はてなキーワード: 男女平等とは
女性の大学進学率が上がって、一般企業への就職で男女平等が進めば、そのうち「下方婚」とか意識しなくなるんじゃない?
今時点でも「大学の同期」とか「会社の同僚」っていう、「似たような環境」で結婚するカップルも多いわけだし。
元増田が言うような差が激しい場合は難しいかもしれないが、男女逆だってあまり環境に差があるとうまくいかないしね。
「女性の高学歴があぶれる」っていうのはあるかもしれないけど、どうだろう、高レベル大学は男女比まだ男の方が多いし。(今後は知らん)
初めまして。
本当は匿名でブログを書くつもりなんてなかったのですが、ちょっとどこかに吐き出したかったので書き出します。
私は23歳男性ですが、身の回りの私の手が届く範囲ではそれほど深刻な男女差別って無いのかなって思っています。
今回は男女差別について、周りの友人とそういった話をする機会もなくTwitterで呟いても浮いてしまう気がしてわざわざはてなブログに登録しました。
さて、本題です。
身の回りで男女差別がないように思う、とは言いましたが、それは私が一般的には差別する側の男性であるが故に感じ取れていないだけかもしれません。
実際には身の回りで男女差別は起こっているかもしれないし、あるいは私も無意識に男女差別を行なっているかもしれないと考えています。
だからちゃんと男女平等を訴える女性の意見を聞こうと思ったのですが、周りの知人はそういう空気感ではありません。
なので、Twitterでジェンダーに関する記事を読んだり、それについての引用リツイートなんかを眺めて、思考が偏らないように努めてきました。
ただ最近それに疲れました。
きっかけは現代ビジネスにより書かれた『すべて妻の責任…被害者ヅラする男たちの「信じられない言い訳」』
という記事です。
正直、「被害者ヅラする男たち」って書き方でまずモヤっとしました。「すべて妻の責任」というのであればデカい主語を使うにしても夫が正しいのではないのでしょうか。それを男にまで広げるの違うよなって。これ男女が逆だったら絶対大炎上してるじゃないですか。
しかし、差別される側の女性というのは、話題になった「弁えてる」発言などで都度こういう感情になっているのかな、と思い先ずは記事を全文読んでみました。
要約すると
DV加害者の男性は実は被害者意識があり、それは男らしさという正しさが背景にある。故に、男らしさの見つめ直しが必要である
みたいな内容でした。
気になる人は本文読んでください。私はかなりモヤったので悪意のある要約になっている可能性が大です。
で、全文読んだ感想ですがDV加害者の話から全男性に主語が飛躍したなと思いました。
私は生まれてこの方女性に限らず人を殴ったことすらないのに、なんでここまで言われなきゃならないんだろう、悪いのはDV加害者であって男でも女でもないですよね。
別にこの記事だけじゃありません。今までにも男性蔑視と思える記事も発言もたくさん見てきました。それがたまたま今日この記事を読んだ時に私のキャパを超えてもう疲れたなとなりました。
そりゃあ社会や制度として男女差別があるのは分かります。その要因は無自覚であったり時間による価値観の変化であったり様々ですがざっくり言って男が悪いのかもしれません。
でも私がそんなに悪いことしたのかなって、男ってだけでここまで言われなきゃいけないのかなって。きっとこれは女性も感じている感情なんでしょうね。
私は私の周りで男とか女とか関係なく、1人の人間として他人を尊重しながらこれからも生きていきます。
それが私に出来る精一杯です。
池内氏が”差別によるぶつかり”だと感じたのであればTwitterで愚痴るだけは絶対にやるべきことではない。
前衆議院議員でありfeministであるというならば、自らがフェミニストとして、男女平等の道を示す規範的な行動をするのが当然である。
つまり、ヘイトクライムを絶対に許さないための行動を起こさないといけない。
