はてなキーワード: コミニュケーションとは
コロナ禍が起こったことで俺は人と接するのがつくづく嫌だったんだなあと理解した。
セルフレジと有人レジがあれば有人レジが空いていてもセルフレジ選ぶしね。
もういやなの。パーッとパートさんにバーコード通してもらったほうが早いってわかってても人と関わりになるのが。
だから昼休憩のランチなんかも味とか居心地とかじゃなくてタブレットで注文できるかどうか?で選んでる。
とにかく人と接するのが嫌い。
だから早く、人同士のコミュニケーションもタブレットでラーメンを頼むような感じになって欲しい。
ああいう感じでいいんだよ、きっと。
声に出して相手に伝え、
回答の必要があればそれを発話するとか、
もっともっとコミニュケーションというのは負荷が低い完全理解を前提とした簡単なものにしなければいけない。
ChatGPTが登場したときに早くもこれからはAIエージェントが人と人との会話を取り持つことになるだろう、
なんてことを推察してた人がいたけれど
タブレットで注文するときのような調子でAIが候補に上げた返信を選択すればいいだけになるんだよ。
その要件を本当に相手が理解してるかどうかとかもAIに確認してもらうことも出来る。
〇〇の約束はどういうことですか?
コミニケーションってそういうことだろ?
相手がこちらの言う事を理解して、こちらは相手の言う事を理解する。
そういうことだよね?
決してべらべらと内容のないことを延々と喋った挙げ句に肝心の要件を伝え忘れる、
とかそういうのがコミニケーションスキルの高い人って感じになってるんだけど、そういうことじゃないよね。
もっともっとコミニケーションはシンプルで内容の伴ったものへと変化すべきだ。
そうなれば、人とコミニケーションとるのもそれほど嫌じゃなくなるんだよ。
何となくだけど増田さんがクレクレに感じて旦那さんがゲームに逃げてる可能性ない?
邪推でしかないが、増田さんのリアルな女性像に旦那さんが思ってたんと違う…となってそう
例えば、息がちょっと臭かったり
ムダ毛がちらほらあったり
口髭うぶ毛がうっかり生えてたり
いびきが酷かったり
寝巻きがヨレヨレのTシャツだったり
めちゃくちゃマグロで自分だけ汗だくで疲れてるのに不満そうだったり
それなのにちん…に触るのは嫌がったり
男って(主語でかごめん)繊細だからこう言うのはっきり言えない癖に少しずつしおしおに萎えてくからなあ
旦那さんと身体的なコミニュケーションを取りたいのと、性的に満たされたいのは別で解決した方がいいと思う
正直後者の性的なやつはこの情報社会を活用して自分で解決するしかない
回しもんでもなんでもないが、LCコスメってとこが女性でも使いやすくてタメになるコラムも多いので自分はたまに使う
自分で自分を喜ばせられないのに人にやってっておまかせするのは傲慢な気がするから
思い切ってねぎらいの意味も込めて増田さんが外ご飯予約しちゃって食べに行くとか
そう言うのの積み重ねの先に気持ちのこもったセックスができると思うよ
頑張ってくださいな
子供のころ、大臣が「女性は産む機械」と言ったことで辞任を迫られたことを何故か思い出した。確かに、公職にある人が、体質的に子供を産めない方への配慮が無い発言をするのはまずかったのだろう。
歳を重ねると、どのような異性と居るときが楽しく感じるか、大体自分のパターンが分かるようになってきた。だが、そもそもプライベートの時間に異性と楽しい時間を過ごしたいのか。そもそもプライベートの時間に他人と時間を過ごしたいのか。。。
突き詰めると、結局自分が欲しているのは、自分のDNAを最も高尚に次の世代に残してくれる何かだと思うようになってきた。そして、その何かとは異性との楽しい時間とは全く無関係なのではないか。もちろん価値観やコミニュケーションのコードが近いことは、子供を育てるフェーズでは重要なのだろう。一方、育てるフェーズで関係に亀裂が入るのは大抵は当初は予期していなかったことに由来すると思われる。子供の病気、子供の人間関係、地域トラブル、介護、仕事。。。そうした想定外の出来事が発生したときに、楽しかった時間で確認したはずの諸々は意味があるのか。寧ろ、そうしたときに、挫折せずに前を向ける強い意思の源泉にあるもの、それは自分のDNAが最も良い形で残されることに対する確信なのではないか。
その確信はきっと、その何かの機械性に対するあこがれのようなものであり、もっと本能的な生物学的なところにあるのだろう。楽しい時間を過ごした二人が関係を深めてその象徴として子供が産まれて育てられるというストーリー、が現代社会では想定されているのだと思うが、その前提となるような「楽しい時間」を維持するコストが結局は化粧なりファッションなりSNSなりある種のフェイクを形成するコストに思えて、寧ろあるべき出会いのあり方を阻害している。もっとストレートで野蛮な、そんな出会いで良いのに。
たとえば、そこそこの距離感の相手を想定したい。そこそこの定義は、親しくもないし、仲が悪くもない……くらいにしておこう。
ここではそんな相手から愚痴とも文句とも相談ともつかないような話があった場面を想定する。
