はてなキーワード: 今はひとりとは
家は代々商売をやっていて、都会の一等地に大きなビルを持ち、恵まれて暮らしていたと思う
しかし、その財産に頼らせることなく生きていかせるためか、うちの両親の教育方針は、「何も残してやらないかわりに、何も背負わせない。1人で生きていけるようになれ」だった
自分はそれをとてもいい方針と信じていたし、親と自分は関係ないものとして、ちゃんと親の財産に頼ることはせずに生きようと思っていた
おかげで今はひとりで生きていける社会人になり、実家からは遠く離れてしまったけど、結婚もできて子供も生まれた
祖父母が亡くなった時、色々な後処理も大変そうだったが、全部父が片付けた
色々残されたものが大変になるので、当時父は墓じまいをしようとしたが、父の弟などの反対により結局墓はそのまま残っている
負担は誰にもかけたくないから、こんなものいらないのにね、と言っていたし、その気遣いを自分はとてもありがたいと思っていた
親は70を過ぎたので、余生を考えるとあと10年は生きるとしても、20年は自信はないだろう
そんな年になって最近、親が土地建物を継いでほしいと言うようになってきた
えええ、今まで言ってきた教育方針と全然違うじゃん、全く違うじゃんと思って戸惑っている
そして継がす=その次の代までつなぐ、だと思うので、これを受けると自分の息子も縛ることになりかねない
自分は「何も残してやらないかわりに、何も背負わせない。1人で生きていけるようになれ」と教育されたし、それをとてもいい教育方針と思っていたので、そんな自分が息子の人生に背負わせるものを作るのはめちゃくちゃ抵抗がある
そして墓じまいをしたいと言っていた父も、最近は親の墓に参り、俺にも先祖供養は大事なこと、だなんて言い出す
でも、あの親父が今更それを言い出すと戸惑う
親が自分が死んだ後のことをリアルに想像し始めているんだと思うし、その変化も仕方ないと思う
でもなあ、あなたたちの立派な教育方針のおかげで、今のあなたたちに抵抗があるのも本心なんだわ
息子、宇宙飛行士になりたいなんてキラキラ言っているのに、もちろんそれが実現するかは置いておくとしても、土地のために生きる人になって欲しくはないと思っている
35歳独身チー牛女。
親も低スペックで見合いで半ば強制的に結婚したんだけど見事に仲悪くて成人して親元離れるまでつらいし親は離婚したし、学生時代はめちゃくちゃいじめられて大学では社交性と常識が足りず躓いて最終的に発達障害で手帳もらったよ。
自分は恋愛にも異性にも子供にも興味がもてなくて、今はひとりで趣味に生きてる。友人の恋愛や結婚や子育ては全力で応援したり祝いつつ「ちょっと寂しいな」と思ったりする。
低スペックの妥協婚まではいいけど子どもは選んで生まれてこれない。
自分の機嫌をとったり面倒みれないくせに破滅的なことを考えるような親で子供がいい育ち方するわけないだろ。破滅願望に他人を巻き込むな。
結婚はゴールじゃないのに
友達の「いつかいい人がいたら結婚する」「今はひとりが楽しい」「仕事が忙しい」「すぐには考えてない」「恋人はいるけど結婚は考えてないみたい」
いや、焦ろうよ。
女も男も生殖能力が弱ってきて、そのうち子供が欲しいと思った時にできなくなってるかもしれないぞ。
恋人がいたら幸せとか、結婚したら幸せとか、子供がいたら幸せとかじゃないっていうのは分かってる。でも、孤独は間違いなく幸せではない。
いいじゃん。多少年収が低くても、背が低くても、好みのタイプじゃなくても、料理ができなくても。
他に好きになれるところがあったらいいじゃん。
どんなことも徐々に慣れていくし、お互い足りないところを補っていけばいいじゃん。
最初からやれ自炊しない男は駄目だとか、マザコンは駄目だとか、家事完璧な女じゃないと駄目だとか、結婚しても女を忘れないでいて欲しいとか、「完成品」を求めすぎなんだよ。
子供は体力のあるうちに産んでおきたい。
旦那と2人だけの生活も楽しいし、友達もいるし、好きなだけ遊べる今にまったく不満はない。
親だけじゃなくて自分の老化も感じる。
