はてなキーワード: 時代の空気とは
などと書くのは大袈裟なつまんない話なんだけど、
かつてこの国ではね、一億総中流とか言われてた時代があったのよ。
一部少数の上流家庭はいるだろうけれど、下流の貧困家庭というものは払拭されてみんな中流なんだ。
という感覚な。
これが特に批判もされることなくテレビなんかで公言されてたの。
なんで批判されなかったのかと言えばみんなその通りだ、わたしもあの人も皆んな中流だと思ってたから。
これを書いてるわたしも子供ながらにうちは中流だな、と思ってた。
そんなわけねえよな。
少なくともウチはどちらかと言えば貧乏だった。
冷静に考えれば中流ではなかった。
でもさ、時代の空気なんだよ。
とにかく景気が良くて湧き上がるような時代の空気。
というより、他の格闘技のほうが圧倒的に少ない。
実は総合格闘技の漫画はないわけではなく、有名所で『オールラウンダー廻(格闘団体『修斗』の空気感を強く反映している)』、マイナーで古臭い『格闘太陽伝ガチ(『PRIDE』時代の空気を色濃く反映している)』などがあり、未読のものでも『鉄風』、『ハナカク』等があるらしい。しかしほとんど無名でしかも数が少ない。
例えばなぜ総合のスタンディングは間合いが遠いのか、という視聴初心者にはまるでわからない問題から、テイクダウン(相手を倒す所作)タックルの入り方、入ったあとの攻防でどう立ち続けるか、などスタンディングから寝技に入るまですらいくつかの段階がある。寝るともっと細かい。しかしこれだけでは理由にならない。何故ならボクシング漫画にも細かな攻防が散りばめられてるし、こうした細やかさは『はじめの一歩』を皮切りにしてその後の漫画で通例となっている。例えば右ガードを上げっぱなしにして直ぐに左の返しを打つ、縦拳でねじ込むなどの試合を見るだけではわからないテクニックが盛り込まれる。
特に初心者の場合、総合で寝技に入ったあと困惑しがちだ。「この人達なんで抱き合ったまま動かんの?」が一般的な感覚だろう。漫画にする際に一番問題なのがこの地味さだ。ともかく総合のグラップリング(組技)のビジュアルは地味に尽きる。よほどの実力差がないときれいに腕とったかと思ったらそのまま頸動脈を締めてフィニッシュ、なんてことにはならない。ダラダラと抱き合って時々ポンポンと叩いたかと思ったらまた起き上がる、の繰り返しだ。人気が出にくいのも無理はない。しかしその地味な中で選手は常に目まぐるしく考えている。ハーフガードから足を抜いてサイドを取って、裸絞か腕十字の二択をかけながらバックチョークを狙い、更にこの中間にパウンドを挟んでゆく、という思考ゲームを繰り広げる。故に柔術は才能や瞬発力より学習と反復であると言われており、特に能力のうち努力の比重が高い(もちろんフィジカル面において足が長いほうが有利、体重差は関係するなどの条件は一応ある)。こうしたほぼ見えてこない攻防は柔術教習系のYouTubeを何度か見ることによって初めて理解されるものであり、そうでない限りはまるでわからずに試合が過ぎてゆく。漫画でこれを再現するには動きのないシーンをずっと続けなければならない。つまり決定的に漫画やアニメに向いていない。総合を漫画やアニメにする場合、両者が軽量級で締めや関節の攻防がスピーディーに繰り広げられるという目まぐるしい展開を技と作らなければならない。
ボクシング漫画は効能がわかりやすい。こう殴ればこう効く、こう殴ればジョルトカウンターだ、といったビジュアルでの説明がそのまま通用する。ボクシングが思考ゲームではない、頭は使わないと言ってるわけではなく、見た目がわかりやすいのだ。
しかし総合は微妙な違いを上手に絵として伝達しにくい。試合ですらわからないのに、同じビジュアル重視の漫画・アニメで十全に理解されるわけもない。
