広く承認され、当然もっているはずの知識や判断力。

http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/93867/m0u/%E5%B8%B8%E8%AD%98/

をもっていることが原因である。当然、皆が日本社会に属していている。しかし、同時に、東京都群馬県などの地域社会医者SE科学者などの専門領域(社会)に属している。異なった社会で身につけるので、異なった常識(知識や判断力)を持つ。それを日本社会常識と考えるから、大二病が発症する。

先日の選挙も、多くの日本人が、自民党民主党公務員マスコミという見えない敵(その組織の誰が悪いとはわからなし、全員が悪いわけじゃないが、その組織の中にいる悪)と戦っていた。多くの日本人大二病なのかもしれない。いや、大二病は、日本人特質なのかもしれない。

大二病を治すにはどうしたらいいか?大二病発病中の俺は、以下の方法で闘病していくつもりである。自分常識的な人間だと考えるのをやめて、なんらかの専門家だと考える(ある意味高二病の発病)。同時に、他人もなんらかの専門家だと考える。悪と戦うのではなく、異なる分野の専門家と議論すると考える。具体的には、異なる分野の専門家(知識労働者)が社会の中心となっていく的な本、「プロフェッショナルの条件」 P・F・ドラッカーでも読み直し、洗脳されてみようと思ってる。

30手前にして大二病発病中の長文を読んでいただきありがとうございます。

*「庶民感覚」も「常識的に考えて」と同じだと思ってます。

2009-06-15

http://anond.hatelabo.jp/20090614235746

こういうのが所謂「中二病高二病大二病相転移」と言う奴か。

欲の具現化こそ物理法則からは導けないが物理法則に縛られる俺ら人間動物生命本質の一部であり生きている証。

2009-01-15

ちょっと前から

理想を冷笑して本音を言っちゃえば勝ち、みたいな風潮が強まったよね。

現実直視」といえばかっこいいけど単に思考停止してるだけだし。

社会全体が大二病みたいな。

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