はてなキーワード: 叩き上げとは
かなり嫌な鳥→カナリヤ
「な」に含まれる+α
本物の磨崖
あるじもうけ/アルジャジーラ
当たらずとも/アルカトラズ/虻蜂取らず
南南問題に憤る人「なんなん?」
お叱り平野
イエニチェリ/いでにけり
やばいやいば
鰹のたたき台
叩き上げの鰹
似姿の姿煮
ピピンの苦心
アクオス↔︎トジルメス
金継ぎをしすぎて金だけになった純金の皿
スキアッチャータ/付き合っちゃった
ええいままよ↔︎こんにちはパパだよ
村一番のホラ吹き
ナチスの人ら
グージュの伝言
遠くから撮った近影
思想膿漏
馬の足袋→タービー
托卵のかっこうの的
デジタルタトゥーの女
こまめに小豆を摂る
死ぬこと以外かすり傷↔︎かすり傷以外なら死
島耕作↔︎陸開墾
無策の生きた化石→案も無いと
君がため 春の野に出て ハルツーム
robust/老婆
乱雑な茶→胡乱茶
下北沢↔︎上南沼
ハリ◦ウッド→ニードル◦キ
サマルカンドで冷める感動
チャッカマン↔︎火付け女
早合点に含まれるやがて
tyrant/thailand
しのぶれど色にイェニチェリわが恋は
ブレブレのブレーン→ブレブレーン
肺リスク脳リターン
鳩を売ってる鉄道員
死人にクチナシ
どもるドヴォルザーク→ドモルザーク
覆水という名字なので盆に帰らない人
ジャイアンのいおり→ジャイ庵
石の上にも桃栗三年
なるほどウィキペディアたたいたら
父親である松本強[3] は少尉候補者制度を用い(少候第10期)、下士官から叩き上げで将校である陸軍少佐(最終階級)にまで上った帝国陸軍の軍人であり、また陸軍航空部隊の古参の操縦者(パイロット)であった。第二次世界大戦中、その父がテストパイロットをやっていた関係で、4歳から6歳まで兵庫県明石市の川崎航空機の社宅に住み[2][4]。その後は母親の実家がある愛媛県喜多郡新谷村(現在の大洲市新谷町)に疎開していた[2][5](両親共に大洲市の出身である[6])。このときアメリカ軍の戦闘機や、松山市へ空襲に向かうB-29などの軍用機を多数目撃、この体験が後の作品に影響を与えたという[2]。
ということで軍の近くにいたことはまちがいないということで許してくれたまえよ
実写邦画って大抵クッソ照明がどんよりしてて絵が貧乏くさいか本気出すのカッコ悪いちょっと外す俺達いいよねみたいな内輪ノリがきついチャラケサブカル風だから何本かみたあともう見なくなったわ。
つーか、とくに主人公の年齢が若い作品に顕著だけど生身のガワの新鮮味を尊重すると演技力育ってない若いの起用するしかなくなる時点で作品としてクオリティ詰むんだよな。そりゃ画も演技力も両方経験積んだ別働隊の力を組み合わせて使えるアニメに奥行きで勝てるわけねーんだわ。別枠ってジブリぐらいだろ。
せめて若い役者も叩き上げを使えばいいんだけど大抵どっかの中年が俺の基準で決めたふわっとした色がついてないキラキラ感みたいなもの重視だし。上層部が自然体という名の棒演技をもてはやしてる時点で無理。
●ヤフコメ
https://news.yahoo.co.jp/articles/d72b7681a9e5536b690d50c4f581f6a7445b00ca/comments
mine | 1日前
>首相は午後5時前にホテルに入り、午後6時すぎの地震発生後も約1時間滞在した。
宮城県沿岸に発令された津波注意報が解除されたのは午後7時半。
それを確認せずに議員宿舎へ帰宅したとすれば危機対応として如何なものか。
何故に首相公邸に居住しないのか未だに理解できず、夜半に首都直下地震が発生し官邸へ行けないような事態になったらどうするつもりなのだろう。
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dra***** | 1日前
