はてなキーワード: ファンタジーとは
そんな環境下なら、色っぽい恰好絶対しないし、男の子みたいな服装にして男子のようにふるまうかなぁ。もし現実だったら。
カムイ外伝でも紅一点の女子の話があったよ。本当は美少女なのに荒くれ男ばかりの環境で、顔に泥をつけて、それを隠してる。
DMM の千年戦争アイギスやってて、基本「西洋風ファンタジー」なんだけど、アーチャーやらビショップで名前などが和風のやつがいるんだよね。
でクラスでも「サムライ」「忍者」「ぬらりひょん」「鬼」「妖狐」「天狗」「雷公」「風公」「シャーマン(カタカナだがすべてのキャラが「巫女+日本名」)」「陰陽師」「猫又」などが和風。
なお、全て基本職でたとえばクラスチェンジすると「サムライ」は「ショーグン」とか「黒鋼大鎧武者」になる。
あ、クラスとしては「キョンシー」や「仙人」「真人」「邪仙」みたいな中華風のもいて、あと独自クラスはないけど「砂漠の民」あたりがエジプト兼アラブ風かな。
こういうベースは「西洋風ファンタジー」なのに忍者とか侍とかの和風要素入れ込んでくるって日本のRPGでよくあるけどどういう経緯なんだろ?
D&D のオリエンタルアドベンチャーとかあるけど、あれはあくまで複数ある設定の一つって扱いだし、やっぱり Wizardry がパロディ要素があまり需要されず真面目なファンタジーとして受け入れられたのが大きいのかな?
1987年発売の FF は職業に忍者がいて、最強の武器は「マサムネ」で以降のシリーズも源氏装備やらジョブで忍者や侍いるし、これで定着かな?
1988年発売の DQIII も職業こそないもの「ジパング」やら、「やまたのおろち」、「くさなぎのけん」出てきて町やら待ち人も独自グラだけど、DQIII 自体はワールドマップも世界地図モチーフだから、そこまで和風要素は強くないかな?
PCだと1989年の「Rance-光を求めて」に女忍者出てきたたよね。
だいたいこのあたりで固まってきた感じかな?
ヒプマイコミカライズの解釈違い問題を取り扱ったブログがバズってる事で外野が「へぇ、ヒプマイファンの解釈違いはこれが原因なんだね」みたいなファンの総意扱いされている事が地獄なんで書く。この日記での要点は
・ヒプマイってそもそも女尊男卑を取り扱った超社会派コンテンツって謳ってましたっけ?
・それ以前にファンタジーに現実の尺度を持ち出す人間とは分かり合えない
の二点である。件のブログがバズった後で今更だと思うが、それでも黙ってはいられなかった。
あと、外野の人が読んでるか分からないけど、外野の人は件のブログは一個人の意見であってあれが総意ではない。もっと言えば解釈違いに関する個々の意見が多すぎてファンである私ですらこの点が解釈違いと言われているとピンポイントでまとめきれないのが現状であることをご理解いただきたい。
要点の女尊男卑設定問題と現実の尺度はについて重なっている部分が多いので纏めて書く。
女尊男卑というデリケートな描写に触れてしまった公式は確かに安直だと思う、というのは私も同意見である。
ただ、そもそもこのヒプノシスマイク自体HIPHOP×二次元というプロジェクトである。
そう、だから「取ってつけた」あるいは「ガバガバ」な女尊男卑設定でもある意味間違いではないと思うのだ(間違っていないけど正解でもない、というニュアンスです)。
ここでHIPHOP×二次元×超社会派プロジェクトまで謳っていたらそりゃブチ切れるのも仕方ないと思う。
そんな中、件のブログで引っかかるのは第三次世界大戦、西暦、日本という設定だけで現実世界の未来として扱っている様な書き方だった。
いや同じ西暦だし日本だけど、私たちが生きてる現実とは違う歴史を紡いでいたとかそういう補完でいいんじゃないのかなって…。ヒプマイってノンフィクション作品でしたっけ?
