はてなキーワード: 管理下とは
すでに第三次世界大戦は始まっているのだから、今すぐにロシアに対して西側陣営は開戦するべきである。
遅かれ早かれ大きな戦争に突入する可能性があるのだからロシア軍が弱体である今、日本も含めて西側は即時ウクライナからのロシア軍撤退を求めた最後通牒を行いロシアが従わなければ開戦するべきだ。
今、戦争を行うのが最も被害を低く抑えることが出来る可能性があるからだ。
経済制裁と言うが要は開戦していないだけで戦争をしているのと同じだ。
スポーツの場からロシア人を排斥するのは間違いだ、などという意見も的外れで
すでに開戦しているのに敵国の人間を西側のルールに基づいて構築されている世界に招き入れれるわけもない。
当たり前だが核兵器がなければ、とうの昔に多国籍軍が編成されてロシアはウクライナから追い出されて、モスクワを国連の管理下において占領する方法をどうするのか話し合われているところだ。
経済制裁でロシア経済が破綻することにより国民が暴動を起こす、プーチンに対して反乱が起こる、側近グループや大富豪たちがプーチン外しを行う、そういった「こうなればいいのにな」的な曖昧な期待を抱いて開戦の決断を避けている。
国民の窮乏に対する不満は他国への憎悪にすり替えることは容易だ。
どうして我々は困窮しているのか?西側にたくさん悪い奴らいるからだ。やつらをやっつけよう!
そうならないほうが不思議だ。
押さない判断をすることはあるかもしれないが、押せない、わけではない。
だからといって、いま問題を先送りしたところで同じではないか。
結局、核戦争のリスクを伴いながらも西側は彼らと戦わなければならないときがくるのだから。
結果論的にはクリミア侵攻を容認したのがすべての間違いの始まりだった。
あのとき違うメッセージをプーチンに届けていればいまのようなことは起こらなかった。
そして、あと10年先に同じこと言うのか?
核の業火に焼かれゆく一瞬の圧倒的な光の中で思い浮かべるのはそんなことでいいのか?
転職サイトでスカウトが来てさ、自動送信っぽい文章じゃなくてちゃんと俺向けにスカウト文が丁寧に書かれてて条件も悪くなかったから一応応募してみることにしたのよ
履歴書と職務経歴書とGithubアカウントの提出を求められたんだよね
で、履歴書と職務経歴書はともかくとして主に使ってるGithubのアカウントは今勤めている会社の機密情報だし提出は難しいです、って言って
一応個人用アカウントはあるので送るけどGithub管理下に置いている一部の個人開発アプリ(それもプライベートブランチ)くらいしか置いてないし大したことわかりませんよ
代わりといっちゃなんですがポートフォリオで個人開発歴とか教えますよって伝えた上でそっちも教えたの(そもそも求人票にはGithubアカウント提出必須とか書いてなかった)
結果としてはなんと書類選考で落ちたんだけど、
正直俺の経歴があって書類選考で落とされたことって人生初だったから「え?まじで?」ってなった。
学歴とか職務経歴についてはほとんど求人サイトに同じこと書いてたのに「ここで書類選考で落とすか?」「じゃあ何でスカウトした?」って思って
経歴で落とされるならまあ良いとしてこれがGithubアカウントの方が原因で、俺が一応で提出したアカウントが大して活動してない方のものだってのが人事からエンジニアの方まで伝わってなくて
Contribute数とかで機械的に足切りラインみたいなの設けられてたら嫌だなぁって。
これじゃ単に勤めてる会社の運用ルールが緩くて本業のContribute頻度とかが公開されてたりSMBC流出騒動やらかすような奴の方が得するじゃんって。
開発活動っていろんな形があるのにOSS活動してなきゃ落としますよなんてことあるのかいな?ちなメルカリやらLINEほどの企業ではない
いじめが何故起き、そして何故黙認されるのか、それは学校という空間が異常だからだ。
個人的背景も経済的背景も違えば勉学に対する意欲も成長の度合いも違う人間を集めて管理するなどそもそも無理がある。
その無理をどうにかするために行われているのが学校の治外法権化である。
治外法権となれば当然「外の世界」の法律は適用されなくなり、中の都合によって法は定められていく。
多くの教師が考えているのは生徒を管理下に置くことであり、分かりやすいヒエラルキー構造が教室に広がるのは管理するのには都合がいいのだ。
端的に言えば教師にとってはいじめは程度さえ大きくなければ歓迎してもいい状況である。
個人が個人の感情で暴力を奮っても、力関係が強いものがやったのであれば黙認されるべきであるという風潮は、教師が体罰をするにあたっても都合がいい。
クラスのリーダー的な存在が生まれれば、教師が機嫌を取るべきはそのリーダーと取り巻きであり、下位層にいる生徒は卒業までの間に壊れないかだけを注意しておけば良くなる。
社会が教職者に押し付けた無理を、教職者は学校という空間の法とモラルを歪めることで解決しているのだ。
もし、その歪んだ法を正そうとすれば何が起きるか?
