はてなキーワード: おためごかしとは
『バービー』の監督グレタ・ガーウィグって『ストーリー・オブ・マイライフ』の監督だったのか…
自分が子供の頃に読んだ『若草物語』の続編で、『若草物語』では次女ジョーといい雰囲気だったお隣さんのローリーが破局し、ローリーは四女エイミーと結婚するという展開だったので
あれってほんと『若草問題』ではおてんばで頭の良い女の子のジョンと内向的で優しい男の子ローリーという、旧来のジェンダー感の逆をいく先進的で魅力的なカップルだったのに
しかもそれだけならまだしも、ジョーの方は父親ほども年の離れた年上の大学教授と結婚し、良かったね跳ねっ返りのお転婆娘も良き妻の座に収まったよ!ってオチ。
なにがフェミニズムだよマジふざけんな!宣伝詐欺にも程がある!と映画館で叫びたくなったやつ!
ローリー役のティモシー・シャラメが美しいイケメンで、尚更ジョーとの恋を期待して見に行ったらこんな仕打ちを受けるなんて。
主人公を同世代のイケメンと破局させて父親のようなジジイを押し付けて家庭に収めるエンディングの、一体何処が女性へのエンパワーメントなの!?
結局女の子は自立して強く生きるんじゃなくて年上の男性に庇護されて籠の中の安寧を享受するのが幸せだっていう
……まぁそれは原作の小説自体がそういうストーリーなんだけど、敢えてそういう作品を原作とした映画の監督を引き受けるって時点で
この監督のフェミニズムや反家父長制への信念が表面的なおためごかしだってのが感じ取れる
『ストーリー・オブ・マイライフ』はtwitterかどこかで、同時期に公開されてた『ハリエット』と比較され、
カプ二次なんておそらくほぼ「自分がそのカプを見たいから」の動機で始めてるのに、むしろそこを濯ぎたくてか正当化したくてか「明示されていない以上ヘテロとは限らずあらゆる可能性がある」で原作者の定めてるだろうキャラ設定を積極的に曲げていく上にそれに疑問を持つ人の方こそ差別的でアップデートされていないのだとしていく考え方には腐女子だけどおためごかししてるなよって思う
自分の欲望とエゴでキャラの見たい姿を二次創作してるってとこからは目そらすべきじゃないし、胸を張りやすい理由や大義名分でそこを覆い隠すべきでもないとよく自戒するわ
そのへんに拘泥しすぎてついに原作と原作者の権利や意向をないがしろにして恥じない二次オタク結構見るけど、さすがに優先順位間違ってるぞって思う、人の作品借りてるんだぞって
明示されていない以上ヘテロとは限らずあらゆる可能性がある、この考え方リアルではめちゃくちゃ大事だと思うけど二次で自分を正当化したり他人を攻撃する材料にするのはよくない使い方だと感じてる
同性カップルにかぎらずだけどね
痴漢増加のリスクが予見されるためトランス女性の受け入れを拒否するって主張は普通に分かる。
で、そういう主張をする女性はまあ大勢いるけど、あれって別にシス女性の総意とかでは全く無いよね。わざわざ声上げないだけで、マイノリティ受け入れるべきという女性も恐らく大勢いると思うけど。
なので、例えば多数決取ったら、むしろ逆に「トランス女性が嫌なシス女こそが公衆トイレを使わなければいいんじゃね?」的な結論になったりしない?
で、もしそうなったら、①その結論を受け入れて、自分がトイレ利用しないという覚悟みたいなのを持ってやってる? ②それともブツクサ文句言いながら、従来通りに女子トイレ利用する? ③あるいはそんな心配すら一切せず、絶対に自分達が多数派だという確信を持ってやってる?
