はてなキーワード: 時代の空気とは
株式会社ディスクユニオンは29日、70万件以上の顧客情報が漏洩したと発表した。SNS界隈では前日28日からダークウェブへの流出が確実視(スクショあり)されていたが、夜が明けてからようやく重い腰を上げて公表に踏み切った。
以下に続く散文は、ユニオンを愛する者の率直な心境と受け止めていただきたい。
※6/30夕刻追記:
昨日のニュースを見た勢いで書きなぐった時は、自分自身の心のモヤモヤを吐き出すことがこのダイアリーの主目的であり、少しトーンが過剰な部分などもあったなと、今あらためて読み直し反省しています。
少しだけ、言葉足らずだった部分を加筆などしておりますが、ご容赦ください。
・パスワードの平文保存
こんなご時世だ。悪意のある行為で情報が流出してしまうリスクはどんな業種であっても否めない。ただ、今回最悪だったのはDBがテーブルごとぶっこ抜かれ、あげくパスワードを平文で持っていたということだ。暗号化処理せずにパスワードを保管するというのは愚の骨頂であり、ここに小売業としての前時代的な姿勢がはっきりと見えてしまった。通販事業は決して120%アウトソーシングしているわけではなく、社内にはフロントエンド/バックエンドを担当する社員もいるはず。ゆえに、なぜ?という思いが強い。偉い人たちは何が悪いのか理解できてなさそうだけど。
・第一報の遅れ
>6月24日の漏えい懸念から本日のご案内に至るまで、時間を要しましたことを深くお詫び申し上げます。
>本来であれば疑いがある時点でお客様にご連絡し、注意を喚起するとともにまずはお詫び申し上げたい思いでしたが、不確定な情報の公開はいたずらに混乱を招き、
>お客様へのご迷惑を最小限に食い止める対応準備を整えてからの告知が不可欠であると判断し、情報の収集と把握に時間を要しました。
>本日の公表までお時間を要しましたこと、重ねてお詫び申し上げます。引用元=https://diskunion.net/
違うんだよ。お客様へのご迷惑、は流出した瞬間から実際に目に見えるかたちで起こってしまった。SNSでは公式発表に先駆けて、「何が、何件、どんな風に」漏れたのか、情報が拡散されまくった。一方でユニオンは、早々にオンラインショップ(ここにはコーポレートページも含まれる)をクローズし、「緊急メンテ」という名の殻に閉じこもった。もし、SNSで話題になることがなければ、本当に7月4日までダンマリを決め込んでいたかもしれない。結果的に29日の発表では有効な対応策を提示できず、公式アナウンスの遅れだけがネガティブに目立ってしまった。少しずつでも、情けなくても、スピード勝負に出るのが最善だったと私は思う。
「いやいや、でもそんなすぐに公表するのは現実的に無理」と考える人もいるだろう。だが、2022年4月1日に施行日を迎えた改正個人情報保護法は、情報の漏洩時は本人に迅速に通知するなど、企業に個人の権益を保護する行動を強く求めている。
さらに、不正アクセスの痕跡など「漏洩の可能性がある個人データは、すべての該当者に通知する必要がある」と個人情報保護委員会は明言している。強調するが、漏洩の「可能性」が露見した時点でだ。そのタイミングで企業側には本人通知や事実公表のアクションが求められる。情報の収集と把握に時間をかけたというユニオンの初動は致命的な悪手であり、何よりコンプライアンス意識の希薄さを自ら明らかにしているようなもの。個人情報を取り扱う多くの企業が、この改正個人情報保護法への対応や関連規約のアップデートに追われていたのが今年の春前。ユニオンの準備はどうだったのだろうか。サイトが表示されない今となっては、確認する術がない。参考元=https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/02006/032800002/
現在もHPにはテンプレ通りのお詫び文と問い合わせフォームの連絡先しか掲載をしていない。会社概要、プライバシーポリシー、個人情報保護方針……何も表示されない。この重大なインシデントを起こしながら、なんとか目につく部分を隠して乗り切ろう、としているなら残念でしかない。
ディスクユニオンの公式Twitterは「@diskunion_news」のはずだ。異常なのは28日までスクリーンネームでキャンペーン情報を訴求し、投稿ではトートバッグやレコクリンをプッシュしていたことだ。これは店舗アカウントも同様で、粛々と普段と同じプロモーションをかけていた。しかし、29日になると公式も店舗もジャンルも、全て”喪中”かのごとく宣伝投稿を止めた。一斉にやめるくらいなら24日からやめるか、一人でも多くのユーザーに一刻も早くこの異常事態をアナウンスして周知してもよかったはず。悪さした小学生じゃないんだから、そこは意思を持った運用しようや。(※SmartFLASHの記事を読む限り、どうやら店舗が詳細を把握できたのは、ユーザー向けアナウンスと同一タイミングだったと認識するべきか。オンラインショップを緊急メンテに突入させた時点では、店舗に情報を下ろしていなかったという可能性が高そうだ。出典元=https://smart-flash.jp/sociopolitics/189040)
ここで、対応失策の遠因とも言えるユニオンの体制について考えたい。
ユニオンは中古品と新品を同時に取扱い、レア盤や特典商法、マニアックな品揃えで知られる。また、パッケージの復刻企画や自社制作も行っている。このバランスがあるからこそ、ユーザーに支持され、(たいしたイニシャル数をオーダーできないが)アーティストやレーベルからも好意的な反応を得てきた。ただの中古屋(●ックオフとか)をアーティストがリスペクトしますか?って話。しかし、この土台は大きく揺らいでおり、今となっては綱渡り状態に突入している。
約10年前、社長と専務に次ぐ人物がユニオンを去ると、ここから誰の目にも明らかな権力闘争が巻き起こった。中古を扱い粗利を稼ぐ「店舗」の人間と、新品仕入れや制作を担い音楽業界の”今”とユニオンをつなぐ「本部」の人間。詳細は割愛するが、結果として本流になったのは店舗側だった。そして、多くの名物社員や気概のあるスタッフ、何よりビジネスマインドを持ち良い意味で「サラリーマン」的だったキーパーソンが本部を離れた。退職した者の一部は、当時レコードビジネスに本腰を入れたHMVや、その後はタワーレコードにもジョインした。通販部門もECのプロフェッショナルではなく、いきあたりばったりの采配という感は否めない。
※追記1:組織/企業である以上、異動があることや、俗に言う「役職」につけるスタッフの数に限りがあることは当然であり、そこはユニオンも同じです。成績や年次やらが絡みますよね。“権力闘争”というワードを初稿で選んでしまった点について、書き手の私情が強めに入っていると言われれば、否定できません。違う表現を選ぶとすれば、組織内での大きなうねり・転換期がこの当時にあったということです。
※追記2:店舗=中古、本部=新品、という基本線はそのとおりですが、常に両者が喧嘩腰だったわけではないと念のため補足させてください。同じ音楽ソフトであっても性質が異なるこの2種が相互補完することで、ユニオンというブランドがここまで支持されてきた/事業として動いてきた、のは間違いありません。前述のうねりの中でこのバランスが以前と異なるかたちに変化した、ということです。