「いじめ問題だけを隠蔽することを辞めさせれば良い」なんて簡単に考えているのだろうか?
そんなことを生徒や親が許すはずがない。
生徒が法によって裁かれるなら教師も同じでなければならない。
逆を言えば、生徒が法で裁かれることを免れているという後ろめたさが学校の治外法権化を支えているのである。
鎖はどれか一つの輪が断ち切られれば全体が意味を為さなくなるという話である。
学校とはそもそも教育施設を兼ねた監獄であり、現代の社会が抱える無理難題を無理矢理に押し込めた地獄の釜である。
この状況を生み出しているのは教育の現場であり、そこに子供を預ける両親たちであり、子供というものを無知な獣としか思っていないこの社会全体である。
そもそもをして全く違う背景を40人の人間に対して1人の人間が監視を行って管理するということ自体が容易ではないのだ。
これはなにも相手が子供だからではなく、大人であっても同じだ。
免許の更新、職場における集合教育、失業保険目当てで通う職業訓練センター、そういった所で後ろ側に席をとって周りを見渡せば話を聞いているフリをして寝ている大人やバレないようにスマホを弄っている大人が如何に多いかを目にできるだろう。
大人か子供かではなく、意欲もないのに教育の場に参加させれば自然とそうなるのである。
だが多くの大人たちはそういった場面で見かけ上はマジメに聞いている。
彼らには、免許を更新したいとか、教育を受け直しになりたくないとか、失業保険が欲しいとか、そういった極めて直接的な理由がある。
だが、小学校や中学校においてはこういった要素が薄く、それこそ出席をしなくても卒業をして次のステージに進むことが出来てしまう。
学校という空間は如何にして1人につき40人を真っ当な報酬系統も存在しない状況で監視するという異形をなしているのだろうか?
答えはシンプルだ。
教師と生徒という関係に超巨大な傾斜を設けて、教師が白を黒といえば生徒はそれに従うほどの力関係を用意するのだ。
これにより教師が与える体罰、精神的苦痛、各種のハラスメントは教育という概念として昇華され、一生傷が残る行為と物理的な接触を伴うセクハラ以外はあらゆる行為が黙認されることになる。
そもそもをして、強制的に集められた40人を1人が管理するなど、こういった異常な環境下でなければ容易には実現し得ないのだ。
もちろんキチンと環境を構築するという容易でない道を選ぶことも出来るが、それを実行しようとしたものもゆくゆくは燃え尽きていく。
25歳で教職についたとして定年までは40年、個々人の意欲のみを報酬とするには長すぎる時間なのである。
かくして学校という空間は独自の法によって運営される出島、監獄となる。
ではこの監獄島に外の世界をルールを真っ当に適用したらどうなるだろうか?
教師と生徒が平等になれば、暴走する生徒を止める手段は通報のみとなる。
教室において教師が出来るのはハラスメントにならない範囲までの注意、いわば善良な管理者の注意義務までである。
その範囲は決して広くはなく、今までであれば先立って体罰によって躾けることで無理やり予防できた数多くの人災に対処が及ばなくなるだろう。
教師は超人ではないので、人間としての限界を超えることは出来ないが、法の縛りを逸脱することを許可することで擬似的に半超人化していたものがなくなるのである。
授業や生徒の管理を妨害された時、今まであれば超法規的措置によって体罰をして解決していた。
だがそれが不可能になったらどうなるか?