まずは相手の言葉の「。」を意識して聴く。「。」が出る前に話してはならない。割り込むと、共感パラメータは大きく減少する。とにかく最後まで発言を聴き切ることを意識していく。
さらに大きなポイントは、とにかく状況を聞き取ることに徹することだ。「基本的に俺の意見なんて、奴らには必要ないものだ」と理解するといい。問題解決しようとするなどはもっての外だ。してはいけない。
むしろ「問題解決っぽいコミニュケーションはとらないぞ」という心構えが重要である。油断すると聡明な皆さんはすぐに解決案を思いつき、言いたくなるだろう。それでは、共感パラメータの上昇は難しい。
共感パラメータの向上のために、最初に必要なのは、「相手の状況への理解を深め、解像度をあげていく」ことだ。
もちろん前後関係や人間関係などの状況が分かりづらいときには相手に質問はしてもいい。しかし質問は常にある種の侵襲を伴うことも理解しておきたい。相手に質問を立て続けにされて苦しくなったり、責められているような気分になったことは誰しもあることだろう。多かれ少なかれ、質問には侵襲があるのだ。だから二つ以上の質問をして同時に行ってはいけない。聞きたくても一つずつだ。細かいことは後回しにして、なるべく質問を控えつつ、まずは全体像を把握することに力を入れよう。
状況の理解が進んだところで、ようやく攻撃に転ずることができる。このタイミングは慣れるとわかるようになる。ああ、十分にバフを積めた、という感覚を得られるのである。ここで必殺技を打とう。
そう、必殺技がある。
必殺技は、これだ。
「~(聞き取った状況・出来事)だと、~(予想された感情)ですね」と言い切る。言い切っていい。
コレは本当に有効だ。感情は、悲しいとか、むなしいとか、イライラするとかが当てはまる。状況を聞いていれば理解できることが多い。それでも相手の感情の予想がつかず、イマイチわからないときには「辛い 大変 心配」の3つのどれかが万能である。
たとえば「なるほど……〜〜な状況だと、本当につらいですね。大変でしたね」という。苦労を労うような構造にすると打率が上がる。
相手から「そうなんですよ」が出たら、状況の描写に映る。「だって、〜になって、でも〇〇をしなくちゃいけなくて、なのに……だったんですよねー。いやー、それは辛いなぁ〜」とかなんとかを話してみる。状況描写は基本的に外しづらい。前半に十分にバフを積めば、状況描写を用いて簡単に「そうなんです」を引き出せる。そして「そうなんです」を繰り返し引き出すことを意識するのだ。
うまく引き出せないときにはバフが足りないことがほとんどだ。相手が「そうじゃないんだよな……」という態度を示したら、すぐに状況を理解する作業に急いで戻るんだ!すぐに戻れれば戻れるほど、傷は浅く済む。
「そうなんです」コンボは続ければ続けるほど、ボーナスが乗るイメージを持てるといい。
この「『そうなんです』引き出し作業」を行なっていると、不思議とこちらにも自然と疑問が湧いてくるようになる。
相手も含めた登場人物の想いや行動の理由だ。どうして、そんな行動をとるのか、その時の想いは何か、どんなことを感じ、日々どんなことを大切にしているのか、などが気になるようになるのだ。だって、こちらは状況への理解を深めることが重要だときめたのだ。そこからは共同作業だ。何が起きているのか、どう解釈したらいいかを見出すためにコミニュケーションが取れるようになっていくのである。
敵だと思っていた相手は、状況理解を助けてくれるためのパーティーメンバーになる。
さらにこのように人物や状況への理解を深めていくと、その解釈にときに救われることもある。それは双方にとって役に立つ知見のことも多い。
人生詰んでそう。
ことあるごとに(具体的には数週間おきに)自分に食って掛かって来た相手とのエピソードを引き合いに出してそいつよりはましだみたいな論を展開する奴がいる。
外野から見れば内輪ネタオブ内輪ネタだがそいつにとっては重要な思い出なんだろうな。
でも普通にリアルを生きてたら5chでの書き込みごときの記憶が重要な思い出になるってありえないでしょ。
リアルの思い出に記憶のリソースが割かれてネット上でのことなんてそんな傍から見れば所詮画面内のピコピコでしかないようなものの記憶など風化して当然だ。
それが重要な記憶ってことはそのようなイベントの発生源である5chがそいつにとっての人生の全てなんだよね。
つまり人生の全てといえるほどの時間をそこにつぎ込んでいる。少なくともここで暇人と分かる。
しかも5chなどとっくに数世代古いコミニュケーションツールとなったこのご時世なんだ。新しいものに適応する力もない=無能、ということで人生詰んでる暇人と分かるな。
考えるだけでなんで首つって死のうと思わないんだろうという疑念からの共感性羞恥に駆られる。
VRで没入してる人がいるさなか文字だけでリアルタイフのようなリアリティーを自分のなかで形成してそのなかをいきれるって逆にロストテクノロジィーって一周回って肯定的な評価もできるかもね鼻ホジ
先日社内で引っ張りだこの先輩と飲みに行く機会がありました。その時に教えていただいた、人間関係をスムーズにするコツを紹介します!
