はてなキーワード: 立身とは
ワインスタイン事件は「性暴力」の刑事立件だったけど、松本も同じでしょ。刑事にならない理由は「ジャップ司法の立ち遅れ」ってだけだし。
それとも何かね? 権威が「立身した分野以外でも」のさばってる方がいいのかい?
低学歴コメディアンごときが、偉そうに「市井のご意見番」やってるジャップランドの文化知性の低さの方がシロンボ欧米列強(笑)に恥ずかしいんじゃねぇの?アキバのエロゲポルノ広告よりさ。
なんでかって?エロCMは別に権威じゃねぇけど、低学歴低能コメディアンがメディアで「知性(笑)」を披露しており、それが「権威化」してるのはジャップランドぐらいだろ。
権威はあらゆる方面から「知性をもって」批判されるのが筋だし、それに「指摘には能わない」なんて雑魚否定しているのはジャップランドやシナ、レッドネック共の赤いところだけだぞ。
天より被下候
村々小前のものに至迠へ
四海こんきういたし候ハゝ天祿ながくたゝん小人に
天下後世人の君人の臣たる者を御誡被置候ゆヘ
東照神君ニも鰥寡孤獨ニおひて尤あわれみ
を加ふへくハ是仁政之基と被仰置候然ルに茲二
百四五十年太平之間ニ追々上たる人驕奢とておこり
姓共へ過分之用金申付是迠年貢諸役の甚しき
苦む上江右之通無躰之儀を申渡追々入用かさみ候ゆへ
四海の困窮と相成候付人々上を怨さるものなき樣ニ
御失ひニ付下民之怨何方へ告愬とてつけ訴ふる方な
皆天より深く御誡之有かたき御告ニ候へとも一向上たる人々
のなんきを吾等如きもの草乃陰より常々察し悲候
の政道をいたし江戸へ廻米をいたし
差出し大坂市中游民斗を太切ニ心得候者前にも申通
道德仁義を不存拙き身故ニて甚以厚ヶ間敷不届
利德之金銀并扶持米等を莫大ニ掠取未曾有之有福
誘引參り高價の酒を湯水を呑も同樣ニいたし此難
ひ平生同樣に游樂に耽候ハ何等の事哉紂王長夜の
御赦しなき事ニ候蟄居の我等最早堪忍難成湯武
之勢孔孟之德ハなけれ共無據天下乃ためと存血
市中金持之丁人共を誅戮およひ可申候間右之者共
穴藏ニ貯置候金銀錢等諸藏屋敷内に隱置候俵米
出來程之難澁者へハ右金米等取らせ遣候間いつに而も
大坂市中ニ騷動起り候と聞傳へ候ハゝ里數を不厭一刻も
早く大坂へ向駈可參候面々へ右米金を分け遣し可申候
鉅橋鹿臺の金粟を下民へ被與候遺意ニて當時之
飢饉難義を相救遣し若又其内器量才力等有之者
ニハ夫々取立無道之者共を征伐いたし候軍役ニも遣ひ申
輕くいたし都而中興
神武帝御政道之通寛仁大度の取扱にいたし遣
海萬民いつ迠も
救ひ死後の極樂成佛を眼前ニ見せ遣し堯舜
天照皇太神之時代に復シかたく共中興之氣象ニ
張付置候間大坂より廻し有之番人ともにしられさる
樣ニ心懸早々村々へ相觸可申候万一番人とも眼付大
坂四ヶ所の奸人共へ注進いたし候樣子ニ候ハゝ遠慮なく
面々申合番人を不殘打殺可申候若右騷動起り候を
金持之米金者皆火中の灰に相成天下之宝を取失
ひ申へく候間跡ニて必我等を恨み宝を捨る無道者
と陰言を不致樣可致候其為一同へ觸しらせ候尤是
類ハ都而引破焼捨可申候是往々深き慮ある事ニて
人民を困窮為致不申積に候乍去此度乃一擧當朝
下國家を簒盗いたし候慾念より起し候事にハ更無之
而已ニて若疑しく覺候ハゝ我等之所業終る處を
爾等眼を開て看
より篤と讀聞せ可申若庄屋年寄眼前乃
禍を畏一己ニ隱し候ハゝ追而急度其罪可行候
奉天命致天討候
攝河泉播村村
1月末日をもって、北海道帯広市にあった百貨店「藤丸」が閉店した。
創業は明治33年で、122年間経営したことになる。このあたりではよくあるパターンで、開拓地で呉服商で立身し昭和初期にデパートへと展開してきた地元の百貨店だった。
例えば釧路市の丸三鶴屋や野付牛(北見)の丸い伊藤と系列は異なれど同じような環境で、開拓地の百貨店として成長してきた。
諸賢ご存知の通り、百貨店などという業態は今日び全く下火となっている。
北海道の田舎においては高度経済成長期以降、郊外に新興市街地が伸長し、多くの人が自動車で移動する時代になった。
そして平成10年の大規模小売店舗法の廃止、大規模小売店舗立地法の制定が運命を定めた。
この20年、みんな車で郊外の大規模店舗に行く。「中心市街地」の意義は消えた。
1月に入ってから藤丸は連日客でごった返し、最終日には閉店後まで人々が店に集っていた。
藤丸に入っている店の常連だったり日常的に地下食品街で買い物をする人ならわかる。
あるいは藤丸に実際に働き、藤丸と共に生涯を送った人も惜別の念を抱くだろう。
藤丸は文化催事も多かったから、藤丸で展示や展覧会をした人々も特別な思いがあるだろう。
藤丸を外部から支える市民団体もある。そうした主体的に取り組んできた人たちはさぞや残念だろう。
けれども、そうじゃない人が大半なのではないだろうか。
なぜなら、如上のような日常的に中心市街地に赴き消費や活動をしている人が本当に十分に多ければ、
そして当然閉店などとならなかったはずだ。
閉店間際に賑わいを演出した人々は、普段は自動車で郊外の広い駐車場のあるヨーカドーやイオンに行っている。
そんな人たちがマスコミの取材に答えて「残念です」とか「寂しいです」とかは、決して言ってはならないセリフなのではないかと思う。
言葉と態度が噛み合っていない。私はここに大変な違和感を覚える。
出てくる思い出は子供の頃の昭和や平成初期のキラキラした思い出ばかりで、例えば110周年120周年の話題はほぼない。
これは、この人たちが長じてから藤丸で思い出を残してこなかったからに他ならない。
よく子供の頃の思い出だけをいけしゃあしゃあと言えたもんだ、と思う。そしてそれをありがたがるマスコミの脆弱な報道イメージもおかしい。
近頃の思い出がないというのが問題の本質であると思うし、そもそも昔のことしか話さない人は藤丸の傷口に塩を塗っているように思える。
