はてなキーワード: 土葬とは
ご存知の通り日本の葬式はほとんど仏式で、東京だと「葬式に花を出す」っていうと「カゴ」などと呼ばれる白い菊の花のアレンジメントになる
グレードが上がるとそこにデンファレとかカトレアとかの蘭の色花(白じゃない花)が入る
店によってはカスミソウ入れたりオンシジウム(黄色い蘭)入れたりする
キリスト式とか、仏式でも遺族の希望があれば洋花(菊じゃない花)のアレンジメントが使われる
こちらは比較的自由度が高くて故人が女性ならピンク系男性ならブルー系、ひまわりが好きだったから入れてとか、色々と選びようがある
この白木の祭壇の代わりに遺影を囲むように「花祭壇」といって大きなフラワーアレンジメントを配置することもかなり一般的になってきた
一方で創価の葬式って基本的には仏式なんだけど、生花を飾ることは少ない
基本的には供花の代わりに「樒(しきみ)」という榊に似た植物を使うから緑一色になる
で、祭壇の一番目立つところには学会の掛け軸がどーん
花屋としてはアレンジのしがいがなく、提案のしようもないのであまり楽しい現場ではなかった
俺がいた会社はそれなりの規模があったので学会員の社員がいて、創価の葬式はほぼ彼らが担当していた
たまに手伝いで参加すると彼らから2つのことをしつこく言われた
1つ目は、樒の扱いにはとにかく気をつけろということ
それもそのはずで樒は猛毒だ
茎にも葉にも毒があるんだけど実の部分を食ったら確実に死ぬくらい毒性が強い
おそらく土葬の時代に野生動物よけのために使われ、それが形式として葬儀にも残っているのだろう
そして2つ目に言われたのが
お後がよろしいようで
日本人は亡くなった人の遺骨の回収にこだわるという話を聞いたことがある
有名なのが、先の大戦で海外諸国に置き去りになった遺骨を回収して日本に持ち帰って遺族に渡すというやつ
日本は特にこだわると聞いたんだが、日本だけの話なのか本当にそうなのかわからないな
日本の船とアメリカの潜水艦が衝突して日本の船側が沈没して死傷者出た事故
その時に沈没船の引き上げ(≒遺体の回収)をアメリカ側が渋ったけど日本側は強く望んだという話があった
それってつまり、少なくともアメリカ人は遺体の回収にこだわりがないってことじゃないか
その時にこの日本人の遺体へのこだわりというものを初めて認識した記憶がある
というのも、ウクライナとロシアの戦争で赤十字を通じてロシア側に遺体を引き渡す準備があるというニュースを見たからこの疑問を思い出したのだ
え、欧米諸国も遺体の引き渡しにこだわるのか?という驚きがあった
土葬文化だとこだわらなくて火葬文化だとこだわるとかの違いか?
キリスト教文化圏とそれ以外でこだわりに差が出るか?
赤十字という第三者機関を通じて犠牲の数を客観的に計上するためなんだよ、とかそういう話は今は興味なくて
そういう建前があったとしても、遺体や遺骨が返ってきてほしいという感情が普遍的なものなのかどうかが知りたいねんな
海外の人々に聞いてみたいもんだ
仏「すばらしい日だわ。我らが共和国大統領がようやく痛い目に遭ったわよ」
仏「胸がすく思いね!日本はなぜスガの横っ面を引っ叩かないの?だから日本は遅れてるのよ!hihihi!
