はてなキーワード: 置かれた場所で咲きなさいとは
2018年4月に入社した富士通を同年12月に退職したので、順を追って経緯を説明する。
昨今さまざまな問題が浮上している企業ではあるが、大変お世話になったことに違いはないため、最大限の敬意を払いながら語りたい。
キーワードは3つだ。①新卒採用パンフレット、②メジャー感、③人の良さ。
まず、富士通は新卒採用パンフレットの出来がよかった。大企業ながらも新しいことに取り組んでいく姿勢、ヒューマンセントリックという標語、SIerの実態とはかけ離れた煌びやかさ。(当然ではあるが)新卒者が入りたいと思うような仕上がりになっていた。いま振り返ると、自分の視野があまりに狭かったと反省するばかりだが、当時は純粋にパンフレットを読んでワクワクしていた。
また、会社のメジャー感も入社の大きな決め手となった。富士通には、大手企業ならではの採用における露出の多さや安心感があった。「最初はやっぱり大企業だよな...」社会の右も左も分からぬ中、大手企業以外の選択肢は自分にはなかった。
最後に、人の良さも入社する理由となった。老婆心で忠告しておくが、企業を「人の良さ」で判断するのは悪手だ。採用担当は「人が良い」に決まっているし、何より社内の人間は流動的で、いつ誰が辞めていくかもわからない。
とにかく、このような理由で入社することとなったが、数ヶ月後にミスマッチだと気がつくことになる。
富士通では、約4ヶ月にも渡り研修が行われる。自分にとっては、良くも悪くも学びの多い期間だった。
最初の数週間は、富士通という組織について学ぶ。会社の歴史や文化を知るだけでなく、タグラインである「shaping tomorrow with you」を、単語レベルで分解し意味を咀嚼していったりもした。この研修で、自分は富士通が大好きになった。というよりも、自分が所属する組織に誇りを持っていたかった。事実から目を背けようとしていたところもあったかもしれない。いずれにせよ、自分は至る所で「shaping tomorrow with you」と意味もなく吹聴して回った。普通に死にたい。
5月に入ると、プログラミング研修が始まった。使用する言語はJavaだった。初めてのプログラミングで不安もあったが、本当に楽しく学ぶことができた。「変数とは、配列とは」という基礎レベルから手取り足取り教えてくれる企業は富士通くらいのものだろう。文系出身の自分がプログラミングの第一歩を踏み出せたのは、他の何でもなくこの研修のおかげであり、いまでも本当にありがたく思っている。
そして7月、プログラミング研修が終わった頃、富士通に対する不安、というよりも漠然とした恐怖感を覚えた決定的な瞬間が訪れる。新入社員全員で、社内のとある講演を聞いていたときのことだ。前後の文脈は省くが、講演者の方がこのような発言をした。
「私がam I shaping tomorrow with you?と訊くので、皆さんは全員でYes! I am shaping tomorrow with you! と答えてください。am I shaping tomorrow with you?」
その後、新入社員一同が起立し、
「Yes! I am shaping tomorrow with you!」
という声が響き渡った。
場内は盛り上がっていたようだが、自分は「Yes! I am shaping tomorrow with you!」と言えず挙動不審にあたりを見回していた。「shaping tomorrow with you」というタグラインはいまでも大好きだが、あまりに画一的で、どこか宗教的な様子に一歩引いてしまったのだ。この瞬間から、「この会社は自分に合わないのかもしれない」という確信めいた気持ちが生まれていた。
8月中旬。当然のように配属は希望通りにならず、長年運用が続くレガシーシステムに携わることとなった。使われている言語は、当然のようにCOBOLとJavaアプレット。新卒パンフレットとは全然違うじゃないか!とは思わなかった。その頃にはある程度SIerの現実を知っていたからだ。だから、何とか楽しくやっていこうと思った。興味のない分野かつ、レガシーな環境だったが、自分の周りだけでもハッピーにしていくつもりだった。それに研修でも「置かれた場所で咲きなさい」と教わった。(ある種の教え込みだったのかもしれない)
業務に関して詳細を語ることは控えるが、自分のメインの仕事は「コピペ」だったのだ。EXCEL方眼紙で作られた手順書の通り、文字通り、ctrl+Cとctrl+Vを交互に押していくだけの簡単なお仕事。一日中コピペを繰り返していると、指が変になりそうだった。また、ディスプレイは貸し与えられないため、いくつものウィンドウを小さなラップトップで開き、何とかやりくりして捌いていた。
それが何週間にも渡って続き、9月の中旬には退職を決意していた。
しかし、そんなすぐには会社を辞められるはずもなく、当面は転職のための勉強を続けながら働くことになった。
念のため言っておくと、富士通での仕事は決して悪いことばかりではなかった。メインの業務は相変わらずコピペだったが、トレーナーが不憫に思ったのか、マネジメントや社内ツールの作成にも携わる裁量を与えてくれた。残業はほとんどなく、毎日定時で帰ることができた。それでも自分がたったの9ヶ月で退職をしたのは、「今のままではマズイ」という本能的な危機感だった。コピペやEXCEL方眼紙の業務では何のスキルも身につかないし、たとえ開発に携われたとしても言語はCOBOLだ。自分の未来は果たしてどうなるのか?ひたすらに頭を捻った。自分の人生について、初めて本気で真っ正面から考えた。
...可能な限り早い段階での退職。それがベストな答えだと悟った。
退職するに当たって、一切の問題は発生しなかった。退職の旨を伝えた際、引き止められることはあっても理不尽なことはなかった。手続きも大変スムーズであり、非常に感謝している。
自分はこれから、Webのエンジニアになることが決まっている。結果として、富士通での9ヶ月は「自分が本当にやりたいこと、実現したいことは何か」に気づくための期間となった。周りよりも一手遅れてしまったが、とにかく、富士通での業務は自分にとって必要なステップだったのだと思う。昨今、富士通に対するネガティブな記事が数多く出回っているが、富士通をはじめとするSIerは決して悪ではない。そこにはただ「合う合わない」があるだけだ。誰もが自分に合う職場で、ハッピーに働いていければそれでいいと思う。苦い経験ではあったが、富士通での経験無くして今の自分はいないということを忘れず、これからもハッピーに働いていきたい。
子供の本
例えば、有名な
に始まり、
「いまから、君が社長をしなさい。 ~経営思考を身につけるインバスケット・トレーニング~」
「大事なことはすべて記録しなさい」
「あなたのお金を「見える化」しなさい! ~ビジネスパーソンのための新お金管理術~」
…
何様のつもりなのですか?