実は今日のYouTube界ではもはやボクシングのほうがマイナースポーツ扱いである。畑山・竹原・渡嘉敷のご三方が出演するチャンネルも総合格闘家の朝倉未来をゲストに迎えてやっと跳ねるという具合で、井上尚弥以外は完全に下火だ。京口紘人の防衛など一般人はほぼ知らない。
が、いわゆる格闘技と言って未だに思い浮かぶのはボクシングないしプロレスである。なぜなら総合格闘技興行である『PRIDE』が外資に買い叩かれて空中分解し、『K-1』が財政破綻で解体された後、日本の格闘シーンには長い空白期間が存在したからだ。後にキックボクシングなどが日の目を見ることはなかったし、K-1の再生と『RIZE』や『KNOCKOUT』と神童・那須川天心の訪れを待ち、更には『THE・OUTSIDER』『RIZIN』の登場を待たねばならなかった。一般市民がプロレスとボクシングが格闘技だという認識を持つほどに、格闘技は忘却されていたのである。
総合格闘技の知名度は『RIZIN』次第になってしまったが、これからというところでコロナが襲いかかってきた。試合は国内の選手だけに限定され、海外の強豪と試合をするチャンスは潰えた。また、同時に国内のバンタム級王者マネル・ケイプが海外の総合格闘技団体大手の『UFC』で連敗するという事態が起こり、今もまた危機的状況にある。
こうした浮き沈みの激しさから題材化する事が大変難しい。キックの場合でも再生した現『K-1』の安定からメディア化の波が起こってもおかしくはないが、ルールがいわゆる肘ありと首相撲ありのムエタイルールとは程遠く、漫画化するにしてもキックの代表格として扱うには難しく感じられる。
総合は細かすぎる技の数々、見た目の地味さとわかりにくさ、競技人口の少なさとマイナーさなどが相まって漫画家が難しい分野である。キックはボクシングと同じく題材化しやすいものの、マイナースポーツ感がさらに強い。
ちなみにタイトルからして『メガロボクス』を思い浮かべた人も多いだろうが、ボクシングと言うよりボクサーの生き様が焦点であり、今回は語らなかった。『メガロボクス』単体なら長文を書けるほどに好きだが。
追記01:競技として完成されつつある総合格闘技と古き良き異種格闘戦はだいぶ毛色が違う。細かく言えば総合の始まりであるバーリトゥードと今日のMMAは別物と言っていいし、ストリートファイトと総合格闘技もだいぶ違う。そんな意味で刃牙は異種格闘戦あるいはストリートファイト的だし、総合の範囲を広く取りすぎると述べたいテーマから逸脱する。『エアマスター』はストリートファイト的な上にファンタジーが多く、リアリティよりも勢い重視なので総合漫画とは言えないし、修羅の門もファンタジー(技についての意味)武術漫画で総合とは無関係だったり。
けして上記漫画がつまらないと言ってるわけではなく面白いと思う。ただ総合じゃないよねと。あと『史上最強の弟子ケンイチ』に触れてなかったけど、詳しくないのに言うのも気が引けたし、『ツマヌダ格闘街』は読みたいけど読んでなかったのでほんとすまん。
追記02:柔道漫画を上げる人がいるけど、柔道と柔術じゃグラウンドの攻防がまるで違う。そしてMMAの柔術と競技柔術でも全く違う。競技漫画として柔術と柔道が比肩するという意見は的が外れている。
エヴァについて色々質問してくる娘に答える。昔流行ったアニメであること。今も作られ続けていて、今度ようやく完結すること。画面の中で動くキャラの名前と兵器のこと。あれこれと説明していく私の横で、娘は一言こう言った。
「面白い?」
私は答えられなかった。あらためて新劇場版を前にして、序を見ても、破を見ても、浮かんでくるのは「懐かしい」「キャラがかわいい」という感想だけで、「やっぱり面白いな」という感覚が私の中になかったのだ。1995年のテレビ版と2007年の序を観た時には確実に心にあったものが、今はすっかり抜け落ちていた。
一体私は、あのアニメの何を楽しんでいたのだろうか?
