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はてなキーワード: ドナトとは

2021-05-04

anond:20200504195332

中学の時かなと思う。

日本音楽コンクール作曲部門投函する人に、大学院に在学中ですとか、シエナフランコドナトーニのマスタークラスにいますとか、パリ音楽院でジェラール・グリゼイについてますとか、そういうのを聞いたのが中学の時だよ。

小学校の時は、名前を聞いたが、何をするところなのかイメージできてないくらいかな。中学で間違いないと思う。


昔話で申し訳ないが、まだ大学院に行かないと何もわからないとか、そういうのは全くなかった。京大放任主義で「大学入学したら勝手あなたたちで勉強してください」時代で、早いやつは大学1年で将来の設計ができるのがいた。

1980年代常識だと、大学1-2年で没した数学者遺産はくみ取ってしまい、大学3-4年で存命の数学者アタック大学院1-2年で自分の同世代タイマン争いするってのが定番だったような気がするし、1950年代まれ教授もそうしているのが多い。

音楽も実は一緒で、大学1-2年で死んだ音楽家は全部覚えてしまい、大学3-4年で存命の作曲家を研究するのが定番だった。ちょうどメシアンケージ、アイネムやユンがなくなってしまい、そのあたりを大学2年までに知らないとダメで、大学3年以降は存命の作曲家、当時はラッヘンマン、ファーニホウ、ディトリッヒ、グロカール、シャッリーノ、サーリアホ、ディロンが攻略対象で、バーレットは日本人では誰も攻略できなかったんじゃないかな。


今日本人は退化してしまって、大学院の1年だとジェルヴァゾーニってとこらしい。こんなぼっちゃまおじょうちゃまレヴェルでは困るんだよねえ。大学院修士1年だと、クライドラーかステン=アナーセンでお願いしますよ。ほんとはサンダースかエカルまでやってほしいんだけど。ここら辺は博士の1年になってしまう。

2021-02-10

anond:20210210142005

§1900年代中盤以降(第一次大戦終了によってロマン主義印象主義が古くなった時代に真価を発揮した作曲家たち)

適当に追加しとくね。1950年以降に無視できなくなった作曲家たち。

イタリア

マンゾーニ

アンザーギ

ドナトーニ

ノーノ

デル

ペンニーシ

トンニ

グァッチェロ(お父さんのほうだよ)

東ドイツ

パウルハインツ・ディートリヒ

ゲオルク・カッツァー

シュテッフェン・シュライエルマッヒャー

西ドイツ

シュトックハウゼン

ラッヘンマン

W・リー

オーストリア

イネ

ベアート・フラー

フランス

ブーレーズ

ミュライユ

アナ

バラ

デュティ

メシアン

ゲゼック

ハンガリー

クルターグ

リゲティ

チェコ

カレル・フサ

イングランド

ファーニホウ

フィニッシー

バートウィッスル

ソ連

ティチェン

フレンニコフ

スロニムスキー

アレクサンドル・チャイコフスキー

シチェドリン

デニソフ

ユーラシア全般

グバイドゥーリナ

ニート

ウストヴォリスカ

ハチャトリアン

中国

タン・ドゥン

チェン・イ

日本

武満徹

北朝鮮

パイク・ビョン・ドン

ユンイサン

韓国

ナム・ジュン・パイク

カン・ス・キ

チン・ウン・スク

アメリカ

ケージ

ハリソン

ブラント

グラス (交響曲を量産する前)

シュリー (電子メディアに乗り換えて以後)

ライク

カナダ

シェーファー

ポーランド

ルトスワフスキ

ペンレツ

シャローネク

スウェーデン

ハンブレーウス

ペッタション

ベルギー

イヴァールツ

オランダ

トン・デ・レウ

アントワーヌ・ボイガー

インドネシア

パウル・グダマ・スギ

ベトナム

グエン・ツェン・ダオ

台湾

パン・ファオロ

スイス

クラウスフーバー

アルバニア

トマ・シマ

南アフリカ

ケヴィン・ヴォランス

マルタ

チャールズ・カミリエーリ

スコットランド

ロナルド・スチーブンソン

P・M・ディヴィス

スペイン

トマスマルコ

ルイス・デ・パブ

ポルトガル

エマニュエル・ヌネス

フィンランド

カイヤサーリアホ

プエルトリコ

ロベルト・シエラ

メキシコ

チャベス

ナンロウ

カリージョ

ブラジル

ジョシー・デ・オリベイラ

ギリシャ

クセナキス

トラブロス

ロゴテーティ

ブルガリア

スパッソフ

トルコ

サイグン

インド

ザンデープ・バグティ

クラレンス・バーロ

ノルウェー

エック

タイ

ナロングリット・ダーマブト

アルゼンチン

ナステラ

カタルーニャ

モンポウ

ブラジル

カマルゴ・グアルニエリ

クロアチア

ミルコ・ケレメン

2020-12-11

公立中は低学歴・低収入人間が行く場所で、そこはろくに法の及ばない学校のなかで酷い学級崩壊が起こったり、堂々と犯罪行為が行われているような状況である」ってのは思いっき学歴差別なんだが、誰もがそれをやる。