この頃からユニオンの新品仕入れ額は落ち込んでいるはず。音楽業界を支え、アーティストとレーベルが活躍できる土壌を小売として成熟させるには、新品を仕入れ、販売しないことには難しい。なにより、新品を仕入れて販売することで、その盤が今後中古市場に出回る可能性が生まれ、結果として中古市場の下支えにもなる。すでに中古市場に出ているレア盤を高額買取→高額販売してぶん回したところで、そこに未来はない。また、音楽業界という立場で考えれば、中古がいくら売れたところで、アーティストには1円も入らない。
さらに数年が経つと、結果として上層部は社長(※ファミリー経営2代目)と一部社員(※店舗叩き上げ)の集団になっていった。外部からの血も入れず、利益は上がるが、社員の給料は上がらない。レコードブームだから、とりあえず店は出して中古で埋める。廃盤セール(※ただし廃盤が安くなるわけではない)でいつものあの人に来てもらう……ここ数年、ユニオンの店先や棚から「勝負してんな、攻めてんな」という熱量を感じなくなったのは自分だけだろうか。ユニオンの器が小さくなったと感じるのは自分だけだろうか。
もちろん、一流の店舗スタッフが多数在籍していることも声を大にして伝えたい。決して中古推しがどうのこうの、いや新品推しがどうのこうの、という話ではないのだ。昨今のレコードブームの裏で、戦略と組織設計のバランスが崩れ、あるべき姿から逸脱し続けているというのが問題なんだと強調させていただく。青臭い思いかもしれないが、ユニオンが過去から現在まで、何を紡いできたのかということだ。
※追記3:組織/企業である以上、利益を確保することは当然です。そこは否定しません。ただし、私が知っているユニオンはそれだけじゃない要素が売り場に宿っていたと、抽象的な表現ですが感じていた次第です。じゃなかったら、あんなに店舗に通わないはずです。しかも狭い店舗に。
遡ればユニオンの創業は戦前。そこからなんとか今日までサバイブしてきたわけだから、そんじょそこらの会社とは良くも悪くも一味違う。ただそれは、ユーザーの知的好奇心を満たすため、中古品、新品、制作、流通、委託販売、アーティストマネージメント、販促、オーディオなど、様々な分野で試行錯誤を続けてきたからだ。もちろん中には失敗もある。オークション事業やイベントスペースなど、黒歴史になっているものもある。それでも「ユーザーにとって面白いことをやる」、そして「ユーザーを囲い込む」ことでユニオン経済圏を確立してきた。事業の中心にはいつもユーザー目線があった。
ただ、利益追求に舵を大きく切ったここ数年、そして今回の漏洩騒動での対応を見ると、どこか古き良きユニオンはもう幻となってしまったとすら思えてくる。
どんなに給料が安くても(陳腐な言葉だが)音楽とユニオンが好きだから支えてきたアルバイトや若手社員はどう思うだろうか。今回の初動対応をとった会社に、今後もついていく気が起きるのだろうか。そして後手後手の対応をとられたユーザーは果たして本当にまた戻ってくるのか。
ユニオンがしっかりとこの問題と向き合い、そしてもう一度適材適所の布陣で挑戦を始めるときが訪れれば、私はまた店頭に足を運びたいと思う(通販はしっかり対策して、原因と改善策明示してね。それからだ)。ずっと探していた中古の名盤と、今という時代の空気感をしっかりと伝えてくれる新譜を同時に手に取ることができる場所は、世界的にも希少になりつつあるわけだから。
最後に、HPのキャッシュから拾ってきたユニオン商い五訓を貼っておきたい。
ユニオン商い五訓
2 損得より先に善悪を考えよう
3 お客様に有利な商いを続けよう
※追記4:今回の騒動と組織の顛末を並列で吐き出したのは、あくまで私の主観(=ずっと感じてきたこと)が入っています。そこは最後にハッキリと書き記します。ここも当然、人それぞれで受け止め方が変わります。お前、こんなにダラダラ書いておいて最後に逃げるなよと、私自身も思いますが。
ユニオンに求めること、期待することもまた人それぞれなはずです。中古レア盤しか興味がない、最近レコードデビューしたからお手軽盤欲しい、新譜の特典にやっぱつられる、紙ジャケBOX最高、色々あるはずですし、そういった需要に応えられるのがユニオンの店舗/通販であると信じています。
音楽のジャンル同様に、確かな多様性がある世界で我々は日々踏ん張っています。この駄文も、絶対の正義ではないです。そのために書いたワケではないです。ただ、こんな世界線もあるんだ、くらいの受け止め方の方が、息もしやすいと思います。
反響に驚いてしまい、こんな当たり前のことを追記してしまいましたが、私はユニオンにもう少しだけ、期待してみようと思っています。
(了)
LGBコミュニティでは、昔っからそういう形で同性婚を批判する議論はあります。ぶっちゃけ50年以上前からあったし、今も同じ事を言ってる人たちはいます。
まずゲイ男性の同性婚批判について。ハッテン場とかをイメージしてもらうとわかるけど、ゲイ男性界隈というのはだいたい性的な交流・交渉に対してオープンで(享楽的ともいう)、短期間に多くのパートナーを持ったり、ワンナイトだけと割り切ってたりと、特定の相手との排他的な関係(モノガミーシップ)に拘束されたがらない人達が多かった(今でも多い)です。アクティヴィストも、基本的にはこういう行動パターンを自分たちが創り上げた独自のライフスタイル(ゲイ・ライフ)、異性愛主義から解き放たれたゲイ男性独自の文化的資産とみなし、肯定的に捉えてました。
もちろんそれは、同性との持続的関係を公にしつつ生きることが難しい時代背景ゆえの事情でもあったし、一方で60年代のヒッピー文化でもフラワーパワーとかと並んで性の解放が訴えられてたという事情もあったんですけど、まあ時代の空気だったんですね。で、そういうライフスタイルが主流だったゲイ男性の多くにとっては、「同性婚」というのはあんまりピンと来ないテーマだったんですよ。俺たちがヘテロの真似してどうすんの、という。米国でも欧州でも日本でもこういう言説は根強くありましたし、当事者自身がそう書いている書き物も多く残っています。
もう一方のレズビアン界隈での同性婚批判について。こっちはこっちで、結婚制度を「男女の性役割分業を究極的に固定化する差別的な制度」という風に見る人たちが多かったんです。今よりもレズビアン・フェミニスト的な立場の人達の影響も強かったし。家父長制と結婚制度こそが世の女性たちを抑圧しているシステムなんだから、それを自分たちが模倣するなんて…という抵抗感もありました。
そもそも当時は、「同性同士が結婚する」というアイディア自体、多くの当事者にとっても突飛な、想像を超える、およそ現実的でない絵空事だったんですよね。大半のゲイやレズビアンは、そんなことが本当に実現するとは思ってもいなかったから、それを目指して社会運動したりもしなかった。そもそも「昼間の世界」でカムアウトすること自体が自殺行為みたいな時代です。同性愛という性的指向を詳らかにして堂々と同性パートナーと暮らすことすら難しかったわけですから、さらにそこに法律婚の仕組みを適用するだなんて発想を持つ人はほとんどいなかったんですね。もちろん「同性のこの人と結婚できたらいいなあ」と夢想する人達は当時もいましたけど、それは多くの場合、ロマンティックなファンタジーとして語られていた。結婚制度を同性間に拡張することで、異性カップルに認められているさまざまな社会的権利を自分たちも獲得しよう、という発想はまだ乏しかったんです。