1995年当時、エヴァが社会的にヒットした理由は「新奇性」なのだと思っている。暗い世界観、謎に満ちたストーリー、コンプレックスを抱えたキャラクター、迫力の戦闘シーン、人間ドラマ、そして何より「空気感」。
後世に残る大ヒットをかました作品は、往々にしてその時代の空気感を反映している。エヴァというものは今までに無かったもので、そこに震災やらオウムやら世紀末やらといった「世相」が絡まっていた。1995年に生きた人間にしか分かり得ない何かがあって、でもそれは2021年からは振り返れない何かであって、その熱量が本物だったから、エヴァは時代を超えるアニメになったのだと思う。
当時小学生だった私は、エヴァの裏にある複雑なストーリーは理解していなかったが、「何か凄い」という感覚だけは頭の中にずっと走っていた。それは私よりずっとずっと大人の人も同じ感覚だったのだろう。「〇〇みたいなアニメ」という枠で語れない、それが新世紀エヴァンゲリオンであった。
新奇性がそこにあった。時代の先駆者となれたからこそ、25年も続くアニメシリーズが作られ続けたのだ。
しかし、今は違う。エヴァンゲリオンフォロワーは世の中に多く溢れかえり、設定も、キャラクターも、その後に続くフォロワー達の中に埋もれていった。アニメの表現が自由になるにつれて、「エヴァっぽさ」は1995年という文脈から独立して一人歩きを始め、当時の世の中を取り巻いていた空気は、25年の歳月の中で霧散していた。
スペースオペラの金字塔を打ち立てたスターウォーズが、新三部作で散々な評価を受けたように、またオープンワールドの先駆けたるシェンムーが、20年の時を経てリリースされた3で大ゴケしたように、時代の先駆者は、往々にしてその後のフォロワー達からの突き上げにあい、自分の立ち位置と時代性を見誤る。オリジナルからのブラッシュアップを得たフォロワー達は、技術進歩と数の恩恵を受け、先駆者を時代遅れへと追いやっていく。
それでも、先駆者は死なない。死ぬのは2番手以降の粗製品だ。一番乗りにはブランドと、話題性と、そして神話があるのだ。
その神話はエヴァにおいては非常に重かった。定期的(と言えるか微妙な間隔)に公式から供給がある。あのころのファンは存命で、まだ強い熱量を持っている。そして何より、エヴァはまだ完結していないのだ。
しかし、序からでさえ14年経った。もう時代遅れなのではないだろうか。2021年の空気感を捉え、エヴァを完結へと導くには、あまりに長すぎる時が経ってしまったのではないだろうか。私は一挙放送でそう感じてしまったのだ。
それは私が大人になったからなのかもしれない。色々な作品を観てきたうちに、珍しさも目新しさも感じなくなり、エヴァそのものへの興奮が薄れてきたからかもしれない。
隣に座っていた娘におそるおそる聞いて見た。「エヴァ、面白いと思う?」
私が子どものときに抱いた感想と同じであった。娘は娘で、エヴァを「なんかすごい」ものだと思っている。
子どもは面白さに敏感だ。面白いものを前にしているときは、外から分かるぐらいはっきりと目がキラキラする。しかし、画面の前に座っていた娘の目は、Youtubeを見ているいつものときとあまり変わらなかった。
娘は派手なシーンでよく「すごい」と言う。それは恐らくアクション映画を観る感覚であり、一瞬一瞬のパーツの面白さを味わっているのだろう。TwitterやTikTokの動画のようなインスタントな面白さが、ハイテンポで繰り返される、その状態をすごいと表しているのだと思う。
「〇〇とどっちが面白い?」口にしかけた言葉はすんでのところで飲み込んだ。
Twitterで散見された感想も、ほとんどはキャラクターへの感情だけであり、ストーリーや、世界観や、その他色んな「エヴァらしさ」に触れている人はあまりいなかった。ハッシュタグを追って見ても、あのころを懐かしむ意見ばかりで、新たにエヴァの世界に参入してきた人は見かけなかった。
もう、そこには「新奇性」は無いのだ。世界観も、メカニックも、専門用語の羅列によるバトルシーンも。何なら綾波やアスカといったキャラクターすら、無数のフォロワー達によって「よくあるもの」となっていた。新世紀から20年経ち、時代はエヴァを完全に置き去りにしていた。
