はてなキーワード: 奄美大島とは
なんで過去の黒人差別と一緒にしちゃってんの?黒人差別は法的にも認められてたし、それに賛同するする沢山の白人がいた。バリアフリー化に反対してる人なんて今回の騒動でもほとんど出てきてないだろ。バニラエア自体もバリアフリー化推進してる企業。奄美大島のみ対応が遅れてただけ。なぜ遅れてたかってのは経営的な怠慢だろう。だから、奄美大島で対応できてない違法性と経営的な怠慢を明確に指摘して裁判の可能性を示唆すれば企業としては対応せざるを得ない案件。迷惑なんてかけんでも、電話一本で現状を変えられたと断言できる。過去の黒人差別と違って法的にも倫理的にも世論も全部こちらの味方なんだから。
参考になればと思います。
奄美空港にはボーディングブリッジがあったが、何らかの理由(おそらく他の機体が使用中)で使用できなかったとのこと。
奄美空港は改修中でボーディングブリッジの増設工事中。今年11月から運用可能とのことで、以降はバリアフリー対応となる予定。素晴らしい!
http://amamishimbun.co.jp/index.php?QBlog-20160923-2
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1706/28/news109.html
バニラ・エアは関空ー奄美間ではボーディングブリッジが使えないため、WEBサイトで以下のようにアナウンスしていた。
奄美空港施設要件にともない、おからだが不自由なお客様/車椅子ご希望のお客様の安全確保およびSTEP利用時の不意の事故を未然に防ぐために、お客様ご自身またはお連れのお客様の補助を得てSTEPを昇降いただけるかの事前確認が必要となります。事前のご確認は予約センターまでお問い合わせいただきますようお願い申し上げます。
バニラ・エアは上記アナウンスによる事前確認があった場合について、以下のように説明しています。
「車椅子ごと担いだり、利用者の体を抱えたりしてタラップを乗降することは、大変危険なので安全上の理由から認めていない。関空-奄美線では、自力で歩けない車椅子のお客さまから事前に連絡があった際には、搭乗をお断りしていた」
「お断り」が搭乗拒否なのか、お願いしていただけなのかはよくわかりません。ここはメディが確認すべきだと思います。後述しますが、問答無用で搭乗拒否していたのなら明確な違法行為なので同情の余地なくアウトだと思います。
階段昇降用のストレッチャーという介助器具があります。バニラ・エアは用意すべきだったという方がいます。有名なところでは乙武さんもそう主張されています。
http://www.huffingtonpost.jp/hirotada-ototake/post_15315_b_17326010.html
ただ、障害者を介助する側からするとストレッチャーは使いたくないのです。快適じゃないし、危険だからです。車椅子からストレッチャー、ストレッチャーから車椅子への乗り降りが大変だし、階段でのストレッチャーは事故が多い。それに、ストレッチャーに乗るのは恥ずかしいという方が多いのです。
現状、積極的にストレッチャーの使用を勧める航空会社はないだろうと思いますし、ストレッチャーと聞いたらほとんどの障害者とその同行者は諦めると思います。
ストレッチャーはほとんどの障害者にとって無意味であり、かえって不快なもの(新たなバリア)だと理解してもらいたいです。
タラップ(階段)には電動階段昇降機がついていませんでした。この点も批判されています。
もちろん電動階段昇降機があるのは良いことです。介助者が人力で動かすストレッチャーよりは安全性は高いです。ただ、障害者目線だとストレッチャーよりはマシというだけで、あまり解決にはなりません。
車椅子との乗り換えが大変ですし、目立つことが恥ずかしいというのもあって、かなり多くの障害者は使用を拒否します。「これに乗せるのか」と怒り出すひともいるくらいです。
これも新たなバリアを作り出す装置だと理解してもらっていいと思います。
電動階段昇降機があるからバリアフリーかといわれると、違うと思います。
パッセンジャーボーディングリフト(PBL)という特殊車両があるようです。
http://www.love-narita.com/entry/2017/06/boarding-support
これを用意できればよかったかもしれません。しかし、特殊車両なのでかなり高価ですし、奄美大島に輸送する手間を考えると短期的な使用のために用意するのは現実的とはいえないでしょう。特にLCCの運賃、利益を考えるとここまでの投資が必要なら路線開設を取りやめるという判断になるのではないかと思います。
普通の障害者が旅行で飛行機に乗るなら段差を解消したボーディングブリッジ以外の選択肢はないに等しいのです。階段って聞いたら諦める人がほとんどなのです。なので、一日も早くボーディングブリッジを用意してほしいというのが障害者の願いだと思います。
ただ、ボーディングブリッジはとても高価で、簡単に用意できるものではありません。土木工事が必要で、億単位の投資になります。公共施設なので予算をつけて設計、施工、年単位の時間が必要です。一日も早くと願いますが、現実は待つしかありません。
奄美空港は11月には新たなボーディングブリッジが運用開始予定です。おそらく3月に就航した関空ー奄美を受けての増設を決めたのでしょうが、予算、設計、施工などを考えると可能な限り最速で対応したのだろうと思います。奄美空港関係者の努力は素晴らしいと思います。
K氏は高校時代にラグビー中の事故で脊椎損傷した障害者ですが、障害者と言ってもその障害の程度は千差万別です。
K氏は腕で階段を昇り降りできるなど、障害者の中ではかなり「健常者に近い」行動ができる人だと思われます。普通の健常者より元気なんじゃないかと思うくらいです。しかし、K氏のように行動できる障害者はとても少ないです。車椅子競技をしているアスリートなど、年齢が若く鍛えている人だけです。普通(多数派)の障害者はとてもじゃないけど自分の腕で階段を昇り降りなどできませんし車椅子の乗り換えが苦痛です。
普通の障害者なら上記の空港設備を聞いたら諦めるでしょうが、K氏は「健常者に近い」行動力があるので突破しようとしたのでしょう。良く言えば積極的、悪く言えば無鉄砲。気持ちは分からないでもありませんが、やはり良くないと思います。事前連絡のない状態だと現場でできることには限りがあり時間のない中で正しい判断ができるとも限りません。多数の乗客を乗せ安全に定時運行をしないといけない飛行機ですので、二度とすべきではないと思います。
バニラ・エアはストレッチャーや電動階段昇降機を用意していなかったわけですが、他方で障害者対応をするつもりがなかったとは思えません。11月にボーディングブリッジが使えるようになるのでそれまでは申し訳ないけれども我慢してもらうという姿勢だったようです。
これは多数派の障害者にとっては理解できる話です。ボーディングブリッジがないなら他があってもあまり意味がないし、ボーディングブリッジを建設するには時間が必要なので完成まで待つしかありません。
