はてなキーワード: 新しい時代とは
当初は真面目な口調で解説しようと思ったのだけれど、堅っ苦しくするのもエントリの空気感自体が専門的になりすぎる気がしたので多少くだけた口調で進めさせて貰うね。
んで、まずはすべての絵師の皆様へ伝えたいことがある。
前提として、この「すべての絵師の皆様へ」の見出しの段は以降の見出しの段を書き終えてから追記したものだ。編集後記みたいなものか。
それでは話そう。
皆さんは絵師で絵を描き、ボクはプログラマーでプログラムを書いている。
大きなカテゴリで言えば同じくモノ作りをする属性を持った人間だろうと思わせてもらいたい。
同じくモノ作りをする人間として、絵師の皆様の混乱を知って「あぁコレは絵師の豊かな想像力が悪い方向に働いちゃってるな」と感じたんだ。
間違ってたら申し訳ないけれど、おそらく多くの絵師がイメージしたのは創作内に出てくる人工知能だ。
人工知能の暴走によりディストピアが発生する。そのようなイメージが湧いたんじゃないかな?
そして絵師たちは、ディストピアの前段として自分たちの画風・技術を学んだ人工知能が自分たちのオリジナリティを奪い、自分たちの生活を、自分たちの価値を崩壊させるんじゃないか?と不安になった。
ターミネーターのスカイネットような、火の鳥未来編のハレルヤとダニューバーのような人工知能の支配と暴走が起きるのではないかと。
もしも違う、そうではないと思うのであればココで読み終えたら良いと思う。このエントリは上記を前提に話が進められる。
しかし「その通りなんだ!人工知能はよくわからないけど自分の絵が盗まれるんじゃないかと怖くて怖くて仕方ないんだ!」と思ったのならばボクはこのエントリを書いた意味がある。
絵師だけでなく多くの一般人は知らないが、わかりやすく「人工知能とはなにか?」を解説する際に大半の情報技術者が納得する極々シンプルな表現に「人工知能とは計算機である」という表現があるんだよね。
つまり1 + 1 = 2を計算できる電卓の超高度版が人工知能ということであって、情報技術に関してちょっと疎い人は信じられないかも知れない。
しかし、電卓の中でもちょっと高度な関数電卓になると筆算で苦戦する人がそこそこいるであろう平方根√の計算は出来るし、時間計算に便利な60進数換算が出来たりもする。
そもそも、いわゆるパソコンも計算機の一種であって実際に話題になっているStable Diffusionもパソコン上で動く。
ただし、多くの人工知能は電卓やパソコンのようにハードウェアではないソフトウェア計算機であるという違いがある。
普通の電卓と人工知能の何が違うのか?
それは見かけ上で入力する「パラメータ」に違いがあるんだよね。
それではパラメータとは何か?
これは1 + 1 = 2で説明すると非常にわかりやすい。
パラメータとは1 + 1 = 2のような非常にシンプルな計算式では「1」のこと。早い話が数字なんだ。
そして計算結果を出すには計算式が必要で、足すのか引くのか、掛けるのか割るのか、その振る舞いを決めるのが「+」である。
この計算の振る舞いを人工知能へ置き換えると「アルゴリズム」と呼ばれるようになる。
細かいことを抜きにすると1 + 1 = 2の+部分はアルゴリズムとまずは理解しよう。
演算子はアルゴリズムなのか?とツッコミたくなる有識者も居るだろうけど話を複雑にするツッコミは取り敢えず横に置いておこう!
「1」がパラメータ、「+」がアルゴリズムと言うのは理解できるけど、人工知能へ置き換えられてしまうと理解が難しい。
そんな人は安心してくれ。人工知能へ置き換えたって意外とシンプルだ。
例えば普通の電卓よりも高度な関数電卓でパラメータ「円周率」を入力したい場合どうしたら良いの?
「3.141592…」と入力していくのだろうか?
