はてなキーワード: 怠惰とは
働くことが嫌いだ。甘ったれ?そんなの重々わかってる。
仕事なんて可能ならしたくないし、やりがいを人生に持ったことがない。人に寄り添うことも出来ないし、この世界を良くしようとも思ってない。一人でそれなりに生きて行けるなら何だっていい。けどその『なんだっていい仕事』をするのが嫌なんだよな。仕事がしたくないので。
転職サイトを眺めた時の『こだわり』部分に何も書けない自分に愕然とする。なーんにもない。出来たら正社員がいいなぁなんて甘っちょろいことは考えるけど、本当に技術も資格もない。手先はびっくりするほど不器用だ。それにきっとこういうやつは転職した先でも辞めたいなぁとぼやく。
そんなのは全部わかってる。自分のことなんて嫌という程わかる。
だからただただ、辞めたいなぁと思うだけでのうのうと生きている。
能無しなのに籍を置いてくれている今の会社以上に甘くて優しいところはないってのもある。いやほんと、ありがたいなぁ、それでも辞めたいんだけど。
ネットでチェックシートをやってみると、まぁ全部見事に該当するんだけど、これで検査に行って『障害でも何でもなく、ただやる気と実力がない怠惰な人間』だと判断されたら嫌すぎるので、検査もしてない。注意力の散漫さが人一倍だとしても、だ。だから同情してもらうことも出来ない。ウケる。笑っている場合じゃないが。
そんなこんなで『社会に合わなくて生きづらい人へ』みたいなタイトルの心温まる漫画や啓発本に辿り着くと、手に技術があるんだよな。
ハンドメイドで、イラストレーターで、在宅で出来る独自の仕事で、社会に合わなくても生きていけるよ。とか。大概はそんなオチが来る。
言っておくがそんな技術はない、センスもない。かといって勉強する気もなくて、手先も昔からずっと不器用で。図工や美術や家庭科はずっと2か3だ。下手すぎて面白いイラストが書ける訳でもない。本当にただ人よりも出来なくて、出来ないに突き抜けた人でもない。この手は見た人がコメントしづらいものしか生み出せない。この文章もモヤモヤだけを生み出すことだろう。本当にナンセンスだ。
それから、そんなに働きたくないなら生活保護でも受けたらいいだろ、とか。そんな事言われても一人でそれなりに生きていける、という部分が崩壊してしまう。こちとらそれだけが譲れない部分なんだ。あと、毎月知らん人が来て働けって言われるの嫌過ぎる。
なんやかんや言って、心の底から現状を打破する気がなくて、でも仕事はしたくなくてずっと息苦しいから『辞めたいな』とか言ってるだけなんだよな。知ってるよ。
早いところやめたいや。
ある朝、夫が「今日の夜、少し話があるんだ」と言った。
その日の夜、離婚を切り出された。
突然のことだった。そう感じたのは私だけなのかもしれない。
我が家はセックスレスであった。最後に事を為したのは遥か昔である。結婚して2年目頃からだろうか。
原因は私にある。夫を性的な対象として見る事が出来なくなったのだ。
最初は濡れないだけだったが、時が経つにつれて口付けすらしないようになっていった。
二人の間には当然溝ができた。性行為の話題になるといつもギクシャクした雰囲気になった。
共に食卓を囲む時、遠くへ旅に行った時、彼と一緒にすることは全て楽しかった。
その日の夜、彼はこう言った。
「なんで俺ばかり我慢しないといけないんだ」
セックスからずっと目を背けてきたから仕方がない。私は何も反論することなく。ただ「ごめん」と言った。
「セックスレス以外不満はない」と聞いて少しホッとした。
それから彼はすぐに家を出ていった。
"すぐ"というのはその次の日のことだ。昨日の今日ですぐに住める場所があるのだろうか。
おそらく何とかなるような「人」がもういるのかもしれない。そう思うとさらに申し訳なくなった。
それから一人で住むにはやや大きすぎる家の真ん中でポツンと過ごし始めた私はあの「楽しかった日々」は何だったのかについて考えた。
もしかすると、「楽しかったのは自分だけ」だったのかもしれない。
ついに気づいてしまった。
彼はずっと我慢していたのだ。
そうだ、楽しめているはずがないじゃないか、ずっと我慢していたのだから。
本当は彼の掌の上で楽しませてもらっていたことにバカな私は気が付かなかったのだ。
離婚は当然の結果であった。
本音を話そう。
彼に対しての私の気持ちだ。泥臭く醜い悪あがきだ。
彼には伝えられなかったこの言葉がずっと消えずにモヤモヤと頭の中を回っている。
彼の情緒不安定さや怠惰さについて。当然のように終電まで遊び、朝帰りすることについて。セックスレス以外に不満がないことについて。
本当は私がどれだけ苛立ちや不安を感じる日々だったか彼には伝わっていなかったはずだ。
セックスレス以外に不満がないのは当然である。私が「我慢」していたのだから。
私は長い事、セックスレスに負い目を感じていた。
だからそれ以外の私生活では極力彼の自由を応援した。これが贖罪になると思って生きていた。
確かに私はあなたに濡れない。だから代わりに君の好きなことを自由にやっていいよ。何も言わずに応援する、と。
私は勝手にそれがセックスと等価交換出来ていると思い込んでいた。
だから
「なんで俺ばかり我慢しないといけないんだ」
という言葉が胸の奥にピンっと張っていた細い糸を切った。
文章にしたら少し落ち着いた。
こんな時間だし誰にも見られることはないだろう。
ネットの波に消えていってくれ、「私」の思い出!