10代のときほど体力がないし、物事を覚えるスピードも時間がかかるようになった。
でも子供を産んで育てるとなると今までの知識と経験なんて役に立たないのだろう,と思う。
自分は結婚したいけど彼氏は結婚を考えていないと言っている友人へ。
バツイチで恋愛は久しぶりだけど彼氏のこういうところが嫌(聞いてる限り大したことない)、と言っている友人へ。
NHK「それでも子どもをもちたい 広がるSNS精子提供」を見ててぼんやり考えてたらちょうど親ガチャがトレンド入りしてたので消化させてくれ。
https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4582/index.html
わたしは平成生まれ この国の景気は下がったニュースしかほぼ聞いたことがなく、
豊かさは一部のものでしかないハリボテで、その実ずっと昏く見える。
エンタメですらわかりやすくかみ砕いたもので満足して、他人の感想や解釈を読むことですべてわかったような顔をして、
政治家でも芸能人でも失言をしようものならヤフコメで重箱の隅をつつき回し、追い込み打ちのめしたことで正義面をしている。
親ガチャなんて言葉が生まれるくらい目に見える格差があること自体、あるべき国の体制として破綻していると思うけれど
島国特有とも言われる排他的な体質・価値観は、多様性を認める今の時代にフィットするまで多分まだまだ時間がかかるのだろう。
わたしのうちは生まれてからずっと貧乏で、何かにつけうちは貧乏なんだから、と言われて育ってきたし実際そうだったんだと思う。
それでも今思うとネグレクトもされず貧乏なりにお金をかけてもらったと思うが
(この国に於いての子育て、本当にお金がかかるよね 世の親の立場の人たち、本当にすげーという気持ちしかない)
いわゆる“普通”レベルのくらしをしてきた家庭とは常に一本、うっすらと線が引かれているように感じていた。
友達からそれを態度で示されたこともなかったので実際にその線を引いていたのは自分なのだろうけど
普段の会話の端ばし、おさがりでない服や持ち物の買い替え頻度などから生活水準の違いを子供ながらに感じてしまっていた。
幼いころの母親の影響力は大きかった。
母は若くから働いていたらしく、本人曰く学がなかった。
(そこで困ったことも多かった経験からか習い事はいろいろさせてもらった、というかさせられた)
母が自分を卑下して言うので母には学がないのだと染みついていて見くびっていたのだと思う、
母はわたしを褒めたけど、母自身を貶めて褒められる自分に対して自己肯定感を育てることはできなかった。
なぜならその人間から生まれた自分の程度なんてたかが知れているとわかっていたからだ。
進路で悩んだときに、進学するという考えは生まれもしなかった。
頭の出来はまあ普通だったので進学をしようと思えばできたのだろうし
進路指導の先生には進学を進められたりもしたけれど おおよそそんな余裕があるとは思えなかったし、
奨学金をもらってまで進学したところで程度の知れている自分に何ができるとも思わなかったので、そのうち諦めることばかりが上手になった。
結局、それはずっとコンプレックスとして残り続けている。
いまだに学歴でふるいにかけられることは少なくないし、給与体系やキャリアの選択肢が異なるのもざらだ。
学歴でふるいにかけ続けた職を転々とし、取り繕った生活をしては逃げて、を繰り返してきた。
(と言いつつ、バックレる胆力はないのでこちとらいつでも円満退職よ)
一番薄っぺらなのはわたしの方で、自分を変える努力なしに何者かになれるわけでもないのだから何をか言わんやだが
一緒に仕事をしていてどんなに頭の回転が遅く要領の悪い人間も、実はみなそれなりの暮らしをしていたりする。
この身で思い至る前にそれを知りたかったが、知る努力を諦めたのは自分の方だ。
人生を変えるのは努力次第、努力は決して裏切らないというのは耳ざわりのよい言葉で
これらは100%の嘘ではないけれど、この場合の努力とは、何かを犠牲にする程のたゆまぬ努力が結実された場合を指すことが多いと思う。
