はてなキーワード: 悪辣とは
彼の発言は垢消しで残っていないが
わかり手こと小山が最近の持ちネタ、ゴールディンの主張=アンチフェミと大体一緒を展開してたところ
デビットライス「ゴールディンの本なんて読んでないけど彼女の問題意識の解釈として間違ってる」
小山「読んでない本の著者の問題意識がわかるのすごい。エスパーかな?」
小山@iikagenni_siro_
デビット・ライス、かねてより馬鹿だとは思ってたけどついにふくろうおばさんと同レベルにまで堕ちててほんま真顔になるな。党派性に凝り固まってテクストを読まず妄想で物事を判断するようになったら言論人としては終わりやで。
昨日も言ったけど「ちゃんと読んだ上で反論する」人たちと「読まずに妄想で反論する」低脳は明確に違うからね。前者に対しては一切悪感情ないけど後者は一生黙ってろカスとしか思えん。これは党派性ではなく知的誠実さの話。
要するに彼にあるのは「俺は作者の意図が全部わかる!」という妄想なんですよね。芸術作品にせよ学術的成果にせよ自分は製作者の意図や問題意識が全てわかっており、それに沿わないものはどれだけ根拠が並べられていようが悪辣な扇動だ!となる。俺に言わせりゃもう一種の病気だろと思うんだけど。
映画「バービー」評にせよ、ゴールディン評にせよ、通説を論駁するためこっちはひたすら根拠を積み上げてるんだけど、彼は一切根拠を示さず「アンフェよる扇動だ!」というレッテル貼り一本槍で勝負しており、なぜそこまで自説に自信が持てるのか本当にわからないんですよね。
本のエア解釈をしだす大馬鹿を晒したのもそうだが、人文っぽい態度をとりながら知的不誠実の極みをし続けるのには反吐が出るね。
アンチフェミはフェミニズム本だけでなくて、なんならデビットライスの本すら買って読んでいるが、デビットライスは彼らの主張を読むことすらせずに脳死で批判し続けた。
https://twitter.com/iikagenni_siro_/status/1713806522701205612
反アンチフェミをこじらせすぎて、「彼らは間違っているなぜならアンチフェミだから」をやりすぎて
ノーベル賞受賞作者の内容すら読まずに反論とい始末は目も当てられない。
まあ、彼からしたら嫌悪してるアンチフェミ連中にボコボコにされて堪忍袋の緒が切れたってとこで一切の反省はしなさそうだけど。
今回の件でファンが離れるどころかより一層ファンとジャニーズの絆深まってたな❗️❗️❗️❗️ジャニオタ舐めんな❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️
もっと悪辣な、告発者を中傷したりマスゴミ呼ばわりしたりネトウヨ陰謀論者とのハイブリッドみたいなやつもたくさんいるので、
ここに上げたのはほんとうに中庸の層と思われる。
タレントに対する性搾取構造がなあなあのまま温存されることへの危惧、
性加害者の「名誉」が公に守られ続けることによる性被害者への悪影響、
そんな諸々は彼女たちにとって全く眼中にない。
彼女たちを支配しているのは、タレントを推すという活動の快楽のみである。
彼女たちを浅はかと嘲笑うのは簡単だが、ただ、一般的な日本人より特別に愚かなわけでもない。
日本社会において、社会的な道義や自分なりの正義に基づいて行動できる人はほとんどいない。
逆に行動動機として、社会的道義や正義を掲げようものなら笑いものにされる。
アニメーターが搾取されているのを知りながらアニメを貪り見る人、
ユニクロがウイグルの奴隷労働による綿を使っていると知りながらユニクロの服を着る人、
外国人技能実習生が低賃金で重労働をさせられていると知りながら農作物を食べる人。
みんな、知っているけれど、自分たちの欲望を満たすために一度棚上げにしているだけだ。
こういった状況をどう打破するか。
セクハラはずっと昔から「やってはいけないこと」ではあったが、
ほんの十年前までは棚上げにされていた。
男性の側はそんなことで怒られちゃたまんないよ笑と言い、
女性の側もそのくらいうまくかわせないほうが悪い、コミュ力の問題、と軽くあしらっていた。
しかし、海の向こうで有名人が見せしめのようにセクハラで仕事を干されバッシングを受けると、
とたんに社会全体の「やってはいけないこと」ラインが大幅に下がった。
