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2013-05-07

http://anond.hatelabo.jp/20130507173407

お前関東人じゃないだろ。武家の本場なめんなよ。

東京都にはもうかなり長く住んでいますが、確かに江戸っ子じゃありません。
武家関係あるなら二十年前もいましたか

http://anond.hatelabo.jp/20130507112833

http://anond.hatelabo.jp/20130507112833

 成人としての責任が、今の男子は昔より10年くらい遅くなってるっていうのは非常に賛同。

 で、それ以外の部分でチラッと気になったので追加記入。

 江戸時代町人男性のうち、4人に3人だか3人に2人が一生童貞だったんじゃなかったかな? 手元に資料が無いのですが、杉浦日向子さんがどこぞで書いていらしたはず。

 一方女性はほぼ全員(売り飛ばされる&強姦も含めて)生涯一度も性的経験が無いってことはほぼなかった。ぶしゃいくでも人数少ないから、それなりに需要がある。

 「結婚」という概念儀式があるのは武家武家のまねをできる金持ちだけで、町人は「一緒に住んでる」「あ、こどもができたから、夫婦ってやつ?」程度の認識

 家同士のつながり? 田舎から出てき二人にそんなものはないヨ。そもそも田畑なんて男の子ひとりしか継げないんだから、複数生まれた男子の残りは、土地所有なしの労働力としてなんとかしないと結婚どころか食い扶持もないんだし。

 働き口は女性もあって、飯炊き女だけじゃなく、レンタルふんどしふんどし洗濯する、旦那が売りさばけなかった野菜料理して惣菜を売る、などなどサービス業ならばやれることは結構あったらしい。

 だから男と暮らしてもいやなら出て行ってどうにかなっちゃったりする。

 一方こどもをたくさん生むのはたくさん「こどもが」死ぬから七五三が「その年までしななかった=あとは割りと長く生きられる」っていうお祝いなくらいだからね。3歳=数え年から今の2歳だからね。

 あと成人してもポコポコ死ぬのは病気や怪我が治らないから。風邪肺炎コース=死亡だったらすいし。特に町人と農民、貧乏士族も。戦争が無くても平均寿命50をなかなかこえられなかった、ってのは中学とき社会科先生が言っていた。

 で、江戸時代女がこどもを早く生むって話にもどると、

・男は12~15くらいで一人前になる

町人or農家の次男以下だったら賢くても12くらいで丁稚奉公に出る

・次男以下っていうけれど、子沢山だから次男以下のほうが多い。

仕事がデキても、嫁もらえるとは限らない

・男は金がなければ一生童貞もあり

乳幼児はポコポコ死ぬ

医療が受けられなくて、インフルエンザ流行ればポコポコ死ぬ、怪我でもポコポコ死ぬ

っていう時代背景もあったわけで。

 江戸時代例にだす男の人は、そういう社会でオトコとして生きてみたいのかな~って毎度のことながら思うわけです。はい

 

2013-03-28

http://anond.hatelabo.jp/20130328153324

貞操観はユルくなるよな

昔は婚前交渉さえ駄目だったわけだけど

つの時代と比べて言ってるのかわからんけど、少なくとも日本では、昔は貞操観念が厳しかったってのはないね

婚前交渉や事実婚だって普通にあった。

夜這いや、村の実力者が生娘を~って習慣も田舎では実際にあった。

銭湯しかり、混浴で乱れすぎたり。

武家だって普通に再婚とかしてたしね。

婚前交渉でさえダメだった、ってのは、どこの国のどの時代の、どの身分の人たちの話?

2012-07-11

http://anond.hatelabo.jp/20120710204208

実際命乞いを許して天下の座から転がり落ちた武家の一門の話がある以上、実例として挙げている話題自体は「教育上良くない」と即断しかねる内容ですが、まぁそれは別の話として……

「規則でこう決まっているか教育上よくない」という発言自体が幼児教育上あまりよろしくないように感じるのですが。たぶんお子さんはCEROの対象とする17歳以上ではないでしょうし、こういうことをやる奥さんもCEROが対象としている17歳以上ではないような気がしますが、「ダメものダメ、規則で決まっているんだから」という理由しか提示できない元増田CEROが対象としている17歳以上ではないように思えます

2012-06-08

なぜ明治の大礼服は洋装か

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%A4%BC%E6%9C%8D

明治維新西洋文化摂取の一環だよ、で十分な気もするけど

律令制名前の復活みたいなこともやったひとたちがすんなり洋装をうけいれたとも思えない

にしても、なんかしら軋轢みたいなものはあっただろう、と思いwikipedia

1.新政府公家出身武家出身とまちまちでそれぞれに恰好が違った

 さらに指揮すべき軍隊のなかには、洋式化された洋装のものもあった

2.公家ふうにしようとしたら武家の反発にあった

3.こんな内勅が出た

このような混乱を収束するために、明治4年9月4日(1871年10月17日)、「服制改革内勅」[注 1]が出された。この内勅は従来の服装に拘る華族に対するもので、衣冠などの服装は軟弱であり、神武天皇神功皇后の頃の姿に戻るべきとしている。この「神武・神功の頃の姿」とは「筒袖・細袴」を意味しており、洋服もまた「筒袖・細袴」であり、洋服は日本人本来の姿と相通ずるものである示唆している。そして、“神武創業”の精神に立ち返って新しい服制を創造しようと呼びかけている

すごいな!