証拠を集め、公務執行妨害を適用し、少年院に送られてもらうことを選ぶしかない。
他の生徒のことを考えればそうならざるを得ない。
生まれついての犯罪者として真っ当な職業に付く機会は、少なくともテレビで名前を聞くような企業に入る機会は場末のアルバイト以外では望めないだろう。
今までであれば鉄拳制裁を受け、顔の腫れが3日後に引けば終わったものが、これからは一生消えること無い履歴書の傷を引きずって生きることになるのだ。
そしてこれは何も極めて救いがたい悪童に対してのみ行われるのではなく、多動性を持つ生徒、注意力散漫な生徒、偶然虫の居所が悪かった生徒、いわばほぼ全ての生徒がそう言ったリスクを背負って通学するようになるのである。
元からそうだったと言いたい人にはこう言おう、もし治外法権がなくなれば通報されるリスクが10000000倍になった学校に通うことになる、と。
我々が声高に「いじめをなくせ。隠蔽を辞めさせろ」というのは簡単だ。
だがそれは「学校への治外法権の適用をやめろ。これからは学校で起きたありとあらゆる犯罪行為が法的措置の対象となるべきだ」ということなのだ。
さて、貴方の家の子供は悪戯の一つもしないで今日まで生きてきただろうか?
悪戯とは、相手が許さなければ犯罪になる行為であり、犯罪歴がつけば人生の可能性が半分以上消えるということを理解できているだろうか?
そんな自信は自分にはないなあ
何にでも反対するためにプラカードを掲げたりデモ行進する方が目的になってる人達と考え方が非常に似ている
デモ活動があれば、当然何かに反対するために参加している人達がいるわけだが、
プロ市民のようなプロ左翼も、反対に位置するプロ右翼も、社会問題がなくなってほしくないと思っている
日頃の鬱憤を晴らすために喚き散らすことを正当化できる言い訳がなくなってしまうからである
これは酒鬼薔薇とも非常に似ている
校門の前に切断した首を置いたのは操作撹乱のためだと彼は供述しているが、
私はそれは嘘であるか、もしくは彼本人が自分の本音に無自覚なように思っている
論理的に考えてそんなはずはなく、だからといって彼が論理的思考ができない、
知恵遅れとかそういうタイプではないことは誰しも分かるはずである
彼が切断した首を校門前に置いたのは、過剰な承認欲求を抑えられない、
そういった幼稚さが彼の中に並行して存在しているのではないかと考える
彼の、存在が透明なことに耐えられない、といった主張は決して事件後の話だけではなく、
俺を見ろ!という過剰な承認欲求、
俺に屈服しろ!逆らうとこうだ!という支配欲求のようなものが発露した結果に思う
どれだけ法律を犯したことができるか、みたいな度胸試しが横行するのもそうである
彼等のコミュニティ内での順列を争うため、
そして、彼等のコミュニティ外でも自分の存在感を認めさせるため、
誰かの心に残らないぐらいなら、悪印象でもいいから残りたい、
同じことを「てんちむ」という女性がYouTubeで語ってるのを観たとき、
こういった見捨てられ不安のようなものは、幼少期に形成されたのか、
少なくとも両親、もしくは片親にそういう思考の傾向がやはりあり、
そういう環境下で育ったことが一番大きく影響しているのは否めないと思われる
話を最初に戻すと、
ヤンキーにとって校則は寧ろ自分の存在を証明するために必要不可欠な存在であり、
校則がなければ、寧ろ彼等は学校に完全に来なくなるとさえ思っている
わざわざときどき学校に来る、もしくは学校に来ている知人と接触しては、
小林よしのりが漫画の中で、自分の高校時代に分かったこととして、
ヤンキーは学校の教師側の人間だと描いていたが、個人的経験からも非常に同感である
学校の校則を変えたい、もっと自由な校則にしたいと息巻いていたが、
そして、小林氏がヤンキーに、おまえらも校則が変わった方がいいと思うだろ?
