はてなキーワード: イコールとは
作った人は死にたいって思ったことがなさそう、と話題になってるポスターについて書こうと思う。
あそこに書かれてる方法で救える人もいるのだが、ターゲットにしてる人たちにとってはズレている。
(……そもそも、後者をターゲットにしてるかどうかは憶測でしかない。違ったらすみません。後者の場合ということで話を進めていきます。)
つらい人の気持ちを理解できないのは仕方ないことだ。実際に体験しないと想像でしかないので。
怖いのは、そのつらさを「理解できているはずだ」という思い込みでしかない感情に気づかないこと。
「理解できないけど、寄り添いたい」と「理解できるている、寄り添いたい」ではかなり違う。
例えば、悩んでる人の感情を100パーセントとして、そのうち40パーセントしか理解できてない状態。
60パーセントもの差があるが、本人は100パーセント理解できていると思っている。つまりその60パーセントは想像でしかない。
それなのに、理解できていると思ってるから、そのうち「こうすれば解決するのに」「なんでそう思うんだろう」という差が出てくる。
その差を無理やり埋めようとすることは、解決の強要でしかなく、つらい人を余計悩ませることになってしまう。
もちろん、悩みを完全に理解することイコール解決ではない。それを含めて「理解できているという思い込み」は怖いのだ。
あのポスターに違和感があるのは、様々なつらさを1つのタイプのつらさに統合していること。そしてその1つの解決方法しか示していないことなんじゃないかな。
死刑存廃問題に関してはいろいろと意見があってもいいと思うし、とりわけこのような凶悪犯罪に関してやはり死刑が必要ではないかという意見も当然あってしかるべきだと思う。(EUですでに廃止している国でも、国民の意志としては死刑存置のほうが多かったりするし)
今回気になったのは、「死刑は不可逆である」という意見に対する下記のような反応だ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20180706182250
増田は、わずかな確率であっても、増田や増田の大切な人が、冤罪で(長期の)懲役刑になること(受刑中死亡する場合も含む)を許容できますか?許容できないとしたら、(長期の)懲役刑は廃止すべきだと思いますか?
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20180706182250
例えば袴田事件。もし日本の司法が根本から腐っていなければ、きちんと再審して名誉回復は出来たはずだった。実際は高裁で再審請求棄却になってしまったけど、それでも袴田さんは二度と収監されることはない。袴田さんの失われた人生はもちろん帰ってこない。45年もの長きに渡って死に怯えながら暮らした日々は不可逆だ。しかし、地裁が執行停止の判決を下したことで、一定の名誉は回復された。死刑を執行していれば、どうなっていただろうか。
四大冤罪事件といわれる、免田事件、島田事件、財田川事件などもそうだ。これらは再審無罪によって正式に無罪が確定し、名誉が回復されている。
そもそも、日本の司法は、死刑が不可逆的であることを十分に理解している。名張ぶどう酒事件や、帝銀事件などに関しても、受刑者は結局、死刑が執行されないままに獄死している。結果的に、冤罪の疑いがある死刑判決の多くは、刑が執行されないまま事実上の終身刑という形になってしまっているのが実情だ。しかも、日々処刑されるという恐怖に怯えながらの終身刑。終身刑であれば、常に再審請求のチャンスが有り、DNA鑑定のような新しいテクノロジーの出現により真相が明らかになるチャンスがあるが、死刑が執行されたあとの再審開始は極めてハードルが高く、困難であり、そして仮に無罪が確定したところで、釈放されるべき被告人は存在しない、ということだ。
