はてなキーワード: シマウマとは
俺はずーっと悩んでいた、「俺は愛されていない」ことをなぜこんなにも悩んでいるのか分からないから。
で、昨日、『I アイ(いがらしみきお)』って漫画を読んでたら、いきなり気づいた。
「女性に愛されないと、遺伝子を残せない」⇨「神様が愛していないと、この世に生存できないし遺伝子も残せない」
つまり、神様に愛されるかどうかと女性に愛されるかどうかは繋がっているんだと。
遺伝子を残せるか残せないかの、女性からの好悪の基準は遺伝子に書き込まれている。そして、そのような遺伝子から弾かれた人間は、人間という種族カラしたら、「ハズレ」である。
人間を作った神がいるかは分からないが、「人間という種族のシステムのプログラムからハズレたら、それは人間として『終わり』なんだ」と。
今まで、女性を恨んだこともあったが、最終的には、「女性の遺伝子に刻まれた本能であり、ライオンがシマウマを善悪抜きにして食べてしまうだけなんだ」くらいには思っていたが。
女性が酷いのでは無い、女性も男性も含めた、「人間という種族のシステム」の中で、単に自分が「ハズレ」であっただけだと。
神様を恨んだこともあった、なんでブサイクな発達障害(診断されると社会生活に不利になるので診断を受けてないが、未診断だが間違いないと思われる。自分自身も医者である)な170cm無い人権なしを世界に誕生させたのかと。
だが、理解した。
人間という種族において、神様は女性であり、男性は遺伝子がちゃで当たり外れが出て、女性に愛されていないことが、つまり人間という種族の中でハズレであり、「神様に愛されなかった、生きる意味がなかった人間」なんだなあと。
女性の本能は男性にとって迷惑だと思ってきたが、そうじゃない。女性の本能は神の意思で、神に愛されなかった自分は、単に人間としてはずれなだけなんだと。
シマウマの蹴りは肉食獣を撃退することもある(写真:Dziewul/PIXTA)
動物園で飼育されている動物は野生より安全と思われがちですが、飼育員や獣医などはつねに危険と隣り合わせです。また、旭山動物園元園長の小菅正夫氏は、「動物園の事故は初心者かベテランが起こすことが多い」「肉食獣より草食獣のほうが事故は起きやすい」と言います。いったいなぜでしょうか。
獣医でもあり、『角川の集める図鑑GET! 危険生物』の哺乳類・鳥類部分を担当した小菅氏が、国内外でヒヤリとした自身の体験談を語ります。
動物園で働いていた間、さまざまな動物の危険な側面を目の当たりにしました。特に自分は獣医だったので、動物たちを診療する際に、ひやりとすることが多かったです。動物園の獣医はもちろん、大きくて力の強い、肉食獣だって診なくてはなりません。
自分が旭山動物園に入ってすぐ、ホッキョクグマを治療することになりました。もちろん檻に入る前に、麻酔を打ちます。麻酔が効いて倒れて、もう大丈夫だなと確認をとって中に入ったのですが、治療を終えようとした頃、なんと眠ったはずのクマが起き上がるではないですか! 突然のことですごく慌てました。
「やばい!」と思い、いちばん安全なところはどこかと思って、そうだクマの背中に乗ってしまえば、抱きつかれないと思い、そっと背中にしがみつきました。クマは朦朧としていて、体をゆっくりと左右に揺らしていました。2歳の若いホッキョクグマだったのですが、当時の自分が乗れるくらいの大きさはあったんです。
クマの背中に必死にしがみつきながら、外にいる人に「追加の麻酔薬をとってきてくれ!」と叫びました。動物園で使用する麻酔薬は、最初から液体ではなくて、動物の大きさに合わせてその都度溶かさなくてはなりません。実際は2~3分だったと思うのですが、クマの背中で待つその時間の長いこと……。一生のうちでいちばん長く感じた2~3分でした。
シマウマとかあったやろ多分
ブルース・ウィンターハルダー(Bruce Winterhalder)は、動物間で食料が移動する方法と理由のモデルを調査している。盗みの許容、生産/嗅ぎ回る/機会主義、リスクを考慮した生存、副産物の相互主義、遅延した互恵主義、取引/現物でない交換、その他の選択モデル(血縁の利他主義を含む)。ここでは、リスクセンシティブな生存、遅延型互恵主義、貿易(現物ではない交換)に注目する。我々は、食料を収集品と交換することを遅延型互恵主義に置き換えることで、食料の共有を増やすことができると主張する。これは、変動する食料供給のリスクを軽減する一方で、バンド間の遅延型互恵関係が抱える克服できない問題を回避することで可能となる。以下では、親族間の利他主義と窃盗(許容されるか否か)をより広い文脈で扱う。