しかし低賃金に明け暮れる人間には血のにじむような努力をする余裕はない。
(あとは運要素もあるだろうが、諦めスキルレベルがカンストすると運に対するスルースキルも高確率で発動してしまう)
運で親ガチャの話に戻るが、思い返してもわたしは「この親じゃなかったら」と思うこともあるし
親が云々よりそもそも生まれてきてしまったことを恨めしく思う。
人生の先輩に出会うと、結婚しても子供を産まない選択肢もあると言ってもらえたり、
子供を産み育ててからの方が人生が楽になった話を聞かせてもらったりもして、
人生の主役から一度自分を解放してやりたいと思うことはあった。
多分これも親ガチャから報われる乱数調整の方法のひとつなのだろう。
でもわたしは誰かと生きることも考えていないし、子供を産む気もない。
この経験を共有したところで所詮わたしだけのものだし、もし子供を産んでも自分のような人間を増やすだけで幸福にしてやれるとは思えない。
結局傷つくくらいなら最初から誰にも何にも期待しない方が楽だからだ。
ネグレクトの末にわが子に手を・・というニュースを見るたび、自分はそっち側になる可能性が存分にあるぞと己を戒めている。
親にかけてもらったお金を返せるわけでも、孫の顔を見せてあげられるわけでもなく
貧乏なのに子供を産んだのだからしょうがないと思ってもらうしかない。
ここまでの無思考他責的で浅慮な言葉が出てきてしまうほど、わたしには生れ落ちてしまったことが恨めしい。
だってやっぱり土壌が整っていないのに生みたい・育てたいはエゴだと思うもの。
その土壌を少しでも肥沃にするのは国の務めだとは思うんだけどね
中身が古いままなのにラベルだけ張り替えて先進国のような顔をするな
サスティナブルとか言ってないで先ず自国を持続可能な形に整えてくれ
できれば産み育てる環境が整っていて子供を持つことを望む方たちには母子ともに健康に、
難事なく産み育んでいただきたくお祈り申し上げたいところですが
今はひとりでも楽しいことを見つけて生きているけど、人間はみないつかは死ぬ。
死ぬまでずっとお金の苦労には付きまとわれる、しかも老いるにつれてランニングコストはどんどん膨らむばかりだ。
息が止まるということは単純に苦しいのでわたしは積極的に迎えたくないけれど
せめて安楽死できる国に行く旅費と費用くらいは賄えるようになりたい
なんてあかるい未来なんだ。
引きこもりの身内がいる。わたしの叔父さん。年齢は75歳になったくらい。
わたしが物心ついたころから叔父さんはおばあちゃんの家にいた。ちなみに、叔母さんもいた。彼女は引きこもりではなく病気(統合失調症)で、小学2年生くらいで精神年齢が止まっている。
働かず、家事をちょっぴりする生活。部屋から出てこないわけではなく、家にこもっていた。近場の買い物くらいは行くが、それ以外は外出しない。無口だが会話も普通にする。
その当時、「ひきこもり」と言う言葉はなく、私もふーん、いろんな人がいるんだな、くらいに思っていた。おばあちゃんの家に行けば2人もいて、お茶を淹れてくれたり、お人形遊びをしたり、した。わたしの中ではそれがふつうだった。
大人になって、結婚を考えた時に、あ、このことは結婚する人に伝えないといけないんだと気づいた。わたしは一人っ子だから、もし両親が先に亡くなれば姪の私がその後フォローしないといけないかもしれないのだ。
15年前、おばあちゃんが亡くなり、住んでた家があまりにボロボロで崩れそうになったので建て替えてアパートにした。
しばらくそこで叔母と2人暮らしをしていたが、叔母が入院。今はひとりで暮らしている。
だんだんとできることが減っていった。今は外出が全くできない。電子レンジをはじめとした電化製品は一切使えないし、お風呂も滅多に入らない。なぜか怖いらしい。幻視や幻聴もあるのかもしれない。時々母が買い出し代行をしている。食事はお弁当の宅配でなんとかしている。
なにを考えてなにをして生きているんだろう。
昔は獣医を目指していたとか。勉強はできたのだと聞いた。大学生とかそれくらいに、引きこもるようになったらしい。
