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はてなキーワード: 仏教とは

2019-01-04

anond:20190104135942

横だが瞑想なんて本買うまでもなくアプリで充分。

グーグルマインドフルネス研修話題になって、宗教臭いイメージ払拭しつつあるが、根本宗教からまれたもんなので、本はきちんと選定しないとトンデモがたくさんある。

アプリなら、実践にのフォーカスしてるものが圧倒的に多いからな。

あーこれが全然ダメ

トンデモがたくさんあるのは同意

宗教に対する警戒心も正しいと思う。

けどマインドフルネスとかは全部仏教瞑想からまれものから


よくわかるよ「マインドフルネス」とか「実践フォーカスしたアプリ」とかに惹かれる気持ち

クール有用メソッドだけを効率よく食い千切ってるつもりでしょ?

でもあれは重要エッセンスをだだもらしに取りこぼしてるから

勿体無いよ。


なんていうか、プログラムを扱うにも根底思想とかの勉強必要でしょ?

「これが効率的でクール」って言いながらカットペーストでその場しのぎしてるだけの人はいつまでもプログラム理解できず扱えるようにならず勿体無いでしょ?

それに近い。


上で挙げた本にしても宗教の話なんかたっぷりやってるわけじゃないよ。

(本当に仏教勉強しようとしたら分厚い本を何十冊も読まないといけないし、瞑想の為にそこまでするのはナンセンス

でも瞑想がなんでそうなるのかのエッセンスが含まれてるし勉強入り口にはなる。

マインドフルネスの本はそういう部分を全部取りこぼしてる。

取りこぼしてるだけならまだしも、変なニューエイジ的な自己解釈を付け足してまでいる。

あんなの読むなら仏教瞑想の本のほうがいいよ。


ましてアプリじゃそもそも実践」に絞ってもカバーしきれないでしょう。

スポーツでも勉強でも、アプリだけでできるようになるというのは現状はありえないよ。

anond:20190103151431

病院にでもカウンセリングにでも何でも行くしお金なら払うから、この寂しさがどうにかなる方法を誰か教えてほしい。

瞑想

要するにあんたは執着心が強いので

その心を観察して直せるのは仏教瞑想だけ。

金もカウンセリングも要らないかヴィパッサナー瞑想についての本を一冊買ってよく読んで実行しろ

https://www.amazon.co.jp/dp/B011CMR84A/

2018-12-27

anond:20181227122122

サンスクリット語オームoの音写インド古来より神聖なる音声と考えられてきたもので、本来は、神々に対する呼びかけの間投詞であったが、やがて各種の呪句や真言の初めに付せられるようになり、それら呪句、真言密教に取り入れられたのに乗じて、仏教流入した。この音はa, u, maの3音節に分解できるので、3要素よりなるもの、たとえば天・地・空、熱・水・食物、ビシュヌ・シバブラフマーの3神などに配され、あるいはふたたび総合されて全一普遍実在ブラフマンアートマン象徴する聖音とされ、その念想によって実在への帰入、解脱が期せられることになった。仏教では、「阿毘羅吽欠」などのように密教真言や陀羅尼の初音として用い、帰命、供養のため、あるいは法身報身応身仏の三身意味するものとされている。

2018-12-26

anond:20181226013628

私は散骨もいいなと思ってるんだけど、無縁仏が嫌な人はそういうのはどう思うんだろ。

執着を捨てるって意味でむしろ仏教っぽいとすら思うんだけどな。

チベットだと鳥葬するくらいで。

たまに「無縁仏になるぞ」的な脅しをかましてくる人いるけど、無縁仏ってそんなに脅しになるほど嫌なものか?仏教徒の人前提で。

教徒無宗教の人ならともかく、仏教徒の人相手でもそこまで効果ある脅しとは思えないんだよな。

天国と地獄概念があるとしても、無縁仏だと天国行きに時間がかかるだけで全く行けないとかは無いわけで。(地獄行きの人は別として)