それは思い違いで、関数電卓には円周率が格納された「π」があるんだ。
しかもたいていはπボタン一発で入力できる。入力手順が多くてもボタンを2回3回押下するだけだ。
関数電卓を扱える者は高度な円周率をたった1つのπで利用できてしまうわけで、何だかこれはどこかで聞いた話じゃないかな。
ご想像の通り、人工知能の、特に今話題のイラストレーションAIのパラメータとは「Sky(空)」や「Sea(海)」などの言葉なんだ。
普通の電卓ではパラメータ「1」が選択でき、関数電卓ではパラメータ「π」が選択でき、イラストレーションAIではパラメータ「Sky(空)」が選択できる。
この時点で絵師や多くの一般人が「人工知能は本質的に超高度計算機である」ことが理解できたはず。
扱えるパラメータボタンがメッチャクチャ多いのが人工知能なんだ!
しかもイラストレーションAIが扱えるのは「+」や「-」というアルゴリズムだけでなく「絵を描く」というアルゴリズムまで扱える。
「Sky(空)」「次のパラメータを加えて絵を描く」「Sea(海)」の計算結果として「空と海が描かれたイラスト」を得られてしまうのがイラストレーションAIなんだ。
これは大変センセーショナルだよね。
しかもイラストレーションAIが機械学習によって既存のイラストから学びを得てイラストを生成していると言うじゃないか!
絵師が自身のオリジナリティをイラストレーションAIに盗まれてしまうかも知れないという危機感は物凄く理解できる。
普通の電卓から関数電卓、パソコン、人工知能に至るまで計算機の最大の欠点とも言って良い要素に「計算機はパラメータの意味を知らない」というものがあるんだ。
それこそボクのこの話が意味不明だろうから解説しよう。
例えば皆さんが単純に「1 + 1 = 2」という計算式を認識したとき、この計算式がなにを意味しているか、なにを計算したのかわかるだろうか?
さっそく答えを言ってしまえばわかるわけがないのだ。
この「1」や「2」は人数かも知れないし個数かも知れないし、日数かも?電力?重さ?年齢?さっぱりわからないよね。
当然の話だよね。ボクたち人間は計算を用いる際は何らかのシチュエーションに於いて、何らかの意味を求めて計算をするのだから。
単純に「1 + 1 = 2」と記述されても各々のパラメータが意味することが明示されていないから誰にも理解できない。
同じように、あなたが鉛筆の数を計算しようとして普通の電卓へ「1」というパラメータを渡しても、その「1」が鉛筆のことであると決して電卓は理解しない。
それが関数電卓であってもパソコンであっても人工知能であっても計算機は決してパラメータの意味を理解することはないんだ。
「1」が鉛筆であると知っているのは今まさに電卓で計算しようとしている本人だけだ。
絵師の皆様へ問おうじゃないか。
あなたの「Sky(空)」はどのようなものか?と。あなたの「Sea(海)」はどのようなものか?と。
イラストレーションAIを活用したいと考える皆様へ問おうじゃないか。
あなたの「Sky(空)」はどのようなものか?と。あなたの「Sea(海)」はどのようなものか?と。
あなたの藍はどれほど青いのか、絵師の藍がどれほど青いのか、個々人の藍がどれほど青いのか、イラストレーションAIは機械学習をどれだけ重ねてもそのパラメータを理解することはない。
なぜ理解しないのか?
