はてなキーワード: 演劇とは
腐るほどいるわww逆に演劇なんかは見る人よりもやってる人のほうが多いぐらいだろ
演出や照明効果でカッコいい見せ方したり。まあ映画とは全く別モノ。
どっちのほうが高尚とかは全然ない。
なので、映画でよくない?と言われたら、いいんじゃない?と思う。おれも演劇やるのは楽しいけど、観劇を趣味にしようとは思わん。演劇高いし。抽象的で意味分かんないのも多いし。映画はカンヌもベルリンも2000円以下だからね。
元の演劇でも、ウルサい奴は困るけど、ちょっとした反応なんかはあってほしいというか。映画での反応より、なんかこう、舞台とつながってる感あるし、それをやってる他人もいると、なんか、「お、おまえも好きだなあ」みたいな一体感感じてしまう。
ただ思ったことを書いているだけなので、批判するのも、同調してくれるのも読んだ人の自由だと思う。
私の仕事はたくさんの資料を読み込んで、文章に創意工夫を施し、1日書けて出来上がるのが原稿用紙1枚に満たない、なんてこともある仕事である。
ちなみにきちんと定時はあり、残業代も1分から支給され、時間管理もされている。良い会社である。
ふと、宝塚の長時間労働の問題で、自主稽古や娘役のアクセサリーを作る時間も勤務時間に含むか否かという部分が気になった。
上記のように、私の仕事は書くことだが、量を書けば良い話ではない。アウトプットの質が非常に重要である。
案件に関する資料を読み、規定の量の文章量を書くことは当然のことであるが、アウトプットの質を高めるために色々やる。文章力自体を高めるための書籍を読むし、研修を受けることもある。さらにクライアントの商品やサービスを使ってみることもある。
今のところ、直接案件に関わりのない時間を私は労働時間としてカウントせず自己研鑽としている。※ちなみに費用がかかる分にはかなりの額を会社が負担してくれる。良い会社である。
同じことが宝塚でも言えないだろうか?
全体の稽古だけで、規定のアクセサリー・小道具だけで公演自体は成立するのかもしれない。
ただ自主稽古をすることによって、歌が上手くなり、ダンスのキレが良くなる。飾り気のないお団子頭ではなく、衣装と自分に合わせたアクセサリーでより舞台で輝いて見せることができる。
これを自己研鑽ではなく労働時間としてしまうと、時間に制限がかかることになる。表だって出来なくなると、きっと隠れて自主稽古をしたりするようになってしまうのではないか。
なぜなら、私のアウトプットの質に対してクライアントはお金を払ってくれ、次も指名してくれる。それと同じように宝塚でも舞台上のアウトプットの質によって、役付きが良くなったり、ファンが付くものである。そりゃやれることはやるはず。
自分に合ったアクセサリーをセンスよく作ってる娘役さんが魅力的だと思うし、応援したいなと思ってしまう気持ちは止められないでしょ?
長くなりましたが、アウトプットの質が重要な演劇・芸術などの分野において、一般の企業のような勤務時間の考え方を当てはめようとするのは無理だと思う。こういった分野向けの労働基準法やガイドラインを作った方が建設的だと思われる。
最後に、例の報告書に関してはよく書かれていると思うし、年間の公演数を減らして稽古期間を伸ばすというのは、負担が減らせるんじゃないかと期待している。
ただとにかくファンや世間は置いといて、まずはご遺族と話して、タカラジェンヌのケアに勤めてほしい。それだけはどうにかしてくれ。頼むわ。
最盛期は1000人を超える、はてなブックマークのLINEオープンチャットでしたが、2023年11月現在は約350人程度にまで落ち込んでいる。
人の流出が激しい。はてなのサービスそのものが廃れているからかもしれないけど、人がとても少ないのは寂しい。
しかし、このオープンチャット はとても素敵なオープンチャットだと思うので この増田にオープンチャットの素晴らしさをまとめようと思う。
美味しい食べ物に関する情報が大量に流れてきてグルメになる。 かつては ビリヤニの情報ばかりでしたが、ビリヤニ ブームも落ち着きラーメンや 意味不明な見た目の美味しい食べ物情報に詳しくなれる。
演劇や音楽、映画など あらゆる分野に精通する状況の方々が話をしている。 職場で文学について話せるような人間は、めったたにはいないが LINE オープンチャットには 高尚な サブカルチャーに精通したツワモノが揃っている。
休日になると誰かどこかに出かけ、出先の素敵な画像をしれっと共有してくる。 それを見て自分も出かけたいモチベーションが湧いてきたり、湧かなかったりする。 キャンプの画像や美しい自然の画像を見て自分も自然と触れ合いたいと思うようになる。