なぜ、この20年くらい、平成の後半まるまんま藤丸はそこに間違いなくあったのに、そこで思い出を残さなかったことに無自覚なのか。
そしてその無自覚さでなぜ「藤丸がなくなって残念です」と言えるのか。
地元出身のフリーアナウンサー安住紳一郎が以下のように述べている。
https://news.yahoo.co.jp/articles/433f558335f529f99b35f767731703687434e508
「ネットショッピングや郊外のお店が便利でお客さんがそちらに流れていることはよくわかります。私たちも便利とか安い以上に自分の残したいお店は、ちゃんと不便でも高くても買いに行く消費行動がこれからきっと自分たちの理想とする社会の実現に関わってくるんじゃないかなと思います」
なぜ他の百貨店と比べて十分な時間的猶予があったのに、地元の人間は藤丸を存続させるような消費行動をしてこなかったのか。
そして、なぞそうであるのに(直接携わってきた人は別にして)、「残念です」「ありがとう」などと安直に言えるのか。
この点を、本当に「残念」と感ずるならば20年くらい考え続けてこなければならなかったはずで、「残念」と言語で言える人は、少しでもそのような事柄に携わってきた人だけなのではないだろうか。
普段イオンで買い物してるくせに「残念」はおかしいのではないか。
だから私は、この期に及んで藤丸がなくなってしまって残念とは思えないし寂しいとも思う資格がない。
なぜなら私はイオンで買い物しているからだ。身体が残念がっていないのだ。
中心市街地をどうするかは各地域で本当に難しい課題で、実際のところ商工会や経済界の人々が何年も策を講じながらも充分な成果を挙げられていない。
こんな難しい課題を、藤丸がなくなっただけのこのタイミングでどうにも論評などできないのだ。
だから浅薄な「昭和の思い出」や「従業員の裏話」的なものばかりが踊る。
実はマスコミも20年間、中心市街地の活性化の話題を見ているようで見てこなかったのではないか。
結局は自分には関係がないから、人々がどこでどう買い物しようがそれを報道すればいいだけの話だから、充分なコミットをしてこなかったのではないか。
藤丸がなくなったのは1月31日だが、問題は20年間継続しており、以降も続いていく。
藤丸がなくなっただけのタイミングで急に問題を一夜漬け的に取り上げても、いずれも浮ついた論にしかならないのだろう、と諸報道をみて思う。
SFロボットもので異星人による遺伝子改良で大型の宇宙船のようにつくりかえられた人間や、
通常の人間より遥かに優秀な人類種となったジーンメジャーが支配する世界に、
普通の人間ジーンマイナーの少年が立身を夢見て悪戦苦闘するジョブナイル小説。
2巻だけ刊行されてるんだけど、ムチャクチャいいところで終わってるんだよ。
続き読みたい。
日本ファンタジーは元祖にしてハイファンタジーではなくて、異世界ものというのが面白い。
現代日本から召喚されたものの、役に立たない勇者だと悪口を言われたりするが、
異世界の中に遺跡として残っていた科学文明の機械をあやつりだすことでリスペクトされたりする。
その小麦の絵をトレースして美術の授業の課題として提出したら、
すぐトレースとバレたが。
フィールド型RPGでも戦略SLGでも主人公になれるポテンシャルを秘めている。織田信長を主人公としたゲームや創作物は多数存在するけれど、西郷隆盛は織田信長以上に主人公にふさわしいと思う。
経済的徴兵制(けいざいてきちょうへいせい、英語: economic conscription)とは、経済的条件を利用して、軍隊の要員を確保する仕組みで、特に国内に経済開発が遅れた地域があるような場合に、若者たちの多くが軍隊における立身を志すことに魅力を覚えるような状況を生み出すことを指すが、そうした後進地域の開発に資する取り組みがなされている場合は当てはまらないとされ、そのような仕組みを利用している政府が、その仕組みの存在を認識していること、そのような状況を変えようとしないことが前提となっている。
徴兵制を取らずに志願制を取っている国において、志願制の範囲内で有りながら経済的格差を利用して徴兵制のように安定的に軍に兵を補充するためのシステムである。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/rekuyamasan/status/1297512507846713344
独露㌠ on Twitter: "河野さんが配信で高卒の任期付自衛官が退役後に大学へ入学する場合は即応予備自衛官になることを条件に国が学費を出すっていうのを考えてるらしい。 財務省とも話してるらしいこと言ってた。課題はあるだろうけど個人的にはすごく良いと思う。 https://t.co/x9LDVQCi9Q"
さてコメントみていくぞー
と思ったんだが―。
上位コメントは案外まともだな。
☆がロクに入ってない奴らはだいたい的外れ。
まあつまり、このブクマで☆がない奴らは胸に手を当ててよーく考えろよ―。
お前が一人で盛り上がって頓珍漢なこといって誰からも相手にされてないって現実をなー。
つまんない上にお馬鹿だぞ―
根暗だったりすると、冷笑家のキャラは狙いやすいポジションのようだ。
慌てず動じない感じ、多少なりとも知的な感じ。
クールに物事を洞察し、判断を謝らず、冷笑を武器に場を収めさえする。
そういうポジションに寄せていった立身というのは、分かる話ではある。
ただ、冷笑の格好の悪さ、というものを自覚する機会は少ないのかもしれない。
なぜだろう?なぜ「格好の悪い皮肉屋」というのが溢れるのだろう?
