はてなキーワード: 鬱屈とは
彼女は単に「タブーに関してモノを言う俺格好いい」「本音こそが大事なんだ」っていう、典型的な大二病。
ずっと増田やってるからよくわかる。過激なことを書いて叩かれでもなんでもはてブ数がたくさんもらえたりすると
「俺の言ったことはやはり社会にインパクトを与えるような大事なことなんだ」って勘違いしてしまうんだよ。
で、その中から「賛成のコメントが6RTあるから、やっぱり俺は正しいんだ」って思っちゃうんだよ。
もうイケイケだから、ドーパミン出まくってるからネガコメなんて、目に入らない。
悪化すると、あえて露悪的に、あえて過激に、って暴走してしていく。
だんだん話が妄想めいてくる。そうするとますます叩かれて、それを喜ぶようになる。
で、ある時ふと我に返って顔が青ざめる。
シラフの時に考えるとなんでこんな馬鹿なことを、って思うけえど馬鹿な時期ってのが、暇な大学生にはよくあるんだ。
今から思い起こすと恥ずかしいし、それが増田じゃなかったら貧困とか関係なく死にたくなるけど
こういう病気にかかっちゃうことはあるんだよ。しょうがないんだよ。
いろいろ満たされなくて、つい魔が刺しちゃうんだよ!わかってよwww
twitter時代に入ってから、わたしのような大二病は増殖していく一方だ。
なぜなら、ブログと違って説明ぬきで感覚的なことを言うのがアリになってきてるから。
知的レベルの低い人間でもこれに参加できるようになってきたから。
筑波大程度でアッパーミドルとかいっちゃう微妙なレベルのコは、恋愛が満たされるくらいしか自分を救う方法がない。
誰にも愛してもらえないなら、愛される自分を妄想するしかないじゃない。
いろんな鬱屈抱えてるんだよね。そういう子がtwitterなんか与えられちゃったら・・・そりゃ発症するでしょJK.
大二病の治療に必要なのは「そういうことをいうのはタブーだ」ということじゃない。
それは彼女の病気をより悪化させる。もちろん肯定しても駄目だ。
本質的には彼女の惨めな承認欲求やら愛情欲求を、身近な人が癒してくれるのを待つしかない。
それまで、ネットでは間違った承認や愛情を与えてあげたくなる気持をぐっと我慢しなければいけない。
っていうか、ぶっちゃけ、放置してあげるのが一番彼女のためになる。
どうせ就活の時に現実思い知るから、放っておいてもいいかなー、とか思うしね。
こういう奴が要る限り、就活って改善されないのも仕方ないよなーって思ってしまうね、どうしても。
ただもう、大二病をこじらせた挙句「だだ漏れ最高」とか言い出すアーパーな女が出てきて、
自分用メモも兼ねて。いや、最近なんか周りでなんとも抑うつっぽい人が散見されるようになってきたように感じられるのでふと考えることが多くなった。「とりあえず前向きに」は理想としてはほんとそのとおりなんだけど、いやできないから凹んでるわけであってね。というのも自分も社会生活に支障は無いまでもちょっときつかった時期があったりしたんだよね。なんかこう上手くいかんという時にわずかでも参考になればと。
以下自分の思う改善法を適当に並べて書くけどツッコミ等あれば是非忌憚なく書いてってくれれば
・スポーツする
スポーツするのはすごく効くと強く感じる。じっさい脳内に多幸感物質的なのがでていいらしいね本当に。そういえば体育会だったり普段から運動してる人でうつっぽい人っていなくない?(無口とかおとなしい人ってのは別でね。笑)それって結局これにつながるところだと思うんだよね。まあ脳内から作用するんならそりゃ自然に効くここまでいい薬はないわなと。
で、スポーツの中でも個人的には集団でやるやつ、例えば野球、サッカー、バスケとかとかをあまり競争的にならずにやるのがいいと思ってるんだ。というのも下の話にも関連するんだけど人とあって話すのはすごい凹んでるのを改善するのにいい。特に非競争的にみんなでわいわい談笑しながらでなんかだと本当に効果てきめんだと個人的にも思ったわ。あんまり試合の結果に一喜一憂するのがいいとも思わんしね。(まあ個人差あるかもだけど笑)
水泳とかジョギングとかでもいいとは思う。ただ、ジョギングとか取り入れてみて思ったけどどうにも変化がなかったりすると飽きたりするからそこらへんは要工夫だし、人の輪にいるってのがすごい重要だと思ってるからよりオススメは集団スポーツ。でも個人スポーツも全然OKってスタンス。
・人と会って喋る
これも超重要。や、もう本当になんでもいいんだよね。単純に失恋とか仕事うまく行かなくて悩んでるならそれを聞いてもらうでもいいし、あえて全然関係ない趣味に花咲かせるのでもいいと思う。個人的には仕事なり実際的な解決方法が欲しい時は人の話を参考にするのもいいかなとは思うけど、基本的にどうにもならない人間関係のこととかはもう全く別の話して気を紛らわすのがいいんじゃないかなと思うことが多いのかなとは思ってる。例えば恋人関係で悩んでる時に共通の知人にいろいろ聞いてもらうよりは、全く関係ない人にその相談みたいなのはもちかけずに自分の好きな趣味、音楽映画なり漫画でもなんでもいいけど、の話をしてわーって盛り上がったときのほうが気持ち的には晴れやかなことが多いのかなっては思う。まあこのへんはいろいろケースにはよるかなとは思うけど気の置けない友達とただ話して笑ってみるだけで全然違うっすほんと。
・陽の光を浴びる
これも効く。よく本とかに書いてあることだったりはするんだけどね。メラトニン(だっけ)とかってのが日に浴びることで生成されていろいろポジティブな効果を生むっていう。これも具体的に南国の人とかのうつ率の低さ(ってかほとんどいないんじゃね?笑)をかんがえたらなんとなく納得する話なのかなと。自分も少し取り入れてみたけど朝に一日の段取りでもぼーっと考えながら2,30分散歩してみるだけでもホント違うよ。これなんかは習慣にすべきだと思う。忙しいと30分とかの時間生み出すの大変かもなんだけど、まわりまわって効率良くなって全体のパフォーマンスよくなってるの感じるわ。
・早寝早起きする
これも上に関連。特に日の出てる時にしっかり生活をするのが重要。これ見てる人なんかはパソコン好きが多いだろうからついついモニターの前で夜更かししちゃう、みたいなことありますよね。僕もすごくよくあるのでわかる。笑 でもやっぱり早起きしたらその分有効に使える時間は増えるし、上記の日を浴びられる時間が伸びる。逆に、夜更かししてネットやりながらだらだらしてると無駄な後ろ向きな思索とかがやたら増えてかなりジャンクなブラウジングしてる自分に気づいてなんとなく鬱屈としてくる、また生活時間がズレこんでの悪いサイクルが生まれると思うんだ。だからなんとか朝、人と会う予定をいろいろ入れてみたりして、生活習慣を改善してみよう。特に夜更かしをしないってのが重要かなとは思います経験上。
・家事とかをしっかりしてみる
は?って感じかもしれんけど小さいながら書いとく。これ結局小さい成功体験の積み重ねに相当するのあかなと。普段面倒だったり忙しかったりして掃除選択皿洗いから細やかな管理なり色々後回しになってたりしない?そういうのをちょっと重い腰を上げてやってみよう。掃除なんかはほんと終わったらすっきりするよ。週ごとにホコリ一掃キャンペーン(一人で)をやってもいいくらいだ。笑 本棚の整理、パソコンのファイル整理でも靴磨くのでもどんな小さなことでもいい。無言で集中してるうちに日常の些事なんか薄らいじゃってうことってよくあるよ!
・ネット断ちをしてみる
最後にネットヘビーユーザは特に。前述のごとくここ見る人なんて大分ネットに慣れ親しんだ人だろう。最近なんかはネット疲れなんてのが言われるくらいだからなあ…いるでしょ?気付いたらTwitter開いてるみたいな人?笑 自分も大分そっち側だからよく分かるんだよ。
でもそれあんまよくない。特にネット一日に数時間もやってる(それこそねらー的な人達が自嘲的に言ってるような人種の人は)一日でもいいから全くネット触らずに外ぶらぶらしてみる時間をとったり、鈍行でふと何か見に行けばいいと思う。これ本当に違うんだよ。割と自分も一日にネットとんでもない時間触れてる時があったんだけど、これってなんかこう、そのまま惰性で続けちゃうじゃん?それをこうアウトドアなのをふと入れてみるとそのネットやってる時間自体の充実度もだいぶ違ったりするから不思議なもんだ。インドアな人には効果てきめんだし、最近よくいう引きこもり気味でネガティブになってる人にはよく効くと思うので是非。
ざっと思いつくままに書いてみたけど、うつ改善のために精神科の先生が書いてるのいくつか読んだりWEBで読んだのうろ覚えであったりするのと、自分の経験則的なものを合わせた感じだとこんな感じだ。特に自分がおすすめするのはスポーツと人と話すことかな。もちろん時間が必要なことではあるので大変かとはおもうけどやっぱりこう人と交流しながらってのが一番効果的だとは思う。そんな友達がいないんだよ!笑 みたいな人はネットでオフみたいなの探せば何かしら機会はあるはず、同じような悩みだったり考えしてる人って世の中思いのほか多かったりするよ!
