はてなキーワード: 進路指導とは
いや、部活はすでに改革が始まっていて、専門のコーチを呼んでいる学校もある。まだまだ数は少ないが。
そもそも授業は8時〜15時かもしれないが、8時に来て15時に帰ればいいわけではないし、放課後もあったり5分前に来れば間に合うかと言われればそうでもない。
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/389188/
この新聞記事、「初等の学生が、中学校の教員免許取れなくなって、カワイソウ」という論調です。
しかし、福岡教育大学の初等で、「中学校の免許取れなくなった」事実はありません。
「教科別基礎学力テスト」というテストを受験し、中学校の免許を取るだけの学力があるかを判定されます。
そこで、学力があると判定されると、中学校の免許を取るための授業に出席が許可されます。学力がないと判定されると、授業への出席は許可されません。
要は、「中学校の教員免許を取りたいなら、テストを突破しなさい、テストが不合格なら、ダメ」というだけで、
「免許が取れなくなった」というわけではない。
テストが合格なら、初等でも、中学・高校の教員免許は取れます。
「小、中学校、両方の教員免許を取りたい。取れないのなら、入学前にきちんと説明してほしかった」。同大の初等課程2年の女子学生(20)は唇をかむ。
これもおかしな話です。
この記事の下に、
「九州を中心に高校を100校以上回って改革を説明した。周知はしたつもりですが…」。そう言葉を濁した同大の宮内健二副学長。
と、大学側が周知したことが書かれていますが、この子、改組によって、免許が取れなくなるってことを、高校の進路指導の先生なりに聞いていなかったんでしょうかね?
初等は小学校の教員にしかなれませんよ、ということは、周知されていたはずです。
これの「無理だと言われて諦めました」って、おかしいですよ。
そもそも誰に「無理だと言われて」んの?
正確には「小学校と一緒に中学校の国語も取りたかったけれど、《国語の基礎学力テストを受験して、学力不足で不合格になり》無理だと言われて諦めました」じゃないの?
基礎学力テストで、それなりの点数を取れないようでは、それは学力不足なんだから、免許は取れないのは当然だよね?
中学校の先生ができる免許が取りたいなら、それなりに学力がないといけません。
だって、中学の先生が、その専門とする教科について、まともな学力が身についてなかったら、それ、ヤバいでしょ。
この記事の記者、まともに取材しておらず、センセーショナルに「免許取れなくなってカワイソウ」と煽るだけで、
よく事情を知る人間からすると、「いや、何言ってるのよ」と脱力するしかない。
「無理だと言われて諦めました」と話す女子学生とか、
そういうレベルの人間には、中学校の教員免許、与えちゃいけないよね。
この人たち、そんなに大学側のやり方に納得できないなら、訴訟おこせばいいんじゃないの?
広告費をかなり貰っているから、西日本新聞は福岡教育大学を糾弾できません。
たとえば、この「ファンファン福岡」の「「実践型教員」を養成するために」という提灯記事。
https://fanfunfukuoka.nishinippon.co.jp/88438
「中学校の免許が取れない」という西日本新聞の記事は、2018/1/26の配信。
そして、ファンファン福岡の提灯記事は、2018/07/12の配信。
福岡教育大学の批判の記事が載ったので、広告費を払って、大学はそれを打ち消す提灯記事を書かせたのでしょう。
大学の方が、一枚上手でしたね。
2021年10月1日、教員としてはとても気になる「教員の残業」についての裁判の判決が出ました。
さいたま地裁(石垣陽介裁判長)で教員の残業代に関する裁判デス。
裁判の結果は原告の教員側の敗訴。残業は認められず、“給特法"のおかげで残業代は出ないらしい。
もうね、バカバカしくて、仕事なんかやってられないですよ。ちょっとだけ期待した僕がアホでした。この国に正義は無い。
いかにこの国が重要なところに金を払わないかがわかる。"給特法"で認められる残業時間は5時間です(月に160時間働き、残業割り増し1.25を加味)
ところで、先月8月の8-17時以外の業務時間は45時間を超えました❤今月はギリ40時間切ったくらいです。
きちんと残業代が支払われるなら今月は10万近くもらえるんですけどねぇ。年間では150万くらい僕は「損」しているわけです。
バカバカしいです。
私は現在実業高校にいます。私は2年生の担任ですが、この時期は3年生の担任さんは「進路指導」でなかなか家に帰れません。
19時くらいまでは連日指導されています。休日も出るとなると45時間を簡単に超える時間数です。
これもきっと校長が「指示していない」ので残業にならないんでしょうね!素敵です!!!!3年生の担任さんの私生活と残業代を強奪することで今の生徒は進路が決まります!保護者の方もラッキーですね!!教員働かせ放題の賜物ですよ!!!!さあ皆さん声を高らかに現代の奴隷の教員の涙ぐましい努力を礼賛しましょう!!!!