それがずっと疑問だったが、わかった気がする。
だがそういう連中のうちのある割合は、自身を含めた俯瞰のという技法に気づかないまま過ごし得るのではないか。
「客体に徹する」上で不可欠な自省・自己からの脱却(に努める)という機構が働いていないのではないか。
だから騙りに過ぎず、つまり不徹底で下手くそな冷笑家が多いのだろう。
そういう仮説を得た。
気になるのは、
インターネットはその存在を可視化しただけなのか、または増殖させているのか、(逆に減ったのか、)
その仮説はまだない。あなたはどう思われるだろうか?
昔々、横浜は関内に住んでいた時のことだ。この関内、は文字通りであってJR(さすがにもう国鉄ではなかった)の駅から海側のエリアである。諸氏はそんなところに住居があるのかと驚くかもしれないが、当時は雑居ビルの上の方に思ったよりは多く転々と貸間があった。ただし、下の方からは常に酔客の声やカラオケのだみ声(後学のために申し上げると、カラオケ騒音で一番外に響くのはよりにも寄って音痴なおっさんの胴間声であって、BGMは全く聞こえぬ)が常に聞こえ、よく言って華やか悪くいうとそりゃ真っ当な借り手はなかなかつかねぇよね、ということになる。
その時は-このシノギだけは真っ赤な嘘の話だが-、石化パイプライン屋の営業部隊に属して、港町には良くある怪しい中東系商社から注文を取って糊口をしのいでいた。中東系商社は母国の都合で動く。つまり、朝は遅く夜は次の日が来るぐらいまでが仕事のピークである。こっちもそれに合わせて変則的な労働時間で暮らす。それはいい。だが困るのは飯だ。飲み屋以外で食い物屋なぞない。コンビニと牛丼屋ぐらいはあるが、毎日ではつらい。トドメに、下戸である(中東屋さんとしては問題ないのだが)。飲み屋の線はこの段階で選択肢としてはさすがに消える。
ある雨の日、所要があって珍しく海側から我が雑居ビルへと帰途を辿っていた。いつものように腹が減っていた。あの辺り一帯は、細長い区画が一応碁盤の目状に並んでいる。一回右に曲がって一回左に曲がれば、どの通りを選んでも貸間に帰りつけるのは、小学校でやった懐かし「場合の数」だ。ただし、客引きのおねぇちゃんがうるさい通りというのがあり、こいつは敬遠せざるを得ない。
考えもせずひょいっと辻を曲がった先にあったのが、未明なのになぜか営業していたイタ飯屋だった。外のケースに入れられていたメニューは、いつもの夕食よりはちょっと高めだが、出せないほどではない。いい加減雨にも追われている、パスタとグリルを頼めばまあ恰好はつくだろう、たまには人がましいものが食いたい、そう思って扉を開ける。慇懃で痩せぎすのウエイターが案内したのは入り口近くの窓際の席だ。他に客はいないが、フリの怪しい安スーツに着られたような小僧っ子には、そんなもんだろう。
出されたメニューから慎重に安めのパスタとグリルを頼む。グリルは肉、シンプルに塩だ。呑むのはお冷。酒は頼まないし、ソフトドリンクに金を払うのは当時としては、ばかばかしく感じられていた。人心地ついて、水をすすりながらぼうっと薄暗い店内を見渡すに、どうもややちゃんとしたリストランテなようだ。しかし客は他にない。いればどんな店かも推量が利くというのに。そもそも、ちゃんとしたリストランテが酔狂にもかくも深夜まで空けているのか、さすがにいぶかしんだが尋ねるほどの気安さもない。ウエイターはほぼ厨房の入り口あたりの定位置に戻って、こちらには目もくれない。
ほどなくして出てきたパスタ、そしてグリルは確かに旨かった。これこそ久々のちゃんとした食事という奴だ。しかしただの大喰らいの悲しさ、昔の料理を思い出して論評するなどということは出来ない。しかしいくらなんでもちゃんと仕事をしてある2皿だ、ということ位は判る。悪くない。遅い晩餐の唯一の欠点は、こちらがやたらと水を飲むことだ。端から置いてあったグラスにサーブされたお冷は数回おかわりした。そしてさすがにリストランテ、見ていないようでウエイターは、こちらの水が切れると音もなくお代わりをちゃんと入れていく。それはちゃんと冷えていて、薄手のグラスに汗をかかせる。全く悪くない。
少なくとも追い出されはしなかった、塩を撒かれるほどの醜態でもなかったはずだ。そう思って、月に一回ぐらいは帰りがけに足を延ばした。向こうからすれば余程奇矯な客なんだろう、二回目からは、パスタと一緒に銀の水差しがサーブされてきた。嫌味かもしれないし、サービスかもしれない。お互いそっちの方が楽だもんな、それも悪くない(というとさすがに上から目線過ぎるか)。ウエイターは今度こそこっちの方を見ないで済んだはずだ。
佳き日は往々、突然に終わりを迎える。ある日、また人がましいものを食おうと思って店の前にたどり着くと、レストランは深夜営業をやめていた。そりゃそうだ、通った間、一度として他の客なぞ見たことはなかった。店としては、同伴とかお仕事帰りのお姐ぇ様方が使う心づもりだったんだろうが、どうしたって来たのは貧乏神めいた小僧だけだったのだから。さすがに空気よりはましだった、とは思いたいが、そんな細っちい客は切って捨てるのが当然の経営判断だ。
