はてなキーワード: あいかわらずとは
職域で打ってきたので記録しておく。
【1回目 6/26 18:00】
年齢:20代後半
アレルギー:花粉、ハウスダスト(ちょっとくしゃみ出るくらい)
■当日
打ってもらった時は針が刺さった以上のいたみはなかった。
5分後、喉がイガイガし始める。水を飲むと明らかにおかしいが、痛かったり苦しいわけではない。
念のため医者に診てもらうも異常なしだが、体温が少し上がっている。
30分様子見して帰宅。
3時間後(21時)くらいに喉の痛みが消えた。
夜0時くらいから針を刺したところが少し痛む。
そちらを下にした状態で寝そべることができなかったり、服で引っ張られると痛いレベル。
鼻がちょっと詰まっていて喉が少し痒いがいえの埃の可能性もある。
その他は異常なし。
■2日目
Twitterとかで腕が上がらんような話を見てうそ〜と思ってたけどその通りで腕が上がらない。
肩よりちょい下くらいまで上げるとイタタ、ってなっちゃう。相変わらずそっちの腕を下にして寝られない。
熱は何度か測ったけど平熱+0.5度くらいで発熱まではいかない。
その他の不調は特にない。なんかだるくて動く気力がなかったりするがいつも通りなのでワクチンの影響ではないだろう。
■3日目
腕の痛みが全く引かないが、あいかわらずその他の不調はなし。熱もなし。食欲もあり。
「普通にできるはずのことができない人=発達障害だろう」というのが増田では勝手な素人診断としてひろまってるのだが
一番最初は別に発達障害でなくても「適応障害」であって、だれでも適応を失ってこうなることはあるのだとおもう
もう少し進むとうつ病なんだろうけどそこまではこの際どうでもよくて
この手の適応障害をおこしている人が自己は弱者だと定義をしたいのならそれはまだわかるけれど
おまえはどう弱者で、どうしたいんだ?ってたずねてもあいかわらず彼らはなにも(一部は女をよこせしか)いわない
怒り終わるまで付き合えるのはおなじように怒りをもっている増田だけなんだろうし、
しかも会社ではなく「社会」が対象となれば出国くらいしか最終的に安全な解決のしようがない
増田だとお互い悪ノリ状態になって怒りをこじれさせ長引かせるだけのように思う
そういうのから比べると本当にセルフネグレクトの正直な報告である元増田は貴重だなとおもった
歯も大変だけどお大事に
神経質になるほどではないが手指消毒もあいかわらず推奨らしい。
接触感染のリスクは小さいのだから、帰宅時の手洗いや店先での手指のアルコール消毒は、しないで良いの?と思ってしまいますが、そういうわけではありません。
そもそも研究でも、飛まつ感染と比べると小さいとはいえ、接触感染によって感染が起きるリスクは確かめられています。それを防ぐために、手洗いやアルコールの手指消毒は有効です。CDCのガイドラインでも、手洗いや手指消毒は現在でも推奨されています。
一方で、冒頭に上げた飲食店の例のように、お客さんが入れ替わるごとに机や席を消毒する必要はあるのか?と聞かれると考え込んでしまいます。
【新型コロナ、接触感染のリスクは低い?「清掃は通常1日1回で十分」米CDCのガイドラインが改訂】https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_60764240e4b089e3a2c3fe80
やたら旧弊の象徴として槍玉に挙げられるサザエさんアニメだが、だいたいその手の言及をしてる人は最近のサザエさんを見てないんじゃないかという気がする。相当昔に見た印象だけで語ってるんではないか。
家庭の事情でこのところサザエさんを見ているが、一部の進歩的ご婦人方が「子供には絶対見せません!」とプンスカするような、家父長制を背景に波平が横暴な振る舞いをするようなシーンはまず出てこない。カツオにゲンコツなんてしない。叱ることはあるが、怒鳴りつけるようなシーンはめったになくなっている。要するにサザエさんアニメはサザエさんアニメなりに「アップデート」されている。
http://anond.hatelabo.jp/20160110142936 |
https://anond.hatelabo.jp/20160131185333
これらを書いて5年が経った。自分はあいかわらず大学教員をやっている。
もっとも、10歳も20歳も年の離れた男性が、同世代の男子学生が及ばないであろう経済力(と女性あしらいの経験値)を背景に、先週告白してきただけの女子学生に手を出すなんて事象は自由恋愛なのだろうか、チート恋愛なんじゃないの、という疑問もなくはないのだが、当職はそのようなトラブルを処理する立場にないので、この疑問はしばらくのそのままとしておきたい。 |
その後、教員組織における管理職として経験を積み、学生-教員間の恋愛・セクハラ系のトラブルに対応する立場になった。
5年前の自分へのアンサーブログとしてここにメモを残しておきたい。
その頻度は、1つ目の記事に書いた数値とそう離れていない。
つまり、30代までの男性教員は、自分が担当する女子学生のうち、0~2%から好意(恋愛感情)を持たれる。「0%~」という下限は、教員本人がその種のことに疎くて気づかないか、教員が持つ心理的安全感が低い(むやみに怒る、清潔感に欠ける、不審なほど暗い等)かであり、大学事務と一般的なコミュニケーションがとれる教員であれば、2%が妥当だ。
そして、40代に入ると2%→0.5%ほどに激減する。
30代まではまだ世代が近いため、冗談やおどけが通じ、親近感を持たれやすいが、40代以降では人間としての重み(または老化)が現れる上、彼女らの父親と年齢が近づくため、恋愛対象から急速に外れることが大きいようである。