と問いかけると、ヤンキー達は明確に反対し、小林市に制裁を加えるようになるのである
中国の暴力団である三合会の人員を政府が投入したことにも似ている
本来、三合会のような、いわゆる暴力団と呼ばれるべき反社会的組織、
しかし、香港デモでは政府は一変し、三合会に賄賂を渡して民主化デモに投入し、
理由として、表向きは中国政府はデモ活動の鎮圧に非人道的な暴力行為を行えないというのがある
よって、自分達の代行をしてくれる者達として三合会のような暴力団員を投入したのである
本来、もちろん今でもだが、中国は犯罪行為に非常に厳しいところがある
例えばインターネットカジノの業者のような人達も厳しく取り締まられたため、
要は、国に見えないところでいい思いをしている反社会活動は許せない、ということである
反社会的な人達が結託することが非常に都合が良いことが意外と多いように思われる
教師とヤンキーが意外と仲が良い、卒業してからも学校に出入りするなど関係を保っているヤンキーも多い
しかし、ヤンキーに暴力をふるわれ怪我をした、場合によっては障害を負った、
レイプ未遂の被害を受けた等、実害があった生徒たちにとっては溜まったものではない
教師もどことなく、生徒を屈服させる、服従させることに自分の存在意義を見出している人がいる
そういった教師にとっても、ヤンキーはいわゆる「手の掛かった」生徒ということで、
そういった教師にとっても、校則が緩くなり、学校が自由になり、普通の生徒が自由になることが許せないのだろう
なぜなら、教師という職業自体が自由ではなく、その不満が蓄積する職業だからである
家庭などで鬱屈し反社会的な行動に走るヤンキーというか不良少年少女と、
職場等で鬱屈し、自分達が不幸なのに生徒が幸せになるのは許せない、という鬱屈した教師たちが、
互いに共感を抱き、傷を舐めあい、普通の生徒たちに刃を向けるのは不思議なことではない
寧ろ、自然な流れだとさえ私は思っている
ちなみに、これは校則だけでなく、普通の法律でも同じように思う
マリファナを規制しすぎれば、マリファナのルートや使用者が地下に潜ってしまい、警察の管理下から外れてしまう
マリファナのような軽い話ではなく、反社会的な組織や犯罪者であっても同じであり、
法律を厳しくしすぎると、公安や国家が市民を却って管理できなくなってしまうことがある
適度な締め付けが重要であることはマキャベリズムにさえ書いてある
普段から恐怖政治や粛清を繰り返すと、市民は逆に粛清になれてしまう
公開処刑が当たり前のような状況にするよりは、
ときどき、不意打ちのように、見せしめにズバッと公開処刑をするべきである
そうすることで市民に恐怖をときどき植え付けることが、国家へ反逆する意欲を失わせる
普段から頻繁に恐怖を植え付けられると、却って市民はキレるように反逆に転じる
なんだかんだ政府は国家は、市民が反逆し、暴動し、コントロールできなくなることを恐れている
いつも怒っている、怒鳴る人は怖くない
旦那の父母はそこそこ綺麗好きなんだけど、おじいちゃんがそういう感じで子供の頃の家から家が不衛生だったって。嫁に来たお母さんは最初アパートで暮らしてたんだけど、同居して不衛生さに病気になってしまったらしい...
これ、おじいちゃんに問題あると思うよ。いろいろ見る元気がないというか、軽いセルフネグレクトというか、たぶん若い頃と同じような生活ができてない。前行った時はひどくなかったってことは、おじいちゃんの老化が進行してるよ。やんわりでいいから絶対嫁と話した方がいいよ。
ちなみに自分の旦那の家は、おじいちゃんが死んで旦那の父母の管理下におかれるまで10年くらいずっと荒れ果ててた。おじいちゃんが入院したり介護施設に行くまで改善しない可能性が高いから、早めに嫁と危機感共有しといた方がいいよ。話しておけば早めに家事ヘルパーさん呼んだりできる。
サーバから全員分のデータを引っこ抜いてきてブラウザ上でフィルターして自分の情報だけ表示するやつとか
引っこ抜いてきた情報にはパスワードまで含まれていてしかも平文保存されてるとか
まぁネタとしてよく盛り上がったりしたし、都市伝説だろうなぁと思ってたんだけど
例えばつい最近遭遇したのだと
「アカウント指定でデータ取りたいからそういうAPIよろしく」
っていうざっくりした注文すると普通にアカウントの氏名で検索して先頭の1つだけ返してくるようなAPI作りやがる
「クエリは何を投げたらいいの?」
って聞いたら
「氏名を入れてください!」
って自信満々で答えられて「はぁ?」ってなった
小学生でも「同姓同名の人いたらどうするんだろう」って思うだろうに何の疑問も抱いてない
おまけにそういう指摘したら「データベース上でアカウントの氏名をユニークにしました」とかいう対処を平気でやってくる