京浜東北線には車内カメラがかなりの割合で整備されているし、駅のホームにも大体カバーできるように設置されてるだろう。
前衆議院議員ほどの知名度ある人がこれからの社会ではこういったことは許さず、犯罪として裁かれるべきだとハッキリとすることはとても有意義だし、feministとしても正しい活動になる。
被害届を出してないかどうかは明言してないが、むしろ被害届を出しましたと報告する方が女性をエンパワメントするはずなので発言してない=被害届無しだろう。
高校や大学の入試で女子の成績を低く見積もるのは「男女同数の多様性を確保するため」と正当化されるのに、議員定数にクォーター制を導入しようとすると「実力で評価すべき」と言うその二枚舌をまずどうにかするのが男女平等の第一歩だろうね。
タイトルの通りだ。フェミニストにはよくアンチフェミから「男女平等を謳うなら男性差別にも声を上げるべきだ!」という批判が投げかけられる。しかしこれは的外れと言わざるを得ない。
アンチフェミは「フェミニストが男女平等主義なら男性の権利についても考えるべきだ」と考えているようだが、これは間違いだ。男女平等を掲げることと女性の権利拡大を掲げることは矛盾しない。なぜならそもそも現代日本が男尊女卑国家であるからだ。男性が±0だとすると(実際は数々の優遇があるのでプラスだとは思うが)、女性は女性であるだけで社会的に抑圧されて、数々の偏見や加害に苦しまなければならない。つまり権利的にはマイナスだ。そこにプラスして男性と同じ±0に持っていこうとしているのがフェミニストだ。これを「女性をプラスするなら男性も同じ分だけプラスしろ!」というのはおかしい話だ。そもそも男性はマイナスではないしプラスする必要がないのだ。マイナスである女性を男性と同じになるようにプラスすること、女性の権利だけを考えることは男女平等には違いないし、決して女性優遇ではない。
アンチフェミはよく男性差別もあると言っているが、それは正確には女性差別によって生じた"差別コスト"だ。女性専用車両やレディースデイがよく例としてあげられるが、そもそもこれらは男性による女性への差別や偏見、加害によって生まれたものだ。女性専用車両は、性犯罪被害者のほとんどが女性であり加害者のほとんどが男性であるという現実があるから導入されているのだ。レディースデイも、正社員女性の給与が男性の75%程度、平均年収だと女性は男性の半分程度という現実があるからこそ存在している。男性が女性を虐げてきたからこそ、その穴埋めをするための差別コストは存在している。
だからアンチフェミが男性差別と呼ぶものをなくしたいのなら、まずは女性差別を解消しなければならない。女性差別がなくなることによって男性の生きづらさも解消されるだろう。フェミニズムは結果として女性だけでなく男性も救う主義なのだ。
フェミニストには理解出来ないので、フェミニストはお帰り頂いてそれ以外の人に読んでもらいたい。
例えば、男の多い場所で「女の癖に」と言われ叩かれる。「女性という理由で叩かれる」「男性はそういうのが無い」ので、(男が多い場所での)女性の社会進出が進まないとはよく言われる言説だ。
しかしこれにはからくりがある。「男性を基準とした女の立場」でしか見てない故に、全体像が見えてないのだ。
「女性を基準とした男性の立場」で物事を見るとまた別の視点が見えてくる。
先ほどの例でいうと、男は確かに「男の癖に」と言われ叩かれる事は少ない。しかし現実的な問題として、女性に対し、子供から大人まで男というのは叩かれやすく、擁護されにくい。
一昔前まで男児に拳骨を食らわせるのは教育とみなされる事もあった。つまり男は「男という理由で暴力を振るわれる」「男という理由で叩かれていた」わけだ。
レディースデーも「男という理由で高い金を払わせられる」だし、「男という理由で働かせられる」という事も出来る。暴力事件も男性の方が多く、犯罪被害者としては男性の方が苦しんでるわけだ。