でも、エヴァはまだ死んでいない。新劇場版4部作、中でもアニメと大きく異なる3、4作品目、ここにまだエヴァが残されている。エヴァらしさのほとんどは時代によって風化したが、まだ、一番大きなものが残っており、ファンもそれを強く求めていた。
そして、その期待を受けて出来上がったのが他ならぬ「エヴァQ」であったのだ。
私は、エヴァQは残された「エヴァらしさ」を極限まで追求した結果生まれたものだと思っている。その純化した素材は、考えられる限り最悪の料理を作り出したわけだが。
何も描かれていない背景の下でぐりぐり動くメカ、声優と口調以外に面影のないキャラクター、そして「難解」というよりも「支離滅裂」なストーリー。最先端だったアニメ表現は当たり前のものとなり、1995年の空気感どころか、2012年当時の空気感すら作れていなかった。
Qを観て、私は思ってしまった。目の前で繰り広げられる群像劇の一つひとつが、キャラクターの心情を深掘りするのではなく、制作者の考えたオ○ニーを少年少女に代弁させているだけのような気がしてしまったのだ。ただただ意味の無いセリフが飛ぶ奇妙な寸劇を眺めて、言い知れぬ不快感を覚えてしまったのだ。17年の集大成が結局ただのキャラ萌えであり、もうエヴァはとっくに時代に耐えられないのだと、そう感じてしまったのだ。
だけど、エヴァがどこかに向かって逸れていくのは、きっと仕方がないことだ。エンディングをぶん投げてから25年、今さら「シンジ君がサードインパクトを止めて世界を救いました」では、ファンが許さない。時代が進むにつれエヴァは古くなっていき、それに反比例するようにハードルは上がっていく。
もう一度エヴァが築き上げたものを再構築し、あの熱狂を甦らせようと、制作者はエヴァらしさを突き詰め続けた。ただ、その先に、未来が無かっただけなのだ。
一体私は、このアニメの何を楽しんでいたのだろうか?
3月8日、いよいよ新劇場版最終作が公開される。私も娘を連れずに観に行くつもりだ。
しかし、正直きちんと完結するとは思えない。毎週更新され続けたテレビアニメ版ですらまとめきれなかったのだ。たった4作で綺麗に締められるわけがない。
ただもし完結することがあったなら、ファンがかける言葉はきっと、「面白かった」や「つまらなかった」よりも、「完結おめでとう、お疲れ様」なのだと思う。それはまるで野球選手の引退試合のように、時代と戦い続けた者を称え、時代に敗れた者を見送る、そんな言葉がたくさん注がれるのだと、私は強く思っている。
なんでDV傾向のある異性と付き合うの?馬鹿なの?みたいな意見があるが、
これも言い方が悪いがマゾの傾向があると言ってもいい
より正確に表現するなら、権力や暴力への帰属欲求が高いといえばいいのだろうか
つまり、暴力がすべてを解決する、という親元で育てば、配偶者も子供もそれに習うだろうし、
相手の、暴力が全てを解決する、という価値観を全力逃亡もせずに受け入れているのであれば、
つまり、現実的な取捨選択や消去法も含めて妥協しているともいえる
その結果として、そういった家族や組織全体に他者への虐待傾向が広がって蔓延していく
どうしたところで組織とは空気に支配されるものであり、これは仕方がない面がある
ナチスとアイヒマンだってそうだろうし、アイヒマンに対する評価も変わってきており、
彼の供述などから彼自信にも差別や暴力的傾向があることが指摘されている
ユダヤ人に対する差別意識はあっても、率先して棍棒で殴り殺すというのには抵抗があったが、
国や権力がお墨付きを与えれば嬉々として殴り殺す、という人はいるのである
それは国であったり、権力であったり、組織内の空気、時代の空気だったりするかもしれない
近代的な法治国家でありサルでないのであれば、それは許されない
当然のことであろう
一般名詞の『百貨店』『デパート』『コンビニ』『ハンバーガーショップ』は頻繁に見るけれど、『伊勢丹』『ローソン』『モスバーガー』『コストコ』といった具体的なチェーンの名前ってほとんど出ないよね? あれはなんでなの?