体型について口にしたり、なんてことをすれば多くの人に眉を顰められるだろう。
彼らを変えるには、結局は社会的に大規模なバッシングと見せしめに非難される人間、つまりは不利益と恐怖が必要となる。
「ジャニーズいつまでも推します!」という人たちも、その「推し」行為が自分たちに快楽でなく苦しみをもたらすと知ればすぐに身を翻すだろう。
彼女らはそういう「ふつう」の人たちなので、痛みを持ってしか学習しない。
だがこの方法には問題があり、一部のカルトめいた信者層は苦しめば苦しむほど強固に耽溺し、エコーチェンバーの沼に浸かっていく。
セクハラを糾弾する声が大きくなる中、ミソジニーたちが凝り固まって言ったのと同じである。
それはさらに十年も放置すれば社会との軋轢によって身を滅ぼしてはいくのだが
(数々の著名人たちが、差別的言動による身の破滅をもって証明してくれたとおり)。
こういうの見る度恥ずかしくなってキツいんだわ。
元増田もネカマのオッサンががんばって書いたテキスト見てもおかしいってわかるだろうに。
分かりやすくよく見るパターン。別に一人称が必要ないところでも不自然なまでに「俺」を使っている。
想像できないと思うけど男の一人称問題は大なり小なりデリケートな問題で実際もうちょい扱いが慎重になる。使い方が雑なので違和感がある。
これが男を騙るテキストで一番よく見るパターン。マンガとかで勘違いされてそうだけど男は言うほどこんな喋り方をしてない。
してるかもしれないけど、「すげー」とか「これはねー」「すんげー」とか、長音のセンスが絶妙に違う。
「キモい」という表現の頻出具合も気になる。こと容姿に関しては別の悪辣な形容になると思う。
「張っ倒したい」とか「蹴り倒したい」みたいな無駄に暴力的な箇所も妙に古くて気になる。ノリが昔のテキストサイトっぽい。
かといってキレ散らかした男のリズムでもない。
この違和感はなんでもいいから男のコミュニティのぞいてみないとわからんと思う。
これは弱いけど傾向として。男はもっと一方的に主張して終わる。クエスチョンマーク多すぎ。
我々が怒るべき相手は誰か?
ストックホルム貴族達の悪辣さを知れば、吉野家とか松屋とかのテーブル席にひとりで座るキチなど生ぬるいということを知るであろう。
彼らの目的は先進国における有色人種の絶滅である。北方ゲルマンを頂点とした北欧至上主義を掲げるストックホルム貴族達にとって、有色人種は彼らの望む経済体制、政治体制、身分秩序の中に組み込まれるべき存在であって、決して対等な存在であってはならないのである。
日中韓の小学校では予防接種由来の小児がんにより、卒業時には入学時の半分以下になるまで生徒が亡くなる事態が恒常化。
今や癌は高齢者より幼少期から予防接種や投薬をされてきた若者世代の病気。
日本のとある地域の中核総合病院では新規に膵臓がんと診断された人の9割、大腸がんと診断された人の6割が20代から40代。若さと相まって進行が早く「腫瘍が大きくなる様子を腹部エコーで視認できる」ほどの進行スピード。
緩和ケア病棟が児童と若者で溢れ高齢者など一人もいないのは今や「隠された常識」である。
免疫が高くがんが治ってしまいそうな患者にはストックホルムの息がかかった医師がアービタックスなどの抗がん剤(実際は癌性腹膜炎や癌性肺炎を誘発させる毒物)を投与し生存の芽をつむ。
一方、モノカルチャー農業に従事し、ヨーロッパやアメリカにおいて白人家庭の家事に従事するメイドを輩出するアフリカやアジアの貧困国においては癌は少ない。
日頃から肉、卵、魚、貝類、乳製品を積極的に避けること、感染症を避けること、怪我や骨折を避けることが重要なのである。ストックホルム貴族達が我々に仕組んだ発癌システムは肝細胞にあり、動物性タンパク質の摂取による慢性的な炎症によってマクロファージから放出されたサイトカインに刺激され悪性新生物の増殖、造血細胞の遺伝子変異を引き起こすのである。
千葉県酒々井町で生まれ育ち、千葉県立佐倉高等学校を卒業し代ゼミから一橋大学商学部に入るまでは安穏と過ごしていた私は、在学中にストックホルム商科大学に留学し、ローベン島の離宮で行われたパーティーで知り合った貴族達と関わるうちに彼らの魂胆を知った。一橋大学商学部卒業後に神戸大学医学部医学科と医学研究科にてストックホルム貴族達の陰謀を暴くため研究に打ち込むも怯えた教授達から医局と学会を追放。
我々が怒るべき相手は誰か?