以上とりあえずそんなかんじで、是非参考になれば!
・一見おとなしそうでマジメという印象を持たれている。本人はそれを好印象と思っているが、他人には変な人、挙動不審な人としか認識されていない。
・謙虚なのは最初だけで、気を許すと途端に攻撃的になる。会話が苦手なだけで、本当の性格は短気で傲慢、他人を見下している。そのため人間関係が長続きしない。
・プライドが高く「本当の自分はこんなはずじゃない」と常に鬱屈した感情を持っている。
・人との関わりを避け、ゲームやアニメ、マンガなど1人で没頭出来ることを趣味としている。
・子供の頃は親や周囲の大人の言う事をよく聞き、大人になってからも自立せず囲いの中で生きている。
・親との仲が良い。その日の出来事は包み隠さず親に話す。母親は息子を王子様扱いし、他人にはばからず話すので、周囲からは息子はマザコンだとばれている。
・論理的、合理的な思考を重んじる。
・女性にモテるイケメンやDQNに対して強い不快感と憎しみを持つ。
・恐怖心から他人を名前で呼ばない。タメ口や馴れ馴れしい言葉遣い、呼び捨てにされると強い不快感を示す。
・基本的に声が小さく、よく人に聞き返される。女性との会話は普段よりかん高い声になる。コミュニケーション能力も乏しい。
・人と交わらず苦労してないので年の割に顔にしまりがなく、ファッションに対する意識は中学生の時から進歩していない。
・淋しがり屋だが団体行動が苦手、ワイワイ盛り上がるのも苦手。逆にみんなが盛り上がってると妙に冷める。
・静かで清楚な女性が好き。これは好きと言うより、自分が主導権を握るためで我が強い。
・大事件や大災害が起こらないかなぁ・・・と毎日心の何処かで期待している。
・逃避するだけの毎日、過去の失敗を引きずっていてそのことを思い出す度に思わず声が出そうになる。
・容姿や身長、体格になんらかの強いコンプレックスを持っている。
・絶対に自分の非は認めず、何かあれば「他人が悪い、社会が悪い」と責任転嫁する。女性にモテない理由は「最近の女は男を見る目がない」から。
【父】
・地方出身/中流、しかし比較的裕福ではない/持ち家/祖父母と同居/妻より高学歴
【娘】
・周囲の評価は「しっかりしてる」/勉強はできるほう/見た目が派手ではない/現実逃避のための趣味がある
・やたら「家族」を押しつけてくる件
家族を万能な何かだと思ってるが、それは彼にだけ許された環境である
妻や娘は彼をちやほやする装置
おそらく自分の父親(私にとっては祖父)が「家族」で肯定されてきたから自分も無条件に「家族」が肯定してくれると信じている?
しかし自分以外の「家族」構成員を気遣わないし、都合も考えない
娘には妻と同等のサポートを求め、従わないことなど有り得ないと信じている
「なんでもやってみなさい」と言う …しかし必ず「あれをしろ」口を出す、「こうしたほうがいい」と手も出す
「俺がお前のことを一番よくわかっている」「娘が俺のことを嫌っているはずがない」という根拠のない自信
これをやられ続けると、娘のほうは自分の意思で何かすることすべてに罪悪感を伴う
たちが悪いのは、「家族」と「愛」でゴリ押し、拒否権は認められないということ
11~12歳くらいになると娘は「お父さんが嫌がるようなことを考える自分が悪いんだ」と思うようになる
父が嫌う発言をすると「心が貧しい」「頭が固い」など性格を否定される
そのへんのおっさんの所有欲・支配欲と変わらないと気づくのに年数が掛かった
他人は「よくできた娘さんで」と言い、
父は「いやいや、そんなことないですよ」と笑い、
隣の娘まんざらでもないような気がするが、自覚なく鬱屈がたまっていく
大事な決戦の前夜、兄貴分のカミナと反乱軍の少女ヨーコがキスしているのを目撃してしまう
翌日の決戦で操縦に不調をきたし、フォローに入ったカミナ機が身代わりに撃破されてしまう
…というような話をやっておいて、
シモンはその後ヨーコに対して一切興味を示さなくなる
故意に避けるようになったとかではなく、片思い設定自体が掻き消える
ヨーコに横恋慕したせいでカミナを死なせてしまったことについて後悔や疚しさも持たず、
「俺が臆病なせいで兄貴を死なせてしまった」ぐらいの鬱屈で総括してしまう
いったい何の為に三角関係描写を入れたんだ?
ヨーコというキャラもこれ以降は役どころが宙ぶらりんになり、
後から入ってきた新ヒロインと「反乱軍のアイドル」の座をめぐって争ったりした後は
「終盤で別の男にキスをする→やっぱり直後に男が死ぬ」というギャグぐらいしか見せ場がない
逆に異常にヨーコを避けるようになるとか、
ヨーコにもどこかでそれに気づかれて怖がられるとか、
「まさかカミナをわざと殺したの!?」と言われるとか、
くっつくけど内心で憎みあってるとか、
そういう展開をやらないなら嘘だろうに
何の解決も無く関係解消
本来なら一度キツい意味でヨーコと対決しなければいけなかった筈が
なにしろシモンは「兄貴~」と言ってるだけで既にヨーコには一片も執着してない
お姫様はヨーコの幻影と戦う必要がなかった
結局お姫様はシモンの隣に座ってとぼけたことを言ってるだけで、
アホさに癒されたシモンが復活するという、
せめて後年、大人になった後でシモンとヨーコが過去のこととしてこのあたりの話を交わすかと思いきや
そういうのすらなんにもない
アホみたいな奴が「ちゃんとやれよ!」「お前ダメなんだよ!」と怒鳴りつける以外に
金田伊功フォロワーのコミカルで景気のいい作画が得意な人だそうだ
ああ、いかにもそんな感じ
バイト先では、定期的に飲み会をしている。私を含め、バイト全員が大学生という少々特殊な環境なので、話題も下ネタやら痴話話やら、下世話なものが多い。それに加えて、弱い癖にチャンポンしたり、男気ジャンケンしてお酒をイッキしたりと、終了後には死屍累々…というのが毎回お決まりである。
そんな中でも、やんわりとしたツッコミからお会計、介抱までやってくれているのが、増田さん(仮名)である。非常に頼もしい男だ。
増田さんはいい人なんだが、いわゆるブサメンというやつで、ぽっちゃり、ファッション興味なしという喪男要素満点。彼女はいるにはいたらしいが、Bまでやったあたりで、自分が捨て駒にされていたことが発覚し、一ヶ月ほどで別れたらしい。その彼女と別れた数カ月後。つまり今から一ヶ月前ほどから、増田さんが、やたら卑屈になりはじめたのだ。
まあ、もともと卑屈っぽく、自虐癖のようなものはあったにしろ、限度をわきまえていた。だから、周囲も苦笑しながら「そういうこと言わないの!」的な制し方をすることができた。それが、最近になってやけにしつこくなってきた。太宰が女にモテなかったら、こういう卑屈っぷりを発揮するんだろうか、と思うような感じ。いらいらする。加えて、女友達や元カノの話をすると、必ず「その子紹介してよ!」なのである。こっちも友達を喪をこじらせた男にホイホイ紹介できるわけもなく、「いやー、でも好みかわかんないしー」というかわし方をするや否や、「俺は容姿は気にしない」とストレートをキメてくる。以前は「相手が好きになってくれればそれでかまわない」とか言ってたくせに、ハードルはどんどん下がり、今や地面とくっついちゃってる状態みたいだ。しょうがないので、「(そういう人がいるって)また相手に言っとくわ」というのらくら的かわしで去ることしかできない。
先日、忘年会があったんだけど、増田さんは見事に「喪男」から「空気読めない喪男」に零落していた。言うギャグはおもしろくない、ツッコミとして「あのさ、それ…」と会話に分け入るも、次の句が出てこず、場が冷える。最終的にはまた「紹介してよー」が差し込まれ、全員苦笑。ちょい引き。以前の影の宴会部長である増田さんの影は、そこにはなかった。私はがっかりした。
増田さんって、結局恋したいとかじゃなくて、彼女が欲しいんだ。というか、彼女という名の手軽にヤラせてくれる女がほしいだけなのかい。そんなにヤリたいなら、ヘルスでもどこでも行けよ。どうでもいいから、その鬱屈とした感情をどこかで発散してくれ。頼む。周りまでお前のダッチワイフづくりに巻き込まないでくれ。
そもそもリア充の定義が人によりけりな気もするが、ここではリア充=恋人がいる という前提の話。
私は恋人はいるが全然リアルが充実していないのでリア充ではないのだが、そう主張しても「いやお前はリア充だ!」と、
どうにも言われてしまうので、ここではリア充ということにしておく。
恋人がいるというのは当然幸せなこともあるが、悩みの種になることもあり、それは時にもうほんとどうしようかと思うような悩みのときもある。
非リアの中には「そんな悩みがあるだけ幸せじゃねーか!」と思われる方もいるかもしれないが、悩みがあって幸せなことなど断じてない。
「今日はどの服着てデート行こうかな~。彼、この服が可愛いって言ってくれたっけ。うーん、悩むなぁ」なんてライトすぎる悩みならともかく、
