はてなキーワード: 不謹慎とは
亡くなられた方や失業した方がいらっしゃり、人生が一変した方も多い中不謹慎だと思うが
リモートワークの浸透が進んでいる。会議はネット上で行うようになった。出勤が不要になった。オフィスさえ無くなった人もいる
配達サービスも機能している。郵便局だって宅配業者だって生協だって、食料や娯楽を運んでくれる。日本で住んでいる限り、生命を維持するハードルは限りなく低い(それこそ生活保護制度だって依然機能している。むしろ生活保護に落とさないために、急造の穴だらけの社会制度が賄われてすらいる)
在宅での娯楽の密度が増えた。動画配信サービスや無観客ライブのネット配信。以前と同じだけの熱量を感じられるかと言われればそうではないが、出先に行くための移動や宿泊にかかる費用・疲労感を考えると、まるっきり悪いということはない。
仕事は早く終わらせて家に帰りたい。ごく一部の親しい友人以外との飲み会は楽しくない。
そういった性質が肯定される世の中になったことは、自分にとってよかったことだと思う
誰にも言わないけど
現実と妄想を区別できない人の被害妄想が生み出した全く実態のない被害体験がインターネットで似たような人が集まって妄想を共有することで妄想が妄想を補強していき、
「日本各地でなんの変哲もない善良な人達を襲う電磁波攻撃や思考盗聴などの技術をもった超巨大な悪の秘密結社」という全く存在しない組織が作り上げられ、
勿論そんなもの存在すらしないけどその組織を監視し続ける集団ストーカー被害者の会なる団体はこの世界に間違いなく実在して、
被害者の会や街宣活動を通じて存在しない悪の秘密結社が現実や各地のインターネットコミュニティに影響を与え続けていて、
更には俺の知り合いや隣人も誰かしらがこの悪の秘密結社を追いかけ続ける団体の一員の可能性がある、
ってなんか現代の怪談とか伝承とかみたいですげー面白いなって思うんだよね(最近は不謹慎とか言われがちだけど)、超科学やファンタジーの要素がないオカルトというか。
他に知ってる話といえば双葉ちゃんねるとかいう古い掲示板には『糞虫小僧』という伝説のコテハンがいて、
ふたばに古くから伝わる話では彼は史上最大の超大規模荒らしで、
ふたば、5ちゃんねる(2ch)、ニコニコ、したらば、Youtube、ガルちゃん、はてな、各所のWikiサイト、まとめサイト管理人
古今東西のインターネットコミュニティに存在したあらゆる荒らし、クソコテ等の迷惑な存在のほとんどはこの糞虫小僧と同一人物で、
彼は大量のプロバイダーと契約して回線ごとに名義を使い分け、インターネット中を荒らし工作し、有名な炎上騒動(いわゆる祭り)も多くが裏では糞虫小僧が糸を引いていたというのだ。
これも妄想が妄想を産んだ結果で、「いつもの荒らしだろw」的な感じで認定される各所の荒らしが融合していった結果生まれた概念。
今だと糞虫小僧が実在したのか証明できる人すら恐らくいないと思う。
5chだとネタにされて超馬鹿にされてる話だけど高齢Qアノンの多いふたばではガチで信じられていて、これも都市伝説チックだよなぁって。
こういうの他ない?
パラリンピックを見ていると、自分の中にとても複雑な気持ちが生じてくる。
体の一部を失ったアスリートたちを見て、素直に美しいと思ってしまった。
同時に、過去に障害者を扱ったポルノを見て強い嫌悪感を抱いたことを思い出した。
その時の心情に立ち返って、その嫌悪感は本当に正義と言えるのだろうかとふと疑問に感じた。
パラアスリートは美しかった。その瞬間、わたしにとって健常者よりも美しいと思えた。
素直に気持ちを表現するなら、その美しいと感じた感情に性欲が含まれていたことも否定はできなかった。
その時の自分は、素直に美しいものに対し美しいと感じ、そして少しの欲情をもよおしたのだ。
果たして、パラアスリートたちを美しいと思う気持ちは許されないのだろうか。
そこに少しでも性欲が介在した瞬間に、その美しいと思う気持ちは不謹慎なものとされてしまうのだろうか。
恋愛から性欲だけを切り離すことは絶対にできないし、それがあるからこそ子孫は反映してきた。
健常者に性欲を抱くことは許されて、障害者であることを理由に性欲を抱くことは不謹慎なことなのだろうか。
そう考えれば、そもそも障害者を扱ったポルノを不謹慎なものとすることさえ、差別的ではないかと思うようになってしまった。
ミゼットプロレスが不謹慎という理由で中止に追いやられた結果、障害者たちがレスラーという数少ない働き口の一つを失ってしまったという話を見たことがある。
もしポルノ業界に障害者が働く余地がないとしたら、それは逆を返せば健常者だけが働くことを許されているという職業差別と言えなくもない。
当然十分に職業選択の自由があり、消去法的ではなくても選択できる一つの職業であると認められることが必要だとした上での話だ。