ストックホルム貴族達の悪辣さを知れば、原爆を投下したアメリカなど生ぬるいということを知るであろう。
彼らの目的は先進国における有色人種の絶滅である。北方ゲルマンを頂点とした北欧至上主義を掲げるストックホルム貴族達にとって、有色人種は彼らの望む経済体制、政治体制、身分秩序の中に組み込まれるべき存在であって、決して対等な存在であってはならないのである。
日中韓の小学校では予防接種由来の小児がんにより、卒業時には入学時の半分以下になるまで生徒が亡くなる事態が恒常化。
今や癌は高齢者より幼少期から予防接種や投薬をされてきた若者世代の病気。
日本のとある地域の中核総合病院では新規に膵臓がんと診断された人の9割、大腸がんと診断された人の6割が20代から40代。若さと相まって進行が早く「腫瘍が大きくなる様子を腹部エコーで視認できる」ほどの進行スピード。
緩和ケア病棟が児童と若者で溢れ高齢者など一人もいないのは今や「隠された常識」である。
免疫が高くがんが治ってしまいそうな患者にはストックホルムの息がかかった医師がアービタックスなどの抗がん剤(実際は癌性腹膜炎や癌性肺炎を誘発させる毒物)を投与し生存の芽をつむ。
一方、モノカルチャー農業に従事し、ヨーロッパやアメリカにおいて白人家庭の家事に従事するメイドを輩出するアフリカやアジアの貧困国においては癌は少ない。
日頃から肉、卵、魚、貝類、乳製品を積極的に避けること、感染症を避けること、怪我や骨折を避けることが重要なのである。ストックホルム貴族達が我々に仕組んだ発癌システムは肝細胞にあり、動物性タンパク質の摂取による慢性的な炎症によってマクロファージから放出されたサイトカインに刺激され悪性新生物の増殖、造血細胞の遺伝子変異を引き起こすのである。
千葉県酒々井町で生まれ育ち、千葉県立佐倉高等学校を卒業し代ゼミから一橋大学商学部に入るまでは安穏と過ごしていた私は、在学中にストックホルム商科大学に留学し、ローベン島の離宮で行われたパーティーで知り合った貴族達と関わるうちに彼らの魂胆を知った。一橋大学商学部卒業後に神戸大学医学部医学科と医学研究科にてストックホルム貴族達の陰謀を暴くため研究に打ち込むも怯えた教授達から医局と学会を追放。
世は大アイドル時代!
三次元も二次元も2.5次元も、アニメも漫画も、日本も外国もアイドルが売れまくり!