2012-01-23

http://anond.hatelabo.jp/20120123233353

それは武家だか公家だかだけで、庶民は関係ないけどな

キリスト教では婚前交渉はモーセ十戒のいう姦淫にあたるそうな

おそらく今の日本における婚前交渉の禁止はキリスト教の影響のほうが強いと思う

2011-12-20

http://anond.hatelabo.jp/20111220015057

戦国時代勘違いしてない?

江戸時代武家最初は基本的に初婚同士で、その後はやもめと男やもめをくっつける感じだったと思う。

http://anond.hatelabo.jp/20111220014425

江戸以前も武家には貞操の概念があったよ。

中流以下が乱婚だっただけで。特に働き手を必要とする農家

2011-09-23

http://anond.hatelabo.jp/20110923160022

俺的には、そういう考えしている人がいたって構わないけどな。

ライバルが減るから大いに歓迎するよ。

今の世の中、

初恋相手が自分に巡ってくるなんてことが

小学中学高校生なら大いにありうるけど、

大人まで...は難しいんじゃないかなぁ。

女子校の子なんて、共学校よりかえってマセてたりするし。

可能性はゼロじゃないだろうから希望は持ってたらどう??俺は、そんなこだわり御免だけど。

乱交?の懸念があるとすれば、性感染症子供を大切にしなくなることだね。あと男への変な先入観か...

ちなみに

男尊女卑みたいなのは明治時代から盛んになったんだよ。欧州産業革命以降だな。

それより前は、武家系統くらいじゃないかな?ちなみに江戸時代再婚も多かったんだよ。

から人類の基本が一夫一婦だなんて決まったものじゃないんだ。

いいこと教えちゃったね、俺。

2011-04-12

湯涌温泉花咲くいろは招致は正解?だったのだろうか(成功or失敗?)

花咲くいろは聖地となった湯涌温泉に先日行ってきた。個人的には非常に印象が良い温泉街であったが、この温泉街が抱え持つんじゃないだろうかという悩みも分かったような気がしたため、あくまで一観光客の暴論ではあるが書き留めることにした


まず、湯涌温泉街に入ってすぐ抱いた印象は、ここが上品な「静かさ」を持つ温泉街であり、こうした選好を持つ個人客向けにぴったりな温泉街だろうなというものだった(一例とすれば、温泉街にありがちな射的や場末的バーがない)。これは私個人とすれば、この温泉街に希少な強みのように思え、この「静かさ」を壊しかねないアニメファンの流入をなぜ許そうと思ったのか?ということが非常に気がかりであった。

詳しく言えば、うらぶれていない「静かさ」というものを湯涌はブランド価値として認識しているのだろうか?そもそもそれを、ブランドとして認識しているのか?次に認識しているとしたらなぜいろは招致を行ったのか?そのリスク管理をきちんと計算しているのか?というのが気がかりであった。


さて、観光業もまた普通産業と同じように、投資のリターンを得る産業である。簡単に言えば、高山鉄道を作ったり、そこに歴史ロマンがあるのだというアピールをしないアルプスは単なる険しい山だ。観光地PR宣伝文句自体が、宣伝文句と同じブランド意識を作るのであり、ブランドイメージは絶え間ないPR戦略によって形作られる。では、湯涌が長年投資してきたブランドイメージとは何か?

湯涌温泉観光協会によれば、湯涌温泉ブランドというのは、「名湯がある静かな温泉街」であろう。湯涌温泉は、このブランドイメージのために投資を続けてきたのであり、それは後述するように恐らく成功しているといっていい。

問題は、こうしたブランド花いろ招致が傷つけるのだろうか?という点にある。しかし、これは表層的な次元の話なのでもう少し深い次元についての話をしてから述べたい。つまり、そもそもなぜ、「名湯がある静かな温泉街」というブランドイメージから通常、広告を打つべ20代以上女性層、30代以上男性層ではない層に宣伝したのかという話である。「名湯がある静かな温泉街」というブランド自体に湯涌温泉側が価値を見いだせなくなっているのではないか?これが極めて重大な深い次元での問題である


湯涌温泉経済状況ははっきり言って分からない。以下、本項では一般的な温泉街へのイメージであるやや経済的に苦境に立っている温泉街というイメージを湯涌に勝手ながら当てはめる(潤ってたらすいません)。つまり、「名湯がある静かな温泉街」では競合他社が数多く存在し、このため他にもう一つアピール材料が欲しいともがく湯涌温泉、そもそも「名湯がある静かな温泉街」というブランドに魅力があるのか怪しんでいる湯涌温泉というイメージである

繰り返しになるが、一観光客として湯涌温泉の魅力として感じたのは、「静か」であることであり、団体旅行客向けと一瞬で分かるような老朽化した大型ホテルがないという2点だった。湯についてはその効能が他の温泉と何が違うのかよく分からなかった。ただし、白鷺の湯の盛況ぶりを考えれば地元の人々に非常に愛されていることが分かり良いお湯なのだろうということは分かった。「名湯がある静かな温泉街」というのは、概ね成功しているようである※1。


であるが、やはり「名湯がある静かな温泉街」のみではメインターゲットである宿泊客は集客できないという判断があったのだろう。そこで、湯涌には「名湯がある静かな温泉街」以外のアピール材料として、それは夢二館と江戸村を設定しているようであるしかし、夢二のアピールはそれが単独温泉街を支えられるほどの魅力かはあやふやなものであろう(東京美術館があり、生まれ故郷宣伝し、他の温泉街でも夢二アピールする場所があり、そのなかでなぜ湯涌が選好されるのかは分からない)。江戸村は総花的な江戸時代博物館となってしまっており、金沢の奥座敷というブランド宣伝と違ったファミリー向けの平凡な教育施設となっている。夢二館と江戸村も既存宿泊客(リピーター)に害をなすような施設ではないため加点要素は少ないが減点要素はないのは幸いとはいえる。とはいえ、とどめをさすようで気が引けるが、web上にある湯涌温泉MAP(事前の予習に非常にお世話になった)を見ていただきたい。右端には大正ロマンの街散策と書いてある一方、左端には武家・街やゾーンがアピールされている。これでは何を見ればいいのか分からない。湯涌の自己意識の分裂ぶりが明瞭に映し出されていると言っていい(もちろん、江戸時代から明治大正につながる構成になっていれば文句ないのだが江戸住宅と夢二に大した関係はない)。

