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2022-01-04

https://anond.hatelabo.jp/20220103171529

問いの定式化が不十分だから議論が噛み合わない。

車の使用は認めらるという功利主義的な立場に立ちながら、一方で義務論立場から死刑制度否定するのは、そのときどきで都合よく立場を使い分ける二重基準だということを言いたいのだろう。

その論点曖昧から「車の利用にも一定メリットがある」というようなピントのずれたブコメばかり集まるのだ。

https://anond.hatelabo.jp/20220103171529

問いの定式化が不十分だから議論が噛み合わない。

車の使用は認めらるという功利主義的な立場に立ちながら、一方で義務論立場から死刑制度否定するのは、そのときどきで都合よく立場を使い分ける二重基準だということを言いたいのだろう。

その論点曖昧から「車の利用にも一定メリットがある」というようなピントのずれたブコメばかり集まるのだ。

anond:20220103171529

車許容する社会指摘増田(以下、車増田)氏の言いたいことは

人命第一を謳うこの社会で便利だという理由で人が死ぬ原因となる車(装置)を許容するのはおかしい、という話かと思います

もう少しこの表現抽象化させると

大多数の利便性を優先して、人命軽視を許容しているのではないか、という話になると思います

一旦この解釈が正しいとすると

ブコメに多くあったメリットデメリットの話は若干回答がずれている、というかあまり良い回答ではないでしょう。

実はこの話、科学技術を世に出す際に倫理的に何が求められるのか、という話でもあり、

大学科学技術倫理(技術倫理)という教養として習う範囲でもあります

と言うわけで、ここでは科学技術倫理観点からなぜ許容されるのか話をしていこうと思います

メリットデメリット論のまずさ

と、本題に入るまえにブコメで多くされていた

メリットが大きいかリスクが許容される、つまり最大多数の最大幸福であるという話について触れて起きます

この様な功利主義思想局所適用にはあいますが、社会システム適用されると非常に危険です。

言い換えてしまうと多くの人が益を受けるから少数者は被害を受けても構わない、という全体主義システムになりかねないからです。

銅山から流れる鉱毒のせいでそこらへんに住む人は甚大な被害を受けるけど、

国家全体から見れば利益が多大なので仕方ない、みたいな話に繋がってしまますよね。

なのでデメリットに対してメリットが大きいから、だけだと間違いを産む可能性がありあまりよくないということになります

では次に本題の、人を死なせることはこの社会において許可されていないのになぜ人を死なせる可能性のある車が許されるのかの話をします。

シンプルに言ってしまうと人を死なせることと人を死なせる可能性がある、というのは大きく違うから、という話なんですが

増田氏としてはそれに対し可能性があることを認識してるのであれば未必の故意いえるのではないかと考えているんじゃないかなと思います

これに関してはマックスウィーバーが著書「職業としての政治」で述べた心情倫理責任倫理という考えが役に立つと思います

心情倫理責任倫理

心情倫理とは結果がどうあれ正しいと思うことを行動することで

ドイツ観念論カントの「定言命法」に近く、物事がうまくいったとしても動機が不純なものであれば善としない考えです。

