はてなキーワード: 日光とは
日本は亜熱帯で欧米に比べると日光が強い。赤なんか真っ先に褪色してしまう。車でもよく赤が真っ先にガサガサひび割れ肌になってる。
さらに日本は台風などでじゃかすか雨がふる。ひび割れたペンキの上の粉ふきなんかもちゃんとあらいながされる。
(外国人は傘をもたない。雨合羽ですむのかね。しとしと雨なのかね。たまにハリケーンがくると水没被害がすごいけどな。)
さらにさらに広告規制などもある。那須と京都とか温泉街とか。あれはあれでセブンイレブンまで茶色かったりしておもろいぞ。おまえがしらんだけだな。
さらにさらにさらに安全規制が世界レベル。鉛入りの赤ペンキ、ヒ素の緑ペンキなんか絶対褪せないかもしれんが赤ちゃんが舐めたら死ぬで。
(スペインとかギリシャ、アフリカ、エジプトあたりの南国は、素焼きテラコッタの赤をうまくつかうようだが、
南国なわりに湿度のクッソ高い日本では雨漏りするかカビるか苔が生えます。単なる植木鉢だからな。沖縄を除く)
なので日本の色は全体的にしろっぽい(パチンコ屋さんとか歌舞伎町のネオン、千本鳥居、赤提灯、沖縄あたりを無視すれば)。
なお日本人科学者の発明品である特別な結晶構造の酸化チタン塗料による汚れ落とし自浄機能タイルも当然、白色だ。
なんなら上に塗ったペンキも自浄されてしまう。いろんな商業ビルがこれを外装に使ってる。
そんなに白い国でもアメリカ軍が白いフロン系の泡消火剤まいて水道まで流れ込んでて健康被害で大変なことになってるけどな。
だだっ広い平野が広がる田舎町のさらに田舎に住んでる者だが、精神科少なすぎて予約取れなさすぎて頭おかしくなる。
初診だとなおさら待たされる。1ヶ月とか2ヶ月とか。で、待って待って初診の日。大体、「眠れないんですね〜うつ病かな〜でも睡眠薬出しときますのでまた来週来てください」って適当にあしらわれて終わる。
朝から働いてしっかり日光浴びた日でも2,3時間寝たらいきなり目が覚めてそれから眠れない時間が続いてんのに、睡眠薬でグースーピーとはならんだろ。事実、ならんし。ほんでまた次の週行ったら、ちょっと量増やされて診察終わり。嫌になって病院変える。また予約待たされる。貯金がめりめり音をたてて減る。
あーあ、クソみたいな人生になるなら生まれてこなければ良かった。はいはい、全部手前の努力不足なんで、何でも言ってくださいよ。死ね。
ツイッターで#お薬もぐもぐって検索して驚いたね。手帳貰って年金と医療費補助受けながら薬飲みまくってラリって余ったら売るような奴が跋扈してる。当たり前かのようにテレグラムでやり取りしてる。「あ~こういう奴が精神科の予約枠食ってんのね」って思った。
なかなかユカイなコチ動作をするし、コチああ今日もコチ晴れてるなあとかコチどうやら曇りのコチようだなあとコチいうのがわかってコチ張り合いがあるのだコチが
なんかコチちょっと左右にコチ揺れて縁に当たるコチ時の音がコチ気になるコチ
晴れてる日はコチ朝4時からコチ揺れてるコチ音がするコチ
「飛沫感染とエアロゾル感染でどちらが重要か?」といったとこで、私とあなたは意見が違いますね。
人間が感染するのは20μⅿ以下の小さな飛沫です。マスクで止まるような大きな飛沫程度を防いでも、そんなに意味はありません。
ノーマスクで顔を近づけて話す人って、あまりいないですよね。ヤンキー同士の喧嘩ではないので、ある程度距離を取って話すのが通常だと思います。
「ある程度距離を取る」と言う事は、飛沫は地面に落下して不活化します。
・日光で数分
・マスクの裏では7日間
感染者がマスクをしていた場合、放っておけば地面に落ちて不活化するはずのウイルスも、マスクの裏では長期的に生残りエアロゾル化して、人体の体温で上昇してバラ撒かれます。これが屋内だと、さらに逆効果。屋内で感染者がマスクをつけていると、屋内で撒かれるウイルス量はどんどん増えていくので、感染リスクがうなぎ上りになります。
色々な大規模RCTの結果を見ても「有意差はなし」と出ているのは、それが理由でしょうね。最近だとコクランのレビューとか有名ですね。
https://www.cochranelibrary.com/cdsr/doi/10.1002/14651858.CD006207.pub6/full
私はあなたと違い、飛沫で感染することは、ほとんどなく本当に警戒をしなければならないのはエアロゾルの方だと考えています。
だから、換気はすごく大切だと思うし、マスクは逆効果だし「そもそも感染を防ぐのは不可能だろう」と考えています。マスクをしていても会社や学校、電車などで、みなさんは既に感染していて単に発病してない状態でしょうね。
他のマスクを批判してる人達も、私とほぼ同意見だと思いますね。
別にマスクを外して、他人に危害を加えたい無敵の人ではありません。
あたなは私にアホだと言いました。
確かに私はバカでアホなので否定はしません。ただ、そのような態度を取っていると議論の意味はないので、慎んだ方が良いと思いますね。
以上です。
1.