こういう流れを一変させたのが、80年代のAIDSパニックです。若い人は知らないと思いますけど、日本でも当時はプライバシー侵害なんかガン無視した、壮絶なパニック報道がありました(参考: https://www.janpplus.jp/topic/433 )。今でこそHIVとAIDSは、発症の抑制も症状の緩和も可能な、生活態度次第では余命を全うできる病気になりましたが、発見当初は本当に不治の病だったんです。震源地のひとつとなった米国のゲイ界隈はもう本当に凄惨な状況で、各都市のコミュニティ自体が壊滅し消え去ってしまうほどのパンデミックになりました。バスハウス(ハッテン場)で活動的だった人達を中心にゲイシーン全体に感染が広がり、次々に病み、衰え、死んでいったんです。その中にはもちろん、互いに大切に思っているパートナーと長期的関係を築いていたカップルもいました。その経緯を通して、パートナーの病と死に伴う課題、つまり「パートナーの医療・看取り・相続などについて、同性愛者は全く権利がなく、法的にとても脆弱な立場にある」ということがコミュニティに深く認識されることになりました。
結婚というのは、恋・愛から始まる親密な関係に確固とした法的枠組を与えてくれるものであると同時に、人が生きていればいずれ来る病・苦・死のリスクに対して、信頼できるパートナーと共に備え、支え合うことを可能にしてくれる枠組でもあります。AIDSという歴史的な苦難は、そのことへの経験と想像をゲイ/レズビアンコミュニティ全体に与える決定的な機会になりました。「ゲイの老後」という、それまであまり語られなかったトピックが海外でも日本でも注目され始めたのこがこの頃です。多くのゲイ男性が「自由で享楽的なゲイ・ライフ」という夢の先にある、生活者としての現実をシリアスに捉えるようになった…といってもいいかもしれません。これを保守化と取るか、成熟と取るかは人によって違うでしょうが、自分は後者だと思います。
AIDSパニック以後、ゲイ/レズビアン・アクティヴィズムが一気に同性婚推進路線に舵を切ったわけではありませんが、パートナーシップに対する法的保護のニーズを求める声はじわじわと広がっていきました。そして、米国各州で一部当事者と法曹支援者が同性婚訴訟を起こして、そのうちいくつかで良い結果が出続けたことで、同性婚に対して微妙な葛藤を持っていたアクティヴィズム界隈でも「これは行けるかもしれない」という手応えがでてきて、徐々に同性婚をめぐる権利運動が主流化していきました。このあたりの経緯は、ぜひジョージ・チョーンシーの『同性婚 ゲイの権利をめぐるアメリカ現代史』をお読みください。
というわけで、実は元増田の意見は割と真っ当というか、問題の芯をとらえてます。というのは、元増田が書いてることは、かつてのレズビアン/ゲイコミュニティでの典型的な同性婚批判のロジックとしっかり符合してるからです。
これは上でも書いた「異性愛前提の制度を模倣・従属すべきでない」という声。
それよりも新しく同性パートナーと生きていくのに必要なことを自分たちで決めてそれを法律に落とし込んでいく方がいい
それが多様性だろ
これは「既存の結婚制度に縛られない、よりフラットな意味合いの法律関係(シビルユニオンやPACSやパートナーシップ制度など)」を求める声。これについては、保護される権利が同等でない「まがいもの」で満足すべきではない、という批判もあったりして、結局それぞれにニーズのある人達がそれぞれの路線で運動して、結果的に両方が実現していくという流れがあります。
「恋愛のゴールとしての結婚」も、やはり異性愛主義やロマンティック・ラブ・イデオロギーの模倣とみなす批判はあります。一方で、先のチョーンシーはゲイの歴史学者で「自分は同性婚が法律化されても利用しないと思う」という立場ですが、それでも同性婚をめぐる運動が当事者を強くエンパワーしていることははっきり認めています。やっぱり法律婚って、そのパートナー関係に対する社会的承認の象徴なんですよね。その関係を行政が公的に認め、社会も追認する。そういう承認を得ることが当事者にとってどれほど心強く、報われる、喜ばしいことなのかは、想像していただければわかるのではないかと思います。
元増田のような問いを受け止めつつ、それでも諸々の紆余曲折を経て、同性婚の実現による法的権利と社会的承認の獲得に向かって前進してきたのが、今のレズビアン/ゲイコミュニティだと思います。
皆そこは知りたいところだろう。
何者が黒幕であれ被害者は、その犯罪を身に受けどのような者達が行っているか知っている。
それは大掛かりにお金をかけ、大勢の人を動員し一人の人間を虐待する、理不尽で卑怯な単なるマイノリティ攻撃である。
いつ頃からこのような風潮が広まったのか、昔からあった犯罪と主張する人もいる。
だがここまで徹底した犯罪は、ここ20年位前からと思うが自然発生的に時代の空気に乗り発生した犯罪のようにも思える。
独裁国家ならいざ知らず、自由主義民主主義国家で日本のような大昔から独自の民主主義を持っていた国で、
武士道を重んじて来た世界でも稀有な民族性を持つ国とは思えないほどの犯罪である。
マイノリティを「頭のオカシイ人」扱いして徹底的に吊るしあげるやり方はマスコミに於いて顕著にみられる。
そして黒幕が何者か、それ例え国家権力、天皇、ユダ金、宇宙人でも許せるものではない!
しかし日本は、我々のように人数は少ないがこういう活動も許されネットに真実を発信出来る事はありがたいことだ。
我々が屈せず戦い続ける限り、いずれこの時代は過ぎ去るはずだ。
ロシアがウクライナ侵攻したりした日に某所で引退発表があってダブルパンチを受けた層は一定数いるのではないかと思うし、増田にも前者の記事はあふれ返っているので後者について語る。
(別に前者と比較できるほどの話だと思っている訳ではない。戦争より大きな芸能問題なんてあるわけがない、当たり前だ)
ただまぁ、遠い国で戦争があっても「怖いな」「ロシア史にこういう流れあったな」とは思っても、現地で起きた悲劇のすべてに感情移入することはない。『アクタージュ』の原作者が前科者になって連載が打ち切られても「続きが読めなくて残念だな」とは思っても、原作者に同情はしない。どちらも遠い話だし、後者であっても自分が好きなものと作者は別物だからだ。世の中の悲劇のすべてに感情移入していたらどんな聖人でも発狂してしまう。よそはよそ、うちはうちだ。
その『よそ』を『うち』に変えてしまうのがライブ配信型の魅力であり、最も恐ろしい地獄でもあるという話。
Vtuberというのは、元々『二次元のキャラが本当に生きていたらいいのに』というオタクの願いを部分的に叶えるものだった、と思う。