ってのが現状じゃん。
オタクなのにアイドル嫌いなのって生き辛そう、三次元がダメなのはともかく二次元アイドルは大体の人が好きでしょ、ってのが今の世の中であり、実際そのように売れてると思う。
だが、俺の記憶では、二次元オタクは、二次元・三次元問わずアイドル文化と距離がある方が当然という頃があった。
世間では小室ファミリーとモー娘。と沖縄アクターズスクールとV系の嵐が吹き荒れていた。
TVやクラスのカースト上位たちがそれらでキャイキャイ言っているのを、俺や俺の周囲のオタクはケッと思ってみていた。
俺たちの中で広末涼子が話題に出たことはなく、レイとアスカの話をしていた。安室奈美恵の話はごくたまにで、アムロの話をしている方が多かった(でもスパロボ知識。当然機種は初代プレステ)。
数歳年上のアムラーとかコギャルのお姉さんたちは、萌え属性なんかじゃなく怖かった。そう、かつてはオタクはギャルを怖がっていた。
あの頃、華々しいアイドル文化は、俺たちオタク(今でいう陰キャ)をキモがる側の文化であり、敵だった。
声優は、雑音まじりの文化放送で聞くことはできても顔すら知らなかったし、それをアイドル的におっかけてる奴は、多分都会にいて、オタクの中でも変な奴と思っていた。
この、「アイドルは俺たちに寄り添う存在ではなく、スクールカースト上位をさらに統括するスーパークイーンビー」という感覚は、成人してからも続いた。
初期アイマスはDLCがよく売れたらしいが、一方でアイドルというジャンルは、当時二十歳前後のオタクにはあまりウケが良くなかったと思う。
折しも黎明期のニコニコで三大ジャンルになったものの、感染力がよわいというか、主にジャンルの内側同士で生産・閲覧されている雰囲気が東方とボカロに比べれば強かった。
更に同時期に誕生したAKBだが、AKBの嫌われ方は、二次元オタクのアイドル嫌い(特に三次元アイドル嫌い)を象徴していた。
その叩き方が悪辣だったとか、逆にAKB側も売り込みすぎな面があったとかまあ細部は色々あるが、オタクの中に「アイドル文化は俺らオタクの味方じゃなく、陽キャの味方」という意識はあったのは間違いない……はずだ。
別にアイドル物じゃなくていいだろというものがアイドル要素を入れるし、アイドル作品ヒットしすぎだろと思っても次もアイドル作品がヒットしている。
そうだ、それを書き忘れてた。
タイトルで「僅かな年代」としたのはこれを念頭においてたから。
どうも上の世代のオタクはおニャン子だか戸川純だかでアイドルが好きだったらしい。リン・ミンメイに盛り上がったりな。
ミンメイやランカやΔの人たちの露骨なアイドルっぽさに対して、マクロス7が男voで一応ロックバンドなことや、マクロスプラスのシャロンのディーヴァというかほぼ妖怪みたいな描写という異色さも時代の影響なのかね。そもそもマクロス自体、7~F(95~08)の時期は空白に近そうだし。俺はマクロス系を全然リアタイしてないから空気感よくわからんけど、とりあえずシェリルは好きでTV版ランカは性に合わない。
80年代半ば生まれで今三十代半ばというという僅かな世代のオタクだけが、物心がつき学校に通いだす90年代にアイドル文化と対立しており、ついでに仮面ライダーやウルトラマンもテレビでやっていなくて、ガンダムもなんか下火で、あとGBの初代ポケモンは流行ったがその後PSの爆売れのために任天堂よりソニーに思い入れがあるetcetc、上のオタクとも下のオタクとも細かなギャップを感じることが多い……というのが発想元だったのに、肝心のそれを書き忘れてた。
ハックルさんみたいな事言うけど、俺が思う『本質』はそこにあるんだよね。
