はてなキーワード: 自慰とは
性風俗店を利用する際、
最低でも、90分、もしくは120分を指定するのは、
それ以下の時間で、一般的な満足を果たすことが出来ないからなのだ。
…出来ないとは断定出来ないけど、
幾度か同じ女の子を指名したところで、
精神的な満足は得られても、
いわゆる遅漏であるが、
他の人に相談したこともないし、
他の人と同じような症状なのかは分からないが、
自分の中では、ウィークポイントがものすごく限られた一部分にしか存在しなくなってしまった感がある。
性風俗店を利用した際に、
相手の女の子も一定のストロークを繰り返す手の動きに疲れが見え始め、
「ごめんね、うまく出来なくて…」
と頭を下げられることにも、もう慣れた。
逆にこちらが気の毒に思うほどだ。
そんな時、
「自分でする時は、どれくらいでイクの?」と聞かれることがある。
当然正直に、5分ないし10分以内とは答えるのだが、
「じゃあ、一度自分でしてみて?」
と言われることがある。
さすがに、このリクエストに応えたことはないし、
サービスの中に手コキが必ずあるのは、
それで普段から自慰行為をしてることが、一般的であるからなのだろう。
遡れば、このスタイルの自慰行為に目覚めた時期も問題かもしれない。
幼稚園児の後半には、その行為が不思議と快感なことに気づいてしまったのだ。
直接的な原因かはわかりませんが、
床オナの弊害であると考えられる症状は他にあるのでしょうか?
世にブログという言葉が登場したのはわたしが高校生のころだ。絶好調にこじらせた思春期をぶつけるようなエントリを、毎日毎日飽きもせず書いていた。もはや排泄としか言いようがないようなものだったと思う。今読み返したら確実に死にたくなる。でもそこに書いてあることだけがわたしにとっての事実で、そこに並ぶ文字で点描のように描き出される自分だけが本当の自分だった。
そのころのわたしにとって拠り所と言ってもいいくらいだったブログにまた戻りたくなってしまったのは、ありていな28歳独身女の悩みとか、謎のコンプレックスとか、そういうのに共感されることで救われたいからなんだと思う。自慰だろそれって思うし、事実そうなんだけど、とりあえず楽になりたい。誰にも知られずに。
あのころのブログと今のブログって、色んなとこがもうだいぶ違ちゃってるんだろうと思う。だって、もう10年も前のことだし。10年経った今でもブログがわたしを救ってくれるようなことはないかもしれないけど、とりあえず、とりあえずの場所を作っておく。
あなたの趣味は何ですかと聞かれたら私は即答するであろう。「自慰です」と。
小学生の頃から今日まで私は自慰ばかりしながら生きてきた。最初は一枚のティッシュでも十分だったのが、今では十数枚を無造作に引き抜き、大量の液体を思うさま放出する日々である。
一度で数億生じるともいわれるオタマジャクシは、私の身勝手な行為によって、無念にも犠牲になった。女体をまさぐった末に起こる肉体の変化に伴い発射されるのが自然の流れであるし、私が生んだオタマジャクシたちもそれを望んだであろうが、実際には、適当な画像や動画にみだらな欲情を起し、しこしこと上下に僅かな回数動かしただけで、彼らは無理やりこの世に引き出される。
きっと彼らは、温かい体内の中で、数億のライバルたちと対しながら、奴らに勝って卵に突入するという野心を燃やし、そのための準備も怠らなかったであろう。
それなのに。
勢いよく飛び出たところは、あるいは紙の上、あるいは手の上、あるいは、やったぞ性器のスタートラインにたどり着いたと思うやいなや、それが単なる玩具の中であったことに気づき、涙を流して生を終えたものも、少なくなかったにちがいない。
私は彼らに謝りたい。
だが、考えてもみてほしい。青年は、ほぼ例外なく、思春期に入ると自慰を始める。その青年が大人となり、子供を持つまでの間に創出するオタマジャクシの数は、無駄にされるオタマジャクシの数は、数百億、いや、数百兆匹をもかるがると超えてしまうのではないか。
そう、彼らの中で卵にたどり着けるのはたったの数匹(零かもしれない)。残りの、無限にも近いオタマジャクシたちの死は、宿命なのである。
しかし私は声を大にして言いたい。君たちの生は無駄ではなかった、と。
広大な野原にうっすらと積もった雪のように白いティッシュペーパーの上に、さっと撒かれた純白の蜜を眺め、ああ、この中には、俺の種がたくさん泳いでいるのだと、そう思うとき、私は言い知れぬ幸福を感ぜずにはいられない。私の生きがいである自慰に、君たちは華を添えてくれるのだ。
昨日やった32歳の男性。
「俺リピ率高いよ」「楽しいと思うよ」と暗にうまさをアピールしてきたので会ってみた。
結果、超ふつうだった。ただし、彼自慢の性器は形がかなり特殊でたしかに入れるだけで気持ちよかった。
残念だったのは、「今日来てよかった?」「みんなおれとしたら癖になるって言うよ?」とか、
いや、テクはほんと超普通ですし...ていうかそいういうのって女性が自然と言うもんじゃないのかなあ。
「メールではいつからムラムラしてエッチしてもいいって思った?」とか会う気なんてなかったけど、
偶然自慰中にメールがきたら一人でするよりいいかーと思っただけです。
性器はたしかによかったけど、うーんなんか逆に彼のコンプレックスを感じまくって全然楽しめなかったなあ。
いままでの中で、完全22歳マグロ男の次に嫌なセックスだったかも。
みなさん夏の終わりに痴漢が増えるという統計はご存知でしょうか?