2017年末にキズナアイの動画を始めて見た時は「はー珍しいことやる人がいるもんだ。面白いな」ぐらいの感想ではあったが、確かに感動した。ニコニコ動画時代には謎技術で見たこともないような動画を投稿している投稿者がわんさかいたが、その一種のような認識だった。その後四天王だの何だのと次第に盛り上がり始め、新しい時代が来たなぁと眺めていた。配信型を見るようになったのはブームの始まりより後だった。2020年末頃だ。
元々東方Project好きだったこともあり、ハードシューターがいるという話を聞いて観始めたのがきっかけだった。観てみると確かに面白い。バラエティ番組で芸人のトークに笑うことに抵抗はなかったし、配信系に馴染みがなかったのも「男女を問わず別に人間の顔を画面で見続けたいと思えない」という理由だったので、『アニメキャラがゲームやトークをしている』感覚で観ることができた。(この辺りは「中身の人間がいるのは論外」派も根強いようなので人によるらしい)ともあれ日常的に配信を観るようになっていくと、学生時代のボーカロイド全盛期を思い出してどこか懐かしかった。何事も流行りというのは流行っている内に楽しんでおくと、時代の空気を味わえるものだ。ミーハー万歳。
そのうちにわかってきたのが、このジャンルの本質は『コンテンツ』ではなく『コミュニティ』であるということだった。考えてみれば当然でもある。作品を一方的に受け取るのが『コンテンツ』なら、コメントを本人に送り、配信内でやり取りし、あるいはリスナー同士の横の繋がりも増える。(そういえばラジオ同様「リスナー」という表現を使うのは何故だろう? ライブ動画を観てはいても、本質は声ということだろうか)これほど双方向的ならば、それは勿論『コミュニティ』だ。
『コミュニティ』に加わるということは、例えばMMOオンラインで深夜までチャットで盛り上がる仲間ができるようなものだ。毎日のように遊んでいるから、相手が大体何をしているのかわかる。家族や友達、と言っても言い過ぎでないのは昨今増えたという「オンラインゲーム婚」とやらを鑑みても明らかだ。画面の中から一方的に渡されるだけの『コンテンツ』と違い、『コミュニティ』では画面の向こう側に自分から何かを届け、加わることができる。実社会にとても近い。精神的な、代用品にもなりうる。
そして人気の高いライブ配信者、特にそれがグループであればクオリティも保証されている。その『コミュニティ』はいつも楽しく、賑やかで、甘酸っぱく、可愛い。現実の自分の人生では味わうことなど到底不可能なほどに。この構図は従来の何かによく似ている。そう、『二次元』だ。現実逃避をして二次元コンテンツに耽溺し、そこに行きたい、加わりたいと考えるオタクはずっと昔から存在していた。
ライブ配信型Vは二次元そのものではない。だが、二次元と同じ効能を果たしてくれるから、その代用品にはなり得る。かくしてオタクは『画面の向こう側の二次元コミュニティ』に加わる手段を手に入れた。これこそ可視化された楽園だ。この世の何処かにはあるかもしれない、いいやあるはずもない、と諦めていたきらら世界観。それが実在すると思えた。何割かは演技かもしれないが、しかしすべてではない。あまりにも長時間、毎日のライブ配信がある。『素』を隠し通すのは不可能に近く、むしろ『素』をある程度出すことが人気の秘訣にもなっている。
演技ですらなく、『素』で『楽園の二次元キャラ』が現実の過酷さによって苦しむ姿をリアルタイムに眺め、想像することができるのだから。百合に男を挟むな、なんて次元ではない。きらら漫画を読んでいたら急に震災やコロナが登場してメインキャラが何人も死んでしまうようなものだ。大炎上間違いなし、トラウマものである。
結局のところ彼女達(あるいは彼等)は現実を生きる生身の人間だ。現実の過酷さの中で当たり前に生きている。だからろくでもない事態にも見舞われる。本人が原因になることも、しょうもない理由で叩かれることもある。それは別にこれまでもごく普通にあったことだ。
ただ、可視化されただけ。家族でもなければ身近に感じることがなかった苦痛を、日本中や世界中に分け隔てなく配って共有することができるようになっただけだ。
タイトル通り、この変化はあくまで二次元オタクかつ、ライブ配信型Vを許容できる層に限られる話でもある。人気アーティストや声優が死んだり結婚したり引退したりで阿鼻叫喚の嵐になるのはいつものことだ。珍しくもなんともない。ただ「二次元イラスト」が聖域で、仮に宇崎ちゃんポスターのように現実で炎上したところで、作者に何が起きたところで、作中世界のキャラには何の影響もない、という感覚はここにはない。
『画面の向こう側』に手を伸ばせることはとても魅力的で、そして地獄だ。
何度か自分でそれを経験してからは、二、三歩引いた距離感で観るようになった。離れて見れば『コンテンツ』として面白いのは変わらない。ただ『コミュニティ』にまで加わると、火傷をするからだ。古き悪しき2ch時代のROM専文化は、ここにきて自衛の意味を取り戻しつつある。
(別に前者と比較できるほどの話だと思っている訳ではない。戦争より大きな芸能問題なんてあるわけがない、当たり前だ)
ただまぁ、遠い国で戦争があっても「怖いな」「ロシア史にこういう流れあったな」とは思っても、現地で起きた悲劇のすべてに感情移入することはない。『アクタージュ』の原作者が前科者になって連載が打ち切られても「続きが読めなくて残念だな」とは思っても、原作者に同情はしない。どちらも遠い話だし、後者であっても自分が好きなものと作者は別物だからだ。世の中の悲劇のすべてに感情移入していたらどんな聖人でも発狂してしまう。よそはよそ、うちはうちだ。
その『よそ』を『うち』に変えてしまうのがライブ配信型の魅力であり、最も恐ろしい地獄でもあった。
Vtuberというのは、元々『二次元のキャラが本当に生きていたらいいのに』というオタクの願いを部分的に叶えるものだった、と思う。
2017年末にキズナアイの動画を始めて見た時は「はー珍しいことやる人がいるもんだ。面白いな」ぐらいの感想ではあったが、確かに感動した。ニコニコ動画時代には謎技術で見たこともないような動画を投稿している投稿者がわんさかいたが、その一種のような認識だった。その後四天王だの何だのと次第に盛り上がり始め、新しい時代が来たなぁと眺めていた。配信型を見るようになったのはブームの始まりより後だった。2020年末頃だ。
元々東方Project好きだったこともあり、ハードシューターがいるという話を聞いて観始めたのがきっかけだった。観てみると確かに面白い。バラエティ番組で芸人のトークに笑うことに抵抗はなかったし、配信系に馴染みがなかったのも「男女を問わず別に人間の顔を画面で見続けたいと思えない」という理由だったので、『アニメキャラがゲームやトークをしている』感覚で観ることができた。(この辺りは「中身の人間がいるのは論外」派も根強いようなので人によるらしい)ともあれ日常的に配信を観るようになっていくと、学生時代のボーカロイド全盛期を思い出してどこか懐かしかった。何事も流行りというのは流行っている内に楽しんでおくと、時代の空気を味わえるものだ。ミーハー万歳。
