はてなキーワード: イコールとは
『原作への不満を解消するためにマイナスの感情を元に創作された二次創作作品のこと。
場合によってはキャラアンチ・キャラヘイト系も含まれる。』(ピクシブ百科事典より)
を引用していく。
二次創作における特定の創作に対するカースト制度が顕著すぎる。
作者が「これはヘイト創作です」と公言しているもの以外に対する「ヘイト創作」のレッテル貼りは、
あらゆる二次創作を「○○だからヘイト、貶していいし侮蔑すべきもの」と言わせてしまうきっかけを与えてしまうのでは?
創作のジャンルを第三者の視点でこうだと決めてしまうのは危険しかないように思える。
ただのこういう傾向の作品という形を示しているだけで「悪」と断じるのは、
上記と同じように「○○だから悪、貶していいし侮蔑すべきもの」と周囲に思いこませたり、
また少し趣旨の違う話になるが「原作を大事にしている二次創作」とは何だろうか…。
原作の設定をうまく拾ったり、原作のような雰囲気の作品をこう呼ぶことが多いが、
「書くのが苦手」という子どもと、「そもそも図形問題が解けない(嫌い)」という子どもが混在しているので、
切り分けるためにテンプレートにのっとって記述させるのがオススメ。
合同の単元の証明なら、
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①~③より、"合同条件"
よって、
(対応する辺or角は等しいので、XX=YY) 終わり
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みたいな感じ。
「合同条件はイコール3つ。相似条件は2つ探せばよい」と回答のゴールを先に設定すると良いですよ。
たいていの場合、3つのうち2つは問題文中に書かれているので、
2辺が等しいなら→三辺相等or二辺夾角相等
1辺と1角なら→二辺夾角相等or一辺両端角相等
2角が等しいなら→一辺両端角相等
みたいな感じでゴールが絞られていることまで行ければ最高。
「どこまで詳しく書けばいいの?」という質問には、
「数学が苦手な同級生でも読まずにわかるレベルのことなら、省略してもいいよ」という答えでOK。
中2の段階では「仮定より」を書かせたがる中学教師が多いので、「中3になったら必要ないけど、今のうちは書いときな」と教える。
中学レベルなら、「仮定より」は「問題文より」と読み替えさせておく。それで問題ない。
A±B=90度
A±C=90度 よってB=C みたいな三段論法パターンか、外角の定理、錯角・同位角くらいしか使わないので、
週末などにまとまった時間で演習させ、「そんなにパターン多くないのね」という体感をさせる。
(そもそも、記述の仕方を学ぶ単元であって図形問題を解く単元ではないため)
黙読ならテキトーに読めますけど、音読だとそうはいかないので。それこそ1日5分でOKです。
ブコメなどで指摘のある通り、物語文はともかく説明文が読めていない可能性が高いので、
高校入試の説明的文章のレベルを把握し、それに到達できるように今から口頭で「要旨把握の練習」などをしておくといいです。
(文章を読ませる→口頭で『何が書いてあったのか』をざっくり説明させる。これを段落ごとにできるようになると難関校の問題でも対応できます)
補足
他都道府県の方でも参考になると思うので、一読をオススメします。
http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/press/2015/pr150224n-mondai.htm
(参考)部分点の基準
http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/press/2015/pr150224n-mondai/27s-bubun.pdf
小中高大と経てきて人間関係揉めたことも反省することも多々あるわけで、
いいんです、勝手にやってくれれば
来ないことを批判されて変わり者扱い
これは、わかるんです。
どっちでもいいなら行っとけよ、空気読めよ、ってこと。
でも残念なことにどっちでもよくない私は行きたくないのだ職場を出たらひたすらひとりでいたいのだ。
だから、変わり者っていわれてきたし
自分の中でずっと真剣に考えてきた結果、職場の人間と友達付き合いするつもりはない
飲み会は各科の歓送迎会は仕事と思っていくようにしているけど同期の飲み会とかは極力回避したい
職場ではそれなりに普通にやりたいし、自分が言われて嫌なことは人に言わない、されて嫌なことはしない
機嫌や不調を表に出さず、いつもにこにこしているように。
ごく人間として当たり前のことだけ。(でもこれができない「大人」も普通にいるんだなぁ…)
でも私はそのルールを守ることだけで精一杯。
飲み会に行っても私はどうしても周囲の会話が聞き取れない、
周囲の話の流れがつかめない、
学習して応用して…って時点ですでに無理があるでしょう
その場にいて自分の居場所がないという気持ちがどんどん強まって周囲の笑顔が理解できず、自分の笑顔は引きつる一方
ただただ時間の過ぎるのを待つだけ、
言葉の裏もまったく読めず
自閉症スペクトラムに片足つっこんでいるかもしれないけど、私がとても、とても鬱憤を溜めているのは、
空気が読めないイコール何も考えていないという一方的な決めつけ
なぜ?なぜ私が何も考えていないと思うの?