人と人が深くお互いに関りあって生きていこうとるんだから、それはもうヘビーな悩みもある。
こう言っても非リアの方の耳には届かないかもしれないが、人生の幸福はストレスフリーであることが前提で、悩みがあっていいことなど何もない。
それだけで非リアの方はリア充より幸せである。しかし、こう言ってもたぶん伝わらない。
(そもそもリアルが充実していたら幸せに違いないのだが、最初の前提のとおり、恋人がいる=リア充 という風潮があるので、それに則った話である。
そういう意味ではこれは「恋人がいるけれどリア充じゃない人はは非リアよりも幸せとは限らない」という話かもしれない。)
私個人の話で、現状恋人との間にある一番慢性的な悩みになっているのは結婚の話であり、つまるところ金の話である。
結婚が控えているが先立つものがなく結婚たいけれど困っているという状況。ただここで言いたいのは別に結婚相談でもなんでもなく、
個人の能力の話であり、その能力がためにリア充と幸せは無関係 という話である。
人の能力には個々の差があって、微妙なバランスの人もおり、その中に
「将来の見通しもあり、現状も理解していて今打破すべき問題もわかってはいるが、それを打破できる能力のない人」というのが往々に存在する。
これがなかなか難しい問題で、年中風邪のようなものであり、風邪を治したいのに体力がなく治しようがないといった状況である。
よってずっと悩み苛まされることになる。慢性的な風邪はストレスとなり結局幸せではなくなる。
問題の原因は風邪であり、風邪を手放せば問題も無くなるわけで、恋人を手放せば問題はなくなるわけである。つまり恋人を抱えていると幸せなこともあるが悩むことも発生し、それを解決する能力がないのならとても幸せといえるような状況ではないということ。
ここで重要なのは、恋人や結婚だけの話ではなく、自分が可能な範囲を超えて物事を抱え込むと苦労が増えて結果的に不幸になるよという話である。それは断捨離のようなもので、抱えているものが増えれば増えるほど心労(の種になるかもしれない)ことが増えていくわけで、極力、ミニマムに生きていた方が、ストレスフリーで生きていられる。どこかのまとめで「地球人類全員が幸せになるには人類総白痴しかないって」という意見を見たことがあるが、極論過ぎるが特に間違っておらず、それはそれできっと幸せなのである。そんな未来は目指したくないが。
つまるところ、抱えるものが多くなるというのは決していいことではなく、時には不幸に、個人の能力によっては不幸でしかなくなることもある。
非リアの皆さん、街で一緒に歩いているカップルを見て爆発しろと思うかもしれないが、あなたは彼女達の何を知っているわけでもない。
どんな悩みを抱えて生きているのかわからず、また人は大概悩みを持って生きている。それは、あなたが抱えている鬱屈よりも辛いものである可能性は十二分にある。
リア充はあなたより多くの幸せを抱えているかもしれない。でも、あなたより不幸もより多く抱えているかもしれない。
カップルを見かけたら、逆に「俺はあいつらより悩みを抱えていないし、不幸になることもないぜ」と笑い飛ばせばいいのだ。
個人的な話だが、私は今遠距恋愛中であり、結婚するとなると、どちらかが、または双方が動く必要がある。つまるところ、転職する必要がでてくるわけだ。ただ結婚しようというだけでも一大事なのに、転職活動までセットになってくるわけである。このご時世に。これはもうほんとに考えるだけで面倒くさい。キングオブ面倒くさい。
そして、ここで問題になってくるのが先ほどの個々の能力の話。引く手数多な有能な方ならいいが、無能だと先ほどの「問題を打破する能力のない人」の悩みに陥ってしまう。
私個人の能力の話はともかく、つまるところ、色々抱えるものがあると、本当に頭の痛い悩みも増える可能性も抱え込むわけで、それは幸せと全然繋がらない。
リア充だから非リア充より幸せである なんてことは決してならない。
無論、幸せかどうかなど無関係に「男女でイチャイチャしやがって!爆発しろ!」と言うのはあなたの自由である。
また私自身のことで恐縮だが、私はどうにも先のことを考えすぎて動けなくなるタイプのようで、昔からずっと先の事まで考えていた。
今にして思えば、考えていただけでそれに応じた行動をしていたかどうかは別問題。
高校の頃から、付き合うなら結婚前提 と考えていて、「付き合っている人と結婚しないということは、いつかは別れるということ。そしていつか別れるつもりで恋愛をする気なんてない」と思っていた。
でもこれは今でも間違っているとは思っていない。恋人同士が結婚しないのなら、別れるしかないのだ。
これを読んでいるあなたがリア充なら、恋人に自分と結婚する気があるか尋ねてみるといい。
相手にそのつもりがなくダラダラ関係が続いているだけならば、予約している彼へのクリスマスプレゼントはとっととキャンセルして、そのお金で女子会でも開いた方がよっぽど有意義だ。
(しかし難しいところで、彼には彼のプロポーズ計画があるかもしれないので、その幸せの瞬間のためにも余計ないことはつっつかない方がいいというのもある)
すごい長文になってしまった。つまるところ、
幸せかどうかはリア充かどうかと直結しない。あなたは自分を非リアだと思っているかもしれないが、あなたの人生が幸福なものになるかどうかとは無関係なので、がんばれよ
と言いたかった。
僕はこの曲を聴いて二回泣いて、一回吐いた。
まず、一度目の涙は短絡的である。
働こう 働こう
別にどうでもいい、これで泣くなら泣けばいい。
ただ、しっかりと歌詞を読みながら聞いたら、
ももクロはとんでもないことを歌っているのではという思いが強くなった。
それなら二回目の涙をなかった、
むしろ頑張って働こうとさえ思うかもしれない。
働いていれば、上司か取引先かわからないが、不条理を感じるときもあるだろう。
それでもなにクソと頑張ろう、働くことで生じる不条理さに立ち向かおう。
こういう曲であれば普通に受け止められただろう。
この曲の作詞の大槻ケンヂはエッセイで「ヨギナクサレ」の雰囲気を
求められたと書いている。
http://www.red-hot.ne.jp/o-ken_esy/111031.php
「ヨギナクサレ」は、労働者が
無理かもしれないけど不条理に立ち向かうことを余儀なくされせざるをえないという歌だ。
「なんで働くかなんてわからない」ということが前提として歌われている。
だけど何のために、人は働くの?人に使われたら 負けなんじゃないか?
難しいことは掘り下げないとさ、わっかんないんだけどね
(中略)
働くと 働くと 君に会う時うれしいし
働くと 働くと 君の笑顔が見れるし
やっぱ働く意味なんてないんだ。むせび泣いた。
労働の喜びを今こそ歌おうぜ!
全員で叫べば見えるかも知れないぜ!
である。完全に見えないといっているように聞こえる。
「ヨギナクサレ」では鬱屈や閉塞だったのに、
これはもはや絶望を歌っているように聞こえる。
泣きながら吐いた。
働くこと、頑張ることの意味が一般的に言われていることと
別にいい、働く人にはわかっていることだ。
ただそれを大好きなアイドルが歌うなんて惨すぎるだろ。
吐き気がする。
両想いの女性がいるのに、なぜ合コンや友人の紹介で新たな出会いを見つけねばならないのか。
だがこの心は愛情に飢えている。異性と心身通じて愛し合いたい。
そういう記憶がないまま社会に出れば、鬱屈を抱え、行動を起こさなかったことを悔み続けるだろう。
もう報われないままの人生なんて嫌だ。これ以上苦しく辛い状況に自分を置いたらダメになる。
もっと自分の切望を大事にして、その縛めを解きたい。幸せから逃げまわり、自傷行為に酔って自己憐憫なんかしたくない。
だが、この願望を叶えたら想い人はどうなるのか。会えるかもしれない一縷の望みを期待して待っていてくれてるんじゃないのか。
想い人と自らの欲望の間を彷徨っている間に、時間という壁は着実に迫っている。
「こんなのは自分のいる場所じゃない」「自分はここにいてはいけない」等と思う場合も同様。そういう思いで鬱屈してしまった人間に対して安全に効くのが自分の立ち位置を自分で再確認できるまでの状態に持って行って納得させることor納得できないなら納得できないと思う自分がいると認識させること。
別のルートもあって「あなたの立ち位置を用意しました」とドヤ顔で持ってくる連中もいる。典型的な例でいったらマルチ、悪徳新興宗教ビジネス。すこしおとなし目になると、エンタメ業界。ファンタスティックの語源は宗教的熱狂。能動的にやってくるか、受動的に促すか。
外に求めない場合は、内側に孤独が巣食う。そうすると何らかの依存に走る。アルコール、ギャンブル、恋愛、自己啓発。いっぱいあるよ!清潔や仕事、人間関係に憑りつかれるのもメジャーだね!