悪徳に纏わる文化から派生したコンテンツを好むことは、果たしてその悪徳を肯定することに繋がるのかっていう。
たとえばコミックLOを自分から進んで読むという行為は「未成熟な肉体に対して欲情を持ってしまう性癖が存在する」というのを間違いなく肯定している。
そういった肯定は世界の水面下においてゆったりと広がり、まだ正常だった人間にさえ「もしかして子供の身体にエッチな気持ちを持っても良いのでは?」という意識を起こさせる。
これが果たして性犯罪の増加に寄与しているのか、むしろ捌け口となっているのか、暴走を防ぐワクチンとして機能しているのか、それについて安易な結論は出せない。
ただ間違いなく言えるのは、「人はロリエロに興奮してしまうことがある」という概念を世の中に広めているということだ。
そういったコンテンツは「法的に禁止された性行為に対して興奮してしまう人の存在」そのものは間違いなく肯定、認知している。
そこから実際に犯罪行為を行うか、漫画の中で済ませるかは別として、そういった行為、少なくともそういった行為が描かれたものに対して価値を感じる人がいなければ成り立たないものを安定的に供給しているわけだ。
アルコール・タバコ・ドラッグがもしも初めからこの世界に一切存在しなければ、誰もそれを求めることはしないだろう。
それらが存在することに気づいた時、それを求め、もっと強いものや、安価に手に入る代替品を探そうとしだすわけだ。
「ロリエロという性癖に気づかせてしまう」ということが、そういった探索の旅へと眠っていた犯罪者予備軍を駆り立てている可能性があるわけだ。
つまり、「戦争というものの中に人が憧れを抱くような要素がある」という事に気づかせるようなコンテンツが存在することが、そういった欲望を後押ししているのではないかという話だ。
賛美からは少しずれるのかも知れない。
テレビが流す戦争は悲惨であるというある種のハト派プロパガンダの中で戦争の中に秘められた格好良さや美しさが描かれることはない。
実験映像のような殺風景なカメラワークで撮られたキノコ雲や、そこから逃げ惑うタレント的な格好良さなんて持っておらずむしろ極限状態に顔をゆがめる醜い人間たちの姿が映し出されるばかりだ。
そうした映像の中でヒーローとして語られるのは兵士ではなく「悪辣な兵士同士のコロシアイから人々を守る普通の人達」である。
兵士は暴力を振るうことで金を得ようとする下劣で合法な現代の山賊でしかないかのようにメディアは語る。
それを見て軍人に憧れる人がいるだろうか?
美男美女、顔はともかく心は魅力的な数々のキャラクター達が、戦争という極限状態を通すことで自分の人生をより濃く美しくある意味で現代社会での歯車ぐらしよりもずっとずっと人間らしく自分らしく生きるさまが描かれてしまう。
その中ではロマンをくすぐるように脚色された兵器達が、少しでも魅力的に映るようにと工夫をこらして描き出されるではないか。
これを見た子供は「兵隊さんって格好いい!パイロットになりたい!」と思うのも無理もないことだ。
実際、ロボットアニメを見た子どもたちは自分もロボットに乗りたいと口にするし、ウルトラマンになって怪獣を倒すのではなく、最新兵器のプロトタイプに乗って敵陣営へのパイロットを撃ち落としたいと語りだすのである。
果たしてこれが「戦争を賛美していない?」と言い切れるのだろうか?
戦争の悲惨を描いている所はあるとはいえ、「戦争は賛美していないが、戦争の中にある輝かしい部分を箇条に脚色して見せつけようとしている」ぐらいのことは認めるべきなのではないか?
