はてなキーワード: パイとは
大きなパイオツをください
こないだ「東雲うみ」っていうグラドルの動画見て腰を抜かした。
グラドルのYouTubeチャンネルつったら、おっぱいボヨンボヨンさせながら薄っぺらいバラエティ企画でキャピキャピするのが一般的なんだけど、このモデルさんのチャンネルはプラモデルの製作がメインで、しかもなかなか本格的。
自分は模型とかあんま詳しくないのでどの程度本格的なのかキチンとわかってないとは思うんだけど、テクニックとか創意工夫の度合いとか揃ってる機材とかを見る限り、なかなか年季の入ったモデラーという印象を受けた。
もちろんそっち方面のガチ勢が見たら「あんなんたいしたことねーよ」かもしれないけど、少なくとも門外漢はじゅうぶん腰を抜かせるレベルだと思う。
なおかつ東雲うみは顔がかわいくてパイオツがでかい。つまりグラドルとモデラーというイメージのギャップにおじさんはちょっとやられてしまった。
ここまではよくわかる。それで物理学と数学的なカオス理論を押す連中が間違っていると思うのが、
二度目の入力の際に手間を惜しみ、初期値の僅かな違いは最終的な計算結果に与える影響もまた小さいだろうと考えて、小数のある桁以降の入力を省いたところ、
ここ。ここが諸悪の根源だ。まず計算機科学の連中が大学に入って最初に引っかかるミスに大御所がひっかっている。たとえば、0.4 - 0.3 は計算機科学では 0.1 じゃない。それは十進法から二進法に変換するという計算機の特性を理解してない人がやるミスだ。嘘だと思ったら、0.4 - 0.3 == 0.1 と C なり Ruby なり Python なり Java なり Haskell なりでやってくれ。ちなみに JavaScript なら 0.4 - 0.3 === 0.1、Lisp族の Clojure は (== (- 0.4 0.3) 0.1)、PHP はちょっと自信がないので省かせてもらう...。浮動演算ユニットがついているプロセッサで IEEE 754 の類をサポートしているなら「偽」となるはずだ。ここでは「桁あふれ」「丸め誤差」なんかは説明しないが、計算機で小数を扱うのは注意が必要ってことだ。閑話休題、つまり計算機で数学や物理学が実数のように小数点を扱うなら 3.0 と 3.1と 3.14 は別物として扱う必要があって、カオス理論の創始者であるローレンツは「有史に残る」ミスを犯した。
結果が大きく異なった。
これは金融界隈のエンジニアたちにとっては、コンピュータが現れてからは悪夢のような形で襲っていて、ゴースト・イン・ザ・シェルの題材にすらなっている「既知の未知」という類のエラーだ。はっきりいうと、大御所にこんなことを言うことは憚れるが、エンジニアだと3年目以降だとしないミスを MIT のエリートがやっているという、なんというか「そりゃ、そうなるだろ」的なミスをしでかした結果なんだよ。例えば、古典物理学だと有効数字のひとつ下の数値は切り上げて四捨五入するというのは教科書的には正しい。だがね、計算機科学だと小数点の扱いは事故の元なんだよ。具体例を出すと「Ruby で円周率を100回掛け合わせる、Ππ(パイパイ、n=100)みたいなことをする。
puts [3.0, 3.1, 3.14].map{|i| 100.times.reduce(i) {|j, k| j *= k + 1}} # 2.7997864633183236e+158 # 2.893112678762268e+158 # 2.930443164939848e+158
もう一度、特に高校の物理をやった人は考えてほしい。数値を切り捨てしないだけで、これだけの差が生じるのだ。そりゃ、ローレンツ大先生も驚くわな。現実世界では起きないような気がするのはなぜか?、と思うじゃん。そこで、わたしはこう思うわけですよ、
とね。だからこそ、
というものを科学する学問があって良いのじゃないかと。つまり、
なのではないかと。
逆に聞くけど、質問を質問で返すのは詭弁のガイドラインに抵触するのは承知の上で、貴方は「計算機が実数を扱っているという前提が間違っている」のを知っているのか?
逆に何でその程度のことすら知らないと想定してんだよ。意味不明すぎるだろ。そもそも「計算機が実数を扱っているという前提」なんて存在しねーぞ。お前は実数の定義を知ってるのか?有理数を完備化したもんだぞ?有理数が稠密だということを理解してるのか?そもそも自然界に「実数」が存在してるなんて証拠は一個でもあるのか?物理学が実数体でないと致命的におかしくなるケースが一個でもあるのか?