自己啓発本に多い印象。
もともと自己啓発本なんか読んでる奴の気が知れないと思っているが、
タイトルのせいで嫌悪感を感じるのは自分だけではない気がする。
あと、本筋とはずれるが「置かれた場所で咲きなさい」の「置かれた」っていう受け身表現も気になる。
これを、以下のように変えてみたらどうだろう。
「いまから、君が社長をしよう。 ~経営思考を身につけるインバスケット・トレーニング~」
「大事なことはすべて記録しよう」
「あなたのお金を「見える化」しよう! ~ビジネスパーソンのための新お金管理術~」
これだけで、手に取ってみようかな、という気になる。
でも自分の幼さを実感する日々で、仕事で一人前になるのも、結婚するのもはるかさきだと感じる。
働くのは編集プロダクションなのに上司が70代前で、現代風の出版物を出したい顧客と上司との板挟み。
取引先には見下してくる女もいるし、見下されるのに対して正面から反抗してしまうから、よけい反発されて、なんのために働いているのかわからなくなる。
おもしろい本をつくりたかったはずなのに、ぜんぜんつくれない。
自信をもってなにかを提案することができないし、ストレスから会話のテンポも遅くなっている気がする。
うまくいかなさをすべて自分の幼さのせいにして、自己啓発やらを読み漁ってみたりする思考になるものの、どこかでそんなところに出口はないとわかっているので本気になれない。
でも出口を見つけるには自分の思考が足りないのもわかっていて、立ち往生してしまう。
ぐだぐだぐだ書き連ねたけど、二十代後半の女子は第二の青春ともよぶらしい……。
そういう時期なの?
自分なりの幸せを見つけられればいいとおもいながら、どこかで高望みしてんだろうな。
すてなさい?置かれた場所で咲きなさい?
そんなのわかってるんだ、わかってるけど感情がついていかないんだ。
編集だからって意味のある文章で昇華しようとしてたからだめだったのかな。
こうやって書いたらすこしすっきりした。
ここまで読んでくれてありがとうございました。
グチグチ文句ばっかいってるやつ多いよな。そういう人間だからそういう環境にいるんだろうけどな。置かれた場所で咲きなさいってことだよね。
自分はこんなところに来てしまったが、本当は早稲田に入りたかった。と大きな声で主張する人が。
時々通りすがりにも聞こえてきたりする。(そういう人って大抵男子学生で、そういう人って4年間で見ると大成してない人が多い気がする。)
大学っていろんな人がいるところで、ただなんとなく喋ったり群れたりするために通う人もいれば、
脇目も振らず勉強する人、何かの組織に属して努力する人、いろんな国を旅して周る人など
自分で自分の道を切り開いている人が、探せば周りにたくさんいる。
外枠はあくまで外枠で、その中でどんなきっかけを掴みどんな価値を創り出すかは本当に自由だから、人それぞれなんだよね。
私はそのことに気づくのが遅れたタイプだけど、気づけただけよかったと思っている。
学歴は試験によって測られた、紙の上に乗っかったものだという考え方から、もうそろそろ離れてもいい頃じゃないだろうか。
これからは自分がどう動くかによって得るものの重みが変わってくる段階。学歴をただの付属物として、動かないものとして見るのをやめてみたら?
あなたが何に興味を持ってどんなことに挑戦してきたのか、成功失敗含めその一連のストーリーの方が今後武器となってくるから。
それに、学歴の差にこだわる彼女は心が狭すぎるし、劣等感に苛まれる時間があったら行動を起こせ。これに尽きる気がします。
というか、大学についてうじうじ考えている彼氏と、やりたいことを頑張ってキラキラしている彼氏だったら、彼女は断然後者のほうに惹かれるのでは?
・どうしても気になるなら学歴について彼女と少し話し合ってみる。
・早いうちにやりたいことを見つけてエンジンかける。勉強、趣味、バイト、インターン、海外。
『置かれた場所で咲きなさい』って本の題名を聞いたことがあるけど、今目の前にある縁を最大限活用してほしいです。
あと、“脅されず、踊らされず、踊れ”!