私は特に自分宗派に熱心とか信心深いわけでもなく、普通に仏教神道信仰しているけど、家の墓なくてもいいと思うし、無縁仏でも不都合は無いと思う。

100年どころか50年もしないうちに、更新しなかったりとか寺が潰れたりして墓が撤去されたら、それこそ実質無縁仏みたいな扱いになるわけだしね。

寧ろ無縁仏の方がある意味合理的な墓に思えるけど、そんな事言ったら他の信者と坊さんに怒られるし困るから無理だよな。

2018-12-23

anond:20181217110830

「誰か権威を持つ人が正しいと言ってる」が信仰

検証可能性再現性をもとに科学検証を行った上で正しいという」が科学

昔は、科学検証というものがなかったから、すべてが信仰領域だった。

しかし、科学検証が生まれ、かつ科学検証が馴染むもの信仰から出ていき科学となった。

昔は、天地はどのようにして作られたか?や、人類はどこからたか?も信仰領域だった。

信仰に近い仏教瞑想脳内スキャンの進展によりマインドフルネスということで科学になりつつ有る。これは最近信仰から科学への転換の例としてあげられるだろう。

しかし、対人関係や、社会、体内については、まだまだ検証可能性を整えるまで至っていない部分がある。

検証できないものは、自分が正しいから正しいとしか言いようがなく、他人が言う話を、言うやつの信頼性を含めて各々が判断するしかない。

まりは、「信仰」としてまとめられた書物や、今生きているやつが正しいと思うというだけの言葉から学ぶしかない。

なお、これについて釈迦はある言葉死ぬ間際に残している。釈迦死ぬ間際、弟子がこれから何を信じて生きればいいのですかと聞いたところ。

「自灯明、法灯明」(自分自身を拠り所にし、世の中の正しいという原理を拠り所にしなさい)

2018-12-22

anond:20181222004526

仏教価値観素人では扱いが難しく、ニヒリズムに陥る可能性があります

仏教での一切皆苦というのは修行が足りていないために有る状態です。

修行を積むと一切皆苦の上の段階につけます。

だが修行というのは自分の方を向いています

そこには他人はいません。

人は他人幸せに貢献することで本来幸せを得ることができます

そういった意味ではキリスト教的な博愛主義こそが幸福要諦です。

あなた必要なのは仕事ではなくボランティアです。

生きるとは何なのか

仏教では苦だと言ってるらしいが俺もそうなんじゃないかと思う。

今日仕事をしてきたんだが、まあ疲れたよ。辛くはないんだがな。ただどうせなら仕事はない方がいい。

生きるために仕事をする。生きることってそんなに大事か?死にたくはない。怖いから。でも命ってそこまで必死に守るものでもないような気がするんだよ。

人生はやはり苦なのではないか。死が怖いから生きているだけで必死に守る価値はないんじゃないか

うおおおおおおおおおお。

2018-12-21

anond:20181221031108

入ってないけど、上流階級でもなければ儒教が一番多いと思われる。

親孝行とか、会社上司部下、先輩後輩など、儒教的な規律がまだかなり生きている。

冠婚葬祭などの儀式的な面では、神道仏教ミックスしたものが多いが、日常レベルでは薄っすらと残っているという感じか。

結婚式だけキリスト教がある。その他のイベントなら、クリスマスハロウィンがあるが、キリスト教と何も関係ない気がする。)

2018-12-18

anond:20181218115346

自分が」「自分は」「自分を」はミーイズムといわれます

そういう自分中心の見方主観から早めに抜け出して

客観を手に入れたほうが人生を楽に過ごせるようになりますよ。

よろしければ仏教般若心経現代語への翻訳でも学んでみてください。

手を合わせて拝むのって

神社でもやるけど、発祥仏教なのかな?

何となく海外だと仏教国でやってるイメージから

それとも、仏教以前からアジアに広がってる、一般的行動様式なのかな?