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見た目の工夫編
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1. 清潔に保つ
・歯を磨く
・髪をセットする
・髭を剃る
・体臭を抑える
・眉毛を整える、
・靴を綺麗に保つ
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・声をワントーン高くして会話する
・知ったかぶりをしない
・メモをとる
・1度聞いただけで、できるようにしようとする
・やってみます、と言う
・〇〇がわからないんですが、教えていただけませんか?と聞く(分からないことを隠して質問しない)
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というわけで
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凡人(天才ではない、特別な専門知識がない)はこれらのことを意識するだけで、多くの人と良い人間関係を構築できると思います。コミニュケーション本のテクニックを実践する前段階として、上記のコツから始めてみてはいかがでしょうか!
女性は出産したら家庭に入る人が多いので、事務処理能力や酒の強さって不必要だと思います。
28歳の社会人7年目です。大学を卒業してから公務員(市役所職員)してます。
今年、入庁してきた新卒の女性職員の子が一言で言ってしまうと、かなり仕事ができる人です。
私は今の部署に配属されてまだ2年目(それまで5年間は違う部署でした。)でまだまだ仕事を覚えることはたくさんあります。
でも、その新卒の子はまだ入庁したのも配属されたのも、半年しか経っていませんがかなり仕事が早いです。
また、ExcelとかもマクロVBAを使いこなせた、タイピングもかなり早く、業務効率もとても良いと課長に褒められていました。
その女性職員の子は、新人なのに課長は仕事が効率よくかつスピーディーでミスもほとんどないといつも言っており、
高く評価しているせいか仕事量が私の2倍くらい任されています。
それなのに、その女性職員の新人の子は、いつも定時の17時15分になると仕事を全て終えて定時帰りです。
私が仕事が残っているときは「手伝います。」と言ってフォローしてくれる時も時々ありますが、
(私だと1時間はかか業務量を新人の子は30分で指定しまいます。)
こういう言い方はしたくないですが、仕事もできて、容姿も綺麗で可愛いので少し鼻につきます。
そして、容姿やスタイルが綺麗なことをその新人の子もアピールしている気がして、余計に腹が立ちます。
女性職員はスーツ着用とかの規定がないので仕方ないかもしれませんが、その新人の子はいつもニットの服を着て、スタイルを強調しています。
新人職員の子は、ニットの服を着て体のライン(胸の大きさやお腹周りのくびれなど)を強調したり、ニットワンピースを着てお尻のラインを強調したりをしています。
本人が強調していると言ったことはないですが、あれはどう見ても自分の容姿やスタイルの良さを武器にして、自慢している証拠だと思います。
仕事が得意ではないけど、可愛いとか、仕事は得意だけど容姿は並とかであれば、人間らしい気がしますが、新人の子は完璧すぎて鼻につきます。
コミニュケーション力も高いので課長や同僚だけではなく、市民対応も完璧です。いつも笑顔でニコニコしながら、しかも相手が分かりやすい説明が自然とできてしまうタイプの女性です。Excelが得意でマクロVBAやエクセル関数も使いこなせる上にタイピングまで早く、仕事の効率が抜きんでて早いタイプ。
新人の女性職員とは思えないくらいに仕事ができる人です。事務処理能力が高すぎます。
新人職員の子が入庁してきた4月に、居酒屋で歓迎会の飲み会をしました。