昨日は動物園という単語にも食いつきがよかったような気がした。なぜ人は差別をするのか、という考察がない人が多いのが気になった。

全てをそうだと決めつけるのは差別であることは間違いがない。では能力の高い数学者はどこから出てくるだろうか?どこの国から平等に出てくるだろうか?ベトナム100年に1人の天才といわれるゴ・バオ・チャウを輩出したのは周知のとおりであるしかし、彼はどこで勉強したの?少数の増田が嫌うフランスだよ。母国ハノイ大学院では勉強にならないので、留学をしたのが真実である。今でも多くの増田にとって、ベトナムは相変わらずの後進国というイメージが強いのではないか

「あそこら辺の国は、だめそうだなあ」と感想を言うことすら差別というのであれば、人は感情をおおっぴらに出すことができないし、出すなという社会になるだろう。そのような社会では、人は平然と隠れて差別をすることが常識になるし、将来的には隠れて差別しましょうという標語までできるかもしれない。そんなことはないといっていたのが昭和期のサルゴリラだらけの日本だったが、今の中国は将来これをやりそうである

差別をするな、というのであれば、動物園同然の環境を直せばいいだけの話であり、直らない限りは永遠に差別が加えられるだろう。今から30年後は中学のみならず、大学修士課程動物園になりそうである。もうフランスでは学士試験が受かれば修士のための試験は省略できる。日本もこれに追従すれば、日本場合修士課程動物園になるだろう。だからと言って殴り合いにはならないと思うが、考えられない論文を提出するのが横行するだろうし、それに近い事件はもうある。

日本オーケストラサントリー音楽財団から命令されなければ、何の現代音楽世界初演できなくなっていることを、今の増田はご存じだろうか?かつての日本高度経済成長なる標語まであった頃は違ったのである。あの時代日本サルゴリラだらけの田舎地方人権はなかった。なかったので、完全無視してコンサートプログラム構成していたのである。今でも、あれだけの自由度の高いコンサートプログラムを作れたことをうらやましがる90代の音楽人は多い。当時、田舎地方サルゴリラコンサートには来なかった。田舎地方人間は、クラシックどころかプログレッシブ・ロックも知らなかったし、購買層には見当たらなかったらしい。そのような首都圏でも、フランコドナトーニなどの作品を集めたイタリア文化会館の旧ホールコンサートでは客が20人以下であった。今20人以下なら、田舎地方サルゴリラは真っ先に差別するだろうが、いなかったので自由にできたのである。まだ首都圏に集う教養層は迫害されていなかった。教養層は田舎地方では確実に迫害されるのが常識で、それが嫌だからみんなわざわざしんどい思いをして大学に行くのである

1980年代になると、田舎地方を嫌って東京にやってきたサルゴリラコンサートホールに堂々とやってくるようになり、その10年後には自由度の高いコンサートプログラムは全くなくなったといっても過言ではない。現代音楽演奏こそ、小規模なものは充実してきたのではないかと思う一方で、大規模なもの1970年代の水準を下回っている。言い方は悪いが、田舎地方サルゴリラが、日本クラシック音楽業界根底から破壊したのである運命100回、なんてのも普通で、独創性のあるプログラムなんてものはあまりない。小規模な室内オーケストラは、あれでも結構曲目を考えているのかもしれないが、しょせんNAXOSYOUTUBE検索して構成してるだけで、図書館から資料を引っ張り出して決めているとはとても思えない。

日本クラシック音楽田舎地方サルゴリラによって半分以上破壊されてしまったようなものだが、これでも「差別をするな」と言うのだろうか?破壊があったので差別が起きるのだから破壊最初からなければ差別も生じるわけがない。今は酒と煙草風俗パチンコ差別対象だろう。あれがなければ、大学もっと多くの子供がいけたのは確かではないか

現在国際コンクール覇者ほとんどが地方人だが、東京首都圏の人々はあまり狙わなくなった。なぜだかわかるだろうか?東京首都圏に大量に田舎地方人が紛れ込んで、教養層を破壊たかである1970年代までは破壊されていなかったのではないだろうか。いったん破壊された層はもとには絶対に戻らない。残骸だけが残るのである。今でも首都圏音楽大学2020年代の現代音楽セミナーをすることはほぼ絶対不可能で、2000年代でまあなんとかってとこだろうか。現在中国1970年代ならセミナー可能である

この理屈で言えば、人は差別をすることでよりよい情報密度を求めてきたとは言えないだろうか?これが、ヨーロッパ合理主義が隠してきた真実である。この真実を強烈にアピールしているのが中国である。どちらが勝利しているかは、私が言うまでもない。

 
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