さて次の企画は
http://d.hatena.ne.jp/otokinoki/
とはいえ今更そんなことを恥と感じる面の皮じゃあるまいしなあ。
他人より優位に立とうとしているだけで自分の言葉は薄っぺらな人だったので、
清々したの半分、ウォッチ先がなくなってさびしいのが半分。
何事もなかったようにしれっと復帰してこそ厚顔無恥の乙木流って気もするが。
法律の改正によって、建築基準を満たさなくなった建造物を既存不適格と言うそうです。
建築の高さ制限や建築容積も同様に既存不適格を含む建造物が問題となっています。
そして、この既存不適格を逆手にとる計画もでてきました。
将来、都市計画によって、収用されるであろう計画地を含んだ土地に、
売ってしまえば、その計画地が収用されても関係がない、利益さえ出ればいいのだ、
しかししかし、こんな悪事が分かっていても、現行法ではすりぬけてしまう
代表的な計画を紹介します。ただし、これはマスコミには内緒です。面白く取り上げられてしまうので。
「丸紅」「グランスイート」「既存不適格」などで検索してみて下さい。
なにやら、この総合商社は中古マンション価格の騰落率ランキングで1位となったそうですが・・・。
それもそのはずです。
転売されるときはその大事な情報がしばしば隠されてしまうから、
価格が上昇するのも仕方がないのでしょう。
周辺住民がどのように考えればよいのか?
とても難しい問題です。
大規模補修や立て替えの時期に、いずれは顕在化して、その時に慌ることになるのでしょう。
大学時代、とある講義で使ったテキストに『精神疾患の要因には、遺伝的要因と環境的要因の2種類がある』と書かれていた。
教授は眉間に深く皺を刻み、苛立ちの隠せないざらついた声で、室内の学生に命じた。
「これは間違いだから、遺伝的要因の部分を黒く塗りつぶせ」と。
随分と古い文献を参照しているのだなと、教授は憤っていた。
4年前、兄は統合失調症を発症した。元々、ストレスを感じやすい人だった。
こういう病院に行くことになったから、と母から資料が手渡された。精神病院のパンフレットだった。
父は4人兄妹で、そのうち3人が自律神経失調症を患っていたことを、その時に知った。
叔父の息子(つまり従弟)が長い間入院しているのは、兄と同じ病気に罹患しているからという事実も、同時に。
笑いたくなった。父から子へと、遺伝しているじゃないか。テキストの記述が正しかったんじゃないか。
腹を抱えて笑いたくなった。偽善者め。あの講義をした教授に後ろから飛び膝蹴りを喰らわせたかった。
出来なかったので、代わりにテキストを開き、塗りつぶした箇所の上に修正テープを貼り、それから「遺伝的要因」と書き直した。
兄は、そして私も、もう結婚してもいいような年頃だ。両親にはそろそろ孫の顔が見たいと言われている。
しかし、少なくとも私は、結婚する気はない。万が一結婚することになっても、子どもを産むつもりは毛頭ない。
少し前、胎内にいる子どもに障害があることが発覚したら、産むか産まないかという討論があった。
普通の人にとって、何らかの障害を持つ子どもを授かる確率は、1000分の1とか10000分の1とかの、比較的低い確率である。
しかし、私自身の場合はどうだろう。普通の人よりは、高い確率であるだろうと思う。
障害は個性のひとつ。素敵な言葉だと思う。これが常識となった世の中は、お花畑のような素晴らしさなのだろう。
兄のことを馬鹿にするわけではないが、障害は、重い。妹である私がそう思うのだから、親として兄を背負う父母の負担は大きいはずだ。
そして、自分の子どもがそうなってしまったとき、私には耐え切れる自信はない。
兄はこれからどうなるのだろうか。障害をなるだけ軽くし、自立しようと、兄は努力を重ねている。
しかし、時折、ぎらぎらとした危うい光を宿し、家族を睨みつける兄を見ると、それは無理なことではないだろうか、という思いが湧いてくる。
父母が死んだとき、兄を背負うのは恐らく、私の役目になるのだろう。