全ては他人任せ他人事、叩き上げで出世した人の行動ではないでしょう。
野党に聞かれれば「自分以外の人で危機管理は問題無い」と言うのでしょう。
本当にこの人に日本の舵取りを任せている今の状況で良いのでしょうか。難破 漂流 座礁 どうしたら良いのでしょうか
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tma***** | 1日前
菅総理は忙しいので、散髪なら手入れしやすいスポーツ刈りぐらいにしておけば、しばらくは切らなくても良いのに。
震度6弱以上ないと、集まらなくて良いと言えども官邸に少し寄っても罰は当たらないと思います。なんか危機管理能力ないと言われても、反撃できないかもしれない。
地震は、時を選ばないので、いざと言う時に素早く最善の行動を取って頂きたいと思います。
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nao***** | 1日前
危機管理になさ。これが日本のトップの判断。地震があったならまず官邸に入って情報収集でしょう。それもせず帰宅。相変わらず官邸に住まず、高い維持費を税金から払っている。其無神経さ。菅をはじめとした自民党議員閣僚・麻生・二階。国民の為によりも我が身の為にしかない自民党議員今の日本には単なるお荷物。
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って言うかそこまでして官邸で居住しないのなら首相官邸なんぞ潰してしまえよ。維持費だけでも税金がかかっているんだろ。何の為の首相官邸だ?危機管理能力がないのではなく、持とうとする気も無いとしか思えない。
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yuu***** | 1日前
野党もそろそろ、議員特権を全て排除し政権奪回に動くべし。支持率急増します。
できない理由があるのかな?
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ta1***** | 1日前
ホテルで散髪する歩のなのか。
開いた口が塞がらない。料金は、1回おいくらだろう。
垢抜けしているわけでもないので、どこでカットしても変わらないと思われるが。
Good 1113
Bad 93
kat***** | 1日前
いちいち災害が起きたら、すぐには官邸に戻ったりはできない場合もあるだろうけど、今までは地方での出来事だから悠長に構えているけど、いざ東京直下で大地震でも起きたら対応できないのは明白。そら見たことかにならないことをお祈りします。
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Bad 51
dqd***** | 1日前
基準云々より、被害状況等の確認が優先されるでしょ、記事には悪意を感じますが、今はリーダーとしての行動が求められるのでは。
想定内の時に行動できなければ、想定外の時にどの様にできるのでしょうか。
せめて指示、伝達位はやってると信じたいが、今までの事を考えると、頼りない。
後、思うのは、政治家は結果が責任だから、人の見えない所であくび仕様が、良い結果をだせば問題無いと思うのですが、今の政府には、期待できない。
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Bad 47
年間、公邸に多額の維持費を使いながら、そこに住まず、批判されているが、本当に国になにか緊急事態が起こった時にどうするつもりなのか?
自分の政治生命を守るためには、虚偽答弁や改竄、隠蔽を必死にやるくせに、
自民党政権には国民の生命を守ることには関心が薄いのではないか?