ちなみに不安によって社会性が脅かされたりする重度の人間は病気と名付けられるけど、人間すべておんなじです。少しでも揺れたら不安。でもリカバーもする。誰かにメールするという小さいのから夢を信じて追うという大きめのものまで。誰かのために生きるっていうのも強力。どの程度の不安をどの方法でリカバーするかの違い。不安を感じないようにすることなんてできない。メンタルなんか補強はできない。どう対処するかだけ。
狭いスペースにちっこい文字でぎっしりと自分の体験とそこから得られた面白いぼやきが書かれているんですよ(ぼやきだからいいんですよねこういうのって)
特にEDENは、最初は厭世的というか暗いメッセージだったのが、巻が進むごとにだんだん前向きというか明るいものになっていったのがとても印象的でした。
作品自体はひたすらどす黒い上に終末に向かっていく世界を描いているのに、本人は明るくなっていく。その対照ぶりがすごい面白かった。
リアルタイムでこの流れを読んでいて、作品とまではいかなくとも、外に向けて自分の漠然とした悩みとか鬱屈を、何らかのカタチで外に出そうとすること、
そのために真剣に考え詰めるコトってのは、自分をすくうことにつながることもあるのかな、などと思うようになりました。
ぜひ他の皆さんも、単行本「EDEN」や「オールラウンダー廻」を買い求め、単行本を読んでみてコメント部分の感想を聞かせて欲しいと思います。(マテ
というわけで遠藤さんの最新作「オールラウンダー廻」の7巻の単行本コメントを引用してみたり。
世の中の「しくみ」ってわかってる?
俺40になったけど未だによくわかんね。
かつて我が家の生業は木材店だったのだが、父が具体的にどんな仕事してるのかさっぱり分からなかったので、
高校の頃「手伝わせてくれ。そしてバイト代くれ」と申し出てみたが、何だか現場でひたすら重い角材を担がされただけだった。
次に弁当工場にバイトに行ったが、ひたすら稲荷鮨のシャリにごま油をぶっかけてかきまぜる、という作業を続けるだけで、
これが1パックいくらで売られ、利益がどう分配されるのかさっぱり分からなかった。
さらにイタリア料理店でバイトしてみたが、ひたすら鍋を磨いたり、バジルソースを作ったりしただけで、
なぜ親方が俺の後頭部を包丁の柄で殴ったり、ローキックして来たりするのか分からなかった。
今、漫画家をやっているが、この原稿がどういった行程を経て印刷されて本屋に並ぶのかよく分からないままだ。
若い頃は、世の中のシステムが分からないことが不安だったが、今は何となくわかった振りをしていて、今のところは差し支えない。
まぁ世の中が平和でうまく回っている間は「ボク歯車」でいいんだけど、
どうもここ最近の日本はマイナス成長だの年金問題だの天下りだの沖縄の基地問題だの、
要は「お金」がなくなっただけでこの国はこんなにハリボテだったのね、と思ってたら大震災と原発事故ですよ。
世の中がマズくなったおかげでシステムのポンコツぶりがわかってくるというのは皮肉だなぁ。
とは言え、願わくばこの先もこの国で生きていきたいと思ってる次第なので、
できることといえば「投票する」「デモに参加」みたいな「当たり前」な事しか言えないのが何ともいやはや。
10代の頃なら、「ブッ壊セェー」とか言ってたかもしれんが、実際は何も壊してなんかなかったし。
「システム」や「制度」が最早ポンコツなら、あまりそれに頼らないで生きられるようにするべきだし、
そのためには相互扶助が欠かせないけど、今度はそこにしがらみが生まれるし、それが嫌で都会に来た奴もいるわけで、やれやれ(春樹風)。
とにかく政府やメディアの言うことは信用できんし、学者だって言ってる事バラバラ。
すべてを疑いながら情報を集めて、自分の哲学に基づいて判断するという、楽じゃないがアタリマエのことをするしかないという、何だこのツマラン結論は。
教育産業に従事していると「本当の~力」という言葉を使いたがる人を多く見かける。
なんでもかんでも「~力」という言葉を使い出した元祖は、日本では齋藤孝だと思う。
ただ漠然とした人徳やらコミュニケーションという概念にたいして、ひとつの切り口を紹介しよう、という試みだったように思う。
彼の「教育力」などの本は今読んでも名著だと思うのでぜひ読んでみて欲しい。
ところが、この「軸」「評価基準」を自分で設定して持論を展開するというのは実にお手軽かつ効果が大きかったのだろう。
その後の自己啓発本や教育産業における大きなブームになった。今でも続いている。
「本当の・・・力」を身につければ幸せになれる。成功できる。成功できないのは「・・・力」が足りないからである。
そうやってシステムの問題を個人の能力の問題に還元し、社会の責任を個人の責任に置き換えてみせることで世界を単純化するという手法は、
不安から何らかの指針を求める人間に対して絶大な「力」を発揮した。
自分の手の届く範囲に単純なカタチで問題や責任が降りてきたほうが、遠くで複雑な問題について考えるよりも楽だからだ。
それ以上に、アイデンティティの問題がある。
人間は基本的に自分と他人を差別化することで自分というものを確かめずにはいられない。
そういう時この「・・・力」というのはとても優秀な差別のための道具になる。
自分にその能力があればベストだし、その能力がないやつに負のレッテルを貼るのでもいい。
とにかく何とかして、自分というものを確立したい。しかもできれば正しい存在として。
こういう言葉を使いたがる人間は、もちろんビジネスとしてやってる面もあるのだろうけれど、
本当に社会の中で鬱屈を抱えていて、自分を正当化する必要性が強い人なのかも知れない。
4 ・・・力の功罪
もちろん個人的に「・・・力」を設定してそれを向上させようとすること自体は悪いことではない。
しかし「個人利用は自由だが、商業利用には制限」と言いたくなるような現象がよく起きる。
なぜか「・・・力」という言葉を設定してそれを使う人は、かならずビジネスか宗教チックになる。
1つか2つの「・・・力」によって人間を測り、問題を定義しようとするのでたいていおかしなことになる。
もちろんアメリカでもこういうのは在るのだけれど、向こうの人は合理的だ。
たいてい6~12、多い時には30くらいの指標を持つのだがなぁ
http://anond.hatelabo.jp/20111012183212
あなたの言いたいことはわかる。
随所にある押し付けがましさと、先覚者ぶった態度が気に入らないという人間は多いと思う。
しかも説明が説明になってないのに長々と語るからなおさら、ね。
しかし、それについて、私は割りと好意的に受け取った。
要するに、そんだけ彼の中ではマネジメントとか、すぐれた小説との出会いが衝撃が大きかったんだろう、
どうすれば伝わるか、なんて考える余裕が無いくらい、いっぱいいっぱいなんだろう。
たどたどしく自分の感動を語って、伝わらないことにヤキモキしてしまう。小説家としてはともかく人としてみたらものすごく可愛い。
彼は子供のように、純粋・・・とは言わないけどシンプルに物事を考てしまう人なんだと思う。
これを20代の若造が言ってたらふざけんな、になるけど40過ぎのオッサンが言ってるんだからむしろ頑張れって気分にならないか?
個人的にはすこし羨ましいとまで思ったよ。真似したいとは思わないけれど。
あえて言うと、この人の良くない点は
「自分が正しい」というにとどまらず「別に間違いでない他人の意見も間違いと言ってしまう」、この一点にある。
何かを語る時、何かを否定せずにはいられないっていう性癖みたいなものね。多様性を認められない。
何かすごいものを見つけたら、何でもそれを中心において、それと比較することでしか物事を測れない。
「百年の孤独」に感動したら、他の小説やマンガをすべて百年の孤独と比較して読まずにはおれない。
ドン・キホーテやハックルベリーの凄さを語ろうと思ったら、周りをこき下ろさずにはおれない。
自分の読みの正しさを主張するためには、名指しで人間を批判せずにはおれない。
あらゆる自己啓発の本に書かれているとおり、何でも比較せずには済まされないってのは敵を作りやすく不幸の原因になる最たるものなんだけれどな。
ただ、その精神のあり方も興味深いと思う。
自分こそが正しい、自分の周りの人間は間違っている、自分が教化してやらねばならない。
そういうあり方。
和を尊ぶと書いて出る杭は打つ、と呼ぶような日本において、
40過ぎになってもこういう考え方を維持できるってのがすごいと思う。
要するに、ソレほどまでに他人を嫌悪しているというか、プライドが高いわけでしょう?
