はてなキーワード: IPhoneとは
アラ環の上司が家で使ってる無線ルーターが調子悪いって言って、俺んとこに持ってきたんだ。
昼休みにちょっとからかってると、何故か接続されているクライアントがあった。
上司は出かけてる。
空調服という便利そうな服がある。
会社の近くで大規模商業施設の本格的な建設が始まってから作業者の人を
見かけることが多くなったがどうやら空調服は標準装備のようである。
いつも決まって背部には、謎の換気扇のようなものを書いていたものだが
もしも、その落書きを嬉々としてやっていた子供時代の私が現代にタイムスリップして
空調服を来た作業員の人を見たら、ぐわぁつ!さすが未来!!パワードスーツ着とる!!
と大興奮したあとに、あれはただの送風機で風を送っているだけなんだよ、と聞かされてガッカリすることだろう。
私も毎日の通勤で汗だくになることを考えると導入するべきだろうか?とよく考えていた。
しかし、結局のところを買うことはなかった。
理由としてはファッションとして空調服をうまく調和させる方法が思いつかなかったからだ。
ワークのテイストを取り入れる、ということをカッコつけていってる服屋さんは枚挙にいとまがないが
現代のワークにおいての最重要テイストである空調服を取り入れているものを見たことがない。
そういうきっかけを与えるのが天才とあとから呼ばれる人たちなのだと思う。
頂点を極める人間はiPhone の最新モデルなど追ってはいない
頂点を極める人間はiPhone 14の数分の一の値段でThinkPadを買っている
時代に流されないコンピューティング経験だけが創造性の源であることを知っているからだ
消費者になるな
生産者になれ
iPhoneが世界シェア1位だと思っていたレベルの、ガジェットのことあまり知らない人間の感想です。
今まではiPhoneからiPhoneに乗り換えつつ3〜4台ほど使用。
iPhoneにしていた理由は、まわりがみんなiPhoneだったから。
契約更新が近づいたときに、その時の最新iPhoneに乗り換えしていたので、Androidと比較したこともなく、先日人生で初めてGalaxyに触った。
良かったところ
・画面分割ができて、YouTubeを見ながらTwitterや調べ物ができる(ここに1番惹かれた)
・セルフタイマーをしなくても、画面に向かって掌を広げる(手をパーにして画面に向ける)と、シャッターを切れる
・Galaxyの上にワイヤレス充電対応のiPhoneやAirPodsを置くと充電ができる
・カメラの画質良い
折りたたみは新鮮だったが、折りたたみである必要はないかなと思った
説明をしてくれた店員さんは、日本の若い女性のiPhone率は異常、iPhoneを使っている人は何も考えずにiPhoneに乗り換えるのでループから抜け出せない。スペック的にはGalaxyの方が断然上、と説明をしてくれた。世界シェア1位はGalaxyとのこと。はえ〜iPhoneじゃなかったんだ。(何も考えずにiPhoneに乗り換えてきた人に響きそうな売り文句だとも思った)何事も比較して調べることが大事ですねえ。
・iPad mini 6
・AirPods Pro
を去年〜今年にかけて購入した私は
特にApple WatchはGalaxyじゃ使えないよね、多分
今iphone使ってる人なら14proかな
結局一番写真と動画撮りやすいデバイスはスマホだし、機材がいいに越したことはない
Apple watchもかなり便利だと思うけど、本人が使い方ピンときていないとただの充電が必要な腕時計になって持て余すかもしれん
周囲「AndroidがiOSより便利とか意味わからん、お前頭おかしいよ...…」
ネットしたければ何よりもまずWindowsPCを使ってた時代の人間からしたらAndroidとにかくクッソ便利すぎて衝撃だったんだが。
みんなiPhoneの新しい機種が出るだびにガッカリするばかりだけど
じゃあ、昔のiPhoneの発表会はそんなにすごかったっけ?って疑問に思う。
なんか昔の思い出がいい感じ上書きされて勘違いしてるだけなんじゃないの?