結局のところ、現在湯涌温泉の獲得している資源とは、「静か」であることと「うらぶれていないこと」である。「名湯がある静かな温泉街」というブランドイメージは一応確保していると思われるが、メインターゲットである宿泊客をひきつけることに成功していないのではないだろうか。白鷺の湯目的で来るような人間の訪問時間を増やそうという目的があるだろう夢二館、江戸村は、しかし、一泊させることにはつながっていない。どっちとも見ても温泉に入って日帰りで帰れてしまう。いろは聖地巡礼も同じである(それでも、日帰りでくるような客層はファミリーであるため、「名湯がある静かな温泉街」というブランドは大して傷つくことがなく、メインターゲットである宿泊客に不快感を与えることはおこらなかったはずである)。

勝手な憶測だが湯涌温泉とは、メインターゲットである宿泊客が減少する中、これを「名湯がある静かな温泉街」というブランドイメージのみでは防げないとして、新たなアピール材料を探しているが既存の施設(夢二館、江戸村)では十分に成功していないという温泉街なのではないだろうか?そこにアピール材料としての新候補としてやってきたのが花咲くいろはである


では、ようやく元に戻る。さて、この「名湯がある静かな温泉街」というブランド花いろ招致は傷つけるのだろうか?はっきり言うが、現状のままならば傷つけるに決まっている。4月9日の配布イベントだが、あれを宿泊客が目撃したらどう思うだろうか?あるいは爆音をならしながらバイク聖地巡礼をする人間について宿泊客はどう思うのか?しかし、これは湯涌温泉としては当然予想できたことである。問題なのはブランド価値を傷つけるリスクを負ってまで花いろを招致したことに、どのような意図があるのかということである

1つは、メインターゲット自体を変えたいということが考えられる。つまり、宿泊から日帰り客に客層をシフトさせたいという意図が考えられる。「静か」というブランド価値がもうないと判断しているという可能性がある。もう1つは、花いろ招致は、今までと同じような単なるPRの一つに過ぎないと湯涌温泉が考えており、それがブランド価値を減ずるものと分かっていないという可能性がある。あるいは、ブランド価値を減ずることは分かっていも、新規客層の増加のメリットの方が大きい(騒ぎも半年もすれば収まる)と判断している可能性がある。

第一の可能性の場合、今のところ湯涌温泉に落としそうなお金は個人につき1000円以内だろうということが予想され、この単価引き上げが急務だろう。サイダーは温泉側にとっては最悪な商品になりかねないことを肝に銘ずるべきである。1本200円のあれ(店だと189円でした)は瓶そのものもお土産としての価値があるため、食べ物+グッズという選択肢を見事に消してしまえている。いろはにおいてはグッズ問題は解決するはずだが、日帰り客にシフトさせたいのならば単価引き上げは急務だ。白鷺の湯の規模的に日帰り客を狙うことはあまり考えていないように思える(あたらしや、やました戸田屋では日帰り客を狙った展開を考えているようである。このアピールはもっと強調してもいいだろうが、現時点では諸刃の刃認識されているのか扱いがいまいち見えない)

第二の可能性の場合はかなり末期的であるしか言いようがないので考えないことにする。

最も考えられそうなのは、第三の可能性、一時的にブランド価値を減ずることは分かっていも、新規客層の増加のメリットの方が大きいという判断である花いろの良いところは視聴層が10代、20代と非常に若いため潜在的顧客を長く保てるという点にある。このため長期的に見ても、花いろ招致はプラス面を強く持つだろうことは予想できる。しかし、それでもだ。既存客にダメージを与えるマイナス面にはやはり注目すべきであり、この管理もまた重要はないだろうか。マイナス面についてはもっと慎重に考えるべきではないだろうか。長年投資してきた「名湯がある静かな温泉街」というのは意外に貴重である可能性が十分あり、現状のリピーターを奪ってしま可能性は深刻なものと受け止めるべきである

では、湯涌温泉花いろについてどう対処すべきなのだろうか。答えはシンプルであり、少しでも不快な事態が起これば、PAワークスにすぐ苦情を申し立てたり、出来ればファン向けに何らかの注意を呼びかけるべきであるバイクについては深いところまで入れるべきではないだろう。イベントについては他箇所に譲る、あるいは、逆に大々的なものにしてしまいファンではない他の客を一笑に付させてしまうのが良いと思われる。湯涌温泉に分かっていただきたいのは、作品を愛するアニオタの敵は、その作品世界観を壊そうとするアニオタであり、激しい同族嫌悪が我々の特徴であるということである。そして、このアニメは作品を愛するファンを数多く生み出すことが予想できるのだから過剰反応と思われない程度には警告を発し続けるべきである(出来るだけマナーを守るファンとそうでないファンを分断させるような方法で)。


さて、長くなったが、まとめると、

花咲くいろは朝ドラ昼ドラ的なものをアニメ移植させ新しい科学反応を試すという冒険作であり、いわゆるアニメとは違ったアニメになるだろう(信者的目線では)。しかし、それはアニメを見ればの話であり、アニメを見ない層からはいわゆる深夜アニメしかない。