たとえば、カオス理論が起きるのは「計算機科学で物理学と同じように小数を扱ったから」なのだけど、あれは古典物理学を学んてきた人がおかすミスなんだよ。あれはローレンツが有効数字というまやかしに引っかかって起きたのと、十進法と二進法の互換性が無いことに起因したケアレスミスなんだよ。俺はカオス理論を否定するのじゃなくて、カオス理論も偶然が生んだ産物だという上で言っているのよ、念の為。
意味不明。カオスは初期値に鋭敏だというだけだぞ(細かいことを言えば色々あるが)。計算機がどうとか関係ねーし有理数も実数も関係ねー。パイこね変換のカオスは離散系だろうが。何言ってんだ。
小学生の頃、夏はお下がりのTシャツ2枚で着回しててぼろぼろのクタクタだった。コートは持ってなかった。
高校生の頃友達とマックに行っても水しか飲めなかった(小遣いは文具や衣服含めて3000円ポッキリで、足りなかった)。制服はお下がりでぼたんが明らかにボロかった。スカートも穴空いてた。
大学は家から離れていたが交通費が出せず入試から卒業まで、親が来ることはなく1人だった。
大学生活は格安の寮、授業料は全額免除で奨学金とアルバイトで暮らしていた。
卵と牛乳が入ってない水だけホットケーキ(ホケミはすごい)、具が納豆だけやキャベツだけのパスタ、肉が申し訳程度しか入ってないめんつゆ鍋などを食べて過ごした。今でもそれらを食べると思い出して泣ける。
親を恨んではいないしむしろ感謝しているが、とにかく貧乏が嫌で嫌で就職は給料を優先した。
しかし運が良く、やりがいはありブラックでもなく楽しい。結果的には就職についてはよい選択だった。
出社時の昼食では外食やコンビニ飯を躊躇いなく買うし、弁当を一切作らない。
自炊は自炊が目的になっているときだけやる。(作りたいレシピがあるとか料理してストレス発散したいとか)
ハーゲンダッツも値引きされてないパック寿司(うにが乗ってて800円くらいのやつ)も買うことを全く躊躇わない。ハーゲンはもはやご褒美でもなんでもない、常用アイスと化した。
ラップやシャンプー、洗剤、家具家電など日用品のあらゆるものを大学の時は最安値か一つ上で揃えていたのに今やサランラップを200円くらいで普通に買うし、&honeyのシャンプーリンスを使っているし、洗濯機もハイアールからドラム式に変えてしまった。ない袖が触れなかった時とは大違いで「ラップって安いのは結局ダメだよね」とか言える側になってしまった。
家具家電を買う時の楽天Amazonヤフショメルカリジモティーとのにらめっこもだいぶ減った。
色々考えるのがめんどいからとSpotifyやicloudにも課金している。
でも、自身が不健康になったり子供ができて想定外にお金がかかったり夫が病気になったり死んだり身内から金を吸い取られたり(現にその気配がある)したらまた大学時代の貧乏生活をしなければいけないかもしれない。
ハーゲンダッツを知ってしまったのに、チューペットで満足できる自信がない。
そうなったら毎日、いや毎食毎時不満を持ちながら暮らすことになりかねないから、人生の幸福度の観点では、貧乏の価値観のままの方が幸せだったのだろうか。
この間はコーヒーの粉をスーパーの100円/100gのものから引き立てマイルドカルディ(250円/100g)に変えてしまった。うまいけど、めちゃくちゃうまいけど罪悪感が半端ない。
なぜこんなことを書いたかというと、インスタのお金系アカウントや子持ちのTwitterの皆さんが「自分へのご褒美にアイス食べちゃいました!(スーパーカップ)」とか「(なんか大変なことがあったので)旦那にお菓子買ってもらいました!嬉しい😆(チョコパイ)」みたいな投稿をしているのが多々目に入りまして、今の自分の価値観と大いに異なっており、今の価値観の方が身の丈に合っていないと思ったためです。
他方Twitterでは同僚が頻繁にお取り寄せグルメや旅行を楽しんでいたりする。私の身の丈はどこなんだろう。ただの貧乏性なんだろうか。見ている子持ちアカウントが特に貧乏なんだろうか。何も分からない。
野口英世は、ちっちゃな頃に火傷していじめられたけど努力で人の役に立つ発見をしたっていうエピソードが道徳の教科書にのるぐらい有名じゃん
渋沢は知らない
女好きで吉原から女を身受けしまくって妾にしてた話しか知らない
だいたい、アカデミックな福沢諭吉や野口英世に対して渋沢の俗物感がすごい
会社や銀行の設立は、渋沢がしなくても誰かがやった経済活動でしかない
資本主義初期って成長の余地が存分にあるんだから、今に比べりゃ超々イージーモードだし、金持ちの家に生まれた長男って下駄もぶ厚すぎる
そりゃあ研究だって、大抵のことはいずれ誰かが発見するもんだけど、少なくとも医学には人の命を救うという大義がある
金持ちが金を増やすサクセスストーリーに俺たち国民はなんの感銘を受ければいいの?
一生懸命働いて、人を働かせる側になって女を買いまくれ!ってか?