あったっけ?うわーすげえええiPhone出たよ!なんてこと。
地方都市の大企業で情シスやってるけどレベルの低さがやばい、耐えられなくなってきた。
今携帯の機種変更の対応をしてるけど、「このマニュアルに載ってるアプリがないんだけど!?アプリ一覧って何?」「アプリ起動したらアカウント作成ってあるけど、個人でメールアドレス作るの?」「Outlookの設定画面の開き方がわからない」「マニュアルと表示が違う」
Outlook周りだけでもこんな質問が飛んでくる。しかも複数。
設定の開き方はマニュアルに記載してる内容だ。老人に説明してるのかってくらい書き込んでるが、ほとんど読み飛ばされる。
読み飛ばすくせに「書いてない!」「わかりづらい!」とクレームがくる。赤字で書いてるんだが?
説明してもわかってくれないので、結局私が設定する羽目になる。設定してもらうためにわざとわからないふりをしてるのか、本当にわからないのかは知らん。
感謝されることがほとんどだけどキレられるとさすがに腹が立つ。
お前なんでiPhoneの設定方法わからねえの?私用携帯iPhoneだろ?と嫌味の一つも言いたくなる。言わないようにはしてるけど。
まあ、こんな会社だからパソコン少し使えるだけの高卒の私が情シスで働けるんだろうけど。
人間の脳とはどうにも不便なもので、積み重ね続けているはずの明るく優しい記憶はその隙間に挟まる嫌な記憶に塗りつぶされてしまう。古来より経験から学習して危機を回避するために必要な仕様なのだと考えれば理解はできるのだが、現代に慣らされたわたしにとっては、ずっと自分を縛り続ける鎖のように重苦しい。
虐待、という言葉は日常的に――さまざまなニュース、ネットの記事、大学の授業、書籍なんかで――目にする。その程度に軽重はなく、そしてその辛さに貴賎はなく、当事者が辛かったと感じ、または自覚なくとも傷つき、倫理と法に照らし合わせたときにそう判じられたのなら、それは虐待になるのだろう。
多くの人が、まずぱっと想像するのは保護者から子への虐待であろう。母から、父から。扶養者から。祖父母から。近年では、養護者による高齢者に対する虐待も問題視されている。わたしのiPhoneに標準搭載された辞書によると、虐待とは「むごい取り扱いをすること」。調べれば、厚生労働省による児童虐待のページも出てくる。それによれば、児童虐待は「身体的虐待」「性的虐待」「ネグレクト」「心理的虐待」の四つに定義されるらしい。なるほど、思いつく大体はさらっていそうだ。長くなるのでそれぞれの具体的な例は省略するが、暴力や言葉による脅しなどが挙げられている。
そして、本題である。
寓話だと、シンデレラの義姉が一応それに当てはまる。義理の兄姉、弟妹、そして実のきょうだいからの虐待、である。
わたしは未だ、自らのそれを虐待ということに疑問を覚えている。確かに暴力があって、辛い言葉があった。けれどやっぱりきょうだいだから、そして自分でも信じられないことに、生まれてこの方家族のことを明確に「嫌い」になったことがない上、いくつかの発端は自分に非がある喧嘩だった覚えがあるために、はっきりとした定義づけができないのだろう。
でもたぶん、あれは虐待だった、と言っていいのだと思う。
わたしには、四つ上の姉がいる。はっきりとした実感では思い出せないが、間違いなくわたしは姉が好きだった。生意気だったし、変な子どもだったけれど、姉のやることをいつも真似して、遊んでほしがった記憶がある。面白いと言っていた漫画を読んで、図書館で本を借りて、拙い四コマを描いていた。女の子のお人形やミニチュアが家にあったから、それで一緒に遊んでほしかった。まあ姉は真似されるのを嫌がっていたし、あまり遊んではもらえなかった気がするが。母に諸々が露見するまで部屋も一緒で、二段ベッドの上下で眠っていた。