今にして思えば、どう考えたって利幅の薄い立派な不良顧客である。あのウエイターだってその奥にいるシェフだって、態々残業してきたのがあんなのだった、というのは落胆した事だろう。しかし、出てきた料理は真っ当だったし、ウエイターもあからさまに追い立てるそぶりはかけらも見せなかった。あの当時なら少なくとも匿名で世間様に晒されるようなことはなかった。もっとも晒されたとしたところで、こっちの低いアンテナに引っかかるものかは疑問が残るが。
ほどなくしてこちらも横浜を引き払った。まだあの店があったとして、出世払いに赴けるほどの立身は遂にしなかった。或いはケチって水ばかり飲んでいたツケかもしれない。そして時々人がましいものを食いたい時、まだ入る店には迷うのである。
https://anond.hatelabo.jp/20181104013756 の続き。
ねとらぼの本キャンペーン記事のブクマでオススメされてた短編集。SF多めだけどそうじゃないのもあってごった煮。どれも面白かったけど、頭抜けてるのが『バイパスの夜』。バイパスを走るタクシーが舞台であり、それが最初から最後まで最大限に活用されている。無駄がひとつもない完成品。
他には『悪魔の開幕』と『帰還者』がオススメ。『悪魔の開幕』は何を言ってもネタバレになるので騙されたと思って最後まで読んでほしい。『帰還者』はアレな言い方だけど、富樫のレベルE読んだような読後感。手塚治虫が天才で、本当になんでも描けるんだなということがよく分かる。
父の仇を追って新選組に入隊した深草丘十郎。そこで彼は後に親友となる謎の剣豪少年・鎌切大作と出会う。幕末の動乱を、ふたりの少年はどう生き抜くのか。
ブコメでオススメされてたから読んでみたけど、うーんこれは傑作だ。
ひとことで言うと美しい『アドルフに告ぐ』。物語を彩る様々な立場のキャラクターたち、実際の歴史を背景に躍動する主人公、そして全てはラストに結実する。美しい。圧倒的に美しい。子どものときに出会えていたら本当にたまらなかっただろうなー。これから何度も読み返したい一冊。
北村市郎、通称イッチはとある夜、幽霊の行進と出会う。偶然知り合った記者と情報交換することになるが、彼は交通事故で死んでしまった。本当にあれは幽霊だったのか? 駅のホームで見かけて以来、つきまとってくるようになった美少女の正体は?
これもブコメから。ホラーものかな? と思ったら斜め上に話が転がっていくのがさすがというかなんというか。気負わず笑いながら読んでいいやつだと思われる。「歓声とファンの数とは比例します」「ンン?」「これ歓声の法則」といった切れ味抜群のギャグもあったし。
これもブコメより。手塚治虫の自伝的な作品を集めた短編集。悲惨な戦争体験と、そんな中でも漫画を描き続けた戦中、ようやく悪夢のような戦争から解放され漫画家として立身していくぞ(でも漫画雑誌もない荒野でどうやって?)っていう戦後が主。
特に響いたのは表題作でもある『紙の砦』。時は戦中。特殊訓練所にいながらも隙あらば漫画を描く大寒少年はオペラ歌手を目指す美少女と出会う。
戦争って悲惨だしいいこと何もねーなっていう感じが色濃く描かれる。司馬遼太郎も終戦の時に浜で泣きながらなんでこんな馬鹿な戦争をしたんだって嘆いたらしいが、手塚のそれは叙情も何もなくただただ早く終わってほしい悲惨なものとされているように思う。
そしてラストが特に辛い。仮に――戦争で手塚が両手を失っていたら、手塚は、日本の漫画界はどうなっていたであろうか。
悲惨な戦争話が多い中で『という手紙がきた』は一服の清涼剤。『トキワ荘物語』はとてもしんみりさせてくれる。『動物つれづれ草』も好き。
人類が退化し、代わりに鳥類が惑星の支配者になった世界を描く。その新たな世界で鳥人は高度な文明を築き、ホモ・サピエンスは鳥人の家畜になっていた。そして鳥人たちはかつての人類のように相争い、滅亡の道をたどる。
短編連作の形を取りながら鳥人たちの誕生、栄華、末路を描くんだけど、風刺的な要素の強く出過ぎてて胸焼けする。『むかしむかし……めでたしめでたし』みたいなただの焼き直しにすぎない作品もあって、低調な短編はとことん低調。
ただそこは手塚神、すげー読ませるのもあって、『うずらが丘』は物語の展開力とオチの冷淡な語りおよび視線がさすがの一言だし、『トゥルドス・メルラ・サピエンス(ブラック・バード)』のような掛け値なしのイイハナシダナーにはホッとさせられた。
とはいえかなり疲れさせられるお話であることは間違いないかな……。
時は幕末。世渡り下手だが一本気な府中藩士・伊武谷万二郎と女好きだが顔の広い蘭方医の卵・手塚良庵は最悪の出会いを果たす。だがふたりは腐れ縁のように固く結びつき、ともに動乱の時代を駆け抜けていく。万二郎は下級武士ながらとある事件がきっかけで出世街道を上り、一方の良庵は大坂の適塾を経て江戸の種痘所開設に尽力する。ふたりの青年と、日本の未来はいかに。