この叔父と叔母のことを知ってる人は、ほぼいない。叔母の担当医と役所の人くらいだ。同級生との関わりを聞いたこともないし、親戚もいない。近所付き合いもない。葬儀を出すことになっても、誰も連絡する人がいない。
そのことに気づいて、ここに投稿することにした。
引きこもり問題がニュースで流れるたび、叔父を思い出す。8050問題、親が亡くなった引きこもりはこれからどうするのか?自殺を防がなくては、社会復帰を、とやっている。
何十年も家にいた人が社会に出るのは相当大変だというのは間違いない。ITに全く触れていない人にとって世間は変わりすぎたし、当たり前も変わりすぎた。
コミュニケーションも限られた人としかとっていなのだから、そりゃあ怖いだろうし、すぐにはできないと思う。
ちなみに、うちは父が安定した職があったし、おばあちゃんが残してくれた不動産があったから兄である父(と母)がしばらく面倒を見ていた。しかし、父も母も年金暮らしになりこれ以上は、と思い詰めて生活保護を申請した。役所のひとによくここまで見られましたね、と言われ思いがけないほどあっさり通った。拍子抜けした。
生活保護は税金だ!働けるなら働けよ、それか余裕ある家族が面倒見ろよ、ごもっともだと思う。私も子ども育てながら働いて安くない税金や社会保険を払っている。
そしてときどき、自分や子どももこうなってしまうんじゃないかと怖くなる。統合失調症も遺伝することがあるらしい。
何度か転職したり引越しもしたが新宿はいつでも自分の中で身近な場所だった
昨日、なんとなく入ってみた
職場ではクリスマスや年末の話で盛り上がってる人達が多く、外はずいぶん冷え込んでいて、新宿経由で帰る時にふとイマサに入ってみようと思った
なにか初めての事がしたかったんだと思う
それがたかが行ったことのないカレー屋に入るというささやかな事だとしてもそうしたいと思った
店は満員だったが客の回転も早かった
客はほとんど男だった
客の話し声はほとんどないのに店内は少し騒々しい音に満ちていた
カウンター内でおばちゃんと若い女性がテキパキと仕事をしている
これは食べにくいのでは?と一瞬思ったが意外にもとても食べやすかった
平たい事でカレーに新たな食感を感じるようだった
お皿は白くて縁にパステルカラーの赤、黄、緑で模様が描かれていてカラフルだった
カラフルなお皿とおばちゃんのかわいい声と男たちがカレーをパクパク食べている中に混ざって自分もカレーを食べているのが急に嬉しくなった
こんな風に一緒にカレーを食べられてすごく楽しいですね、と隣の人に言いたくなったほどだ
ヤバい奴になってしまうのでもちろんそれはしないけど、それくらい幸せな気持ちになった
カレーが残りわずかになると改めて「東京にずっと住んでいて、はじめてこの店に入ったんだな」と考えてしみじみした
東京に出てきて必死で仕事を覚えて何人かの人とお付き合いして別れ、なんやかんやで今はひとりぼっちでイマサでカレーを食べている
なぜ11イマサという名前なのか、イマサは人名だろうか、では11とはいったい…?このままググらずに謎のままでいようと思った
そしてそんな今悪くない、そんなに悪くないなと思ってる
東京なんてもうなんにも未練がないよと思っていたけど
さようならだと思うと急にとても切ない
元夫は挿入はできるけど射精はできなくて、手や口でしてもできなくて、ほぼ初めて付き合った人が夫だったので、私はしばらく男性の射精は都市伝説かと思ってた。
付き合ってる時から子どもどうしようと思ってしばらく不妊治療のことをずっと調べてた。不妊治療をすれば子どもは授かるかもしれないし、でも子どもがいなくてもこの人とならと思って結婚した。セックスがなくてもいいと思った。
でも、結婚してみて、セックスもなくて、私も毎日フルタイムで働いて、彼が住みたいと言った都心の狭いマンションに住んで、どうして結婚したのかわからなかった。
会社は突然辞めますと言ってきたといわれた(会社辛いの知ってたから無理しないでもいいよと明るく励ましてきたけど、まさか突然言われるとは思わなかった)。元夫は楽器を習ってたけど「奥さんのせいで楽器を買えない」って先生に言ってるのを知った(狭いマンションで楽器は禁止だから無理だよと言っただけ。習い事はずっと応援してた)。