しかし、K氏のような行動できる障害者にとってバニラ・エアの対応は許せないでしょう。ボーディングブリッジがなくても自力もしくは介助者の力を借りて搭乗できるからです。ストレッチャーくらい用意してほしいと思うのはよくわかります。行動できる障害者を想定していなかったのではないかと思います。バニラ・エアはストレッチャーを用意して事前にアナウンスしておくべきでした。大いに反省すべきだろうと思います。
なお、バニラ・エアはバリアフリーに対応する法的義務があります。条文は引用しませんが、障害者が利用できるように「合理的配慮」をしなければなりません。ストレッチャーを用意してほしいという要望は合理的配慮として義務付けられるでしょう。仮に事前に要望があったにも関わらずストレッチャーを用意せず搭乗を拒否したのならば、それは違法です。糾弾すべきです。
一般論として、事前連絡は障害者にとってとても重要です。とくに高齢障害者のようにストレッチャーや電動階段昇降機を使いたくない人にとってはすべての経路にエレベーターかスロープがあることを確認するのは必須です。また、航空会社に特に配慮してもらいたいことなどを伝え、航空会社からの要望や注意点を確認することはスムーズに飛行機にのるために必須です。事前連絡しない障害者は極めて少ないと思いますし、対応ができずに搭乗を断られても仕方ないと思います。
今回、K氏は事前に何も言わず、突然、空港カウンターに現れてトラブルになりました。事前連絡すると搭乗を拒否されるからと主張しています。
http://www.kijikiji.com/self/vanilla.htm
バニラ・エアは搭乗を「お断り」していたと言っていますので、事前連絡すると最初は断られたと思います。
ただ、バニラ・エアはバリアフリーに対応する法的義務があります。(内容証明郵便などの書面で)ストレッチャーを用意するように要望すればいいだけです。それを拒否することは明確に違法なのでできないでしょう。
仮に拒否された場合も、国交省や鹿児島県島に改善を求めるための窓口がありますし、記者会見等で世論に訴えることもできます。(実際、K氏は事後にそのような対応をしています。)
事前にバニラ・エアにそのように話をすればストレッチャーの用意を拒否するという対応には出ないでしょう。話せば解決できたと思いますし、話す時間がない急ぎの旅行でもないようです。
今回の騒動はアマチュアが知らずに引き起こした話ではありません。
K氏はバリアフリーのプロとしてコンサルや講演活動などで生計を立てているプロです。プロであるならば、法律と知識と経験を武器に話し合いで解決すべきです。
奄美空港の設備や今後の整備予定、自分が登場するために必要な道具や人員など、詳しいことを調べる能力もあるはずです。飛行機に乗り慣れているようですので航空会社や空港の決まりにも詳しいことでしょう。
そういう人が法律や規則があることを知りながら事前に話し合いもせずにいきなり実力行使に出てはいけないと思います。
企業も人が運営するものだから間違いはあります。間違いを正すことは大切ですが、それはまずは話し合いによるべきです。実力行使は話をつくしても理解されない場合の最終手段であるべきです。いきなり問答無用でやると必要のない波風が立つだけです。とても残念に思っています。
世論と法律が変わり、今、驚くべきスピードでバリアフリー対応が進んでいます。実力で戦わなければならなかった時代も理解していますが、しかし、今はもうそういう時代ではありません。法律がありますので話し合いをすればほとんどのことは解決します。
活動が先鋭化して大衆の支持を失うようなことになれば障害者やその家族、ひいては社会全体の損失です。そうならないことを願います。
・自分としては「普天間基地は早急になくすべき、そのためには国外・県外移転が望ましいが、それを望まない日本政府の決定があるならば、『沖縄県は(普天間基地の代替としても)県内に新基地を作ることに反対したが、日本政府が地元の反対を権力で押し通して基地を作った』という手順、ストーリーで作るべきだろう。それが将来的に沖縄県民の利益に繋がる」と考える、以下理由
直線距離にして600kmほどでかい、それぞれの地域・島によって歴史も現在置かれている状況も違う
那覇市などの南部に住んでいるとそんなに米軍を意識はしない、でも中部に住むと、広大な米軍基地の周辺にへばりついて、分断されぎゅうぎゅうに押し込められて生きている感を受ける、場所によっては騒音がほんとにきつい。北部は…実はよくわからない、『北部』という主語も相当でかくていろんな立場がいるだろう。
南西諸島などの離島は沖縄本島とはだいぶ状況が違う、まず米軍基地や訓練空域がない、交通事故をMPに仕切られた経験もないので米軍問題がどこか他人事だ。それより実感としてあるのは本島・宮古島間の中国艦船通過だったり、尖閣諸島問題だったりするので、気分的に日本政府に強くあって欲しい、保守よりの風潮があると感じる、歴史的にも沖縄本島の政権からの差別や軽視があったらしいが、その辺はよくわからない。
そんな感じなので、ひとこと『沖縄県民』と言ってもその意見は多様で一つに絞れないのは当然だと思う。九州電力の川内原発についての福岡や奄美大島の人たち意見も同じようになるのでは。
ケンカになるから、ほとんどの場合自分と在日米軍・国防関係で自分と違う意見や明らかに間違っている知識(沖縄県が負担している米軍基地の割合は実は22%だとか)と出会っても、なるほどあなたはそういう考えなのですネーとスルーする。大体の人がそうじゃなかろうか。なので、声高に自分の考えを主張出来る人は、自分の周りがほぼ同じ考えだと誤解しやすい状況が生まれるのではないかと思う。
しかし中国に関してはだいぶヘイトがたまっている、親戚一同が集まっている席でTVで中国関係のワイドショーなど始まると、まるで『1984年』の二分間憎悪のようにその場が中国への罵倒で満たされ、中国に寛容な意見などは一切ない。ネットなどで、(基地反対派の)沖縄県民は親中派など言われているのを見るとう~ん?と感じる。おそらく、アメリカの覇権は絶対派、強い日本をとりもどせ欲しい派、基地には反対だが中国のため作らないといけない派、いま沖縄県民が分断されている状況は中国のせいだ派など、いろんな現状に対して不満を持っている人たちの、非難の矛先として中国が選ばれ続けているのだろう。中国観光客がお金を落とし続けているお土産物屋やホテル業界の人でも、中国人を語るときはまずは悪口から入る気がする。
・そんなわけで、『沖縄県民の意見』については、切り口によってでどんな意見でも出せるだろうと思う
基地内に土地を所有し土地使用料が入ってくる人、軍人・軍属相手の商売で生計を成り立たせている人、そもそも基地内で働いている人、基地のすぐそばに住んでて毎日轟音でテレビの音声が聞こえなくなる人、毎日基地を大回りして通勤する人、過去に事件事故で家族が被害にあったことのある人、米兵さんと結婚した人、数年前に大阪から引っ越してきた人、その子ども、みんな沖縄県民であって、その意見は統一できない思想は自由なので当然だ
・ただ一つあるのは『選挙の結果』だろう