①なら分かるよ。それなりにフェアだと思う。
②は卑怯だよね。この闘争に負けたら外科手術受けるまで女子トイレ利用できなくなるトランス女性と、単に快適さの問題でしか無いシス女性っていう、立場が非対称すぎる。(闘争は綺麗事では無いので、卑怯である事自体はいい)
③は幼稚。あ~自分らのマジョリティ性を満喫してますね~勝つ前提の学級会を楽しんでるね~って思う。(幼稚な奴が幼稚な政治的主張をする事自体はいい)
俺はトイレ銭湯に関してはシス男性だから、トランス女性を女子トイレに受入/拒否についてはどっちもあると思ってる。結果としてトランス拒否に転んでも、それはそれで尊重されるべきだと思うよ。おためごかしじゃなくそう思う。
ただ、別件では、何とは言わんがそれなりのマイノリティなので。
普段は意識高くてマイノリティに寄り添うポーズをしている人たちでも、いざその受け入れの負担が自分達に向いた時、こうも容易く意見を変えるんだなっていう。敵はアンチフェミがミラーリングで嫌がらせしてるだけだ、弁えたマイノリティだけが良いマイノリティだ、みたいな事まで言い出した連中を見て、こいつら信用したらダメだなと思いました。
っていうダイアリーです。
https://m-dojo.hatenadiary.com/entry/2023/02/19/131111
この意見自体は、思うところはあれど、そうよなぁ、そういう話になるよなぁって感じ
「次世代」の事をすっかり忘れて、ブコメにあるような「差別なんだから理屈抜きで賛同しろやゴラ」みたいな話になりがち
税金の話になると、「レアケースなんだから無視できる」ってな意見も聞かれるようになるんだけれども
ちょっと待って欲しい
レアケース「だから」、目をつぶって、愛だとかいうおためごかしに税金投入するのか?
そういう感じに話を持っていくと今度は「仲良しで婚姻すればいいだろ」となる
男女で合意があれば婚姻できるから、片方が普通に働いていて、片方がバイトがてら大学にでも通ってるなら(30代40代でも普通に居る)、結構違ってくる
男女ならまぁって気はするんだよ
そのつもりがなくても一緒に居れば気持ちは変わるものだし、「可能性」がある
けどもさ、男男、女女はさ
可能性がないじゃん
でも諸々全部フルセットで欲しいってなるわけでしょ?
なんかモヤモヤするんよね
私はsideMを主にやっているPですが、みんマス(スタマス・ツアマス)思想がマジで嫌いです。先日のツアマス発表でその嫌悪の感情がめちゃくちゃ増してきました。
何故かを端的に言うと「sideMの扱いが悪い」。裏を返せば「765デレミリを優先してる」とこが嫌いです。
「みんなまとめてアイドルマスター」なんて標語、「ブランド越境の代表作」であるはずのスタマスからsideMをハブってる時点で無意味でしかないんですが、まさかツアマスで同じ事を繰り返されるとは思ってなかったのでお気持ち長文を書かざるを得ない。
sideMは2020年からの新参なので、スタマス発表当時の各プロデューサーの怒りには遠く及ばないけど、にしてもこの穴だらけの展開で腑抜けた事抜かすなぁ…とずっとイライラしてきました。
その点ポプマスは本当に良かったと思います。ちゃんと実装ペースも展開順も平等に近かった。近いのであって平等ではない(本当に平等なら初期実装アイドルの人数は各ブランド統一すべきだったし、デレばっかりのターンがあったので)けれども、sideMをハブってないし特段扱いが悪いとも感じなかった。
ポプマスは残念ながらサービス終了してしまいましたが、「他ブランドのアイドルに興味が無かったからガシャを引かなかった」というまさしくサ終の原因でしかないプレイスタイルだったので罪悪感はあります。ただ、悲しいかなこのポプマスの結果がまさに「みんマスは無理」という証明に他ならないと思います。
結局普段からやっているブランド以外に大きく興味は持てない層が大多数だったから、ああいう結果に落ち着いたはずです。イラストやパズルゲームというフォーマットが好きだったので悲しくはありますが、同時に「そらみたことか」という感情もかなりありました。
