はてなキーワード: 視線誘導とは
これまでのパーティーと比較するなら、ふんぞり返ったおっさんと目が¥マークになった女性達の狩猟場みたいな印象を抱いていたが、双方そこまで気合は入っていなかった。
欠席者は各一名ずつ。待たされる。
コンタクトがやたら痛くて目薬さしてた。
9:限界までおしゃれした吉田沙保里。似てますね!って言ったら銀メダルにされると思って耐えた。話してみると武骨なイメージとは違って話しやすく、好印象をつけた。
10:無職。都会から結婚して来たが離婚してここに残ってるらしい。タリーズのチョコなんたらが好きらしい。三十半ばの年齢に対して幼い印象。あとやたら受け身。話しかけられるの待ち。
11:なんとかキリコの漫画に出てきそうなデザインの顔立ちと髪型。ダルそうな料理人。性転換したらチャラ男になる感じ。フリートークでやむなく話すが、初対面と話すの大変とぶっちゃけてた。
12:シンママ。子供は九歳の男の子。子供はサッカー大好きでお尻以外真っ黒に焼けてるそう。アフリカの子か。お母さん自身も黒め。会社員。
13:シンママ。子供は九歳の男の子。子供はサッカー大好き。あれ? さっきの人と同じじゃね?と思うがどうやら知り合いでもなんでもない様子。化粧と雰囲気的に明らかにお水。
14:パチ屋の事務。胸の開いた服で視線誘導。幼少時育った場所が俺の赴任先と近く、豪雪話やようやく達した文明の光ことコンビニの話をする。フリートークでも話したが会話内容忘れてて御免。
15:邦楽師範免状持ち。まあ若い方。邦楽話で割と話せた。我の強そうな顔だがまあまあの容貌なので好印象つけた。
16:みごとに覚えてない。
17:欠席者の席。俺の隣の奴も欠席だったので、相手のいない者同士16番と斜向かいで気まずい数分間を過ごした。だが16番本当に覚えてない。
1:みごとに覚えてない。
2:やたらきつい顔立ちを黒のブラウスとパールのネックレスでやわらげた茶髪ロング。許可を求められてから名前を控えられた。多分常連。スキンケアに苦労してそう。比較的好印象。
3:太めだが小動物系印象にうまく転化できてる感じの三十代。会話の印象もやわらかい。比較的好印象をつけた。
4:出席者の中で一番美人。上戸彩。の肌を黒ずませ鼻に黒子つけた感じ。まあ十分にかわいい。会話運びも上手。病院の管理栄養士。医者捕まえられるレベル。
5:院内薬局の薬剤師。というかこいつらなんで職場関連で医者捕まえずに、遠方のパーティーなんぞわざわざ来てるのか。人脈作りか何かですか。むしろお仕事の延長ですか。
6:みごとに覚えてない。山奥出身で豪雪話をしたような記憶がうすぼんやりと。
7:出席者の中で二番目に美人。ストレートのロングヘア、ピンクの上着、長身。顔立ちも整ってる。33。名刺出して大手勤めをアピった。
8:年齢欄に記入がないという恐るべき所業に出たババア。こうしたレギュレーション違反クソ女がたまにいて、運営も普通に見過ごすのがXO(伏字)のダメな部分。厳密に職種訊かれたが濁した。
好印象は47915につけたが、向こうからつけられた好印象は11のみ。まさに俺を好きなのはお前だけかよ状態。
フリートークは47を狙うがまず初めに4狙いに動いたのが裏目と出て、結局どちらとも話せず終わった。
最終投票は47923。何で15を外したのかって話だが、単に席の位置の関係上15が見えずにカウントから外れ、そのまま時間に追われて記入したためだろうと思われる。
結果発表。17対17で7組成立だからこの手のパーティーじゃかなり率高い方で驚いた。
俺か? 成立しなかったに決まってるじゃないかね。
パーティー後は痛みのぶり返してきたコンタクト外して、野良の子達に餌あげに行った。
普通に17匹くらい出てきた。
いやまったく、こいつらには1対17くらいでモテモテなんだがな。
以上。
まず、絵が下手でも面白いマンガがある、ということは絵の上手さは関係ない。
じゃあ、ネームっていったい何なのか、ものすごく抽象的に言えば、それはいつ、どれくらいの情報を見せるか、という技術。
マンガに限らず、面白い話には、適切な情報を伝えるための定型がある。
視線の動かし方で、読者に気持ちよさを伝えられる。単調な画面は(多くの人にとって)つまらない。
気持ちよく視線を動かし、肝心な箇所では気持ちよく情報が入ってくる。これがマンガの面白さの基本だ。
マンガでいう情報とは、キャラクターや状況・世界観の説明だったり、話の展開など。
後からいろいろな技法でこれらを装飾はできるが、まず基本のこの部分ができていないとつまらない結果にしかならない。
ネームより前の基本段階に設定とかテーマとかいろいろあるじゃん、ていうのは面倒くさいのでナシで。