そのうちにわかってきたのが、このジャンルの本質は『コンテンツ』ではなく『コミュニティ』であるということだった。考えてみれば当然でもある。作品を一方的に受け取るのが『コンテンツ』なら、コメントを本人に送り、配信内でやり取りし、あるいはリスナー同士の横の繋がりも増える。(そういえばラジオ同様「リスナー」という表現を使うのは何故だろう? ライブ動画を観てはいても、本質は声ということだろうか)これほど双方向的ならば、それは勿論『コミュニティ』だ。
『コミュニティ』に加わるということは、例えばMMOオンラインで深夜までチャットで盛り上がる仲間ができるようなものだ。毎日のように遊んでいるから、相手が大体何をしているのかわかる。家族や友達、と言っても言い過ぎでないのは昨今増えたという「オンラインゲーム婚」とやらを鑑みても明らかだ。画面の中から一方的に渡されるだけの『コンテンツ』と違い、『コミュニティ』では画面の向こう側に自分から何かを届け、加わることができる。実社会にとても近い。精神的な、代用品にもなりうる。
そして人気の高いライブ配信者、特にそれがグループであればクオリティも保証されている。その『コミュニティ』はいつも楽しく、賑やかで、甘酸っぱく、可愛い。現実の自分の人生では味わうことなど到底不可能なほどに。この構図は従来の何かによく似ている。そう、『二次元』だ。現実逃避をして二次元コンテンツに耽溺し、そこに行きたい、加わりたいと考えるオタクはずっと昔から存在していた。
ライブ配信型Vは二次元そのものではない。だが、二次元と同じ効能を果たしてくれるから、その代用品にはなり得る。かくしてオタクは『画面の向こう側の二次元コミュニティ』に加わる手段を手に入れた。これこそ可視化された楽園だ。この世の何処かにはあるかもしれない、いいやあるはずもない、と諦めていたきらら世界観。それが実在すると思えた。何割かは演技かもしれないが、しかしすべてではない。あまりにも長時間、毎日のライブ配信がある。『素』を隠し通すのは不可能に近く、むしろ『素』をある程度出すことが人気の秘訣にもなっている。
演技ですらなく、『素』で『楽園の二次元キャラ』が苦しむ姿をリアルタイムに眺め、想像することができるのだから。百合に男を挟むな、なんて次元ではない。きらら漫画を読んでいたら急に震災やコロナが登場してメインキャラが何人も死んでしまうようなものだ。大炎上間違いなし、トラウマものだ。
結局のところ彼女達(あるいは彼等)は現実を生きる生身の人間だ。現実の過酷さの中で当たり前に生きている。だからろくでもない事態にも見舞われる。本人が原因になることも、しょうもない理由で叩かれることもある。それは別にこれまでもごく普通にあったことだ。
ただ、可視化されただけ。家族でもなければ身近に感じることがなかった苦痛を、日本中や世界中に分け隔てなく配って共有することができるようになっただけだ。
タイトル通り、この変化はあくまで二次元オタクかつ、ライブ配信型Vを許容できる層に限られる話でもある。人気アーティストや声優が死んだり結婚したり引退したりで阿鼻叫喚の嵐になるのはいつものことだ。珍しくもなんともない。ただ「二次元イラスト」が聖域で、仮に宇崎ちゃんポスターのように現実で炎上したところで、作者に何が起きたところで、作中世界のキャラには何の影響もない、という感覚はここにはない。
『画面の向こう側』に手を伸ばせることはとても魅力的で、そして地獄だ。
何度か自分でそれを経験してからは、二、三歩引いた距離感で観るようになった。離れて見れば『コンテンツ』として面白いのは変わらない。ただ『コミュニティ』にまで加わると、火傷をするからだ。古き悪しき2ch時代のROM専文化は、ここにきて自衛の意味を取り戻しつつある。
元ラーメンズ・小林賢太郎が、過去に行ったお笑いコント公演の中でナチスによるユダヤ人虐殺をジョークのネタにした事が発覚し、この情報が海外にも拡散してサイモン・ウィーゼンタール・センター(SWC)の知るところとなり、東京五輪開閉会式の総合演出担当を解任されましたね。
小山田圭吾の障害者虐待が世間一般に広く認知された結果、小山田が東京五輪開閉会式の音楽担当を辞任した際には、一部の人間が「90年代には、悪趣味・鬼畜系カルチャーが存在を許されていた、時代の空気が存在して云々」と小山田を擁護し、それに対して町山智浩は「小山田圭吾は悪趣味・鬼畜系とは無関係(だから、自分[町山智浩]たちには責任は無い)」と反駁しました。
ラーメンズは悪趣味・鬼畜系ではないと思いますが、間違い無くサブカル領域に属する芸能人です。また、今回問題視された90年代半ば当時の彼らの芸風が、当時の、いや、今もサブカル界隈に根強く蔓延る「不謹慎なことを言う/するのがオモシロイ/カッコイイ」と云う風潮の下に成立していたことも明らかでしょう。そして、この風潮を作り出すことには、旧体制『映画秘宝』界隈も関与していたと言えます。たとえば『キネマ旬報』の編集部を襲撃して同誌の編集部員に暴力をはたらいたことを、町山智浩はパイ投げ事件などと称して矮小化して面白おかしく笑い話扱いしていますが、アレは「言論の自由を脅かす暴力事件」以外の何物でもありません。しかし、サブカル界隈の身内贔屓の体質は、町山智浩の仕出かしたことに対して真摯な批判や反省を行うことを忌避する道を選びました。昔から、サブカル業界人は身内贔屓が大好きで、これは松江哲明の性的強要・搾取にダンマリを決め込んだのを見ても判るように、今も変わりません。
ラーメンズがお笑いコントの中でナチスのユダヤ人迫害・虐殺をジョークのネタにしたことに関して、擁護として「米国のサウスパークや英国のモンティ・パイソンもジョークのネタにしているのに、何故、彼我に批判の差が有るのか?」と言う人もいましたが、個人的には、連合国側の人間と枢軸国側の人間では、それをジョークのネタにする資格に差が有るのではないかと思います。何か死傷者を伴うような事件があって、それをジョークのネタにするのは、被害者の親族が言うならまだしも、加害者の親族が言ったらアウトになるのと同じです。
一般的な傾向として多くの日本人は、自分たちが枢軸国側であったこと、戦時中にはナチス政権ドイツと同盟国だったことについて、自覚が稀薄だと私は思います。だから、ナチスドイツをポップカルチャーの一部として、エンターテイメントとして、カジュアルに消費するのだと思います。
さて、エンターテイメントとしてナチスドイツの残虐行為を楽しむといえば、長年に渡って率先してそれを実行し続けてきた人間が、旧体制『映画秘宝』に1名います。ナチス強制収容所ネタのエクスプロイテーション映画が大好きと公言し、自ら「所長」と名乗ってそれらの作品の"素晴らしさ"を布教している、赤毛で入れ墨だらけのオジサンが1名。そう、高橋ヨシキです。高橋は、間違い無く、悪趣味・鬼畜系の範疇に属する人間です。高橋ヨシキによる布教活動は、日本において「ナチスドイツによるユダヤ人迫害・虐殺を、カジュアルに楽しんで消費しても許されるのだ」と云う風潮を作ることに寄与し続けてきました。