湯涌温泉が長年投資してきたブランドとは、「名湯がある静かな温泉街」であるが、名湯はアピールしきれておらず、「静かな」は花いろ信者の来訪によって傷つけられる可能性がある。

花いろ効果は②のマイナス面を打ち消して余りあるものになると思われるが、それでもマイナス面については慎重に考慮すべきである。苦情を言ったところで、それはファン間の内ゲバになるだけで、ついてくるファンは数多くいる。

④そもそもこうしたブランド価値を傷つけかねないPR誘致を行った原因についてはきちんと整理するべきであり、湯涌温泉ブランド戦略について徹底的な議論を重ねるべきである

⑤とりあえず、日帰り客は大してお金を落としていないので、客単価を引き上げる行動をするべきである



以上の事を、先日感じました。物事にはプラス面とマイナス面があるのは当然なことですが、今回の場合、そのマイナス面が湯涌温泉投資し続けてきた資源を傷つけかねない(元々観光地で生計を立てていたというところが鷲宮等と決定的に違う)のが気がかりです花いろ誘致は大正解だと思いますが、慎重に取り扱ってほしいなと。ま、アニオタ専用温泉かに開き直るのもいいのかもしれないけど、個人的にはそうなったら行きたくないので。






※1

個人的には、この路線の徹底的な深化が議論に上がったかどうかが非常に気になってしまう。先ほど述べたように、湯がどれほど良い湯なのか一見でも分かるようにアピールし尽くせていないのは問題である。本当にいいお湯ならば、どういう比較優位があるのか等アピールし尽くすべきであろう。湯が本当に良く静かならば、高価格路線(現在の湯涌は中価格)でも全く問題ないはずだが、この可能はなかったのだろうか。あるいは、金沢駅から立地が近く、それでいて静かな温泉というのは相当貴重なはずであり、立地の優位を生かして個別・ファミリー別に送迎するなど中価格ながら高品質サービス提供するのも手であったはずである

2011-03-22

いまさら例の批評家が腰抜け呼ばわりされることについて

思想がどーこーにいまいち興味ないからあの人物含め思想クラスタを深く知らないが

彼のツイッターでの他人への物言いなぞちょっと見てれば

器量や肝っ玉がちっちゃいことぐらいすぐわかる

本人がそれを認めたがってないことなんかも


震災でのマッハ疎開やその後の見苦しい言動やを受けて

「こんな人だったなんて」とか今頃言ってる奴が本当見てらんない

そんな人である事は全く知識無い状態からでも10ツイートもなぞればわかる

からないのはただのあきメ○ラで、目の前のものをきちんと見てないだけ


社会思想とか批評とか難しい理屈コネ合戦もいいけど

「これ書いてる奴はどんな奴か」を察知する能力が欠如してるようでは

勉強ばかりいくらしても害になること疑いない


いでに本人も、何十年も当人を生きてるのだから

自分が腰抜けであることぐらい知っていないとおかしい

自分をきちんと知っていれば恐怖の発作を和らげることも出来たし

狼狽したまま口開いて墓穴連続掘削することへの用心も出来た



小難しい思想のコネコネゲームで身を立てた人が

やはり頭でっかち傾向のあろう彼のウォッチャーフォロワーから

「腰抜け」という原始的動物的な汚点で笑われ失脚するのは意義深い

腰抜けはやはりどんな世界でも説得力を減ずるし

自分の腰抜けと向き合っていない腰抜けは吐く言葉も不潔になる

駄々漏らしの腰抜けに失笑が与えられること、学歴の高低も政治的左右も区別がない


武家が子弟に死の覚悟をさせていたのは忠ではな防災のようなもので

人前にビビりをそのまま晒してしまうことがこうも全てを奪うと知っていた

腰抜けの自覚のある人は全員、平時からよくよく備えるべき


例えば腰抜け自体は直らないので、

ビビりの晒し方に何か自分なりの工夫や愛嬌ひとつ考えておく

事に臨んでの進退についてなにかしら想定し予行しておくこと

これをつまり覚悟という

2010-10-08

http://anond.hatelabo.jp/20101008174430

遡れば政略結婚デフォな時代になるしなあ。江戸時代以前の武家とか公家とか。

で、そんなの関係ない庶民は夜這いで乱婚ってか。

で、自由恋愛結婚できなかった奴が婚活すんのは、「(笑)」扱いなわけ?

今の世の中は自由恋愛が「普通」になったから?

そりゃ、よかった。

2010-08-11

http://anond.hatelabo.jp/20100811114931

武家諸法度等で維持されてきた江戸時代は無視かいw

江戸時代の農民にマトモな人権が付与されてなかったのは無視かいw

そりゃ、どこの世界でも大なり小なりトップというのはそういう特権があるもんじゃないの?

ないよ、この国の法律ぐらい知っとけ。

在任中の閣僚等に不逮捕特権が認められることがあるだけで、不可侵では無いだろ。

栗栖とか、在任中ですら逮捕されてんじゃねーか。

2010-02-13

http://anond.hatelabo.jp/20100213140753

>逆にいえば、そのくらいしか出てこないわけじゃん?

平安鎌倉とかも権力は一元化してなかった。武家公家に分かれてたり内乱もあったし朝廷幕府日本全国を統一してたわけでもない。江戸時代も藩ごとの自治で分権してたし、幕府内の権力争いもあった。一揆打ちこわしとかの反権力的な動きもあった。

>島国で外敵がいないし、国内の権力が絶対だったわけじゃん?どこの植民地にもなってないし。

元寇もあったし内戦もある。権力者も入れ替わってるので絶対でもない。戦前政権交代は何度もあった。

>少なくとも国内の人間にとっては国内の権力に対抗する勢力の存在を感じられなかったとは思わない?