ひとつ、間違いなく自分に非がある発端として思い出せるのは、借りた本のことだ。当時姉はあるシリーズの小説にはまっていて、それをわたしも読んでいた。今思うと意味が分からないのだけど、ホラー作品の影響か、知らない内に血痕が増えていたらおもしろいだろう、と、当時のわたしは考えた。ちょっとした騒ぎになることで、家族の気を引きたかったのかもしれない。馬鹿な思いつきで、抜けた歯かなんかの血液を、本のページになすりつけたのだ。
単純に汚いし、本当に意味不明だ。弁償しろと言われたらそうすべきだし、怒られたら謝るべきだ。
姉は怒った。当たり前だ、妹が自分の本を読んでいたと思ったら、返ってきたときに謎の薄茶けた汚れが付いていて、あまつさえそれが不衛生な血液なのだから。生理的に拒絶して責められても仕方ない。
それで、姉はわたしを蹴った。蹴って、床に置いてある座布団の上に転がして、そこで背中を踏みつけた。座布団の上だったのは一縷の優しさなのか、当時の部屋は恐ろしく汚かったので、床に放置された物ものをわたしの身体が潰すのを嫌がったかもわからない。とにかくそんな感じで、わたしは泣いて謝って、しばらくののちに姉は怒ったままひとまず足を退けた。本をどうしたかは覚えていない。
そんな調子だった。二人とも通っていた小学校の校門前で、下校時刻にみぞおちを蹴られて――これは何が原因だったか忘れてしまった――動けなくなり、野次馬にじろじろ見られながらどうにか帰ったこともあった。姉はさっさと帰ってしまったので、持っていた傘を杖にして耐えていた。わざとかどうか分からないけれど、的確にみぞおちへ爪先が入って、ちょっと吐きかけた。
ここで弁明しておくのだが、両親は見て見ぬふりをしていたわけではない。というのも、わたしたちは鍵っ子で、昼間は父母ともに家にはいなかったのだ。そういったいざこざが起こるのは大体ふたりが帰ってくるまでの時間帯だったので、そしてわたしは姉に言い含められ、かつ自分の受けているダメージの深さに無自覚だったので、親にあまり言い募ることもなかった。父母の見ている前で姉の手が出たらさすがに止められたし、姉は叱られていた。まあそれによって機嫌の悪くなった姉の言動がさらに悪化することもあったのだが、とにかくそういうことだった。
契機は、特に姉の機嫌がひどい夜だった。母は父を迎えに行っていたので、両親ともいない。子どもは夕飯もお風呂も済ませて、あとは寝るだけという時間だった。
「ねえ、電気消して」と言われて、わたしは断った。前述したが、わたしたち姉妹は二段ベッドの上下で寝ていて、付け足すと姉が上段、わたしが下段だった。部屋の照明にはよくある紐が付いていて、天井の真ん中から垂れている。姉のいる上段からは手を伸ばせば届くが、わたしは一度ベッドから出ないと届かない。舌打ちが聞こえた。電気消せよ、と言われて、お姉ちゃんの方が近いんだから自分で消してよ、ともう一度断った。それで、姉は怒った。
足音を荒らげてはしごから降りてくる音に身体が強ばった。怒られるんだと思うと本当に嫌で嫌で、それでも、今日ばっかりはわたしは悪くないのだから、と頭の中で唱えていた。電気をどっちが消すかなんて、どう考えても至極どっちでもいい張り合いだ。変な意地は、それでも道理に合わないことに従いたくない一心で、そのあとに予期される出来事よりも優先されてしまった。
ぎゅっと身体に力を入れ、壁側に背中を向ける。お腹は内蔵に直接響いて辛いので、せめて背中側ならという発想だった。ベッドから引きずりだされるのが一番怖くて、でもそうはならずに、背を向けたわたしへ、そのまま足が飛んできた。電気消せよ、消さない、の、文字だけだと死ぬほどしようもない、馬鹿みたいなやり取りをしながら、ひたすら泣いて背中を蹴られていたと思う。どれだけやってもわたしが動かないことを察したのか、姉は苛立たしげに身を引いた。そして戻り際、「絶対チクんなよ」と残してはしごを再び上がっていった。電気はそのままだったので、結局どっちが消すかなんてやっぱり大事じゃなくて、「妹が自分の言うことを聞かずに口ごたえしてくる」ということがとにかく気に食わなかったのだろう。