2018-12-16

明治の「廃仏毀釈運動

各地の廃寺となった寺の数を知るだけでもその苛烈さが分かる。富山藩では、1600か寺以上あった寺院が6か寺にまで激減。薩摩藩でも1000か寺以上あった寺院明治7年には全廃となり、藩内には一つの寺院存在しなくなった。まさに「おどろくべき暴挙」(圭室文雄*1)であった。

当時の全国にあった寺院の約半数が廃寺と化し、途方もない数の文化財が廃棄・破壊され、果ては売買されたと伝えられているが、今もなおその正確な実態は掴めていない。

2001年アフガニスタンイスラーム主義組織「ターリバーン」が偶像崇拝禁止を掲げて、バーミヤン仏教遺跡群の石像破壊すると世界中から非難の声が上がった。その際、日本政府は修復のための基金設立し、最終的に3億円以上を拠出した。

だが、皮肉なことに、近代日本の夜明けを告げた明治政府は、「ターリバーン」など比較にならない規模の「ヴァンダリズム」(文化破壊運動)を容認していたことを、日本人として記憶に留めておくべきだろう。

2018-12-14

anond:20181214115850

そのへんの価値観共通してるんだよな

してないぞ。

キリスト教イスラム教共通してるのは同じ宗教がもとになってるからだし、

仏教的な「極楽」「地獄」はインド民間信仰中国日本にまで伝わっただけで、

原始仏教は延々と生まれ変わる輪廻転生世界観なんだから極楽もクソもない。

2018-12-05

葬式なんて不要

うちの家族は「葬式なんかでカネを使うより、生きてる者が未来の為にもっと有意義なことに使ったほうが良い」って考えですね。

資産家だった私の父もそうでした。

生きている間

「罰があたる!」

戒名にこれぐらい出さないと恥ずかしい!」

「他の人はもっと寄付してくれてますよ!」

などいろいろな脅し文句でカネを引き出そうとしてきた坊主の態度に大きな疑問を抱いて、その背景にある仏教ベースにしたビジネスモデルのろくでもなさに気付いたようです。

こういった考えは葬式商売されている方にとっては都合が悪いでしょうが

資産負債という観点投資という観点からすれば、葬式にカネを使うのはあまりにも非合理的

今の日本合理化が進んでいますから葬式なんて不要!という人が多くなるのは当然。

それに高級車でキャバクラ通いをする坊主批判しない仏教界の体質にも強いマイナスイメージを覚えていることでしょう。

そりゃそうですよ、自分葬式の為に出したカネがキャバクラ嬢やクルマやその他もろもろの高級ブランドが肥え太る為に使われてるなんて知ったらね。

まりにも葬式業者坊主にカネを渡すバカバカしさを痛感する。

葬式なんてろくでもないカルトだよな

葬祭ビジネスなんてろくでもない。

「罰があたる!」「戒名にこれぐらい出さないと恥ずかしい!」「他の人はもっと寄付してくれてますよ!」

などと脅したり人を馬鹿にしてコンプレックスを刺激したりして今まで儲けてきた。

ほんと、高い壺を売る連中と根っこは変わりませんよ。

仏教界も高級車でキャバクラ通いをするような坊主を表立って批判しませんし、そういった汚れた体質も人々の仏教離れを進めている。

いちばんおぞましいのは仏教信仰が強い地域葬式を行わないと村八分にされるという恐れですね。

そういう意味では仏教オウム真理教などのカルト宗教有害性はさほど変わらなくなる。異教徒への人権侵害を是とする姿勢なのですからね。

まあ異教徒への仏教徒の姿勢は、仏教徒によるロヒンギャへの強姦殺害などの弾圧迫害行為にすべてが示されていますが。

2018-12-01

anond:20181201135706

本来は、出世出家も同じ意味仏門に入ること)で

仏門に入って身分の高い僧になることから転じて

仏教関係なく位が高くなるのを出世というようになったんだとさ

東京国立博物館地域博物館とかで経塚やそれに関する遺物を見かけることは多い。

経塚は、昔の人が末法の世になってもお経が伝わるように、地面にお経を埋めたものだ。

経文と共に仏像なんかも安置される。

埋められた経文を埋納経という。金属などで出来た容器は経筒という。

埋めたものが何かの拍子で出土することがあるのだ。

埋める際には、当然末長く伝わることが目指された。

経筒を密封することはもちろんだが、まわりを石で作った入れ物でさらに封をする場合が多い。