手続き論として多少の瑕疵はあるかもしれないが、選挙の結果で先の知事の決定は間違いだったとの判断が出たら、地方自治体として決定を考え直す権利ぐらいは当然あるのではないかと思う
(米軍基地はどうするべきか)
・普天間基地はなくすべきだろう、それは日本政府、米軍、沖縄県民、宜野湾市民、ほぼ全員が危険なので早くなくしたいと考えていて、それを人質に取る形で新たな負担をどうするかというのが現在の問題だと考えている
・そもそも普天間基地及び在日米海兵隊の問題は、そのまま廃止する、国外(グアムなど)に移転する、沖縄県外(徳之島など)に移転する、といった選択肢がある中、日本政府の、米軍の協力な武力を引き続き国内に置きたい、という思いと、沖縄県外に置いてもらうよう説得するのは無理だった、という調整不足の結果、まるでそこしか唯一の回答がないかのように沖縄県内新基地の建設が進められているが、要するに日本政府の意向と失策の結果を押しつけられているだけじゃないかと思う。
・よく「防衛は国の専権事項」だから地元自治体は黙って国の決定に従え、という意見を見るが、本当にそうならば日本国中どこにでも好きに置けるはずで、「唯一の選択肢」なんておかしいことになる、自由じゃ無かったから現状があるんだ。
・ではなぜ沖縄県内に代替基地を作るかというと、沖縄県の位置とか、離島という閉鎖された環境とか、亜熱帯のジャングルが訓練に向いているとか、連携すべき他の米軍部隊が多くいるとか、歴史とかとにかくどんなにでも理屈はつくが、結局は『現在そうだから今後もお願い』につきると思う
・「現在そうだから今後もお願い」これを呑むと終わりだ、沖縄県の基地負担は未来永劫、永遠に続くことになる
この国では『現状』の強制力がとにかく強い、どんな理不尽も、不平等も、論理破綻も、現状を維持すべきとの意思の前にはなすすべがない。抗うにはすさまじい労力が必要になり、そもそも論理が通用しないため、結果反対派を自力救済、暴力に向かわせる力がある。
まあ現状維持って結局、楽な方、楽な方、低い方に流れてるだけなんだが。
・なので新基地建設については、暴力に訴えてまで反対するのは悪手だし、どのような反対があっても最終的には建設されてしまうだろう、それが日本政府、ひいては日本国民選択の結果なのだから、という思いがある。
・その上で、沖縄県という地方自治体としては、新基地建設を絶対認めてはいけない、と考える。認めたらそれこそ最後、沖縄県民の将来的な損失を、これから永遠に撤回不能な悪しき前例を産むからだ。
・そもそも沖縄県内にある米軍基地は、沖縄県がここにどうぞと言って作られたところは一つもない、すべて銃剣とブルドーザで住民の意思を無視して作られた物だ、という前提がある。なのでそれを変更が困難な『現状』として引き継ぐのだ。新基地建設に同意してしまうと今度は『沖縄県、地元住民は新しい基地を建設することに同意した』という新しい現状が生まれてしまう、そしてそれを覆すことは絶対に出来なくなる。あの日あのとき新基地建設を認めたんだから今度もお願いね、と言われ続けてしまう。
・政治的な決定は言った言わない、0か100かでどんな条件を付けても無駄だ
前世紀に普天間基地の代替として、名護市への新基地を認めようとした際、「軍民共用」とか「15年期限」とか色々条件を付けたはずだが、それらはすっかり忘れ去られ、「一度は認めると言った」という一部のみが取り立たされる、ヤクザの脅迫を一緒だ。なので絶対同意せず、『地元の反対を国が強権で押し通し、強制建設された基地』というストーリーを持った基地にする、というところが落としどころではと思う。
(余談)
みんな『次の戦争』に備えるとき、記憶の中にある先の戦争がまた繰り返されると勝手に思ってしまう。だから今度もうまくいく、今度こそうまくいく、と戦争の準備を整える。
第一次大戦を教訓にマジノ線を作ったらベルギーから攻め込まれてあっという間に降伏したフランスや、日露戦争みたいな一発逆転を夢見て沈没した日本海軍とか
みんな『次の戦争』を考えるとき、太平洋戦争みたいに島々を巡った占領戦が行われるはずだ、そのときは今度こそうまくやってやる、と無邪気に考えすぎなんじゃないか。次に日本が宣戦布告されたり、するときは
私は東京出身です。主人が沖縄で長らく仕事をして、故郷の奄美大島に戻りました。ゆうパックで1便を出し、その時に4つの目で確かめて、沖縄の郵便局に聞いて、食器がもし万が一壊れたらどうしたら良いですかと。。。すると1箱に30万の損害賠償があるからたくさん入れないで、30万まで。。。とききました。そんな30万以上は無いですが、大事な私の趣味の食器が幾つか割れていました。新聞紙に包み、間にまた新聞紙をつめて、がっちりとした箱に入れて、送りました。他には電化製品や衣類もです。ペアになっているグラスは別々に入れましたが、またペアのカップもです。
1つの箱の中の物がいくつも割れていて、近くの郵便局の方に聞いたら、すいませんね、写真を撮りそれをください。担当に回しますからというので、1個につき1枚写真を付けますか?ときいたら1枚に壊れたものを全て載せて、それを担当に渡しますからと言うのでその通りにしました。しばらくしたら、60キロも離れた名瀬郵便局から亀井さんという方が来ました。写真と現物を見て、写真がついている紙を持っていきました。そのとき私たちは、30万損害賠償が付いているからと保険でしょ?と聞きましたら、保険ではないですよと言いましたが、私たち素人は保険と思います。
しばらくして電話があり、損害賠償は出来ないと。。。写真を取っておいてくださいと言って写真も提出してますが、証拠にならないですと。。。クロネコヤマトにきいたら、それはおかしいですと。壊したのだから現物で戻しなさいと怒りました。4。。ゆうパックはどうなっていますかね。。。名瀬の郵便局の、柚木(ゆのき)部長が、私たちがわざわざ60キロもあるのに車で行って話しているのに、すいませんも無く。自分が決めたからです。梱包が悪いとか、通知が9日目で遅いとか全くひどいです。1箱はボーンチャイナの食器がありそれがフタが割れて、上からの圧迫です。またそれによりワイングラスが欠けて、コップも割れ、陶器のスワンも首から割れたました。現物を見て、写真も持って行き、その後は各割れたものの値段を出してくださいと言ったので名瀬郵便局でも調べてくださいと話して私たちは現物で返してほしいといいました。配送の部長にあった時は、それで、支社長は?と聞くと会わせられないと。。。熊本がその上の部署と言ったのでその電話を教えなさいと言っても教えられないと。。。熊本の指示を受けたと言ったり、いや、違います自分の判断と言ったり、箱を開ける前に割れたが分からないととか、ああいえば、こう言う。。。皆が見て梱包して、奄美大島が、到着地ですから、最後の郵便局で対応ということで、出したところからフエリーにのり、その間かも知れないのに。。。クロネコヤマトは、そんな郵送法で決まっていて、クロネコヤマトは1ヶ月後に言ってもキチンと損害賠償をしますと。。ゆうパックは変です。通知したのが9日目だったとか、とにかくああいえば、こう言う。。。では何で、送付状に30万まで損害賠償と印刷されているかです。。名瀬郵便局の支社長に手紙を出しましたら、また、亀井さんが、損害賠償は出来ませんと。大事な趣味の食器を弁償するのが常識です。日本郵便株にメールしましたが返事は無いです。皆さんどう思いますか?また私達のように、泣き寝入りと送付した金額も戻らない。。。たくさんいるはずです。。クロネコヤマトはすばらしいです。。