もちろん、高橋ヨシキの存在や布教活動が、ラーメンズを生み出した訳ではないでしょう(ラーメンズのネタの公表よりも、高橋ヨシキの布教活動開始の方が時期的に後だと考えられますし、世間的に認知されたのも、ラーメンズの方が高橋ヨシキよりも先でしょうから)。しかし、ラーメンズのネタが世間に発表されてしまった後、長年に渡ってそれが見過ごされたのは、観客である一般人たちの中に「コントのネタなのだから(批判するのはおかしい)」「たかがフィクションのネタに何をマジになってるの?」と云う間違った考えや言い訳の口実が存在したからです。これは、ナチスドイツによるユダヤ人迫害・虐殺と云う出来事が"エンターテイメント・コンテンツ"として、誤った"市民権"を獲得していたからでしょう。そして、高橋ヨシキによる「ナチス強制収容所エクスプロイテーション映画は素晴らしい!」という布教活動は当に、その誤った"市民権"を獲得するための活動でした。だから、次のようには言えると思います。
「高橋ヨシキによる『ナチス強制収容所エクスプロイテーション映画は素晴らしい!』と唱える布教活動は、ラーメンズのネタの"誕生"には影響を与えなかったかもしれないが"生存"には影響を与えたであろう。したがって、その点については、高橋ヨシキ及び彼に同調した人間に責任が有る」と。仮に時代の空気と呼ぶべき何かが有ったとしても、それは勝手に生まれたのではなく、それを意図的に作り出した人間がいるのです。この場合、それを作り出した人間の一人は、間違い無く高橋ヨシキです。
SWCの人たちも驚愕するのではないでしょうか。21世紀の日本で、ナチスドイツによるユダヤ人迫害・虐殺をネタにしたエクスプロイテーション映画を「面白い!素晴らしい!」と公言・賞賛し、他人にも観るように推奨活動している人間が存在して、しかも堂々とメディアに登場し続けていると知ったら。誰か英語が得意な人がいたら、高橋ヨシキがしていることをSWCに報告すると良いかもしれませんね。もしもそうなった時、町山智浩はSWCに対して「悪趣味・鬼畜系カルチャーをやっていたのは、電通・ホイチョイ・フジテレビに対する対抗心が有ったから」と弁明できるのでしょうか。見ものです。
それと、SWCといえば思い出しましたが、長年に渡る町山ウォッチャーならばご存知のとおり、過去に町山智浩自身が他人に対して「オマエのことSWCに通報しといたからな」と言ったことがありました。その矛先が自分の近しい人間に向けられた時、町山智浩はどうするでしょうか。
この投稿は以上です。
まず、最初に彼の語ったいじめ(と言うより暴力行為)は決して許されるものでは無いと言う事を申しておく。その前提の上で、一個人の意見を述べたい。
この問題に関して調べていくと、90年代鬼畜カルチャーという文言をよく見かける。私は現在30歳で当時の空気感がわからないが、鬼畜カルチャーに関しての個人的感想を述べたい。
当時のお利口で軽薄でゴージャスな成金文化へのアンチテーゼみたいなものだったのだろうか。綺麗なメッキを剥がした下のグロテスクな現実を暴くという大義名文の下、弱者を痛めつける事をコンテンツ化し面白がり消費していたのだろう。消費する事が強者であるバブル文化の中で、それに乗り切れなかったものが、強くあろうとしてもがいた結果なのかとも感じた。
そんな時代の空気感の中で、メインのカルチャーに馴染めなく、自意識過剰な斜に構えた者たちへの娯楽として供給された文章が、例の案件だったのではないか。
小山田氏の語った行為は許さない事だが、当時の消費者が求めていた娯楽を提供したと言う点では、彼は仕事をこなしたと言えると私は思う。その内容はいいか悪いかを置いておいて。
何度も述べるが、私は小山田氏の語った行為に関して擁護はしないし、許されない事だと思っている。だが、当時の時代の空気を考えると加害者は彼や出版社で無く、鬼畜カルチャーを面白がってた人達にもある。当時の空気感を無視せず、そこを社会全体で追及し、反省するべきではないか。
現在の彼に対する私刑ともいえるネットリンチを見てて思う事がある。これは90年代悪趣味カルチャーと地続きではないかと。
意気揚々といじめはダメだと語り、彼に退任を求めてた姿は、次第に彼への攻撃をコンテンツ化し、エンターテイメントとして消費しているように感じた。集団いじめの本質は、誰かが理由を作りその理由を元にターゲットを決め、皆で面白おかしく攻撃する。現在の私刑リンチは、皆が非難している小山田氏の加虐行為と被らないかと私は思うのだ。
鬼畜カルチャーがメッキの下に隠された加虐性をコンテンツ化し供給するものだと仮定すれば、現在の私刑カルチャーは加虐性にメッキを塗りたくり正義感のラベルの下で楽しんでいるように思える。
上記の点を踏まえ、私は個人個人が自己の加虐性を認め、90年代鬼畜カルチャーを総括し、負の連鎖を断ち切る必要性を感じている。
コーネリアスの件で問題とされているクイックジャパンが発行されていた当時は、「電波系」の根本敬や村崎百郎、「完全自殺マニュアル」鶴見済が活躍していた時代で、サブカルチャー(カウンターカルチャー)として悪趣味な世界観が消費される時代だった。
悪趣味カルチャーは80年代のオシャレやモテや電通文化に対する怒りだった。カーディガンを肩にかけ、ポロシャツの襟を立ててテニスやスキーしてホイチョイの「ヤレる店」読んでナンパして人を「ちゃん付けで呼ぶ」奴らにゲロや死体で嫌がらせしたかった。当時を知らない人にはわからないだろうけど。
https://twitter.com/TomoMachi/status/1417347576521629706
私は傍観者でしたが、「自分も壊れているし、君も壊れているし、社会(世界)も壊れているんだよ」というメッセージなのかなと思いました。
https://twitter.com/ak_tch/status/1417418603620491271
いま批判している人は、この時代を知らない若い人か、知っていたがそういうものを忌避していた人か、知っていてあえて無視しているのだと思う。
当時の自分もクイックジャパンを読んでいたのだが、twitterで紙面のキャプチャを一通り読んで感じたのは、あのときの空気感だった。
小山田圭吾に関しては「あー言ってるな」と。
時代の空気をキャッチアップして、わざと露悪的な表現で悪趣味を前面に押し出しているなと感じてた。
これはそういう時代性の発露であって、本当に起きたことなのかは定かではない。
個人的にはフィクション、もしくは一部が本当でも誇張されたものだと受け取っていた。
当時の表現がそうだったというだけ。
「時代の空気だったなんて戯れ言、反省するチャンスは30年あった」とか
その中でアニメ、イラストを無断転用して使ってるやついっぱいおるな!(怒
著作権無視に罪悪感ないの?ちょっと1枚くらいならいい、みんなやってるてか?
今でもアウトじゃ!人の作ったもん勝手に盗むな!
障碍者を虐待していた小山田圭吾に五輪の音楽を担当させて、政府がそれを承認し、NHKがそれを放送するわけですから、誰にも迷惑かけてない大麻使用の芸能人すべてを復権してくれないとなー。
=引用ここまで=
今回は小山田圭吾の件で一丁噛みしている町山智浩ですが、大麻使用芸能人を擁護する程度に留まるだなんて、パトリック・マシアスにパワハラしていた頃の町山智浩にタイム電話で聞かせたら「オメエのtweetは退屈なンだよ! 一般人がオメエに訊きてえことはソコじゃねえだろ!」と怒鳴られるのではないでしょうか?