ほどなくして、父と母が帰ってきた。ただいま、と言って部屋に入り、声をかけてくる母からわたしはとにかく顔を隠した。顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃで、それでもうまく強ばった身体は動かない。異変を察知した母にどうしたのと問われても「なんでもない」で通した記憶があるが、声が震えてぼろぼろだったので、そんな嘘はあっけなくばれてしまった。
そのあとは、わたしはリビング、姉はそのまま自室にと引き離され、事情聴取が行われ、部屋はやっぱり離すべきだ、という結論に両親が落ち着いた。そのあともしばらく姉の気性は荒かったが、思春期の前半を過ぎて彼女が高校に入ったあたりから本格的に落ち着いて、そんな騒動はぱったりと止んだ。ギターで頭を殴られたりだとか、背中にものを投げつけられたりだとか、怒って一瞬包丁を持ち出されたり(見せられただけだったが)だとか、壁に首を足で押さえつけられたりだとか、まあ色々あったが、そんな感じだった。
「口ごたえするな」「使えない」「気持ち悪い」「何で生まれてきたの」――そしてまた、言葉というのは厄介で、簡単に口からこぼれるのに、言われた側はその感情まで受け取ってずっと抱えてしまう。身体に対する物理的なあれこれは間違いなく痛くて、それも勿論辛かった。でもたぶんその根本にあるのは、自分がそういう扱いをされていること、そうしてもいいと思われていること、好意や情の非対称性だったのではないかと今は考えている。お前は愛されていない、だめな人間で、嫌われていて、いない方がよかった。それの真偽はともかくとして、真正面から突きつけられるには痛すぎる。身体的な暴力は衝撃的に覚えているけれど、思い出したときにじわじわと首が締まっていくのは言葉のほうだ。そして、日常的に放り投げられるのにいつだって避けようがなかったのも、言葉のほうだ。
姉はいわゆる癇癪持ちというやつで、怒ったら自分で制御ができずに手が出てしまっていたのだという。でもそれが友人に向くことはなかったし、たぶん妹は格下の、彼女にとってそれをしてもいい人間だったのだろう。自分の中で、怒ったら手が出てもいいし、ひどい言葉を投げてもいいし、言うことを聞かないのはおかしい存在。何なら、日常的に何を言ってもいい存在。
幼い頃から培った「この人と自分は平等ではない」という意識は根深い。何ならそれは今でも、姉妹揃って無自覚に残っている。実は現在、姉妹間の仲はそこそこに良好だ。ただその前提に、姉は大人になったけれど、間違いなくわたしのことは下だと思っている。わたしは大きくなったけれど、姉に対して嫌に思うことがあっても諦めているし、そういうものだと思っている。そういう暗黙の了解が存在しているから、比較的穏やかな日常が保証されるようになった。
でも、色々なことがぼやけてしまった幼少期の記憶の中で、ぐちゃぐちゃとした嫌なものばかりが輪郭を持ち続けて、わたしはそれを手放せない。姉と笑顔で話しながら、ふっと影がよぎるみたいに、昔のことを思い出してしまう。やっぱり、した側が覚えてなかったとしても、された側は覚えているものらしい。
この文章は間違いなく恨み言だ。でも、これを姉にぶつけたいわけじゃない。やっぱり姉のことを嫌いになりたくなくて、でも傷ついた自分のことも認めてあげたくて、好きなものが好きでいたいだけだ。だから、取り残された感情や記憶を吐き出して保っている。
わたしは今も、生まれ育った家で姉と共に暮らしている。実家を出ようとはあまり思っていなかったのだが、最近になってふと、「この人と一緒にいたら、わたしはこの先もずっと自尊心を削られつづけるんだ」と悟って――そのうち、家を出なければならないことに気がついた。母は姉を出すと言っているものの、姉を一人暮らしさせてうまくやっていける気がしない(わたしもあまりできる自信はないけれど)ので、全員の健康を考えたらそのうちここを離れることになるのだろう。
あのときと比べて、身体はずいぶん大きくなったし、精神も成熟したところはあるはずだ。それでもわたしはまだ、自分の中にずうっと、声を殺して泣いている子どもがいるような気がしている。