一方、責任倫理とは動機がどうあれその行為が不幸の結果を及ぼすことを予見できるのであればそれを避けるための最善の努力をし、

その結果を負わなければいけないという考えです。

ウィーバーはこの2つの倫理を兼ね備えることが政治家としての不可欠な資質しましたが、技術倫理としてもこの思想適用できます

技術者として製品を世に出す際、その製品世間をよりよくするものを目指すべきでありかつ

その製品の持つ機能が直接的に危害を及ぼすことがない様に想定できうる限りの防止策を講じるべきである、という考えです。

多分ですが、日本の車メーカーに車を作る理由を問い合わせた際に「弊社の利益さえ上がればいいと思っています」なんていうところは

基本的にないと思うんですよ。

内心はどうであれ、車の製造利用者利便性/快適性をあげるという公益性目的にしているということを言うのではないかと想定してます

そして実際、機能研究開発の期間もさることながらテスト期間も相当長く、真冬北海道に持っていって

寒冷地テストしたり、砂地や泥を用意してそこに突っ込んでスリップテストしたりと

事故を起こさない、人命を守るためのテストをすごいしているんですよね。なので大体開発に5年程度かかります

そしてメーカーだけでなく行政運転免許という適正審査安全講習、

小学生児童に対しても交通安全講習会も行い、技術社会規則の両輪から事故を未然に防ぐ努力をしているわけですね。

まり、車の利用に関しての「直接的な結果」として人命への被害を避けるための「最善の努力」をしている、とも言えるのです。

そして皆が交通安全規則を守り安全運転をすれば突発的な災害等が起きない限り人命を損なう様な事故は起きないだろうというところまで

テストした上で製品を出しているわけですよね。

この「最善の努力」を「完全に避けなければいけない」としてしまったり「間接的な結果」も責任としてしまうと

技術・道具自体の開発ができなくなります

言い換えると企業リコール訴訟を受けた際、事故と直接的な因果関係がないことはもちろんのこと

「最善の努力」をしていたということとが必要になると言うことでもあります

(アメリカプリウス訴訟になった際、そこら辺が焦点になったと聞いています)

まりメーカー及び行政がさまざまな手段事故を防ぐための策を講じてる事実があるので

当初の

人命第一を謳うこの社会で便利だという理由で人が死ぬ原因となる車(装置)を許容するのはおかしい、という意見に対する回答としては

人命に対するリスク対策社会コストとして払っており、そもそも人が死ぬことを許容はしていない、ということになります

まとめ

というわけでまとめます

1. 危険性を伴う製品に関し、メリットデメリット観点だけだと公害を許容しかねないのでよろしくない

2. 建前とは言えメーカー行政の両輪で理論事故が起きない様にする施策を打っており人命軽視しているという認識は間違い

ということになります

念のため付け加えますが、努力しているか問題を起こしていい、責任がない言うわけではなく、

その開発当時にしりえる知識技術を元に最大限の努力をしたかが問われるため「最善」と表現されます

言い換えれば公知の知識対応を怠った場合などは懈怠責任をとわれます

まり今後、科学技術の発展に伴い、危険運転でもリカバーする技術発明されたらそれも実装必須になっていくと思います(昔はエアバックとかなかった)

どうでしょう?車増田氏のどこで線引きをしているのか、という問いに対して回答になりえたでしょうか?