家にかえって悔しくて悔しくて何度も泣いているって一ミリも思い至らない
そんなあなたにも大切な人がいるんでしょ?
なんで想像できないのかな…
私だってちゃんと人を想ったり、傷つく心もあるんです。
その限られた人付き合いも、「普通」からは外れているんだろうと思うよ
基本はひとりでいたいわけだから。
考えても考えてもまったく言外のルールが分からないからアスペルガーなんでしょう
空気が読めなくて結構、私はそういう人間だから、ってイキってるわけじゃなくて、
もう、会話する気も起きない。
宇宙人って言われ続けるけど
私からみれば、あなたたちの方が、宇宙人(これを言ったらまた笑われるんだろうけど)
私は一生、一人前になれません
これまでわたしを許してくれた人たちは、きっと両者の境界に寛容な人々
わたしは、誰のことも弾かないようにしたいと思ってるけれど、
それでも、諦めている本心には変わりないんだけど。
この無力感、
自閉症スペクトラムの人には、往々にしてあることだと思っている。
ついこの間の話
遠距離のため、初デートにして彼女が自分の家に泊まったのだが、彼女居ない歴イコール年齢の自分には手を繋ぐタイミングもキスするタイミングもわからないまま、彼女はベッドで、自分はソファで眠りに就こうとしていた
「初回からがっつくとカラダ目当てとか思われるかもしれないし」とか考えながら目をつぶっていたら、彼女が「お父さんお母さんはスキンシップとかする方?」と聞いてきた
「お姉さん夫婦は?」「そんなに…」
さすがに彼女の考えてることも分かった自分が「…もちろんそういうことしたくない訳じゃ…」とかモゴモゴ言ってるうちに「ハグだけしていい?」と言いながら彼女が立ち上がったので自分もガバッと起き上がって二人でハグした
本当にこの人と付き合ってよかったと思う
やってはいけないと明示されていることとやっていいこととはイコールではない。
わざわざ明示しなくても分かるだろうという判断、明示することに対するコストを考えた結果の判断、など理由は様々だが。
タイトルのような主張の後付け足されるのは「駄目だったら何か言ってくるでしょ」というものだった。
そういう問題ではない、と毎度思うのだがどうだろう。
言われてないからやっていいという安直な判断で誰が迷惑を被っているかは知らないが、少なくとも自分はいい気がしなかった。
自称情強でアングラ()な時代からインターネットをやっていたと彼は言っていた。その頃のインターネットはそうだったのかもしれないが、現実はそうじゃないということに早く気が付いてほしい。
モリカケ関係の政権批判記事とかを今日もいくつも見る。それらの記事を直接どうこう言うつもりはないんだけど、マスコミの人は自らの信頼度と購買者数をイコールにした上で残高的に考えていて、その額がまだある(=購買者はまだ数万人いる)からまだまだ大丈夫と思ってるんじゃないかなあ。
信頼度は購買者数(とか視聴者数)とは無関係に、もっと手前のゼロがあり、このゼロってのは要するにポイント・オブ・ノーリターンだ。その値まで達してしまったら「偏向報道や虚偽報道を繰り返すこのマスコミの言うことは何も信じられない」っていう人の数が飽和段階になり、そのマスコミはもうどうあがいても蟻地獄的な悪評に落ちていくしかなくなる。それがはっきりわかったのが、前回の米国選挙だったんじゃないのか?
その状況になったら、そのマスコミがいくら購読者数が残っていようが、正しくて有意義な報道を使用がまったく自体を打開できなくなる。さっき「ゼロ」といったけど、数字と同じようにそこはゼロなのでそこから先は加速度的にマイナス方向に転げ落ちるだろう。たぶん底はない。
もちろん私企業としてはその段階になっても(残された身内の購読者に対して売り上げれば)利益は得られるかもしれない。でも正確な情報を国民に知らしめるとか、情報共有によって国民の議論を深めるとか、マスコミの社会的な使命や存在意義という意味では「死ぬ」。そのダメージや責任についてあまりにも無自覚じゃないかな。そういう社会的な意義があるからいまは法的にも社会通念的にも特権与えられてるんだよね? そういうのが未来永劫既得権として保護されると思ってないか? ゼロを超えればマスコミじゃなくてただの少数向けアジテーションメディアなんだから、当然のようにそんな特権は(いまネットに存在するまとめサイトにように)剥奪すべきってことになるよ。まとめサイトよりも上質で正しい記事、かけてる?
米国の選挙で米国民がマスコミに取った態度とか、そこに見られる主張(「彼らは報道しない自由を行使して事実を捻じ曲げるばかりなので信じる価値はない」といったような)を見る限り、日本のマスコミだって「信用残高」がまだまだたっぷり残っていて心配の必要はない、ってほどの安心状況ではないように思えるよ。
毎日のニュースは信頼を積み上げることもあるけれど、当然信頼をどんどん毀損する方向にだって作用しうる。信用残高を意識した報道をしてる自信、ありますか?