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2023-07-20

anond:20230719231011

広島厳島行ったけど良かったな

いかにも観光名所だが、潮の満干で鳥居の方まで歩けたりしてよかった

夕方観光客が抜けてきたあたり、日没前後ぐらいが最高だった

宮島側のフェリー乗り場近くにちょうどいいゲストハウスあったんだが潰れちった……

他は尾道とか

瀬戸内らへんのあの海と島々が続いている感じはいいよな

はらし亭っていうゲストハウスがあり優勝

道後温泉なんかもよかったな

温泉周辺がかなり栄えてて活気があるのが良かった

松山城とか迎賓館も見れるし、路面電車も風情があり良い

この時は道後ふふってところに止まったんだが、一人で泊まるには実に良い宿だった

座敷牢みたいな部屋なんだがマットレスとか良く、今治タオル使い放題だし色々あってよかった

あとは九州勢とか札幌とか

長崎はかなり良かったんだが選んだゲストハウスが最悪だったんだよな

まぁ安宿の選択肢はあるだろう

別府もいいぞ

ただ嫁さんと行ったので一人振る舞いはわからん

福岡

地下街雰囲気マジで好きで良い

札幌はもういくらでも見る所あるし小樽かにも足を伸ばせる

すすきのカプホで2日くらい滞在したが、若干ボロいがでかい風呂入り放題だし、カプセル下段のオッさんのいびきがうるさかった以外は最高だった

暖まった体を北海道氷点下外気で冷ませるのは実に良い

色々あるな

きりないからこの辺にしとく

一人旅はいいぞ!

2023-02-08

さまざまな桶狭間

桶狭間の戦い

桶狭間度:★★★★★

海道一の弓取りと謳われた今川義元大軍を、小勢の織田信長が打ち破った戦い。「桶狭間は谷だった」「いや山だった」「奇襲だった」「いや正面攻撃だった」など、その実態については今なお盛んに議論される。また、勝利した織田信長がこれをきっかけに勢力を拡大し、のちには天下人となっていったこから、「小大名が敵の大軍を破り、その後の飛躍に繋げた戦い」のことを「〇〇の桶狭間」と言うようになった。

奥州桶狭間人取橋の戦い

桶狭間度:★☆☆☆☆

父親を殺された伊達政宗が、その弔い合戦として畠山氏の二本松城を攻めたところ、相手方の救援として駆けつけた佐竹氏・蘆名氏などの連合軍と戦いになった。兵力差四倍以上の相手に正面決戦を強いられることとなった伊達方はほぼ敗勢だったが、勝利目前の佐竹軍が急に撤退したため尻すぼみに合戦終結した。壊滅必至だった伊達軍がそれを免れたという点では「勝ちに等しい引き分け」と見ることもできる。その後、巻き返した伊達政宗二本松城を落とし、蘆名氏を滅ぼして南奥州覇を唱えることとなる。

関東桶狭間河越夜戦

桶狭間度:★★★★☆

泥沼の争いを繰り広げていた古河公方山内上杉・扇谷上杉らの関東勢が、勢力を急伸させた北条氏を恐れて連合し、北条方の要所・河越城大軍で包囲した。それに呼応した今川義元も西から挙兵して挟撃の形となり、家督を継いだばかりの北条氏康は早くも絶体絶命の危機を迎えた。しかし手早く今川と和睦した氏康は、大軍に驕った連合軍に夜襲を仕掛けて撃破した。この戦いで古河公方山内上杉・扇谷上はいずれも滅亡・没落し、関東北条氏を中心として動くようになった。

甲斐桶狭間飯田河原の戦い

桶狭間度:★★☆☆☆

甲斐に侵攻した今川大軍を、武田信玄の父・武田信虎が迎え撃った戦い。荒川沿いの飯田河原戦場に選んだ信虎は、数で上回る今川軍を地の利を活かして撃退、ひと月後に上条河原で再戦したがそれも打ち破り、敵の大将を討ち取った。一連の戦いにより武威を示した武田信虎は、敵対していた穴山氏などを服属させ、甲斐統一を成し遂げた。

