はてなキーワード: 今日一とは
「都市と星」は1956年にアーサー・C・クラークによって書かれた作品で、生や死までもが都市に管理される未来を描いている。ここで言う死は都市に回収されることであり、回収された人は赤子に作り変えられて都市から産まれてくることになる。
面白いのが、生まれた赤子が成長すると、前世、つまり回収される前の人の記憶がよみがえることである。そのため死はこの世界で恐れられるものではない。その代わり、人々は都市の外を異常なまでに恐れる。都市の加護が及ばないからか。
しかし、主人公は特殊な存在である。前世の記憶がないのだ。つまり、都市ができてから初めて産まれたのである。そして、彼には都市の外への恐怖がない。主人公は外の世界に興味を抱くようになる。
特筆すべきはその未来観であり、今読んでもはっきりと「未来」を感じる設定になっている。これが1956年に書かれたとは到底思えない。
これ以上はネタバレになるので書かないが、一度読んで欲しい。
ことの始まりは先週の木曜に、ネットの、2015ベスト・アルバム50とかの記事で、水曜日のラ・カンパネラの「ジパング」がランクインしてるのをみて、アップルミュージックで聴いたんだ。
1位から順にアップルミュージックで探して聴いてたんだけどな。
それがめちゃくちゃかっこよくて、金土と仕事中や、帰りのチャリンコで、家でと、聴きまくったんだ。
ただなんの情報もなく、その「ジパング」ってアルバムを聴きまくってたんだ。
で、今まで知らなかった人の、ひとつのアルバムにこんなにハマったの久しぶりだなー、どんな人達なのかなー、と思って、昨日の寝る前にウィキペディア読んで、ユーチューブで動画をあさったわけ、そしたら、なんか、なんだろうこの気持、「なにこいつ、、、。??」みたいなの。今まで3人ぐらいのグループかと思ってたら一人しかいないし、なんだこのいかにも音楽舐めてますってつらしたかわいこちゃんは。なんだろう、なんか得体のしれない黒い感情、こいつムカつく、みたいな、ムカムカムカがもう溢れかえってきたんだ。今まで「めっちゃかっけぇ、ジパングやべえ!!」って10代みたいに夢中になってたのがウソみたいに、嫌悪感がすごかったわけ。
それで、今までのディスコグラフィー全部聴いて、けちょんけちょんにディスこきまくってやんよ(知り合いに向かって)と思って、今朝は「鬼ヶ島に連れてって」を聴いたわけ、まあ鼻につくつく、やっぱりこいつぁワックの風上にもおけねぇなって感じで出社したんだ。
出社してから、今度は「シネマ・ジャック」を聴いたんだ、その一曲目が「ミツコ」。サビになって、震えが止まらなくなった。3,4年前にDVDで観た映画「恋の罪」が、それは自分にとって「まぁ面白かった」ぐらいの映画だったんだけど、記憶の片隅にもなかった映画のシーンがめちゃくちゃフラッシュバックしてくるわけ、サビで。「やっぱりコムアイちゃん(昨日覚えた)はすごいのかも」って思い直して、アルバム全部聴いて、まぁ他の曲は普通だったんだけど、ミツコが忘れられず、もう今日一日ずーっと「ミツコ」を一曲リピート再生してた。毎回サビになると鳥肌が立つ。どうやったらあんな感じであの歌詞を歌えるんだ。この人「恋の罪」に出てたんじゃないかってぐらい、すごいんだよ。コムアイをけちょんけちょんにディスってやりたいと思ってたのに、今はなんかもう崇拝するような気分、で、改めて「桃太郎」聴くとまたムカッムカッってするみたいな、完全に振り回されてる。
なんかね、音楽の力ってこんなにすごいのか、ってのと同時に、映画の力、素晴らしさみたいなものまで同時に思わせられちゃって、音楽の力すごいですね。。。
地元の人が楽しい祭りと観光客を呼べる祭りを両立するのって簡単な話じゃないし、
海上花火大会とか、地元の人も楽しめるイベントはいっぱいあるやろ。
結局の所、全ての人に恩恵があるような町おこしの方法なんてないし、
だからこそシーズンや流行が過ぎても安定してやっていけるように
いろんな強みを持っておかなければならない訳で。
どのサイトを見ても楽しそうで現地の人も大歓迎ムード、町おこしに一役買っているとオタクを褒める内容ばかりだ。