イラストレーションAIは計算機だから、道具だから、そして新しい時代の絵筆だから。
はっきりと言ってしまえば、イラストレーションAIが教師データとして収集した既存イラスト群へ機械学習をかけ、そこから新規イラストを生成しようとしても、イラストレーションAIが保持しているパラメータが意味するものは、個々人の主観と同一のものであるとは限らないだよね。
しかも、イラストレーションAIのパラメータは既存イラスト群から統計的に成立させたものであるから特定個人の主観と100%合致することはないと言って良い。
「私の空は緑から青のグラデーション」と考える人が居ても、その人が求めている緑や青などの色、グラデーション感、そもそも空の描画の仕方、雲があるのか無いのか、光はどうなのか、イラストレーションAIへ与えるべきパラメータを想定するだけで膨大になっちゃう。
少なくとも「緑から青のグラデーションの空」程度のパラメータでは現在のイラストレーションAIでは理想的なイラストが生成される可能性は著しく低いはず。
これはもう完全に「この色とあの色を混ぜてどうのこうの」という状況とまったく同じであり、だからこそ「Stable Diffusionのパラメータがどうのこうの」という記事が乱立しているんだ。
断言して言おう。
現在のイラストレーションAIという絵筆を最も上手く扱えるのは絵師の皆様であると。大半の一般人よりも「Sky(空)」や「Sea(海)」の奥行や深みを知る絵師のパラメータ調整はボクたちのような情報技術者は決して敵わないだろうし、多くの一般人などは写像の言語化すら困難なはずだ。
例えmimicのような特定の絵師の特徴量を学習できるようなイラストレーションAIが登場しようが、そのパラメータを区切り設計しているのは絵師よりも「Sky(空)」や「Sea(海)」を知らないボクたち情報技術者だ。
ボクたちは絵師がどこまでを「Cheek(頬)」と考え、どこまでを「Forehead(おでこ)」と捉えるかを知らない。
ほぼ間違いなく我々はあなたの絵柄を完璧に出力することはできない。あなたの絵柄と比較してどこか違う、どこか違和感のあるイラストしか出力できない。
情報技術者はあなたではないから、あなたの認識の範囲を知ることができず、そうならざるえないんだ。
あなたであれば知っていることをmimicは決して理解できない。なぜならmimicは計算機だから。
計算機は1 + 1 = 2の意味を理解しない。あなたのイラストの特徴量を学習しても出力されたイラストがなんなのか計算機は、人工知能は理解していない。
イラストレーションAIであなたの作品を出力できる人間はこの世でたった1人、あなた自身だ。
イラストレーションAIは新しい絵筆であり、今後新たな絵筆がどんどん登場するはずだ。
例えば描画キャンパス全体の傾向からペンの入り抜きを自動的に補正するイラストレーションAIペンなど面白いかも知れない。
これを実現するにはmimicと同じようにあなたのイラストを人工知能へ学ばせることが必要になるだろう。
しかし、その入り抜きが正しいか判断するのはあなた自身なんだ。何故ならばイラストレーションAIは絵筆であり、絵筆の振る舞いが正しいか決めるのは意志のない絵筆ではなく使用者だから。
自民教のスローガンなのか統一教会のスローガンなのか、はたまた韓国人様に向けたスローガンなのか、考えるとなかなか意味が深い。
決断と実行もせず、今まで何をやってたんや。。。「自民党議員、急募!椅子に座る、簡単なお仕事です。」つまり今まではこういうことだったわけですね。
これは、つまり、今まで決断と実行をしてこなかったことを強く示すものでもあります。
で、何か来ましたっけ?
はい、来ました。自民党創立以来、我々はついに、ついに!国民のために働くことを決意すると。
今まではあれですか?統一教会のためだけに働いてきたってことでしょうか?いま思えば、この国民は統一教会の信者のことだったんですね。。
では、どう切り開いたのでしょう?捏造の効かない国際データでも出した方がよさそうですね。
もうね、自民党さんのおかげで、世界競争力ランキング、2019年は30位でしたが、2022年の段階では34位です。アベノミクスなんて虚無なプロパガンダ、カルトは騙せても、現実はそんなものですな。