では、一般人が町山智浩に聞きたいこととは何でしょうか? それは、小山田圭吾のイジメ自慢インタビューを擁護する人間たちが口にする「90年代にはワル自慢、悪趣味自慢を許す鬼畜系ムーブメントとでも呼ぶべき風潮が存在した」という主旨の主張に関してです。
この鬼畜系ムーブメントの有無については、90年代当時に物心ついていた年齢の人たち同士でも、認識には差と言うかグラデーションがあるようです。ムーブメントそのものの有無について、私の個人的な見解を述べると「有った」という人の記憶も「無かった」という人の記憶も、半分づつ当たっていると思います。「有った」と記憶している人は、何らかの形でその狂った風潮とその産物に触れた人間で、「無かった」と記憶している人は、そのような狂った風潮に触れなかった人間というだけのことです。
個人的見解としては、鬼畜系ムーブメントは「限られた領域の、少数の人間による、小規模の狂ったムーブメント」と言っても構わないと思います。だから、あんなムーブメントに触れたからと言って別に偉くも何ともないですし、むしろ「無かった」と記憶している、鬼畜系ムーブメントに触れなかった人の方が正常なのですから安心して下さい。
こういう鬼畜系ムーブメントに触れたことによって「自分は他の人間とは違う!」と、己が偉くなったと勘違いした人間が何をするか知っていますか?一例を挙げると、何か「切り株映画はセカイのシンジツを描いている!」とか馬鹿なことを言うわけです。耳(目?)にタコが出来るほど聞いた、この"切り株映画讃歌"の決り文句を此処で持ち出したのは、別に牽強付会ではありません。
例えば、90年代の鬼畜系ムーブメント、悪趣味系アンダーグラウンド文化を象徴するような出版物として『危ない1号』という鬼畜系ムックがあります(このムックは、90年代の半ばから終わりにかけて発行)。その執筆陣の中には、町山智浩と柳下毅一郎の名前を確認できます。
また別の例を挙げると、一部の精神疾患罹患者が示す"電波"妄想及びそれに翻弄される彼らを、特殊漫画家・根本敬が「電波系」と呼び始め、面白コンテンツとして消費するような悪趣味な風潮を生み出したことは有名ですが、この「電波系」を面白がる風潮に乗っかって雑誌『宝島』『宝島30』でも記事を掲載したり、別冊宝島を出したりしていました。その頃、彼らの言う「電波系」に該当する人が店主として経営する喫茶店に行って、店主が示す奇妙な言動などを陰で嗤ったり面白おかしく記事にしていた人間の一人に、町山智浩がいます。宝島における根本敬の担当編集者は、町山智浩でした。また、根本敬のツテで「電波系鬼畜ライター・村崎百郎」という悪趣味なギミックによるデビューを果たした編集者・ライターの黒田一郎は、ペヨトル工房時代から柳下毅一郎の友人でした。蛇足ですが、根本敬は、嫌韓/嘲韓ムーブメントを生み出した張本人の一人でもあると私は思います。
ここで幾つか例に挙げたのは一部に過ぎませんが、90年代の鬼畜系、悪趣味系の系譜を辿れば、その中に旧体制『映画秘宝』の源流の一つが有ることは確かです。あるいは、悪趣味系のムーブメントを作り出したのと同じ人間たちが生んだものこそが、旧体制『映画秘宝』と言っても過言ではありません。
さて、今回ようやく小山田圭吾は断罪の火刑場に引かれていく羽目になった訳ですが、爆笑問題の太田をはじめ有象無象のギョウカイジンは、小山田圭吾、Rockin' on、Quick Japanを擁護する為に「90年代には悪趣味系が流行ってたという、時代の空気も考慮しないと」などと言っています。
これらの擁護を見た時に私が感じたのは、関東大震災当時の朝鮮人虐殺事件や、戦争当時の性暴力や虐殺のことについて「当時の時代の空気を考慮しないと」と言う人間を見た時に似た気持ちです。
百歩譲って、90年代当時「一般人」だった人間が言うならば、たとえ許容は出来なくても、まだ理解が可能です。90年代後半からはインターネットが少しずつ一般人に浸透し始めていたとはいえ、Twitterのような高い情報拡散性と手軽さを兼ね備えたSNSの普及以前には、まだ名も無き一般人が社会的な流行や風潮を生み出すレベルの情報発信を行うことは、事実上の不可能に近かったからです。また、虐殺事件などにおいて、武装した多数の暴徒を目の前にして怖じ気づいた一般人が、独りで立ち向かうことができなかったと告白・懺悔するのも、これもまだ理解は可能です。
しかし「90年代鬼畜系ムーブメントの流行」を根拠にして、小山田圭吾を擁護しているギョウカイジンの多くは、既に90年代にメディア活動、芸能活動をし始めていて「ムーブメントを作り出す、或いは、影響を与えることが可能だった立場の人間」ではないですか。「オレたちギョウカイジンは、お前ら一般人と違って、世間を動かせるんだよ!」という考えの持ち主だったはずです。例えば、爆笑問題の太田は、当時から過激な発言が売りだったのだから、得意の毒舌で小山田圭吾を「アイツ、イジメ自慢して格好悪いな!」とか攻撃することも、やろうと思えばやれたはずです。反権力的な言動がウリのミュージシャンや文化人も同様です。なのに、それをやらなかったのは、結局は彼ら自身の打算や保身が理由でしょう。ならば彼らは「90年代の時代の空気や風潮」のせいにするのではなく、せめて己自身の問題として「打算や保身、我が身かわいさから、自分という個人は、小山田圭吾の蛮行を批判せずに見過ごした」とハッキリ言うべきなのです。先に虐殺に立ち向かえなかった一般人を例に出しましたが、90年代当時のメディア関係者や芸能人が「当時の空気」と言い訳するのは、関東大震災当時に「不逞朝鮮人」などと世間を煽っていた官憲の人間が、いざ朝鮮人虐殺が起きたことの批判を受けたら「時代の空気が」と言い出すのと同じぐらいには無責任且つ卑劣だと、私は思います。
更に、小山田圭吾を擁護する人間たちを卑劣に感じるのは、彼らが小山田圭吾のしていることを勝手に「過去の話」にしようとしているからです。私は「していること」と書きました。そうです。あの暴力事件を犯して以来、そして雑誌インタビューによって一般人に広く認知されて以来、小山田圭吾は被害者に対して謝罪も償いもせず、謝罪や反省を促す一部のファンからの真摯な声さえも無視し、逃亡し続けているのですから、これは「したこと」ではなく「していること」つまり「終わってしまった過去の話」ではなく「継続している現在の話」です。小山田圭吾の盟友である中原昌也も、小山田圭吾のしていることを「あの頃は」と「終わってしまった過去の話」にしようと画策した卑劣な人間の一人です。渋谷系って本当にダサいですね。石原慎太郎を罵倒することは出来ても、オトモダチのギョウカイジンの悪さは批判出来ない、そんな自称"反権力"作家は、毎朝鏡を見て恥ずかしくなったりしないんでしょうか。
長くなったので、今回は一旦ここまでにします。
小山田圭吾問題について、中高のいじめで完全に自信喪失および人間恐怖症になって中年ニートになった自分にとって、思うところがありすぎたので、自分自身の整理のために書いてみた。
今回の問題の核心は、どれだけひどいいじめ(というか暴行や拷問と表現すべきだが)を行って、それを公の場で自慢げに語っても、学校の内外で処罰されることもなければ、反省一つ促されることもなく、当然謝罪もなく、その後の人生とキャリアに傷がつくことも全くなかったということである。例のインタビュー記事で小山田と絶交した、という人もおそらくいないであろうことは、あの後も変わらず精力的に仕事をし続けていることからも理解できる。逆に小山田圭吾は、ひどいいじめをおこなった側の方こそが、社会的に大成功を収めるというモデルケースになってしまっている。
周知のようにいじめ問題では、現在でもいじめ被害者の側が転校させられるというケースが多く、客に加害者の側が転校したり推薦を取り消されたりというケースは寡聞にして聞かない。超名門校を出場辞退に追い込むほどの暴行を後輩に行った高校球児手が普通にドラフトで指名されていたように、大人はいじめ加害者を逆に高く評価しているのではと感じさせるケースもしばしばある。自分のクラスでもいじめ自殺が発生したことがあるが、加害者は何も咎められることもなく、普通に一流とされる大学に(記憶が曖昧だが多分推薦で)進学した。小山田圭吾は、こうした「いじめたもの勝ち」になっている社会の象徴的な存在である。