とまああ、すこしふざけましたが、どうですか?これでも教員に時間外の仕事をしろと言いますか?
前に教員で残業代のことを言ったら「好きで教員になったんだろ」とか的外れなことをいう人がいましたが、私は教員にはなりたいけどただ働きをする奴隷になることを望んだわけじゃないです。労働者として当然の権利を主張しているだけです(給特法で法的には認められていないですがね....)
実業高校などで、正直大学進学も推薦や総合型選抜(AO)が主です。誰が指導するんですか?
授業ではなかなか指導しきれないから放課後に実技の指導もしていますが、これも全て無給です。
残業代も出ずに勤務時間も青天井、この状況で進路指導や資格指導をしろというのですか?僕はまっぴらごめんです。
きっと生徒が落ちたら3年の担任が責められるんでしょ?もういいでしょ、自分の進路は3年生は自分で切り開くんですよ。面接指導も小論対策も塾にでも行ってやってください。
先週に教頭先生からこの県教委主催のイベントに生徒ださないか?と聞かれましたが生徒がやりたいといっても17時以降の指導はするつもりはないです。これでイエスと言えば生徒の指導という仕事がもれなくついてきます。生徒がやりたきゃ自分らでやれって話です。GIGAスクールでタブレットがあるわけですから。いままで頑張りましたがもう糸が切れちゃいました。
もともと別職種から来ましたが、今回の判決でこの職場では私の能力は正しく評価されないし、正当な対価は得られないし未来はないということが分かりました。
教員免許を取る人、教員人だけはなっちゃだめです。もっといい給料、もっといい待遇の会社は沢山あります。少なくとも使いつぶされる教員にだけはなっちゃだめです。
年間150万以上お金のもらえる額が少ないということは、10年働けば1500万お金を損することと同じです。
NHK「それでも子どもをもちたい 広がるSNS精子提供」を見ててぼんやり考えてたらちょうど親ガチャがトレンド入りしてたので消化させてくれ。
https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4582/index.html
わたしは平成生まれ この国の景気は下がったニュースしかほぼ聞いたことがなく、
豊かさは一部のものでしかないハリボテで、その実ずっと昏く見える。
エンタメですらわかりやすくかみ砕いたもので満足して、他人の感想や解釈を読むことですべてわかったような顔をして、
政治家でも芸能人でも失言をしようものならヤフコメで重箱の隅をつつき回し、追い込み打ちのめしたことで正義面をしている。
親ガチャなんて言葉が生まれるくらい目に見える格差があること自体、あるべき国の体制として破綻していると思うけれど
島国特有とも言われる排他的な体質・価値観は、多様性を認める今の時代にフィットするまで多分まだまだ時間がかかるのだろう。
わたしのうちは生まれてからずっと貧乏で、何かにつけうちは貧乏なんだから、と言われて育ってきたし実際そうだったんだと思う。
それでも今思うとネグレクトもされず貧乏なりにお金をかけてもらったと思うが
(この国に於いての子育て、本当にお金がかかるよね 世の親の立場の人たち、本当にすげーという気持ちしかない)
いわゆる“普通”レベルのくらしをしてきた家庭とは常に一本、うっすらと線が引かれているように感じていた。
友達からそれを態度で示されたこともなかったので実際にその線を引いていたのは自分なのだろうけど
普段の会話の端ばし、おさがりでない服や持ち物の買い替え頻度などから生活水準の違いを子供ながらに感じてしまっていた。
幼いころの母親の影響力は大きかった。
母は若くから働いていたらしく、本人曰く学がなかった。
(そこで困ったことも多かった経験からか習い事はいろいろさせてもらった、というかさせられた)
母が自分を卑下して言うので母には学がないのだと染みついていて見くびっていたのだと思う、
母はわたしを褒めたけど、母自身を貶めて褒められる自分に対して自己肯定感を育てることはできなかった。