今回のMOIW2023の席が最後まで埋まらなかった件も同様です。「どうせ765デレミリが主軸でsideMの扱いは悪いんだろう」という予想が先行して私は行けませんでした。これは私が単に一人で決めつけてるものとして、本当にみんマス思想が受け入れられてるならプレミアム先行→プレミアム2次先行→一般抽選→一般先行(当日券あり、埋まってない)という醜態は晒さなかったと思います。ライブ前に書いてるので内容がどうかは知りませんが。
結局5ブランドそれぞれが独立している以上平等な扱いも全員を好きになってもらう事も不可能なんだから、みんマス思想なんて合同曲程度に留めておけばいいというのが私の見解でした。何よりsideMの不遇な扱いをこれ以上見たくなかったので。
そこでツアマス。sideMは正規サービス開始時から追加だそうです。スタマスのモデルを流用してるので〜とか、sideMのモデルは新造しなければいけないので〜とか、もうこの言い訳が出てくる時点でみんマスなんておためごかしでしかない証左ですよ。「sideMは後回しでもいい」というのが運営の見解です。仮にツアマスのモデルが新規に作られるとして、その場合に765ASが後からなんてあり得ないですよね?アーケードという媒体も勿論ですが、みんマスを言い出した人達の根幹にあるものは765ASなので。
まあ後回しになる事に納得はしていないけど、やってもいないうちに批判するのは本意ではありません。アイマス運営に平等なんて期待していないので。ただ、描き下ろしカードを見て本当に苛立ちました。春香のカードとしてセンターが集合したものがあるんですが、当然のように輝がいない。
ああアイマス運営は本当にsideMを嘗めてるんだな、みんマス思想なんて上辺だったんだなと再認識させられました。先行プレイできる範囲にはsideMはいないから、先行で排出されるカードにもsideMはいない。そんな理由がまかり通るなら、やっぱりみんマス思想はカスです。早く「sideM以外まとめてアイドルマスター」に変えろよ。
何よりこの765デレミリの枠組みにシャニマスも巻き込まれてるのが本当に嫌です。765ASの直系というべきか、特別繋がりの強いデレミリと違って、シャニは完全に分断されたコンテンツです。アイドルマスターとの繋がりなんてタイトルと合同曲くらいしかありませんよ(そのタイトルでやってこられたのは事実ですが)。
頼むから「みんなまとめてアイドルマスター」なんていう詭弁でしかない上っ面の標語を今すぐ捨ててくれ。もしくは捨てなくていいから合同曲だけ作っててくれ。765デレミリが主軸のアイドルマスターなんていう沈みかけてる泥舟にsideMとシャニを巻き込まないでくれ。誰も喜ばない越境なんてしないでくれ。
今すぐみんマスを捨ててくれ。
2023/4/4追記:これがみんなまとめてアイドルマスターの結果ですか。沈みかけている船から真っ先に捨てられる荷物がsideMとは思いもしませんでしたが、とりあえずバンナムを一生憎んで生きていきます。
男女平等パンチというワードが、日本の街中で撮影されたらしき動画とともに、現在Twitter上でにわかに話題になっている。
・女性が男性に暴行を加える。それに男性が反撃し、女性はあえなくダウン
そんな男性たちについて、女性側では「女性というか弱い存在を虐めて楽しんでいる」「男性という強者による加虐趣味」と捉える意見が見られる。
そう思いたい気持ちもわかるし、男性たちの中にはそういう手合もゼロではないだろう。
しかし、大多数の男性については、おそらくそれは間違った認識だ。そして、そのように認識を間違うこと自体が、男性たちがあの種の動画に喝采を送る原因の一つでもある。
どういうことかというと、あの動画への喝采は弱い者虐めや加虐趣味に興じる気持ちではなくて、
・女性の持つ特権と特権意識によって、一方的かつ物理的に虐げられた恨み
から来る声なのだ。虐げる側ではなくて、虐げられた側としての叫びである。
世代による違いもあるだろうが、男性は日常生活の中で、女性から暴力を振るわれるケースが、実は少なくない。
日常の中で、女性は気軽に男性を引っ叩く。身に覚えのある女性もたくさんいるだろうし、自分がやらずともそういう光景を目にしたことはあるだろう。