歌詞の中で『コンビニ』ってのが出てくるたびにスカしてんじゃねーよと俺は思ってしまうんだよ。具体的に言えよと。そこがポプラか、ファミリーマートか、セイコーマートか、ローソン100かで立ち上ってくるニュアンスがあるだろうと。名前によってリアリティーが生まれ、時代の空気が記録されるだろうと。秋元康は嫌いだがAKBに『109』って曲を作ってるのは認めざるを得ない。ブルハの『夜の中を』でセブンイレブンが使われてるのも良い。こういうのが増えるといい。
の「ドラえも~ん、聞いてくれよ。ジャイアンがひどいんだ~(泣き)」
ド「どうしたんだい、のび太君。ウフフフフ~(笑い)」
の「ジャイアンが『新しいマスクだ。珍しいだろう』とか言って、半年前に買い占めたアイマスクを高値で売り付けてきたんだ」
ド「マスクと勘違いしたんだね。法の不知はこれを許さずだよ。ウフフフフ~」
の「しかも蒸気が出て、12時間は40℃以上を保つと書いてあるから、マスクとしては口元が熱くて使えないし、どうしよう」
の「(どきどき)」
の「それは、メディカル発想の三次元マスクでしょ。ひみつ道具じゃなく登録商標。マルシアじゃなく丸シーだよ」
ド「おーつるつるのギタンギタンにされたのび太君。ポケットから出た道具をちゃんとよく見て~」
の「って、それ何!マスクというか、まさに四次元ポケットまんまじゃん!」
ド「新しいマスクだ。どうだ明るくなったろう(声真似)」
の「今のジャイアンより、初代の方に似てる」
ド「生地が白いからマスクっぽいだろ?蒸気は出ないけど、ひみつ道具も出せるよ~」
の「でもそれじゃ、常軌を逸したジャイアンの解決策になってないよ」
ド「メチャメチャ厳しい人たちがふいに見せた優しさのせいだったりするんだろうね。ウフフフフ~」
の「つまり、四次元ポケットはドラえもんのお腹みたいに、紐無しでも顔にちゃんと貼り付くってか」
ド「そうだよ。あの人もプルーンをたべた」
の「ってそもそも、そんな空気も通さないぷるんぷるんの素材で口鼻を覆ったら死んじゃうよ~」
の「うわ~何するんだ。息ができなくてだんだん苦しく…ない?あれ?」
ミ「説明しよう!」
ミ「ポケットをそのまま口に密着させるというのび太の予想を裏切って、ドラえもんはそのポケットの開口部でのび太の口を覆ったのだ!」
ミ「すると、生まれる開放感!!」
ミ「普通のマスクでは、口を押さえつける布の存在にイライラするが、四次元ポケットだから中身は何も無い!布も蒸気も気にならない!まさに四次元だからできるワザ!」
ド「しかも、空気は時空を越えてやってくるから、コロナウイルスの無い時代の空気が吸い放題。青い空のように、爽やかな空気がポケットから流れてくるだろ?」
の「あと、ポケットが2枚の布からできているのは盲点だったね。鼻からアゴを大きく包み、アゴひも無しでも顔にしっかりフィットするね」
ド「大きく包むことでウィルスも完全にシャットアウトさ!そんな幸せ包むポケットこと、四次元マスクが、な、な、なんと、1ヵ月使い放題でジャスト2980円!」
の「わ~すご~い(ざわざわ)」
ド「こんなに安いと、口笛吹いて歩いていきたくなるね!さらに、同じ値段で色違いがもう1個付いてくる!」
ミ「拒否権発動」
ド「しかも、このコロナ禍の今だけ大サービス!ご使用のマスクを下取りすると、マスクのお値段がなんと今だけ…」
のミ「なんと今だけ…(どきどき)」
ド「2倍!2倍!」
の「youは曙?yo!yo!下取りでなぜ高く?って、マスクだけに、サブスク販売ってわけか。でも、お金取るなら高みの見物だね」
ド「それを言うなら高見山な。っていうか家電の下取りはなんであんなに値下げすんの?まあ、コロナとジャイアンに負けずスクスク育てよ、ってな」
今の5ちゃんねる(旧2ちゃんねる)のニュース系の板には大きな3大勢力があって、
ニュース速報(嫌儲)板、ニュース速報+板、そして通称旧速と呼ばれている無印のニュース速報板の3つに分かれている