食べ物は、飢えている人にとっては、十分に食べられている人よりもはるかに価値がある。飢えている人が自分の最も貴重な価値物を交換することで命を救えるなら、その価値物を交換するために必要な数ヶ月、あるいは数年分の労働力に値するかもしれない。彼は通常、家宝の感傷的な価値よりも自分の命の価値を考えるであろう。脂肪と同じように、収集品も食糧不足に対する保険になる。地域的な食糧不足による飢餓は、少なくとも2種類の取引で食い止めることができた。
しかし、取引コストが高すぎて、バンドはお互いを信頼するどころか喧嘩をしてしまうことが多かった。自分で食べ物を見つけられない空腹のバンドは、たいてい飢えていた。しかし、取引コストを下げることができれば、バンド間の信頼の必要性を下げることができ、あるバンドにとっては1日の労働に値する食べ物でも、飢えているバンドにとっては数ヶ月の労働に値するかもしれない。
局所的ではあるが非常に価値のある取引は、上位旧石器時代に収集品が登場したことで、多くの文化で可能になったと、このエッセイは主張する。収集品は、必要ではあるが存在しない長期的な信頼関係の代わりとなった。もし、部族間、あるいは異なる部族の個人間で持続的な交流と信頼関係があり、互いに無担保の信用を得ていたならば、時間差のある物々交換が刺激されただろう。しかし、そのような高度な信頼関係があったとはとても思えない。上述した互恵的利他主義に関する理由に加え、ほとんどの狩猟採集民の部族関係がかなり敵対的であったことが観察されているという経験的な証拠からも確認できる。狩猟採集民の集団は、通常、1年のほとんどの期間は小さな集団に分かれて生活し、1年のうち数週間だけ中世ヨーロッパの市のような「集合体」に集まって生活する。バンド間の信頼関係がなかったにもかかわらず、添付の図に示されているような主食の重要な取引が、ほぼ確実にヨーロッパで、そしておそらくアメリカやアフリカの大物ハンターなど他の地域でも行われていた。
添付の図で示されているシナリオは仮定のものであるが、それが起こらなかったとしたら非常に驚くべきことである。旧石器時代のヨーロッパ人の多くは、貝のネックレスを楽しんでいたが、もっと内陸部に住んでいた人は、獲物の歯でネックレスを作っていた。また、火打ち石や斧、毛皮などの収集品も交換手段として使われていた可能性が高い。
トナカイやバイソンなどの人間の獲物は、一年のうちで移動する時期が異なる。ヨーロッパの旧石器時代の多くの遺跡から出土する遺物の90%以上、時には99%以上が単一の種によるものであるほど、部族ごとに異なる獲物に特化していた。これは、少なくとも季節的な専門性を示しており、おそらく1つの部族が1つの種に完全に特化していたことを示している。一つの部族のメンバーは、専門化した分だけ、特定の獲物種にまつわる行動や移動習慣などのパターンに精通し、それらを狩猟するための特殊な道具や技術を身につけていたことになる。最近観察された部族の中にも、特殊化した部族があることが知られている。北米インディアンの一部の部族は、バイソンやカモシカの狩猟、サケの漁にそれぞれ特化していた。ロシア北部やフィンランドの一部では、現在でもラップ族をはじめとする多くの部族が、単一種のトナカイの牧畜に特化していた。
旧石器時代にもっと大きな獲物(ウマ、オーロックス、ジャイアントエルク、バイソン、ジャイアントナマケモノ、マストドン、マンモス、シマウマ、ゾウ、カバ、キリン、ジャコウウシなど)が大きな群れをなして北米、ヨーロッパ、アフリカを歩き回っていた頃は、このような特殊化がはるかに進んでいたと思われる。人間を恐れない大型の野生動物はもはや存在しない。旧石器時代に絶滅させられたか、あるいは人間と人間の発射物を恐れるようになったのである。しかし、サピエンス・サピエンスが生きていた時代には、これらの動物の群れは豊富で、専門のハンターにとっては簡単に獲物を得ることができた。取引に基づく捕食の理論によれば、旧石器時代に大型の獲物が大規模な群れをなして北米、ヨーロッパ、アフリカを歩き回っていた頃は、専門性がはるかに高かった可能性が高い。部族間の狩猟における取引ベースの分業は、ヨーロッパの旧石器時代の考古学的証拠と一致する(確実に確認されたわけではないが)。