あと肝心の「絵」も情報なのですが、これは複雑すぎるので省きます。
(レイアウトはどうか、ベタ・空白の割合は、線の太さ、ストロークの数は、トーンは、、、)
要するに上記の、「いつ、どれくらいの情報を見せるか」の方法がぜんぜん違う。
マンガはアニメと違って、ただ見てるだけでは話が進まない。読者自身がコマを順番に追い、ページをめくって、物語を組み立てていく必要がある。
そのためには、読者に対し、ページ内でどういう順番でコマを見ていけばよいのか、コマの中の情報はどう受け取ればいいのか、わかりやすく示す必要がある。
マンガ家は普段からこのことに心を砕いているが、アニメやゲームの作者は違う。彼らは、アニメやゲームでの情報の見せ方に心を砕いてきた人たちだ。だから違和感が出る。
マンガは視線の快楽と書いた。では読者の視線はどう動くか、どう動けば気持ちいいか。
視線がどう動くかは、基本的にコマ内のポイント、表情や台詞、擬音などの「点」を順番に見る。
ちなみに視野というものは広いので、どこか一点のポイントを見ながらも、同時に次に視線を動かす先のポイントを探している。もともと視線はスムーズに動きたがっているものなのだ。だから、これらをわかりやすく見せる必要がある。
また、視線の角度(ポイントの配置)がゆるやかだと時間を長く感じ、急だとすばやく感じる。
だからアクションシーンでは鋭角に、会話や日常シーンでは鈍角になるよう視線を誘導する。
このように視線誘導と情報の提供が一体化されることで、読者はマンガを楽しく読めるのだ。
見開きの場合、マンガのページは右ページの右上から話が始まり左下に情報が流れる。そして左ページの右上へ続き左下に流れ、ページをめくらせて同じことを繰り返す。
ページの流れと同様に、コマ内でも情報は右上から始まり左下に行く。
だから、左ページの一番最後の、ページをめくらせるためのコマは、話の次の展開が気になるコマにする。
そして右ページの一番最初のコマは前のページからの流れと、そこから展開が続くコマにしなければいけない。起承転結の「結」と「起」。
そして途中から見てもある程度内容がわかるように、最初のコマ(または複数コマ)は5W1Hが(最低限)わかるコマになる。
マンガは1ページ5~7コマが基本。1ページ5コマと仮定した場合、見開きページでは1コマ目が「結」「起」、10コマ目が「転」になるようにコマごとに情報を振り分ける。
(ここでいう起承転結とは、物語内のサブエピソードやシーン毎の小さな起承転結。これが連続して大きな起承転結になる)
ネームとは、いつどれくらいの情報を見せるか、ということだと書いた。では適切な情報量の目安は何か。
リズムのずれた音楽は聞いてもらえない。マンガも同様。他のメディアも同様。話はリズムが大切だ。
しかし、音楽や映像と違って、マンガは読者の時間を支配できない。
そこで視覚情報の多寡でリズムを作る。リズムのある文章、の絵バージョン。
そしてリズムは一定では退屈で、バランスを考えアクセントも入れる必要がある。こうして大まかな情報量の配分が決まる。そして細かく検討していく。
アクセントにする箇所は他と差別化するために、情報を増やすか、逆に情報を搾る。
大ゴマの場合、前のコマは小さくしてアクセントを引き立たせる。密度の高いコマの前は密度を少なくする。その逆もまた然り。
これらを先ほど書いたページの内容に合わせて配置する。こうしてコマ割ができる。
長々書いたが、超大雑把にこんな感じだということです。
また単純にネームの話にしても、物語情報の部分は上手くいってても、レイアウトや絵の選択を間違える、とかいろいろあります。
(「驚愕のシーンで顔のアップ」という場合、どの程度のアップか、絵の密度、キャラの視線の向き、汗の位置、台詞の有無、など)
そうなってくると、もう複雑すぎてわけわかんなくなるので、個別に作品を掘り下げていくしかないです。ただ、そういう「絵」の情報の選択の基礎になるのは、やはりネーム(何をどう伝えたいか)です。マンガ家によってもネームの扱いが違ったりもしますが。
漫画の絵の動きについて、いろいろ話が絡み合って切り分けができていないと感じたので、趣味でイラスト描くくらいの素人ですが書きます。長いです。
漫画において「動いてるものを描ける」ことと、漫画としてそれが「動いて見える」かは別物です。
安彦氏に関する話ではそこがごっちゃになっていると思います。
「Cコート」は読んだことないですが、この画像の右ページについて。
ページを開いて右上からデカイ男の身体に沿うように目が行って、ドドドの効果音と脚に視線が流された瞬間に次のコマのテニスラケットに目が行きます。視線誘導で読者の視線を巧みに操る中で大胆にアクションを展開させ重量感とスピード両方を表現してます。