ーーーーー
ある朝、妻が「今日の夜、少し話があるの」と言った。
その日の夜、離婚を切り出された。
突然のことだった。そう感じたのは私だけなのかもしれない。
我が家はセックスレスであった。最後に事を為したのは遥か昔である。結婚して2年目頃からだろうか。
原因は私にある。妻を性的な対象として見る事が出来なくなったのだ。
最初は勃たないだけだったが、時が経つにつれて口付けすらしないようになっていった。
二人の間には当然溝ができた。性行為の話題になるといつもギクシャクした雰囲気になった。
共に食卓を囲む時、遠くへ旅に行った時、彼女と一緒にすることは全て楽しかった。
その日の夜、彼女はこう言った。
セックスからずっと目を背けてきたから仕方がない。私は何も反論することなく。ただ「ごめん」と言った。
「セックスレス以外不満はない」と聞いて少しホッとした。
"すぐ"というのはその次の日のことだ。昨日の今日ですぐに住める場所があるのだろうか。
おそらく何とかなるような「人」がもういるのかもしれない。そう思うとさらに申し訳なくなった。
それから一人で住むにはやや大きすぎる家の真ん中でポツンと過ごし始めた私はあの「楽しかった日々」は何だったのかについて考えた。
もしかすると、「楽しかったのは自分だけ」だったのかもしれない。
ついに気づいてしまった。
そうだ、楽しめているはずがないじゃないか、ずっと我慢していたのだから。
本当は彼女の掌の上で楽しませてもらっていたことにバカな私は気が付かなかったのだ。
離婚は当然の結果であった。
本音を話そう。
彼女には伝えられなかったこの言葉がずっと消えずにモヤモヤと頭の中を回っている。
彼女の情緒不安定さや怠惰さについて。当然のように終電まで遊び、朝帰りすることについて。セックスレス以外に不満がないことについて。
本当は私がどれだけ苛立ちや不安を感じる日々だったか彼女には伝わっていなかったはずだ。
セックスレス以外に不満がないのは当然である。私が「我慢」していたのだから。
私は長い事、セックスレスに負い目を感じていた。
だからそれ以外の私生活では極力彼女の自由を応援した。これが贖罪になると思って生きていた。
確かに私はあなたに勃たない。だから代わりに君の好きなことを自由にやっていいよ。何も言わずに応援する、と。
私は勝手にそれがセックスと等価交換出来ていると思い込んでいた。
だから
という言葉が胸の奥にピンっと張っていた細い糸を切った。
文章にしたら少し落ち着いた。
こんな時間だし誰にも見られることはないだろう。
ネットの波に消えていってくれ、「俺」の思い出!
長所と短所は表裏一体というが、自由というのも長所と短所が表裏一体だと最近分かってきた。
俺は大学に入って自由に過ごしていたが、そのうちこれは自分でゲーム環境を構築しなければいけないのだという感じである。人間関係なんか自由に誰とでも付き合えるが、逆に言えば自分から動かないと築けないわけで、勉強とか運動とかも自分で管理しないといけない。自分含め高校に戻りたいとか思っている大学生は、その辺の管理ができないんだろうなって思う。
高校までは教室があってクラスメートがあって、なんとなく部活に入らなくてはいけない雰囲気があって、やるべき勉強があって、と色々お膳立てをしてもらったので、自分で考えなくても脳死して努力していればそれなりの結果を出すことができた。だけど大学ではまずクラスなんてないから、自分から人間関係を築いて行かなくてはならない。こいつは合わないと思ってすぐ切ることもできるが、後からめんどくさいことになっても自己責任である。怠惰に過ごしてもいいかもしれないが留年も自己責任。何してもいいが自分でケツは拭えということで
結構システム的に社会主義から資本主義に変わるくらいの感じがある。実際資本主義社会に出るわけだけど、教育制度が平等を重視しすぎて社会主義に寄りすぎていたのかもしれない。
薬飲み始めて全然減らなかった体重が減って、70kgになった。
薬飲み始めたらすぐに痩せた。
今までどこに行っても「食生活だ」とか「運動しないからだ」とか
「本人の努力不足でデブるんだ」「意識せずに食いすぎ」じゃないわ。病気だわ。
「太る病気(代謝が減る病気)とかじゃない?」みたいな事言ってくれたの、親友と家族だけだわ。
薬を飲み始めたら痩せた、免疫系の持病のせいだったと言うと
「事前情報が無かったんだからしょうがない」と言って謝罪もしない。