近江桶狭間野良田の戦い

桶狭間度:★★☆☆☆

北近江浅井氏は、越前朝倉氏と南近江六角氏という大勢力に挟まれ、当時は六角氏に従属する立場だった。父親隠居させて浅井家の若き当主となった浅井長政は、すぐさま六角からの離反を表明した。それに対し、六角氏は当主六角承禎自らが大軍を率いて攻め寄せたが、浅井長政は半数以下の兵力で迎え撃って勝利した。弱い立場だった浅井氏はこの勝利により戦国大名としての地位を固め、敗れた六角氏はお家騒動などもあり衰退していくことになる。

備前桶狭間」明善寺合戦

桶狭間度:★☆☆☆☆

備前大名浦上氏の家臣として頭角を現しつつあった宇喜多直家は、毛利氏従属しながら備前進出しようとした備中三村氏の当主三村家親を、日本史上初となる火縄銃狙撃により暗殺した。怒れる三村氏は、弔い合戦とばかりに宇喜多方の明善寺城を攻め取ったが、宇喜多直家は素早く奪回し、逆にその救援にやってきた三村氏の大軍を待ち構えて打ち破った。この戦いにより影響力を増した宇喜多直家は、のちに主君反旗を翻し、戦国大名として独立することになる。

西国桶狭間有田中井手の戦い

桶狭間度:★★★☆☆

かの毛利元就の初陣。源氏の名門・武田氏一族で猛将と謳われた武田元繁と、味方の城の救援に向かった毛利吉川連合軍の戦い。寡兵連合軍は劣勢を強いられたが、初戦で運良く敵方武将を討ち取り、それに激怒して自ら前線へ打って出た武田元繁をも討ち死にさせた。この戦いにより、大内氏から独立して勢力を拡大していた武田氏は一転して衰退し、代わって毛利元就歴史の表舞台に躍り出ることとなった。

「海の桶狭間厳島の戦い

桶狭間度:★★★★☆

毛利元就の戦いとしてはこちらのほうが有名だろう。主君大内義隆に謀反し、大内家内を牛耳った陶晴賢だったが、その隙に離反した毛利元就によって安芸を奪われてしまう。大軍を率いる陶晴賢要衝厳島拠点安芸奪回を狙うが、毛利元就は嵐に乗じた奇襲でそれを打ち破り、陶晴賢自害に追い込んだ。この勝利により、毛利元就は逆に大内氏を滅ぼしてその領土併呑し、中国地方覇者となっていくのである

肥前桶狭間今山の戦い

桶狭間度:★★★☆☆

肥前勢力を拡大していた龍造寺隆信に対し、脅威を覚えた北九州覇者大友宗麟大軍を率いて侵攻、数ヶ月に渡って佐賀城を包囲した。援軍の見込みもないなかで龍造寺軍はよく持ちこたえたものの、ついに大友宗麟は弟の大友親貞に総攻撃を命じる。大友親貞は総攻撃前夜に士気を高めるため酒宴を開いたが、それを見た龍造寺家臣の鍋島直茂わずかな手勢を率いて夜襲を仕掛けた。油断していた大友軍は総崩れとなり、大友親貞も討ち取られてしまった。その後、和睦に持ちこんだ龍造寺隆信は、大友氏に従属しながら勢力を拡大し、のちに九州三強の一角に名を連ねることになる。

九州桶狭間木崎原の戦い

桶狭間度:★★★★☆

島津当主島津貴久が亡くなった直後、その隙を突いて隣国伊東氏島津領に侵攻した。伊東方が数千の軍であったのに対し、島津軍勢はその十分の一ほどしかなかったという。だがそれを率いていたのは名将・島津義弘だった。島津軍の頑強な抵抗により、伊東はいったん退却して陣を立て直すことになった。しかし、島津義弘から指示を受けていた農民たちが太鼓を鳴らして伏兵を装うと、伊東軍は慌てて陣から飛び出し、そこで待ち伏せていた島津軍に四方から攻められて壊滅、総大将も討ち取られてしまった。窮地を脱した島津氏は、島津兄弟のもと勢力を拡大し、九州を制覇していくのである

