はてなキーワード: 夫婦別姓とは
もう自分はこの問題に関わりたくないしもはや放っておいてほしいと思ってしまっている
理由は簡単でふたりとも慣れ親しんだ名字を変えたくなくてどちらかが変えなきゃいけなくなり、私が変えたというだけである。
そこに男尊女卑が家制度がとかそういうのは存在せずただ二人が変えたくなかったというだけである。
運がよく旧姓が使える仕事だったので私は本名を強制されない場合以外は旧姓を使っていて、まぁ夫婦別姓が実現されればそれは楽だなぁというスタンスである。
でも世間はそのように見てくれない。
ジェンダー論を振りかざしてくる人にお前は理解している、世の中の男どもは糞だと肩を抱かれ
お前は妻に苦労してるんだなと慰められ
自分のスタンスを明示していなかったけど、各論としては選択的夫婦別姓に反対はしてない。細かい制度設計で気になる点はあるけど。
元増田の文意は、「リベラルってこれでいいの?」という疑問にあって、個別の制度自体の是非についてはあまり議論のモチベはない。
『文化や伝統』を守りたいというのは個人の自由だし、そこはマイノリティであろうがマジョリティだろうが尊重するつもりだよ。ただそれは、あくまで他者の自由を阻害しない範囲でやってもらいたい。
『文化や伝統を守る自由』ってのは本当に『別々の姓を名乗る自由』の侵害無しには成り立たないのか? 選択的夫婦別姓制度が(極端な例だが、"人を殺す自由"を認めた場合の様に)社会に著しい害をもたらすというなら否定するのもわかるし、考えるべきだと思う。だが少なくとも『損なう可能性』や具体的でない『デメリット』のみでは納得感が薄い様に思える。
『理解を示して妥協点を探るべき』という考え方には個人的には共感するし、リベラルが先鋭化しているというのは多分そうなんだろうけどな。
ただ、『選択的夫婦別姓』という考えを『バッサリシャットアウト』しているのは『文化や伝統』を重んじる層ではないのか? この辺卵が先か鶏が先かの水掛け論になりそうではあるが…。
というか保守派は『文化や伝統』に基づけば他者の自由を侵害することもやむ無しと考えているのか? だとすればそれは先に挙がった『リベラルの基本理念』と根本的な部分で相容れない様に俺には思える。『他者の自由を阻害しない範囲』を越えた『自由』だからだ。
別姓制度を単体でみたときに、メリデメを合理的に考えればそうなる、という点で同意。
ただ、「文化伝統の維持」という主張に対する反論としては、議論のずれというか噛み合わなさを感じる。
そもそも保守思想というのは、人の考えうる「合理性」などたかが知れている、というスタンスであり、それゆえに伝統(現状維持)を志向するんだと思ってる。
確かに各論でみれば選択的夫婦別姓に反対する理由はないんだけど、そういった部分最適を積み重ねた結果、本当にみんなが幸せな未来(自由の侵害が最小化された世界)が来るのか、あるいはなんらかの予測しえなかった機序が働いて、もっと深刻な差別が発生するかもしれない、という懐疑論なのね。
そうすると、懐疑だけじゃなくて根拠をデータで示せよ、お気持ちじゃねーかよ、ってリベラルは主張するわけだけど、保守からすれば、そもそも人間がデータ化して認知し予測できる世界なんてまだまだ不十分だ、というのが基本スタンスなわけ。
実際に現代の科学でも株価も天気も予想できないじゃん。なら歴史に学んだ方が「合理的」だ、と。
なんで、「自由の侵害」を各論レベルでしか考えない反論、というのは、保守的な問題意識とは噛み合わんなーと思うわけです。「文化や伝統」というのは総論だから。
まあ保守側も「伝統を損なう」みたいなふわっとしたこと言うから、なかなかまともな議論にならんのですけどね。これは現状維持バイアスこそが保守みたいなとこあるんでしゃーない。
でもそこで、「保守を”ただの不合理なお気持ちバカ”とみなすような言説」がリベラル(?)に目立つんで、それはちょっと相手を見くびりすぎだし、多様性と相互理解を標榜するリベラルとしてどうなん?ということが言いたかったのでした。
君の言い分をまとめれば、「リベラルは『他者の自由を阻害しない範囲で思想信条の自由は尊重されるべし』という理念を守ってないんじゃね?だって保守派の主張を全面的に不合理なものとしてバッサリ斬り捨ててるし。理念に基づいて妥協点を探るべきだろ」となる。(合ってるよね?)