新人職員の子は容姿が可愛くてスタイルが良かったので、あまりお酒は強くないタイプを想像していましたが、最初の乾杯の時は大ジョッキで生ビールをぐびぐび飲んでいて、その後も焼酎ロックや日本酒の熱燗、麦焼酎など度数が高くて苦い酒を10杯以上も飲んでいました。それなのに飲み会が終わる頃になっても、新人職員の子は全く顔も体も1ミリも赤くなっておらず、外見は飲む前と全く変化なしでした。(やや饒舌になっていたので、ほろ酔いの笑い上戸になっていました。)
私はビール1杯で全身真っ赤になるので、酒は自分から好んで飲みません。
先月も、私と新人職員の子と自治体職員のモラル研修に県庁に行った際に、市民の目があるからアルコールの失敗は絶対にしないように、というそういう話が研修の講演でされていて、その中でアルコールパッチテストを研修の参加者の職員は全員しました。
私は最初の7分でアルコール役を染みらせた絆創膏を貼っていた皮膚が真っ赤になりました。(酒が飲めない下戸判定)
新人職員の子は最初の7分でも絆創膏を貼っていた皮膚に変化がなく、さらに絆創膏を追加で10分貼り、その後に絆創膏を外した時も全く皮膚が赤くなっておらず肌色のままでした。(酒に強い判定)
仕事もできて、容姿も綺麗で酒も強いって完璧すぎて可愛げがないと思います。
そもそも、女性は出産したら家庭に入る人が多いので、事務処理能力や酒の強さって不必要だと思います。
どう思いますか?
結婚前に仕事をしている女性でも、結婚すると家庭に入る人が多いです。主婦になる人が多いです。
事務処理能力が高い女性やお酒が強い女性は確かに、社会人時代はその武器を活かせると思います。
でも、主婦になったらExcelとかもマクロVBAを使いこなす機会もないですし、仕事の効率が良くて仕事が早いという特技を使う機会すらなくなります。
結婚して妊娠して出産して子育てが始まれば、お酒も飲む人は女性は減ります。
男性は事務処理能力が高いと仕事で評価されづらいです。給料も上がらないです。
お酒が強くないと、上司の酒に付き合えずに、周りからもつまらない人間だと思われます。
事務処理能力や酒の強さを女性が兼ね備えているのは、宝の持ち腐れだと思います。
本来、男性が事務処理能力や酒の強さを備わるべきで、女性は事務処理能力や酒の強さは不要だと思います。
新人職員の子の事務処理能力や酒の強さが私にあれば、違った人生があった気がして悔しいです。
ちなみに新人職員の子は大卒で入っているので今年まだ23歳です。
北関東。工場・物流を中心に派遣している。普段の業務は登録者の面接、派遣したスタッフの管理、新規開拓。
保育園の兼ね合いから短時間で働きたい若いママから、40を超えて妻の実家に寄生しながら転職を繰り返す謎の存在まで様々なスタッフがいる。
そして、全員とは言わないが、男性スタッフはわかりやすく言えば「ダメ」な人間が多い。
仕事が続かないだけならまだマシな方で、中には30代後半で就業経験が無いとか、明らかにコミニュケーションが取れないとかそもそもどうやって今まで生きてきたのか不思議な相手もままいる。
勤務開始当日の無断バックレは日常茶飯事、夜中の1時に電話してきて「明日から仕事行きません」と告げてくる、そんなスタッフたちが最低賃金ちょっと上で働いている。この世の地獄のような世界。
彼らは現実が見えていない。明らかに能力が足りないのに待遇は高水準を求めたりと、逆の立場だったらお前はお前を雇うんかと言いたくなる相手もいる。
とは言え、そんな人間であっても総支給15~16万で働いているのが本当に正しいのか? と思わないわけではない。彼らもそうだろう。
能力も足りない、常識も無い、目を疑いたくなるような言動をする人もいる。しかし、プライドは高く現実が見えていないのでお金は欲しい(ここに関してはプライド云々ではないと思うが)
だからこそ、転売ヤーの非常識なニュースが流れてくる度に、スタッフとその姿を重ねてしまう。
明らかに常識が無い、倫理観もない、真っ当なコミニュケーションも取れない。しかし、そんな人間でも人並みかそれ以上の収入を得ることのできる手段が、転売なのだ。
列の途中で粗相をしようが、子供を罵倒して商品を手にしようが「その場限り」なので関係ない。ネットで勝手に売れていく。なんならメッセージすら送る必要も無い。
交通費を考えたら真っ当に働いた方が遥かにいいものですら転売されるのはそういうことだろう。真っ当に働けないのだ。