そりゃマジメにやるなら
「アカウントを一意に識別できるアカウントID(メールアドレスなど)で検索できるAPIをお願いします」
的な依頼をするのが正しいんだろうけど
こういう1から10まで全部指定しないといけなくなると単純にコストがかかりすぎるよね
これ1件だけなら別に良いけど、このレベルで共同作業とかになると苦痛でしか無い
自分が関わるプロダクトだとまだ品質管理できるけど、同じ社内でも発注側がそういうの分かってないままプロダクト化が進んでたりしてヤベーと思ってる
そして日本全体で考えてそういうヤバいシステムが結構あるんじゃないかっていう気がしてきてる
ちょっと前はIT土方とか揶揄されてたけどまだその頃の方が断然マシ
なんだかんだで設計する人がまともだったから上記のようなアホなことはやらないし
プログラマーもそういうまともな人の管理下にあって教育されたりもしてた
多分だけどあの頃のまともな人達はとっくに外資系なりに引き抜かれて
クソの役にも立たないIT土方のプログラマーが管理する側に回ってクソ設計して
プログラマーはプログラミングスクールで勉強してコピペ能力だけを身につけてて
そんで委託・派遣してるから教える人もいないっていうヤバい状況なんじゃないかな
土方で例えるならコンクリート混ぜるのにスマホでYoutuberのDIYを見ながら作って
(コンクリートって養生期間を適切に取らないといけないから天候や運搬時間に応じて水との混合比率変えたり温度管理したりとにかく大変らしいですよ)
死亡のスリランカ女性 与党側、入管の映像開示に応じず:朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/articles/ASP8J5RC8P8JUTFK00F.html
↑
fellfield 入管って与党の指揮管理下にあるのか? たとえば警察や検察は独立した組織のはずだし、与党の言いなりだったら大問題だけど、なんで入管については与党が指示できるの?
ryouchi 与党の承認必要あるん?入管の判断じゃないの? 与党=立法、入管=行政ってイメージなんだけど三権分立じゃないん?
z1h4784 なぜ政府ではなく与党が回答するんだろう?その時点で分からない。せめて法務大臣では?一体誰が何の権限で開示を拒否しているんだ
といった、何かとんでもない勘違いをしているコメが多数見受けられたので、ここで軽く指摘させていただきます
衆院法務委員会の理事懇談会が16日、国会内で開かれた。野党側は死亡前の様子を記録した監視カメラ映像の開示を求めたが、与党側は応じなかった
・理事懇談会は、ザックリ言うと委員会の開会日時や議題とする案件、審議スケジュールなどを事前協議する非公開な会合といったかんじのもの
・朝日の記事によると、野党は理事懇談会で「国会への映像開示と閉会中審査の開催を要求」したが、与党は映像開示に難色を示して物別れに終わったらしい
ではなぜ、野党は理事懇談会で映像開示を要求して、与党が応じなかったのか
【国政調査権について】
・国会が持つ国政調査権は「衆参の委員会」が主体となって行使されます
・基本的に、委員会(この場合は衆院法務委員会)が国会法第104条に基づき報告又は記録の提出を求めるには
『理事会の決定により要求する場合、又は委員会において委員の要求があり、これに別段の異議がない場合』には
(今回はおそらく後者の例でしょう)
そしてこの国政調査権(国会法に基づく官公署等に対する報告・記録請求 )は、国会議員ではなく議院・委員会に与えられているものである以上
多数派を占める与党が拒めばどうにもできないことが多いという問題が発生します
だから「与党の反対によって、国政調査権に基づく報告・記録請求が阻まれてしまう」という事態が起こってしまうのです
【結論】
というわけで
「入管が与党の指揮管理下に」なったわけでも、三権分立が崩壊したわけでもなく
早とちりしないよう、お気をつけを
なにかというと弱者の救済は自分も弱者になる可能性もあるし倫理的に情操教育とか人権的にという話になりがちだが
実際のところ強者が弱者に転落することなんてそんなにあるわけでもないし、いざそうなったときにさあ福祉だという待遇もない
いいことなのかそうでもないのか、やさしさや余裕なのかという話でそれぞれの価値観と感情を結び付けて答えを都度はぐらかしているけど
すこし余計な話をはさむが
先般炎上した不要とかいう話は特にそうだが感情というのは情報が人間に直接接触して産まれてくるもので それをもとに行動をすると
直情的で短絡的な結果にいきつく
それはその場は気持ち的に解決するので気持ちがいいものだが後から大きくリボで積み重ねた歪みが清算にやってくる