2021-06-23

マ●コ・デラックス日記


六月十六日(水)

コロナ禍で遠出をしていないせいか、何年も前の旅行きっかけもなく思い出す。たとえば友人と厳島旅行したとき土産物屋に「マ●コおすすめ」と書いてあったのだが、それを指さして友人が「一瞬ぎょっとしたわ」と口にした。自分は「西日本だとオ●コになるんじゃないか」と指摘したが、友人にはスルーされた。「九州だとボ●」だよな、と続けたら「お前いい加減にしろ」と𠮟られた。言い出しっぺは友人なのに納得できない。

なお、厳島の鹿は落とし物のパンフレットも食い散らかすほど貪欲である

六月十七日(木)

そういえば、同じ旅で広島原爆資料館を訪れたのだが、「これだけ戦略上有利な兵器を捨てるのって無理じゃないか?」といつになく深刻な雰囲気になった。するとタクシー運転手さんがそれを察したのか、ゲイバーを訪れた時の話をしてくれた。営業時間が終わると中から化粧を落とした屈強な男性が出てきたので、「昼は何をしているのか」と尋ねたところ、「肉体労働をしている」との返事だったそうだ。

適度な生活感がある話であり、多くの死を前にしたあとに何となく救われた思いがした。自分たちは今のところは生きているのである

六月十八日(金)

三大欲求生活感をもたらす際たるものなのだけれど、それが思いがけない人の口から出ると幾分ぎょっとする。学生時代から十年以上前になるか、京都哲学の道沿いにある枯れ山水のきれいな寺を訪れたとき、入場券売り場の男性言葉を交わした。そこでどんな文脈だったか忘れたが、彼が「六年生にもなると覚えちゃうでしょ、オナニーとか」と放言したのである

この日記を見ればわかるように、自分は卑俗卑猥ものは嫌いではないが、さすがにこの時は面食らってしまった。一応宗教施設であるのに、いったいどういう経緯でこういうタイプおっちゃんが寺の受付に選ばれたのか、まったくの謎である

六月十九日(土)

寺といえば、近頃は有給休暇を取ってひっそりと鎌倉を訪ねている。今年は生きてきて一番たくさんアジサイを眺めた年になりそうだ。鎌倉観光地化が著しいが、それでも土日は混雑緩和のために敷地を非公開にしたり、一眼レフカメラ禁止したり、庭園鑑賞の前にまずは本堂で参拝することを命じていたりと、それにあらがう流れもあるようである

この日は歩いていたら新しい喫茶店を見つけたので休憩。旅先ではしばしば牡蠣ソフトクリームだとか醤油ソフトクリームだとか普段食べないものを頼むし、前述の友人は旅先では一日に三杯から四杯のアイスを平らげていたが、今日はそういう気分ではない。

変わりものといえば、別の友人から下北沢納豆クレープを食わされた。味はまあまあ。少なくとも名古屋喫茶マウンテンよりはうまかった。

六月二十日(日)

食の話ついでに書く。この日に久し振りに高級な肉を食べたが、以前よりも脂肪タンパク質を口にしたときの喜びが減衰している。確かに良い肉であって摂取しても不快にならないタイプ脂肪なのだが、それよりも山盛りの野菜と豆が食いたいのだ。お前は当分肉を食うことはまかりならんと言われても、さほど傷つかないだろう。魚だってある。

野菜で思い出したが、最初非常事態宣言以来、ひいきにしていた店のランチサラダビュッフェがなくなってしまった。しかも、経営難ランチを二度も百円値上げした。しばらく足を運んでいない。

六月二十一日(月)

近頃は新しいランチ開拓するのが難しい。コロナ禍で店が閉まっているからだ。そんな中、新しく見つけた蕎麦屋天丼に乗ったエビの食感が良かったのだが、店員女性からおつりの小銭を受け取るときに指が妙な具合に絡まってしまい、ばつの悪い思いをした。もう一度行くことをためらう。