簡単に歴史を説明するが、もともとは嫌韓・嫌中思想で右寄りの人達が集まるニュー速+と、割と保守寄りだがニュー速+の宗教のようなナショナリズムとなんでも陰謀論に結びつける思想を冷笑し若干見下している無印ニュー速の2大体制だったのだが、
10年ほど前に当時の2chまとめブログへの不満が無印ニュー速内で爆発し(細かい経緯は省くが 『まどマギ ステマ騒動』とかで検索したら大体出てくるはず)
まとめブログに寛容だった当時の西村博之氏が反まとめブログ派の隔離場所として転載禁止ルールの元で作られた『ニュース速報(嫌儲)板』にほとんどの無印ニュー速民が移住することになる。
そこから嫌儲は2ch内の一大勢力となり、逆に住民がほとんど移住してしまい出涸らしみたいになった無印ニュー速は廃墟扱いで旧速と呼ばれるようになった。
2011年の東日本大震災とその後に及ぶ日本経済の凋落、中国の目まぐるしい経済成長、日本では第二次安倍内閣が発足し、アメリカ大統領は自国民ファーストのトランプ大統領に、そして西村博之氏は2ちゃんねるの運営から離れ、後に2ちゃんねるは5ちゃんねるに名前を変えた。
そんな様々な変遷の中で嫌儲は「割と保守思想だがナショナリズムは冷笑している」というような旧速時代の空気とは大きく雰囲気が変わり「親中・親韓・反自民党の左寄り思想」というものになった。
思想としての嫌儲は多分フェミニズムとか除くとはてなにかなり近く、一言で言えば「ちょっと露悪的になったはてな」といえば嫌儲の大体雰囲気は伝わると思う。
「日本のここがダメ!」という話題はとにかくよく盛り上がって、中国や韓国の体制的な問題は認識しつつも慰安婦問題や南京大虐殺などの歴史問題についてはかなり中韓に寄り添っている感じ。
この変化は日本の情勢にあわせて進化した、とも言えるし悲観と自虐がアイデンティティで場合によっては反日とすら捉えられるその思想はこじらせ続けた結果といえばそうとも取れる。
「チョンは帰れ」「シナ人が」という中韓への差別用語が飛び交うのがニュー速+だとすると
「ジャアアアップ!」「ここは中世ジャップランドだったのか…」「韓国兄さん/中国父さんはすげえや!(本気で言ってるわけではなく、保守層が一番癇に障る言葉を選んで韓国と中国を褒め称える)」みたいな言葉が飛び交うのが嫌儲だ。
嫌儲大移住騒動から数年もすると嫌儲のそんな空気についていけなくなった人達が戻ってきたのか、あるいはまとめサイトから来たのか昔に比べるとまだまだだが廃墟だった旧速にも徐々に人が集まってきた。
こちらはこちらで大移住前の無印ニュー速よりもかなり右寄りの空気が強くなったようだった。(あと無印ニュー速民には一種のアイデンティティであった『反まとめブログ思想』も相当薄れたようだった)
昔の無印ニュー速民が今の嫌儲民で、今の旧速にはまた別の層が居着いていると考えていいだろう。
ただ右寄りのニュース板といえば旧速よりよっぽど勢いのあるニュー速+があるので、旧速の方がスレ立てルールが緩いとかそんな程度のシステム上の違いはあれど、単に人が少ないだけの第2右寄りニュース板というよくわからない立ち位置が続いた。
ここ数年で5ch内の政治情勢はまたいろいろと変わった。
メディアでもアベノミクスが失策として取り上げられることが増え、北方領土問題での失敗、連続する汚職騒動、保守層が最も嫌いそうな海外へのバラマキと移民政策。
長期化する『安倍政権』が5ch中で叩かれるようになったのだ。
リベラル寄りな嫌儲が前時代的で右寄りな安倍政権を批判するのは昔から当然のことだったが、右寄りなニュー速+からも保守的な別の視点から安倍政権はボロクソに批判されるようになった。
ここ数ヶ月では後手に回る新型コロナ対策により政治色の薄かった雑談板最大勢力のなんJですら今や安倍政権批判で一色である。
そんな中旧速は新たなアイデンティティを手に入れた。