彼女とは昨年宮古島で出会いました。何かの打ち上げで知人に連れて行ってもらったスナックで、別テーブルで飲んでいたところ、彼女から私たちの席に移りたいと希望して、言わば逆指名のような形で席に着いたのが彼女でした。
細身でハスキーボイスの整った顔立ちにコテコテの関西弁。場を盛り上げるのも上手でリアクションも大きく、笑い転げた時に、「あ、パンツ見えた?」などと言ってくる開けっぴろげな女性でした。その後席を立った彼女がトイレに行く際、「これ、私のLINEのID」と言って私の胸ポケットに小さな紙を差し入れてきました。
店が終わった後、みんなでもう一軒飲みに行き、閉店まで飲んだ後、私が彼女を寮まで送って行きました。歩きながら彼女は私の事を、「一目見た時からタイプやった。なんの得もないのに自分から席を移るって言ったらボーイからなんで?って聞かれて困った。」などと話してくれました。
私は指輪が苦手で、普段から結婚指輪をしていませんでしたので、なかなか所帯持ちだとは言い出せなかったのですが、寮まで送り届けた時にその事を告げると、「なんや、結婚してたんか。残念やわ。」と彼女は泣き出しそうな顔になりました。
正直言って少し下心があったので、もう少し飲んで話さないかと彼女を家に誘いました。少し考えながらも彼女は了承し、着替えてくるから待っててと言って寮へ戻っていきました。
階段の下で彼女の着替を待つ間、妻が留学していて不在である事をいい事に浮気をしている自分に罪悪感を感じていましたが、私の頭の中はこんなチャンスは人生にもう無いかも知れない、と思ういやらしい心の方が理性よりも比重を占めていました。
しばらくして着替え終わった彼女は白地に花柄のサマードレス姿で現れました。階段から降りてくる彼女の姿を見て、息を飲むほど美しかった事を今でも覚えています。
夜明けまで一緒に過ごした後、彼女を寮まで送り届けました。お互い口に出したりはしませんでしたが、この関係は一夜限りという認識だったと思います。
彼女は今の店のママさんと折り合いが悪く、もっと条件のよいお店で働くため、店を無断で辞めて今日の飛行機で石垣島へ行く予定だと教えてくれました。
私は彼女の存在が妻にバレると面倒な事になると思い、彼女のLINEも電話番号も削除しました。
その後、仕事で石垣島へ行く事になり、そういえば彼女は元気でやってるかなと思い出しました。次に働くと言っていたスナックへ酔った勢いで一人で入ってみたところ、接客中の彼女は私にすぐに気づき、照れとも喜びともつかぬ笑顔で迎えてくれました。
電話番号を消してしまった事を告げ、もう一度番号を聞いた後、店が終わったら後で行くからと、別のバーで待つようにと彼女は言いました。バーで落ち合った後、その後彼女の家に泊まりに行きました。その後また石垣島に行った際も、ずっと彼女の家に泊まりました。
いけない事だとは分かっていましたが、それでも彼女の事が好きでした。しかし卑怯な私は、いつも最後には浮気という罪悪感にかられ、別れ際にハグやキスをして欲しそうな彼女の表情に気付きつつも、いつも逃げるように石垣島から帰っていたように思います。
そして、私が妻の留学先へ訪ねて行く事になったので、その期間は連絡しないで欲しいというニュアンスを遠回しに彼女に伝えたところ、彼女は短い文章で、「他に好きな人ができたから、連絡してこなくていい。奥さんと仲良くやって。」と伝えてきました。
確信はありませんが、私はこれが彼女の優しさで、嘘をついてこの関係を終わらせようとしてくれているのだと思いました。「ありがとう。元気で。」と返信し、私は彼女のLINEを削除しました。
でも電話番号は残しておきました。登録の名前は彼女が可愛がっていた犬の名前にしました。
妻を訪ねては行ったものの、離れて過ごす時間が長かったせいか、再会した直後から違和感を感じ、結局口論の末に離婚する事にお互い同意しました。予定を切り上げ、私は帰国しました。
帰国後、離婚する事を彼女にSMSで送信しましたが、返事はありませんでした。私は離婚を機に宮古島を離れ、誰も知り合いのいない場所で一からやり直そうと思い、福岡に引っ越しました。
引っ越して一月ほど経った頃、急に彼女がLINEに復活し、また頻繁にやり取りをするようになりました。その頃、彼女は喜界島に住んでいるとの事でした。
「福岡はなかなかいいところだから、今度遊びにおいで。」と誘い、「気に入ったら引っ越してくればいいよ。」と伝えると彼女は色々と福岡の事を調べ始めたようで、あの店に行きたい、あれが食べたいなどと私よりも福岡に詳しくなっていました。
「犬もいるし、まだ仕事先の店を変わったばっかりだから、お金を貯めてから遊びに行く。」と彼女は言いました。
私も彼女が訪ねてくるのを楽しみにしていました。
福岡に来る日程が大まかに決まってきた頃、私は仕事で大阪に行った際にバーに居合わせた女性Sさんと意気投合し、頻繁にやり取りをするようになりました。
Sさんとも大阪に行く度に会い、家に泊まるようにもなりました。Sさんとは何でも話す仲だったので、彼女の事も話していましたし、今度福岡に遊びに来る事も伝えていました。
しかし、次第にSさんに独占欲のようなものが芽生えたのか、彼女を家に泊めないで欲しい、彼女に自分の事を伝えて欲しいと言われ、私はSさんを選び、彼女に「新しいパートナーができたから家に泊めてあげられなくなった。ゲストハウス紹介するから遊びに来るのは歓迎するよ。」と伝えると、彼女は「わかった、もう会わなくていい。」と返してきて、その後LINEからいなくなりました。
なぜ彼女でなくSさんを選んだのか。僕の犯した最大の過ちでした。喜界島よりも大阪の方が便がよく、頻繁にSさんと会って飲み歩いていたのが楽しかったんだと思います。でも会う度に何か違うと薄々感じていた自分もいました。心のどこかではやっぱり彼女の事が引っかかっていました。
その後Sさんは福岡に引っ越して来ましたが、私の心は既に離れつつあり、二週間の同棲を経て、Sさんは他にアパートを借り、その後Sさんとは別れました。
Sさんは住環境まで変えてついてきたのに、別れを切り出してきた私を激しく憎み、修羅場となりましたが、今はお互いに納得して近所に住んでいるけど疎遠な知り合い程度の関係に落ち着いています。
私はSさんの事が解決し、仕事がひと段落したら彼女を訪ねて喜界島へ行こうとずっと計画していました。
寝袋とテントを抱え、ツーリングをしながら喜界島を目指す。それだけで詳細な計画は立てず、私は旅に出ました。
唯一の準備として、事前に喜界島のスナックをリストにし、一軒づつ電話をかけて彼女が働いていないか聞いていきました。
私は彼女の名前を聞いておらず、LINEの名前しか知りませんでしたので、彼女の出身と犬を連れているという特徴で聞いていくと、あるお店で以前働いていた事が分かりました。
店を辞めた時期もLINEのやり取りから推測すると合致したので、一歩前進したと思いましたが、結局電話だけでは現在働いているお店は見つけられませんでした。