真っ当にお金を稼ぐことの出来ない人間が最後に掴んだ「人並みの生活」、それが「転売」なんだろう。
だからと言って転売を擁護する気は無い。非常識な人間のせいで販売側が本来不要な努力を行うのも見るに堪えない。
ツイッターのトレンドに「転売ヤー」が上がってくることすら気分が悪い。
友人が発達障害だと診断がつく前から「なんかこの子空気読めないな」「平気で人を傷つけることを言うなぁ」と思っていた。
一対一だと割と会話が成立するのだが、集団だと度々おかしな発言をして周りの空気が死に、それをわたしは取り繕っていた。
発達障害だと診断がついたあとも友人は空気が読めないとは思っておらず「わたしは発達障害だけどコミニュケーション能力がある!人の気持ちがわかる!」とよく言っていた。
そんな友人は職場でうまくいかず鬱になり退職をした。おおよそ見当はつく。どうせいつもの調子で空気を読めずに忙しい時にどうでもいいことを聞いたりして怒らせてしまったのだろう。本人はそんなことない!私はちゃんとしてる!の一点張りだが。
まあでも災難だなと思い話を聞き、アドバイスをするなどしていた。
しかし全て「そんなこと言われても発達障害(or鬱)だからできない」で終わるため建設的な会話にならずアドバイスもだんだんしなくなっていた。
友人は鬱になると攻撃的になるタイプだったらしくかなりひどくあたられた。アドバイスも全て「余計なお世話」であり、「私の人生を操作しようとするな!」だそう。
一応補足するがあくまでアドバイスでありこうしなさい!と強制したわけではないが友人にはそう脳内変換されてしまうらしい。
びっくりしたのだがこれがかなり傷ついた。あまりこういうことは言いたくないがかなりお金も援助したし愚痴や悩みも深夜過ぎまでたくさん聞いた。今までも悪気なく酷い言葉を投げかけられても「まあそういう特性だししょうがないな」と思って飲み込んでいた自分がバカらしくもなった。本当に「人の気持ちがわかる」ならそんな言葉を投げつけないで欲しかった。
友人だから心配してるだけだよ、とか、発達障害で鬱で貯蓄ゼロの人間の人生を操作してなんかメリットってあるか?とか、いろんな感情がよぎって反論しようと思ったが、やめた。
もう友人に私の声は届かない。どうあがいてもお節介な悪者になってしまう。私はそっとLINEをブロックした。
もう会うこともないだろうが、友人の鬱が寛解することを願っている。
昨今、テレビやネットで「宗教」が悪い意味でクローズアップされることが多いので、
多少なりとりも宗教に関わっている人間として思っていることをとりとめもなく書いてみる。
このエントリは「宗教を信じろ」とか言うつもりは無いし、何か提言をするわけでもない。
目的はなんだ、と聞かれたら愚痴や相談に近いのかもしれないし、
ブクマをもらって、ただ承認欲求を満たしたいだけなのかもしれない。
そして自分は俗にいう「寺の後継ぎ」であった。
〇〇平和連合とか××学会とかでは無く、大手宗派のフツーの田舎寺の生まれで、社会人を経てから東北のとある寺を継いでいる。
真面目にやっているつもりではいるが、カツカツ状態でお寺を運営している一応の「宗教の運営サイド」である。
僧侶として不適切な表現があるかも知れないが思うことをリアルに書いてみようと思う。
こういうネット論調に対して、別に否定はしない。実際にそういう人は目立つし、まぁ多いんだろうな、と思う。
たぶんお金のある環境で何不自由なく育ち、社会にも揉まれずに、資格だけ取って親の跡を継いでるのだから。
悪く言ってしまえば、中小企業の無能ボンボン2世社長みたいなイメージなんだろうか。(もちろん厳しい修行は経ている)
一方で、もちろん真面目なお坊さんもいるし、先代住職の後をきちんと継ごうと頑張っている若い子もいる。聖者かよ、ってレベルの住職もいる。
特に、小さいお寺で住職だけじゃ食べていけない比較的若めな人ほど、副業をやりながら、
きちんと社会と関わりを持っているからマトモな感覚を持っていると個人的には感じる。
やはり前者の「クズ」とネットで呼ばれる方はでかい寺のボンボンドラ息子が多いんじゃないかな。