どの口が言うんでしょうかね?虚偽答弁を100回以上繰り返し、説明責任だけでなく、あらゆる責任を果たさなかった安倍@統一教会さんに最もふさわしくない言葉ですね。
この道、つまり統一教会と政治のコネクションのことでしょうね。それ以外に何も浮かびません。
この道というのはプロパガンダってことでしょうね。そもそもこの道しかないだなんて、考えの固定化は危険極まりないです。
うーん、何も思い出せない。相変わらずふわっとしたフレーズです。
韓国のカルト宗教にべったりな自民党がまあ、よく言えたものです。いや、これは。。。韓国主観で考えると、やっていることの実態と結果に整合性がうまれてしまいます。。。
平和9条なんて時代遅れ。平和だ平和だ叫んで平和でいられる時代は終わった
平和主義撤廃したくないやつは自分が死にたくないだけの、ポジショントーク野郎。大義がないチキン野郎
もしくはこのまま平穏にやり過ごしたい、逃げ切りたいだけの老人
今の時代の人間の命よりも、未来の日本が存続してることの方が重要だったりする。それが大義
ロジックでわからないやつは靖国神社を参拝して、遊就館見てこい
日本はアメリカからウクライナの戦争で協力求められたけど何も出来なかった。
そして今、めっちゃいろんな国からサイバー攻撃受けてる。なんとかしたほうがいい
そして韓国語を第二外国語として必修にする。理由は日本人にとって一番習得難易度が低い言語で、これを習得すれば英語など
他の言語の習得のメンタル的なハードルがさがる(と思う)。それに韓国は台湾と同じく、もし戦争になったら貴重な同盟国になりうる。
それにちゃんとその言語と文化を学んだ外人に対して無下にはできないのが人間。日本人が韓国の言語と文化を学んで、韓国語で話しかければ
向こうも無下にはできなく、友好的なコミュニケーションが捗る。ということで韓国語を勉強する
これらのうちのいくつかを選んで選択式の科目にし、外国人にもちゃんと語れるようにする。
ちゃんとした歴史を学ぶ。昔の日本人の精神性の良いところを継承する努力をする
正直日本人は日本の歴史と日本人について何も知らなすぎる。歴史の検証も全くしてない
新しい時代を創るのは、老人ではない!
おお、コメントwwww
もっと爆釣したいwwww
まじで甘々モンスターだと思ってるけど、
今はその流れですよね…
その結果どうなるかというと、働かなさすぎて付加価値を生み出せず、たくさん働いている他の国に普通に負けて国として凋落していく。
「これが新しい時代の価値観なんだ!」とか言いながら仕事をせずカスみたいな製品を出しては全く売れなくて給料は上がらず貧乏になっていっているのが今。
今や日本人は世界的に見ても働かなさすぎの部類に入っているので、バリバリ働いてるアメリカ人や中国人にどんどん置いていかれている(置いてかれてない会社の人達はだいたい長時間働いてる)。
フランスあたりを例に出して(そしてそれを「欧米」とか言って)日本人は働きすぎ!とか主張するのが常套手段だけど、だからフランスはまともな企業ほぼ無くておフランスブランド以外価値ない状態じゃねえかっていう。
ブランド価値もない日本人がフランスの真似したらもっと悲惨なことになるに決まってるのだけど、そこは見たくない聞きたくないで目と耳を塞ぐんだよな。
これはわかる。
私は野党支持者であり、選挙では共産党や立憲民主党に投票しているし、世論調査で「岸田政権を支持しますか?」と訊かれたら「支持しない」と答える人間である。
しかし、岸田政権には嫌悪感が無い。それが安倍政権や菅政権と決定系に違う。
安倍は歴史否認主義者でありレイシストだ。ネトウヨそのものである。そんな奴が日本の首相であることは心底我慢ならない。ガースーはより陰湿な矮小な安倍であり、似たようなものだ。
ところが岸田は違う。岸田さんはハト派の平和主義者であり、「平和の岸田」とも呼ばれる人だ。また「新しい資本主義」を示し、新自由主義の安倍スガとも違う道を示した。自民党の政権だから支持する気にはならないが、前の二人に比べたら圧倒的に印象が良い。
安倍政権や菅政権は極右ネトウヨ政権だったから、なんとしても粉砕したかった。しかし岸田政権は支持はしないが敵意もない。
平和主義者の岸田さんのいう「敵基地攻撃能力」なら支持できる。