まあ冗談は置いといて、私はマクロンは大嫌いだけど、テロにも繋がる危険なアクシデントなので、手放しでは容認できないわね。
増「言いたいことはわかるよ」
仏「ところで日本のミュズルマンが土葬を請願したっていうニュースをあなたは知ってる?」
増「さあ」
「はえ~、そんなことがあるんやな。都道府県に1施設って随分欲張りね」
仏「気をつけてよ。モスクができるまで秒読みよ?」
増「まあ日本はラシスト(笑)だからミュズルマンだろうとそうでなかろうとまず突っぱねるだろうね」
仏「それは賢明ね。かれらは自分の宗教の要求は最大化させるし、キリスト教その他の文化は最小化させる。
メリークリスマスすら言えないのになぜブルカを容認しなくちゃいけないのか理解に苦しむわ。
増「・・・ま、まあポリティカル・コレクトネスの時代だしね」
仏「増田ね、これはポリティカル・コレクトネスではないの。宗教的正しさよ。
宗教的正しさは絶対だから、自分の宗教は最大化し、そうでない宗教は最小化させるの。
増「お、おう」
仏「まあジャポンは狭いからね、棺を入れるような墓場なんてつくるスペースないだろうけど」
増「そうか、土葬は火葬に比べて場所取るんだね。気づかなかったな」
仏「棺桶高いのよ」
仏「火葬ね。まあ衛生的で合理的だとは思うけど、ダンナの親戚の不幸で葬式に出たけど、あれは衝撃的だったなあ。
遺体と面会して、しばらくしたら灰と骨になってる。で、骨をバゲットで拾うわけ。随分酷いなと思ったよ」
増「そうか、酷いって感じるもんなんだな」
増「でもgoogleやヤフーのニュース見てたけど、そのニュースは目につかなかったな。
日本ではイスラム教の影響力はさほどでないってことじゃないかな」
仏「それが一番。もちろん宗教的差別は絶対に許してはいけないけど、
異郷の地で自分の流儀を100%押し通そうというのは異郷の文化へのリスペクトの欠如よ。
あとワクチンの話
仏「イギリスではワクチン接種率が順調に高まっているのに、感染はむしろ増えている。
フランスはイギリスの後追いをよくするので、我が国もいずれそうなるだろうね」
増「へえ。こないだ動画見せてもらったけど、ロックダウン解除とかワクチン普及とかグッドニュースがあるたび、
仏「それはそうだけど、そもそもワクチンの効果自体をもう少し疑った方が良いよ。
増「というと?」
増「ワクチン接種は増えてほしいけど、私は打ちたくないなあ」
仏「Très Bien。打ちたくないというのがまともな判断。ただ緊急事態に限ってまともな判断も再検討されて良いでしょう。
欧米は感染爆発したので、リスクを取ってでもワクチンを打つという選択肢は仕方がない側面はある。
私もフランスに居たら、家族のためにも打つ必要を検討したわね。
増「ん?」
仏「考えても見て。”ワクチンは副作用があります。でも安心して下さい。副作用の確率は限りなく低いです”
こう説明されるはずでしょ。
”コロナは感染力の強いウイルスです。でも重症化する確率は限りなく低いです”
コロナに罹るのはどうしようもない。でもワクチンは選択できる。選択できるなら、リスクを回避するのが当たり前でしょ?」
増「???ごめんよくわかんない」
仏「感染者数もコロナ死亡数も"他に比べて"(entre guillemets)圧倒的に低い日本では、リスクは均衡しているってことよ。
欧米では感染リスクの方が圧倒的に高いからワクチンを受け入れざるを得ない。
でも日本はコロナのリスクが”欧米に比べて”大したこと無いんだから、ワクチンのリスクを恐れて拒否することは当然の合理的な選択ということよ。
ワクチンを打ちたい人は打てばいい。でもワクチンにリスクが有ると思うのなら、そのリスクを回避するのは合理的でしょ」
増「そのりくつはおかしい。コロナが重症化するリスクは限りなく低いってことはないでしょ」
仏「だったらワクチン打ちなよ。コロナのリスクがワクチンのリスクより遥かに高いって判断するならね。
でも考えようによってはワクチンのリスクとコロナのリスクは同じか、むしろワクチンのリスクが高いって見方もあるでしょ?ってこと」
増「おぅ・・・」
仏「コロナのリスクがワクチンより高いならワクチンを打ちなよ。リスクがイーブンなら、感染症対策バッチリした上でのワクチン拒否も合理的。
でもコロナリスクよりワクチンリスクが高いならワクチンを打つ方がバカでしょ。増田はどう考える?」
ワクチン摂取増えろ増えろ、でも私はギリギリまで打たないぞー、ってスタンスだったからあんま考えてなかったや」
仏「合理的だろうと非合理的だろうと人にはそれぞれ考えがあるし、それは認める(Je le constate)。
でも私は理屈に合わない話を受け入れるつもりはないな」
増「なるほど」
mont-joie:マクロン襲撃者が言ったらしい言葉。解説聞いたけどよくわからんかった。
avoir failli~:危うく~するところだった
avoir pour objectif de:~する目的で
déficit:不足。manqueとどう違うんだろう。
cercueil:棺
crémation:火葬。incinérationとも言う。
constater:確認する、認める。同意ではないがその意図はわかる、的ニュアンス。
「 Je ne suis pas d’accord avec ce que vous dites, mais je me battrai jusqu’à la mort pour que vous ayez le droit de le dire」的なヤツ?