しかし、ある側面では、そこにもしニーズがあり、お金を稼ぐ手段として確立されているにも関わらず、福祉や道徳という規制で制限されてしまうとしたら、それはまたやはり差別的ではないかと考えてしまう。
そこに想像の余地があるからこそ、誰もが自分にとって最も美しい姿を空想できることが傑作である理由とされている。
わたしはパラアスリートたちにそれと同じ美しさを見た。(四肢の一部がないのだから本当は見えていない。)
その姿を美しいと思ってしまった自分を偽ることはできないし、障害を理由に美しいと感じたのであれば、それが差別的であると言われても否定できない自分がいた。
そこまで考えても、はやりパラアスリートたちが美しいという気持ちを止めることはできなかった。
彼ら彼女らの美しさは、もっと広告としての価値があってよいと思った。(いわゆる芸能人たちがルッキズムをもとに広告的価値が高いとするのと同じ意味で。)
障害を理由に、それの美的価値を不謹慎と言う言葉で押さえつけることのほうがよほど差別的ではないかと思うからだ。
パラアスリートたちは美しい。
俺はここに気の狂った事、特定層へ喧嘩を売り大いに怒らせるような事、主語が羅生門並みにでかいお気持ちを投稿してるが
消されたことは一度も無い
ホッテントリ入りしたり、大いに荒れたり、「これ名前出てたら大変な事になるな」って思った事もあるが、増田から投稿が消されたことは無い
村上隆に憎悪撒き散らす自称レイプ被害者とかはbot連投しては消されて・・・を繰り返してるし、一時期ハリーポッターの文章を貼り続けるスパムとかいたけどそういうのも全部消された
低能先生の宣戦布告(お望みどおり人を殺してやったぞ、こんなことしたのはお前らが原因だからなって感じのアレね)も消されてたな、そもそもあいつが人殺した理由の一つが「垢作ってもすぐBANされて封殺される」ってことへの怒りだったし
でも、投稿画面の下にある「削除申し立てとかあったらてめえに通達無しで消すこともあるからな」とか「プロキシやステ垢使ったやつも監視してっからな」って注意書きあるけど、それに則った垢BANや管理者削除、されたことないんだわ
いや、自分で言うのもアレだけど本当にクソみたいな事、それも差別とか不謹慎とか対立煽りとか不特定多数の不安煽るような事いっぱい書いたよ?燃えたこともたくさんあるよ?でも消されたことは無い
まぁ今の世の中、許されない発言だろう。
んで表題とおり不謹慎な事を書くのだが、あくまで人の心理がどう動くのか知りたいので、知見ある人の意見を聞きたい。
たとえば資産など身ぐるみ全て奪われて社会に放り出される罰があったら、人はどういう行動をとるのだろうか。
あと、死刑の執行日は受刑者に知らされないと聞くが、それの逆で奪われた資産(またはそれに等しいもの)は刑期満了時に返還されるが、いつ返還されるか知らされないという事だったら、人はその日を目標に生き抜くだろうか。
はたまた人間社会のしがらみから解放されたと感じ、返還を受けない代わりに社会復帰しない道を選ぶのだろうか。
深く深呼吸し、いま一度考えた。
たぶん、その刑の意味というか、何をさせたいのか、何をもって償いとさせるのか明確にできないからだろう。
法って、何なのだろうなぁ。
「オンラインで集まる」という文化が急速に浸透した結果、高校時代の交友関係を取り戻せた。
こういう言い方は不謹慎かもしれないけど、コロナウイルスの流行の「おかげ」と言えると思う。
神奈川の地元から近畿に転職して、年に数回あった部活のOBOG会にも参加できなくなって、休日に遊ぶこともできなくなって……
このまま、疎遠になってしまうのかな、と思っていたところだった。
OBOG会を無くすのではなく、オンラインで開催を続けてくれた。
コアタイムの後も、時間を気にせず話したり、遅れて参加することも気軽にできるようになった。
帰省ができないことで、寂しくなったり心細くなったりすることはまだまだ多いけど、
引っ越してからコロナが流行しだすまでと、コロナが流行した後の今だったら、
正直、今の方が、私は充実した毎日を過ごせているかもしれない。
不謹慎だなぁと、我ながら思うけども、それでも。
最近なんかもう、炎上してる人が安易に謝罪しない、撤回しない、変更しない、屈しないって姿勢を見せるだけで、自分の中でその人の好感度がプラスされる。
俺自身は不謹慎なネタや偏見につながるとか難癖付けられるような表現に対しては寛容な方であるつもりだけど、べつに極悪サイコ野郎というわけではないので、世間の大多数が批判的に見てる話題に関しては人並みの憤りを覚えはする。
でもその憤りと炎上に屈しない気骨ある態度への好感は両立するんだよな。
直近ならDAIGOのホームレス発言は糞だと思うし、総合評価で言えば彼のような人間は嫌いだけど、炎上すらも自分の商売のチャンスに転化しようという意気は見事と思っている。
こういう「屈しない文化」の積み重ねが、本当に悪くない人がキャンセルカルチャーの暴走で燃やされた時、抗う力になってくれるんじゃないかという期待が自分の中あるのかな。