実際そのアニメは出来がよく、普段アニメを見ることのない自分でも楽しめた良作だと思った。
当日はあいにくの雨だったが朝から現地入りし、会場まである地元民の車に同乗させて頂いた。
そこで何気なく「やっぱりアニメ効果は凄いですか。見渡す限り男性ばかりですね」と言うと、
事前情報として聞いていた地元民は協力的で喜んでいる、とは真逆の答えが返ってきた。
「そんなの、一部のお店と青年会だけですよ。
住むわけでもないのに騒ぐだけ騒いで、過疎化した町に何の恩恵もないです」
実際町を見ると、一部の商店街は所狭しとオタクが群がって歩いているが、店の方はただ店番が座っているだけ。
やる気のある?店もあるにはあるが、ほぼ八割の店がなんらアクションなく道行く人をじっと椅子に座って眺めている。
町おこしの観点から言えば、今売れるだけ売ってその資金を元手に改装をし事業展開をし、来たる日の為に延命を図るべきなのだろう。
しかし気まぐれに訪れ、いつ来なくなるともしれないオタクの為に借金を背負えるほど店主達は若くはなく、
跡継ぎがいるわけでもなく古い寂れた店構えのまま、ただ言われるがままにアニメキャラのパネルを置いて座っている。
オタクに迷惑はかけられることはあっても、金が入ってくるわけでも未来があるわけでもない。
そもそも本来こういった地方商店の休業日は日曜日なのだが、店の前を歩くオタクの為だけに、パネルを見せて写真を
撮らせるだけの為に日曜でも店を開けているという。
「知人の娘はコスプレしないんですか?とセクハラを受けるので接客業をやめました。今は水戸に住んでいます
このお祭りもこれだけオタクが多ければ地元民は誰も来ない。駐車場も使えないしステージは朝から占拠される」
雨合羽を着込んだファンが所狭しと並んで座っている。自分はそこの町の高校の演奏が聞きたかったが断念した。
「普通、地元の祭りなんて傘があれば十分なんですけどね…Aさんの町のお祭り、雨合羽持参で来る人なんています?
当然のマナーって言われるんですけど僕らのマナーはむしろ、見たいショー以外は退くのがマナーですよ」
もうこれは地元民の為の祭りではなかった。見渡す限りオタク。それもテンションの高い成人男性ばかり。
「税金を納めている地元民が楽しめない祭りなんですよ。儲かっているのはここに屋台を出している店と宿泊業と交通機関だけ。
それだけで後の364日を賄えると思いますか?364日を支えている地元民は今日一日じっと耐えるだけです」
早く去ってくれと願っていると彼は言った。
宿泊施設に勤める奥様からもお話を伺ったが、似たようなため息混じりの口調だった。
愛想笑いが辛いという。
「俺の嫁なんですよ!とか言われてもなんて返せばいいんです?気持ち悪いですねとも言えないし
この人たち全員独身なの?ってゾッとします。目がもう普通の人間の目じゃないです
ありがとうございます、と言うだけです。ここが好きと言われても好きなのはテレビの中のこの町でしょうに」
ましてやディズニーランドのキャストでもないし、演出を手伝う義務もない。
自分が見る限り、地元民の半数の目は死んでいた。愛想悪くふるまう住人も多かった。
でもそれはきっと彼らのせいではない。それだけの理由があるのだ。
聖地最高!と叫ぶのはいいが、本当に、本当にオタクが思うほど歓迎されているのか。
巷ではよくPV単価1円とか言ってるのに実は開始してから1週間全く収益が発生してなかった。
1週間で累積7000PVくらいあるのにインプレッション広告とかいうやつで入ってくる5円しか収益ないことになってた。
もしかしてなんか設定間違えてんじゃねえの?って思ってた。
でも、今日見たらいきなり1238円発生してる!すげえ!
今日たまたまはてブが40くらいついてPVも2610だったんだけど、今日一日だけで見たら10PVあれば5円くらい稼げる計算だ。なにこれすげえ!夢がある。
いつもそうじゃないだろうけどこのペースで今後続けていけるなら俺月のPVが55000位だから月27000円儲かる?すげーすげー。
一個だけ気になることがある。
住所の確認ってこうもくがあって、これ住所が今住んでるところと違うんだけどどうやって直せばいいんだ?