しかし、以前石垣島で再会できたように、現地に行けば彼女に会えるような気がしていました。
実はこの過程で、一つ気になる掲示板の書き込みを見つけました。「あるスナックで県外から来ていた女の子が殴り殺されたらしい。新聞にもニュースにもなってない。みんなで隠蔽してる。」
私の脳裏に一瞬嫌な考えがよぎりました。酔っ払った彼女は少々トゲのある言動をする事があり、よく「どついたろかと思った」と言うような事があったからです。
そんな不安はいざ旅に出るとすっかり忘れていました。途中、高千穂神社に立ち寄った際引いたおみくじには、「待ち人来る。驚く事あり。」とありました。私は偶然道で再会するなど、驚くほど簡単に彼女を探し出せるのものだとばかり思っていました。
鹿児島からフェリーに乗り、まだ辺りが真っ暗な早朝に喜界島に着きました。この暗闇の中ではとてもキャンプ場は探し出せそうになかったので、コインランドリーで夜が明けるのを待ちました。彼女は明け方に必ず犬の散歩に行っていたので、ひょっとしたら歩いてないかなと足音がする度に目を凝らしていましたが、そのどれも彼女ではありませんでした。
辺りが明るくなった頃、キャンプ場に荷物を置いて島をバイクで一周しました。「あ、このビーチは彼女が写真で送ってきたところかも知れない。あっちの場所にもきっと遊びに来た事があるんだろうな。」などと想像しながら島を散策し、お昼にある喫茶店に入りました。
旅行者と地元民のよくある普通の会話を一通り終え、私はこの島に来た本当の理由を話しました。「大阪出身で、犬を連れてて…」。お店の人から返ってきた言葉が、払拭しきれなかった不安を再び思い起こさせました。
「そう言えば、少し前にあった事件で亡くなった女性は大阪だったかなぁ。」
噂レベルでしか情報が出回ってないらしく、誰も真相を知らないとのことでした。気になるなら警察へ行って聞いてみればとのアドバイスを受けて、派出所に出向き、人を探している旨を伝えると応接室に通されました。
彼女の情報と言えば、出身と犬の事しか知らなかったので、親族でもないに他人という事で逆に尋問のような形式でまず自分自身の事を聞かれました。少々イライラしたものの、警察官三人を目の前にして素直に答える以外ありませんでした。
一通りの尋問が終わった後、こちらが質問しても個人情報の問題で何も答えられないの一点張り。私も諦めて帰ろうとしたところで、先ほど同席していなかった責任者の警察官が代表してもう一度話を聞きますと高圧的な態度で出てきました。
面倒臭いし、態度も腹が立つので普段の私なら結構ですと立ち去りそうなものですが、なぜか素直に応接室に戻りました。この警察官の鋭い眼力が私をそうさせたのかも知れませんが、不思議と親しみの持てる眼でもありました。
先ほどと同じ内容の質問をされ、結局最後は「言えない事がありますから。」の一点張りでした。「じゃあ、逆に何が言える事何ですか?」と質問したら、彼女の名前とかが分かるのであれば状況は違うとの事でした。
私は彼女の名前を聞いた事はなかったのですが、一度スマホの設定で分からない事があると渡され、操作をしている間に開いたブラウザのショッピングサイトの画面に名前が表示されていたのを記憶していました。
正しいかどうか分かりませんが、と前置きしてその名前を言ってみると、その警察官の眼光が更に強くなったように感じ、「⚪︎⚪︎さんが喜界島で働いていたという事実はあります。」と即答しました。
私はとっさに反応する事ができず、間をおいて「何でその名前を知ってるんですか?働いている人の名前はみんな知ってるものなんですか?」などと質問攻めにしてしまいましたが、既に私はその返答に期待はしておらず、ただ血の気が引いていく自分を冷静に観察していました。
その警察官の瞬きもしない力強い眼が全てを物語っていたからです。あの眼の奥の優しさは、職務上教えてあげられないのだけれど、わざわざ探しに来た私に何か伝えてあげたい、そんな思いがあったのかも知れません。
信じたくはない。人違いの可能性を探るにはどうしたらいいかと考えていると、彼女がよく名前を出していた友人の事を思い出しました。
彼はヘルパーをやっていると彼女が言っていたので、喫茶店の人の勧めで社会福祉協議会へ出向き、彼女が唯一送ってくれた写真に一緒に写っていた彼の顔を見せて聞いてみました。すると、すんなりと彼に会う事ができました。
わざわざ仕事の合間を縫って会いに来てくれた彼に写真を見せ、彼女の名前を言うと、彼は直ぐに「場所を変えて話しましょう。」と切り返してきました。人違いであって欲しいと、一縷の望みを繋いでいましたが、もうこの時点で私も全てを悟りました。
彼は海岸へ行きましょうと言い車を走らせましたが、私が自己紹介を終えると同時に急に泣き崩れて、「貴方の事、いつも話してた!」と言い、車を止めました。
彼は知っている事を全て話してくれました。彼女は泥酔して勤務先の店で客と口論になり、暴力を受けたそうです。その後奄美大島へ逃げましたが、居場所がバレたため、鹿児島へ再度逃げ、宿泊先のホテルで亡くなっていたそうです。しかし、事件の真相は分からないそうでした。
彼女は福岡に行く事を本当に楽しみにしていたようで、私の負担にならないように、急に押しかけたりするのでなく、ちゃんと準備したい、いつかは福岡に呼んで欲しい、と毎晩のように彼に語っていたそうです。
飼っていた犬を看取るまでは自分は死ねない、と彼女は言っていたのに、その愛犬を残し、彼女は亡くなってしまいました。
私にもっと甲斐性があれば、彼女を直ぐに福岡に呼ぶ事ができ、今回のような事態を招かなかったかも知れません。
予定通り彼女が福岡に遊びに来ていたら、彼女は亡くなる事はなかったかも知れません。
棒のように細かった彼女を殴り、全身打撲、鼻骨と肋骨骨折、顔に傷までつけた男を私は許しません。最低の人間だと思います。
しかし、私は彼女を殴った男に復讐をしようとは思いません。憎しみからは憎しみしか生れない事を私は学びました。
しかし、私はこれからべらぼうに金を稼ぎます。そして、力を持ち、弱い立場の人々を救えるような人間になります。そう決めました。
以前、東京ポッド許可局でとあるリスナーが絶賛していた「こども論」の収録されている回を購入して聴いてみました。
私には子供がいませんでしたので、むしろの結婚に関する「結婚は作品、二人で作る舞台だ」という考え方に感銘を受けました。
もしこの回を離婚前に聴いていたら、結論を急がず、二人の関係を修復しようと努力したかも知れませんが、今その作品をもう一度一緒に作ってみたいと思ったのは、彼女でした。
彼女は慢性的に血圧が高く、いつも薬を服用していました。出会った頃は寝られないらしく、睡眠薬を飲んでもいました。「もう酒を飲む仕事は辞めたい。次は携帯ショップの店員とかがいい。」と言っていました。
一緒に住んだら彼女の体を気遣い、血圧を抑える食事を作ってあげよう。徐々に酒もタバコも制限していき、将来的に子供を作りたい。不器用でも、地べたを這いずり回ってでも、二人で一つの作品を作っていきたい。そんな風に思っていました。