実際には保守派の理念は『他者の自由を阻害しない範囲』を越えて自由に振る舞うことをよしとするものだった。当然リベラルにとってそれは自らの理念に外れるから、受け入れられない。理念に外れるものを尊重する必要はない。となり、過激な叩きが横行するんだろう。俺の想像だが。
だとすれば(叩きの是非はともかく)リベラルは自らの理念にどこまでも忠実である。とすら言えそう。
という結論にひとまず到ったんだけど、どう思う?
うーん。まあ前段はそうなんですが、私は保守派の理念をそこまで悪意的なものと解釈していません。はてなの左派言論において、保守思想に対する悪意的解釈が多くみられるように感じているので、それを指摘したい、というのが私の意図ではありました。
保守の言いたいこと汲み切れてないんじゃない?保守の主張が「一面的に他者の自由を損ねることをよしとする言説」に読めるのは、読解が足りないかバイアスかかってるんちゃう?ってことをリベラルに言いたい。
呉座問題には興味ないが、選択的夫婦別姓は認めるべきと思ってる個人だが。
俺がリベラルかどうかはさておき、確かにそう思ってる。(というか社会運営上の基本理念の様に思う)
選択的夫婦別姓について言えば、現状別姓は認められておらず、『夫婦で別々の名字を名乗る』自由が侵害されている状態だと考えてる。
その上で
『文化や伝統』を守りたいというのは個人の自由だし、そこはマイノリティであろうがマジョリティだろうが尊重するつもりだよ。ただそれは、あくまで他者の自由を阻害しない範囲でやってもらいたい。
『文化や伝統を守る自由』ってのは本当に『別々の姓を名乗る自由』の侵害無しには成り立たないのか? 選択的夫婦別姓制度が(極端な例だが、"人を殺す自由"を認めた場合の様に)社会に著しい害をもたらすというなら否定するのもわかるし、考えるべきだと思う。だが少なくとも『損なう可能性』や具体的でない『デメリット』のみでは納得感が薄い様に思える。
『理解を示して妥協点を探るべき』という考え方には個人的には共感するし、リベラルが先鋭化しているというのは多分そうなんだろうけどな。
ただ、『選択的夫婦別姓』という考えを『バッサリシャットアウト』しているのは『文化や伝統』を重んじる層ではないのか? この辺卵が先か鶏が先かの水掛け論になりそうではあるが…。
というか保守派は『文化や伝統』に基づけば他者の自由を侵害することもやむ無しと考えているのか? だとすればそれは先に挙がった『リベラルの基本理念』と根本的な部分で相容れない様に俺には思える。『他者の自由を阻害しない範囲』を越えた『自由』だからだ。
君の言い分をまとめれば、「リベラルは『他者の自由を阻害しない範囲で思想信条の自由は尊重されるべし』という理念を守ってないんじゃね?だって保守派の主張を全面的に不合理なものとしてバッサリ斬り捨ててるし。理念に基づいて妥協点を探るべきだろ」となる。(合ってるよね?)
実際には保守派の理念は『他者の自由を阻害しない範囲』を越えて自由に振る舞うことをよしとするものだった。当然リベラルにとってそれは自らの理念に外れるから、受け入れられない。理念に外れるものを尊重する必要はない。となり、過激な叩きが横行するんだろう。俺の想像だが。
だとすれば(叩きの是非はともかく)リベラルは自らの理念にどこまでも忠実である。とすら言えそう。
という結論にひとまず到ったんだけど、どう思う?