このように、群れを追って移動する部族は、頻繁に交流し、多くの交易の機会を得た。アメリカン・インディアンは、乾燥させたり、ペミカンを作ったりして食べ物を保存していたが、それは数ヶ月はもつものの、通常は1年はもたなかった。このような食料は、皮、武器、収集品などと一緒によく取引された。多くの場合、これらの取引は年に一度の交易遠征の際に行われた。
大規模な群れをなす動物は、1年に2回だけ領土を移動するが、その期間は1〜2ヶ月であることがほとんどである。自分たちの獲物となる動物以外のタンパク源がなければ、これらの専門部族は飢えてしまうであろう。考古学的な記録で示されている非常に高度な専門化は、交易があったからこそ実現したのである。
このように、時間的にずれた肉の交換が唯一の交易であったとしても、それだけで収集品の利用価値は十分にあると考えられる。ネックレスや火打ち石など、お金として使われるものは、取引される肉の価値がほぼ同じである限り、閉じたループの中で、ほぼ同じ量を行き来する。ここで注意してほしいのは、本稿で述べた収集品の理論が正しいとするには、単一の有益な取引が可能であるだけでは不十分だということだ。相互に有益な取引の閉ループを特定しなければならない。閉鎖的なループでは、収集品は循環し続け、そのコストを償却する。
前述したように、考古学的な遺跡から、多くの部族が1つの大きな獲物種に特化していたことがわかっている。この専門化は少なくとも季節的なものであり、広範な取引が行われていた場合はフルタイムで行われていた可能性がある。習性や移動パターン、最適な捕獲方法の専門家になることで、部族は莫大な生産的利益を得ることができた。しかし、このような利益は、単一の種に特化することは、1年の大半を食料なしで過ごすことになるため、通常は得られないものであった。部族間の分業が功を奏し、それを可能にしたのが交易だった。補完関係にある2つの部族間の交易だけで、食料の供給量はほぼ2倍になる。しかし、セレンゲティやヨーロッパの草原のような地域では、ほとんどの狩猟地域を移動する獲物は2種類ではなく、10種類にも及ぶことがあった。そのため、種に特化した部族が入手できる肉の量は、近隣の一握りの部族との間で交易を行うことで2倍以上になると考えられる。その上、余分な肉は最も必要とされる時に得られる。つまり、その部族の同種の獲物から得られる肉はすでに食べ尽くされており、食料がなければハンターは飢えてしまうのである。
このように、2つの獲物種と、同時ではないが相殺される2つの取引という単純な取引サイクルから、少なくとも4つの利益、つまり余剰の源が得られたのである。これらの利益は異なるものであるが、必ずしも独立したものではない:
1. 餓死しそうな時期に肉が手に入ること。
2. 肉の総供給量の増加:すぐに食べられる量や保存できる量を超えた余剰分を取引し、取引しなかった分は無駄になっていた。
3. さまざまな種類の肉を食べることで、肉から得られる栄養の種類が増えたこと。
食料と交換するために収集品を作ったり、保存したりすることは、悪い時期に備えての唯一の手段ではなかった。特に大きな獲物が得られない場合には、縄張り意識と採集権の取引が行われていたようである。これは、現在残っている狩猟採集文化の一部にも見られる。
アフリカ南部のクン・サン族は、他の現代の狩猟採集文化の残存者と同様に、限界のある土地に住んでいる。彼らには専門家になる機会はなく、わずかに残っているものを利用するしかない。ホモ・サピエンスは、最初にネアンデルタール人から最も豊かな土地と最高の狩猟ルートを奪い取り、ずっと後になってからネアンデルタール人を限界の土地から追い出した。しかし、生態学的に厳しいハンディキャップを負っているにもかかわらず、クン族は収集品を交易品として使用している。