平和主義者の岸田さんの内閣なら、憲法改正も良いかもしれない。
もし総裁選で高市早苗が総裁になっていたら、あのクソ自民党改憲草案が復活していた。しかし平和主義者の岸田さんはそれを認めず、あくまで「改憲4項目」を堅持した。
改憲4項目は「9条への自衛隊明記」「緊急事態条項」「参院選合区の解消」「教育の充実」であり、これは「自民党改憲草案」と違って危険性は少ない。
次の参院選でも私は共産党か立憲民主党に投票するだろう。自民党内にいる極右ネトウヨ勢力を増長させないために決して自民党には投票しない。しかし、おそらく選挙の結果、参議院でも改憲勢力が3分の2を上回り、やがて憲法は改正されることは間違いない。平和主義岸田政権のもとで、日本は平和の盾と同時に矛をも持つ新しい時代を迎えるだろう。
あれは俺がまだ小学生の頃だから、1980年代だと思う。埼玉県南部のとある国鉄高崎線の駅前に、大きなショッピングモールが完成した。
それ以前から駅前には「西友」とか「キンカ堂」といった「スーパー以上デパート未満」な存在があったが、駅の反対側の再開発で生まれたそのショッピングモールは、より大きく都会的で垢抜けた商業施設だった。
小学生だった俺は親にもらった小遣いを握りしめ、悪友と一緒に胸を高鳴らせ瞳を輝かせ新装開店のショッピングモールに突撃した。
西友やキンカ堂よりもはるかに現代的で清潔感あふれる店内に俺たちクソガキは驚嘆した。新しい時代の感性がどんどん押し寄せてくる、バブル崩壊以前の日本の猪突猛進な空気を全身で感じた。
店内をあちこち見物した後、俺たちはフードコートへ行った。そして俺はこの時こそ親にもらった小遣いを使うべきだと判断し、フードコートでラーメンを食うことにしたのだ。
一体どんなラーメンが食えるのか?このような進歩的で未来的な施設で供されるラーメンは、来るべき21世紀の未来社会を感じさせるようなすごいラーメンに違いない!と期待に胸は高まった。そのフードコートでラーメンを出しているのはスガキヤであった。
果たして提供された「ラーメン」は、見た目からして異様なものであった。スープは何故か白濁しており、また見たことの無い奇妙なスプーンが添えられていた。関東地方で単に「ラーメン」といった場合は、醤油ラーメンを指す。これは今も昔も変わらない。2022年ともなった現在では、関東地方の住民の間でも全国各地にざまざまな種類のラーメンがあることは知られている。しかし当時1980年代において、このスガキヤのラーメンは関東地方に住む小学生の私には全く「ラーメン」とは呼び得ない得体の知れない代物であった。
買ったからには食べなければ勿体ない。勇気を出して一口食してみた。
何だこれは?
不味くはないが、美味しくもない。それ以上に、これは「ラーメン」ではない!
キングダムハーツ20周年で盛り上がっている中、「本社はそこまで二次創作にとやかく言わない姿勢だったのにディズニーが怖いのでKHは刷りません!と言ってオタク界隈全体に20年間自粛の圧力を作った印刷所は今も訂正も謝罪もせずに知らん顔をしている!くたばれオタク!」と愚痴を言っている君にも明るいニュース(?)がある。
そもそも古今のコロナの物理的影響もあるが、作り手買い手含めて新世代の同人・二次創作オタクはSNS上でリアルタイムに英語圏を含めた世界中のオタクと触れ合うことをごく当たり前に享受しており、あくまで交流とそこから生まれる更なる創作の連鎖の脈動を楽しむことが主体とし、印刷という媒体そのものに拘らなくなっている傾向が個人的感覚としてある。
リアルのイベントならではの良さは依然として不動ではあるけど、それはネット上の交流の価値が無いことを意味しない、それぞれ別種のエモさがあるのだ。そして同人電子書籍も(一部に頒布に制限がなくなるからやめろという空気も残っているが)沢山増えた。イベントでもダウンロードカードを売るサークルがちょくちょく出てきた。やはり同人にも利便性の波が来ている。
現状のファンダムの状況を読めず、自分達の知識を更新せず、リアル書籍とイベントこそ同人の華だとふんぞり返っている印刷所は、いずれ時代の波に取り残され淘汰される。オタク第一・第二世代も50・60代に到達しているし、毒吐きネットマナーで間違った知識で他者を威圧していたユーザーももう40代……