お前はふと思い立って、新幹線に乗ることにする。目的地があるわけではない。お前の人生は常に目的地を欠いている。ただ、新幹線に乗るだけだ。
平日昼の新幹線駅は人影もまばらで、だだっ広く明るく、がらんとした構内がいかにも虚しい。お前は機銃に狙われる歩兵のようにそそくさと券売機に向かう。
知らない駅を目的地に選び、いよいよ購入のボタンを押そうとしたとき、お前は画面になにか小さな生き物が張りついていることに気がつく。お前は目を凝らす。
それは、メチャクチャ小さい蟹だ。メチャクチャ小さい蟹は、お前に向かってハサミを振り上げる。
2.
もともとほとんど散っていた桜は、昨日の雨でいよいよ全滅しただろうな、と、目を覚ますなりお前は思う。外は晴れているようだから、散った桜を見に行こうとお前は思う。お前は基本的に風流を介さないが、介さないなりにものを見たくなることがある。
川沿いに雑に植えられた桜の木は、案の定すべての花をすでに散らしている。アスファルトに張りついた汚らしい花びらやその近くを這う蟻を見て、お前はほくそ笑む。お前の花見は常に陰湿で、傍目に見て華やかさを欠く。
お前は桜の木に目をやる。一本の枝の先に、揺れるなにか赤い生き物の姿を認める。お前は興味をひかれ、それに近づく。
それはメチャクチャ小さい蟹だ。メチャクチャ小さい蟹が、春風に揺られながらお前を見る。お前を見て、ハサミを振り上げる。
3.
いつのまにか切れていたエアコンをつけ直そうとして、お前は停電に気がつく。外気温は最近、35度前後を推移している。お前はため息をついて、いっそ外に出ることにする。
蝉時雨を聞き流しながらお前は歩く。日光が肌を焼くようで、お前の肌には汗が浮かぶ。
お前は家からほど近い図書館に入る。空調は幸いよく効いていて、停電は局所的なものだったのだとお前は知る。
お前は本を読まないから、普段図書館に入ることがない。初めて来るわけではないが、前回来たときとはさまざまなレイアウトが違う。お前は旅行者のようにあたりを見回しながら、居心地のよさそうな席に身を落ち着ける。
・20代後半男
会社の別部署の同期に告白して先月末振られた。後になってから気づいて後悔したことを吐き出す。
①食事には他意は無い
同じ食べ物が好きで5回くらい二人で食べに行っていた。女の子から誘われて言ったこともあった。
しかし私と行きたいわけではなく、単純に美味しい物を食べたかったことや都内からは若干離れており遊ぶ場所が少ない、女子の同期がわずか等の理由だったと思われる。環境がそうさせたのであって、食事程度でそこに他意は無かった。間隔も1~3カ月程度に一度であり月数回とかでは無い、食事に行った時の会話もたわいの無い話ばかりで、恋愛の話は無かった。
彼女の行きたいお店の近くに行くことになった。お店の近くには遊園地とかもあるしついでにどこか行きたいねというlineが来た。
遊園地に行きたいと解釈してしまい日中に行くことになった。遊園地に行く=相手も好意があるとそこで勘違いしてしまった。
遊園地に一緒に行くのは、私にとっては特別なことであったが、当たり前だが人によっては違うことでもある。
それからおそらく日光なら日光東照宮といったように、メジャーな場所を文面上に上げただけでそもそも行きたい場所ではなかった可能性もある。
直接言われたわけではないlineの文面をそのまま解釈してしまったのもよろしくない。文面も遊園地ではなく、遊園地とかどこかであった。
遊園地に行った後、夜にごはんを食べて告白した。挙動不審な告白になった。