うーん、感想の言いにくい作品。面白かったけど、中盤から物語に暗い影が落ち始め、読むのがちょっとしんどくなってしまった。手塚作品にしては長く、それでいて物語が綿密に練り上げられていることは間違いないんだが、同時に間延びしてしまった感も否めない。万二郎を主人公に据えたがゆえの限界という面もあり、愛すべき馬鹿には違いないけど、もうちょっとどうにかならんかったのかというのはある。同じ幕末を扱った『新選組』が青雲の物語であるならば、『陽だまりの樹』は凡庸な人たちの物語、という感じ。
人生に思い残しがある者は死に場所でしか生きた証を残せない、という話はあって、彼女(名前だすとアレなのでボカします)にそれが与えられたのはしみじみ良かったなーと思う。ひきかえ万二郎はそういう悲愴さとも無縁で、さいごまで読者をすっきりさせてくれないやつだった。だけどやっぱり憎めない。
お気に入りのキャラクターは、平助、お紺、お品。三人にはいっしょに酒を飲んでもらって、生きてりゃそりゃ辛いことのひとつやふたつあるよなーって盛大に愚痴ってほしい。
2日目の昼ぐらいに気づき、結局それからひたすら読んでた。ああ、もっと早く知っていれば!(BJとか火の鳥とかが入ってないのは読んだことがあるから。火の鳥は再読しておきたかったけど、せっかくの機会なので未読作品を優先した)
全体的な感想を言えば、俺がおっさんだからだろうけど、青年向けの作品の方が読み応えあった。『ジャングル大帝レオ』や『海のトリトン』は当時革新的だっただろうけど、さすがにいま初読だと平凡って印象が拭えない。それらに並ぶ子ども向け作品の『リボンの騎士』は、今でもおもしろいし、男の子の心と女の子の心が入った王女様が王子様のかっこうをしなくちゃいけなくて……という設定を思いつく手塚神ほんと神ってるなと。
大人向け作品はやはり『アドルフに告ぐ』が文句なしの傑作。行き当たりばったりで連載していたというブコメがあったけどマジか。震える。
短編のイチオシは『バイパスの夜』かなー。「極限まで削ぎ落とした体に鬼が宿る(byライスシャワーCM)」じゃないけど、無駄が何一つ無い完成品とはまさにこのこと。
今回よんだ中で一番好きなのは『新選組』。あそこまで美しい作品はなかなかない。
一番好きなキャラクターは『リボンの騎士』からヘケート。容姿、性格、行動力、作中での立ち回り、どの要素も俺の心を惹きつけてやまない。心に残るキャラクターだった。次点で『陽だまりの樹』からお品さん。
それにしても本当に手塚神がいてくれてよかった。日本漫画界に残した足跡の大きさからしてもそうなんだけど、それ以上に何十年たってもその著作が色褪せずに面白いってほんとすげーこと。これからも多くの人に手塚治虫の諸作が読みつがれていくことを確信して筆を擱く。
こちらは元増田についたブコメに対する反射的な返信コメント。随時追加。
少しずつ書いたのでキャラや主張に一貫性がないかもしれないがご勘弁を。
一部気まぐれで煽ってみたり、俺が見たとき「あとで読む」の人は飛ばしてしまった。あとひょっとしたらIDなどに誤記あるかも…不満があったらトラバで教えて。
あと
この件についていろんな人の意見が聞いてみたかった。トラバ・ブコメの皆ありがとう。
とくに反応薄かった最初のほうでもトラバブクマしてくれた方々には特別感謝です。
http://anond.hatelabo.jp/20170608123253
*****以下返信*****
cloq センス光る働いてるフリ
kurakano こゝろ の先生みたいな?彼はあまり幸せそうじゃなかったけどね。
msdbkm あ、それすごい気になる。そんな漫画あったっけ
teebeetee ちょっと別の話だけど相続フリーだと富は固定されるね。まあ重税課しても富裕層は最大限の税対策で切り抜けるだろうが。
masudamaster たしかに何やってんのかな、ヒマだろうに。創作活動とかいそしんでるならうらやましい。
mementm0ri いい意味で「頑張らないことを頑張る」のやつね
sumika_09 けんきょ
btei すでに働いたアリの話?誰かの遺産ならうらやましい。
sds-page 願望では?でもたしかにそれくらいならいいか感ある。ネトゲはネトゲで何か生まれるものもあるらしいしね。
quix_que 不労所得は駄目なの?じゃあ生活保護はいらんなぁ
locust0138 すがすがしいなぁ。少しずつ前向きになれるといいね。
BIFF 素晴らしいこと。こういう人が摩耗しない社会が良い。
mcgomez ベーシック現物支給の手がかり?コンビニ側にもメリットが必要だな。
demcoe なんていい言葉。美味しんぼか。ちょっと見直した。
mazmot なんか妥当な考え方かも。とりあえず生きていけて再就職もかなうならみんなつらい環境に縛られずに済むな。
yosukegatz そうなのか。金の管理がうまくできない人ってのも少しいるみたいだな。それはほっとくしかない?
cleome088 よくわからん…子どもにはいろんな経験させてあげたいけど。義務教育中の遠足じゃ不十分って話?
teto2645 そうだね。俺の理想は好きなことやって対価得て生きていくこと。動画配信はしない。
wow64 (たしかにそうかも)
masumizaru 現時点でワープアだけどね。頑張り方変えて頑張ろうぜ!はマッチョすぎ?