やっぱり努力はしておかないとあとで死ぬほどみじめになるからね。もう惨めで悲惨な状態かもしれないけど今日からやろうよ。ムリしなくてもいいから、すこしずつやってみようよ、ハードルを下げて。結局最終的にはやるだけやってああ、くいは無い、といいながらも一般庶民として生きるわけだけども、やれることをやっていないと今を生きるの楽しくないだろうに。壮大な暇つぶしともいえるこの人生を自分なりに意味のあるものにしようとするならば、やっぱりできないことができるようになって進んでいくこと、それは決して人と比較してということではなく
とはいえ、やりたくないことを無理にやっても続かないしそもそもやる意味や価値がないからやらないんでしょう。だからやりたいことをやってください。やりたくないことをやろうとしているのであればじっくりと検討してください、本当にやる意味あるのか?とね。失敗してもボロボロになってもいい、進めているのだからムダじゃないし
前に進んでいる今、今日一日、この一時間、この瞬間に大きな意味と価値があって積みあがった結果自体には何にも意味がないのかもしれないね
最近だと、五輪エンブレムやら、安保やら、ちょっと前だと大阪都構想やら、議論を呼ぶテーマが矢継ぎ早にやってくる。
それぞれ個別事項への賛否は、色んな立場や思想があるだろうし、自由に議論したらいいし、ネットにひとりごと書くのも自由なんだけど、全体的に嫌悪感と違和感を感じることが多い。
今日一番衝撃だったのは、五輪エンブレムの渦中の佐野さんが、家族まで巻き込まれて嫌がらせを受けていたこと。彼の会社のページに掲載された文章を見ると、家族の写真がさらされて嫌がらせを受けてるだ?… Y!の掲示板なんかを見たら、ポスターなどに使ってしまった数千万円を個人が責任とって払え、だ?
もちろん、世の中には、発想の狂った犯罪者やその予備軍が数%いることは頭では理解し、当たり前のようにスルーするんだけど、心では素直に理解できない。五輪エンブレムのことでいえば、仮に佐野氏の仕事ぶりから、人格のことを毛嫌いするようになったとしても、あるいは、都構想の話でいえば、橋下氏のことが嫌いになっても、議論と関係ないところで個人や家族への嫌がらせをしようと発想できる思考ルーチンが想像すらできない。なぜそれを思いつく。小学生のイジメレベルやないかい。
まぁ、そういう人たちは最下層のEQの持ち主だから、仕方ない…と割り切って眺めておくしかない。こういう人たちは多分、人口の1%以下くらいの少数派で、家庭環境なども問題で、正常な教育を受けてこれなかったかわいそうな人たちだから、むしろ社会が生み出したひずみで、悪いのは彼らを育てた社会だ、くらいに思うべきなのかもしれない。こういうひずみの人たちを矯正するプログラムはないもんんだろうか。
百歩ゆずって、ひずみにいる方々は仕方ないとして受け入れたとして、残る問題は、もう少し上の層の人たちだ。ちょっとは考えられる人たち。
別にいいんですよ、安保で声張り上げてデモしても。いいことだと思います。でも思うんです。愚痴を言って気持ちよくなってるだけなんじゃないの?と。適当なこといって気持よくなってんじゃねーよと。
世の中に愚痴を言う人は、愚痴を言っている自分に満足しているだけで、(無意識の中の)本心では世の中に変わって欲しいなんて思っていない、という話を訊いたことがあるけど、そういうことなんだろうなぁと思う。ほんと感情的に先走っただけの主張って聞くにたえられん。仕事の出来ない営業マンがただ俺の時間を奪って商品説明をしようとしてくる時と、感情的にはちょっと似てるけど、もっと腹立たしい。公共の電波使わせちゃったら、視聴者1000万人×30秒くらいの無駄を作ってる。社会の無駄だ。
安保は私も修正点有り派なんだけども、死にたくないんだ〜殺されないでくれ〜徴兵制やだやだ〜みたいなレベルのことしか言ってない人ってなんなの?うーん、それも心のやさしい私は千歩ゆずって許そう。
でも、安倍さんを個人攻撃するような発言してる人ってEQ最下層1%に限りなく近い気がして、これは本当に鬱陶しい。They're HIZUMIs in Japanese society. ですよ。誰か矯正してやってくれ。安倍死ね!以外にも、いやーもしかしたら、何か言ってるかもしれないけど、きちんと論を競わせるとこ見せてよ。だって政策論争したいんでしょ?普通に考えてたら、日本政府が取りうるオプションを列挙して、メリット、デメリット、コスト、将来展望くらいの観点で総合的に議論するよね。言いたいこというだけじゃダメだよね?
ちなみに、デモは政治を変化させる力を持ってるだろうし、賛成ですよ。私の問題意識は議論や人間性のレベルの低さです。
・・・具体論を出しながら抽象論を語るのは難しかった。よくわからない文章ですみませんでした。ただのストレス解消なので、構成もしない読みにくい文なので、よんだあなたは不幸です。誤っておきます。ごめんなさい。