フェミニストの方々には申し訳ないが、そういった「女性を基準とした男性の立場」で物事を見ると、「男性を基準とした女の立場」と比較してかなり男性の方が生きずらく、まともに生活出来ない構造になっていると言わざるを得ない。
女性が管理職になろうが、求められているのは女性を基準とした女性の立場からしか支配しないので、希望は全くない。
「女性を基準とした男性の立場」から物事を語ることのできるリーダーが必要だし、これが無いと男女平等は実現できないし、これが無いと男性の「女性分野」つまり家事や子育てと言った分野の進出は進まないだろう。
歴史学者の呉座勇一氏が不幸にもはまってしまった、最近話題のアンチフェミニストクラスタ(以下「アンチフェミ」と略)について、個人的なまとめ。。アンチフェミとは何かについて、論者によって異なるが、以下の特徴があるということができる。
第1に、彼らは正真正銘のリベラリストであり、保守や右派では決してないし、左翼でもないこと。この点は強調してもしすぎることはない。主流リベラルと異なるのは、リベラルな正義を正面から語るより、リベラル派の「論理矛盾」を批判する、という形でリベラリズムを表現しようとしている点にある。アンチェミについて、「彼らは正義がない」という人もいるが、彼らの正義は普通にリベラルである(理解の一面性は否めないとしても)。
第2に、いわゆる「男性弱者」を代弁していること。アンチフェミは、安定した仕事も恋人もいないような男性(いわゆる「金のないキモいおっさん」)の目線から議論を展開しているのに対し、フェミニストの議論は、子育て支援の欠如とか、夫の家事育児参加の消極さとか、安定した仕事もあり結婚もしていることが前提になっていることが多い。だからアンチフェミからすると、フェミニストは恵まれた人たちの「わがまま」あるいは個人的な承認欲求にしか見えないことになる。
第3に、女性差別と言われている現象や現実については、それはあくまで女性が自由かつ合理的に選択をした結果だと考えていること。例えば、女性に非正規で低賃金が多いのは、家計補助の賃金でよしとしている大多数の主婦の存在が原因であって、男性が差別しているからではない。管理職の少なさも、男性が拒否しているという以前に、女性が嫌がっているという面が大きいことを強調する。これを無理矢理に男女平等へ是正しようとすれば、個人の自由に介入することになり、リベラルな原則とは対立することになる、つまりはそう考えているわけである。傍証として、男性と比較した女性の幸福度の高さが強調されることも多い。
最後に、「論壇的」であることである。アンチフェミは、現実に起こっている差別や暴力などのニュースよりも、「フェミニストが何を言っているのか」のみに過剰に反応する。ニュースを取り上げる際も、リベラル派の矛盾を示すようなものばかりを積極的に取り上げる(例えばフィンランドの出生率の低下だけを取り上げ、それよりもっと低い東アジア諸国は完全に無視)。ある社会問題に対するリベラル派の語り口は熱心に問題にするが、その社会問題そのものを勉強して深く調べようとする意欲ははっきり言って乏しい。彼らは「論壇」における自己呈示ばかりに夢中になっており、それに比べて現実の社会問題に対する関心はさほど強くないと言わざるを得ないだろう。
完全な余談。CDB氏とテラケイ氏の区別は一応ついていたけど、割と最近まで同じアンチフェミクラスタの人だと勘違いしていた。
決まってるじゃん。
世間一般に向けて、男女平等の社会を実現しようと訴えて、またわたしたちは最新の時流に乗れている良識メディアですと訴えるために作った。
他にあるか?
一体だれが「我々は男女平等に反対している時代遅れ団体です」なんて主張したいがために高額の広告費を出すのか。
でもお前を不快にするための広告を作りたいなんて意図があったと思うか?
違うってことは、それは不作為で単なる読み間違えじゃん。
でも読み間違えた程度でこんなに叩かれるなら、もう無言なほうがマシだよね。
もう誰もフェミ広告はもう打たない。ルミネの件を報ステは忘れてたけど、3度目はなかなか忘れないだろう。
お前がそうしむけた。