どれほどまでに人生に鬱屈を抱えてきてるんだろうこの人は、と思う。
これほど全力で後ろ向きに生きている人も珍しいと思う。
こういう人は処女作なんかだと、装飾抜きで己の鬱屈を自分の分身に語らせてぶちまけるような本を書いて、
全然売れないけれど一部の人間にはカルト的人気ってのが定番なんだけれど
いきなり「女子高生」「マネジメント」など計算された本を世に送り出せるわけだから私の理解を超える。
小説家としてはいろいろ問題がある彼と、企画屋としては優秀なのかもしれない彼のちぐはぐなキメラ具合が本当に面白い。
なんにせよ、ホメオパシー教や反原発教、子供をまもれ教などの人たちを見ればわかるように、
彼のような一神教の人たちは、一度神を見つけてそれに身を捧げてしまった人ってのは、
常人じゃ考えられないほど精神が強固にしばられてしまってるし、そのことに幸せを感じるものであり、
それを否定されると攻撃的になるのは宗教の性質上仕方ない。
他人から見たら不幸な生き方に見えるとしても、一神教の人間にとっての幸せとはこういうもの。
一体、人間にとっての真の不幸とはなんなのでしょうか?
どれほど多くの友人がいても、どれほど親密な家族がいたとしても・・・
互いを縛ることなく、対等の建前のもとに、ただ、自我を垂れ流し合っているだけの関係だとしたら・・・
人の心はとどまることなく拡散し、やがて、自分自身の姿すら正常に認識できなくなってしまうでしょう。
あるいは、なにが「自分」なのかがわからなくなった状態こそが、真の不幸だとは思いませんか?
彼女の大地に穿たれたような心の強さは、彼女自身が、しっかりと自らの魂の形を認識しているからに他なりません。
それが可能だったのは、彼女が常に、「縛る者」と鎖によってつながり合っていたからです。
こういう思考が前提にある以上、彼が身分に対してもこだわりがあり、
自らを一つ上に置いて、私達のように「教養がない人間」を当然のように見下すのも彼にとっては自明のこと。
それを堂々と語るあたりは、現代離れ、日本人離れしているというか世間知らずだと思うけれども、それもまた面白い。
「もしドラ」読んだ。順番逆だけど「小説の読み方」も参考にできたので面白く読めた。
感想を一言で言うと「第一章は素晴らしい」かな。まだ読んでない人も第一章だけは読むといいと思う。
追記:
いろいろ書いたけど、結論としては「ヒカルの碁のオマージュ」でいいような気がしてきた。
1章で主人公の人格を描き、2~7章でマネジメントを描き、最後に対決の場を用意する。
こういう時は、どちらを優先させるべきか、という主従関係を考えさせる。
「マネジメント」をドラッカーやQBのような人格的存在ではなく、主人公が一方的にアクセスする存在にしたのは
あくまで最後まで「マネジメント」が常に上位で、主人公はそこから学ぶ存在であるとするためだろう、と。
1章以外があんまり面白くなかったのは、主人公がまったく動いてないからだと思う。
ヒット作の基礎としてもっと研究されてもいいかもしれないなー。
このマンガは、戦争という、誰が描いたのかしれない、とてつもなく大きく理不尽な物語に巻き込まれた人物の、「あれは一体なんだったのか」という理不尽を徹底して問うているものだと思います。 そのために、膨大な書籍を読破し、引用し、言葉の限りをつくして、主人公はその理不尽さに対峙するのです。これは作者の大西が戦中言いたかったことのすべてを、「これは一体何であるのか」という世間への問いを、主人公に代弁させているのではと思います。
しかしそれは、どんなに言葉を尽くしても語り尽くせるものではなく、それがいったい「何」であるかなど、断定することはできません。多くの死者と悲劇を産み出したものが「何」であるかを説明などできないのです。しかしその「説明することのできなさ」、そして「何」であるのかを誰も知らぬままにただ抑圧されてきた者たちの鬱屈、そういったものが描かれているのではないでしょうか。
私が戦争体験がないのと同様、漫画化したのぶえのぶひさにも、戦争体験はありません。それでいて、軍生活の細部までもを絵で表現するという「無謀」に挑戦するのは、抑圧された者の語り得ぬ言葉の鬱屈さを彼も抱えていて、語りたい、言葉が欲しいという、ただ一つの情熱ではないかと思います。 戦争はたくさんの人から言葉を奪いました。そして今も、たくさんの人が自分のリアリティについて、語る術を持たず、沈黙を強いられています。そういった人々が何かを語らんとしたとき、それはダムの決壊のような勢いを持って、言葉の放流となって私たちの前に現れます。 私たちはそれにとまどい、それが「何」であるのかを理解できません。言葉はあまりに複雑で、あまりに多すぎるからです。そして、その言葉の放流を前にしたとき、私たちは「閉口」するのです。主人公の東堂に論破される人々のように。
そして、語っている本人ですら、もはやそれが「何」であるのかなど、分かってはいないのかもしれません。ただ、その語り得ぬ「何」かを、その「説明することのできなさ」を、他者に言葉を尽くして「説明している」のだと思います。オマエはこれを知っているのか、知っているなら語ってみよ、説明してみよ、と迫るのです。そして誰も説明できずに、言葉を飲み込むしかないのです。 これだけの言葉を尽くしても、決して説明しえない理不尽があり、これだけの言葉を用いて25年かけても昇華されない痛みと悲しみと怒りがある。極力まで押さえた表現からにじみ出てくるもののすごさに、私はただただ、言葉を失って、圧倒されたのでした。
これは大西巨人の「神聖喜劇」という作品のコミック版に対する感想。
作者が最も描きたかったのは回心的な体験の部分であろう。主人公が立ち上がる部分。
つまり冒頭に当たる一章の部分。ここの描写は良いと思う。
(2)・宗教的な救い、
・自分の居場所、方向性
おそらく、作者自身がそれを体験し、誰かに伝えたいという強い思いから、この作品は書かれたのだと思う。
その意味で、彼が「もしドラ」の後に「小説の読み方」の本を書いたのも、彼の中ではつながっていると思われる。
というより、「もしドラ」と「小説の読み方」では全く同じことを言っている。「***との出会いは人生をすくう」ということだ。
彼が今後別の話を書くとしても、おそらくこういう「師匠との出会い」「良い本の出会い」がテーマになるのではないか?
そこから解放されること(抗うこと)をを欲してやまない、それでいてその望みを自覚できないほど自らを抑圧している主人公が、
ある言葉との出会いをきっかけを手に入れ、人生が救われる、という過程、いや瞬間。それを描ければきっかけはなんでも良いのである。
実際、ラノベでも中二病小説でも、似たようなテーマは手を変え品を変え書かれている。
ただ、この作品は他のものと少し違うところがある。
「生まれ変わりたい」という主人公の思いとその実現がまっすぐ、なんのひねりもなく寄り道もなくそのまんまベタに書かれているということだ。
そこに一切の照れもなければ、言い訳もない。ラノベにありがちなごちゃごちゃした設定も全くない。
高校野球の部活というありきたりの舞台で、今時一般的には口にだすのも恥ずかしいとされるようなまっすぐな思いだけを描いてる。
読んでるこちらが気恥ずかしくなるほどのストレートど真ん中な感じは、なんだかすこし懐かしささえ覚える。
話の筋書きや細かい描写などはツッコミどころ満載だが、むしろその不器用さが「青少年の主張かくあるべし」という感じで好ましい。
この正直小説と読んでいいのか迷うくらい本当に「まっすぐ」な部分は珍しいと思うので、食わず嫌いせずにぜひ読んで欲しいと思う。
なぜ人が宗教を求めるのか、知識を求めるのか、物語を求めるのか。
そういう根本的な部分についての彼の思いを語ろうとしている点ですごくよかった。本編があとがき、みたいな何かを感じた。
この作品で重要な存在としてとりあげられるのは「マネジメント」についてだが、
別にこの作品は主人公が読む本が「マネジメント」でなくても代替が可能である。
実際には、普通の日本の高校生にとって、マネジメントの代替物になりそうなものは現実的には少ないと思うが、
この作品の主人公にとってほんとうに重要なのは、作中で多数引用されている中の、ある一節の文章だけである。
その一節が、主人公の中にある価値体系を肯定し、主人公の人生の希望となる・・・この部分の描写が全てである。
故に、この作品はマネジメントが中心にはない。マネジメントのなんたるかを描こうとした作品ではない。
ただ、このあたり、一章で提示された最重要な部分と、マネジメントの説明の混線が2章以降に見られるような気がする。
正直に言わせてもらうと、最終章以外は読まなくても良いと思う。
一章とまるでテンションが違う。
必要がないとまでは言わないが、もうちょっと何とかならなかったのだろうか。
なぜすばらしい一章から、こんなふうに続いてしまうんだろうか、よく理解出来ない。
下手なエロマンガとかだと、最初の出会い部分とエンディング以外は
登場ん人物の人格とか細かいことはいいからエロだけやってりゃいい、みたいな展開になることがよくあることなんだが割とそれに似ている。
比較的手広く「自炊代行」を手がけていた業者は、出版社と作家が連盟で出した質問状という名前の脅迫状によって店をたたんでしまうことになりました。
http://anond.hatelabo.jp/20110907193725
自炊業者を利用して自炊していた人たちが、脅迫状を出した人たちに感じる違和感はひとえにこれではないでしょうか。
Amazon Kindleで読める電子書籍は100万冊を超えています。
一方、日本で出ている電子書籍は22万冊をようやく超えた所で、しかもその多くがマンガだといわれています。
紙媒体で出ている本をすぐに電子書籍で読みたい人は、大手出版社が俺様フォーマットで、紙媒体とほぼ同じ価格で売りつけてくる電子書籍を、間抜けのようにあんぐり口を開けてずっと待っているべきなのでしょうか。
不利益を被っているのは読者であることは明らかなのに、出版社の既得権益保護システムが完成するまで黙って待っていなくてはならないのでしょうか。
それとも、自分で裁断機とスキャナーを揃えて自炊するべきなのでしょうか。
でも、そういう機材がそもそも高価で場所取りだし、スキャンの時間がもったいないから自炊代行業者を利用していたわけでしょう?