戦闘機がマッハで雲を割る姿に子供を憧れさせたことを「戦争を通して生まれたモノを過剰に持ち上げた。戦争は絶対的悪であり全面的に悪しきものであるはずなのだから、これはもう戦争賛美だ!」と叫ぶのは流石にやりすぎに思う。
だが「戦争によって失われる命を描いている。トレーズが戦いを賛美しているとは私には全く思えない」というのは作品をちゃんと見ろと言いたくなってしまうだろう。
オタク女界隈で社会的にその表現がどうなのよ?という話になった時に「なんであれを受け入れるの?声をあげないの?」問題にぶち当たるわけなんですけどその描写にまつわる問題が理解出来ていないという訳でなく、私が脛にデケー傷を抱えてるからに他ならず「描写の社会的な正しくなさ」を発信する時に私はいつも「自分自身の社会的な正しくなさ」にのたうち回っているうちに発言するタイミングと言葉を見失っているからです。
どういうことだよって言うとつまり、私はニ次元的なフィクションにおいて「チャイルドマレスター的な想像」を好んでいるオタクなわけですよ。
「未成年の少年」のニ次元キャラクターをバリバリに性的に搾取しているんですね。見た目が大人っぽいから大丈夫でしょなんて言い訳効きません。私は彼らが未成年であるという設定から生まれる状況に興奮しますし彼らが未成年であるということは彼らを構成する大事な部分と私は捉えています。
あまつさえその年齢の彼らの性的なフィクションを制作しているのですからどう考えてもニ次元に対して私は性倒錯者で小児性愛者と言えるでしょう。その上私は自身がヘテロセクシャルの女性であるにも関わらず同性愛者のセックスを想像して創作する搾取者でもあります(もちろん私は私の空想の中では自分を彼らと同い年の少女だったり建物の壁だったりと想像しますがそれでも現実の私は一介の成人女性であることは変わりません)
この事実は私に社会的正しさを口にする瞬間のジレンマを発生させます。
私は私自身が楽しく創作物を楽しむ時に自身の正しくなさに積極的に目をつぶっていますから、創作物の正しく無さに言及する時にその自身の正しくなさとも向き合わなければいけないし向き合っても正当化できるところなど1ミリも無いわけでそうなるとそんな創作物を愛好するのやめなよというとこにしか答えはなくなってしまうわけです。
罪のない者だけが石を投げなさいと別に誰に言われた訳でもないのに頭の中でそんな声がしたような気がします。
子供に対する性暴力、同性愛者に対する差別、トランスジェンダリズムへの無理解そういったものはあってはならないものと考えていますし現実ではそういった自体が発生すれば改善しろと働きかけていくべきと考えています(現に署名などは行っています)(しかし書きながらこの文面の言い訳めいた様本当に醜いなと我ながら引いた)
しかしこと二次元、漫画や小説のフィクションの中になると私は自身の暴力性を隠せないようなものを愛好し楽しむのです。そしてその描写の正しくなさを理解はしているので喜びと同時にこれは大丈夫なのだろうかと不安も抱えているのです。
時折ジョジョ4部における吉良吉影の人を殺さずにはいられないが静かに暮らしたいという自分勝手さに同調しそうになります。
私は彼を悪辣な人物だとよく理解しているし唾棄すべき人物だとは思いますが彼の望んでいるものは今私が望んでいるものなのかもしれないと。
まあその辺結局自分の中で乗り越え解決すべきところが見つからぬまま今を生きているのです。
しかし人間という生き物これでいいやと思って悩むのをやめてしまうのが1番正しくない生き方だと思うので変わっていく社会と社会的正しさの中で悩み正しさを模索して生きることだけが正しくない生き物である私の唯一の正しさであると信じて生きていくしかないのでしょう。
※どうでもいいような良くないようなそもそもこの文面を書こうと思った元々の話というか、今月プライド月間があってBLに関わる人は声あげてみたいな話が流れてくるのを見て、BLを愛好するヘテロセクシャル女性である私が「同性愛者もすべからく法律によって結婚が出来るようになった方がいい」を主張するまでは良いことだと考えるのですが「私はあなた達を理解し同調し連帯します」まで寄っていくとどう感じられるものなのかということはずっと悩んでいて「そうしてほしい」と望む当事者もいれば「寄ってくんなセクハラだぞ」と思う当事者もいるでしょうBLを愛好するヘテロ女性に対して嫌悪感抱く当事者はいて当然でしょうしそういった方から見ればもし自分がそういった理解者然とした態度をとる姿は家出女児に「危ないねウチくる?」ていう児童に性的悪戯を加えようとする輩のように見えているのでは無いかとずっと考えているのです。私は私の持つ私には分からない暴力性が怖い。