なぜならその人間から生まれた自分の程度なんてたかが知れているとわかっていたからだ。
進路で悩んだときに、進学するという考えは生まれもしなかった。
頭の出来はまあ普通だったので進学をしようと思えばできたのだろうし
進路指導の先生には進学を進められたりもしたけれど おおよそそんな余裕があるとは思えなかったし、
奨学金をもらってまで進学したところで程度の知れている自分に何ができるとも思わなかったので、そのうち諦めることばかりが上手になった。
結局、それはずっとコンプレックスとして残り続けている。
いまだに学歴でふるいにかけられることは少なくないし、給与体系やキャリアの選択肢が異なるのもざらだ。
学歴でふるいにかけ続けた職を転々とし、取り繕った生活をしては逃げて、を繰り返してきた。
(と言いつつ、バックレる胆力はないのでこちとらいつでも円満退職よ)
一番薄っぺらなのはわたしの方で、自分を変える努力なしに何者かになれるわけでもないのだから何をか言わんやだが
一緒に仕事をしていてどんなに頭の回転が遅く要領の悪い人間も、実はみなそれなりの暮らしをしていたりする。
この身で思い至る前にそれを知りたかったが、知る努力を諦めたのは自分の方だ。
人生を変えるのは努力次第、努力は決して裏切らないというのは耳ざわりのよい言葉で
これらは100%の嘘ではないけれど、この場合の努力とは、何かを犠牲にする程のたゆまぬ努力が結実された場合を指すことが多いと思う。
しかし低賃金に明け暮れる人間には血のにじむような努力をする余裕はない。
(あとは運要素もあるだろうが、諦めスキルレベルがカンストすると運に対するスルースキルも高確率で発動してしまう)
運で親ガチャの話に戻るが、思い返してもわたしは「この親じゃなかったら」と思うこともあるし
親が云々よりそもそも生まれてきてしまったことを恨めしく思う。
人生の先輩に出会うと、結婚しても子供を産まない選択肢もあると言ってもらえたり、
子供を産み育ててからの方が人生が楽になった話を聞かせてもらったりもして、
人生の主役から一度自分を解放してやりたいと思うことはあった。
多分これも親ガチャから報われる乱数調整の方法のひとつなのだろう。
でもわたしは誰かと生きることも考えていないし、子供を産む気もない。
この経験を共有したところで所詮わたしだけのものだし、もし子供を産んでも自分のような人間を増やすだけで幸福にしてやれるとは思えない。
結局傷つくくらいなら最初から誰にも何にも期待しない方が楽だからだ。
ネグレクトの末にわが子に手を・・というニュースを見るたび、自分はそっち側になる可能性が存分にあるぞと己を戒めている。
親にかけてもらったお金を返せるわけでも、孫の顔を見せてあげられるわけでもなく
貧乏なのに子供を産んだのだからしょうがないと思ってもらうしかない。
ここまでの無思考他責的で浅慮な言葉が出てきてしまうほど、わたしには生れ落ちてしまったことが恨めしい。
だってやっぱり土壌が整っていないのに生みたい・育てたいはエゴだと思うもの。
その土壌を少しでも肥沃にするのは国の務めだとは思うんだけどね
中身が古いままなのにラベルだけ張り替えて先進国のような顔をするな
サスティナブルとか言ってないで先ず自国を持続可能な形に整えてくれ
できれば産み育てる環境が整っていて子供を持つことを望む方たちには母子ともに健康に、
難事なく産み育んでいただきたくお祈り申し上げたいところですが
今はひとりでも楽しいことを見つけて生きているけど、人間はみないつかは死ぬ。
死ぬまでずっとお金の苦労には付きまとわれる、しかも老いるにつれてランニングコストはどんどん膨らむばかりだ。
息が止まるということは単純に苦しいのでわたしは積極的に迎えたくないけれど
せめて安楽死できる国に行く旅費と費用くらいは賄えるようになりたい
なんてあかるい未来なんだ。
増田に投稿された、東京大学教育学部教授によるとされる高校入試廃止論を胡散臭せーと思いながら読んだ。その教授は誰なんだ?と。