oakrw ほんとそれって言いたいけど俺は営業の仕事できそうにないから実はちょっと尊敬してる。
tanicochang その通り。でも人は自分と自分の周りの人が死ぬのはイヤって気持ちをわかりあって、だれも死なずに済む仕組みを作ろうとしてるんだね。
Palantir 説明不足だった。その中身を自分なりに詰めたいって話。与えられた基準で思考停止するならこんな増田書かないよ。
enemyoffreedom (どきっ)
htb48 ほんとにそうか?誰かに決められた基準に合わせて自分を納得させるのが正しいか?自分の考えはいらんのか。そしてできれば限られたリソースの中で現実的な理想を語りたいんだが。ちなみに働くと頑張るは確かに別のことだな笑 頭の中で対象を無職受給者に絞り込んでしまっていたわ。
gazi4 なん…だと…
zund4 まじで?てっきりやらない理由探しで文句しか言わずに努力しないダメ人間かと…
sumena ほんとそれ。俺は金銭管理に自信ないから現物支給がいいなぁ。実現が待たれる。
htbman たしかに。働きたいけど働けない人を生かせないのは損失だよな。
ma_yu_mi_net 俺は大人にも言わないでおくよ。
htnmiki その境目の判断は難しい。自分で働けないって思ってる働かない人も、その逆で苛む人もいるだろう。
kamayan1980 俺は自分の理想の実現につながる生産活動のことを「頑張る」言ってることに気付いた。全然一般的じゃなかった。少なくとも我慢や作業時間の切り売りを直接指していない。
rekp (ちょっとあこがれる)
sekisetsu_ibuki 実際裕福で不幸な人もいるんだろう。ザッカーバーグの「目的意識を持った人生」の話を思い出すな。
guinshaly たべたいよ…ハッ
Nihonjin 興味深い。生きるために必要なものが増えすぎた?それともやはり貨幣の寡占のせいなのか。
kkzy9 今の延長線上がお前の理想か?こっちは現実的な理想を探してんだけど、興味ないなら無理しなくていいよ。
Kil 同意。でも果たして働かない人が同じことを言うだろうか、とも。
bigapple11 たしかに言葉の定義があいまいだったと反省。というか想定を無職生活保護自給者に絞り込んでしまっていた。共産主義は体験したことないのでわからんが、チェブラーシカ見てると楽しくなさそう。
miki3k その内容の話ね。あなたの最低限文化的はどんな感じ?
kaeuta 労働環境の話か。たしかに頑張る人がつらくなく頑張り続けられる環境づくりは今一番の緊急課題。そういう政治家を応援しよう。
outroad そうなのか。俺は実態を知らないな。ただ保護から抜け出せない仕組みはクソだと思う。
TANSTAAFL えっ過酷
sugikota それは資産&教育格差の話?そのことと働かない人への保護に関係が?
deep_one 説明が足りんかった。その中身を話したい。正解ではなく、いろんな人の話を聞きたいのです。
beerbeerkun ないだろうな。本当に依存度の高い人は「基本的人権!」「最低限度文化的!」を我が物顔で振り回す。
hiby それはすごい応援したくなるな!!
monobako2 (ぼく破産しそう)
yoiIT 別の話だけどその通りなのかも。人を人として見るのも限界があるのかな。
sekreto そうだね。頑張ってる生産的な人が報われるといいって気持ちが俺にもあるわ。
shinonomen そうそう、そういう話がしたい。でもそんな違いを尊重する余裕は少なくともこの国にはなさそう
AKIMOTO たしかに相続による資産の固定は問題だよね。世界一斉に紙幣刷って大インフレ起こそう!(適当)
akihiko810 何をひどいと感じたの?寒さ?アリ?
aceraceae 虚無感すげえな。資産家と立場逆転とはいかんでも、食うくらい頑張ればできるし食うなら頑張れよってのは俺の思い込みなのだろうか。
ysyncysync いらっしゃい
midastouch レーニンはそう言ったらしいね。ところで何かと理由つけて働かない人をレーニンはどうするんだろう?
DukeK うわー十分。俺だったら松屋でもうれしいもん。
yarukimedesu おお、情報ありがとう。たしかに米なら政府主導でもできそうだよな。できないとしたらなぜだろう?
kakaku01 支給額見たらそのへんで働いてる人より手取り多いのザラだからな。実際はそんなことない?
richest21 wikipediaでは聖書あたりらしいからまあ古いわな。現代人を導く新しい寓話があったらどんな感じになるだろう?
otihateten3510 たしかに働かない・働けないの区別は難しいよな。じゃあどうカテゴリ分けするのがよさそう?
ustam マジレスすると罪悪感はいいから感謝は忘れず生きてほしいよな。
ryokujya 休める期間やそのためのセーフティネットがあるのは素晴らしいけど、人と関わらず一生何も生み出さない人がいたら正直「よく生きてられるな、人権以外に生きる支えが無いじゃないか」と怖く感じる。
ex02xx こいつ良いトンカツ食ってんな…
guru_guru それはそれで不自由だが、その心配がないから自由なんでしょ
h20p 本当にそう。このブコメでも頑張る=つらいことっていう認識があるとよくわかった。
primedesignworks そいつらの問題は別の話な気はするな。そっちも今度問題提起してみるわ。
shiju_kago アリのシステム有能だな。しかしその被害者意識はなんとかならない?