その時に結婚していようといなかろうと、一生、兄を支えていくことになるのだろう。
それが嫌ならば逃げ出せばいい。選択肢のひとつとして、それを思いつくものの、そんな非情なことは出来ないと、すぐに打ち消す私は、家族の絆という名前の鎖に縛られている。
父は私に言う。「お前は元気で良かったな」と。
人よりも感情の起伏が激しくて、落ち込みやすいという自覚はある。
メチャクチャ興奮させるのが好き。
恥ずかしそうな顔や声だしながらも、どうして良いか分からない感じで悶えているのが好き。
処女とのセックスが好きというよりは、経験がない子を興奮させて、初めて男の前で喘いでいるという
状況に興奮する。
母は50代のおばあちゃんだから、それから生まれついて頭が不自由なので、行かないとわからないんだ。
イランがコバルトの産地だということも知ることがなかったし、トルコ石が実際はイランで採掘されてることも知らなかった。
元代に白磁に青の染付が流行ったのがシルクロード経由でコバルトが中国に運ばれたからということも知らなかった。
トルコよりイランのモスクを見比べて、イランのほうが精巧で綺麗だったという感想に至ってはじめて、疑問がわいたり、教科書が理解できる。
例えば故宮博物館、国民党が国共内戦で敗北が確定したあと、清朝が所有していた文化財を可能な限り貴重な物から持ち出して台湾に持ち込んでいる。
一部といえどもその数は膨大で、季節ごとに展示品を総入れ替えしても、倉庫には未公開品が埋もれているという話。
シナに残った圧倒的多数の文化財は「O革」の熱狂的革命行為()で歴史を抹消しているので、シナの博物館よりも台湾に行く方が文化財を見れるという。
また、日本統治時代に開発された温泉は当時の日本の名湯100選に選ばれるほど温泉の質が良く、現在でも温泉街が大都市近郊に存在している。(清潔さや温泉の運営は日本が最も優れているが)
料理は、台湾で口に合わないなら、他の極東アジアの国は全滅と言っていいほど料理は揃っている、ここで色々食べてみて、合わないならアジアの都市に旅行に行くのは辞めた方がいいレベル。
また東岸一帯は土着の少数民族が代々生活していた土地であり、明らかに中華文明とは異質の生活や文化を見ることが出来る、景勝地なので自然を見るのもいいし、
珍しい昆虫が多く生息するので昆虫博物館も多い。発展は西岸よりかなり遅れており、昭和時代の様なのんびりした質素な街が点在する。
まあ、待ち行く人が簡単な日本語を話せる国なので、外国に来ているという感覚は薄いかもしれない。でも日本と違い確実にアジアの国だよ。
名前は色々な読み方があるが、基本的に日本人は熟語を読む際「音読み・音読み」「訓読み・訓読み」の2種類で理解して読んでいる
特殊な当て字や、音・訓を混ぜた発音でも読める漢字は存在するが、初見で不特定他者が理解出来る読み方の構成は2種類なのである。
ではその基本から逸脱した読み方を与えられた名前(=DQNネーム)はどうなるのだろうか?
以前「悪魔」という名前で申請し、役所から却下された事件は余りにも有名だが、この事件で取り上げられた「悪魔」はまだ名前として有効だと思われる。
道義上は問題ありまくりだが、誰でも読める。「貴方は悪魔さんですね?」といえば、誰が悪魔と呼ばれる人間か判別できる。
読めない名前はどうなるのだろうか?名前は世界に溢れる人間の中から個人を判別する為の大事な記号である、
その記号自体に意味を持たせようとしても無意味なのである、記号に人格や個性は宿らない。
家族と本人しか分からない、誰も読めない名前を与えられた人間はどうなるのだろうか、当たり前の話だが初対面の人は何と呼べばいいのか困惑する。
名前を呼ばれる場面だと、読めないので読み方を説明する事になる、人間から個人を判別する為に作られた記号の意味が無い。
名前を呼ばれないと、誰が誰を呼んでいるかも分からない、誰も理解できない記号に何の存在価値があるのか?存在価値を持たせる為に本人が余計な手間を他人に押し付けるのか?