上記のようなことがあったので対抗勢力の存在は十分感じられてたし、実際対抗勢力に倒された権力もいくつもある。

http://anond.hatelabo.jp/20100213121805

戦国とか南北朝は単独支配とはいえないと思うが。

平安や鎌倉時代武家公家で分かれてるし、何を根拠に単独支配が多いといえるのかわからん日本は特殊な国だと思いたいということ?

それに権力に擦り寄るほうが得なのは古今東西変わらないはずでは?

2010-02-05

切込隊長の凄まじい経歴

508 :名無しさんお金いっぱい。:2010/02/04(木) 22:27:12 ID:UmutD1lF0

お前ら切込隊長の凄まじい経歴にひれ伏せよ。

2001年9月に謎のハッカー911の混乱に乗じて流出させた山本一郎プロフィールだ。切込本人もガチ情報だと認めている。

なんでもシカゴ大学ベンチャーキャピタルが作ったプロフで、当時はラムズフェルド国務長官危険人物として切込をマークしてたんだとか


山本 一郎(英登記名 Ralph Yamamoto,NL) 最終更新日2001年 02月 04日

生年月日:****年 **月 **日

国籍・本籍地:東京都中央区八重洲日本

職業投資業、投資顧問業、技術評価コンサルタント

種別:A-03 業種コード:3303-2B

学歴慶応義塾高校,慶應義塾大学法学部政治学科(1996)

留学その他:シカゴ大学(1994:米),モナーシュ大学(1995:豪),モスク大学(1993:ソ)

株式公開企業等事業者役員経験:無

資産種別:同族(1),個人営利(3),その他(9)

扶養家族:無

主要取り扱い銀行:***銀行(スイス),**銀行(蘭),****銀行(アイルランド)

職歴等:関連データ参照

経歴特記事項(略記):

筑前竹中家庶流。赤穂藩淡路山本分家。祖父**、四男父**。

始祖父代に武家売役、回船問屋泉屋、蔵問屋泉屋を名乗る。以後、中央区八重洲界隈の地主として現在に至る。

父**は*士*学*業(同族企業)を経営する他、三菱の流れを汲む四社代表取締役を勤める。(1990)

母仲山**。昭和**年度準ミス日本(1990)

国際電気入社。人事部配属(1996)

父**、不動産管理業の失敗が理由で全ての保証人山本*郎に移す。

主な債権者は日*興*銀行、*谷*用*庫(1996)

金利等減免措置適用さる(1996)

同年退社(1996)

起業経験あり(1996)

企業調査では特に秀でた実績を有す(1997)

******・****・***証券(英)傘下****・****社

にて金融商品設計担当取締役就任(1999)

慶応義塾大学時代、中道右派学生自治会委員長を務めていたこと が判明(1999)

米国株売却益により*士*学*業等同族企業債務の過半を返済(2000)

SECより高額納税者登録、重点監視者登録される。

この頃、在米資産の過半が処分される(2001)

IQ: 計測不能、190以上(シカゴ大学調べ)

性格: 生真面目、頑固、議論好き、完璧主義という証言が大半を占める。他に

女性嫌い、大酒飲み、狂人、吝嗇、冷静沈着、など

趣味: 野球鑑賞、ビデオゲーム射撃ギター演奏、学究

補記: 中学、高校時代は数学オタク、嘘つきなど風評芳しからざる学生だったという証言あり。

大学進学後は態度が改まり自治会文化団体連盟の委員長に選出されるなど、

人格成熟化に伴う成長が見られる。

この頃、代議士熊谷弘、大平正芳橋本龍太郎らの子息と親交を結ぶ。

ファンタジー研究会に所属。この頃、偽名でライトノベル出版シリーズ累計400万部を超えるベストセラーになる。

大学時代射撃部、体育会本部を経て自治会委員長に推薦され、主に体制側として手腕を振るう。(1995)

******・****・***証券(英)傘下****・****社においては、

数学に秀で、緻密な仕事ぶりを勤務において評価され、

デリバティブモジュールの作成において顕著な実績を挙げる。

取引先に言い寄られ、ストーカー容疑で二件の被害届を提出している(1999)

司法資格失効(1999)

オラクルDELL投資により30億の利益を獲得(個人資産) (1999)

金融監督デリバティブ査察チームのアドバイス業務を行っていた形跡あり(1999)

この頃、同僚が自殺(2000)

2010-01-27

http://anond.hatelabo.jp/20100127222604

毎度のことながら何を言っているのかよくわからないな。

王様」って言うのなら(プリミティブな定義では)集団の統率者である必要があるんじゃないか。

初期の日本の王は間違いなく実権があった。

象徴としての使われ方をしているのは実権がなくなったから。

武家社会になってからは天皇には実権はない。

で、実権がなくなれば飾りとして、本当に実権のある者に道具として扱われるしかない。

安定した世の中ならば安穏としていられるが、戦乱時に殺されたりするのは必定。

2009-08-04

年功序列起源

2009-08-04 / Economics

城繁幸氏のブログに、台湾メディア日本年功序列が理解できなかったという話が出ている。年功序列儒教の「長幼の序」の影響だと思っている人が多いが、違うのだ。儒教の本場である中国にも台湾にも、年功序列はない。中国科挙は、基本的に試験だけで昇進を決めるので、10年以上受験勉強して中年になってから合格する人も多かったから、年齢で人事を決めることは不可能だった。韓国には日本以上にきびしい年功序列があるらしいが、日本のように入社の年次ではなく年齢による序列だという。