他の狩猟採集民と同様に、クン族は1年の大半を分散した小さな集団で過ごし、1年のうち数週間は他の集団との集合体で過ごす。集会は、取引が行われ、同盟が結ばれ、パートナーシップが強化され、結婚が行われるという特徴を持ったフェアのようなものである。アグリゲーションの準備は、一部は実用的だが、ほとんどはコレクション的な性質を持つ取引可能なアイテムを製造することで満たされる。クン族が「hxaro」と呼ぶ交換システムでは、4万年前にアフリカで発見されたものとよく似たダチョウの殻のペンダントなど、ビーズのアクセサリーが多く取引されている。
クン族が収集品と一緒に売買する主なものは、他のバンドの領地に入り、そこで狩猟や採集を行う抽象的な権利である。これらの権利の売買は、隣人の領域で採集することで緩和できるような地域的な不足の際に、特に活発に行われる。先に述べたバンド間の食料取引と同様に、収集品を使って採集権を購入することは、スタンリー・アンブローズの言葉を借りれば、「飢餓に対する保険」となる。
解剖学上の現生人類は、意識的な思考や言語、そして計画を立てる能力を持っていたはずであるが、取引を行うためには、意識的な思考や言語、そして計画を立てることはほとんど必要なかったであろう。部族のメンバーが単一の取引以外の利益を推論する必要はなかった。このような制度を作るためには、人々が本能に従って以下のような特徴を持った収集品を作るだけで十分だっただろう。(このような制度を作るためには、人々が本能に従って、以下のような特徴を持つ収集品を手に入れることができれば十分であった。) これは、我々が研究する他の制度についても、様々な点で同様であり、意識的に設計されたというよりは、むしろ進化したものである。制度の儀式に参加している誰もが、その機能を究極の進化的機能の観点から説明することはなかっただろう。むしろ、究極の目的や起源を示す理論というよりも、行動の近親的動機付けとして機能する多種多様な神話の観点から説明していた。
食物の交易に関する直接的な証拠は失われて久しい。将来的には、ある部族の狩猟跡と別の部族の消費パターンを比較することで、今回の記事よりも直接的な証拠が見つかるかもしれないが、この作業で最も難しいのは、異なる部族や親族集団の境界を特定することである。我々の理論によれば、このような部族間の肉の移動は、大規模かつ特殊な大型狩猟が行われていた旧石器時代の世界各地で一般的に行われていたと考えられる。
今のところ、収集品自体の移動による間接的な取引の証拠が多く残っている。幸いなことに、収集品に求められる耐久性と、今日の考古学者が発見した遺物が生き残った条件との間には、良い相関関係がある。徒歩で移動していた旧石器時代の初期には、穴の開いた貝殻が500kmも離れた場所から発見された例がある。また、火打石も同様に長距離を移動していた。
残念なことに、ほとんどの時代と場所で、取引コストが高いために貿易は大きく制限されていた。一番の障壁は部族間の対立であった。部族間の主な関係は、良い日には不信感を抱き、悪い日には明らかな暴力を振るうというものであった。部族間の信頼関係を築くことができたのは、婚姻や親族の絆だけであったが、それは時折であり、範囲も限られていた。財産を保護する能力が低いため、たとえ身につけたり隠し場所に埋めたりした収集品であっても、収集品は数回の取引でコストを償却しなければならなかった。
このように、取引コストが高いために、現在我々が当たり前のように使っている市場、企業、その他の経済制度の発展が妨げられていた長い人類の先史時代において、富の移転は取引だけではなく、おそらく最も重要なものでもなかった。しかし、取引コストが高く、市場や企業などの経済制度が発達しなかった先史時代には、おそらく最も重要なものではなかったであろう。我々の偉大な経済制度の下には、富の移転を伴うはるかに古い制度がある。これらの制度はすべて、ホモ・サピエンス・サピエンスとそれ以前の動物とを区別するものである。ここでは、我々人間には当たり前で、他の動物にはない、最も基本的な富の移転の種類の一つである、次世代への富の移転について説明する。
(2021/08/11) 追加しようとするとテーブルの表示が崩れるようになってしまったので新エントリに移行
リストver2
年月日 名称 | 場所 | 被害者数 | 使用道具 | 犯人 | 犯行時年齢 | 生まれ年 | 人物 | 供述 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1999.9.18 池袋通り魔殺人事件 | 池袋路上 | 死亡2+重軽傷6 | 包丁と金槌 | 造田博 | 23 | 1975 | 親が借金で失踪、大学進学断念 | 「真面目な人がさらにさらに苦しむ一方で、遊んで楽をしていられる身分の人たちがいることに嫌気がさした」 |