過去の悔いはあれど老いる彼らをこれ以上責め立てても何の将来性も無い。
「でもウマ娘同人のエロやるなという同調圧力が……」という意見もそもそもいくら萌え擬人化して若い世代を呼び込もうが、競馬趣味がおっさんおばさんの物であることは覆せないので、あれは大した影響を後世のオタクに残せない。
直近の理想的な棲み分け方が出来ているファンダムというと、SING:ネクストステージがかなり面白い広がり方をしている。
子供向けアニメでありながらケモナーにも人気で、且つ主演声優が芸能人・歌手なのでそのファン層にも広がり、誰に言われたわけでもなくそれぞれ独自にファン活動や創作を行い、お互いに干渉しない。
深夜アニメ好きとは被らない層にヒットしているせいかあまり注目されていないし、しつこく根掘り葉掘りすればドロドロしたしょーもないトラブルもあるんだろうけれど、これが理想的なネットファンダムのあり方だと実感している。
ちょうど今は旧い時代と新しい時代の境目なので、あと5年も経ったら全く違う空気が同人界隈に流れていると思う。楽観視しすぎかもしれないし、SNSが抱えている根本的な炎上構造は変わっていないけど、結構今の子供達は皆が思っているより聡明だし、未来は明るい。そう信じたい。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/blog.tinect.jp/?p=75256
みたいな話でクリスティーン・ポラスが唐突に出てくるのはたぶん業務として「読まされている」人がいるのだろうな。各社人事総務は「あいさつ運動」「さわやかマナー」みたいなのの理論武装をしようとしているんだと思う。
昭和の昔には「挨拶すんのは常識でしょ!」で押し切っていたのが「それはあなたの常識ですよね?」世代が出てきて押しきれなくなってきたんだろうと思う。
裏をかえせば「新しい時代の組織人の常識本」みたいな、理論寄りで職場の心理的安全性やコミュニケーション増進に役立つスマイルマナーと、上位者へのごますり作法とをきちんと区別して論じてあるわかりやすいマナーガイドの需要があるということだ。
はてブでも従来の闘士でない人が男女格差の問題に突っ込んできているパターンが増えていると思うが、これも大手会社がESG投資でSDGsを
会社方針に盛り込んでいるために、男女格差とは何か、を会社の枠組みで考えさせられている人たちがいるのだという気がする。
これ自体は良いことかもしれない。
ロシアがウクライナ侵攻したりした日に某所で引退発表があってダブルパンチを受けた層は一定数いるのではないかと思うし、増田にも前者の記事はあふれ返っているので後者について語る。
(別に前者と比較できるほどの話だと思っている訳ではない。戦争より大きな芸能問題なんてあるわけがない、当たり前だ)
ただまぁ、遠い国で戦争があっても「怖いな」「ロシア史にこういう流れあったな」とは思っても、現地で起きた悲劇のすべてに感情移入することはない。『アクタージュ』の原作者が前科者になって連載が打ち切られても「続きが読めなくて残念だな」とは思っても、原作者に同情はしない。どちらも遠い話だし、後者であっても自分が好きなものと作者は別物だからだ。世の中の悲劇のすべてに感情移入していたらどんな聖人でも発狂してしまう。よそはよそ、うちはうちだ。
その『よそ』を『うち』に変えてしまうのがライブ配信型の魅力であり、最も恐ろしい地獄でもあるという話。
Vtuberというのは、元々『二次元のキャラが本当に生きていたらいいのに』というオタクの願いを部分的に叶えるものだった、と思う。
2017年末にキズナアイの動画を始めて見た時は「はー珍しいことやる人がいるもんだ。面白いな」ぐらいの感想ではあったが、確かに感動した。ニコニコ動画時代には謎技術で見たこともないような動画を投稿している投稿者がわんさかいたが、その一種のような認識だった。その後四天王だの何だのと次第に盛り上がり始め、新しい時代が来たなぁと眺めていた。配信型を見るようになったのはブームの始まりより後だった。2020年末頃だ。