では日本年功序列は、どこから生まれたのだろうか。笠谷和比古氏によれば、徳川幕府にも年功序列はなかったという。武家の序列の基準は石高だったが、幕末には財政が苦しくなり、管理能力の高い下級武士が昇進するようになった。たとえば勘定奉行として日米修好条約を結んだ川路聖謨の家は「御家人株」を買って武士になった町人だった。勝海舟の家も、無役の最下級武士だった。このような能力主義を可能にしたのは、徳川吉宗のつくった足高制度だった。本来の石高とは別に足高として加算され、形式上の序列(石高)とは別に、実質的能力主義による俸給制度になっていた。つまり年功序列は、家柄とは別の経験や功績による序列だったのである。

ところが明治時代官僚制度ができたとき、高等官/判任官の身分制度や15段階の俸給制度ができ、昇給は年次によるものと(非公式に)定められた。これが戦後実質的継承され、Ⅰ種(戦前の高等官)は6級に編入され、「キャリア」と呼ばれる。民間では、長期雇用の定着と年功賃金は、ほぼ並行して広まったと考えられる。特に戦後、労使紛争が激化した1950年代に、安定した賃金を求める労働側の要求に対して定期昇給制度採用したことが年功賃金につながったとする説が多い。

つまり年功序列日本の伝統でも儒教の影響でもなく、官僚制度によって原型がつくられ、戦後の労使紛争の中で両者の妥協として大企業で成立した雇用慣行なのである。これは結果としては若い労働者に「強制貯蓄」させることによって、その忠誠心を高めてモラルハザードを防ぐ役割を果たした。しかし老人に生産性以上の賃金を払い続けることができるのは、企業が成長し、若者が増え続けるときだけである。賃金原資が減り始めると、ノンワーキングリッチに「配当」を払うことはできなくなる。

これは年金財政破綻と同じ構造である。日本企業組織財政も、戦後の高度成長を前提にしてつくられ、それに適応して相互補完的なシステムができ上がっているのだ。その結果、老人と若者の利害の対立する問題では、つねに組織内の権力を握っている老人の既得権を守る決定が下される。この構造の前提となっている成長が止まった今は、官民ともにシステムを見直さなければならないのに、問題を先送りしてきたのが「失われた20年」の根本的な原因である。

2009-03-07

東大合格するもう一つの方法(日本史編)

今年で東大文系)を卒業する。いまさらだが、東大受験勉強について語ろうと思う。受験勉強にもいろんなやり方があるんだということを、これから東大受験するであろう後輩に送りたくて書く。

誰でもそうだと思うが、僕は「受験勉強」が嫌いだった。暗記科目といわれる「日本史」と「世界史」が特に嫌いだった。教科書を声に出して暗記しよう!としたこともあったが10ページで挫折した(頑張ったほうだと思う)し、買ったはいいけれど結局1ページやって終わった問題集が何冊もある。

受験が迫ってきた秋ごろになってようやく気付いたことは、受験勉強用の本はつまらないという当たり前のことだった。そこでたてた戦略は、できる限り一般書を読んで勉強しようというものだった。

主な対象

考えるのは好きだが、覚えるのは得意ではない。

参考書と問題集とにらめっこしながら机に向かうのが好きではない。

誰がどこで憤死しようが、何年に農民が一揆しようが関係ない。

攻略法日本史編)

東大日本史は、センター試験日本史よりも断然にやさしい。それは、細かい人物名や出来事を覚えている必要がないためだ。

東大日本史は、「古代」「中世」「近世」「近代」について、それぞれ論述式の回答が求められる。いろいろな資料や図表が示され、「当時の将軍家と皇室家の関係を論ぜよ」とか「だれだれが行った施策はどのような狙いをもったものか」といったことが問われる。

要するに歴史の流れを理解していて、基本的な知識さえあれば、あとは資料を読み込んでその場で考えれば正答を導くことができる。

さて、このような知識を覚えるための方法だが、「受験対策教材」では無駄な枝葉の情報がそぎ落とされていために、教材の「丸暗記」をすればよい(これが僕は苦手だ)。

しかし、受験意識していない一般書は(受験にとって関係無い)無駄情報の塊だ。それらを全て丸暗記するというのは効率が悪いし、暗記したところで役に立つかどうかわからない。こうして、「とにかく沢山の本を読む」という結論になった。結局自分が読んだ本は三種類に分けられる。受験のために最低限必要な知識を得る受験基礎本歴史の大きな流れを理解するために読むコア本、雑多な知識を身につける豆知識本だ。

受験基礎本

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最初はおなじみ実況中継シリーズから。これで一通り網羅しておけば、他の受験生が知っていることを「はじめて聞いた」ということはなくなるはずだ。

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自分の文章化能力に問題がない限り、まじめに解く必要はない。いろいろなテーマをとにかく覚えるのだという心意気で、片っ端から解答を読むべし。

コア本(ダイナミズムを理解する)

古代中世

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古代中世の大きなうねりを理解することができる。古代中世を、公家武士の時代だったと思っている人は読むべし。特に、神社寺院や海洋ネットワーク、芸能・文化を政治社会と絡めながら覚えられる点が非常に役に立つ。

近世

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江戸時代メインテーマは「幕府政治システム」と「民衆の経済システム」なのだが、その前者を網羅的に抑えることができる。

近代

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近現代の歴史を理解するためには、経済を軸にして考える必要がある。江戸時代中期からゆっくりと、社会体制が封建制から資本主義へと転換したからだ。経済史を理解すれば、ほとんどの問題を解くことができる。