手続きが面倒だからって理由で選択的夫婦別姓にしたら子供の姓で絶対に揉めるんだよなあ
本気で別姓にしないと困る人は別だけど
選択的夫婦別姓や「呉座先生事件」関連のエントリ・ブックマークコメントをみつつ連想したこと。
呉座先生の個別の失言は、まあ擁護は難しいしするつもりもないが、リベラルを自称する界隈の先鋭化が気になってしょうがない昨今。
最も気になるのは、保守派の主張を全面的に不合理なものとしてバッサリいく態度。
一見不合理かもしれんけど、保守思想というのはそもそも現状維持が基本姿勢で、その背景は「経験と歴史の尊重」「人間理性に対する懐疑」にあると思ってる。
これ自体はリベラルの根底にある理性の信奉と根っこでは矛盾しないはずで、「歴史に耐えた制度にはなんらかの合理性があるはず」と考える態度は、科学的に見ても「合理的」でしょうに。
まあ政治思想の理念的な背景は明るくないのでこれくらいにしとく。
リベラル勢に聞いてみたいのは、
例えば選択的夫婦別姓が成った後に、一族や天皇制といった概念が希薄化し、日本の民族性や文化を愛する人々が少数派になったとき、彼らをどう扱うつもりなのか、ということ。
他者の自由を阻害しない範囲で思想信条の自由は尊重されるべしというのが、リベラルの基本理念だと思うんだけど、マイノリティになってから初めて尊重します、っておかしくね?
現状において支配的な思想信条が、女性や性的少数者の自由を侵害しているという主張はわかるし、それを解消すべく制度設計を行いましょうというのもわかる。
でも、「現状の戸籍や姓・婚姻制度にも機能と利益があるはずで、性急な改革は伝統と文化を損なう可能性がある」という反論をバッサリシャットアウトするのはダメだ。
現状の被害者と同レベルとまではいかずとも、理解を示して妥協点を探るべきでしょう。
少なくともその伝統を拠り所にしている人々がいて、あなたがたは、かれらを「少数派」にしうる政策を支持しようとしているんだから。
想定問答をあげておくと、
「選択的なんだから問題ないだろう」というのがまず返ってくる反応だろうけど、保守派は「文化や伝統」を問題にしているのであって、選択肢が発生すること自体に対するデメリットを危惧している訳だから、
「姓が別になった程度で文化は損なわれない」という反論もありえる。ここは保守側の仮定なので一定妥当である。「文化」の定義がカバーする範囲が広すぎるので合理的な説明が難しい。
でも、自分の祖父祖母世代とのコミュニケーションから、保守派の心情を勝手に代弁するなら、もう彼らは相当に妥協しているし戦線を後退している。
「日本文化は米国文化に塗りつぶされ、最後の一点で耐えている」という世界観を現代の高齢者世代は持っている。
(親父がネトウヨにいつのまにか傾倒していたなんて話がよくあるが、それもこの流れの一旦だと思うし、呉座先生も高齢者ではないが歴史学者としてこういう流れに影響を受けていそうな気がしている)
彼らの世界観からすれば、今も米国文化によるマイルドな同化政策は続いているし、それは一面では事実でもあるだろう。
かれらの青春時代にはリベラルなんて影も形も無かっただろうし、「家を継ぐことが至高命題」として育てられた彼らが、生きているうちにここまで世界が変わるなんて思いもしなかっただろう。
それは同情すべきこと・尊重すべきことではないのか?
「日本の文化もできるだけ維持し継承します、そのうえでみんなが活躍できる社会にしていこうとしてるんです」と、言い方だけでも寄り添ってあげようよ、という主張は、トーンポリシングとして糾弾されるべきことなのか?