お経は紙で、溶けてしまって今に伝わらないが、後世にはお経を石に掘って埋めたり、石に墨書して埋めたものもある。

いつまで仏法を伝えればいいのか? それは56億7000万年後だ。

弥勒菩薩が現れて再び衆生を救済するまで、末法の世は続くのだ。


経塚関係資料を見ながら、埋めた人々の想いはいかばかりだったか想像する。

色んな苦しみが今よりずっと多い時代

拠り所とするお経というか仏教がなくなるかもしれない。伝わらないかもしれない、という想い。

金と権力がある人が示威的にやっている側面ももちろんあるだろうけれど、それだけで切りとれない要素もある。

未来に向けて伝える、という何か意気込みのようなものが実物資から伝わってくる。


ところで、私たちは銅鐸の使い方を知らない。

多分こうだろうというのはあっても、精確なところは解らない。

銅鐸に限らず弥生時代祭祀具は、使い方がわからないモノが多い。

さらに前の縄文時代祭祀具(と思しい)考古学資料も、やっぱり精確なところの使い方は解らない。

土器がどうしたあの形状なのか。土偶がどう使われたのか。

皆忘れてしまったのだ。歴史のどこかの段階で、忘れてしまった。知る人が一人もいなくなってしまった。ある種の絶滅だ。

銅鐸に替わって登場する祭祀具は鏡だ。こちらは解る。今も神社奉納してある。ご神体のような使い方をする。伝わっている。

このあたりから何となく使い方が実感としてわかる資料が出てくる。


さて、経塚の資料はそういう意味ではめちゃくちゃ良くわかる。

例えばいきなり経塚から石板に刻まれたお経が出てきたとして、その名前考古学的な背景が解らなくとも「うわなんかお経が書いてあるぞ」くらいはわかったりする。

あるいはそこまで行かなくても、「何か文字が書いてあるぞ」とわかる。

この辺りで「これは何か重要ものかもしれない」と多くの人は感じとることができるだろう。密封されてもいるわけだし。

専門的な仕事に携わってなくとも、例えば土木工事や農作業で経塚が今に姿を現したら、「なんか仏教関係ぽいのがでてきた」と思えると言うわけだ。

私たち仏像なりお経なりを見たら、直観的にどんな分野のものである理解できる社会に(今も)生きている。

科学が発展しようが、未だに路傍には地蔵があり、葬式でなんだかわからんままお経を唱えたり、する。

仕組みを何となく掴んでいる。

私たち仏教になじんでおり、仏教を今から未来に伝える一翼を担っている。

銅鐸とはここが違う。


そういう意味では、古えの人々の想いは伝わっている。

それが直感的に何かわかるからだ。

平成が終わろうとしているが、その時代にあっても仏教にまつわるものだと素人でも判断できる社会からだ。

難しいけど、科学が発展した時代だけれど、こうした直観でわかる宗教的バックグラウンドは大切なものと思う。

今はかなり色々なことがわかる時代だが、そうじゃなかった時代に人々の心のよりどころになった考え方とその資料

その価値や意義、と言ってしまうと大仰だが、何となくかるというふんわりとした知識

学者研究者じゃなくたって何となく生活の中にある要素。

ふんわり未来に伝わって、それで56億7000万年後にも伝わればいいと思う。

2018-11-30

輪廻説を採用し、かつ我の実在否定する仏教が、阿頼耶識を想定するのは当然の論理的帰結に思える

大乗仏教において、唯識思想基本的理論は、宗派に拘らず採用されているものなんだろうか

2018-11-26

anond:20181123112820

瞑想マインドフルネスとして、脳科学の方から研究され、結果も得られ始めてるよ。脳内スキャンなんてつい最近技術からな。

まあ、あれは単なる脳の休息だわ。

最も、それは瞑想を売りにしている団体科学的かといえば否であることも多い。

また、確かに瞑想仏教由来だから、怪しい自己啓発セミナー霊感商法スピリチュアルも目をつけてるのも事実だけどな。

最もそれは瞑想が怪しいのでなくて、瞑想に加わっている教祖依存させる心理誘導や、守護霊だの、スピリチュアルが怪しい。

特に悩んで瞑想必要だというやつは弱ってるから、そういう団体依存させる鴨になる。

から徹頭徹尾本だけでいいし、基本的に本だけでやれとも思ってる。

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