そんな5ch中の空気に耐えられなくなって逃げてきた今や少数派の『安倍政権支持者』が集い出したのである。
『安倍政権支持者かつ保守思想(ただし、安倍総理のやることなら保守の精神に反していることでも賛成)』という妙ちくりんな思想を持つ人達の集まりになり、イマイチ差別化できていなかったニュー速+ともまた違う空気の板となった。
「保守寄りで反安倍のニュー速+」「リベラルで反安倍の嫌儲」「右とか左とか関係なく安倍総理のことが大好きなニュー速」
昔の無印ニュー速がそんな立ち位置になって、そんな小さなコミュニティができました、というならそれだけの話だが、一つ問題がでてきた。
億単位のアクセスが集まる『5chまとめブログ』はそんな5chの中でも今や極少数民族である旧速民の書き込みを中心に記事を作成するのだ。
例えば大手時事ネタ系の5chまとめブログで「検察 定年延長」で検索してみてほしい。
ほとんどのまとめブログでは政権を擁護する書き込みが目立っている、とかではなくその話題自体が取り上げられていない。
ここ数日で『芸能人が政治的発言をしている!』レベルの取り上げられ方程度ならともかく、政策の問題点とかを取り上げてる記事は大手、中小のまとめブログ含めほぼ皆無だろう。
例えば最大手の痛いニュースなどでは野党やらマスコミの失態的な話題は多く書き込みが集まるニュー速+から書き込みをまとめ、安倍政権が批判される材料になりそうな話題はあえて取り上げないか、5ch中で批判一色の中で安倍総理を崇拝しておりどんな不祥事もトンデモ理論で擁護し続ける旧速の少数民族の書き込みを絞り出してまとめる、という手法をとっている。
これは管理人の政治思想的とか左寄りな書き込みは転載禁止の嫌儲に集中しているからまとめにくい、みたいな事情もあるだろうが、まあ政権寄りの書き込みをまとめた方が広告収入を狙えるというような営業判断的な理由の方が大きいだろう。
そしてまとめブログには恐らく5ch本土よりもよっぽど多くのアクセスが集まり、5ch中で狂人扱いされている旧速の書き込みがスタンダードな意見として学生や主婦層等のライト層にネットミームとして伝播・拡散されていく。
自分は1人の5ちゃんねるユーザーとしてまとめブログが大嫌いだが、10年前の無印ニュー速民がまとめブログとの共存を受け入れ嫌儲大移住など起こさずに今の嫌儲に近い思想が月間数千万や数億PVの多数のサイト群で拡散されている世界線があればネット上の保守とリベラルの情勢図は結構変わってたのではないか?と割と本気で思ってたりする。
ちょっと5ちゃんねる(2ちゃんねる)の存在を過大評価しすぎだろうか?
まあ、もしこの中で5chまとめブログを見てる人達がいたら、5chまとめと実際の5chの空気感はマジで相当に乖離がありますよ、っていうのだけは頭に入れてほしい。
はてなブックマークでもたまに上位に痛いニュースが載ってるのを見るが、あんなゴミメディアをブクマするのマジでやめませんか?という話でした。
原点あたってないけど、基本的に翻訳年を観るとちょうどUFOや超能力が取り沙汰された、70年台の頃の作品だなと。これはあくまで国内事情で、向こうではアダムスキーなど、数年早くブームがきていた。この頃の空気感が自分の子供の頃にはまだ全然残っていて、TVでは超能力特集とか毎度のように放送していたと記憶している。
番組ではクラーク氏の科学観を云々と述べていたいのだが、どこまでいっても時代の制約を人は脱しきれないのだ、という印象が強くなるばかりだった。時代の空気を読んで何かを作らざるを得ない以上仕方ないことなのかもしれない。
科学のカウンターとして宗教的なものを尊ぶという極端なヒッピー文化的な発想、近年の疲れ切った西海岸のIT実業家がカウンターカルチャーとして嵌まるメディテーションとそう変わらない印象を受ける。西洋人はその不自然なまでの実存主義に厭世感を覚えて常に別世界に逃げ込もうとする。