次に、男性教員がずいぶん年の離れた女子学生と交際することが自由恋愛なのか、チート恋愛なのかという問いについては、やはり後者であろう、という意見が大勢となりつつある。
学生と教員の両方を管理する立ち位置にある私自身の経験もあるかもしれないが、ここ5年での世間の変化がもっとも大きいように思われる。
上司と部下、業界のカリスマと新規参入者、業務発注者と受注者、部活の指導者と指導を受ける者といった権力勾配のある関係性における性的な行為は、セクハラその他の違法行為として認識されることが多くなった。
その実例は報道されたものだけでも多く思い出されるであろうし、MeTooという世界的な用語もここ5年で登場した。
学生の意思に反して交際を迫ることが言語道断であることは当然のこと、両者の自由意志のように見えても、異性の学生との交際の進展を積極的に拒否しない場合は、教員が権力勾配のアドバンテージを利用したとみなされるようになってきている。
つまり、自分から積極的に迫ったわけではなく学生側がアプローチしてきただけだという言い分は認められなくなってきている。
そこらへんのおっさん・おばさんが親子ほども年の離れた学生から交際を迫られるのはなろう小説の世界だけであり、現実社会でそれが起こるということはやはり何らかのチート(今回は権力勾配)があると考えるのが自然であろう。
(なお、この記事は女子学生→男性教員を中心的に書いているが、自分が見聞きした最悪の教員セクハラは、男性同性愛者である男性教授が好みの男子学生を(おそらく不当に)期末試験不合格とし、口頭試問と称する再試験をその地域の花火大会がある午後に設定し、当該学生を花火大会へ誘った上で自宅へ泊めようとした事案である。非常に悪質と感じたが、自宅へ誘った以外は状況証拠であり、教員本人が同性愛の指向を公的には否定したこともあり、懲戒には至らなかった。周囲の監視の目は厳しくなったが。)
大学教員が年の離れた学生と交際し、時には結婚までする話は、内田某氏が行ったとき(2009年)には著名人たちから無条件に祝福されたが、今ではかなり厳しい視線にさらされるように感じられる。
最初に書いたように、そのような時代変化を経た現在でも「0~2%」は変わっていないため、教員側が積極的に断る力を発揮する必要があるだろう。
大学教員が学生と交際する話がごろごろしており、温かく祝福さえされていた2000年代までを知る立場からすると、時代は変わるものだと思う。
あいかわらず結婚したいかといえばそんなことはないんだけど、最近見えてきたことがある。
人に優しくされた分だけ、その人を安心させてやりたくなるということ。
その安心の証明や着地点として結婚があるんだろう。優しくしてくれた人たちに向けて、結婚(婚姻)を宣言するのは、「僕は、私は、この人と人生を共にするから大丈夫ですよ。」と伝えることと同義だ。
私に優しくしてくれる人は会社の上司やパートさんたちだ。特に上司は私を本当の娘みたいに扱ってくれる。心配してくれる。
私が結婚していれば、私が風邪を引いたとき、上司はわざわざ私が起きているか確認した上で玄関にお見舞い一式を置いていく必要がない。
上司が会社からいなくなる時や私の人生から見えなくなってしまう時でも、私が結婚していれば「自分がいなくなってもこいつは幸せなのだ」「寂しがっても支えてくれる人がいるのだ」と安心できるんだろう。
例えば伸び代と安定性のある会社の役員や顧問になるとか、石油王になったとか、超安定した家賃収入があるとか、そういう絶対的な資産も確かに拠り所にはなる。
なるけれど、結局は人の繋がりというか、感情的な守りにはならない。急な事態の助けにはならない。だからみんな、私に結婚しろと思うのだ。私が独りで困ったり寂しくならないように。
それをそうとわかってしまった。みんな私に優しくしてくれるから。私を心配してくれるから。無意識で享受していたありがたみが、いまなぜか爆発しちゃった。
なんていい人たちなんだろう。こんなにも感情的な教えなんてどこにもなかった。
転職が成功しなかったら、実家に居つづけたら、きっとずっとわからなかった。
こんなに優しく支えてもらってきたのに、気づくのに四年もかかった。ほぼまるまる四年の時間がかかった。
申し訳ないと思う。ありがとうと感謝するべきなのに、じゃあ結婚しろ相手を探せと願われてもそれはもう嫌なのだ。
私は私を慰めて生きて行くしかないと知っているから。そうじゃないと子どもの私が浮かばれない。
喧嘩ばかりしていた両親に心配してほしかった時の私が早くしにたいと泣いてる気がする。
本当に気づくのが遅すぎたなぁ。もう今さら感謝することも動いてみることも怖くて恥ずかしくて出来ないから、私は気づかない振りをして明日も出勤するだろう。
この間、買い物から帰るとすでに姪っ子と姉が来ていた。
大人たち全員で晩ごはんを食べていたので、終わるまで姪っ子の相手をして(こうしないと姪っ子が誰かの膝に乗り晩ごはんをねだる。やんちゃで食欲旺盛なのだ)、頃合いを見計らって部屋着に着替えにリビングを出た。
事件はその時起きた。
リビングを出て10秒、部屋にいるのに姪っ子の大きな泣き声が聞こえてきたのである。
最近めったに聞かなくなった「うぇ〜〜〜ん!!!」という渾身の大泣きだ。
おば増田は激しく焦った。まずい、泣かせた…。
この年になると誰かを泣かせる機会もそうそうないので、心臓に悪い。
あわてて着替えをすませてリビングのドアを開けると、姪っ子はそこにいた。
ドア前の壁によっかかり、うつむき、両手を下ろしぎゅっと握りしめて。
(母はのちに「となりのトトロのメイみたいだったね」と語っていた。比喩表現100万点だった)
どうやらいなくなったことに気づくと、姪っ子は「ちゃん!ちゃん!」と叫んでいたそうな。(※ちゃん=増田のあだ名)