脅迫状に署名した作家や出版社をすべてボイコットするのは、現実的ではありませんね。
日本の電子書籍市場に感じられる鬱屈は、旧態然としたビジネスモデルを出版社が保護するために根回しばかりやっていて、なにひとつ読者の利益になりそうな要素がないという点ではないでしょうか。
電子書籍の価格や著作権関連の法制について、もっと読者の声が反映されるべく、出版社に対して影響力を行使できる団体を作るというのはどうでしょうか。
リストに載っている方たちはそれなりに功成り名を成し遂げた方々で、ファンも多い方々であるが故に、自炊民の失望も大きいのではないでしょうか。
読者として、自炊民だって作者に正当な対価を払う気持ちが無いわけではないでしょう?
ただ、あの方々が、脅迫状に署名をしたことによって、自分たちのファンを結果的に泥棒扱いし、唾を吐きかけたことが残念です。
彼らが出版社にそそのかされて将来の収入に恐れを抱いたあまり、誤った選択をしたことを、わたしたちは声を揃えて知らしめることができるのではないでしょうか。
そしてまた、作家の方々の恐れの原因が、出版社が押し付けてくる印税のパーセンテージにあるのではないかということも。
古い映画ですが、ガンジーの伝記映画を見たことがあるでしょうか。冒頭に近い場面で、若い弁護士であったガンジーは、滞在先の南アフリカで不当な人種差別を受けます。
その後、南アフリカの有色人種に義務付けられていた外国人登録証を燃やす会合を開きます。
多くの有色人種が集まり、イギリスの官憲に囲まれた中でガンジーは自分の外国人登録証を火にくべます。
ガンジーは殴り倒されますが、それでも登録証を燃やし、力尽きます。
有色人種たちはそれをずっと見守っています。彼は官憲の前で堂々と法律違反を犯しました。それが不正な法律だと確信していたからです。これはガンジーの非暴力抵抗運動の始まりとして映画で描かれています。
数あるソーシャル系サービスの中でもさまざまな分野でリテラシーが高いとされているはてなーのみなさんは、これから取ることの出来る行動について、どうお考えでしょうか。
これからの行動の指針について、ぜひご意見をお聞かせいただきたいと思います。
ちなみに、これを書いているのは、自炊代行業者の中の人ではありませんよー
http://anond.hatelabo.jp/20110816094649
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20110816094649
私はこの記事の正しさを判断するだけのリソースを持っていません。
なにより、2ちゃん同様、反応が一定の数を超えると「流れ」ができてしまいう。特にあんまり考えないで、この記事はすごい、と言ってみたりBIや生活保護を否定する意見が「数だけは多い」ことによってなんとなくそういう雰囲気が気持ち悪いと感じました。たぶん私の他にもそういう人いるでしょう。
今更「本当にこれって正しいのかなー」とか「セカンドオピニオンが読みたい」と思ってもそういうコメントだけ探すのも大変だろうから、自分がピックアップしてみた。
これはこれで偏っているので、読み手の人は上手にバランスを取ってください。
読むのが面倒なひとにはとりあえずコレだけ読んでください。
この意見が正しいとは言わない。ただ、直接ベーシックインカムの否定に繋がる話ではないってことだけは理解しよう。
まとまった批判をされている人がいるのでまずここから取り上げる。
・"イギリスにはホームレスが少ない"の段は一般化しすぎ。キャッシュマシンの脇に布団巻きつけた若い兄ちゃんがという状態が改善されたのは90年代後半の好況、ブレアの政策、ハウジングNGOの活動の賜物
・それと、ここで終わらせずに、昨日のエド・ミリバンドのスピーチを加えてほしい。
・それと、子供たちが「鬱屈した」理由を具体的に検討していないのは、それこそ片手落ち。昨年の政権交代後の緊縮財政で、「部活」的な活動を運営していた組織の予算が75%もカットされた http://t.co/ksQqiUV この現実をどう見るか
・さらに、ハックニーのペンバリー・エステートのようなところでは自分の住んでる街を歩いているだけで警察に呼び止められ所持品検査を受ける。警官は殆ど「白人」、止められる側は白人でないことが多い。その制度的不十分さにも「納税者」の憤りは向かうべき
・必読: 月曜の両党主スピーチ: http://t.co/okbhvh8
・シングルマザーの公団優先話でいつも不思議なんですが、彼氏はどこに住んでるんでしょう?実家?ウソついて同居?私が普段見てるメディア(BBC, Gdn)ではほぼ無視されている説で、統計数値も見たことないのです。
・「パートナーがいても敢えて結婚せず、シングルマザーになる母親が多い(当然の結果として、その後別れて本当のシングルマザーになる確率は高まる)」 "離婚率"の高さはスルーですかそうですか。「パートナーがいても敢えて結婚せずシングルマザーになる母親が多い」論、エド・ミリバンドとパートナー http://t.co/zBtBoeY に言えるほどの裏づけがあるのなら、それはそれでひとつの意見。ないのなら某メディア鵜呑みか個人的妄想
この意見を読むとかなり元記事の意見が相対化されるのではないかと。
元記事の人が、必ずしも正しく問題を理解しているとは考えないほうが良いみたい。
イギリスのメディアの方が日本のそれよりは少しレベルが高く、そのメディアの報道を見ているというだけという可能性もありえます。
その他の意見
・社会保障に暴動の原因があるとしたら、制度の影響でなく、不況等の理由で、依存していた制度が切られる不安と恐怖の方がなんだかしっくり来るし、それを「甘やかし」と簡単にまとめてしまうのも問題がある
・なんで同じように高福祉高負担のスウェーデンとかではこういった暴動が起こらないのだろう?
・本田勝一のアメリカ合衆国の黒人ルポルタージュとかいてあることがさして変わらない気がする
・(1)〜(3)に託児所の充実がないのはなぜだ
・一見、教育無策だったようにも思えるけど、元首相のブレアは、教育こそ政策の最重要課題として理解し実行していた。それでも結局イギリスを立て直すことが出来なかった
・この分析からは「階級」という社会的な鎖が抜け落ちている。前提として、英国には絶対的階級社会があり、しかし労働者階級=貧困層ではない点を理解しておくことが重要かと。同じような福祉社会である北欧やら日本との違いはそこにある
・よく読むと手厚い福祉が引き起こす矛盾というよりは、育児・教育の公的支援の不足の問題
・この文章の性格。それは向き合うか(与えるか)、さもなければ処遇する(奪う)というものだ。殺伐とした現状といいたいのかもしれないがそれに飲み込まれている感。分析から導き出される結論が歪みすぎ。吐き気がする。「暴徒達は何者なのか」「イギリス人はどう思っているのか」という見出しのつけ方からもクサい
・「中流社会を捨てた国」http://d.hatena.ne.jp/takahiro_kihara/20091121 の話と違うなぁ
・思想や状況が違いすぎるので日本と対比すべきではない。自分としてはhttp://blog.livedoor.jp/mikako0607jp/lite/archives/51802870.htmlに共感
元記事において、階級意識の問題、差別の問題、教育の問題、むしろ福祉が最近激減しているという問題、などがスルーされていることが指摘されています。
これらの問題のウエイトをどの程度評価するかによりますが、無視して良い問題ではないように感じますね。
のはてなブックマークを見たら
最人気コメントがBUNTENというidの人のものだったのだが、全部引用したい。
こうやって福祉が悪者にされていく日本。▼あえて言っておく。俺みたいなダメ人間でも
誇りある仕事が得られる社会こそが最も安定するのだと。食えればいいってもんじゃない。
誇りを持って食えなくてはならんのだ。
2011/08/1617 clicks 22
いやいやいや!
あのエントリ読んでのコメントが「福祉が悪者にされていく日本」ですか!それで終わりですか!
誰もが誇りを持って食える社会、それは素晴らしいですよ!そこが最高ですよ!
でもそこにどうやって到達するかを考える時間じゃないんですか!
イギリスだってその理想を目指したんですよ!理想の欠如で失敗したんじゃないんですよ!
理想を目指して、ある政策を採って、決定的な破綻を見るまでを、
それに対するコメントが何でただ、また、理想を語るだけで終わりなんですか!
