はてなキーワード: 手塚とは
おそ松さんがえいが記念に仮面ライダーとコラボしたら、仮面ライダーファンの民度が低くてとても驚いた
それぞれ原作が石ノ森章太郎と赤塚不二夫のコラボなんてすごいことなのに、なぜそれを表面上だけでも褒めるか、それが嫌ならスルーできないのか
いつだったかのおそ松さんは、手塚治虫の各作品ともコラボしたがその時は手塚ファンから叩かれるところはみたことが無いのだけど
私がたまたま厄介な手塚ファンと遭遇しなかっただけなのだろうか
また、おそ松さんはウルトラマンともコラボしていたのだけどその時も仮面ライダーコラボほど叩かれていた記憶はない
これもたまたま厄介なウルトラマンファンと遭遇しなかっただけなのだろうか
この増田には『物語マインドマップ』の動画を見てほしいな。こちらの動画でいかにハーレム物に繋がっていくかが解説されているので。https://www.youtube.com/watch?v=Xr7nN8K1MLY&list=PLusUXoPKOyjhFFthXDS0ilXIpPCX4MMow&index=6
以下、動画の要約
まずハーレム物の源流になっているのが『うる星やつら』(1978)。これがなぜ源流になるのかというと、「複数人の魅力的な女の子を描き分けることに成功したから」。『うる星やつら』以前の作品では、例えば、あだち充先生もだいたいヒロインは一緒だし、あしたのジョーでは白木葉子と林紀子の顔が似ていて間違えるシーンがあって、これはうまく女の子を描き分けることが出来なかったことに起因している。手塚先生ぐらいしか描き分けることは出来なかったらしい。
『うる星やつら』の後、桂正和の『ウイングマン』(1983)で女の子を多く出して、描き分けるか構造が確立される。だけども、まだ女の子間に序列があって、最終的にはメインヒロインと結ばれるようになっている。これが『天地無用』(1992)になると、バトル要素はおまけで女の子とただ日常を過ごすことのほうが重要になり、数あるヒロインの中から一人だけ選ぶこともなくなり、ハーレム物確立の草分けとなる。そして、ハーレムもの形成の流れでもう一つの大きな潮流としてエロゲーがある。エルフの『同級生』(1992年)から始まって、『ときめきメモリアル』(1994)とToHeart(1996年)が生まれる。特に『ToHeart』は前述の二作品と比べてヒロイン毎のドラマ性が強くなり、ハーレム物とは別に『ONE 〜輝く季節へ〜』などの泣きゲーの流れも作っていく。
このエロゲーの流れが『天地無用』と合わさってハーレム物を形成。同時期の1996年には『サクラ大戦』、『機動戦艦ナデシコ』が登場。他にも『セイバーマリオネットR』(1995)など。これがラブひな(1998)の時代になると、後輩を出す、ツンデレを出す、ツンデレの対比として癒し系を出すなど、ハーレム物としてどういう女の子を出せばいいのかを類型化できるようになる。
もっと細かく知りたいとか、なんか違うんじゃねと思ったら動画のほうを見て判断してつかぁさい。よろしくお願いします。お願いしましたよ。
男オタクが利用者人口の大半を占めるコミュニティに女性として参加すれば女性である利益や不利益は当然ある。女性である利益を存分に享受してる女性もいる。
もちろん、例えばガールズチャンネル等に見られるようにその逆も当然ある。ただことネットにおいては黎明期に理工系のギークを初めとしたインテリやブルジョワの男性達が築いたコミュニティを土台にした文化が連綿と今に至るまで引き継がれている為に、通常用いられる一人称が「俺」や「ワイ」であることが当たり前になっている様に基本的に男性が利用する前提の文化が成熟している。
また、貴女はまるで自分達女性オタクだけが特別の迫害の対象だった様に言っているがそれは私の認識とは違う。
恐らく貴女が迫害の加害側に認定している匿名掲示板においては、ありとあらゆるものが時に加害され、時に賞揚され得るのだから。
例を挙げると5ch、つまり旧2chにはなんでも実況jという掲示板がある。
この掲示板の成り立ちについてここでは説明を避けるが、野球を愛好し、猛虎弁と呼ばれる似非関西弁を用いてレスをする利用者が多数を占めることで有名な掲示板だ。
ここではかつて、貴女のような女性オタクを含めた「オタク」そのものが押し並べて差別されていた歴史がある。
オタク達が立てる声優やアニメのスレッドは嫌悪され迫害の対象だったのである。
しかしなんでも実況jへのオタク達の流入とその活動は止むことがなく、遂には相次ぐオタク迫害の波を退けることに成功し、今ではなんでも実況jにおいてほぼ恒常的に何らかのオタク関連スレが立っているという状況にまで好転せしめたのである。
この事例から得られることは、迫害にあっても折れることなく自己主張を続けることで迫害を退け自らの地位を獲得することが可能になることもある、という教訓である。
貴女は一部の男性オタク達に対して、傍観しているだけだった、と批難しているが、そういう貴女達女性オタクこそ迫害に対して傍観しているだけだったのではないか?