■東京大学教育学部教授「あらゆる高校入試は廃止して希望者全員の入学を原則認めるべきだ。」
「高校進学率が95%を超えた現代、高校の定員および設備は十分に足りており、高校入試を行う必要性は皆無に等しい。
生徒・保護者に大きな負担を与え、教員に入試準備、進路指導などといった不用な業務を強いている。
高校入試により、高校が序列化され、出身高校差別や教育格差を生む。
先進国で高校入試が一般的な国は日本ぐらいしかなく、非常にガラパゴスな制度である。
高校入試は、高校生数が急増し設備の建設が追いつかなかった戦後間もない時期の名残に過ぎない。
以上より、高校入試は不必要であるのみならず、様々な問題を有しており、直ちに廃止されなければならない。
そして、各高校は、希望者全員の入学を認めるべきてあり、設備・人員の制約により希望者全入が不可能な場合は厳正な抽選で入学者を決めるべきだ。
高校の入試倍率(受験者数を合格者数で除した比率)は1.5倍未満が普通なので、定員を需要に応じて適切に配分すれば希望者全入も無理なことではないはずだ。」
これが現実らしいな
結論から言うと、少なくとも、増田に投稿された上記の発言をした東京大学教育学部教授は十中八九、現実には存在しない。
また、調べて分かったことが2つある。
①この投稿には元祖と思しき、もっと短い投稿が増田とは別のサイトにあったこと。
②そして、その内容がネット上で徐々に改変されるうちに、いつの間にやら東大教育学部教授が語ったという今の体裁になったらしいことだ。
以下に、ネット上で変遷していくテキストの中から主なものを列挙する。元祖の投稿から現在の投稿に至るまでの改変の過程では、それぞれの改変者たちが基本的には元のテキストをほぼ温存した上で、別のテキストを継ぎ足していく様子が見て取れるだろう。
■高校教師の88%「高校入試は廃止して希望者全員に入学を認めるべきだ。多すぎる場合は抽選で選ぶべき」 2021/03/31(水) 13:25
1: デジニュー 2021/03/31(水) 13:25:26.05 ID:kTsFeLPua
高校教師の88%「高校進学率が95%を超え高校教育が実質的な義務教育と化した現在、高校入試を行う必要性は皆無に等しい」
これが現実らしいな
・増田に投稿された文の1行目と最終行に一致する文が見られる。
・さらに元祖となるテキストが存在する可能性もあるが、見つけられなかった。
■高校教員の86%「高校入試は廃止して希望者全員の入学を認めるべきだ。多すぎる場合は抽選で選ぶべき」 2021-05-10 21:39
「高校進学率が95%を超えた現代、高校入試を行う必要性は皆無に等しい。生徒・保護者に大きな負担を与え、入試準備で教員に不用な業務を強いている。先進国で高校入試がある国は日本ぐらいだ。」
これが現実らしいな
・最初の一文はほぼ改変なし。その後ろに2つの文が追加されている。
・最後の決めゼリフは変わらず。
■高校入試は廃止して希望者全員の入学を認めるべき 2021/05/16(日) 03:16
高校進学率が95%を超えた現代、高校の定員は十分に足りており、高校入試を行う必要性は皆無に等しい。生徒・保護者に大きな負担を与え、入試準備で教員に不用な業務を強いている。先進国で高校入試がある国は日本ぐらいだ。あまりに希望者が多すぎる場合は抽選で選べばよい
・タイトルが変化した。タイトルの"高校教員の86%"は消え、また、"多すぎる場合は抽選で選ぶべき"という主張は本文の末尾へと移されて、"あまりに希望者が多すぎる場合は抽選で選べばよい"という1文となった。
・本文を囲っていた「」が消えた。
■高校教員の86%「高校入試は廃止すべきだ。」 2021/05/22(土) 19:34
「高校進学率が95%を超えた現代、高校の定員は十分に足りており、高校入試を行う必要性は皆無に等しい。
生徒・保護者に大きな負担を与え、入試準備で教員に不用な業務を強いている。