元々東方Project好きだったこともあり、ハードシューターがいるという話を聞いて観始めたのがきっかけだった。観てみると確かに面白い。バラエティ番組で芸人のトークに笑うことに抵抗はなかったし、配信系に馴染みがなかったのも「男女を問わず別に人間の顔を画面で見続けたいと思えない」という理由だったので、『アニメキャラがゲームやトークをしている』感覚で観ることができた。(この辺りは「中身の人間がいるのは論外」派も根強いようなので人によるらしい)ともあれ日常的に配信を観るようになっていくと、学生時代のボーカロイド全盛期を思い出してどこか懐かしかった。何事も流行りというのは流行っている内に楽しんでおくと、時代の空気を味わえるものだ。ミーハー万歳。
そのうちにわかってきたのが、このジャンルの本質は『コンテンツ』ではなく『コミュニティ』であるということだった。考えてみれば当然でもある。作品を一方的に受け取るのが『コンテンツ』なら、コメントを本人に送り、配信内でやり取りし、あるいはリスナー同士の横の繋がりも増える。(そういえばラジオ同様「リスナー」という表現を使うのは何故だろう? ライブ動画を観てはいても、本質は声ということだろうか)これほど双方向的ならば、それは勿論『コミュニティ』だ。
『コミュニティ』に加わるということは、例えばMMOオンラインで深夜までチャットで盛り上がる仲間ができるようなものだ。毎日のように遊んでいるから、相手が大体何をしているのかわかる。家族や友達、と言っても言い過ぎでないのは昨今増えたという「オンラインゲーム婚」とやらを鑑みても明らかだ。画面の中から一方的に渡されるだけの『コンテンツ』と違い、『コミュニティ』では画面の向こう側に自分から何かを届け、加わることができる。実社会にとても近い。精神的な、代用品にもなりうる。
そして人気の高いライブ配信者、特にそれがグループであればクオリティも保証されている。その『コミュニティ』はいつも楽しく、賑やかで、甘酸っぱく、可愛い。現実の自分の人生では味わうことなど到底不可能なほどに。この構図は従来の何かによく似ている。そう、『二次元』だ。現実逃避をして二次元コンテンツに耽溺し、そこに行きたい、加わりたいと考えるオタクはずっと昔から存在していた。
ライブ配信型Vは二次元そのものではない。だが、二次元と同じ効能を果たしてくれるから、その代用品にはなり得る。かくしてオタクは『画面の向こう側の二次元コミュニティ』に加わる手段を手に入れた。これこそ可視化された楽園だ。この世の何処かにはあるかもしれない、いいやあるはずもない、と諦めていたきらら世界観。それが実在すると思えた。何割かは演技かもしれないが、しかしすべてではない。あまりにも長時間、毎日のライブ配信がある。『素』を隠し通すのは不可能に近く、むしろ『素』をある程度出すことが人気の秘訣にもなっている。
演技ですらなく、『素』で『楽園の二次元キャラ』が現実の過酷さによって苦しむ姿をリアルタイムに眺め、想像することができるのだから。百合に男を挟むな、なんて次元ではない。きらら漫画を読んでいたら急に震災やコロナが登場してメインキャラが何人も死んでしまうようなものだ。大炎上間違いなし、トラウマものである。
結局のところ彼女達(あるいは彼等)は現実を生きる生身の人間だ。現実の過酷さの中で当たり前に生きている。だからろくでもない事態にも見舞われる。本人が原因になることも、しょうもない理由で叩かれることもある。それは別にこれまでもごく普通にあったことだ。
ただ、可視化されただけ。家族でもなければ身近に感じることがなかった苦痛を、日本中や世界中に分け隔てなく配って共有することができるようになっただけだ。
タイトル通り、この変化はあくまで二次元オタクかつ、ライブ配信型Vを許容できる層に限られる話でもある。人気アーティストや声優が死んだり結婚したり引退したりで阿鼻叫喚の嵐になるのはいつものことだ。珍しくもなんともない。ただ「二次元イラスト」が聖域で、仮に宇崎ちゃんポスターのように現実で炎上したところで、作者に何が起きたところで、作中世界のキャラには何の影響もない、という感覚はここにはない。
『画面の向こう側』に手を伸ばせることはとても魅力的で、そして地獄だ。
何度か自分でそれを経験してからは、二、三歩引いた距離感で観るようになった。離れて見れば『コンテンツ』として面白いのは変わらない。ただ『コミュニティ』にまで加わると、火傷をするからだ。古き悪しき2ch時代のROM専文化は、ここにきて自衛の意味を取り戻しつつある。