2021-11-28

anond:20211128052544

校則が厳しい方がヤンキーは増えるのではないだろうか

少なくとも昔のタイプヤンキーは増える

個人的人生経験では確実と言ってもいいぐらいだ

彼等が抱いている己の存在意義校則に逆らうことだったりする

かに反対意見を表明したいのではなくて、

何にでも反対するためにプラカードを掲げたりデモ行進する方が目的になってる人達と考え方が非常に似ている

手段目的化している

デモ活動があれば、当然何かに反対するために参加している人達がいるわけだが、

一定数そういう変な人間が紛れ込んでしま

いわゆるプロ市民とも呼ばれる輩である

からプロ市民ヤンキーは考え方が似ていると思う

プロ市民のようなプロ左翼も、反対に位置するプロ右翼も、社会問題がなくなってほしくないと思っている

なぜなら、社会問題がなくなってしまったら、

日頃の鬱憤を晴らすために喚き散らすことを正当化できる言い訳がなくなってしまうからである

からヤンキーからしても校則がなくなると困ることになる

自分存在意義がなくなってしまうから

逆に言うなら、ヤンキーの多くはそれぐらいしか取り柄がない

取り柄がないから、能力がある人間を過剰に敵視したりする

からヤンキーの多くは内心では過剰な承認欲求を抱えている

これは酒鬼薔薇とも非常に似ている

校門の前に切断した首を置いたのは操作撹乱のためだと彼は供述しているが、

私はそれは嘘であるか、もしくは彼本人が自分本音無自覚なように思っている

論理的に考えてそんなはずはなく、だからといって彼が論理的思考ができない、

知恵遅れとかそういうタイプではないことは誰しも分かるはずである

寧ろ、彼は非常に理知的で、論理的思考ができるタイプである

彼が切断した首を校門前に置いたのは、過剰な承認欲求を抑えられない、

そういった幼稚さが彼の中に並行して存在しているのではないかと考える

彼の、存在が透明なことに耐えられない、といった主張は決して事件後の話だけではなく、

事件からそういう傾向があったように思われる

俺を見ろ!という過剰な承認欲求

俺に屈服しろ!逆らうとこうだ!という支配欲求のようなものが発露した結果に思う

話を戻すと、ヤンキーも似た思考をしている人が多いように思う

どれだけ法律を犯したことができるか、みたいな度胸試しが横行するのもそうである

彼等のコミュニティ内での順列を争うため、

そして、彼等のコミュニティ外でも自分存在感を認めさせるため、

それがネガティブマイナスイメージであっても、

誰かの心に残らないぐらいなら、悪印象でもいいから残りたい、

同じことを「てんちむ」という女性YouTubeで語ってるのを観たとき

ヤンキー傾向のある人はみんな似ているなぁ、と思ったもの

こういった見捨てられ不安のようなものは、幼少期に形成されたのか、

そもそも、家庭でなんらかの虐待を受けていないか

少なくとも両親、もしくは片親にそういう思考の傾向がやはりあり、

そういう環境下で育ったことが一番大きく影響しているのは否めないと思われる

話を最初に戻すと、

ヤンキーにとって校則は寧ろ自分存在証明するために必要不可欠な存在であり、

校則がなければ、寧ろ彼等は学校に完全に来なくなるとさえ思っている

わざわざときどき学校に来る、もしくは学校に来ている知人と接触しては、

校則を破る、学校に来なくても反社会的な行動を実行する、

そこに彼等はアイデンティティを抱いてしまっている

小林よしのり漫画の中で、自分高校時代に分かったこととして、

ヤンキー学校教師側の人間だと描いていたが、個人的経験からも非常に同感である

作中で、高校時代小林よしのり生徒会長立候補し、

学校校則を変えたい、もっと自由校則にしたいと息巻いていたが、

それに対し学校教師は猛反対する

そして、小林氏がヤンキーに、おまえら校則が変わった方がいいと思うだろ?

と問いかけると、ヤンキー達は明確に反対し、小林市に制裁を加えるようになるのである

これは中国香港で起こった民主化運動に、

中国暴力団である三合会の人員政府が投入したことにも似ている

本来、三合会のような、いわゆる暴力団と呼ばれるべき反社会的組織

反社活動中国では厳しく取り締まられる対象であった

しかし、香港デモでは政府は一変し、三合会に賄賂を渡して民主化デモに投入し、

民主化活動家や学生達に暴力行為を行うようになった

理由として、表向きは中国政府デモ活動鎮圧非人道的暴力行為を行えないというのがある

国際的世論の目は気にしているのである

よって、自分達の代行をしてくれる者達として三合会のような暴力団員を投入したのである

本来、もちろん今でもだが、中国犯罪行為に非常に厳しいところがある

例えばインターネットカジノ業者のような人達も厳しく取り締まられたため、

彼等はカンボジア等に逃げるしかなくなった

要は、国に見えないところでいい思いをしている反社活動は許せない、ということである

三合会のように、この社会政府体制側のような人達と、

反社会的人達が結託することが非常に都合が良いことが意外と多いように思われる

教師ヤンキーが意外と仲が良い、卒業してから学校に出入りするなど関係を保っているヤンキーも多い

しかし、ヤンキー暴力をふるわれ怪我をした、場合によっては障害を負った、

レイプ未遂被害を受けた等、実害があった生徒たちにとっては溜まったものではない

教師もどことなく、生徒を屈服させる、服従させることに自分存在意義見出している人がいる

そういった教師にとっても、ヤンキーはいわゆる「手の掛かった」生徒ということで、

彼等の脳内では勝手美談に変換されているのだろう

そういった教師にとっても、校則が緩くなり、学校自由になり、普通の生徒が自由になることが許せないのだろう

なぜなら、教師という職業自体自由ではなく、その不満が蓄積する職業からである

家庭などで鬱屈反社会的な行動に走るヤンキーというか不良少年少女と、

職場等で鬱屈し、自分達が不幸なのに生徒が幸せになるのは許せない、という鬱屈した教師たちが、

互いに共感を抱き、傷を舐めあい普通の生徒たちに刃を向けるのは不思議なことではない

寧ろ、自然な流れだとさえ私は思っている

ちなみに、これは校則だけでなく、普通法律でも同じように思う

マリファナ規制しすぎれば、マリファナルート使用者が地下に潜ってしまい、警察管理下から外れてしま

公安国家マリファナ使用者管理する、

マリファナのような軽い話ではなく、反社会的組織犯罪者であっても同じであり、

法律を厳しくしすぎると、公安国家市民却って管理できなくなってしまうことがある

適度な締め付けが重要であることはマキャベリズムにさえ書いてある

普段から恐怖政治粛清を繰り返すと、市民は逆に粛清になれてしま

公開処刑が当たり前のような状況にするよりは、

ときどき、不意打ちのように、見せしめにズバッと公開処刑をするべきである

そうすることで市民に恐怖をときどき植え付けることが、国家へ反逆する意欲を失わせる

普段から頻繁に恐怖を植え付けられると、却って市民はキレるように反逆に転じる

なんだかんだ政府国家は、市民が反逆し、暴動し、コントロールできなくなることを恐れている

いつも怒っている、怒鳴る人は怖くない

ときどき、ある場面でいきなり不意打ちで怒る人の方が怖さを感じるようなものである

見せしめ粛清国家の安定のために大事であるが、やり過ぎはいけないのである

  • 消えた増田に長々とトラバして草 何を思ってそんな長々とした文章を書こうと思ったんだ? 元増田が無いからよくわからん

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