高校入試により、高校が序列化され、出身高校差別や教育格差を生む。
先進国で高校入試が一般的な国は日本ぐらいしかなく、非常にガラパゴスな制度である。
以上より、高校入試は不必要であるのみならず、様々な問題を有しており、直ちに廃止されなければならない。
公立高校の入試倍率は、2倍未満が普通であり、定員を適切に配分すれば希望者全入も無理なことではない。」
これが現実らしいな
・大規模アップデート。3文目移行が大幅に書き加えられて、本文は全部で7文に。
・タイトルから、"希望者全員の入学を認めるべき"という主張は削除されたが、代わりに?本文中では"希望者全員の入学を認めるべきだ。公立高校の入試倍率は、2倍未満が普通であり、定員を適切に配分すれば希望者全入も無理なことではない。"となっている。
・本文を囲っていた「」が復活。再び、誰かが語った風に。
・最後の決めゼリフが復活。
■東京大学教育学部教授「高校入試は廃止すべきだ。」 2021/05/24(月) 06:59
「高校進学率が95%を超えた現代、高校の定員は十分に足りており、高校入試を行う必要性は皆無に等しい。
生徒・保護者に大きな負担を与え、入試準備で教員に不用な業務を強いている。
高校入試により、高校が序列化され、出身高校差別や教育格差を生む。
先進国で高校入試が一般的な国は日本ぐらいしかなく、非常にガラパゴスな制度である。
以上より、高校入試は不必要であるのみならず、様々な問題を有しており、直ちに廃止されなければならない。
公立高校の入試倍率は2倍未満が普通なので、定員を適切に配分すれば希望者全入も無理なことではないはずだ。」
これが現実らしいな
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/pedagogy/1621807174/l50
・ついにタイトルにおける発言者が"高校教員の86%"から"東京大学教育学部教授"となる。
・本文は4文目に"公立高校の場合、入試の経費には国民の税金が投入されている。"が加わって全部で8文となった。東大教授は税金面が気になる模様。
■名古屋大学教育学部教授「高校入試は廃止すべきだ。」 2021/06/13(日) 10:25
「高校進学率が95%を超えた現代、高校の定員は十分に足りており、高校入試を行う必要性は皆無に等しい。
生徒・保護者に大きな負担を与え、入試準備で教員に不用な業務を強いている。
高校入試により、高校が序列化され、出身高校差別や教育格差を生む。
先進国で高校入試が一般的な国は日本ぐらいしかなく、非常にガラパゴスな制度である。
高校入試は、高校設備の建設が生徒数の急増に追いつかなかった戦後間もない時期の名残にすぎない。
以上より、高校入試は不必要であるのみならず、様々な問題を有しており、直ちに廃止されなければならない。
高校の入試倍率(受験者数を合格者数で割った比率)は2倍未満が普通なので、定員を適切に配分すれば希望者全入も無理なことではないはずだ。」
これが現実らしいな
・"名古屋大学教育学部教授"版が登場。投稿者がご当地に寄せたかったのだろうか?
・本文は"高校入試は、高校設備の建設が生徒数の急増に追いつかなかった戦後間もない時期の名残にすぎない。"の1文が加わって全部で9文に。名大教授は歴史的観点から一言物申したかったようだ。
・9文目の文中に"(受験者数を合格者数で割った比率)"が足されている。
■東京大学教育学部教授「あらゆる高校入試は廃止して希望者全員の入学を原則認めるべきだ。」 2021/08/04(水) 03:44
「高校進学率が95%を超えた現代、高校の定員および設備は十分に足りており、高校入試を行う必要性は皆無に等しい。
生徒・保護者に大きな負担を与え、教員に入試準備、進路指導などといった不用な業務を強いている。
高校入試により、高校が序列化され、出身高校差別や教育格差を生む。
先進国で高校入試が一般的な国は日本ぐらいしかなく、非常にガラパゴスな制度である。