素朴な名前でも、誰もがその人を特定できる中身のある人間にさせるという親の意思がそこには存在していないのである。
誰も読めない名前を与えられた子供はその後の人生を自分の名前を認知させる為に必要も無い奔走をする事になる、個人同士のコミュニケーションをとる前に。
でも辞めることは出来ない、自分の名前の読みを知らない人間しか居なくなると、大雑把にその人は苗字で区別される、そうなると同姓の人間と区別が付かない。
横ですが、知識や教養のないうちの母は50過ぎてから海外旅行に行くようになり、父と自分の会話に入ってこれるようになった。
母は父と自分の会話を聞いて、自分の高校時代の教科書と参考書を頭から読み始めた。
何度読んでも忘れるらしく、読んではまた戻り、読んではまた戻りで最初の1/3くらいしか読めてないようだ。
おびただしい書き込みがなされてた。
最後数秒から数十秒単位で、終了前に動画が見れなくなってしまう。
極端に言うと「視野が狭い」。人によるんだろうけど。
ではないので、変に偏っていたり、
日本で流行っている韓国料理と、韓国で食べる韓国料理って違うでしょ?
その「違い」かな。うまく説明できなくてごめんなさい。
煽りじゃなく純粋に、増田でのたったこれだけのやりとりで人を「視野が狭い」とか決めつけちゃう君の方が視野狭すぎとしか思えないんだけど、その辺どうっすか。
ちなみにhttp://anond.hatelabo.jp/20111213210601は別人(元増田ではない)。
自分は東南アジアが大好きなので、今まで何度か(も?)行ったけど
仏教の建造物やら遺跡やら見に行ったり、現地のスーパーやコンビニで買い物したり、
屋台でご飯食べたり、で、飽きない。
死にたい。
今の年齢で転職っていっても先ないのか、転職エージェント頼んだけど書類選考通らない。
震災のせいでやりたい仕事やるんだって転職したい人多いんだってさ。
底辺の職か。底辺の職はそれはそれで大変なんだろうけど、体力的に。
死にてーけど、勇気がない。
最初に何するべき?
親に申し訳ない。
結婚してなくてよかった。
独りならいざとなったら、首くくれる。
そこまで覚悟できてないけど。
家も買ってなければ嫁も居ない。
http://anond.hatelabo.jp/20111213210111
極端に言うと「視野が狭い」。人によるんだろうけど。
ではないので、変に偏っていたり、
日本で流行っている韓国料理と、韓国で食べる韓国料理って違うでしょ?
その「違い」かな。うまく説明できなくてごめんなさい。
http://anond.hatelabo.jp/20111213210601
そんな自分も韓国も台湾も行ったことがないし行きたいと思わないのでなんとも。
なんだか「でもでもだって」だね。
海外行く気ないんじゃないの?海外行ったこともないし行く時間もないけど、
それでも困らないよね?っていうのに同意する意見が欲しかったのかな。
自分は東南アジアが大好きなので、今まで何度か(も?)行ったけど
仏教の建造物やら遺跡やら見に行ったり、現地のスーパーやコンビニで買い物したり、
屋台でご飯食べたり、で、飽きない。
教科書に載っていない、テレビで見たことのないことに出会うこともある。
体験/経験することと、見聞きすることって違うでしょー、やっぱり。
そんなにまでしてみたいものってあるの?
うーん、「違う」ってのは何がどう違うんでしょう。
NHKとかのテレビを始め、新聞やラジオとか雑誌や書籍ぐらいにならでたことがある。別に何かをするわけでもなくそこにニュース性があれば取材っていうのは来てしまうものだ。でも取材される側にメリットがあるということはあまり無い。
新聞に自分の写真がのった切り抜きを爺ちゃんにあげると喜んでもらえるぐらいだ。NHKとかに出ると地方の久しい人から電話がきたりする。3分でれば1~2本。
売りたいパッケージやサービスがあって、メディアに登場するのであれば効果はあるのかもしれないが、業界紙で一面に乗って朝一から十件だとかそんなもの。それを多いととるか少ないととるかは人それぞれ。四大新聞だかの一面に自分の固有名詞がでるぐらいの経験はあるが、そんなものがきっかけでうまく回る商売なんてものはない。メディア掲載は結果のひとつの形でしかないから載るために努力なんかすんな。
メディアはそれを見聞きする人は多いので、もともとの知り合いが、こないだ見たよ!ぐらいの話題にはなる。
少し考えてみて欲しい。知り合いがメディアに乗っているのに気がついたことは? いままでで新聞などの記事をみて具体的に問い合わせたことがある? この一年ではどれくらい? 一日に何人の名前が新聞に乗っているのかを考えると、よほど繰り返しでないと人々の記憶にも残ることなんてないよね。そして喩え数万人の目にふれていようが、そういうところを辿ってまで調べるモチベーションがあるのはこちらを食い物にしたい営業だけなんだ。あ、そういう意味では抜群に効果はあるよ。営業電話ががんがんかかってくるの。先物だとかそういう金融商品会社からだけどね!