悪かったとも思ってないでしょう。口先だけの人間はみんなそう。
余計なことに口突っ込んでくるくせに、間違いに気づいたら謝罪もせずに逃げて相手の問題にする。
眠れないし、書いて吐き出すことにした。
一昨日まではのんびりしていた。大学生活も3年終わり、コロナのおかげで公然と引きこもってゲームが出来る春休みを謳歌していた。脳を溶かしてる一方、周りは忙しくしていてなんか会社説明会とかやっているなとのほほんと思っていた。
進路については特に考えていなかった。自分の将来を考えるのが怖いし、考えてしまったら3年間続いてきたデカダンな生活を永遠に手放すように思ったからだ。
怠惰な生活は3つの要素で構成されていた。動画、ゲーム、睡眠だ。だらだらとYouTubeで動画を見て、飽きたらゲームをして時間を潰し、疲れて寝る。振り返ればこの3年、時間を浪費し続けてきた。真剣に考えるのは面倒くさいし、アホなことは今しか出来ない。時間を浪費する自分カッケーとさえ思っていた。イタいなコイツ。もちろん、自分は間違っていた。
家族には何となく自分は公務員志望だと言っていた。勉強もしていると口では言っていた。実際は勉強していないし毎日動画、ゲーム、睡眠のサイクルを繰り返していた。宣言しておけば何も言ってこないから、ずっと空手形を切ってきたのだ。
昨日の2月最終日、いよいよ3月を迎えるにあたって急に焦り始めた。このままだとマズいと四季報と業界地図を引っ張り出して適当でいいからエントリーしようと思い立った。合説がコロナで延期という報道がつい先日までは対岸の火事だったが1丁目1番地、火災旋風のド真ん中に放り出された。
日付が変わって3月になった。解禁と共にエントリーしたもののなんてことは無い、会社説明会は概ね延期されていた。採用も進まないだろう。なんだよ。さぁ安心して横になろうと思ったら全然寝られない。不安だ、何もやってこなかった不安が今になって襲ってきた。
もう自分は今までの能天気なフリで騙せない。いつかこうなると分かっていた。サボっていたツケを払うため、遅ればせながら戦争に参加することしか自分には選択肢が無い。
他人の責任にして逃げてきた。今回の合説全滅だってコロナのせいにしてしまえば自責に苛まれずに済むし、気が楽だろう。しかし、全ては自分の責任なのだなと思わされた。事前に選考に参加していれば蜘蛛の糸を切られて窮することも無かっただろう。
大学がモラトリアムになっていないことも、コロナの余波も、責任をそれらに押しつけてしまえればどんなに楽だろうか。ルールを知らずに浪費していた自分はここから立ち上がるしかないのに。
面倒くさくなって寝込むこともあるだろうから、そんな時はここに書きに来てサッパリと忘れることにする。今までの自分と永訣する意を込めて。
とにかく怠惰で生きていけそうにもない
社会では容姿よりも頭脳よりも勤勉さ(とそれを周りに見せる能力=コミュ力)が重要だと日々実感する
ほぼ全ての職場においてどこまでがサボりと見做されるかという基準は曖昧である
トイレの時間は何分まで、書類を書いた後次の書類に取り掛かるまでの時間は何分までと決められている職場はほぼ存在しないと思われる
はじめは何とか働くがトイレに行く回数が増え、一度のトイレに要する時間も長くなり、あの手この手でサボろうとしてしまう
当然、出来高も減っていくので言い訳の回数も増えるし謝ることも増える
これでは駄目だと思うけど体が言うことを聞いてくれない。
実際に働いている時間が職場にいる時間(勤務ということになっている時間)の3割くらいになったところで居辛さが限界に来て辞めてしまう
スペックが高いので次の職場も割とすぐ見つかるが、後5, 6年もすると見つからなくなる気がして毎日生きた心地がしない。
容姿 : 身長178cm, 体重58kg それなりに言い寄られて恋人には困らなかったので悪くないと思われる。たいてい怠惰さによって喧嘩になり別れる。現在は既婚(怠惰で妻に申し訳ないので結婚するべきでなかったと反省している)、子供はいない
学歴・資格など : 京都大学卒、職に困らない専門資格持ち(医師資格や弁護士資格のような最強資格からは遠く離れるけど)、TOEIC 800~850
収入 : 年700~900万
年齢 : 30前後
ADHDも疑っているが病院に行っても二回目の病院に行くことができないので(行くのをサボってしまう。予約してキャンセルを繰り返しすぎて行きづらくなり行かなくなる)未診断である。