厭世的と極端なユートピア思想の背景は言うまでもなくベトナム戦争にるものなのだろう。両極端な分離した心理で常に葛藤して、それに対して内外圧と極端な癒やしを求める。もはやアメリカ全体がうつ状態なのではと思う。躁鬱の差が激しい国だと感じる。そういえばうつ病になりやすい性格は白黒はっきりつけようとする性格だとか。
たぶん同じ年。時代の空気感よく分かる。
面白かったのに3巻で終わりかあ。売れてないわけじゃなかったと思うんだけど。
ダラダラ続いて欲しかったと思う反面、密度高いまま終わって良かったのかな。とも思う。
面白かった。百合ギャグは個人的に引っかかる物が少ないので、これで終わりは惜しい。
面白かった。ズレたまま並行して走っていく感じが上手い。
まだ出るか。って感じのミニマル系イチャラブだけど、これは意外と新鮮だった。
ミニマル系イチャラブは男女のやり取りがハイコンテキストでそこが面白い作品が多い気がするんだけど、
本作は逆を行きつつ成立してるのが新鮮で上手い気がする。クラスメートの反応と相まってほっこり感ある。
球詠 5巻 マウンテンプクイチ
画は毎ページみどころいっぱいで最高。カッコいいしカワイイし。
まあこのレベルで動きのある画を描ける人いないって話だろうけど。
時代の空気を完全に再現した背景が最高で、毎巻楽しみにしてた作品だったので残念。
これだけ強固に作品世界を成立させている背景は、一般的な意味で背景と呼んでしまうのは作家に申し訳ない気になる。
安定して面白い。
話としてそんなに起伏があるわけではないけど、それぞれの釣りの面白さが出てて飽きない。
7 巻でおわりかあ。こういう作品はダラダラ続いてさ、何世代も入れ替わって行ってさ、ついに終わる時に「ああ、最初の頃カラスヤとかいたなあ。」なんて思って喪失感に浸るのが正しい楽しみ方だと思うんだけど。
残念だけどまあ7巻まで出て環会長は送り出せたのでそれなりに区切りはついたのかな。
さめない街の喫茶店 はしゃ
モノの画が最高。カットされたフルーツとか、ラップされたケークサレとか、ガラス器とかその中の液体とか、あらゆる画が楽しい。
マンガとしてもヒューマン?一つまみ、ファンタジー小さじ1の食べ物マンガって感じ。
オーブン使う料理ばっかりなのはわりと新鮮かも。まあ洋菓子多いからそれはそうかって話だけど。
メタモルフォーゼの縁側(2)(3) 鶴谷 香央理
なぜか2巻をスルーしてて、3巻が出たタイミングで2,3読んだ。
うららは苦しんでもいるけど基本的には(大人や友人に、直接に間接に、)救われていて、そんな中でどこかに向かおうとするあり様や、愛されっぷりがグッとくる。
廃墟のメシ1 ムジハ
面白かった。あっちで見たアレや、こっちでみたアレがふんだんに盛り込まれたB級SF食べ物マンガなんだけど、画力があるので独立して十分面白し、カレーを探すってオモシロ設定も楽しい。
最後の展開は正統派SFぽい意外性があって期待感をあおる。でも演出はオフビートでそこもまた良い。
オーイエー!おれたちのサライネスが帰ってきたぜー。
前作も悪くなかったけど、やっぱりこのノリすよ。
「誰も~」を楽しんでたオッサン/オバサンは迷わずBUY。若者もぜひトライしてみて。
お父ちゃん記者会見する話、超好き。しょうもない話にさらにしょうも無い話を何段も重ねてくるの最高。
この作品の視点そのものがちょっとスポーツ新聞ぽい気も。平和で良いと思います。
4巻にして動き出しましたー。良いっす。
個人的には母さんは母さんにしか見えなかったので、今までちょっと評価しずらかった。
おれが実ぐらいの年齢なら別な見え方していたのかもとは思う。
画は常に最高。毎ページ見どころしかない。空間とモノ/ヒトとか、人体とか、服のしわの一つ一つまで見どころ。
電書版の画質は1巻と比べると多少マシになった気がするけど、もう少し綺麗になるとうれしい。
アフタは電書版の画質が他誌(他社?)と比べてイマイチな気がする。