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Bad 10
●一方のブコメ
首相 宮城・震度5強の際、散髪でホテルに 官邸入りせず帰宅 | 毎日新聞
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mainichi.jp/articles/20210321/k00/00m/010/004000c
https://mainichi.jp/articles/20210214/k00/00m/040/231000c
何周回っての話かもしれないけど、「女性」の地位をキープするために有能さをアピールするために「それはどうですか?」ってアピールする人は多そうな気がする。
クソ下層の社員からすると「んだよ、知らねーよ」と思っちゃうね。しかもその場で結論に達せない事もある。新しい話だったり、「たしかにこの議論出来てませんね」みたいな。
新しい話なら延びるけど、男は「じゃ、次回に」みたいにする傾向がある気もする。大抵叩き上げできた男は会議の掛け持ち経験があり、結論が出なくても「一回終わらせる」のが身に染みている奴もいる。
(1)はこちら。anond:20210212080317
好き。ただし、当時の人にしかわからないパロディやジョークが多く、というかこの本を通じてしか残っていないのもあるので、純粋に笑えるかどうかはわからない。とはいえ、わからないなりにナンセンスさは楽しく(「ぽっぺん先生」シリーズにも引き継がれている)、トーベ・ヤンソンなどいろいろな人の挿絵も楽しめるし、こじらせ文学少年・文学少女とも仲良くなれるかもしれない。大学時代の読書サークルは楽しかったなあ。
ドストエフスキーの小説は基本的に頭がおかしい。ドストエフスキー自身がギャンブル依存症でユダヤ人嫌いのヤバいやつだし。
登場人物は基本的に自己主張が激しくて感情に溺れやすく、数段落数ページにまたがって独白する。プライドが無駄に高くて空想癖がひどく、思い込みが激しくて人の話を聞いちゃおらず、愛されていないのに愛を語る。そしてそんな奴らが大好きだ。
ぜひとも増田をロシア文学沼に落としたいのだが、いかんせん「悪霊」を含む五大長編から挑戦するのはハードルがあまりにも高いので、「永遠の夫」か「賭博者」か「地下室の手記」か「白夜」からがおすすめ。ロシア文学はいいぞ。
ところで、高校時代の友人曰く「ドストエフスキーにはまるのは自己愛と自己嫌悪の衝突を必死にプライドで支える人間、言い換えるとモテない」とのこと。ひどい。
こっちはスマートなほうのロシア文学。一家が没落して家や土地を売らないといけないのに、家の経済状態をわかっておらず(認めず)すぐに物乞いに金貨を上げちゃう、現実の見えていないお母さんのキャラが強烈。ギトギト描写するドストエフスキーに対し、勘所をびしりと抑えるチェーホフ。
実家のお母さんと(特にお金関係で)うまくいっていない人におすすめ。
未読。怪作「木曜日だった男」は読んだんだが。ミステリはあまり読んでいないのでそのうち読む。
誰もが冒頭のマドレーヌの香りから想起されるママンとの思い出についてしか語らず、たぶんみんなちゃんと読んでないからなのだが、実は無職のマザコンが自分の性の目覚め(野外オナニーを含む)やソープ通いや失恋の思い出について延々と語っている話で、何度語り手に向かって「働け!」と言いたくなったことか。
しかし、実のところ登場人物の九割がLGBTという当時としては非常に先進的な小説で、さらに当時炎上していたドレフュス事件という両陣営を真っ二つに分断した冤罪事件をネタにもしているので(今でいえばMeTooやBLMに相当する)、実は差別反差別についていろいろ語っている増田たちにすごく刺さる内容だと思う。俺差別してないし~、あいつは〇〇人だけどいいやつだよ~、的な態度もぐさりとやられている。最高でしかない。
ちなみに、金に苦労しないボンボンがうだうだ恋愛で悩む小説が好きになったのはこの本のせい。「アレクサンドリア四重奏」とかね。