「女性を殴ったことはないけれど、女性に殴られたことなら何度か(あるいは何度も)ある」というのが、おそらく多くの男性の一般的な経歴である。
女性は男性に対し、日常のツッコミレベルでもそうだし、揉め事のレベルでもそうだが、強いものを平気でいく。
これは痛いのだ、シンプルに。
女性に叩かれたくらいで、なんて思うかもしれないが、むしろ女性だからだ。
女性は男性に比べ、同性同士での小競り合いめいた小突き合いの経験がおそらく圧倒的に不足しているためだろう、手加減がぜんぜんできてない。
はっきり言って、男性同士であれば即本気の殴り合いに発展してもおかしくない威力の殴打を、スパンと気軽に張ってくる。
そして、日常のツッコミならまだいいが、揉め事の場でそれをやっておいて、男側が不快感や抗議を示そうものなら、
「え? なに? あんたもしかして叩き返す気なの? 男なのに? 女の私を? 許されると思ってんの?」
と、極めて非対称な特権を堂々と主張するまでが、残念ながら、暴力を振るう女性のお決まりワンセットなのだ。
また、そうはっきり言葉にせずとも、「まさか反撃なんかしないよな?」という前提を押し付けてくるのは、暴力を振るう女性たちに共通するところである。
こういう話をすると「女が引っ叩いたくらいで情けない」という声が必ず出てくるが、いい加減今は令和である。男だろうが女だろうが、人が人を叩くのは普通に暴行だ。
顔であれば、鼻に手のひらが当たれば折れることもあるし、目に指が刺されば失明もしうる。もちろん、顔でなくとも危険だし、危険でなかったとしても痛いし不快だ。
(なお、ごくまれに金的を打ってくる女性もいるが、相当な状況で相当な覚悟がない限りやらない方がいい。あれば内臓を打っているので、ギャグでは済まされない)。
女性に引っ叩かれても物理的な反撃はしない(おそらく多くの一般的な)男性からすると、このように、日常生活の範囲において、男女間における肉体的な暴力行為は、常に女性の特権なのである。
同級生から同僚から、友人からパートナーから配偶者から、引っ叩かれて嫌だったし屈辱だったが、状況も経緯も正当性も一切関係なく、ただただ『自分は男で相手は女』というだけで反撃が許されなかったという記憶は、男たちにとって日常の中で当たり前にある。
「お前は反撃しちゃいけないんだぞ? わかってるよな?」と特権を笠に着て一方的に殴られるしかなかった、その恨みは、おそらく女性が考えているよりも深く生々しいのだ。
で、話は件の動画に戻る。
今話題になっている動画は、確認できる限りおいては、女性が先に男性の顔面へ攻撃している。
平手であろうがなんであろうが、あの勢いで顔面殴打は普通に危険である。「男なんだからあれくらい大丈夫でしょ!」などという声もあるが、人間なのでとにかく顔面は危険です。上にも書いたが、指が立っていて目に刺さっていれば失明ラインなのは疑いようもない。
あそこまでのものはやや珍しいとはいえ、とにかくああいった女性から男性への暴力は、男性にとって身に覚えのある自分ごととして、血の通った恨みの対象なのだ。
つまり、喝采が上がる理由はこれである。加虐趣味でも差別主義でもなく、積み重ねられた理不尽への恨みなのだ。
また、「この理不尽は正しいことじゃないぞ、俺たちは恨んでいるぞ」ということをを示したい、的な要素もあるだろう。それだけ、男性から見て世の女性はこの問題について無自覚なのだ。
どういう経緯でああいう事態になったのかはわからないが、(嫌味やおためごかしではなく)シンプルに動画の殴られて倒れた女性はすごく心配。
個人的な意見だが、恨みがあるのなんのと長々書いたものの、「男性は女性に暴力を振るうべきでない」という規範は、やはり必要である。それだけ、男女間の体格や筋力には危険になりうる差がある。
だからこそ、女性がこの規範を日常で都合よく濫用するのも、特権として声高に主張するのも、ヘイトを貯めるだけだからやめてほしい。
あの動画に対しても、やはり女性側からは「女性相手に男性が反撃したら危ない」という声が出ているが、まさにそういう意見が出てくるところが問題なのだ。