ところで、渋谷駅構内を歩いていたら、短パンブラトップ女性とすれ違った。先週はへそ出しファッション女性自分の目の前に座っていた。確かにこう暑くては脱がないとやってられないが、食道楽自分としては見せられる腹がうらやましい。

2020-08-12

とうらぶてんごに対するお気持ち表明

とうらぶとは刀剣乱舞の略であり、この度五周年を迎えて半年ほどたったソシャゲ系列ではそこそこ長生きしているジャンルである

長生きできるソシャゲだ、さぞかしゲームも素晴らしいのだろう。といえば全然そんなことはない。クソゲーだ。クソゲー以外の何者でもない。

レア度があれどレベリングすれば低レベでも十分戦えるしまず戦うというかほぼ全てオートだ。画面ぽちぽちゲー。

イベントも五年前に実装されたイベントから増えたものはほぼない。強いて言うならノルマが上がった。くっっっっそだるいだけだ。特命調査という新イベもできたが賽子振って進んで敵を倒すだけで今までと大きく変わったことは一切ない。

まり、五年やってるのにゲーム進化はない。

では何故五年もサ終せずにあるのか?

一重にメディアミックスが大量にあるからだ。

刀剣という性質上、現存していれば刀を展示すればコラボを作れる。アニメは二作品ミュージカル舞台はそれぞれ大々的に行われている。映画化もされた。

分かりやすく言っちゃえばてんご系列覇権持ってる。

紅白厳島神社日本博も東京ドームの大演練も全部てんごである

私はてんごが苦手だ。

映画で初めててんごに触れ、ステに足を踏み入れた。

ステはどうにか見てたが今回のステは関東住みでもないので諦めたらなんだかどうでもよくなった。

ミュはミュージカルという音楽要素が苦手なので一挙配信で一通り見た以上には見ていない。内容もうろ覚えである

けれど、本丸に帰れば私の推したちが本丸にいるし気にしていなかった。ステミュ両方とある本丸の話でうちの本丸関係ない。

そう思っていたところにユーミンOPである

私の課金はてんごのコネを使うために行ったものじゃない。新ボイスやゲーム性向上、新規イラストなどそういうものに求めたのであって上層部おぢさんの自己満ユーミンのために課金したんじゃない。

こういうのに埋め込むと怒られそうなので問題あったら消すので叫んでほしいんだけど、私の思いはここにある(私のツイートではない)。

https://twitter.com/bunbun9922s/status/1293154129477435393?s=21

そしてそれについてた反論がコレだ。

https://twitter.com/abetachibana/status/1293181893265915907?s=21

まあこの人がいう内容は私には一切受け付けられないので考えるべきではないのかもしれないが、この方のリプを見ていくと

ノットフォーミーでも愚痴友達LINEして、運営ワッショイワッショイ神輿を担いどけば巡り巡って配当が返ってくるよお

今までもステが嫌、ミュは嫌い、地上波歌番組なんて恥ずかしい、何で歌舞伎?、講談意味わかんね、沢山ネガティブは見てきたけど、結局客層の裾野運営の人脈が広ければ広がる程、良いことに返ってくる。そのおかげが厳島小田原城JAPAN EXPO紅白日本博が叶い、最たる物が大演練だと思うよ。

という文言が出てくる。

違う、私が言いたいのはてんごじゃなくてゲーム還元してくれってことなんだ。

日本博なんてよく知らない人間からしたら伝統舞踊観るつもりで見たらなんか若い男の子がなんかしてるなあってだけだし、それまで喜ばなきゃいけないのか?