あとでその支払いタイミングになったところで最初の問題発生時と解決が不十分だったから新たに問題が維持されていたことはさておいて
取引や法制度で感情をはさまないように文章化するのと晃かな基準で条件を交換するのはその無駄を省くためだ
まず局面的にホームレス個人をみて一般人個人の感想としてというのは最終的なところまで置いておいてほしい
まず感覚でどう思うか、それが大事だという呼びかけこそが炎上を招きより小さいコストで大きく問題を解決する邪魔になる
炎上商法はその非効率を用いてなにが儲かるのかというと 非効率で手間がかかりその場で不満が生じるそこに商品をもってくるのだ
日照りで乾燥して喉が渇いた状態をつくって 冷やした水をもってくるのと同じ
冷たい水で元気になって 取り組むやる気を伸ばした後で日照り対策をしよう なんて順番は「炎上させられた側だけ」の都合で
炎上によって問題が発生した当事者や対象は感情で乾燥を抱いている外野とは関係なく状況が進行している
福祉はやさしさや思いやりで行っているわけではない
不要で迷惑なやつらを処分するのに一番効率がいいのは それを邪魔だと思っている側に取り込んでしまうことだ
これが生活と完全に切り離された不要なものだとすると 捨てるだろう
その辺にポイ捨てしてるのがなくならない理由 そのへんにゴミをすてるのが無くならない理由
家庭内でリサイクルしたり継続して利用できるものであればどうだろうか
ブランドものを購入したときの持ち帰り用の紙袋は 電気屋でもらう紙袋やコンビニの袋と同じ扱いだろうか
使いでがあるのでゴミにならずに済んでいる
堆肥として利用可能な生ごみや 燃料として利用可能 造形物などの作品に利用可能であったり素材としてつかえるもの
または買い取り手があり売れるもの 引き取りてがあるものはその辺にポイ捨てするだろうか
不要だと切り分けることによって社会としてはそれに対処するコストが発生する
ゴミの回収や収集 処分といった作業に人手が使われることにコストが発生する
これを捨てずに済むようにつかえば コストはぐっと押さえられるだろう
全国民を確認しその中で適切な処理として 処分を割り出す必要がある
これは単純に国が二つになるくらいにコストがかかるのではないだろうか
次に不要であることが確実だと判明したあとの人間の処遇が必要になる
不要であれば即座に廃棄しないと問題が発生することは明らかである
それだけでもコストが大きいけれども そんな処分が追いつくはずもない
であれば一旦確保しておく必要があるがその安全の維持と管理機能には
健全な人間の何倍もコストがかかる 規律を守らず常識では考えられない行動をし
倫理観もなく行動する人間が健康な人間より低いコストで管理できるわけがない
済む場所を分断し貧民街と富裕層で分けるように壁をつくればよいかもしれないが
そういった文化の国は多くある
結果は見ての通りだ
富裕層は貧民からの一斉蜂起に怯えながら貧民層は国益をただ引き下げながら生活し
一向に埋まらない溝を維持管理しつづけるためにコストを払い続けることになる
社会的機能を利用することができて最低限の生活を選択することができ
かつ常軌を逸した行動で利益や生命を守ったりする必要がなくなる
社会として管理されている範疇に 常識的な低層者とあわせて近いほぼ同じ扱いの延長で
対応することができる
飼い犬の維持には金が掛かるが 山に放たれた野生の犬を社会と接点のある部分について
ホームレスが感情的にイヤなものなので 目の前からきえてほしい という感情をもって
不要なものこそ排除や処分といった 存在について等価なコストを支払い快感を得ようとする
無駄な富裕層の遊びみたいなものに踊らされ消費を促されるより前に
不要なものこそ捨てずに取り込み利用することができれば 収入や元手が少なくとも
より大きな利益に繋がることを見据えてほしい
倫理が常識が人権が というところで思考を停止して反論したり直情的にポリコレであれば殴っていい棒だと
一旦ホームレスは汚くて気持ち悪いから不要で殺してもいい と思考実験してみてほしい
たしかに禁忌でおぞましい話でそんなこと考えるべきでも話すべきでもないと思うが
その上で それがいかに無駄なことか 嫌悪し反発するより取り込み遠ざけるほうが
いかに効率的で安全で 管理下にあり感情的にロスを少なくすることができるか
そのプロセスを全員が触れることができる自由があることこそかなり稀有な平和と安全のある日本ならではのメリットだろう
汚い嫌だ不要だきもちわるい それを排除しようとすることこそコストが増大し
その増大したコストと手間につけ入って 本来不要なプロセスや商品を割り込ませてくる