子ども欲しいなあと思っても絶対できないのに、「子どもができてもずっと仲良しでいようねミャハ」と言われた時は泣いた。
家が狭くて、ついでに相手のものも多くて(缶ジュースやペットボトルをケース買いするのが理解出来なかった)、他人と暮らすことに私もストレスの限界を感じてた。
だからまずは、引越ししたい、子どもどうするの?どうしたらいいの?という手紙を書いた。でもなんにも反応なくて、つらかった。
今はひとりになって、休みに誰かと出かけることも少なくなって、彼と過ごしたいろんな思い出を思い出して、
ひとり暮らしは快適でストレスも減ったけど、いろんな思い出を思い出して、「どうしたらよかったのかな」と考える。
子どもも、結婚した二十代半ばはすごく欲しかったし、結婚してるから次は子どもっていう気持ちがやっぱりあったと思うけど、
今はひとりでそういう柵もないから、何がなんでも欲しいと思うこともない。
男の人は弱いから優しくしてあげてっていわれる。
男の人って子ども欲しいとか思わないんですかね。子供ほしいから治療して授かろうとか思えないのかな。
男の人も弱くて脆いのかもしれないですが、
女だってそれなりに弱くて脆いんですよ。。。
自民党とか民主党とかそういう政党は皆さんの働いて稼いだお金で活動しているんです
仲が悪い政治家でも
だから毎年のように
俺ら政党になろうぜってヒソヒソ話してるんです
民主党は口先だけ脱原発とか言って実際は推進派と何ら変わりありません
お金をもらって政党になるために悪党政治家が集まって口先で国民を騙してるんです
そういう日本の政治が許せないから、新党今はひとりを立ち上げました!
金目的の政党じゃない、そういう自分の純粋に政治にかける気持ちをわかって欲しいという思いをこめた!今はひとりをよろしくお願いします!
一人で作った政党では税金をもらえないんです!それでも立ち上げたのは何故か!?何故ですか!?
日本を!日本の子供達を!今日本で育ちつつある子供達を!まだ産まれていない子供達を!そういう子供達を原発推進政党から守るために!税金をもらえないけれども政党を立ち上げたんです!
政治は一人でもできます!山本太郎は一人でも政治ができるんです!
汚い政治家、汚い政党を、この新党今はひとりの山本!太郎が!片付けましょう!!!!!」
~~1年半後~~
生活に山本太郎氏入党 再び「政党」に 交付金も支給へ - 産経ニュース
死ねよ。
書いてある教義から同じ宗教で育ったと思われるのをみて、どうにも見ているだけでいられなくて初めて書く。
私も自分が小さいころに母親がその宗教に入り、物心ついたときには誕生日の祝いもクリスマスもなかった。その宗教が定めている行事以外はすべて「いけないこと」であった。例えば母の日に学校で配られたカーネーションの造花に、手書きのカードをつけてプレゼントしたらひどく怒られたよ。それは神の定めたことではなく、人間が欲のためにつくった記念日だから。
元増田同様、学校で部活動はできなかった。週に何度か行われる集会に参加できなくなるし、週末の奉仕活動に差し障るからだ。門限も小学校のときは16:30だったな。クラスメイトと遊んでいても、ぜったい途中で先に帰ることになる。当然、遊んでくれる友達は減るし、そのうちいじめの対象にもなった。今でも友達は少ない。
部活、やりたかったなあーと、中高生が主人公の漫画なんか読んじゃうとすっごく思う。ああいう経験したかったー。
同宗教外の人と結婚するなんてとんでもないと言われていた。だが、集会に行って同世代の男の子をみても誰も魅力的には見えず、そもそも男子はほとんどいなかった。信仰を持たない男の子は好きになっちゃいけない、ということならば、「私は結婚しちゃいけなくて、ずっと奉仕活動をするのだ」と強く自分に暗示をかけてしまったらしい結果、りっぱなひとり身になっちゃった。……いや、たんに非モテなだけなんだけですかね。
さて元増田は、幸いにも辞めて、結婚もして、子どもにも恵まれている。
それはすてきなことだと思う!