と聞いたらまあそんな感じかしらとのこと。
他にも書いてあるけど、「お焚き上げ」に見られるように「焼くことで供養する」という感覚は日本には古くから存在している。
お盆の迎え火、送り火もあるように、「火」は古来日本の宗教観ではむしろ聖性を持った存在で、祭りにも多く取り入れられている。(火葬は明治以降なので違うのだが)
仏教に限ればさらに、死んで仏となったものは何かを燃やした「香り」を食べるともいうな。だから線香。
そうした感覚の持ち主(である自分)からすると、ご父君のご友人方の行為は、「思い出を煙と化して、天に昇った友人に届けようとする」、手紙のような行為だろうなと想像される。
生き死にの場面で「何かを焼くこと」が侮辱になるのは、棺桶に収めた上での土葬が中心の、キリスト教的な価値観ではなかろうか(いつか来る復活の日のために遺体はそのままにしておく。焼くのは復活を不可能にしてしまう行為)。
これがブコメに上がってて、なかなか的を射た指摘に思えた
ようは未だに日本文化はスピリチュアルに汚染されて、死ぬことによって一種の浄化が行われるっていう社会の妄想があるように感じる
自殺が多いのもこれな
これが賛成派(この中でも本当にアホと思えるのは、「私は死刑を仕方ないと思っているだけで賛成していません」とか言う間抜けな言説で、おまえ死刑を容認してる時点で賛成してるってことじゃないか。論理の破綻に気が付けないほどに脳内深くに死刑があることが自然で当たり前という、やべー思想を深く刻んでるんだけど、こういうこと言っても本人完全に脳が狂っていて悪いやつ殺すのは当たり前って思ってるし、この文章読んでも多分理解は出来ないと思う。)は、社会の枠組みが世界の真理であると錯覚しているというか、主観的になりすぎてて見えないんだろうな。
殺人を容認するのが野蛮。これにはどれだけの人が合意できるのだろうか。
条件付きなら人を殺して良い、ってのにはどれだけの人が合意するのだろうか。
自分の手さえ汚れなければ、条件付きで人を殺すべきだ、殺されて当然だ、殺されるのもしょうが無い、ってのはどれだけの人が合意できるのだろうか。
私刑としての殺人から、社会合意による殺人(死刑のことね)まで、グラデーションはあるだろう。死刑賛成派と死刑反対派もこのグラデーションの中で、どこに居るかにもよるんだろうけど、この手の話題だとそれぞれ相手の立ち位置を、極端に解釈して一方的に叩いてるように見えるんだよな〜
ちなみに、私の意見としては、自分の手さえ汚さなければ殺されるのもしょうが無いってのも、結構野蛮だし普通に死刑は反対。
可逆的なのもあるし、死刑よりも人権のほうが優先されるというイデオロギーがまともだと信じてるしそれが当たり前になってほしい。
監禁するのと死刑にするので死刑にするほうが軽い。みたいなサイコパスじみた感覚の持ち主が日本に多いよな〜って感じるのも、最初に上げたように日本にはびこってるスピ文化のせいで、なんか日本人は死んで目的を達成する、死ぬことで一人前の人生を終えてとにかく良かっためでたいぞ!みたいな心持ちの人が多い気がする。
私は人が死ぬのは人が死ぬ以上でも以下でもないし、死体とか燃やそうが土葬しようが鳥葬しようがどうでもいいし、人が死ぬことに意味づけとかして、死者を祭り上げて死者の栄光で他人を操作しようとしてるやつ見ると吐き気するんだけど、そういうのがまかり通ってるのが現代のこの国の実情で、
死ぬことに特殊な意味付けをしている人が多く、死ぬことで贖罪が行われるという、迷信の影響が色濃く残り続ける限り、(あってもしょうがなーいとか言ってる事象死刑反対派じゃない人も含め)死刑賛成の人が減ることは無いだろうな〜って感じです
お盆とかも止めたほうが良い気がするんだよなー。死者が戻ってくるわけ無いじゃん。やっぱり死を軽く見すぎていると思っていて、こういうと指摘された人はそんなこと無いって顔真っ赤にして否定するだろうけど、はたからみてたらやっぱり死後の世界とか先祖とか、そういうフィクションに多かれ少なかれ影響を受けていて、死を軽んじているふうに見える。