1999.9.29 下関通り魔事件 | 下関駅構内 | 死亡5+重軽傷10 | レンタカーと包丁 | 上部康明 | 35 | 1964 | 九州大学工学部卒一級建築士・離婚 | 「社会に不満があり、だれでもいいから殺してやろうと思った」 |
2001.6.08 附属池田小事件 | 私立池田小学校内 | 死亡8+重軽傷15 | 包丁 | 宅間守 | 37 | 1963 | 182cm離婚4回モテ男・兄は事件前に自殺 | 「なんや、家が貧しい者は、ええ学校入られへんのか」 |
2007.12.14 ルネサンス佐世保スポーツクラブ散弾銃乱射事件 | クラブ内 | 死亡2+負傷6 | 散弾銃 | 馬込政義 | 37 | 1970 | 高身長フツメン・週刊新潮によると母→父の逆DV家庭 | 犯行後自殺 |
2008.3.19 土浦連続殺傷事件 | 茨城県土浦市民家・路上 | 死亡2+重傷7 | 包丁とサバイバルナイフ | 金川真大 | 24 | 1983 | 父は官僚・帰国子女 | 「死刑になるために殺した」「ライオンがシマウマを食べるとき、シマウマに悪いと感じるのでしょうか」 |
2008.6.08 秋葉原通り魔事件 | 秋葉原路上 | 死亡7+重軽傷10 | トラックとナイフ | 加藤智大 | 25 | 1983 | 派遣社員 | 「負け組は生まれながらにして負け組なのです まずそれに気付きましょう そして受け入れましょう」「本気で自分を『負け組』だと考える人のことは全く理解できません。また、自分の努力不足を棚に上げて『勝ち組』を逆恨みするその腐った根性は不快です。」 |
2016.6.21 イオンモール釧路昭和通り魔事件 | 北海道釧路モール内 | 死亡1+重軽傷3 | 包丁 | 松橋伸幸 | 33 | 1983 | 介護施設調理師・新聞配達員 | 「人生を終わりにしたかった。死刑になってもいい。殺人が一番、死刑になるかと思った」 |
2016.7.26 相模原障害者施設殺傷事件 | やまゆり園 | 死亡19+重軽傷26 | 包丁 | 植松聖 | 26 | 1990 | 介護士 | 「障害者は可愛い。自分を必要としてくれる。天職だ」「重度障害者の家族は病んでいる。『幸せだった』という被害者遺族は不幸に慣れているだけだ」「特に短期入所者の家族は、暗い表情でそそくさと逃げるように帰っていきます。重たい表情で疲れ切っていました。」「職員は死んだ目をしていた」 |
2018.6.9 東海道新幹線車内殺傷事件 | 新幹線 | 死亡1+重傷2 | 鉈 | 小島一朗 | 22 | 1996 | ホームレス | 『さらに私は言った。「私には生存権がある」「(警官)この場合はあたらない」』 |
2019.5.28 川崎市登戸通り魔事件 | 私立カリタス小学校スクールバス停 | 死亡2+重軽傷18 | 包丁 | 岩崎隆一 | 51 | 1967 | ひきこもり | 犯行後自殺 |
渡邊博史(犯行当時36歳・1976生・元派遣社員)の手記より
《自分の人生と犯行動機を身も蓋もなく客観的に表現しますと「10代20代をろくに努力もせず怠けて過ごして生きて来たバカが、30代にして『人生オワタ』状態になっていることに気がついて発狂し、自身のコンプレックスをくすぐる成功者を発見して、妬みから自殺の道連れにしてやろうと浅はかな考えから暴れた」ということになります。これで間違いありません。実に噴飯ものの動機なのです。
しかし自分の主観ではそれは違うのです。以前、刑務所での服役を体験した元政治家の獄中体験記を読みました。その中に身体障害者の受刑者仲間から「俺たち障害者はね、生まれたときから罰を受けているようなもんなんだよ」と言われたという記述があります。自分には身体障害者の苦悩は想像もつきません。しかし「生まれたときから罰を受けている」という感覚はとてもよく分かるのです。自分としてはその罰として誰かを愛することも、努力することも、好きなものを好きになることも、自由に生きることも、自立して生きることも許されなかったという感覚なのです。