この絵に対しても動いていないと感じる人もいるでしょうが、普通の認識で言えばとても躍動感がある画面で、多くの人が動いていると認識するに足る画像と思ったのですが、いかがでしょうか。この画像は動いて見えてもほかの絵では動いて見えない、という場合、それは作者の意図なのでまた別の話だと思います。
とりあえずこの画像だけで安彦氏は動いて見える絵を描ける、と言い切ります。
氏は絵が上手いしアニメーターなので「動いてるものを描ける」のは当然です。それだけではあれなので、もう少し詳しく書きます。
某ブログにも出てきた「リアルなキャラクターを描くためのデッサン講座」では動きは4サイクルエンジンに例えられ、それぞれ「吸入」「圧縮」「爆発」「排気」と分解されています。
アニメーターである著者の西澤晋氏は絵に躍動感を与えるには「吸入」「排気」が大切で、安彦氏はそれを描けると書いています。
これは主観でもなんでもなく、ただその絵が描かれているか、の事実でしかないので、この判断を保留する人がいるのが謎です。上の画像で言えば左ページの飛び込んでる女の子は「排気」です。他にも、氏の漫画をパラパラめくると「圧縮」「爆発」のようなはっきりしたポーズではない動きがたくさん描かれていると思います。簡単に言うとそれらが「吸入」「排気」です。
アクションのメインである「圧縮」「爆発」は描きやすいのですが、それだけが描かれた漫画に人はあまり躍動感を感じません。「圧縮」「爆発」は止まっているポーズにも見えるので、(実際静止した状態でそれらのポーズをとることができるものも多い)それらを羅列しても、止め絵の連続にしか見えないのです。ちょっと失礼な例の出し方ですが、池上遼太郎氏などはこの典型です。
人間は描かれた絵の前後の動きを勝手に想像します。様になりやすい「圧縮」「爆発」を描くより、動きの予兆を感じさせる「吸入」の方が、見る人の想像力が刺激され絵に生命力を感じます。ギリシャ彫刻などいい例ですが、あれらは「歩き出す手前」「腕を上げる手前」などの一瞬をかたどっているため、彫像を見る人はそこに見えざる動きを感じ取り「まるで生きているよう」と評します。(絵画などで寝そべっているポーズでも、呼吸やかすかな動きのタイミングを切り取って生命感を与えています)
ちなみに動きの直前を描くと生命感が宿る、というのは上記のように絵を描く上や生命を表現する上での基本中の基本です。ただ、デフォルメされた漫画絵で微々たる動きの呼吸の「吸入」「排気」を表現するのは難しいので、もっぱら大きなアクションで使用することがメインになります。(「吸入」「排気」と呼べるかは判りませんが安彦氏は叫んだり、大きく息を呑む動きの絵に特徴があったります)
http://www.suruga-ya.jp/database/pics/game/185021560.jpg
漫画ではありませんが、この絵なんかも人物の呼吸が伝わるすばらしい絵だと思います。
じゃあみんな「吸入」「排気」を描けばいいじゃん、と思うかもしれませんが、それが難しいのです。そもそも絵を描く人間としては、やはり人物に「圧縮」「爆発」のようなポーズを決めさせたくなるものです。それが、中途半端な動きである「吸入」「排気」の絵を描くと、残尿感のようなものを覚えてしまうのです。
また、漫画内であるひとつのアクションをする人物を描くにしても、人間には間接が無数にあり、それらが常にひとつの動作を指向しているわけではないのです。
バットでボールを打つ動きにしても、腕はバットを振っていてもボールが当たれば指はバットを放さなければいけないし、踏ん張っていた足も次は走り出さなければいけません。本当はもっと細かいのですが、それらひとつひとつの「吸入」~「排気」の要素が複雑に絡み合っているのが、一つの「動き」なのです。漫画のコマ内には流れる時間が存在し、決して一瞬を切り取ったものではないので、時間軸が同一コマ内でも違っていることがたくさんあります。そこに上記の要素も加わるのです。
いちいちこれらのことを考えていては、連載のスピードで漫画をかくことができないのでどうしても類型的な絵になります。そうなると、「吸入」「排気」の絵を描いていても、どこかでポーズをとっているような硬い絵になってしまうのです。このような中で自然に「吸入」「排気」の絵を描ける、というのはすごいことなのです。