IkaMaru 正直最低賃金ってのがどこまで状況改善するのかわからないんだが、潰れる会社が増えて不景気になったりはしないの?知りたい
rag_en 俺自身は頑張ってるほうが精神的に健康というか、家族に依存しているときに立つ瀬がなくてつらかった。人によるだろうけど。
go_kuma よくわからん理由で特権階級握ってぬくぬくな奴らもいるからな。そっちの話もしよう。
GOGOGG 俺もそう思う。でもそれが当り前じゃないみたいなんだ。
Waspkissing いぢめないよぉ
dekasasaki それ。そういう仕組み作りに金が使われたらいいなぁ。
lbtmplzlbtmplz 不労所得がいらないってんなら生活保護・BIも
dogear1988 まじで?それもこわい
skythief えっそういう意識あった?ほとんどのいい思いしたいし周りの人に役立ちたくて働いてるものかと思ってたが。
yomo_w5_3 まあ商品の価値が下がってしまうから経営判断は理解できるけど、でもなんかもっとできそうだよな。
quwachy BIも医療のトレードオフになったりするなら弱者切り捨てだけどな。
mugi-yama 俺もそれが自然に感じるな。その時自分が取れる気はあまりしないけど。
hxd9 元増田は切り捨てろって意見にはしなかったつもりだが。発達障害も一枚岩ではないから難しいんだよな。
sakurako_nya その切り分けは難しいのが実際だよな。誰がその可不可を正しく判断できるだろうか。
t_massann 俺も普通にいいコメントだと思ったけどセリフっぽいからぐぐったら美味しんぼだった。でもいい言葉知った。
snaflot そうさな。
rAdio ありがとう!
toppogg それ相当苛酷じゃない?広さはともかくエアコンは生存を分けてしまいそう。
u06nh それが本当の喫緊課題だよな。アリが働き場所を選べるようになるといい。
Galaxy42 こっちがよくわからんわ…
nemuiumen え、それ実現可能?もし実現するとしたらどれだけの「頑張り」がいるだろうか。
potohud そっか。ちょっと思い違いをしたわ。でも反応見れたし聞いてみてよかった。
takayaarishima "頑張ってる人が報われる社会でありますよう。"同意。ただの好みなんだけど、そういう社会がいいと思う。
lli 21世紀中にそんな社会を実現したいなら、今の世代が頑張んないといかんだろうね。
tohima 何不自由なくってすごいな。資源は限られてるけどな。
k2wanko ドン勝つというすごい勝ちそうでいてドンケツにもなりそうな絶妙なネーミング
homarara 働けないと働かないの区別は難しいだろうな。でも病気の人は例外にしたいって感覚は結構ひとつの大きな論点だと思う
nowa_s いいね。そういう感じが当たり前なら納得感ある。やっぱ医療はターニングポイントとも。
algot そうなん?まあこう読み替えてもらって構わんよ。「働かない人に配られても納得感のあるリソースとは」
gabill 資本主義の要素がわからんかったが、現物支給の様子を想像できた。服のくだりはちょっと怖いな。
oudoon そうだね。何が足りない?どこが足りる足りないの分岐点なんだろう。
hate_flag またトンカツの話してる。しかしそうか、じゃあ今頑張れる人は未来の社会で頑張らなくてもいい人が増える方向に頑張ればいいんだね!
mangakoji あっ全然わかんねえ。頭よすぎ。よく言われるでしょ
wdnsdy そうだな。俺も現実に人間を区分けすることができるとは思ってない。でも考えてみるとちょっと面白いだろ?
assaulter そうだな。車もしばらく空を走る予定もなさそうさ
roja123 もちろん俺自身はそうする。あ、そういう考え方もあるのか。
chikoshoot いやほんとなんの話なの…
nakamuramakoto それは確かに。頑張る人には生命維持より(マズロー的に)高いレベルのインセンティブが与えられればいい気もする。
genkaiwave それ働かざる者の話?むっちゃ働いてるように見える
hatekun_b え、今あるものを活かして頑張ることまで否定する?原始に還れと?
gattsu09 その意味では我々はすでにそこそこ素敵な経済社会に生きているともいえる?
ore_de_work あ、俺死ぬかも。冗談でもなく、そういうことの話だな。
watapoco そこまで言われると俺も読まねばなるまい
nokogiring 優しいブコメを見よ。
Dai44 たしかに人は環境で育つ生き物だよな。その意味では親が働かなくても子が好きに立身できるような仕組みが必要ということか?
j3q じゃあ何が大事なんだ?どうなればポーラの人生は変わったの?お前の言葉を聞かせてくれ。
sato-gc 「いやだなぁ、頑張れない人なんているわけないじゃないですか!」さておき、社会復帰をスムーズにするのに役立つなら職業訓練は全然ありだと思う
h5dhn9k 数値が出たら正確でいいけど、実際には苦しむ人が増えそうなイメージだな…
ntnajp605 死ねとはさすがに言えない。そんなこと書いてたか?まあ読んでないんだろうけど
younari それが現実だわな。じゃあ改めて問いについて考えてほしいんだけど…
hungchang 素直。でも問いと真逆。まるで働くくらいなら死んでやるとでもいわんばかり…死ぬなよ
minoton あの世界観には素直に憧れる。実現できるといいよな
fuck-it 共産主義ってのは労働を強制したんだな。さすがにシベリア送りにもできないが…
broccomini 揚げ物上手につくれるのいいね(そこじゃない)
tokatongtong ではその件はまた別の増田でお会いしましょう。ちょっと待っとれ
gameloser せめていい音楽を奏でてほしいものだ。(適当)
perl-o-pal 彼はほら、モテモテ王国を神に約束されているらしいから…(wikipedia)
neco22b 供給者と消費者は兼役できるでしょ。消費増やすのがムズイってのは別問題だけど、どうしたらいいかは気になるね。
rocoroco3310 生きていけるのがいいとは俺も思う。もともとはどのくらいの水準で生きていけるのがいい?って話だったんだ。
qoqoqo そうかもしれんな。飢える人はいないほうがいい。
ghrnghrn すべからくって難しいよね。誤用しやすいし…
nobby81nobby81 野菜350gが云々 なにげに高等な食事だな。羨ましいくらいだぞ
daibutsuda そういう話してたっけ?