とても宿泊する気持ちにはなれず、結局早朝に島に着き、その日の夜のフェリーで鹿児島に帰ってくる事にしました。おみくじ通り、驚くほど早く全てが繋がって、彼女にたどり着くことができました。
待ち人は来ませんでしたけれども。
いつも口癖のように「私はブサイクやけど、お姉ちゃんと妹は美人」と言っていた彼女は、僕が人生で出会った中で、最も美しい女性でした。いつか彼女の実家を探し、お墓参りをしてあげようと思っています。
●出席者(敬称略)
◆コーディネーター
もう一つ、命の大切さという重要な問題が出てくるんですね。秋葉原で7人殺してしまったか、どうして彼がそんなことができたのか。我々はできないでしょう。彼は自分の命が大事じゃないんですよ。だったら、人の命はもっと大事じゃないんです。だから平気で殺せる。
「子供の耐性をいかに培うか」~教育再生に向けて東京から考える~平成24年度第1回「~東京ビッグトーク~石原知事と議論する会」
1983年(昭和58年)6月13日、愛知県知多郡美浜町の戸塚ヨットスクールの戸塚宏校長(当時42歳)ら関係者が逮捕された。直接の容疑は、前年の1982年(昭和57年)12月12日に、訓練生である藤沢市の鵠沼(くげぬま)中学1年の小川直人(13歳)をヨット上で角材などで殴り、死亡させた傷害致死である。死因は外傷性ショック死だった。
それ以前には次のような死亡及び行方不明事件があった。
1979年(昭和54年)2月、少年(13歳)が死亡(病死として不起訴)。1980年(昭和55年)11月、古川幸嗣(21歳)が死亡。1982年(昭和57年)8月、奄美大島での合宿の帰りにフェリーから水谷真(当時15歳)と杉浦秀一(当時15歳)が太平洋に飛び込んで行方不明。
だが、訓練中に訓練生3人が死亡したのも事実であった。
その1 http://anond.hatelabo.jp/20110312041916
その10 http://anond.hatelabo.jp/20110906023846
気象庁の… http://www.jma.go.jp/jp/quake/quake_singendo_index.html
平成24年03月15日02時01分 15日01時57分頃 茨城県北部 M3.7 震度3 平成24年03月14日22時34分 14日22時29分頃 千葉県東方沖 M4.5 震度3 平成24年03月14日21時09分 14日21時05分頃 千葉県東方沖 M6.1 震度5強 平成24年03月14日19時55分 14日19時49分頃 三陸沖 M5.9 震度3 平成24年03月14日18時14分 14日18時09分頃 三陸沖 M6.8 震度4 平成24年03月12日08時01分 12日07時58分頃 熊本県熊本地方 M3.9 震度4 平成24年03月11日17時36分 11日17時33分頃 十勝地方中部 M4.5 震度3 ━━━━━━━━━━━━━━━366日間━━━━━━━━━━━━━━ 平成24年03月10日03時18分 10日03時15分頃 茨城県北部 M3.9 震度3 平成24年03月10日02時29分 10日02時25分頃 茨城県北部 M5.5 震度5弱 平成24年03月09日01時45分 9日01時41分頃 宮城県沖 M4.4 震度3 平成24年03月08日12時27分 8日12時23分頃 宮城県沖 M4.7 震度3 平成24年03月08日03時55分 8日03時51分頃 茨城県南部 M4.3 震度3 平成24年03月08日00時22分 8日00時19分頃 新潟県中越地方 M2.7 震度3 平成24年03月05日15時29分 5日15時24分頃 岩手県沖 M5.0 震度3 ━━━━━━━━━━━━━━━360日間━━━━━━━━━━━━━━ 平成24年03月04日14時18分 4日14時15分頃 茨城県北部 M3.3 震度3 平成24年03月01日23時53分 1日23時50分頃 福島県沖 M4.2 震度3 平成24年03月01日07時36分 1日07時32分頃 茨城県沖 M5.4 震度5弱 平成24年02月29日23時37分 29日23時32分頃 千葉県東方沖 M5.8 震度4 平成24年02月29日18時04分 29日18時00分頃 福島県沖 M5.3 震度4 平成24年02月29日02時01分 29日01時57分頃 千葉県東方沖 M4.3 - 平成24年02月28日14時24分 28日14時20分頃 茨城県沖 M5.1 震度4 平成24年02月28日04時36分 28日04時32分頃 沖縄本島近海 M5.6 震度3 (平成24年02月28日04時36分 28日04時32分頃 沖縄本島近海 M5.6 震度3) 平成24年02月28日01時34分 28日01時30分頃 宮城県沖 M4.5 震度3 ━━━━━━━━━━━━━━━350日間━━━━━━━━━━━━━━ 平成24年02月24日13時14分 24日13時10分頃 茨城県南部 M4.3 震度3 平成24年02月24日04時31分 24日04時28分頃 岩手県沖 M4.7 震度3 平成24年02月20日13時31分 20日13時28分頃 茨城県北部 M3.4 震度3 平成24年02月19日14時58分 19日14時54分頃 茨城県北部 M5.1 震度5弱 平成24年02月18日23時29分 18日23時20分頃 茨城県沖 M4.8 震度3 (平成24年02月18日23時24分 18日23時20分頃 茨城県沖 M4.8 震度3) 平成24年02月18日14時16分 18日14時13分頃 千葉県北西部 M4.2 震度4 平成24年02月18日14時00分 18日13時56分頃 千葉県北西部 M3.8 震度3 平成24年02月16日14時13分 16日14時09分頃 宮城県沖 M4.4 震度3 平成24年02月16日13時54分 16日13時50分頃 北海道南西沖 M4.4 震度3 平成24年02月16日02時36分 16日02時32分頃 茨城県沖 M4.4 震度3 平成24年02月15日15時33分 15日15時28分頃 福島県沖 M4.7 震度3 平成24年02月15日13時39分 15日13時36分頃 渡島地方東部 M3.5 震度3 平成24年02月14日21時43分 14日21時40分頃 長野県北部 M3.5 震度4 平成24年02月14日15時27分 14日15時22分頃 茨城県沖 M6.2 震度3 ━━━━━━━━━━━━━━━340日間━━━━━━━━━━━━━━ 平成24年02月14日12時32分 14日12時28分頃 茨城県沖 M5.5 震度3 平成24年02月12日04時59分 12日04時56分頃 宮城県沖 M4.5 震度3 平成24年02月11日10時31分 11日10時27分頃 茨城県南部 M4.7 震度3 平成24年02月10日13時59分 10日13時56分頃 秋田県内陸北部 M3.7 震度3 平成24年02月10日06時56分 10日06時52分頃 宮城県中部 M4.4 震度3 平成24年02月09日15時17分 9日15時14分頃 伊豆半島東方沖 M3.9 震度3 平成24年02月09日12時59分 9日12時55分頃 日向灘 M4.6 