ここはアフリカの広大な草原帯のどこか。よく、サバンナとかサバナとか呼ばれたりするところ。
あっちにはキリンの長い首が何頭か見え、その近くにはシマウマ達が群れをなし、色々な鳥達が木々で羽を休めて、囀りあっており、そして草むらをよく見ると、草食動物を虎視眈々と狙う肉食獣が何匹か身を潜めている、長閑に見えて実際には緊張の走るところ。
そんなに様々な動物達が一望できるのは、そこには大きな水溜り、ちょっとした池のような沼にも見える動物達には欠かせない水分補給の場があったからだ。
そこで最も支配的だったのは象達だった。
象達はとても頭がよく、身体も大きく、意外と俊敏でもあり、肉食獣に狙われることはあったにせよ、肉食獣にとっても沢山の肉が手に入る敵ではあったものの、できれば避けたい相手でもあった。
それ故、象達は仲間の何匹かを見張りにつかせつつ、悠々と水飲み場の一等地を占有していた。
一等地というのは、まず水があまり濁っていないことであった。濁っている水は不味く、病気になることも多いと象だけでなく他の動物達でさえ知っており、濁りの多い場所は閑散としていた。
そして、象達から少し離れた、一等地ではないものの、そこそこ水の綺麗な場所を陣取っていたのは、カバの群れだった。
カバは象ほどは賢くはないし、体は大きいものの、象ほどには身軽ではなく、獰猛さを見せることもできたが、象には敵わなかった。しかも、カバは水飲み場を移動するという行動をほとんど取ることができなかった。
それがカバの生態であるから仕方がなかったが、カバにとって大事な大事な水飲み場、象に一頭地を占有されるのは仕方ないとしても、それでもその水飲み場から離れることはできず、二等地とも呼べるその場所を死守していたのである。
そのカバの群れは30頭ほどと言ったところだったが、そのカバの群れの中でも身分のようなものがあった。
だから、利口なカバほど水の澄んだ場所を選ぶことができ、そうでないカバほど汚れた水の場所しか選ぶことができなかった。
なぜなら、一等地の象達は、そこが一等地であるが故に、水の汚れを気にする必要はほとんどなかったが、カバ達の場所は水の流れなどで汚れた場所が日々変わり、利口なカバほどそのことをよく知っていたので、常に水の状態を意識して生活していたからである。
しかし、利口でないカバはいつも汚い水の場所で水を得なければならなかった。そういうわけで、汚い水を選択せざるを得ない利口でないカバは病気にかかりやすく、死ぬことも多かった。
しかもそれ故にも、汚い水しか飲めないカバは病気持ちのカバと思われることが多く、仲間内からも蔑んだ目で見られており、あまり相手にされることもなかったのである。
そんな利口でないカバの一頭であった彼を取り敢えず、カバ九郎と呼ぶことにしよう。
カバ九郎は最初は確かに利口ではなかったので、いつも汚れた水の場所にしかいなかったが、しかし、実際には他のカバ達に比べそれほど利口ではないということもなかった。
単に、性格が違っただけだった。カバ九郎にはある種のずる賢さがあったと言えよう。
カバ九郎が汚れた水の場所にしかいないのは、最初こそ仲間の利口さに負けたからだが、ずっとそこにしかいないのは実際のところは理由が他のカバが考える理由とは違っていた。
実は、汚れた水の中には魚がいっぱいいたのである。
カバは草食ではあるものの、完全な草食動物ではなかった。草食が主体ではあっても、肉を食っているカバがいることは近年になってよく知られるようになった。
カバ九郎は、汚れた水の中にいる魚達がとても美味しいことを発見し、他のカバにはそのことは決して言わず、自分だけで独占したのである。
所詮は池・沼地に過ぎないので、ちょっとでもこのことを教えたら自分は魚をあまり食べられなくなってしまうから。
そして、その魚を食べ続けたことが影響したのかどうかわからないが、カバ九郎は全く病気にかかることもなく、それどころかどんどん栄養が満たされて太り、肌も艶艶で、どう見ても、汚れた水にいるカバのようには見えなくなっていったのである。
そしてカバ九郎は、他の利口なカバ達が苦心して綺麗な水のところを探す努力を心の中で笑い物にし、本当に利口なのは俺だ!と奢るようにさえなっていったのである。
最初にそのカバ九郎の異変に気がついた仲間の一人をカバ太と呼ぼう。
(どうしてアイツは病気にならず、それどころかどう見ても他のカバより健康そうなんだろう?)