nisisinjuku いいよな。あれがあんな値段で売ってるなんてキセキ
kasugano まあそうだな。少なくともその理想に至るまでの努力については想像できない人も多いだろう。
hebereke2017 そうだね。そこで気になるのは、それを選ぶくらいの自由は働かない人にも与えられるべきなのか?(べきだと思うけど)
takeshi1479 リベラルも宗教背景もよく知らんけど、頑張る人が報われてほしいのは同意だね。
hashigohinan ホームレスだって家があるほうがいいと思うけどね。そうでもないんかな
sayuremix きっつー
suna_kago 本当にそうなの?たんにソ連ではそう使われたって話じゃなくて?
pmintpmint 食える人少なそうだな…。隠すのが美徳って悪習じゃね?
mu_minnnida そう考えるとやはりセーフティが充実し過ぎても損失あるな
bedtown 縦関係を脱出して横関係を築こうってことか。そうなれないのはなぜなんだろうな。
sukekyo なんかわかりやすい…
warulaw そうだね。てか何かと理由つけて絶対やらないだろう。配布する側にもメリットが必要
kibarashi9 ここは良くはなくとも優しいインターネット。あなたはいつも悪いものを探しているね。
cybo BIいいよな。すがすがしいほど自己責任だけど。本読むわ。
nenesan0102 また死ぬ話してる…。安楽死が制度化するのは賛成だけどね。どうしたら実現できるだろう?
legnum それは少ない…。生活保護じゃなくて働いてる人のほうが。そう考えると生活保護と最低賃金は連動してもよさそうなものだね。実際はどうなんだろ?
ak148 そうだね。実際は頑張ってれば食えるってわけでもなく、自分で考えて動いて初めて欲しいものが得られる可能性がある、ちょっと厳しい社会。
jou2 三点リーダいらない
人々が自分自身で立身し、その財産を管理し、その事業を盛んにして、そうすることでその一生を全うすることができるのはなぜかというと、それはほかでもない、身を修め(=自分の行いや心を整え正し)、知識を広め、才能や技芸を伸ばすことによるのである。そうして、その、身を修め(=自分の行いや心を整え正し)、知識を開き、才能や技芸を伸ばすことは、学問によらなければ不可能である。これが学校を設置してある理由であって、日常普段の行い、言葉づかいや書道・算数を始めとして、役人・農民・商人・様々な職人・技芸に携わる人、及び法律・政治・天文・医療等に至るまで、およそ人の営むもので学問が関係しないものはない。人はその才能のあるところに応じて勉め励んで学問に従事し、そうして初めて自分の生活を整え、資産をつくり、事業を盛んにすることができるであろう。そうであるから、学問は立身のための資本ともいうべきものであって、人たるものは、誰が学問をしないでよいということがあろうか(=人間誰しもが皆、学ばなければならないのである)。
あの、路頭に迷い、飢餓に陥り、家を破産させ、わが身を滅ぼすような人たちは、結局は学問をしなかったことによって、このような(結果をもたらす)過ちを生じたのである。
これまで学校が設けられてから長い年月が経っているとはいっても、場合によってはそのやり方が正しくないことから人はその方向を誤り、学問は武士階級以上の人に関することと考えて、農業・工業・商業に従事する人、及び女性や子どもに至っては、学問を自分たちとは関係のないものとし、学問がどういうものであるかをわきまえていない。また、武士階級以上の人で稀に学問する者があっても、どうかすると学問は国家のためにするのだと言い、学問が立身の基礎であることを知らずに、
ある者は文章を暗記するなど瑣末なことに走ったり、空理(=実際とかけ離れた理論)や虚談(=事実に基づかない話)に陥り、その言っている論は高尚であるかのように見えるけれども、これを実際に自分自身が行い、実際に実施してみることができないものが、少なくない。
これはつまり、長い間従ってきた昔からの悪い習わしであって、文明が行き渡らず、才能と技芸が伸びないために、貧乏な者や破産する者、家を失う者といった連中が多い理由である。こういうわけで、人たるものは学問をしなければならないのである。学問を学ぶためには、当然その趣旨を誤ってはならない。このために、このたび文部省で学制を定め、順を追って教則を改正し布告していくので、今から以後、一般の人民(華族・士族・卒族・農民・職人・商人及び女性や子ども)は、必ず村に学ばない家が一軒もなく、家には学ばない人が一人もいないようにしようとするのである。人の父兄である者は、よくこの趣旨を十分認識し、その子弟を慈しみ育てる情を厚くし、その子弟を必ず学校に通わせるようにしなければならないのである。高度の学問に至っては、その人の才能に任せるといっても、幼い子弟は男女の別なく、小学校に学ばせないのは、その父兄の手落ちであることになること。
ただし、これまで長い間従ってきた悪い習慣であるところの学問は武士階級以上の人のことだとすること、そして学問は国家のためにすることだと言うことによって、学費及びその衣類や食事の費用に至るまで、多くを官に頼り、これを給付してくれるのでなければ学ばないと思い、一生を自分から駄目にしてしまう者が少なくない。これは皆惑っていることの甚しいものである。今から以後、これらの弊害を改め、一般の人民は他の事を投げ捨てて自分から奮って必ず学問に(自分自身を)従事させるよう心得るべきであること。
右の通り仰せ出だされましたので、地方官において、片田舎の身分の低い人民に至るまで漏らすことのないよう、適宜、(学制の)意味を説き明かしてやり、詳しく細かく申し諭し、文部省規則に従い、学問が普及致しますよう、方法を設けて施行すべきであること。