それはあんまりでしょ!
fromdusktildawn
だからベーシックインカム(金を再分配)よりベーシックジョブ(仕事を再分配)の方が
現実的な落としどころだと思っていたんだが、誰にでも国から支給されるような職で誇りを持って
働けるものなのかがひっかかってる。
2011/08/16102 clicks1 RT
というブコメがあり、
懸念つきとはいえ「じゃあこっちの道はどうだろう」という意見を書いているのは人気ブコメではこの人だけ。
前からうすうす思っていたけど、
はてなの人達って現実の複雑でタフな問題を突きつけられると考えるのをやめる傾向がある!
そしてBUNTENさんのように金科玉条の理想を唱え直すだけで何も言ってないコメントが大人気になる!
もっともらしく部分的な疑問を呈するだけの人も賢者扱いで星を集める!
肝心の、「まるごと考えて自分の答えを出していく人」が少なすぎる!
少なすぎることにすら疑問を持たない!
それはあんまりだし、だめだと思う!
ロンドンその他都市のあの「愚者の祭り」から1週間が過ぎて、あの月曜日の事情が少しずつ分かってきた。5年以上ロンドンに住んでいる者としてあれこれ考えることも多かったし、諸事情で「暴徒」のおかれた環境について少し知る機会もあったので、少し書いておきたい。
これについては、無軌道な若者の暴走と言うことで概ねコンセンサスは取れているように思う。以下のtogetterは現状ロンドンで理解されていることに近い。
警察が、最初の暴動の抑制に失敗したことで、「今なら何をやっても大丈夫」という無礼講的なお祭り騒ぎが一挙に拡大したと言うことなのだろう。周囲の興奮と燃えさかる炎に当てられて、「乗るしかない、このビックウェーブに!」とばかりに舞い上がってしまった子供が相当数いたであろう事は間違いない。(ロンドンで逮捕された暴徒の5割以上は18歳未満であるというニュースが出ている。)
もちろん、子供の暴走がここまで大事になってしまったのは異常事態であり、その裏側に社会的問題があると考えるのは当然だ。ただし、今回のように、当事者すら争乱の理由が分からないという状況は、「ぼくの考える社会の欠陥」的な牽強付会の自説を宣伝する絶好の機会だ。実際、イギリス社会の事情も知らず、勉強した形跡も全く読み取れないのに、適当なことを言って悦に入る類の人をTogetterで何人か見かけた(以下に一例)。このエントリーを書こうと思ったのは、その手の単純で非現実的な観念論ではなく、地に足のついた議論の土台を提供したいとおもったからだ。
http://www.guardian.co.uk/uk/2011/aug/09/london-riots-who-took-part
報道から明らかになっているのは、暴徒の大半が未成年であること、特定のエスニックグループが暴徒になったわけではないこと、そして多くがロンドンでも貧しいとされる地域の住人であること。加えてもう一つ言えるのは、彼らの多くがカウンシルフラットと呼ばれる、低所得者向けの公営住宅に住んでいると言うことだ。このカウンシルフラットというのは、イギリスの貧困を語る上では非常に重要な点なので、少し説明をしておきたい。
イギリスにはホームレスが少ない。ロンドンを歩いていると分かるが、駅の構内で段ボールを敷いて寝ている人が殆どいない。公園に段ボールハウスの村が出来ているということもない。どうやらロンドン全体で野宿人の数は500人に届かないようだ。イギリス全体でも1000人未満のようで、2万5000人のドイツと比べると圧倒的に少ない。
何故かというと、イギリスにはあちこちにカウンシルフラットと呼ばれる公営住宅があり、イギリス国籍さえあれば、家賃を払えない低所得者は優先的に居住が認められるからだ。このカウンシルフラットがどのくらいあるのかは自分には分からないが、イギリス中そこかしこにあると思ってもらって間違いない。下の地図は今回暴動の起きたHackneyのものだが、住宅の実に5割がカウンシルフラットとなっている。
カウンシルフラットの家賃は圧倒的に低く、ばらつきはあるものの相場の5分の1程度。それすら払えない人には更に住宅手当が下りる。光熱費やTV受信料も実質タダだ。そして、当然家があるだけでは餓死してしまうので、これとは別にpersonal allowanceと呼ばれる生活手当が出る(最近制度改革があったので名前などが若干違うかもしれないが、大枠は同じ)。25歳未満の単身で週に50ポンド。25歳以上なら60ポンド。外食さえしなければ十分食費と携帯代をまかなえる金額だ(円高の今だと8000円弱に相当)。イギリス国民には、食べるに困るレベルでの貧困は(概ね)存在しない。
ただし、これだけ「おいしい」カウンシルフラットは、当然人気も高い。ウェイティングリストの人数は500万人に達しており、それなりに困窮していないとフラットは手に入らない。下の掲示板では親とカウンシルフラットに同居している30歳女性が、一人で住めるカウンシルフラットを探しているのだが、「今現在無宿とかでないと難しい」と返答されている。
http://boards.gumtree.com/viewtopic.php?t=215432&p=2686792
ここで、イギリス人なら誰でも知っているトリックがある。子供がいて、しかも親がシングルマザーだと、フラットが優先的に廻ってくるのだ。こうなると、親から独立したい、しかし職がない子供にとって、手っ取り早い手段は妊娠と言うことになる。かくして、イギリスは先進国でも突出して10代の母親が多い国になった。しかも、子供が生まれると一人当たり週に12~20ポンドのChild benefitが支給される。また、シングルマザーだと上の生活手当も週に40ポンド前後は増額される。このため、パートナーがいても敢えて結婚せず、シングルマザーになる母親が多い(当然の結果として、その後別れて本当のシングルマザーになる確率は高まる)。母親ひとりに子供一人で月500ポンド(約7万円)あれば、正直生活には困らない。
とはいえ、貯金は難しい。それに、貯金額が6000ポンドを超えてしまうと支給額が減額されてしまうので、そもそも貯金する理由がないのだが。ちょっと大きなTVを買おうとすれば、夜遊びを楽しみたければ、その分働くしかない。問題なのは子供だ。託児所に預けたいところだが、ロンドンの託児所は1ヶ月フルタイムで1000ポンド。平均所得層ですら厳しいこの金額を彼らが払えるわけはない。その結果、子供は無人の家に置き去りでTVを見るかゲームをするかと言うことになる。言葉を学ぶには最低の環境だ。
その結果起こったのが、子供の識字率の低下。移民だけでなく、ネイティブの識字率が低下している。2007年に政府が行った大規模な調査によると、小学1年生の6分の1が自分の名前やmom, catといった3文字の簡単な単語を書くことが出来ない。当然、こういう子供は小学校のカリキュラムに着いていくことは難しい。その結果、無視できない数の中学生(数字は忘れた)が、「数学の試験問題の英語が理解できない」ために零点をとる、という現象が起きてしまった。こんな状況では学校に行くのは苦痛でしかない。カウンシルフラットの周りでは、昼間から特に何をするでもなくぼーっと座っている子供達をよく見かける。
この様な子供が成人して職に就くのは、非常に難しい。肉体労働系なら大丈夫だろうが、ポーランドからの出稼ぎ労働者の方が高いスキルと低い給料で働いている。それよりも低い賃金では、生活保障の支給額を下回ってしまうので、働く意味がない。こうして、カウンシルフラットで生まれた子供は、またカウンシルフラットで自分の子供を産むことになる。ちなみに、失業手当の受給者数は約150万人。人口が倍の日本では80万人だ(失業率は8%弱)。別制度のincapacity benefit(病気などで働けない人のためのもの)の受給者は250万人(人口の5%弱)を超えている。
結果、親子3代、殆ど働きもせずカウンシルフラットに住み続けている、という話は、もはやイギリスでは珍しいものではなくなっている。このような状況で子供が未来に希望を見いだせないのは当然のことだ。少なくとも彼らには、サッカーの才能に恵まれてプレミアリーグに行くくらいしか、この生活を抜け出る手段がないように見えるのではないか。これでは、リオデジャネイロの山肌に広がるスラムの子供にサッカー以外の未来がないのと大して変わらない(実際には、カウンシルフラット生まれでも頑張って勉強して、奨学金で博士号まで取る人もいる。そのための制度や組織もある。ブラジルのスラムに比べれば、カウンシルフラットの子供達は圧倒的に恵まれているという点は強調しておきたい)。このような状況で鬱屈しないでいられるのは、よほど心の強い人間だけだろう。
今回暴動でワイン1本を盗んで歓声をあげ、昨日裁判所で有罪を宣告された子供達は、多くがこういう鬱屈と共に生きているのだと思う。
カウンシルフラットの子供達が鬱屈しているならば、イギリスの納税者達は絶望している。イギリスの税金は高い。年収550万円以下なら所得税は20%、それ以上なら40%(しかも、社会保障関連の支出は所得税収総額を上回っている。なにしろ、上に書いたincapacity benefitだけで1兆5千億円かかっていたのだから)。消費税は20%。それ以外に地方税も取られるし、国民保険料も安くはない。通勤の交通費は自腹が原則だし、会社が住宅補助を出してくれると言うこともあまりない。そういう辛い家計をやりくりしながら、やたら高い家賃を払って暮らしている家のすぐ隣で、無職の人が昼間からぷらぷらしていたりするわけだ(カウンシルフラットは本当にあちこちにあるので)。