センス悪い真っ赤なBMW乗り回して、キャバクラ行ってるような生臭坊主。そんなネット上で揶揄されるイメージとそこまでかけ離れて無いと思う。
ただ宗教法人の本部側、もしくはお檀家さん側から見て、1番ヤバいのはこういうタイプがやっている寺ではないと思う。
彼らにはまだ、人とコミニュケーションを取れる、という立派な能力があるからだ。
結論から言えば、前述のようなテンプレ的なクソ坊主(以下テク坊とする)よりヤバいのは、
発達障害の方が継いでいる寺なんじゃないかと個人的に思っている。
※発達障害の方自体をどうこう言うつもりは全くないし、彼らに社会のケアは必要だと思うし、本題から逸れるので置いておく。
そもそも「寺の跡を継ぐ」だいたいのパターンとして寺生まれの子が高校卒業後に専門の大学に入って資格を取り、寺に戻るルートが多い。
しかし彼らは陽キャなテク坊とは違う。大学時代にテク坊が親の金でクラブで遊び呆けている一方で、
人とマトモなコミュニケーショが取れない、文字がすらすら読めない、簡単なことが覚えられない、優先順位がつけられない、何度同じことを注意されてもできない、大学に来なくなりがち等、
見ているとこんな子がいるのかとびっくりしてしまう程だ。
発達障害のエピソードなんかは他のエントリでも言及されている通り。
別に彼らを馬鹿にしたりとか、彼らのやばいエピソードを列挙・紹介したりとか、そういう目的では無いので詳細は省く。
そして、もちろん彼らは悪い子ではない。
高校を出たての18歳で、地方から単身、大学のある都市に出てきて彼らなりに努力しているのだと思う。
本来なら「彼らにもできること」を職業として、何かしらのケアや気遣いを受けながら生きていくのだと思う。
しかし彼らは(親の意思であれ)お坊さんになる道を選んでしまったのである。
お坊さんという仕事は、言ってみればイチ法人の社長みたいなものだ。
お檀家さんや地域の方とコミュニケーションは必須だし、当然一定のタスク処理能力もいる。
人の生き死ににも関わる仕事なのでイレギュラーな対応も多々起きる、体力のいる仕事だ。
テク坊は生臭坊主かもしれないけど、寺が回っているなら一応やることはやっているはずなのだ。
また、ひと昔はお坊さんになるのにも、一定の選別は行われていたのではないか、と思う。
しかし今は少子化も進み、在家から出家する人も減ったろうし、そもそも職業として倍率が減っている。
なので、どんな子であろうと、なんとかして跡を継いでもらわないと、田舎なんかだと寺自体が潰れてしまうかもしれないのだ。
宗教法人の本部側からしてもそれは避けたいし、何より坊さんを養成する大学側も継いでくれる彼らを見捨てるわけにはいかない。
昔と比べて志望者は減り、入試の倍率はほぼ1倍に近い、いわゆるFランで、入学後も彼らを(大学とは思えないほどに)サポートする。
優しく、とても優しくお坊さんになるまで見守ってあげるのだ。
そうして見事生き残ってしまうのである。(もちろん修行から逃げてしまう子もいる)
もう一度言うが、発達障害の彼らをどうこう言う気は無い。
ただ彼らの能力的におそらく無理であろう、さらに寺の住職という少し特殊な職業に就いてしまう、就かされてしまうそんな構造がヤバいと思う。
想像してみてほしい。自分の家族や親戚が亡くなった時に来たお坊さんが、ほぼコミュニケーションが取れず、小さな声でボソボソと下手くそなお経を読んでいる光景を。
いや、そもそも予定を覚えられず来ないかもしれない。彼らにとっても、ご遺族にとっても最悪だと思う。
言い過ぎだろうと思う人もいるかもしれないが、彼らを見ると本当にあり得ると思う。
一般的な仕事であれば、当然そんな人に需要はなくなるし、潰れて当然だろう。
だから冒頭のネットの論調のように、坊主が嫌われてるのも分かるし、自分が在家の生まれだったら不要と思うかもしれない。
でも自分は寺の生まれで、亡くなった先代に反抗してた時期はありつつも、結局継ぐことを選んでしまった。
これからの宗教法人の行く末を不安に思っているだけで無力な一僧侶だ。
あえて言いたいことがあるとすれば、
住職としゃべってみてやばいと思ったら菩提寺を変えてみた方がいいかもしれない。