不条理ギャグすれすれで訳もわからずひどい目に合う小説。いきなりこの小説にチャレンジするのはしんどいので、まずは「変身」か岩波文庫の短編集を読んで、カフカのノリが気に入ったら読むといいんじゃないかな。
読んでいるとカフカがお父さんのことめちゃくちゃ苦手だったってのがびりびり伝わってきて気の毒(カフカは線の細い文学青年、父は叩き上げのビジネスマン。想像できるでしょ?)。お父さんとの関係がこじれている人におすすめ。
最高のダメ人間小説。精神勝利法なることばはどこかで聞いたことがあるんじゃないだろうか。作者は当時の中国人の意識の低さを批判したつもりらしいが、万人に刺さる内容。
ちなみに自分はダメな人間、情けないやつ、どうしようもないやつが大好きなので「指輪物語」のゴクリ(ゴラム)だとか、「沈黙」のキチジローだとかが大好きです。
さえないおっさんが妻の浮気を知りながら一日中ダブリンの町をウロウロするだけの寝取られ小説で(途中で女の子のスカートをのぞいて野外オナニーもする)、このリストの前に出てきた「オデュッセイア」のパロディでもある。
これだけだと何が面白いのかよくわからないのだが、実は当時の反英的な機運の高まっているアイルランドの空気を活写している。それだけではなく小説の様々な実験的手法の見本市みたいになっており、和訳もすごい。たとえばある章では英文学の様々な文体を歴史順に真似て英文学の発展をパロるのだけれど、和訳ではその章は祝詞に始まって漢文になり、漱石や芥川の文体を経て現代小説になるという離れ業で訳している。これがもっと無茶苦茶になると「フィネガンズウェイク」になるのだけれど、すでに言語の体をなしていないのでまだ読めてない。
上記の説明でドン引きしないでください。「ダブリン市民」をお勧めします。
結核療養サナトリウム小説。北杜夫ファンの間で有名な「ねーんげん的」の元ネタ。あらゆる知識を山のサナトリウムで吸収した主人公の運命やいかに! 「ノルウェイの森」で主人公が京都山中の精神病院にこの本を持っていくのは村上春樹なりのジョークか。
ただし、やっぱり長いので美少年萌えな「ヴェニスに死す」か陰キャの悲哀「トニオ・クレーゲル」にまずチャレンジするのがおすすめ。
はまったら「ブッデンブローク家の人々」や「ファウストゥス博士」を読もう。
洗脳エンドのディストピア小説なんだけど、増田で「一九八四年」が古いと言われてしまうんだったらこれはどうなるんだろ。読むんだったら他の「すばらしい新世界」とか「ハーモニー」とかと読み比べて、ディストピアの概念が現実の社会の変化に合わせてどんな風に発展してきたからを考えながら読むと面白いのかも。
未読。長すぎる。
未読。
文学サークルの友人に勧められて読んだんだけど、とんでもない小説だった。あらすじとしては、野望に取りつかれた南部の人種差別主義者が自分の帝国を作るために理想の女性と結婚するが、その女性に黒人の血が混じっていたために離婚して別の女性と結婚することから始まる、二つの家系の因縁話なのだが、時系列がしっちゃかめっちゃかなのでとにかくその男の妄念とその子孫の不幸ばかりがじりじりと迫ってくる。あまりにもすごかったのでフォークナーの他の作品は読めておらず、黒人差別を扱った小説も怖くて読めていない。
未読。
読んだがよくわからなかった。うつ状態のときには時間の経過さえも苦痛で、それを救ってくれるのは音楽だけだ、的な話だったか。とにかく本を読み漁っていたころ、新潮文庫のサルトル短篇集を意味も分からず読んでいたのを思い出す。わけもわからないままヌーベルヴァーグを観ていた頃だ。さっき出てきた高校時代の友人曰く「フランス映画のあらすじはセックスして車で逃げて殺されるだけだ」とのことだが、起承転結に還元できない小説を楽しむようになったのはこの頃からだった。
未読。
短いのですぐ読める。ゴドーはいまだに再臨しないキリストのアレゴリーだという説もあるが、実際のところはよくわからない。意味の分からない話だけど、僕らの人生も結構意味不明だよね、みたいな感じか。