高校入試は、高校生数が急増し設備の建設が追いつかなかった戦後間もない時期の名残に過ぎない。
以上より、高校入試は不必要であるのみならず、様々な問題を有しており、直ちに廃止されなければならない。
高校の入試倍率(受験者数を合格者数で除した比率)は1.5倍未満が普通なので、定員を適切に配分すれば希望者全入も無理なことではないはずだ。」
これが現実らしいな
https://swallow.5ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1628016244/
・タイトルは、再び、"東京大学教育学部教授"が発言したことになった。また、"希望者全員の入学を原則認めるべきだ。"が加わった。
・9文目が微妙に改変され、"(受験者数を合格者数で除した比率)は1.5倍未満が普通"となった。"2倍未満"ではなかったらしい。
・"原則的に"や"除した"など、硬い言い回しが取り入れられて教授らしさが少し増したかもしれない。
実在不詳の人が書いた老子のような古典も、改変を詳しく辿れたなら、こういう変遷が見られるのだろうなと、妙な感慨に耽ってしまった。
「高校進学率が95%を超えた現代、高校の定員および設備は十分に足りており、高校入試を行う必要性は皆無に等しい。
生徒・保護者に大きな負担を与え、教員に入試準備、進路指導などといった不用な業務を強いている。
高校入試により、高校が序列化され、出身高校差別や教育格差を生む。
先進国で高校入試が一般的な国は日本ぐらいしかなく、非常にガラパゴスな制度である。
高校入試は、高校生数が急増し設備の建設が追いつかなかった戦後間もない時期の名残に過ぎない。
以上より、高校入試は不必要であるのみならず、様々な問題を有しており、直ちに廃止されなければならない。
そして、各高校は、希望者全員の入学を認めるべきてあり、設備・人員の制約により希望者全入が不可能な場合は厳正な抽選で入学者を決めるべきだ。
高校の入試倍率(受験者数を合格者数で除した比率)は1.5倍未満が普通なので、定員を需要に応じて適切に配分すれば希望者全入も無理なことではないはずだ。」
これが現実らしいな
よくある受験の手引や先輩の体験談で早いほうが有利だーとか、基礎が大事だーとかいろいろ聞かされふーんくらいしか思わなかったんだけど、進路指導先生の言ってたことをよく思い出す。
「人生は選択の連続です。大人になるということは選択肢を捨てて、意思決定していくことです。きっと子供の頃はみんなプロ野球選手になりたいとかお母さんに喋っていたと思います。けれど、今この場には、今から努力してイチローになれる人はおそらくいません。みんな自然と選択してきた結果が今なのです。
勘違いしてほしくないのは、イチローになれないことがダメなことではないのです。自分の選択を自分で決めていくこと、適当に流されず生きてください。そして、時間が経つうちに自分の選択に限界が見え、選択を変えることが多くあります。それはそれで、私は良いと思っています。大事なことは、自分の選択を肯定し続ける事です。一時的に隣の芝生は青く見えるかもしれません。けれど、大人になるということはいろいろな現実を受け入れ、過去の選択を肯定し、今を生きることが大事なんです。頑張ってください。」
要約するとこんな事を言っていた。
そうか、じゃあ自分が今抱いている劣等感、すなわち、同じクラスのどんなに勉強しても勝てないスポーツ万能の滝沢くんや石川くんに対しても、途中で退部して後悔している自分を冷ややかな目で見てくる元部活の仲間たちに対しても、きっとこのもやもやした隣の芝生は青く見える感情は一時的なんだ、大学生、社会人になって振り返ればちっぽけなことに過ぎないんだ!
そう言い聞かせて勉強を頑張って大学に入れば今までのことはチャラだ!
今ももちろん楽しいけどなんかこういう負債みたいな感情もそのうち忘れるんだな!
なんてお気楽に思いながらガリ勉して、めでたく無事第一志望に合格!これで万々歳!人生ハッピー、今までのことなんて忘れちゃえってなるんだ!