実際、冤罪の疑いがあった飯塚事件に関しては、遺族の再審請求は却下されている。死刑を執行したあと「あれは間違っていました」という判決は、とても下せないだろう。
だから死刑を廃止しろ、と主張しているわけではない。この増田で書きたいのは、「死刑は不可逆である」という意見に対して「懲役刑も不可逆的である」という反論は成り立たないということだ。常に本人から再審請求のチャンスが有る懲役刑と、刑が執行されたあと事実上再審が不可能である死刑はイコールではない。
・営業なのに新規で売ったら社長と部長から怒られる(新しい仕事増えるから)
・夏は営業車で毎日ドライブで遊びまくり、営業車内には釣り道具どころかサーフボード一式入ってる猛者もいる
・IT系とかでよく見かけるいい案件やいい職場に必ず1匹は入り込んでる意識高い系アスペなんて存在しない(そんなところ見つける能力が欠落してるから)
・給料安いけど残業なし、それどころか気分が乗らなかったら直帰で営業車で自宅に帰って昼から酒飲んでも問題なし
・あまりにも緩すぎて有給あってもなんとなく暇だし会社の車使った方が安いからとなんとなく会社に来てしまう(毎日が日曜日と変わらないので)
・休憩室にアニコスデリヘリ呼んで気持ちいいことしても特に問題なし
すまんが、どんな話が終わるのか分からんかった。
具体的に言ってくれ。
まず、1つ謝っておきたいんだけど、前回俺は『あの匿名ブロガーは『なぜ、はてなブックマークは、2ちゃんねるみたいなところになってしまったのか?』という自分なりの問題設定をし、〜』って言っちまったけど、あれって匿名ブロガー(=fhome)が自分で問題提起と原因分析をした文章じゃなかったわ。
他のブロガーの記事から引用してきたものだったんだな、事実誤認でした。
そいであんたの言及について言いたいこと書くけど、「〜はイコールではない」っていうまとめ方はこちらの主張を捻じ曲げて解釈した上での反論だからダメでしょ。
物事ってさ、原因と結果が1対1対応でカッチリ決まるケースもあれば、複数の原因が重なって1つの結果を招いたっていうケースもあるよね。
今回のケースは後者、複数の要因による結果について語ってるのに、あたかもたった1つの要因だけで結果を語っていたかのようにまとめられちゃ困るよ。
つまり、
はてなブックマークは「醜悪な人間が一部いて」、そいつらが「匿名」であることをいいことに悪いことを言いたい放題、そして、そういう悪質な連中を永久追放するといった対応を「運営がしなかった」、だからはてなブックマークは「2ちゃんねるみたいな場所」になってしまった。
はてなブックマークは「匿名」であるというただ1つの原因によって「2ちゃんねるみたいな場所」になってしまった
って形に俺の主張をまとめちまってるってこと。
そりゃ、俺だって、「匿名であることが醜悪な人間をどんどん作り出していく唯一の原因だ」とは思わんよ。
(あ、今書いてて思ったけど、この言い合いは前提を共有し合わない限り不毛かも。「2ちゃんねるみたいな場所って何を指すのか」っていう前提の共有ね。それは、「健全な人間を醜悪な人間へと変化させてしまう場所」っていう意味なのか、「醜悪な人間が醜悪な言葉を吐き出してしまう場所」っていう意味なのか、はたまた全く違う意味を指してるのか…?俺は後者として受け取って話始めたけど、あんたは前者として受け取ってるから、この議論自体まず噛み合わないっぽい)
アルバイトだけど売ってたことがあるので安っぽい匂い(制汗剤みたいな)も分かるつもりである。
「男っぽい匂い」と「さわやかな匂い」の二種類の言葉では「男っぽくて爽やかなにおい」と「男っぽい匂い」と「爽やかなにおい」と「その他」の4つしか表現できない。
たまに広告だと「ベリー系」とか「ソープ系」みたいにジャンル分けされてるが、聞いたこともない「系」を持ち出されても困る。
世の香水すべて「系」で分けられるのかと問いたい。