あと女尊男卑のガバガバ設定として「女尊男卑といいながらも税金が10倍とられることと中央区に入れないだけ」という旨を述べているけど、彼ら参政権が無いんですよ。政治は女性しかいない中央区でしかやらないから。(『アニメージュ』2018年1月号参照)
アニメージュまで読んで無いというのならこっちからしたらそれこそ「取ってつけた」非難としか受け取れない。参政権が無いことについて描写がーという反論もありそうだけれど、設定はありますよという説明であって、描写云々は別の問題。
他に散見するガバガバ設定として、看護師とウェイターを女性がやっていることについてだけれど、その点を言及している人たちは無意識に「現実では看護師とウェイターは女性の仕事」と思っているから言及するのかな?というのが私の所感。
あと女尊男卑ガバガバ設定について言及している人はあなたの考えるヒプマイ女尊男卑設定の詳細を教えてほしい。煽り抜きでそれはそれで読んでみたいので。
…ここまで書くのにとても労力を使って疲れたので件のブログの人凄い。半年前からすでに設定ガバガバじゃんwwwwと笑っていたのにコミカライズされた途端1ページずつ懇切丁寧に自分の気に入らない箇所を説明していくんだもん。その根気と熱意に対しては脱帽する。
なんか、よくある異世界ファンタジーだと、人間族は無力で魅力も乏しく、エルフとか人外の種族ばっかり魅力的に描かれる気がする
たとえば平野耕太のドリフターズでは、人間族のメガネ役人(童貞人間)はエルフ族からぼろかすに罵られ、人間族の武将は主人公を裏切るけど、エルフもドワーフも裏切らず敵にならない
ゲートでもエルフ族や魔法使いは可愛いヒロイン枠で、現実世界にはいない人外や特殊能力者の類が全員一致団結して外の世界から来た自衛隊に反抗したりはしない、自衛隊の敵はあの世界の主流の人間族の帝国だったよな
アニメやゲームでは、人魚やら宇宙人やら妖精やらサキュバスやらフレンズやら、人外の美少女キャラはたいてい普通の人間族のキャラクターより魅力的に描かれるのが通例
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そういや、涼宮ハルヒは堂々と言ってたな「ただの人間には興味ありません」て
日本人のオタクの多数はかような作品に日常的に接しているわけだから、「普通の人間=魅力がない/日本における少数民族や身体障害者やLGBTなど『特殊な人間』=魅力的」という価値観になってもおかしくなのではないかという気がするが、なかなかそうはならないのはなぜか?
ぼくたちは、恋していく。
中学生ぶりに最終兵器彼女を呼読んだ。中学生の時にはまどろっこしいくらい甘い、
ファンタジーな恋愛ストーリーとしてしか感じなかったふたりの関係性が、
こんな気持ち、本当にあるんだと身近に感じることになるとは思いもしなかった。
見た目とか、自分を肯定してくれるからとか、理由はあるようでわからない。
ただ2人ともすでにかなりいい歳なのに、
会うと大学生とか、高校生みたいにめちゃくちゃセックスしている。
セックスしているときは、本当に、世界に相手と自分しかいないような気持ちになって、
もしかしてこんな恋愛、みんな中高のときに済んでいるんだろうか?
だとしたら、なんてうらやましいんだろう。
わたしらしくない、そんな夢さえ考えている。
甘美な・すばらしい・夢のような・恍惚とした・力がみなぎるような・
指がふれるとぴりぴりする。キスをされるとなにも考えれなくなる。
にっこりと笑う顔がいとおしい。散歩にさそうと喜んで来てくれる。
外でごはんをたべてすこし酔って、暗い部屋にもどるとまた体にいっぱいキスをして、
彼の体を自由にしだす私を向こうは怒らない。ただ、きもちいい、と言ってくれる。
ほっぺやおでこにもたくさんのキスをされて、それはわたしがすごく大好きな人にする表現とおなじ、と思う。
ずっとされたかったんだ。自分がひとにするように、わたしもずっとこうやって愛されたかった。
そうか、誰と付合っていても、私はずっと寂しかったのか。
多かれ少なかれ生きていく寂しさを感じていて、
それを誰かと一時的にでも分かち合えたと感じたんだろうか?
だとしたらやはりうらやましい話だ。