頭のてっぺんがハゲたロンゲのおじさんがママチャリ漕ぎながら近づいてきて
おっぱいを軽く触れて猛ダッシュで逃げる事案が多発。
落ち武者おじちゃんの相性で親しまれている。
パッと見ジョニーデップ風のイケメン白人が自慢の巨珍をジョギングパンツからハミ珍させて
澄ました顔してランニングしている事案が多発。
バルセロナのメッシのTシャツを来たおじちゃんが自慰行為をしながら
野球中継をラジオで聞きながら1人でヤジを飛ばしている事案が多発。
ワンカップ大関の瓶にイチモツをいれてしごく姿が目撃されている。
その出で立ちが西郷隆盛に似ている為に
風評被害が予想される鹿児島県からはクレームが寄せられている。
私は小学5年生か6年生の頃から夢精をしていた。一ヶ月に一回くらいの頻度で夢精は訪れた。私は夢精の事実を親には明かさなかった。
夢精を体験したはじめの頃は次のように考えていた。何か妙な感じに起きてしまってペニスが痛くて漏らしてしまったような感覚はあるが、どうやらお漏らしをしたわけではないらしい。かと思えば、パンツは湿っている。どうにもべたつく。しかし大したことはなさそうなのでパンツをティッシュで拭いてそのままにしておいた。なんとなく親には言いづらかった。
私は夢精の正体を知ることなく更なる月日を過ごした。夢精を体験してしばらくたってからは次のような感想を持っていた。どうやらペニスが痛くなってパンツを湿らしてしまうこの現象はエッチな夢を伴うらしい。トイレでパンツを下ろしてみると股に白い粘っこいものが(はんぺんを細く切ったようなものが)はりついているので、これはなんだろう、自分の身体はどうなってるんだ、と思いながらも深く考えず(みごとな思考停止だった)、卑猥な夢を伴うだけにやはり親には相談できないこととして捉えていた。パンツが湿ってしまうのは困りものなので卑猥な夢を見ないように寝る前に無心になるように努力する夜が続いた。久々に夢精をしてしまったときなどは、(ああ、もうそろそろ訪れてもしかたがない頃だと思っていたんだ)とかなんとか思っていた。ペニスが痛くなるのも困りものだった。夢の中ですら、(あ、やばい、これはあれだ、あれがやってきたんだ、起きたらパンツが濡れているあれだ)と今に目が覚めることを予感することがあった。いっそ何か堪えるような態度はやめて衝動的な感覚に身を任せていれば少し気持ちいいのだということに気付いていた。しかしペニスは痛かった。
そんなこんなで夢精は隠蔽され続けた。中学一年生の頃、保健体育の時間中にスライドで一度だけ夢精に関することが登場したことを覚えている。私は、あれのことだと察せられたが、スライドから理解できたことは「そういう現象が起こりえます」ということであって、セックスの存在も対処法も知らぬまま分からぬままであった。クラスメイトとはそのことについて話し合うことはなかった。
中学二年生の冬になって私は自慰を発見した。休日のことだった。家族は借りてきたビデオを居間で見ていたように思う。私だけは寝室にいて、毛布をかぶっていた。毛布の感触が心地よく、なにかむらむらとしていた(と思うのだが、確かな記憶はない)。その心地よさに従ってパンツを脱いでいた。下半身は素っ裸だった。そうしているうちに股間で激しい脈動を感じた。それは脈動ではなかいことは当時のその瞬間も理解していたように思う。何かの兆候であった。その兆候はすでに快楽を伴っていた。多分、私は、とてつもないことが起きると予感していた(やはり記憶は定かではないがこの瞬間に夢精のことを思い出し似たような感覚だと悟っていたのではないかと推察する)。とてつもないことというのは、肉体の一部を切除するがごとき取り返しのつかない代償によって野太く広がる快楽を得ると仮定したならばその取り返しのつかない代償を支払うことにあまりに無思慮でいられてしまうというような意味で、とてつもなかった(つまりは理性の針が振り切れて本能が私を満たしたことを客観的な私がヤバイと呟くも為す術もない様)。毛布は精液で汚れた。これまた記憶が怪しいが、そのときの精液は白ではなく鼻汁のように黄色かった。
私はその黄色っぽくて粘度のあるものと内に満たされた快楽を見つめながら、謎はすべて解けた、と思っていた。これが夢精の正体であり、生命の鍵であり、これから先私を楽しませてくれる素敵な男性的機能であることのどれをも瞬時に理解していた(そりゃそうだ、夢精をし始めてから最低でも二年経っているのだから、無意識的な考えがあったのだろう。ちなみに、これ以後の夢精は激減した。自慰を覚えてから今までにした夢精の回数は3??4回)。
だが、成人して久しい今になって、他の人たちはどのようにはじめての射精を発見(あるいは発明)したのだろうかと疑問に思った。
夢精して、親に相談して、その性的な機能を教わった人はいるのだろうか?