あと、死刑の話を絡めて聞いていますが、その話は犯罪者の更生の話や社会から外れてしまった人格をどう扱うかという話なのに対し

車社会の話は公益性を持つが危険性を伴う科学技術とどう付き合って行くかと言う話で根本が違うため

その話を混ぜると複雑になりますし長くなるので省きました。

2021-12-22

anond:20211222180018

功利主義は、貧富の格差を広げてしまう。

最大多数の最大幸福希求しようとしても、人間想像力では、最大多数が自分の目に入る人に限られてしまうから

道徳勉強をしようと倫理学の本を読んでみた

まだ読んでいる途中だが

その中で特に気になったのが功利主義

これはどうやら現代において欧米で主流らしいが、他の主義と比べて特に自己犠牲を強いる考え方に思える

これを実践するのは貧乏人にはあまりにつらい

そういう意味では「衣食足りて礼節を知る」とか「貧すれば鈍する」とかいう諺は的を射ているのだなあ

貧乏人のための倫理学というものが欲しくなる

2021-12-16

代理出産道徳的問題

サンデル先生の本読んで、もう10年前にはインドでの代理出産事業始まってたっての知ってびっくりした。

インド最初に認められたのが2002年からもう20年も前だったのか。

Wikipediaざっと眺めて、マイクロキメリズムとか言う問題存在を知った。遺伝的由来が違う細胞継続して存在するなんて、そんな事あるんやね。

個人的には金銭媒介にして妊娠出産委託するような代理出産モラル上の問題が大きすぎると思う。

最低でも、自分妊娠能力がある人が委託するのには反対だ。

から向井亜紀の件で彼らを責めるような事はできないが、サラ・ジェシカ・パーカーは責める。

米の人気シットコムフレンズ」で、フィービーが弟夫婦代理出産したのが1998年のSeason5。

臓器移植なんかでも身内から腎臓提供は行われてるし、当時はそういうのがあるのか、位の認識だった……

キャリア絶頂期に妊娠出産キャリアを中断させたくないという気持ちは分からないでもないが、それでも。

絶対悪的な言い方はしない(できない)けどね。

自分はもう一生子供を持つことが無い可能性が極めて高い境遇にいるが、もし出生前診断障害児だと分かったら下ろす(してもらう)方に傾くと思う。

正しく生きるのって難しいね

インドでは2015年から外国人向けの代理出産禁止2019年に商業代理出産禁止する法案が提出されたとか。

一方で、ウクライナでは加速してるらしい

https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5f435624c5b6763e5dc519a2

サンデル先生の本によれば、インド代理母は1度の妊娠で、5年分の賃金に相当する額が貰える、とあった気がする。

功利主義新自由主義的な考え方ではこういった取引正当化される。

代理出産によって得られる金銭がどうしても必要な、もしくは有れば楽になれる人も相当居るんだろうが……

2021-11-04

anond:20211103180342

世界のどこの話だそりゃ。

そんな功利主義的なポリコレ通用するもんか。

 

厳密な功利主義でやるんだったら、人権など考慮する必要がないってことで、ポリコレ必要ないわ

2021-10-29

anond:20211029101551

多数決って最終的に自分が属する集団多数派にしようとしてあれこれするより現に多数派である集団の一員に加わることを目指す方が合理的になるからな。

投票へ行って何かを変えようとするより結果に合わせて生きる方が賢い。

まあ多数派に合わせて同質化が進んで多様性が無くなるのはずっと昔から言われてるベンサム功利主義の欠陥だよ。

体制適応する能力が高い人間が結局一番強いんだ。

2021-10-07

anond:20211006213710

資本主義というより資本主義の根っこにある功利主義が画一化を進める性質があるという意味ではそうだけどな。

最大多数の最大幸福を突き詰めて作られた社会では最大多数と同化するのが一番得だから

結局資本主義限界がどうこう言っちゃうのはアレな学者で、資本主義からどう功利主義を引き剥がすのかってのが今のトレンドやろな。

2021-09-25

anond:20210925201707

ソ連崩壊共産主義歴史否定された後はもう資本主義VS共産主義って対立軸過去のものなんだよね。

今は資本主義ベース社会を作るしかないのは仕方ないこととして功利主義が持つ害をいかに和らげるかって流れだし。

2021-09-04

anond:20210904151231

学説というより哲学の中の倫理学という分野の中で表現の自由王道トピックになってる。代表的学者としては功利主義者として有名なJSミルとかが有名だと思う。

概説書としてはナイジェル・ヴォーバートン『「表現の自由」入門』が良いと思う。

2021-08-21

anond:20210821200138

善悪ってのはある決められた規範の中でのプラスマイナスから

どのような規範採用するかによって変わるもの

損得ではない(功利主義なら損得でもいいけど)。

2021-07-17

anond:20210717155522

最近はそういう功利主義に全振りした国もなくなったので無理でしょうね

2021-07-03

anond:20210702191259

結局フェミニズムの達成度は金銭的な価値しか計れないのかね。

めちゃくちゃ功利主義的だ。

2021-06-20

anond:20210620000830

功利主義の悪いところがモロに出てるんだよなあ

2021-06-15

anond:20210615225627

イギリス労働者参政権得てからこっち人類史上、政治家が分厚い層だけ見て政治するっつー問題はそれなりの頻度で起きてるがな。

さら問題なのは分厚い層がなくなったところで結局満足させられるのはどれか一つの層ってのは変わらないということや。

功利主義的な民主政治根本的に多様な層を満足させられるようには出来とらんのや。

2021-06-08

anond:20210608031240

単に論破されたくないだけなら原理主義オススメ

表現の自由でもリバタリアニズムでもヴィーガニズムでも功利主義でも宗教でもなんでもいい

現実の複雑さに対応しようとすればするほどどうしても瑕疵が出てきてしま

2021-05-11

anond:20210511061102

いくつかすり合わせると面白そうな考え方齟齬があるな。

 