あの勢いで先に顔を叩かれても男性は反撃をすべきでない、などというのが、どれだけ非対称で異常な要求か冷静に考えてほしい。
そもそもあの光景に言うべきは一つで、女性だから男性だからどうのではなく「暴力はいけない」である。
「男性は女性に手を上げてはならない」とは、男性側が自分たちを律する際に言う言葉であるべきで、女性側が暴力を振るいながら当然の顔をして非対称に求めてくれば、不愉快であり軋轢を生むのだ。
貯まったヘイト、不愉快、軋轢が行き着く先は、生産性のない男女間対立だ。
なお、今回の件については、
『「女性は生理が負担になっている分スペックが落ちる」という話題には「女性を身体的要件で下に見るのか」と怒るのに、女性が男性に殴りかかって反撃された事例においては、「女性はか弱いから配慮されるべき」と言い出すのは、さすがに二枚舌では?』
ほぼタイトル落ちみたいなものだけど、公式のオンラインショップで買って色々と捗ったので書いてみることにした。
超特大オオサンショウウオぬいぐるみと初めて出会ったのは去年から一昨年にかけてのことだったと思う。
観光とも旅行ともつかぬ、午前中に家を出て新幹線の車内でビール飲みながら弁当を使って午後は用事を済ませてホテルに戻って一杯、みたいなよくある一泊二日の旅。
帰りの午前中がポッカリと開いていたのでホテルの周囲をブラブラと散策するかー、そういや京都水族館がペンギンの相関図でバズってたなぁと思い出し、折角なので行ってみることにした。
この時点でオオサンショウウオ自体アウトオブ眼中だったのだが、館内に入るや否や圧倒された。なんなんだ、このオオサンショウウオ推しは!
入口を入ってすぐといえば、もうちょっとキャッチーな生物を展示してあるものじゃないのかと訝る増田を尻目に、彼らはプチャプチャ所狭しと言わんばかりに泳ぎ回り、あるいは何か仲間同士でワチャワチャ、あるいは泰然自若にのたりくたり、と愛らしい姿を振りまいているではないか。
今までのオオサンショウウオ知識といえば和田慎二の漫画「銀色の髪の亜里沙」くらいしか無かった増田は、初めて見るその姿にはノックアウトされ小一時間ほど佇んでしまっていた。元より爬虫類や両生類が大好きなのである。
気付いた時には、頭にあったペンギンの相関図は吹き飛んでしまっており(これはこれで面白かったです。あとクラゲの展示がロマンティックで素敵だったんですが周囲はカップルばかりで浮いてしまってました)
オブジェとして展示されていた超特大オオサンショウウオぬいぐるみに魅了されてしまった。
デカい。とにかく、デカい!人の身長くらいは優にあり、綿がパンパンに詰まったフカフカなお手手(ちゃんと生態に合わせて前脚と後脚の指の本数が違う!芸が細かい!)、キュートな眼差し。模様もキチッと再現され隙が無い。
欲しい~、ねぇママこれ欲しい~!と心の中の五歳児が駄々をこねているのを必死で宥め透かし、この手の施設はミュージアムショップあるから落ち着けと理性でコントロールし、途中の展示は楽しみつつも足早に順路を急いだ。
そして途中の売店で小さいサイズのオオサンショウウオぬいぐるみ達に心を奪われつつ、いざ本丸。そして轟沈。お値段、28,233円なり(現在のオンラインショップでのお値段です。当時もそれくらい)。
さ、さまんえん弱は……途中でブラリと寄った所で買うグッズには……ちょっと、出せないぃ……。
今の自分の視点からは「買えーっ!買えーっ!」とノスタル爺が叫ぶものの、如何せん一目惚れしたばかりだ。愛はここから育んでいくものさ!ご縁があれば、また会える!と、おためごかし
3千円くらいのLLぬいぐるみを買ってお茶を濁しつつ、帰路についた。ちなみに、この子は抱き枕として申し分ない大きさだったので、毎晩ぎゅっとして寝てるよ
帰るや否やオンラインショップをブクマし、時々ページを眺めて入荷があれば値段に煩悶し、売切れたら落胆し、を繰り返していたのだが、最近ようやく清水の舞台から飛び降りる覚悟を決めてポチり、お迎えした。してしまった。最高です。もう言葉はいらない
わざわざ表に出すと別の意味を持ってくるじゃん
「私はこの人を信用しない」というアピール
だって友人と会話する時全ての話に対して「おまえの言い分だけじゃ判断できないな~」って返す?