カバ太は、カバ九郎に近づくと他の仲間からカバ九郎と同一視されて蔑まれてしまうリスクも分かっていたが、どうしても気になってある日、カバ九郎に直接聞いたのである。
「なぁなぁ、カバ九郎、どうしてそんなに肌が艶艶なんだ?何か秘訣でもあるのか?」
カバ九郎はよほどのことが無い限り、仲間から話しかけられたことはなかったので、吃驚したものの、嬉しくなった。だから、他のカバ達には絶対に教えたくなかったが、つい秘密をカバ太に教えてしまったのである。
「実はさ、ほんとに誰にも言っちゃいけないぜ、この汚れた水の中には魚が……」
その日から、汚れた水のところにいるカバはカバ九郎とカバ太の二頭になった。
カバも人も同じである。一度知ってしまった秘密はどうしても外部に漏らしたくなるのである。
「絶対誰にも言うなよ……」
と、ついに群れの半数以上のカバが汚れた水の場所で生活するようになってしまったのである。
すると、事態はカバ九郎の予想したとおりになってしまった、食える魚がどんどん減り、酷い日には一匹も食えない状態にまで陥ってしまった。
最初は、カバ九郎もどんどんと自分の仲間が増えて、有頂天になって、汚れた水場にいる仲間からはまるで殿様のような扱いを受けていたから、そのことの方が嬉しくて、リスクは知っていたものの、事態の悪化を見過ごしてしまったのだった。
だが、とうとうカバ九郎も堪忍袋の尾が切れたか、そんな事態に我慢できなくなり、ブチ切れた。
「てめーら良い加減にしろよ! ここは俺の水場だ! てめーら出ていけ!」
第一次カバ戦争勃発である。……そんなことはどうでもいいが、その日以降、汚れた水飲み場のカバ達は毎日のように争い続けるようになり、魚達はカバに踏み潰されることが多くなってしまい、とうとう一匹の魚も寄り付かなくなってしまって、汚れた水飲み場にいたカバ達の群れは、カバ九郎一頭を残して消えてしまったのだった。
そして、魚を食えなくなったカバ九郎の肌の艶もどんどんなくなり、日頃、そんなに草食地で餌を探す苦労もしてなかったものだから、いっつも他のカバ達に食い荒らされた草地に言って残り滓を食べる以外に方法がなくなってしまい、汚れた水場ばかり利用していたのでとうとう病気になって、痩せ衰えたのもあり、あっさり死んでしまったのである。
その群れのカバ太は仲間にぽつりと漏らした。
「なぁ、カバ九郎って利口だったのかな? 利口じゃなかったのかな?」
以下の記事に関する意見に「女性の胸は普遍的なエロではない」的なものを見たので、反論。
(いや、他人の体を勝手にエロの対象物にするな、という意見は置いといて。もっとふわっとした話ね)
サルは乳房に興味ないってことは、おっぱいにエッチさを見出した特殊性癖のパイオニアがどこかにいたってことだよな
https://togetter.com/li/1668772
ここのブコメにあるような変な論を見る機会が最近増えた気がして、これってある種の「江戸しぐさ」的な奴が浸透してるのではないだろうか、と危機感を持ったので書く。
→だったら風呂場で露出する性器自体もエロじゃなくなる理屈だ。そんなわけあるか。
ちなみに、着衣で入る蒸し風呂は「男は湯褌だけ」で、「女は湯巻(薄い着物のようなもの)」である。(「湯」はふつうに裸で入る)
ここからも「上裸における男女の扱いの違い」を感じないだろうか。
※ちなみに、風呂場で乱交する困った春画もたくさんある。混浴で辛抱たまらなくなる人もいたわけですね。(また、それに共感する人が大勢いたから絵になっている)
ていうか、風呂での売春が多かったことや女湯の覗きが取り締まられてたのも有名な話だよね。