(いしかわじゅん氏がどういった意図で発言をしたのかわかりませんが)上記のように安彦氏は動きのある絵を描けます。(多くの人が動いている、と認識できる絵を描いていると個人的には思います)しかしそれでも「安彦氏のこの絵は動いていない」「ほかのこの漫画より動いていない」など思う人があったら、それは意図的にそう描いているのですから、安彦氏がなぜそのように描いたのか考えてみるのがいいのではないでしょうか。というか、僕には動いてるようにしか見えないので、どう動いて見えないかを増田あたりに書いていただけると助かります。(これすごく大変だと思いますが。。)よろしくお願いします。
そういや大友克洋美少女描けない問題のことも思い出したんですが、なんであんなに絵が上手い人が美少女程度を「描けない」と思う人がいるのかが判りません。結局、みんな自分が好きな絵が上手い絵、嫌いな絵が下手な絵って認識なんでしょうか。これ、自分もやってしまう間違いなんですが、好悪と上手い下手は別です。自分にはそれがわかるなんて思わないことが大事なんだなと最近思います。勉強が大事です。
長々ありがとうございました。本当は、漫画の絵が動いているとはどういうことかを視線誘導メインで書こうと思っていたのですが、思ったより長くなってしまったので別の機会に書きたいと思います。
http://anond.hatelabo.jp/20141102082350
安彦氏は動いて見える漫画を描けるか、ということを証明するために貼ったリンクなので、とりあえず右ページが動いて見えるならよしと思って貼りました。左ページについて言えば確かにスローに見えますが、写っている右ページの下段にもコマが見えますし見開きのノドも完全には見えてないので、個人的にはここらへんで左ページにつながる何らかの描写があるのではと勝手に考えていました。
はてブのリニューアルのときは「色彩ガー視線誘導ガー」とデザインのせいにされていたけれど、
たとえUXの専門家を入れて設計したデザインであっても、以前と違えばユーザーは文句を言うってことだよね。
結局「使いづらい」じゃなくて「使いこなせない」なんだよ。
http://anond.hatelabo.jp/20130402144739
まーだデザインのせいにしているノイジーマイノリティがいるよ。
新アプリを不満なく使う「サイレントマジョリティー」も多いのだ。
このあたりと同じ問題だよね。
遠隔操作だと録画予約もできない。
それは遠隔操作が悪いのか?
タッチパネルが悪いのか?
いいや、それを使う人間の問題だよ。
多分この人だと思うんだけど
俺ちょっと前にこの人かこの人によく似た人に絡まれてさあ。
その手の口喧嘩としては珍しく勝敗がついて(俺が勝った)相手がいなくなったんだけど、
そしたら猛然と「この口喧嘩はどっちもお前が書いただろう、自作自演だろう!」って絡んで来る人が現れてさあ。
さすがに
「そんなことして俺に何の得があるんだ」
「だいたい動機を抜きにしても、俺の文と相手の文は全然違うじゃねえか、
同一人物と思える類似点があったとかいうなら面白いから教えてくれ」
というような反論をしたら
ゴニョゴニョ言いながら消えちゃって
結局「自作自演と見破った確証」は出してもらえずじまい、
っていうことがあった。
いや、ここで自作自演してる奴がいないとは言わないよ?
でも合理的な自演の例ってたとえば
・口喧嘩で反論に窮した側が第三者を装って自分に加勢、相手へ人格攻撃する
・ホッテントリ狙いで自信作投下した人が上手く注目集められなかったので自分でトラバしまくって元記事に視線誘導する
とかそういうのでしょ。
ほんとにただ、くらだない口喧嘩してるだけでさ。
で、自演だと思った理由だけは答えてくれたんだけど
…そんな状況は
誰か数名が延々口喧嘩をしてれば容易に、ていうか必然的に出現するよね?
俺と相手以外には何の重要性もないゴミツリーだからブクマがつかなかっただけじゃん?
マジで頭どうなってんのよこの人。
自分だったらの話で。
キャラクターを目立たせたいのに、背景に目が行ってしまう(背景に邪魔される)のを嫌う。背景だけがいいなどと評価されたくない。
キャラクターを描くときはイメージを持って描くので、そのイメージが変わってしまうと困る(逆に、面白い作品が出来る可能性もあるけど)。
パースをきちんと取った背景を描かれると、キャラクターのバランスの狂いがモロバレ。いい加減に描いているのが丸分かり。
絵の中の軸構造、対称・非対称、場合によっては視線誘導を考えてあるのに、背景を書き込まれることでバランスを崩されると困る(などと本気で言えるほど上手くはないけど)。
こんなところでしょうか。
互いにガチ(とことんダメ出しOK)でやるか、互いにゆるゆる(評価?なにそれ?)でやるか、どっちかに振れれば上手くいくかも。