つまりわざわざ「一方の意見だけ聞いて~」と表明することはそういう意味合いを帯びてくる
いや、分かるよ?Togetterまとめなんかだと事実みんなの知らない人だろうし、鵜呑みにしない姿勢は立派だよ?
でもどうあがいても一方の意見しか出て来ないケースならあなたが一生何も意見できないことが確定している訳で
その事例のコメント欄やブコメにわざわざ「一方の意見だけ聞いて決めつけるのは良くない」と書き込む意味は何なの。
聞いてもいないのに決意表明?頼んでもいないのに他の人へ釘刺し?あるいは中身のない正論でスター稼ぎ?
もっと言うと、例えばあるブコメでは「一方の意見だけで~」と書いておきながら
別のブコメでは発信者の意見を踏まえてガッツリ意見を残すようなムーブをする人が信じられない。
それもはや自分が言及したいかしたくないかじゃん。おためごかしじゃん。
いわゆるOA分野とか、コンピューターを主に使用する作業の、自動化が流行っている。
製品で言えば、RPAとか、ノーコード、あるいはSaaSやパッケージソフトとか。
OfficeについてるVBAを使うとか、Pythonでスクレイピングとか、そういうのも併せて。
いわゆるマクロ的な何かで、タスクを自動化する、という考え方だ。これは昔からあったとも言えるし、製品や方法論がここ数年、急激に増えて、環境が激変したとも言える。
さて、個人が、その責任の範囲で、自己のタスクを自動化するのは、組織が禁止しているやり方でなければ、それについてとやかく言うつもりはない。
問題は、組織内部での自動化の推進や、それを補助するコンサル、あるいはソフトウェアのメーカーやベンダーだ。
すべてが駄目というわけではない。
「自動化で単純な作業から解放されて、クリエイティブな作業をすれば良い」
言い換えよう。今挙げたようなことを言う(書く)メーカーやベンダー、あるいはコンサルから個人まで。それらは皆、地雷だ。関わってはいけない人だ。
====
何故か。それは彼らが現実を見ていないからだ。そして、その現実を見ていないことが、軋轢を生むからだ。もしかしたら現実を見た上で、しらばっくれてる人も居るかもしれないが、タチの悪さは変わらない。
困ったことに、彼らの言う「単純作業から解放されてクリエイティブな仕事を」は、一見、理想的な環境に見えるのだ。
いや、実際、理想的ではあるのだ。現実的でないという問題さえ目をつむれば。
「世の中には2種類の人間がいる」という、使い古されたレトリックを、労働分野に応用してみよう。
すなわち、言われたことを淡々とやり続けることを好む人と、抽象的な指示や課題に対して、具体的な対応を行うことを好む人だ。
もう少し具体的に書けば、「言われた作業を淡々とやる人」と「創意工夫して結果を出そうとする人」になる。
さて、前者の、言われた作業を淡々とする人にとって。自動化は、己の存在意義と競合する。つまり、自動化されてしまったら、仕事がなくなる。
意識の高い社員や、コンサル、ソフトウェアのメーカーやベンダーの言うような「クリエイティブな仕事」なんて興味がない。
そういう人を「意識が低い」「生産性が低い」と卑下するのは簡単だ。だが、それは何も事態の解決にはつながらない。
単純作業の自動化がなされた時、その人たちに襲いかかるのは、「クリエイティブな仕事」という、安定した手順も方法論もなく、それでいて成否は存在する、という苦痛のような仕事への移行なのだ。
そして少なからぬケースで、単純作業を淡々と行うことこそ仕事、と捉え、そう働いてきた人は、クリエイティブな仕事とやらでは成果が出せない。ただ苦しむだけになる。
おそらく組織としての生産性は上がるだろう。それをもって成果とするなら、それはそれで矛盾はない。
ただし「働き方改革」のような題目を掲げて、自動化を進めていたのであれば。それは善人面をして、人を地獄に蹴り落とす所業だ。本稿のタイトルで「信じるな」と書いたのは、まさにここにある。
この話には、日本の雇用に関する、法律、行政の態度や、判例なども影響してくる。