未読。「愛人」は読んだが記憶のかなた。まだ幼くて没落する富裕層とその爛れた愛を十分に楽しめなかった。
どうでもいいが自分が年上萌えに目覚めたのは「海辺のカフカ」のおねショタシーンです。
レムの作品の中では一番好き。たとえ出てくる科学技術の描写が古くなっても(SFだとこういうことはよくある)、理解できない対象として立ちふさがるソラリスという惑星の描写は古びない。
SFは考えうるあらゆる可能性を検討し、人類の達成しうることや宇宙の中での意味について想像力の境界をどこまでも遠くまで広げていく文学だ。中には人類がろくでもない理由で滅亡してしまったり、人間など取るに足りないという悲観的なヴィジョンに至ってしまったりするものまであるが、それでさえ美しい。なぜなら、想像力がヒトという種の肉体に縛られまいと羽ばたいた結果なのだから。
最近SFをろくに読んでいないが、元気が出たらまた読みたいものだ。
初めて読んだラテンアメリカ文学。起こりえないことが起こり、名前がややこしいので誰が誰だかすぐに混同され、しかもそのすべてが意図的である。混乱してもとにかく読み進めてほしい。目の前で起きる不可解な出来事をまずは楽しもう。
慣れてきたら、これが不条理としか言いようのない南米の歴史の縮図だとかそんなことを考えてみるのもいいかもしれない。この本のおかげでボルヘスに、バルガス=リョサに、ドノソに出会うことができた。
一説によるとこの本が文庫化されるとき世界の終末が近づくという本の一つ(未確認情報)。新潮社がなぜか頑なにハードカバーしか出さない。ちなみに「薔薇の名前」にもそうした風説がある。
インド独立の瞬間に生まれた子供たちが全員テレパシーの使い手だった! こんな話があの岩波文庫に収録されるんだから世の中わからない。
主人公は裕福な家で育つが、じつはそれは出産時の取り違えによるものであり、誤って貧しいほうで育ってしまった子供が復讐にやってくる。それも、真夜中の子どもたち全員を巻き込む恐ろしい方法で。
インドとパキスタンの分裂、人口抑制政策、そういったインドの歴史をちょっと頭の隅っこに入れておくと面白いが、昼ドラ的な入れ替わりの悲劇の要素のあるSFとして娯楽的に読める。権力を持った強い女性に対する嫌悪感がほんのりあるのが難点か。
ちなみに、「悪魔の詩」も読んだが、(亡くなった訳者には本当に申し訳ないが)こっちのほうが面白かった。あれは当時のイギリスのポップカルチャーがわかっていないと理解が難しい。
独自の神話的なヴィジョンで有名らしいんだが、邦訳あったっけ?
未読。
卒業旅行でパリに持って行った。たぶん時期的には最高だったと思う。とにかく血だとか死だとか堕落だとか退廃だとかそういうのに惹かれる人生の時期というのがあり、まさにそのときに読めたのは幸せだった。もっとも、所詮自分はそれらを安全圏から眺めていただけだったが。
同じく卒業旅行でパリに持って行った。残念ながらフランス語はわからないのだが、フランスのサンドイッチは最高だった。当時はまだピュアだったのでキャバレーやフレンチカンカンは見に行っていない。
未読。
未読。
ドストエフスキーの作品がカーニバル的、つまり一斉にいろんな出来事が起きてしっちゃかめっちゃかになって、日常の価値観が転倒する、みたいな内容。確かにドストエフスキーの作品は爆弾抱えた人間が一か所に集まってその爆弾が一斉に大爆発、的な内容が多い。
ただ、これ以上のことは覚えていない。実はあまり文芸批評は読まない。
未読。
疲れたので続編をやるかは不明。日本文学や哲学・思想は海外文学ほど読んでないし。まとめてみて、遠ざかっていた文学に久しぶりに手を伸ばしたくなった。
面白くも何ともない話だが、原作否定の多さに辟易する気持ちを吐き出したかった。
なるべく冷静に、客観的に、何なら評論のように書いたつもりだ。
サブカルチャーが発達してどれくらいの年数が経っただろう。