彼女からしてみればもらい事故で加害者側が勝手に怪我をして、後気味が悪いような感じだと思われる。それならまだましかもしれないが。
本来なら告白する前にすこしづつ好意を表したり、恋愛の話をしたりするが、非モテの私はあきらめてというより自分可愛さに逃げてしまっていた。
断られた後から本当に好きな人なら恥ずかしくても好意を表すのを怠るべきではなかった思った。しかし、そもそも恋愛から逃げていた自分が、相手も同じコミュニティいる人間であるのに突撃するとどうなるのか想像せずにいたことに気づいた。
相手のことを本当に好きで考えていたら踏みとどまるべきであった。
半休を1日休に変えた。
またひとつ歳を重ねるその前に、なにか行動を起こさなくてはと思い立ってのことだった。
オンラインでチケットを予約して美術館へ行く。この間マッチングアプリで知り合った男性が指摘していた、「オンラインチケット制になってから、人はその日その時間、確実にそこをおとずれるようになったから、美術館なんかは混むようになった感覚をいだく」。
会場に着けば、開館前から並ぶ人。人。人。会期末であったことも災いしてだとは思うが、まさにその通りだなあと思った。
列をなして作品を観るのは好きでない。観るというより、観させられている感じがするからだ。
そういう時はいつも一番混んでいないエリアめがけて人の間をすり抜けては、順番を無視して鑑賞をする。構成なんてまるで無視。学芸員泣かせかもしれない。
美術に限らず、世のあらゆる事柄において、わたしはこういう物の見方しかできないなとしみじみ思う。点々としているんだな。
そこからは山手線と京浜東北線と、東海道線とその他もろもろの列車が発着するところを見ることができる。電車はわたしにとって、時間の象徴だ。こうしてぼんやり眺めているうち、またひとつ歳を重ねていくんだ。何十本もの電車を見送って、気づいたらどちらが風景になっているのかしれないね。
外に出るとあんまりに天気が良くて、日光の眩しさから繰り返しくしゃみをした。
横断歩道をゆく向かいの知らない人に敬礼をするように、掌で日差しを遮りながら都会の道を行く。そのうち皇居に出た。3週間前にも同じ場所にいたな。。とかなんとか、唐突に思い出したかのような振り返り方をしたけども、意図的に来た。おセンチになりたかったのだ。
あの日は2人だった。ちょうど風はあの日と同じくらいに吹き付けていて、日陰では少し寒い。
そんな他愛のない話をしながら、ベンチに深く腰掛けていた。ビルもそうだが、反対側に夕暮れ沈むその先を眺めてもいた。綺麗な空だった。鼻水をかみながら雰囲気も何もあったもんじゃないが、わたしはこのまま、絡め取られてしまいたいなと思っていた。なにに。
いつも夜にしか会わない人と、はじめて日中に会った日だった。はじめてのデートが皇居って、よくない。いつでもテレビに出てきて、その度思い出してしまうから。
今日ここを訪れてしまったのも、ぐずぐずとした思いに同伴する形だ。わたしはそれを置いていきたいのか、持ち続けていたいのかも判断しかねている。来ればわかるかと思ったけれど、他人との思い出は、そう自分勝手には処理しきれないのだということがわかった。
次に彼と会うときに、話してみよう。
映画でも観て帰るかなとも考えたけれど、日が落ちる前に帰宅することにした。
友達から借りていた本をしっかり読み終えて、7時にはお風呂に入ってソファでごろごろしている今。
真新しいことをしたわけではないが、穏やかな気持ちで終始いられたのは良かった。誰とも話していないから、明日はいささか声の出が悪そう。