X(Twitter)やInstagramに投稿する人は多いでしょうが、LINE のオープンチャットに投稿するという使い方もある。 多くの SNS は人に見られ 極端な意見の場合は炎上してしまう場合もある。しかし、オープンチャットで見ている人は限りがあるため 皆目に触れることはなく、炎上リスクは極めて低い。コメント内容はネットに公開されないのが大きい。リアクションは、ネット記事に物申すブクマカの感覚で、反応が少しだけ返ってくる。 いいねの数で競い合うようなことはなく、少しだけ リアクションがあるのが良い。はてなブックマーカーのオプチャだけど、話す内容は、はてな系のサービスに関する話題はあまりなく、基本的に雑談であり、何でも話せる雰囲気がある
LINE のオープンチャットは匿名性が高く、誰が話しているか特定しづらい。 職場の愚痴も気軽にできる。厄介な先輩の話や、職場で困ったことなども気軽に共有ができて、ほんのりと誰かがリアクションしてくれる。
ということで LINE の はてなブックマークのオープンチャットに興味を持って頂き、参加していただけるとありがたいと思います。
興味を持って頂いた方は、以下よりご参加してください。
https://openchat.line.me/jp/cover/HJCDCplS2ig0buF8Bm96Hlzm4Pj1TwC-RBSbBfZ7cJVTpTAglmb1ZWGcNug
ウェルベックを「終わってる村上春樹」と例えてるのを見て村上春樹にちょっと興味持った。
中学の頃1Q84読んでみたけど、何がなんやらさっぱりだった。スノッブでやたらセックスをするくらいの前印象しかなくて、確かにくらいに思った。途中で読むのやめた。
空豆みたいな名前で美人だけど顔がアシメントリーな殺し屋がセックスしたりなんか線路だか高架だかに靴を脱いでなんかやってるシーンしか覚えてない。
あとあと現文で村上春樹が翻訳したって小説も読んだけど、そっちはマジで手榴弾(手投げ弾って表現についてなんか解説を受けたような気がする)が出てくる事しか覚えてない。
この間ドライブ・マイ・カー観て、喪失と再生がテーマだ、的な受け売りをコンパスに何となく言わんとしてる事は読み取ったような気分になった。
演劇は自分の心の声を聞くことだなんて語ってみるけど、もっと地に足のついた悩みは抑圧してしまっている事にも気がつけない。理屈を超えて悲しむべき時は悲しんで、どうにかこうにか生きていくしかない。的な。チェーホフの劇中劇がかなり内容と密接に絡んでるっぽかったから、ちゃんとそのメタファー(直喩か?)を意識しながら観てたらちょっと疲れた。
10代の頃読んだスノッブセックスデカダンス小説も今読めばまた違った感想になるかもしれない。
この間人間失格を読んでみた時も、多分中学の時に読んでたら違う感想になってただろうなって思ったし。当時なら「これは自分だ……自分だけが本当の意味で彼を理解できる……」って思ってた気がする。今読んだ限りでは総じて自意識の肥大したナルシストの自己弁護じゃん。社会性として、エクスキューズとして自罰的な風を装ってるだけで、自分大好き人間じゃん。ケッ、って感じだった。ただ所々人間の普遍的な悩みを明確な輪郭で描いたパンチラインがあって、そこは自意識を突っつかれたけど。
でもおれが興味あるのは人間存在の不条理とか実存主義みたいなテーマだし、村上春樹よりはカミュとか読んだほうがいいのかもしれない。
なんで終了予定時間を教えてくれないんだろう?
開場時間、開始時間は当然書いてあっても、終了予定時間は書かれていない場合がほとんど。
終わった後の予定とか立てるのに困る。
なぜだ?
「夜中のコンビニでアイスを買う」みてえな歌詞、イヤっすねえ!!
読みながら「わかる〜」と恋愛漫画やラブコメの定番エピソードのことを連想した。
例えば次のようなものだ。
・熱でボーッとしてる故のハプニングまたは汗拭きなどのドキドキ展開
・なお熱は一日で治り今度は相手が熱を出す
・夏祭りではぐれてナンパされてるところを好きな人が助けてくれて惚れ直す
まだまだあるけど、こういう手垢がつきまくった定番エピソードはもう何万回読んだかわからない。
でもここまで完璧に見たことある展開をなぞらなくてもよくない?
でもとりわけ恋愛系は本当にまったく同じ展開のエピソードが出てくるのでまたこれかと思ってしまう。
それぞれの漫画の主人公が出会ったら共通の思い出話で盛り上がれるんじゃないかと思うぐらい。
思うに歌の歌詞とちがうのは、作者がオリジナリティのある展開を作る気なんかそもそもなくて「あのエピソードを私のキャラで描く」ことしか考えてないんじゃないだろうか。
オタクの「あのシチュエーションをこのキャラで見たい!」を公式がやってる状態。
ファンもそれを求めているのかもしれないが……。