豆知識本

コアとなる本の他にも、いろいろな細かい事象を覚えるために本を読む必要がある。受験後に数えた限りでは、日本史関係で30冊前後だったが売ってしまって手元にないので思い出せたものを記述する。とにかく、本屋みかけ日本史関係ありそうな新書は片っ端から買っていた。

古代

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古代歴史ミステリー的に「~といわれているけれど実は・・・」「近年の調査によると・・・」「私の見解では・・・」といった周辺知識が頭にこびりつくようになり、結果として(教科書的な)本筋をしっかりと覚えることができる。

中世

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中世テーマは一言でいえば「武家の起こり」なので、源氏とか平家とかに関連するものを読めばよい。

近世

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江戸時代将軍や町人を中心に把握しがちだが、(補集合としての)百姓にも注目しておくとこの時代の理解が深まる。

近代

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近現代は「イベント」か「人」で把握する方法がある。大枠はすでに理解しているはずなので、イベントや人物のトリビア的なものを読んでいればおのずと知識が定着するはずだ。

最後に

受験対策に一般書を使う、という試みで最も大変だったのは「網羅性」を確保することだった。「邪馬台国」や「戦国大名」のように人気があるテーマの本はたくさん出版されている一方、地味なテーマである「土地制度」や「社会制度」について触れている本の数は激減する。新潮新書岩波新書などメジャー新書シリーズであれば、出版社が出している目録が大きな本屋においてあるで、必要なトピックの本を取り寄せも活用して買いそろえる必要がある。

正直、これが「効率がよい方法」だったかと問われると疑問だ。ただ問題集を解いて覚えていくというスタイルがどうしても性に合わなかった自分に、最適な方法だったといえる。高校時代ずっと地歴科目が苦手だったが、最終的に本番の試験日本史では47点/60点をとることができたことが、この方法論もあながち悪くないものではないという証左になればと思う。

正確な単語や年号の暗記を要求される予備校模試では20点を超えることはなかったし、センター模試でも50点を超えることはなかった。

ちなみに、暗記が要求される世界史は30点だった。世界史については自信がなかったので論述における「必死ポイント」(単語とか正確に知らなくても必死に書いたらもらえる点、造語だけど。)があったのだと信じている。

#匿名ダイアリーでも本のタイトルamazonから自動で引っ張ってくる方法を教えてー

2009-01-07

http://anond.hatelabo.jp/20090106192949

ネット上だと「相方」と書くな。自分の性別をことさらに明らかにする必要がなくて便利。まあリアルでは使わないけど。芸人自分パートナーを呼ぶ呼び方を転用してるわけだろうから。でも、こういう一種のジョークから来る呼び方って、過去にさかのぼるとむしろ普通なんじゃないかな。

高度成長期の「(ウチの)山の神」[*『山の神』は「女性で嫉妬深くて醜女」というのが定説。昔から田舎女性が山に入れない理由=入ると祟る(山の神さまが自分よりキレイ女性に嫉妬するから)と言われたりした。多分そこから転じて、自分の妻を自虐的に卑下して他人に言う一種のジョークとして通用。]、「お内儀(かみ)→カミさん」[*本来は店屋や旅宿などの主人の妻でその家の内向きを取り仕切る人。他人の家及び妻に対して大げさに敬意を表明するジョークとして。]なんて言い回しもそうだし、一般のコトバとして使われてる「奥さん」だって「奥(=武家の妻)」からの、「女房」だって「皇室メイドさん」からくる『過剰な美称』としてのジョーク、「ヨメ」だって語源が「弱女=ヨワメ(or手弱女=タオヤメ)」から来てる美称だとすると意外とジョークの一種だったのかもしれない。たぶん、古い古い日本語で言うなら「ツマ(=側にいるもの)」が唯一の、おそらくはジョークでない呼び方じゃないかな。でも大昔はこれ男女ともに相手に対して使ったんだけどね。

まあそんなわけで、こんだけ社会が変わってんだから、新しい呼び方の一個くらい生まれて普通ですよ、と。

2008-12-15

http://anond.hatelabo.jp/20081215162616

寛容だったのは町人や農民だろ。

武家貴族はメチャクチャ厳格。

現代もド田舎からホイホイ上京したやつらが性を乱しまくっている。

2008-11-19

http://anond.hatelabo.jp/20081119151140

どうなんだろうねぇその辺は。ベクトル的にそうなるってのはわからんでもないが、それ以外の数々の社会背景パラメータを落としてる気がする。

江戸時代に関しては不義密通は極刑人妻に思いを寄せられてもそれに応えれば極刑)だけど、女が結婚してさえいなければ妾をとることは法律的に全く問題がなかったので(制裁はいい思いをしなかったり嫉妬をする場合もあったようだけれども、妾が正妻に正月挨拶に来るのが礼儀という風習がある)、それほど性的に制限されていたとは思わない。性的な部分よりは贅沢をすることに対しては厳しかったけどね。贅沢禁止令が何度も出されたのは歴史をちょっと勉強すればわかるけれども。

性的に緩かったというのは湯女の存在や、遊郭以外でも売春宿(後の赤線現在歌舞伎町など)が多数存在していた(ただし売春自体は病気を懸念してかもしくは治安的な意味かはわからないが法律的には規制されていた)こと、春画などからそれなりにおおらかに認められていたようには思う。

女の処女性に関しては特にきいたことはないが(別に詳しくないし)、生娘ということばもあるからある程度は処女性を重んじる社会ではあったのだろう。身分制度が血筋で固定されているから、特に武家なんかはその辺を重んじたってことは納得できる。逆に言うと血筋を守らなきゃいけない家以外はそんなに気にしなかったんじゃないのかなぁ。強い子供がほしいなら乱交の方がいいってどっかできいた気がするけどどこだったっけな。人間以外の動物社会では処女性が全然重視されてないこととか考えると、社会処女性を求めるようになってるというのは納得ができるが、本能的にそうだというのはあまり納得がいかない。そのあたりを説明するようなソースってないのかな?