震度3 平成24年02月08日21時05分 8日21時01分頃 佐渡付近 M5.7 震度5強 平成24年02月08日20時39分 8日20時36分頃 茨城県沖 M3.9 震度3 平成24年02月08日06時45分 8日06時41分頃 茨城県沖 M4.1 震度4 平成24年02月06日07時10分 6日07時05分頃 茨城県沖 M5.0 震度3 平成24年02月05日09時02分 5日08時59分頃 茨城県沖 M4.3 震度3 ━━━━━━━━━━━━━━━330日間━━━━━━━━━━━━━━ 平成24年02月01日16時47分 1日16時44分頃 宮古島近海 M4.2 震度3 平成24年01月30日03時21分 30日03時18分頃 日向灘 M4.8 震度4 平成24年01月29日16時51分 29日16時46分頃 山梨県東部・富士五湖 M4.7 震度4 平成24年01月28日21時48分 28日21時44分頃 岩手県沖 M4.9 震度3 平成24年01月28日14時24分 28日14時21分頃 茨城県沖 M4.9 震度4 平成24年01月28日09時26分 28日09時22分頃 岩手県沖 M5.6 震度4 平成24年01月28日08時07分 28日08時04分頃 山梨県東部・富士五湖 M4.1 震度3 平成24年01月28日07時51分 28日07時46分頃 山梨県東部・富士五湖 M4.1 震度3 平成24年01月28日07時48分 28日07時43分頃 山梨県東部・富士五湖 M5.5 震度5弱 平成24年01月28日07時44分 28日07時39分頃 山梨県東部・富士五湖 M5.0 震度4 平成24年01月27日13時23分 27日13時19分頃 千葉県東方沖 M5.1 震度3 平成24年01月26日05時47分 26日05時43分頃 宮城県沖 M5.1 震度4 ━━━━━━━━━━━━━━━320日間━━━━━━━━━━━━━━ 平成24年01月24日17時11分 24日17時07分頃 福島県沖 M4.5 震度3 平成24年01月23日20時49分 23日20時45分頃 福島県沖 M5.1 震度5弱 平成24年01月23日07時55分 23日07時52分頃 宮城県沖 M4.1 震度3 平成24年01月22日10時24分 22日10時20分頃 茨城県南部 M4.1 震度3 平成24年01月19日22時13分 19日22時09分頃 千葉県東方沖 M4.5 震度3 平成24年01月18日22時33分 18日22時29分頃 福島県浜通り M4.0 震度3 平成24年01月18日17時58分 18日17時55分頃 宮城県沖 M4.3 震度3 平成24年01月18日12時13分 18日12時10分頃 福島県浜通り M4.2 震度3 平成24年01月17日12時33分 17日12時30分頃 茨城県南部 M4.7 震度3 平成24年01月15日19時40分 15日19時36分頃 宮城県沖 M4.1 震度3 ━━━━━━━━━━━━━━━310日間━━━━━━━━━━━━━━ 平成24年01月14日19時01分 14日18時58分頃 岩手県沖 M4.7 震度3 平成24年01月13日21時53分 13日21時50分頃 茨城県北部 M3.9 震度3 平成24年01月12日20時14分 12日20時11分頃 福島県浜通り M3.6 震度3 平成24年01月12日14時42分 12日14時37分頃 宮城県沖 M5.4 震度3 平成24年01月12日12時25分 12日12時20分頃 福島県沖 M5.8 震度4 平成24年01月12日10時43分 12日10時40分頃 茨城県沖 M4.8 震度3 平成24年01月11日15時05分 11日15時00分頃 留萌地方南部 M4.0 震度3 平成24年01月11日06時25分 11日06時22分頃 福島県沖 M4.4 震度3 平成24年01月09日07時17分 9日07時13分頃 岩手県沖 M5.0 震度3 平成24年01月09日01時56分 9日01時52分頃 千葉県北東部 M3.9 震度3 平成24年01月09日00時40分 9日00時37分頃 和歌山県北部 M4.7 震度3 平成24年01月07日19時47分 7日19時43分頃 福島県沖 M4.6 震度3 平成24年01月06日06時01分 6日05時55分頃 茨城県沖 M4.4 震度3 平成24年01月06日01時51分 6日01時47分頃 宮城県沖 M4.9 震度3 平成24年01月05日22時17分 5日22時13分頃 福島県中通り M4.1 震度4 平成24年01月05日21時41分 5日21時37分頃 福島県中通り M4.2 震度3 ━━━━━━━━━━━━━━━300日間━━━━━━━━━━━━━━ 平成24年01月01日14時37分 1日14時28分頃 鳥島近海 M7.0 震度4 (平成24年01月01日14時34分 1日14時28分頃 鳥島近海 M7.0 震度4) 平成24年01月01日00時32分 1日00時29分頃 新潟県中越地方 M4.1 震度4 平成23年12月31日08時14分 31日08時11分頃 茨城県北部 M4.5 震度3 平成23年12月30日18時38分 30日18時35分頃 宮城県沖 M4.2 震度3 ━━━━━━━━━━━━━━━290日間━━━━━━━━━━━━━━ 平成23年12月24日15時18分 24日15時14分頃 福島県浜通り M4.0 震度3 平成23年12月24日11時24分 24日11時21分頃 山形県置賜地方 M3.9 震度3 平成23年12月22日05時14分 22日05時10分頃 福島県沖 M4.6 震度3 平成23年12月21日11時11分 21日11時06分頃 岩手県沖 M4.6 震度3 平成23年12月20日18時15分 20日18時10分頃 茨城県北部 M3.3 震度3 平成23年12月20日15時31分 20日15時26分頃 岩手県沖 M5.0 震度3 平成23年12月20日10時39分 20日10時35分頃 秋田県内陸南部 M2.6 震度3 平成23年12月20日02時31分 20日02時24分頃 茨城県北部 M4.3 震度3 平成23年12月20日02時27分 20日02時24分頃 茨城県北部 M4.3 震度3 平成23年12月19日23時43分 19日23時40分頃 茨城県北部 M4.1 震度3 平成23年12月19日16時05分 19日16時01分頃 千葉県東方沖 M4.6 平成23年12月19日05時39分 19日05時36分頃 石川県能登地方 M4.1 平成23年12月18日18時05分 18日18時02分頃 千葉県東方沖 M4.8 平成23年12月17日17時53分 17日17時50分頃 能登半島沖 M4.3 平成23年12月16日15時16分 16日15時12分頃 栃木県南部 M4.3 震度3 ━━━━━━━━━━━━━━━280日間━━━━━━━━━━━━━━ 平成23年12月15日07時49分 15日07時45分頃 茨城県沖 M4.3 震度3 平成23年12月14日13時11分 14日13時01分頃 岐阜県美濃東部 M5.2 