一番に脚光を浴びたのはやはり秋葉原かもしれない。オタク、メイド喫茶、コスプレ、これまで日陰にひっそり存在した物がメディアで大きく取り上げられ、日本のアニメや漫画文化は世界にまで広く知れ渡った。もはやサブカルの枠に留まらない娯楽とも言える。
今日私が主題にしたい同人、引いては二次創作に関しても同じだ。コミックマーケットなどは今やメジャーな催し物。夏コミ、冬コミ、詳しくない人でも単語は聞いたことがあるだろうし朧げながら様子も浮かぶはず。テレビで報道されるからだ。SNSで見る人もいるかもしれないし、ゆりかもめの混雑具合で知るかもしれない。
今、かつてサブカルと呼ばれた物たちはメジャーになりつつある。
胸に手を当てて考えてみてほしい。芸能人がアニメキャラや漫画キャラのコスプレ写真を上げるようになってはいないか。やたらとボーイズラブを題材にした作品が増えてはいないか。腐女子が主人公のドラマが普通に放映されていないか。どこでも手に入るコスプレ衣装、書店に我が物顔で並んだボーイズラブ本、有名俳優や人気アイドルが演じる男同士の絡み、一つくらいは心当たりがあるだろう。
したがって、これまで息を潜めていたカテゴリーが脚光を浴びる時代で、大手を振って楽しめる環境が整ったというわけだ。
私は何もそれらを否定したいわけではない。ボーイズラブ、いいじゃないか。腐女子、いいじゃないか。母数が増えれば増えるほど、良作に出会う確率も跳ね上がるのだし。
かく言う私も腐女子歴は長く、同人活動歴もそこそこの、いわゆるオタクである。ちなみに独身だ。
前置きが長くなったが、私が言いたいのは腐女子や同人作品の数が増えるにつれて蔑ろにされる物が見えてきた、ということである。タイトルに戻った。
ここで言う同人作品というのは、漫画やアニメなど原作ありきの作品に対する二次創作のみに限らせていただく。コミックマーケットなどで毎年スペースを獲得できるような大手同人サークル様やオリジナルで精力的に活動されている方々には何ら物申したいことはないのであしからず。
2007年、と聞いて同人関係で何があったか思い出せる人はいるだろうか。
今でこそ当たり前に存在し、二次創作と切っても切り離せないpixivがサービスを開始したのだ。初めこそ作品数は少なく、今のように漫画を上げる人は稀で一枚絵ばかりの謂わば地味なSNSだったが、2010年くらいからだろうか、個人サイトから移行する人が増えてpixiv隆盛期に入った。今なお衰えない勢いで、新しいサービスも続々と導入されており、私もずっとお世話になっているツールだ。投稿も閲覧も簡単で、二次創作には不可欠だろう。
私はpixivが作られる前から腐女子だった。個人でホームページを持ち、自分の絵や文章をひっそりと投稿していく時代だ。今でも古の腐女子として度々話題に上っているのを目にするかと思う。
若い子は知らないだろうが、一つお気に入りのホームページを見つけるだけでも苦労し、そこから△△受け同好会、愛され□□ランキングといった名前のリンクを辿って、自分の好みを探すといった困難さだ。当然、こうこうこういった地雷が含まれます、などといった注意書きはなく、リンクがカップリングじゃない場合も多かったので左右完全固定の方への配慮などもない。読み始めて無理だったらブラウザバック。これが個人サイトの鉄則である。タグ一つで好きな物が見られる今とは雲泥の差。
話が少し逸れたが、要は今これだけ楽に取捨選択できる環境に置かれているくせに、二次創作に携わる者の文句が多いということだ。慣れとはげに恐ろしきかなと感じるばかり。
時代が違うことは理解している。懐古厨、オバサンは黙っておけと言われたなら黙るしかないだろう。否、私はまだ世間的にオバサンと呼ばれる年齢ではないのだが、念のため具体的な数字は伏せておく。
地雷だなんだ、苦手だなんだ。それはまだ良い。二次創作界隈のクレームとしてはひよっこみたいなものだ。苦手はあって然るべき。必要以上に貶めなければ誰も何も言わないだろう。
私が最も言いたいのは、原作に対する二次創作視点からのクレームの多さ。