自分自身は、ムラ社会の嫌な面を経験してきているので、家を継ぐべしというような思想は消えていいと思っている。
一方で、ムラ社会の最後の世代になるであろうジジババが寂し気に「私は親にそう教育され家を守ってきたしそれを誇りに思ってきた、子に受け継ぎ家を守りたかったがもうあきらめている」と語るのを聞くにつけ、かれらに「わきまえたマイノリティ」の像を重ねることもある。
(まあかれら自身は保守政党に投票するだろうが、世代が変わればいずれムラ社会は解体されるだろう)
ムラ社会は総論として害が大きいと思っているが、それでも私の原風景は「田舎のばーちゃんちでジジババに載せてもらったトラクターからみた風景」であり、自分はそれを享受しながら、自分の子世代にそれを残せないことの寂しさや後ろめたさも感じている。
なんというか、そういう対抗派閥に対する共感・配慮なしに、一方的に断罪する論調は、先鋭化が行き過ぎているし、リベラルが根底に置く理念と矛盾していると思う次第。
一つ一つの政策について賛成するか反対するか、それだけの話である。
「原発は安全だと思うか?」これにいや、危険だと答えれば左派になる?おかしな話だ。
原発の安全性は科学の話だ。何%の確率で何が起きるか計算する。その値から、安全か危険かを主観に基づいて判断する。そこに右も左もない。
選択的夫婦別姓を支持しても、同性婚は支持しない、そんな人だっているだろう。
右か左かどちらかに当てはめて何になる。
表現に関しては超保守的で、女性の権利には革新的なフェミもいれば
表現に関してはリバタリアンと言っていいほどの自由を主張しながら、少子化解消のために男尊女卑回帰しろというオタクもいる。
結局のところ、皆自分の都合に合わせて適当な理念を引っ張り出しているに過ぎない。
与党支持者、野党支持者であることをアイデンティティとして、与(野)党の言うことを全肯定するような機械のような人間もいるが、頭がおかしくなったのだとしか思えない。
選択的夫婦別姓や同性婚の話題で、必ず「最終的に戸籍をなくそうとしている!」って批判してる人がいるけど、本当にいるの?
俺は選択的夫婦別姓にも同性婚にも賛成してない(強く反対でもない)けど、少なくとも同性婚に賛成してる人達は同性でも配偶者になりたいだけで、悪く言えばワガママなだけでしょう。
戸籍をなくしたいわけじゃない。むしろ戸籍の中で結ばれたいわけだ。
選択的夫婦別姓についてはめんどくせーフェミニストが多くて混乱するけど、これまた別姓になりたい人達はただワガママなだけで、自分たちのことを考えているだけで、戸籍を無くしたいわけじゃなくないか?
同性婚は無理だけど選択的夫婦別姓については事実婚でもいいんだし、あくまで戸籍にこだわっているから目指すところに戸籍制度の破壊はなくない?
俺に見えていないだけで、「自分が選択的夫婦別姓/同性婚を望む」人達に紛れて、自分に利益がないけど推進する人達は今は本音を隠してるだけで最終的に戸籍を廃止してやろう!って思ってるっていうこと?
姓なんてものはその個人を表す記号の1つでしかなく、それを結婚で変えるのに大量の申請を出さなければならないのがバカらしいと思うからだ。
「夫婦別姓にすれば家族の形が壊れる」なんてバカらしい意見だと思う。姓が違うごときで子供と親の絆が育たないなんてありえない。個人を表す記号の1つでしかないものにそこまでの力は無いと思うし、子供がそんな事を気にすると思えない。
姓にこだわりが無いから選択的夫婦別姓に賛成できるとも言える。
もしもいま私が結婚して姓を変えなくてはいけない事になったとしたら、おそらく面倒くさいと文句を言いながら躊躇なく姓を変えるだろう。姓にこだわりが無いから。
だが一部の、事実婚を選ぶほどの強行的夫婦別姓推進論者は違う。
彼ら彼女らは法律婚を拒否するほどに自分の姓へ非常に強いこだわりを持っている。
そんな姓への強いこだわりを持っている人達が「夫婦別姓にすれば家族の形が壊れる」という意見を否定できる事が理解できない。
姓への強いこだわりを持っているのに、なぜ家族で姓が違う事を許容できるのか、なぜ親と子供の絆を育むのに支障がないと考えられるのか理解できない。
「そう感じてる」ってのが具体例ないけどってなるなら思い込みじゃない?
夫婦別姓にはしないけど、通称で不便を解消する方向に動いてるってのが事実だろ
「既にマイナンバーカードやパスポート、住民票などのほか、弁護士など多くの国家資格で認められている。旧姓を通称使用できる企業も増えている」