前述したような、単純作業を奪われ、苦痛に満ちた苦手な仕事にたたき落とされた人は、どうなるか。
第一に、会社を去るという選択肢はある。だが、このご時世だ。今と同等の条件すら見つかるかどうかは怪しい。
それを自業自得と嘲笑するのは簡単だ。改善を肯定し、生産性の向上を是とし、発展を求める価値観からすれば、矛盾はないのだ。それが倫理的に正しいことなのかは、私にはわからないが。
第二に、苦しみながら会社にしがみつくという選択肢もある。正規雇用の場合、これが簡単に成立してしまう。「クリエイティブな仕事」をさせた成果がボロクソに悪くても、本人の意図的な手抜きなどがない限り、会社は簡単には社員を解雇できない。
はて、本人も苦しんでいることが多い、機能不全の社員を雇用し続けることが、生産性の向上や、働き方改革、ワークライフバランスなどにつながるのか、私は甚だ疑問だ。
つまり、業務の自動化、省力化を目的にするのは、それ自体が破綻を招きやすいのだ。それで浮いた人的コストを、どのようにするか。適材適所で別の仕事をあてがえるのか、あるいは解雇して雇用コストを削減するのか。
どうあれ、簡単なことではない。配置転換の教育コストを見積もるのは簡単ではないし、非正規だからと大量に解雇すれば、それだけで負の風評が生まれたりもするのだから。
人は、自分と異質な人に対して、理解が及ばないことがある。これ自体は仕方が無いことと言える。誰しもがわかり合う、なんてのは現実的ではないからこそ、フィクションで度々取り上げられる題材なのだ。
しかしながら、業務の自動化を改善と捉え、自身が単純作業を嫌う人の中には、少なからぬ割合で、単純作業を延々と行い、その労働時間を以て成果となす考え方の人を、理解していない、あるいは想定していないケースが多い。
その不理解や想定不足は何を生むのか。自動化の導入失敗や、同僚からの強い反発だ。決してプラスの結果ではない。その現実から目を背けてはいけない。
だからね。
「単純作業から人を解放したい」とか「空いた時間でクリエイティブな仕事ができるようになる」なんて、手放しで言っていたら。
その人たちを、信じちゃあいけないよ。
蛇足。
筆者は、別に、「単純作業を淡々とやることで鬻ぎたい人」を肯定するつもりはない。
少なくともデスクワーク、パソコンでの仕事等であれば、そういった人は滅びるべくして滅びるだろうと考えている。
だが、彼らに引導を渡すのは、個人や、少人数程度による「カイゼン」的な何かではない。個人や少人数による「カイゼン」が引き起こすのは、せいぜいが内部分裂や、一部の人に苦痛を与えるだけなのは、前述した通りで。
引導を渡す、という次元の話で言うと、おそらくは、そういった非効率的な人員を抱え込んだ組織の崩壊(企業で言えば倒産など)のような、圧倒的かつ、個人で抗うことに意味がない流れになると考えている。
もちろんその場合、多くの社員が路頭に迷うだろう。クリエイティブな仕事がどうとか言っていられる状況ではなくなるのは明白だ。
そういう未来が見えているからこそ、ミクロな視点でしかモノを見ずに、「自動化で業務を改善して~」「クリエイティブな仕事を~」というおためごかしを唱える人には、関わってはいけないと考えているのだ。
アホらしい奴だけど、分が悪くなったら全消し逃亡するいつもの増田かな
自分が消えて欲しくない表現に「表現の自由」と主張する人間は、この世のありとあらゆる事象に「表現の自由」だと抗弁しないといけないらしい
ここで忘れちゃいかんのは、先に言い出したのはリベサだという点な
この耳触りの良いおためごかし
BLMでも盛んに叫ばれたな
んで、いざ自分に問われてみると、「ウイグル論法」とか言い出すw
嘲笑されてんだよ
にも拘らず、それを拾って、ブーメランとか言い出す
そのレベルに堕ちてくるのか?
別にこっちは、キモオタにネトウヨなんだから、全然それで構わないんだぜww
だって、ひでぇ連中なんだろ?
で、だ
当然に、他人を嗤える程度には身を賭して社会活動してんだよなぁ?
当然だよなぁ?