震度4 (平成23年12月14日13時04分 14日13時01分頃 岐阜県美濃東部 M5.2 震度4) 平成23年12月12日14時17分 12日14時13分頃 茨城県沖 M4.7 震度3 平成23年12月12日04時55分 12日04時51分頃 茨城県沖 M4.6 震度3 平成23年12月11日20時20分 11日20時16分頃 茨城県北部 M4.1 震度3 平成23年12月11日12時34分 11日12時30分頃 奄美大島近海 M4.4 震度3 平成23年12月11日10時27分 11日10時22分頃 奄美大島近海 M5.4 震度4 平成23年12月10日15時12分 10日15時08分頃 宮城県沖 M4.7 震度4 平成23年12月10日04時49分 10日04時43分頃 オホーツク海南部 M5.7 震度3 平成23年12月10日00時27分 10日00時23分頃 茨城県沖 M4.2 震度3 平成23年12月08日01時16分 8日01時12分頃 能登半島沖 M4.1 震度3 ━━━━━━━━━━━━━━━270日間━━━━━━━━━━━━━━ 平成23年12月06日12時41分 6日12時38分頃 福島県会津 M3.2 震度3 平成23年12月05日04時23分 5日04時20分頃 宮城県沖 M4.4 震度3 平成23年12月05日01時06分 5日01時02分頃 豊後水道 M4.0 震度3
その1 http://anond.hatelabo.jp/20110312041916
その7 http://anond.hatelabo.jp/20110425083706
気象庁の… http://www.jma.go.jp/jp/quake/quake_singendo_index.html
━━━━━━━━━━━━━━━100日間━━━━━━━━━━━━━━ 平成23年06月19日04時13分 19日04時10分頃 福島県沖 M4.3 震度3 平成23年06月18日20時35分 18日20時31分頃 福島県沖 M5.9 震度4 平成23年06月18日18時16分 18日18時12分頃 福島県沖 M4.0 震度3 平成23年06月18日13時42分 18日13時39分頃 福島県浜通り M4.4 震度4 平成23年06月18日13時37分 18日13時33分頃 茨城県北部 M3.9 震度3 (平成23年06月18日04時52分 18日04時48分頃 岐阜県飛騨地方 M3.8 震度3) (平成23年06月16日23時35分 16日23時32分頃 島根県東部 M4.0 震度3) 平成23年06月16日15時57分 16日15時53分頃 茨城県北部 M4.3 震度3 平成23年06月16日01時00分 16日00時56分頃 茨城県北部 M4.1 震度3 平成23年06月15日00時01分 14日23時56分頃 岩手県沖 M5.3 震度3 平成23年06月14日22時12分 14日22時07分頃 三陸沖 M5.9 震度3 平成23年06月14日21時53分 14日21時49分頃 釧路沖 M5.0 震度4 (平成23年06月13日05時52分 13日05時48分頃 奄美大島近海 M4.6 震度3) 平成23年06月13日05時26分 13日05時22分頃 宮城県沖 M4.2 震度3 平成23年06月12日17時13分 12日17時09分頃 茨城県沖 M4.7 震度3 平成23年06月12日09時42分 12日09時37分頃 千葉県東方沖 M4.5 震度3 平成23年06月12日05時12分 12日05時09分頃 福島県沖 M4.6 震度4 平成23年06月11日07時39分 11日07時36分頃 宮城県沖 M5.0 震度3 平成23年06月10日22時44分 10日22時39分頃 宮城県沖 M4.4 震度3 平成23年06月10日17時22分 10日17時18分頃 茨城県沖 M4.4 震度3 平成23年06月10日03時20分 10日03時16分頃 岩手県沖 M4.6 震度3 平成23年06月10日03時20分 10日03時16分頃 岩手県沖 M4.6 震度3 平成23年06月09日19時43分 9日19時38分頃 茨城県沖 M5.7 震度4 ━━━━━━━━━━━━━━━90日間━━━━━━━━━━━━━━ 平成23年06月09日13時50分 9日13時47分頃 秋田県内陸南部 M3.4 震度3 平成23年06月09日13時37分 9日13時33分頃 富山県西部 M4.1 震度3 平成23年06月09日07時15分 9日07時11分頃 岩手県沖 M5.1 震度4 平成23年06月07日05時14分 7日05時10分頃 福島県沖 M4.5 震度3 成23年06月07日05時14分 7日05時10分頃 福島県沖 M4.5 震度3 平成23年06月06日19時28分 6日19時24分頃 岐阜県飛騨地方 M3.9 震度3 平成23年06月05日20時20分 5日20時16分頃 福島県浜通り M4.4 震度3 平成23年06月04日12時40分 4日12時37分頃 宮城県沖 M4.5 震度3 平成23年06月04日12時36分 4日12時33分頃 秋田県内陸北部 M4.3 震度3 平成23年06月04日04時00分 4日03時56分頃 新潟県中越地方 M3.4 震度3 平成23年06月04日02時01分 4日01時57分頃 島根県東部 M5.1 震度4 平成23年06月04日01時04分 4日01時00分頃 福島県沖 M5.6 震度5弱 平成23年06月03日15時46分 3日15時42分頃 宮城県中部 M3.2 震度3 平成23年06月03日10時37分 3日10時33分頃 茨城県南部 M4.5 震度3 平成23年06月03日09時10分 3日09時05分頃 福島県沖 M5.9 震度3 平成23年06月02日23時45分 2日23時41分頃 福島県中通り M3.9 震度3 平成23年06月02日17時46分 2日17時42分頃 新潟県中越地方 M2.6 震度3 平成23年06月02日16時06分 2日16時01分頃 新潟県中越地方 M3.5 震度4 平成23年06月02日12時56分 2日12時51分頃 新潟県中越地方 M4.2 震度4 平成23年06月02日11時40分 2日11時36分頃 新潟県中越地方 M2.9 震度3 平成23年06月02日11時37分 2日11時33分頃 新潟県中越地方 M4.7 震度5強 平成23年06月01日17時22分 1日17時18分頃 千葉県東方沖 M4.5 震度3 平成23年06月01日08時24分 1日08時20分頃 茨城県北部 M4.0 震度3 平成23年06月01日06時27分 1日06時23分頃 福島県浜通り M3.5 震度3 平成23年05月31日21時32分 31日21時28分頃 岩手県沖 M5.2 震度4 平成23年05月31日04時41分 31日04時36分頃 茨城県沖 M5.0 震度3 ━━━━━━━━━━━━━━━80日間━━━━━━━━━━━━━━ (平成23年03月11日14時53分 11日14時46分頃 三陸沖 M7.9(M9.0) 震度7)