事前登録からずっととうらぶをしている。結局五周年記念の日よりもずっと大袈裟に祝われてる大演練を見てあまりにも虚無を感じる。

てんごを許容できない人間はもう顧客じゃないのだろうか。てんごを見ているのはしんどい関東でも関西でもない地域に住んでいれば現地に行くのも難しい、そもそも原作にもない話を見せられるなら原作を知りたい。原作ゲームが一切変わらないまま外ばっかり進化していく。

私は刀剣乱舞というゲームが好きだったのに。

最近の新刀剣男士だって、言い方はひどいがアレはパクリで怒られないのか?色々思うところがありすぎる。

それと最近コラボのための実装が多すぎるよなと思う。去年の北谷からだよね、多分。

桑名松井山鳥毛で時期的な問題もあってちがねくんは違ったけど日光はそうだよね。

長谷部日光福岡で展示されるらしいし。

コラボ許可しない博物館系の実装も望めない、非現存もっと無理、キャラデザはどんどんひどくなっていく。

とうらぶが新しいところに行くならいっそ、サ終して原作存在をなくしてから羽ばたいていってくれ。

私はもうそれには興味を持てないしメディアミックスありきの原作置き去り状態に耐えられない。

課金してそれが全部お外に行くのに課金する意味って何だろう。

大演練で2億くらい儲かったって見たよ。もうゲーム、いらないのでは?

ちょっとした追記

てんご=2.5次元舞台の略として使用。私の周りは普通に使ってるのでてっきり常用されてるのかと思っておりました。あまり聞き慣れない言葉だったんですね。

あと艦これとうらぶpocketに移行するまではやってました。最近は触ってなかったけど帰ってみようかな…。

2019-07-12

anond:20190712111907

あ〜っ厳島テキ屋が売ってた焼きがき最高だった!!!もみじ饅頭食べたい!

2014-09-27

最強の戦国武将は誰?

最強の戦国武将は誰?(教えて!ウォッチャー) - goo ニュース

戦略的にではなく戦術的な最強であることを念頭に置く。

真田幸村

上杉謙信武田信玄はその実力を証明する大舞台にとうとう立てなかった。歴史に「たられば」はない。「もし謙信関ヶ原の戦いに参加していたら」「信玄大坂の陣で戦っていれば」そういった仮定は無意味だ。最強の力を持っていたのだとしても、発揮する機会がなければ、それは無いのと同じなのだ

それでは誰がその機会に恵まれたのか。やはり真田幸村をおいて他にないだろう。長きに渡る戦国時代の、最後にして最大の晴れ舞台において、最も活躍したのが幸村なのである。その一事はそれだけで彼を「最強」せしめるものであると考える。

大坂の陣においては毛利勝永を推す声もある。端的に言って幸村を疎むオタク逆張りしかないと思う。勝永の奮闘を否定するわけではないが活躍の度合いではやはり幸村が上だ。有名な「真田を云いて毛利を云わず」も幸村が一、勝永が二である前提での言であるし。

大坂の陣と並ぶ大舞台である関ヶ原の合戦において名声を高めたのは島津義弘であるが、こちらは敵中突破と言っても本陣を突くとみせかけて脇へ逃げたようなものであるし、大勢が決したあとで東軍も本気では追わなかったということもあるので、いくらか劣るように思われる。

真田信繁」という呼称に妙にこだわる連中がいるが、通りの良い「幸村」で何ら問題ないだろう。

以上により「最強の戦国武将」には真田幸村を推す。

以下、二位と三位を挙げる。

島津家久

先に島津義弘名前を出したが、島津ではやはり家久が群を抜いている。耳川・沖田畷・戸次川の三戦での活躍(耳川では総大将ではなかったが)は、河越・厳島桶狭間の三大合戦を一人でこなしたに等しい、と言っても過言ではない。結果的九州内に留まる活躍に終わったため次点とするが、一部隊を率いての戦いでは最強であったのだろう。

毛利元就

大内尼子といった大大名との戦いに明け暮れながらも自らが兵を率いれば不敗という戦勝率、小領主から身を興して中国地方を丸ごと次代に遺した領土拡張率は凄まじい。総合力での評価で言えば秀吉と並んで間違いなく最強の一角である。ただ、元就の強さはやはり戦術面にとどまらぬ謀略や政治的な部分が大きいわけであり、「戦術的な最強」という趣旨にはそぐわないために三位とする。

 
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