皆さんは香水の説明をちゃんと読んだことがあるだろうか。気になる人はブルガリのプールオム(1番有名な香水?)のAmazonページを見てほしい。
少し引用すると、香調はシアームスクで具体的には「ダージリンティ:エレガント、スイレン:フレッシュ、ピュア、透明感、ブラックペッパー:男性的、スパイシー、グァヤック ウッド:センシュアル、温かみ、ムスク:心地よさ」 …らしい。
匂いの表現としてこれが過不足無い表現なのかはちょっと気になるがそれは専門家が頑張ってくれてるのだと思うので信頼することにする。
問題点はこの情報の使い方がまるで分らないことだ。ダージリンティーの匂いが欲しくて香水を買う時があるのか?「いやそれは例えみたいなものでしょ」と言うがじゃあダージリンに例えられるような匂いが欲しい時があるか問の本質は変わらない。そしてダージリンティーとスイレンと言われたって混ぜたところなんて想像がつかない。この5個の物体を混ぜたものとプールオムの素敵な香りは自分の中でちっともイコールにならない。
あと:の後の言葉も素敵な言葉をこんなに並べられたらわかんなくなる。琴線に触れた言葉があったとしても、こんだけ挙げられたら一個ぐらい心に響くさという冷ややかな自分が生まれてしまう。
そんな話を友人にしたら「紅茶もそういうところがあるよ」と言って紅茶のパッケージを見せられた。
男女どっちも許容しないだろうそりゃ
テンプレだのステレオタイプにとらわれだのとまあお気軽に口では言うが、そこから外れた存在と聞いていったいどんな男を想像する?
フェミが想定してるのなんざ、せいぜい「ユニセックスな女性の感情にも理解のある若い美形のゲイ男性が生きやすくなったらいいなぁ~♪」ぐらいなんだろうが、もちろん実際はそんなのばかりじゃないぞ
多様性を無責任に持ち上げるというのは、何が好きかわからない、何を考えているのかもわからない、なんなら女装してその辺を歩くかもしれない、そんなおっさんが解き放たれるのとイコールなわけだ
けどそんなん、普通の人らはもちろん、フェミですら不気味でしょうがないに決まってるだろうが
正直になれって
今記憶にある範囲だと例の高プロの議論位しかないんだけど、最初の頃は野党が「高プロは働き方改革ってーことで労働時間を短くするためにできた試案のはずよな? これやと労働時間が増える結果にしかならんのやけど」に対して
「そういうのを望んでる労働者もいるんじゃねーのって思ってる」とかに対して
「そもそも労働者の選択肢増やしただけだし」に対しても「意味わかんない」って言ってたような気がする。
大前提として働き方改革はイコール労働者の労働時間を削減するということでは必ずしも無く、今の一般的な労働の形に対していろんなバリエーションを設けましょうってことを「みんな忘れたふりをしている」んだよ。例の高橋まつりさんを旗印にしてな。
ニコ生のような「コメントを拾って返すノリや文化」に興味がないだけだと思っていたが違っていたことに気付いた。
とある二次元キャラのvtuber企画みたいなのがあり、まあこれなら多少は興味があることないと見てみたのだが、見ていく内に苦痛というか気持ち悪さで嫌になった。
キャラがあれこれ喋るどころかコメント拾って反応してくれたりするのは凄く良いと思う。自分は中の人には興味ない分、こういうのは二次元と現実の垣根を曖昧にする面白さがある。だけどな?だからこそ、自分の好きなキャラが何処の馬の骨とも分からない奴らと会話したり、言い寄られたりするのは気持ち悪すぎて見るに堪えない。自分は主人公に自分を重ねるタイプではないけど、好きなキャラが選んだ主人公だからこそ見ていて楽しめるのだと思う。それが何だこれ。設定上、視聴者イコール主人公系の想定としたらしく、そういう対応で会話していくのがまた辛い。なら自分も混ざればいいじゃないか、という話なのだろうが先述の通り自分はモブとして或いは観測者として箱庭をチラ見するのが好きなのだ。しかしだからといって何故こんな惨劇を見せられなければならないのか。