となったものの、大学生になってもモヤモヤは消えず、社会人になっても消えず、いつまでも高校生や大学生の時に抱いた「隣の芝生は青く見える」という感情がよく頭を巡っている。
上で書いたことは一例だけど、友情、恋愛、部活、就活、スポーツ、勉強、バイト、仕事、いろいろな局面で「こうしていたらどうなっていただんだろう…」「このときこの選択を取っていたら、今は違うんじゃないか?もっと幸せだったんじゃないか?」「●●さんはいいな…羨ましいな…」ということを常に思う。
なんというか、中学生くらいまではそんなことを考えてこなかったから、正直中学以前の選択で後悔やIfを考えることはない。
問題なのは、特にそれを自覚してからの高校生以降のそうした後悔というか自責というか、他者が羨ましく思えるという感情が積み上げ方式で心に溜まっていく。
そこで、先生が「なんとしても立派な社会人として巣立っていけるよう……担任はこの三年間の全ての想いを込めてひとりひとりの名前を読み上げるんだ。そして生徒は感謝し旅立ちを云々」なんて真剣な顔で言っててさ。
もちろんフィクションだし、90年代の作品だし、不良漫画だから、現代のリアルな教師よりも全然熱く描かれてるはず。
やる気のない先生もいれば、教師に何かしてもらった覚えのない生徒もいるだろうけど、まあ担任やってれば思うところは色々あるだろうな、と。
俺はインターナショナルスクールに通わされたから、何年何組みたいな「クラス」というものがそもそもなくて、担任もいなければ、授業によって生徒の顔ぶれも、時には学年すらバラバラ。超少人数の大学みたいな感じだった。
始業式も朝礼もホームルームも委員会もなければ(生徒会だけはあったが何をしていたのか謎)、進路指導も生活指導もなし。
校則はタバコとマリファナが禁止だったことと、短パン禁止令が発令された翌日に結構な数の生徒が抗議の短パンスタイルで通学してきて禁止令が撤回されたこと以外に意識した記憶がない。
問題起こす生徒はいるにはいたけど反省文は校長室に直接提出しに行ってた。
その点、日本の学校って良くも悪くも面倒見がいいし、親密だよね。
余談だが、「日本の高校」とか書いたけど、映画とかドキュメンタリー観てる限り、外国でも現地校(ネイティブが通う)はクラス制度ありそう。
ぼちぼち高校受験も始まり、今年も「定員内不合格」という不思議な言葉がささやかれる季節となりました。
すごく不思議じゃないですか?定員内不合格という言葉。まるで「定員に満たないなら全員受からせろ」「定員内は全員合格」と勘違いされているような気がします。
じゃあなんで試験するのか。定員内なら試験するだけ無駄じゃないですか?
法律では、障害を持っている人もそうでない人も「その能力と状態」に応じて教育を受けることができます。
でも、足し算引き算がままならないレベルで高校を卒業する学力があるかという問題があると思います。
赤点連発で単位不認定で留年とかあると思います。マンツーマンで指導を望むのは、ちょっと先生がかわいそうに思います。
入って終わりじゃないんですが、どうにかして無理やり卒業しそうです。でも卒業後の進路も学校の先生が探すんですかね。
支援学校ならいろいろ特性に合わせた進路指導ができるでしょうが、普通科高校の先生にそのようなノウハウがあるとは思えません。
卒業後のことも含めて考えているのでしょうか。
私事ですが、中学の同級生に知的障害の方がいらっしゃいましたが、まあ割とひどいことをされました。
詳細は割愛しますが「二度と障害者と同じクラスになりたくない。勉強して勉強して絶対にそんな人が来ないような高校に入って、二度と同じ空間で勉強したくない」と強く思う事件に会いました。
多感な時期にちょっとだいぶきつかったです。そういう経験をした人間なのでインクルーシブ教育というものが正直好きではありません。
なんで十分に訓練された教員がいる支援学校じゃなくて普通科高校に行きたいのか理解できません。
そしてテストの点数が足らないから受からないということを受け入れないのも理解できません。
障害者だから勉強できなくても普通科高校に入れろ、って「健常者」が勉強できない場合はどうするんでしょうか。障害者はテストがダメでも受からせて、健常者は落とすのなら、それは逆の差別ではないでしょうか。
勉強をしてもしなくても高校に入れるなら、普通の生徒は勉強しなくなると思います。この定員内不合格という言葉は、障害者の方には適切な教育環境である支援学校に行くという選択をしなくさせ、それ以外の生徒は勉強しなくなるという、とてもよくない言葉のような気がします。
中学内の成績順に誰がどの高校を受けてもらうかが最初にほぼ決まっていた。
成績上位者の何名までが進学校行き、中間が商業高校行き、底辺は、工業高校行きみたいな。
もちろん、それは学区内の中学校同士が決めたことであって、最初の段階では生徒や親の希望は全無視の状態。
西部には女子だけが行ける女子高や、推薦入試で入れる特殊な学科があるせいで、
生徒&親の進路希望を聞く段階で、
学内での受験者数調整と、それでおさまらない場合は、他の中学との受験枠のトレードという形での調整を繰り返した。
進路指導というのは、先生と生徒が一緒に将来のことを考えましょうなんて理想とはかけ離れていて、
先生が生徒に受けるべき学校をここにしてと説得する場でしかなかった。
生徒が受けたい高校に自由に願書を出せばいいという状況ではなく、