男性オタクに擬態して会話などせず、自らの女性性を存分に主張して活動すれば良かったのではないか?
迫害に屈することを選んだ貴女達女性オタクには何らの責任も存在しないのか?
それとこれは蛇足であるが萌え絵が少女漫画にインスパイアされているという話は、結局手塚やメビウスの話から始まり黄表紙にまで遡ったりするので、そういった起源を主張するのは言うだけ野暮であると思う。
またコミケの起源の話についても同様だが、初期のコミケが女性を主体としたイベントであったことから現在のコミケ文化を男性側の盗用のように批判することは、例えば少年漫画誌における男性読者の女性向け批判の様な水掛け論に回収されるのでやはり言うだけ野暮であると思う。
その本の紹介では、これは手塚なりの「悔しさをにじませながらの嫌み」だったんだというような書き方だったと思う。記号的お約束や映画的演出を二次元に落とし込む数々の手法を発明して日本のマンガ表現をリードしてきた御大としては、そういう「漫画的お約束」を廃して「リアルに描く」表現が、まるで「旧来の漫画家には描けなかったようなリアルな」マンガであるかのように評価されてる状況にカリカリきていて、それでそういう言い方になった部分があるんじゃないかと思う。
ただ、たぶんそうやって実際に手を動かして、いわば現場感覚で大友の作品を分析していた手塚には、大友の魅力が「それ(画のリアルさ)だけではない」ということももちろん分かっていただろうけど、そこはやっかみ半分釘刺し半分で、「絵がリアルだってだけでいい気になるんじゃねーぞ」という台詞を、本人に言ってやらなきゃ気が済まなかったんだろう。ほら、嫌みって、本人が密かに得意に思ってる部分をひっくり返したら一番刺さるでしょ?
まあ、個人的には、御大が若手の有望株に対して全力でライバル意識をむき出しにしてくる光景って好もしいし、何より、自分がその若手だったらそれはそれで驚くけど嬉しいというか、なんかそんな感じだから、このエピソード聞いて「手塚クズだなあ」とは別に思わないけどね。あと、手塚はそもそも自分のことを天才とも先駆者とも神様とも思ってなかったっぽいから、ほんとに心の底から単にライバルの一人としてめっちゃ小物臭く嫌みをかましただけかもしれないし、それはそれですごいと思ってしまうのは手塚贔屓が過ぎるんだろうかね? でも、まあそんな風に思うんだよ。
https://togetter.com/li/1323842
…とかで話題になってるこの話、自分は1990年頃に、新書の後書きで読んだ記憶がある。
内容は
『童夢』が出て評価された(SF大賞をとった1983年あたり?の)時期に、パーティで同席した大友に手塚の方から寄ってきて
「大友くん、童夢を見たけど、あのマンションが崩壊するシーン、すごいね。ボク一つずつ定規をあてて確かめたんだけど、破片の一つずつも、パースが狂ってない」
と言われて、大友が「ありがとうございます」とか何とか受け答えしたら、手塚がじっと大友の顔をのぞき込んで
「でも、僕もあの絵は描けるんだよ」
と言った
的な話だった。十分狂気を感じさせるこの話、著者がどこから仕入れたんだかは知らないけど、そういうわけでこれはかなり古くから流通してる話で、今更関係者の証言とか又聞きで噂されてる話とかではないはず。たしか「手塚が死んだ(1989)からこういう話も表に出るようになったんだなー」と思った記憶があるので、おそらく、この本かと思う。レビューとかで見た本の内容的にもそれっぽい。
ディスニーと来たので手塚→ブッタとなった。すまん