「1990年代もあのようなことは許されていなかった、時代の問題で相対化するな」という批判がある。それは正しいが、やはり同時代の空気を鮮明に記憶している人間としては、批判として非常に浅く感じてしまう。
あの時代のバラエティ番組は、若手芸人などに嫌がることをさせて、「痛い」「熱い」と泣き叫ぶのを見てMC側の人間がゲラゲラ笑うというものが本当に多かった(逆にそういう笑いをしない志村けんがテレビから一時期消えていた)。既にいじめは社会問題化してはいたものの、「あれは相手も納得済みだからいじめではない」というテンプレ論法で許容されていた時代だった。ネットも黎明期でテレビがほぼメディアの全てだった時代、いじめを受けていた側にとっては、当時のバラエティは見ているのも辛かった。
そういう時代の雰囲気のなかで、ましてや悪趣味がかっこいいものとしてはびこるサブカル雑誌のインタビューという場所で、たとえいま小山田と五輪組織委を口を極めて非難している人たちがそこに居合わせたとしても、おそらく一緒に笑うしかなかったと思う。特に、空気の変わり目を読んで同調して小山田を非難しはじめているような、ワイドショーのコメンテータータイプの人間は、そこにいたら一生懸命に面白がるアクションをしていたはずである。
申し訳ないが、中高時代をいじめ被害者として過ごしてきた人間には、いくら現在小山田を非難しているように見えても、時代の空気に同調しているだけで、こいつは本質的にはいじめっ子の側の人間だろうというのは直感的にわかってしまう。その意味で、たとえばカズレーザーなどはあまり信用できないし、逆に一見いじめを時代の問題として相対化していることを言っている爆笑太田のほうが信用できる気がする。ほかにも、五輪批判や政権批判の文脈でしかこの問題に興味のない人も、およそ信用できない。
一気に語られ尽くした感があって結果もほぼ出てしまった
組織委の杜撰さは五輪と騒動と並行してある程度追及され続けるだろうが
小山田については被害者への謝罪の話が残ってるわけだがここはまぁ期待するのも無駄だろうしそれこそ
当事者感の話だから表に話が出るかもわからんし知ったことではないってのが本音の人も多かろう
で、だ「鬼畜系」だの90年代サブカルの空気だのってキーワードが現代に部分的にでも知識として再浮上したわけだが、
小山田がやったことはかなり特殊だとは言え唯一無二とは思えない。たった一人で時代の空気を作ったわけがないからね
QJには「いじめ紀行」という”連載”企画が通ってたらしいから特集された人は他にも当然いるわけだ
となると他にもやってる奴おるよな?
小山田圭吾氏に関連する騒動について詳しくは読んでいない。自分もイジメを受けた側であり、読むことでいまとなっては遠い昔であるあの頃の苦痛を思い出してしまうからだ。
わたしは1970年代中頃の生まれで、中学生の頃にイジメの被害を被った。時期的には1980年代末から1990年代はじめごろだ。
小山田圭吾氏は1969年生まれなので、彼が雑誌で露悪的に書いたというイジメを行っていた時期は小中学生、1980~1985年頃ということになる。1980年代中頃、イジメは深刻な問題となっていた。世間に衝撃を与えたのかどうかは、当時まだ幼かったのでわからないが、イジメを苦にした自殺という事件が1986年に起こっている(https://www.nhk.jp/p/ts/P2WVR66NRZ/episode/te/2N3ML5JR9G/)
したがって、小山田氏がイジメをしていた、というのは当時を考えると、よくあることではあったのだと思う。
数年時代はずれるが、1989年頃、イジメに関する話題がラジオ番組でもなんどか特集され、リスナーから多くの悲痛な投稿が寄せられていた。わたしも投稿した一人だ。それだけイジメというのはあちこちで起こっていたし、陰惨な事件も起こっていて、社会が重大視していた時代ではあったのだけれど、そのものはよく起こっていたことだ。
そして、そしてハフィントン・ポストの記事(https://www.huffingtonpost.jp/entry/rockin-on_jp_60f3b271e4b0d5140ec0c2b6)を読むと、記事が書かれたのは1994年ということだが……当時の時代感覚という擁護をみていて首を傾げるのは、はたして1994年頃「イジメをしていた」ことが笑って済ませられるような空気が当時あっただろうか?いや、もしかすると一部の世界ではあったかもしれない。ただそれはサブカルという、もう少し広い範囲であったとは頷けない。
確かに、現在は過去の犯罪や悪い行いを自慢することを許容するような空気は以前よりはないと思う。だが、限度がある。1990年代中頃に生きていた人間として、イジメをしていたことを笑って済ませるような空気は、あったとしても多数ではなかったと思う。
小山田圭吾氏に関連する騒動について詳しくは読んでいない。自分もイジメを受けた側であり、読むことでいまとなっては遠い昔であるあの頃の苦痛を思い出してしまうからだ。
わたしは1970年代中頃の生まれで、中学生の頃にイジメの被害を被った。時期的には1980年代末から1990年代はじめごろだ。
小山田圭吾氏は1969年生まれなので、彼が雑誌で露悪的に書いたというイジメを行っていた時期は小中学生、1980~1985年頃ということになる。1980年代中頃、イジメは深刻な問題となっていた。世間に衝撃を与えたのかどうかは、当時まだ幼かったのでわからないが、イジメを苦にした自殺という事件が1986年に起こっている(https://www.nhk.jp/p/ts/P2WVR66NRZ/episode/te/2N3ML5JR9G/)
したがって、小山田氏がイジメをしていた、というのは当時を考えると、よくあることではあったのだと思う。
数年時代はずれるが、1989年頃、イジメに関する話題がラジオ番組でもなんどか特集され、リスナーから多くの悲痛な投稿が寄せられていた。わたしも投稿した一人だ。それだけイジメというのはあちこちで起こっていたし、陰惨な事件も起こっていて、社会が重大視していた時代ではあったのだけれど、そのものはよく起こっていたことだ。
そして、そしてハフィントン・ポストの記事(https://www.huffingtonpost.jp/entry/rockin-on_jp_60f3b271e4b0d5140ec0c2b6)を読むと、記事が書かれたのは1994年ということだが……当時の時代感覚という擁護をみていて首を傾げるのは、はたして1994年頃「イジメをしていた」ことが笑って済ませられるような空気が当時あっただろうか?いや、もしかすると一部の世界ではあったかもしれない。ただそれはサブカルという、もう少し広い範囲であったとは頷けない。
確かに、現在は過去の犯罪や悪い行いを自慢することを許容するような空気は以前よりはないと思う。だが、限度がある。1990年代中頃に生きていた人間として、イジメをしていたことを笑って済ませるような空気は、あったとしても多数ではなかったと思う。
当時この連載読んでいた確かに質は低かった。
覚えているのが、
テクノDJ(ジェフミルズかデリックメイだったと思う)はヒップホップDJにイジメられないか聞いたり、
トータスのジョンマッケンタイアへのインタビューでも音楽のこと聞かないからか、終始機嫌が悪い感じで、ライターもそれを隠そうという感じはなかった(これはイジメ紀行じゃなかったかも)。
彼らに比べれば小山田はノリノリで話していた。
こんなQJや、鬼畜系、電波系の雑誌が地方の本屋で簡単に手に入った。
自分は音楽の情報が欲しくてQJを買っていた。インターネットが無いのでサブカル雑誌を買うしかないのだ。
しかし、当時同級生がそういったサブカルをかじっていたかというとそんなことはないと思う。
話しが合う人いなかったし。