ようやく本題に入ったと思った人もいただろう。私も思いました。申し訳ない。
近頃サブカルがサブカルでなくなり、腐女子や同人などの秘めるべきものが大きく取り上げられ、比例して携わる人口も増えている。
だからだろうか、まるで二次創作が本筋だと言わんばかりの勢いで物を言うではないか。そこ退けそこ退け我が推しカプのお通りじゃい!と目を血走らせて叫びそうである。
ここは動物園かと見まごうほどの凄まじさだ。騒がしいことこの上ない。
二次創作は幻覚だ。妄想だ。だから何をやっても良い。当然だ。私もそうして活動してきた。原作にない部分だからこそ二次創作で補完したり、原作ではくっつかないと分かっているからこそカップリングにしてチュッチュさせたりして皆で楽しむわけである。同人誌の発行も萌えの共有。これいいよね、最高だよね、そんなふうに言い合えるときの尊さといったらない。
しかし、近頃はどうも原作ありきということを忘れているように思う。己の見たいものが原作で見られなかったからと言って、平気でアンチのような発言をするのはいかがなものか。
幻覚や妄想を形にするのは自由にやって良いのだ。それこそを楽しむための活動なのだから。
そうして逃げ道が与えられているというのに、何故いちいち文句を言う? 有り得ない、そんなことしない、解釈違い! 全員黙っとれ、である。
原作様にあやかって作品作りをしておいて、よくもまあ言えたものだ。解釈違いと言うのなら、二次創作を目にした原作者こそが言いたいものだろう。
そして、さらに問題なのは、SNSでそういった否定意見が広く拡散される傾向にあることだ。
二次創作はグレーゾーンだ。完全にアウトではないが皆目を瞑っているだけ。盛り上がるのは良いが、検索除けもせずに投稿すれば人目に触れる数は格段に上がる。
原作者様に駄目だと言われたなら、鶴の一声ですべて葬らねばならない危うい趣味なのだと忘れてはいないか? 己らが覇権を握っているのだと勘違いしていないか?
原作はこうだけどこっちのほうが良いと思うのなら、黙って作品に昇華すれば良いだけの話。皆それを待っている。共有したがっている。二次創作の本質とは本来そういうものだろう。
こういったことが頻繁に起きるので、公式様が何かを出す度にこちらはひやひやものだ。また荒れるのではないか。また否定意見に溢れるのではないか。また見たくないものを見なければいけないのではないか。
私はそこそこフォロワーの多い二次創作者だが、フォローはほとんどしていない。見たくないものを避けるためだ。それでも否定意見が氾濫し、流れてくるためにしょっちゅう目につく。推しカプは好きだが、界隈が嫌いでどうにかなりそうだ。
サブカルが市民権を得たこと、人口が増えたこと、容易に投稿閲覧できる便利ツールがあること、SNSの普及や情報社会、様々な要因があるのだろうな。
初めからネットが存在し、SNSの波に乗って生きてきた若者にとってはそれが普通のことだから仕方がないのかもしれない。
それにしても、心が弱すぎだと感じてしまう。同調しないとやっていけないのか。否定で盛り上がってからでないと作品作りができないのか。個人サイトに叩き上げられた歴戦の猛者を見てみろ。面構えが違う。
否定意見に対してさらなる反論をすると界隈が荒れてしまうのは言うまでもないことだ。推しカプのイメージは地の底に落ちる。
歴戦の猛者たちはその心得でぐっと口を噤んでいるだけで、何も思っていないわけではない。
けっして君たちが主流じゃない。原作否定が許されているわけでもない。もう少しだけで良いから視野を広く持ってくれ。
ここまで読んでくれてありがとう。
こんなふうに軽く書いているが、結構つらい。好きな界隈で活動が狭められることの苦しさ。原作が好きだと言ってはならない雰囲気。どう考えてもおかしいだろう。原作が好きだからこそ二次創作の世界に足を踏み入れたのではないのか。
今必死に唇を噛んで黙っている人がいるのなら、貴方は一人ではないよと勇気付けたい。
これを結びの言葉とする。