→着物の構造を考えればわかるが、胸どころか下だって大して隠してないわ。
農作業や力仕事をするときは裾を捲ることだって多かったわけで、大して意味のある話ではない。
つまり昔は、裸に対する認識がそもそも違ったと考える方が理解しやすい。
「風呂」「畑」のような日常空間(もっといえば道ばたでも)で見る裸は多くの人にとって「エロいと認識されなかった」ということ。
「裸がエロい」んじゃなくて、「エロいことする空間」だから裸がエロくなるという理屈だ。
現在のたとえで言うと、ヌーディストビーチなんかも実際行くと興奮しないというのと同じである。
逆に、現代の街中で全裸の人がいた場合でもエロより先に恐怖を感じるはずだ。
→確かにそういうものが多いが、普通におっぱい好きの絵師だっていますがな。都合よく無視せんといて。
「着衣でおっぱい吸ってるだけ」の授乳プレイ春画すらあんねんぞ。
明らかにエロ目線で「胸だけチラリしてる」浮世絵もいくらだってある。子供への授乳画もやたら多いし。
というか「江戸時代の春画だけ」で昔を語る方が主語がでかすぎる。
そんなん、レイプ絵や輪姦アクメ堕ちの絵が春画に沢山あるから「そらみたことか!女はレイプされたがっている!」と豪語するくらいに間抜けである。
逆に春画がおっぱい軽視な特殊例だという発想はないのだろうか。
→本題とは直接関係ないが、最近やたら目にして気になってるのでこれにも反論。
進化などに詳しくないのでわからないが、結構胡散臭い話だと思う。
なぜなら発情期の猿の尻の写真を見ればわかるが、人間の尻とは似ても似つかないのだ。赤く膨らんだ猿の尻はどっちかというと「腫瘍とかそれ系」である。普段の尻も全然違う形だ。
人間の尻は「二足歩行に進化することによって」、人間の尻という独自の形状になったのである。
人間のように直立すると肛門が真下に位置するため、垂れ流しにならないよう括約筋や周囲の筋肉が発達し、あの独自の尻たぶができたのだ。
人間だけが排泄後に念入りに尻を拭く必要があるということ自体、人間の尻が特有の形をしている証明だ。
猿は尻で求愛するし、シマウマなど魅力的な尻を持つ哺乳類もいる(検索してみてほしい)が、だからといって「胸=尻に似せて進化した」説はあまりに安易だと考える。
どの尻に似せて進化したんだ。
※また、女性の胸のふくらみも、人間特有の頭蓋骨の進化が関連しているという説がある。
猿含め他の哺乳類は口蓋が前に突き出しているので平らな胸でも乳を吸えるが、人間は脳の発達により頭蓋骨が変化し顔面が平らになったため、乳児が乳を吸いやすいように胸が突出したという説である。
真偽のほどは定かではないが。
→正直詳しいことは何も知らんのだが、猿の外見から簡単に雄雌を見分ける手段として「乳首が目立てばメス」というのは動物系のドキュメンタリーでよく聞く話である。
これだけで判断はできないが、少なくともある種のシンボルではあると思うのだが。
※また、少し話がそれるが、「発情期を有する猿」と「年がら年中発情期の人間」を単純に比べること自体、実はかなりおかしいのではないかとも思う。
大体、猿のほとんどはポコチンにも骨があるのだ。そこからして違うのに、猿の延長で人間のセックスを考えるのって正しいことなのかね。
専門家ではないので、どの程度切り分けるべきかはわからないが。
→これも無視されがちですが、女性の内のかなりの人数(すべてとは言わない)が性行為中に胸というか乳首を触ると、わかりやすく快感を覚えるわけです。
そもそも「性を意識する年頃」に合わせて女性の胸が目立ち始める、という根本的な大事件を忘れていないだろうか。