 

経済的損失とのバランスが取れてないと思う。

「人が死ぬ」ということをどれくらいの重みにとるかによって、当然のことながら、バランスは傾く。価値観ことなので正解はないが、増田一般よりも命の価値を軽く見ているはず。

経済でも人が死ぬ、とはいっても、流石に致死率が違ってくるしね。

 

 

罰則がないのだから出勤も外出も、どうにも止めようがない。

功利主義的な人間観では論理的にそうなるが、しかしそれは本当か?

少なくとも1年前の時点では、出勤や外出をある程度抑えることができたのではないか

これからも、少なくともある程度、罰則無しの抑制可能であろうと俺は思う。

(ここ半年ほど可能なことをサボった政府批判するのはしょうがないけど)

 

 

>定額給付は予想通りに貯金に回されて

そういう言説が広まっているが本当とは信じていない。

俺がみたのは、それは家計簿アプリデータによる貯蓄の多さだった。

マメ家計簿ネット経由でつけるような少数派の話じゃないのか。

 

 

飲食などへの支援必要

GOTOは少なくとも全力で使わはしれた。

政府支援をしてきたと言える。不足しているだろうか?

2021-03-14

anond:20210314101743

民主主義=最大多数の最大幸福は言い切りすぎだが、最大多数の最大幸福的なベンサム功利主義に対する批判としては多数派による独裁だってのはよく言われることやで

2021-03-10

anond:20210310100044

別にそれで楽しんだんだったらよくね??

オタクってめちゃくちゃに功利主義なのか。だったらそもそもアニメなんか見ず資格試験勉強でもしてた方がいいだろって思うけど…。

というかつまりそういうことなのか。超功利主義で明らかに得すること以外やりたくないって性格なのに逃避や代償行為としてアニメ見てただけという連中がいっぱいいるということなのか。

2021-03-09

科学判断」という言葉に何とも言えない気持ち悪さを感じる。

調べてみると、論理学における「judgement」の訳語として「判断」という言葉を使うこともあるらしい。まあそう言われると納得もする。

しかしここで言う「判断=judgement」とは、「命題の真偽を判定する」ことを指すのであって、決して「今後の戦略の選定」を指しているのではない。

その意味では、少なくとも「ワクチンの接種を推奨する」ことは「科学判断」ではない。(念のため、私個人ワクチン接種推奨派である。)

ワクチン接種は生存率を高める手段として有効である」までが「科学判断」であり、「だからワクチン接種を推奨する」以降は「政治的判断である

科学判断」という言葉を好んで用いる人々が、そこを区別できているようには思えない。


このような重箱の隅を突くような議論を持ち出すと、「ワクチン反対派に味方するのか!」と言われそうだが、そうではない。(もう一度言うが、私個人ワクチン接種推奨派である。)

この例に関しては、科学判断の後にシンプルな「功利主義」を援用すれば「ワクチンの接種を推奨する」という「正しい」結論が導かれるから、たしかに細かいことを気にする必要はないかもしれない。

しかし、そうではない場面は世の中にたくさんあるだろう。

例えば、ある特定人種犯罪検挙率が有意に高いという動かぬ事実を前にして、あなたはどのように「判断」するだろうか?

ここでの「科学判断」とは、「ある特定人種犯罪検挙率が有意に高い」までである

そこから安易に「だから特定人種排除してもよい」と「判断」することは、いわゆる経済的差別と呼ばれるものである

科学的」という言葉を、「政治的」に流用してはいけない。短期的には都合がよくとも、長期的には副作用が大きすぎる。

科学科学のまま、政治とは不干渉でなければならない。

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