でも誕生会や楽しい園の様子を憂鬱に思ったりするのは当然だとも思う。だってそう育って来ちゃったんだもん。私も子どもがいて、お誕生日会なんか開いちゃって、周囲がお祝いの言葉や品物をプレゼントしてくれたら複雑な気持ちになっちゃうだろうなー。嫉妬しちゃうなーー。
だけど育ちに関しては分かってもらえる方が特殊だと思うんだよ。元増田だって、だんなさんの「男子校だから〜」は意味わかんないんでしょ。そういうことだ。
でもさ元増田はそういう教義はよくないなーってことを知ってるから、その辺は他の人よりも上手に子どもたちを導いてあげられるんじゃないかな。宗教に限らず、狭い世界や思想はいけないってことを知ってるから。
あなたの授かった子どもたちは、そうしたことにならぬようにできる経験があなたにはある。
チームワークについても、これから学んだっていいじゃん。学べることがあるのはラッキーだと思うし、それに気づけてるのもいいことだと思う。
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さて、同じ宗教で育った子どもが、辞めてどういうおとなになるのか気になってはいたので、今日この文章が読めたことは私にとっては幸いだ。
ちなみに私は20歳ぐらいで辞めて、今はひとりで、人とのコミュニケーションが苦手で、子どもなんぞ望めない年齢になって、手も顔もしわしわで、世間的評価としてはダメな部類だろうけど、子どものころにできなかった夜更かしとか、夜の散歩とか、漫画を読むとか、映画を見るとかできて、今の方がしあわせだ。(でも老後は心配だー)
あと最近、宗教に関する本をちょいちょい読んで、子どもの頃のアレはなんだったのかなーって考えられるようになった。ベタだけど、ミルチア・エリアーデの「世界宗教史」は読んでよかった。J.G.フレイザーの「金枝篇」とか、末木文美士の「日本宗教史」とかも。
なんにせよ子どものころ受けたものって根が深い濃いし離れない。「三つ子の魂百まで」ってほんとだねー。また、宗教の話って日常でするのは難しいから、発散もしにくいよなーって思ってる。
そして長くてごめん。
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そこまでして、芸能界入りするもトークが下手でタレントとしてバラエティに定着できず
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一発屋として消えるかと思われたが、意外と役者の才能があり俳優業へ
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俳優業のほかにNHKでも番組の司会を務めるなど、そこそこやっていけるようになる。
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衆議院選で石原伸晃と同じ選挙区の東京8区に出馬。当然落選。(が、大差とはいえ次点に付けた)
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ざっと書いたこの経歴だけでも面白いが。他にもメロリンQ、衆議院落選時の勝利宣言、新党今はひとり、円形脱毛症、妻の話など小ネタには事欠かない。
こういうトンデモでエキセントリックな人物って同時代の自国の人間じゃなければ結構、いや相当おもろで愉快なキャライズムだと思うのよね。-
今後山本太郎が教科書に載るような歴史的にメジャーな人物になるとは思えんけど、1000年後の歴史マニアな漫画家ねり小説家が見つけ出して掘り起こして、山本太郎をモチーフにしたキャラとか作りそう、いや作ってほしい。
1000年後の歴史マニアに見つかるためにも、山本太郎にはこのままただのトンデモサヨクなどという小さな枠にとどまらないダイナミックな活躍を期待したいところ。
一人旅...と言うほどのもんでもないが、まぁひとり散歩、ひとり散策みたいなもん。
仕事を辞めて早3ヶ月。
毎日パソコンを使って日々の食い扶持を得ているわけなんだが、いかんせんひとりぼっちだから気が滅入ってくる。
俺には友達がいない。
だからひと仕事終えて『さぁ〜今日はアイツでも誘ってメシでも食いに行くかな?』なんて楽しみがない。
毎日ひとり。
当然会話もない。
声を出すと言えば、スーパーやコンビニでの買い物のときぐらい。
『こちら温めますか?』と聞かれても、とっさに声が出てこない。
もしくは聞き取れないであろうぐらいとても小さい。
えらい声帯が弱っている。
そんな日々が続いているので、さぁそろそろ精神的にも限界になってきた。
あとはお寺関係。
広々としてて眺めがいい。
新緑の木々や、今だとつつじや藤の花が見頃か。
見事にフラれた。
いつか大好きな人と見られるようにね。