それでも、ブレアが政権を取った1997年以降、イギリス人は低所得層との格差を縮めるために税金を投入する政策を支持してきた。小学校低学年は30人学級となり、小学校入学前に児童の学力を底上げするためのプログラム(SSLP)にも1000億円の予算が付き、補習授業は大きく拡充され、挙句には、高校をドロップアウトする生徒を減らすために、出席率が高い貧困家庭の生徒に補助金まで出した。職歴のないシングルマザーにはコンサルティングから面接の訓練まで提供している(一人当たりのコストは10万円)。
にも関わらず、今回の暴動だ。これを「先進国とは思えない、途上国の光景のようだ」と思った人はイギリスにも少なくない。ブレア政権の教育改革がスタートしたのは99年前後だから、今回の暴徒の大半は改革された教育制度の下で育ってきた子供達である。これだけの負担をしていながら、なぜ途上国のスラムのような光景を見なければならないのか。これに絶望せずにいられるのは、やはりよほど心の強い人間だけだろう。
(1) 警察力の強化。これは言うまでもない。秩序を失えば人間は(誰であれ)動物になりうると言うことを、今回の暴動は証明した。ならば、秩序の維持は至上命題だ。先週キャメロンがアドバイサーに招聘したビル・ブラットンはニューヨークで例の「割れ窓理論」の実行部隊を指揮した人であり、警察官の最適配置システムの第一人者でもある。締め付けは厳しくならざるを得ない。
もしこの手の暴動を放置すれば、被害者は自警団を組織する。彼らは武装し、いがみ合い、それが新たな暴動の引き金になる。そうなる前にキャメロンには何とか手を売ってもらいたいと思う。もしかしたらもう手遅れなのかも知れないが。
(2) 社会保障制度の見直し。これは実のところ暴動前から進行している。上で書いたincapacity benefitだが、悪用して海外旅行まで楽しむ輩が多く出た上、一度受給者になると死ぬまでもらえるので、就労意欲がゼロになる。以前から批判が絶えず、キャメロン政権は廃止を決めた(別制度で代替)。ただし、これらの社会保障の削減が暴動の理由ではないというのはマスコミでも一致した見解だ(まだ削減は殆ど始まっていない上、暴徒の大半は親元で暮らしているのでそもそも受給していない)。
上でも書いてきたように、手厚い社会保障制度それ自体が受給者と、その子供や孫の未来までをも奪ってきたという側面がある。そして、この制度は格差の縮小どころか、治安維持という最低限の目的すら達成できなかった。何より、イギリス経済はこれ以上の負担にはもはや耐えられない。ならば、社会保障は削減しつつ、彼らに可能な限り働いてもらうしかない。Benefit Busters (興味のある人はyoutubeで検索すると良い)などを見ているとなかなかに大変そうではあるが、もう選択肢がないのである。
(3) 納税者の復讐。今日キャメロン首相まで”social fightback”と言う言葉を使っていて驚いた。具体的には、暴動に参加した子供がいる家庭に対する社会保障給付の停止。カウンシルフラットからも追い出す。少なくとも感情的には、そして理屈の上でも、そうすべき理由はたくさんある。それが更なる悪循環を招くとしても、あそこまでやられてしまっては納税者の側も収まらない(ちなみに、オックスフォードケンブリッジ卒のエリートはこの手の復讐にはあまり賛同しない。彼らはびっくりするほど穏健だ。怒っているのはむしろ小商店の店主のようないわゆる中産階級に多いような気がする)。鬱屈した子供の暴発を「社会の歪み」を理由に肯定する人は、絶望した納税者の復讐も肯定せねば片手落ちであろうと思う。
最後に、下のtogetterで見つけた以下のコメントについて。
火がつけば爆発するしかないほどの不満を溜め、失うものが何もない奴らがこれだけの数居るんだよ。社会がそれを生んだ。(中略)問題は目の前にそのままの姿である。こいつらのYouTubeを見ろ。音楽を聴け。睨みつけてくる視線に自分をさらせ。
この人の書いたラップの話は、今まで全く知らなかった分野な事もあって新鮮で、興味深く読んだが、このコメントには一言申し上げたい。無茶言うな。暴動明けの火曜日の朝にCamden Townの駅で暴徒の一人とばったり顔を合わせたが、彼の睨み付ける視線にどう応えろと言うのか。プラットフォームのあちこちにどかどか蹴りを入れながら、肩で風を切って周囲にガンをたれながら練り歩いていったが、一個人として彼を見れば、まだ自分を抑制できないただの子供であり、仮にポケットの中に盗品が入っていれば犯罪者に過ぎない。彼らをひとりの人間として直視するなら、そういう扱いにならざるを得ない。復讐の対象にならざるを得ない。むしろ、彼らを一個人ではなく社会現象の一部として扱った方が、まだ冷静な判断は下しやすくなるのではないかと思う。
最近p_shirokumaさんという人のダイアリエントリを何度か読んだ。
率直に言ってあの人は心を病んでいると思う。
彼のエントリを読んだことがある人なら皆知っているだろうけど
彼の書く文は何の話でも何の評論でもほぼ必ずオタク叩きに繋がる。
主にオタクの社会性欠如についてだけど、それをなにか分析している風にDisる。
世のあっさりしたDisとは一線を画す粘度と執着力・持続性があって、
本人の中の簡単ではない鬱屈や執念が見て取れる。
病み方として珍しくないというのは
私よりひと世代上のオタクがああいう「オタクとしての自意識」に大変に苛まれた世代だった。
何度も見てきたからあの感じはすぐにピンと来るし、その人の世代までわかる。
きっとp_shirokumaさんもあの世代(現在30代中~後半ぐらい)だと思う。
もうすぐ30になる私の世代はあの発狂にはついていけず、発狂の理由もついに肌での理解はできなかった。
常に自意識の問題として苛まれ、勤のせいで迫害も激しかった世代。
あの世代の人達が「オタク同士で社会性を張り合う」という不毛などんぐりの背比べをするのを私は何度も見た。
「俺はあいつよりはましな服」。「ちょっと〇〇と一緒に居るのは恥ずかしい」。「このアニメを消費する人間性とは」。
仲良くすればいいのに。
p_shirokumaさんはあの世代の帰結の型のひとつとしての
「オタクをやめることが出来なかったけど
パターンなのではないだろうか。
オタク嘲笑の恐怖に晒されてた学生時代の心の張り詰めを今も保ち、
「オタクのみっともなさ」や「『オタクださ!』とバカにされること」を強烈に意識して恐れ続けながら、
それでもオタクをやめたり離れたり出来ない人が
どう生きていくかと考えたときに
・精神科医の名乗り
というのはほとんど逆算的に導き出されるといっていい必然のスタイルではないか。
「オタクの話ばっかりするけど自分自身はああいうのとちょっと違うんです」という説明と釈明と予防。
あの世代に大量にいた、「俺はもうオタクじゃないけどオタクって奴らはさあ…」という話ばかりする人、
我々やそれ以下の世代は
また、更に上の世代になるとやっぱりそういう自意識とはちょっと違うらしい(オカダトシオなどを信じれば)。
そうするとあの世代は、変わっていく世代と世代に挟まれ、同世代では同士討ちを繰り返す、一番苦しんだ世代なのではないだろうか。
私は中高生時代にゲームセンターであの世代と知り合い、交流した。
変な長髪を縛ってる人がよくいたのもあの世代までだった気がする。
いろんな癖はあるけど楽しい先輩達だったことを思い出す。
なかなかどうして今自分が抜け出そうとしている地獄は大変な所で、そこは笑顔を浮かべていなければ息も出来ないような場所で、鬱屈した影がああ伸びてきたなと思われてしまえばすぐさま
足の裏から刈り取ることを強制されるような始末である。そこはある種、舞台でもあってそこからは
私のその様というか、必死な熱演にユーモアを感じる人たちに紛れて、鈍色の、私からしたら悪意とか敵意に思われるのだが
一体なんなのだろうか、とりあえず私が右だとしたらそれは左のようなもの、が口だけあって笑っていたり、あるいは目だけあって私から視線をはずしていたりするのがポツポツと見える。
すごく楽しそうにしているのが私にはたまらなくて、なんだか喜怒哀楽の楽の感情意外が一気に湧き出して、死んでしまいそうになり、しかしそれでも笑って踊れば、なんだか気が紛れるのである。
ああ終われ。
増田やはてなにはそういう権力者が維持してきた性愛術が恋愛世界を支配してたことに鬱屈したり嫉妬してきたキモいおっさんの集まりだからここでいっても無駄だよ。ここにいる奴らはむしろ性愛を否定して戦争を奨励したいんだから。まあその戦争も失敗したがな。2006年ごろがこいつらの活動の全盛期だったが、その後色々な事件のせいで、こいつらのエネルギーは破綻した。今は死体。リアル社会はまた昔のようになりつつある。増田やはてなブログに影響力はもうない。finalventの日記なんかも2005年ごろまでは輝いていたけど今はゴミでしょ。はてなも増田も終わコンだよ。悪は滅びた。