友人と話し合って(そして触りあって?)、発見した人はいるのだろうか?
全部の服を脱ぎ終えた二人はベッドの上で対座する。まだ何ら行為をしていないのにもかかわらず、夏の暑い室内のせいで二人の肌にはすでに汗がにじんでいる。扇風機もクーラーもあえて付けない。今から始まる舞台は涼しさなど少しも必要としないのである。
正座して見つめ合う二人は「よろしくお願いいたします」と日本人らしい丁寧な敬礼で始めの合図をする。男が股間へ手を伸ばそうとすると、女もそうしようとするが、男はじらすと見えて再びその手を引っ込める。女も引っ込める。熱い試合が見込まれるからこそ立ち合いの呼吸はなかなか合わない。
観念した女がついに自ら口火を切った。男もにわかに右手を激しく上下させる。声は男の方が先だった。それにつられた女も負けじと甲高い美声を部屋中に轟かす。男の「おっ、おっ、おっ」という一定のリズムを保った野太い喘ぎと、女の「あー、んっ、っあ、あーー」という不定形の悲鳴とは、双方の良さを引き立てながら、独特の協奏曲を奏でる。浅黒い男の逞しい筋肉と、純白の女の麗しい乳房。互いの目は互いの身体へと注がれ、興奮の波は上昇の一途をたどる。目の前の体には指一本触れていないのに、まるで相手と同化したような気がするのは、性交では決して得られぬ自慰の奇跡と呼んで差し支えなかろう。
小さくうなずく男に女も同じようにして応える。もはや二人は以心伝心の関係だった。「あっ」と短い声が重なったかと思うと、窓から差し込む夕日の向こうから、カラスの群れの鳴き声が、まるで試合終了の笛が鳴るように、二人の心に響き渡った。「ありがとうございました」。裸の男女は、はずかしそうに微笑みながらあたたかい握手を交わした。
嫁が孕んでる間の性欲も我慢出来ない(※しかも自慰は禁止されてないのに※)ゴミクズ共が堂々とふんぞり返って父親ヅラしてるのが今の日本国の現実なんだから別にいいんじゃないの。親のうち50%がクズでも100%クズでも大して違いないだろ。
海外の医療ドラマなんか見てると、アル中どころかヘロイン中毒の母親から産まれて来た生まれつきヘロイン中毒の赤子の出産なんか扱っててロックな国だと思うわ。そんな状況じゃ腹の中で普通死ぬやろと思うけど意外と死なないんだから人体って不思議だよな。
重ねて書くと「子供が一番の被害者(キリッ」とか偉そうに抜かしてる連中は、この父親が子供を腹に入れてる母親に対してしてる仕打ちについてはどう思ってんのかね。
自分が腹の中にいるせいでお父さんがお母さん以外の女と浮気してました! なんてのは虐待の最たるものだと思うんだけど、母性神話狂徒の男性様と名誉男性様的にはそのへんアーアーキコエナーイなの? まあ知ってたけど。
こないだ医療関係の知り合いたちと飲む機会があったんだけど、自分をどうやって慰めるのが好きかって話になったとき、各々凝ってて面白かった。
床や布団を使う者。抱き枕カバーに切り込みを入れて、そこにオナホをセットして発射する者。
経済的合理性を突き詰めてオナホからこんにゃくに辿り着いた者。エネマグラを使っていたら痔になった者。
結局は僕の見聞きした範囲でしかない、しかし、趣向を凝らした自慰をする人々と学歴にはなんらかの関係があるのではないかと思える。
低学歴(と言ってもまあ、大卒ではあるのだが)の人々はむしろ、自慰の仕方そのものより内容(どのAV女優・ジャンルで抜くか)といったところに主眼がある。
コメントありがとうございます。元記事の増田です。
こんな商品が存在しているとは知らなかった。ぐぐってみたところ男性版もあるんですね。
http://www.amazon.co.jp/dp/B00EDDPOHE/
http://www.love-smile.com/shop/dildo/detail/rockyvibe.htm
性的表現の内容や手法は極めて直接的で、性器の表現が表現全体の中核を占めており、
芸術性・思想性等により性的刺激が緩和されていると認められる要素は見当たらず、
また、受け手の好色的興味に訴えることが主目的であるように思います。
「ろくでなし子」氏の性器3Dデータの頒布が取り締まられる一方で、
これらの性器を型どった自慰用の商品が取り締まられないのだとすると、
逆にいえば、「ろくでなし子」氏の件が有罪で決着すれば、