作った人は死にたいって思ったことがなさそう、と話題になってるポスターについて書こうと思う。
あそこに書かれてる方法で救える人もいるのだが、ターゲットにしてる人たちにとってはズレている。
(……そもそも、後者をターゲットにしてるかどうかは憶測でしかない。違ったらすみません。後者の場合ということで話を進めていきます。)
つらい人の気持ちを理解できないのは仕方ないことだ。実際に体験しないと想像でしかないので。
怖いのは、そのつらさを「理解できているはずだ」という思い込みでしかない感情に気づかないこと。
「理解できないけど、寄り添いたい」と「理解できるている、寄り添いたい」ではかなり違う。
例えば、悩んでる人の感情を100パーセントとして、そのうち40パーセントしか理解できてない状態。
60パーセントもの差があるが、本人は100パーセント理解できていると思っている。つまりその60パーセントは想像でしかない。
それなのに、理解できていると思ってるから、そのうち「こうすれば解決するのに」「なんでそう思うんだろう」という差が出てくる。
その差を無理やり埋めようとすることは、解決の強要でしかなく、つらい人を余計悩ませることになってしまう。
もちろん、悩みを完全に理解することイコール解決ではない。それを含めて「理解できているという思い込み」は怖いのだ。
あのポスターに違和感があるのは、様々なつらさを1つのタイプのつらさに統合していること。そしてその1つの解決方法しか示していないことなんじゃないかな。