メディアに露出することで高まる信用もあるよね。でも、それで与信がついて金が借りられるわけでもなし、そういう信用があなたのビジネスにとって必要?
効果があるなと思うのは書籍。これは比較的重要。アーカイブ性があるので、それについて調べようと動機を持ったひとが調べるのでお客さんにもなるし長く効果がある。また、雑誌なども、大手は基礎情報や写真を関連で使いまわすので最初にきちんとした取材対応が必要。
他?
むしろ、乗らないほうがいいんじゃない? だからメディアジャーナリスト対策は考えておく必要がある。
1つ、ジャーナリストのことを知ること。
理論(笑)?非倫理的な人達もいるので数字のチェックどころか、名前のチェックすらしてこないことがある。記者会見とかで対応してしまうと、いろいろなところが同時に記事を書くのでコントロールできない。Web記事などで名前が間違っていることを申し出ても治らねぇんだ。他がほとんどコピペなのに唯一文脈を変えるだけに手打ちしたっぽいところが間違っているってどいうことだよと思う。どこでだれに取材したらそんな情報がでてくるんだ?と不思議でならない記事になってしまうことが日常ちゃめし。お茶漬けでも食いながら書いのかと・・・・・・。
雑誌社の記事の場合は掲載前に校正チェックがある。新聞もテレビも基礎情報の確認はしっかりある。5分の報道のために一時間とか半日取材がある。え? Web? 他のメディアの記事をきっかけにメールや電話で聞いてくるだけなんじゃないの? うっかり名刺なんかわたそうものなら問い合わせ先はこちらと会社の電話番号や個人のメールアドレスが全国公開されてしまうなんてこともあった。基礎情報の確認もしてこないようなメディアは相手にするべきではない。掲載前の記事は公開しないだって? 取材元に情報の確認をすることはありませんという宣言でなくて?
当方側の言ったことの意味を理解せず、全くの逆にしてしまったり、脳内補完や勝手にストーリーをでっちあげ記事を書かれることが嫌だったら、こちらから手取り足取り情報を案内してあげなければならない。プレスリリースをコピペするだけでそれなりの記事になると思うと彼らは記事にしたがる。仕事が楽だからね。
でもね、そこまでしてメディアにとりあげられて何かいいことあるかな?って少し考えなければいけないかもしれない。なぜなら、取材をうけるあなたはすでにスタートアップをしているわけで目立ていいシーンかそうでないシーンかの見極めは重要。自分の手持ちのカードを見せてポーカーに勝つのは結構大変よ? 役満テンパッてるときに目立つバカがどこに居る?アホの子か?アホの子なんだな??
まわりの会社で商品を扱っているところは事前チェックを取材条件にするところもある。取材する側からすると煩わしいのかもしれないけど、会社からすると記事ひとつが致命傷になることもあるので必然。記者がよかれと思って書いたことがネガティブなことだってあるんだ。そういうところがチェックできない会社は滅びる。既存のお客さまに悪影響がでることだってあるんだから。
ベンチャー誌などで特集記事を組まれた社長の2年後の敗退率聞いたら驚くぜ。そういう意味では2年前の記事を拾い読みして、その雑誌などがどちらへの試金石なのか確認してみると面白いかもしれない。たとえば日経ビジネスなんかがやはり凄いなと思うのは例えば初音ミクのリリース前にきちんとページを割いてクリプトンの会社の記事を組んでたりするところなんだよね。単純に取材力と審美眼の差だと思うんだけど、メディア対策がうまくいったから初音ミクができたわけじゃないじゃない?そんなもんだよ。たまに、売れないタレントひっぱってきて、取材費くださいとか、こっちがかね払うのかよ!?的なものまであるし、なんかもうちょっと怖いよね。営業か税務署がやってくるよ!
目立ったら商売の難易度はあがる。弾丸飛び交う最前線に踊りでて武勲をあげられる新兵がいたら相当なもんだよ。おまえさまはデコイなのかい? 嚢中の錐っていってね、目立たないようにしてても目立ってしまうこともあるんだ。生き残りたければ、できるだけ目立つな。身を屈めてできるだけ頭を低くしろ。ここは戦場なんだぜ!