2008-10-26

彼女二人称を考えてみた。

http://anond.hatelabo.jp/20081026133252

二人称にお前を使用することで不快な思いをさせてしまって申し訳ありませんでした。

そこで、彼女二人称の呼び方を考えてみました。

ダーリン

 最愛の人を意味する言葉です。

 しかしながら、稲妻鬼娘の影響が大きすぎて、男の恋人を指す言葉勘違いされることがあります。

 男らしい外見を持つ彼女様を悪戯に刺激する結果になるかもしれません。

 よって、この言葉使用するのは現代日本では困難かもしれません。

ハニー

とりあえず、女性側がアンドロイドである必要があり、かつ、一週間に一度、衆目の前で全裸になって着替える必要が発生します。

また、走力、腕力、跳躍力など人間の4倍の能力を有し、他にも長剣・シルバーフルーレ、左腕に巻いたリボンハートを刃付ブーメランに変形させて投げるハニーブーメランなどの武器を所持する必要があります。

アンドロイドはむしろ萌え要素で問題はありませんが、シルバーフルーレは現行の銃刀法違反に抵触するため、現代日本彼女をハニーと呼ぶのは困難でしょう。

Yes! My sweet! Yes! My sweetest!

これは未来の呼び方です。

男性は人型ロボットに乗って、宇宙側の軍隊の佐官と1年間、戦う必要があります。

多くの男性はこの戦争で死亡しますが、地球側の軍隊で1,2を争うほどの腕前になれば、生き残ることも可能です。

ただし、最終的に恋人を誤射してしまうので、この呼び方は、お勧めできません。

出展:

http://jp.youtube.com/watch?v=avzpWlw6rhw

フロイライン

 未婚女性に対する敬称。

 令嬢。お嬢さん。姓または姓名の前に付けることができます。

 ただし、モンゴリアンっぽい男がいっても美しくありません。

 とりあえず、金髪宇宙艦隊を率いて皇帝になるような容姿が必要です。

 日本人の場合、男性の顔を根本的に改造しないといけないので、これもまた、困難でしょう。

姫様

 江戸時代家老もつかっていたので日本人にも抵抗のない呼称です。

 しかしながら、女性の方が、武家公家である必要があります。

 多くの場合、平民女性が多いので、困難を極めます。

お嬢様

 執事も使いそうな言葉なので男性側にも抵抗はありません。

 特別な身分も必要ないので、容易に呼ぶことの可能な呼称です。

 ただし、女性側に資産が必要になります。

 

 元金持ちの娘とその使用人という設定をするなら資産の壁は突破しますが、偽りをのこしたまま、恋人としての関係を築くのは心が痛むことと思います。

女王様

 特別な志向をもつ男性側は、喜んで使用してくれるでしょう。

 いわれる側にSの素質が必要ですが、大丈夫です。

 ちょっと、跪かせて足蹴にしてやるだけで、あの雄豚どもは喜んで、彼女様を女王様と呼ぶことでしょう。

彼女名前

 非常に正しい意見です。

 男性と、女性が互いに初恋同志ならです。

 

 想像してみましょう。

 皆さんは女の先生に、お母さんといったことはないでしょうか?

 そうです。

 もし、彼女名前を間違っていった場合…

 しかも、昔の彼女名前ポロッとでた場合…

 その時の惨状は思い出すのもオゾマシイものです。

 

 人生には土下座しても許されぬ過ちというものが確かに存在するのです。

 私は読者の皆さんに同じ悲劇を見てほしくない。体験してほしくないという。純粋な思いから、彼女様を名前で呼ぶにはリスクがあると断言します。

まとめ

 現実的に考えると彼女様を指す二人称は「女王様」がもっとも適していると思います。

 これからは、一般男子彼女様を「女王様」と呼びましょう。

2008-10-02

http://anond.hatelabo.jp/20081002123820

源ってのは皇族の身分を離れる時に名乗った姓

どっちも皇族を離れた人(とその末裔)っていう意味では同じ源氏だけど、具体的に指してるのは全然別物。

源氏物語源氏は、平安中期の架空の貴族、光る源氏の君。

源平の源と言って普通思い浮かぶのは、平安末期の武家の統領となった源氏の一族。

2008-09-19

http://anond.hatelabo.jp/20080919094458

固定観念といえば、「男は仕事」「女は家事」というのは、実は明治以降に広まった近代化の産物なんだよな。

江戸時代以前は、武家や身分の高い公家などの奥方様はともかくとして、一般庶民の女は共働き普通だったらしい。

たとえば、当時の庶民の大部分を占めていた農民たちは、もちろん家族総出で農作業をしていたし、都心部の庶民の女性たちもサービス業に従事していたし。

一方で、男はあんまり仕事をせず、育児に従事していたとか(笑)

英国駐日公使オールコックが『大君の都』にこう書いている。

江戸の街頭や店内で、はだかのキューピッドが、これまたはだかに近い父親の腕に抱かれているのを見かけるが、これはごくありふれた光景である。父親は……見るからになれた手つきでやさしく器用にあやしながら、あちこちを歩き回る。

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