はてなキーワード: 法則とは
前職で三ヶ月だけプログラマをやってクビった。当時も今思えばプログラミングは普通なりに普通っぽくできるけど設計書とかドキュメントとかそういうので何度もやり直しくらったような気がする。
自分は自分の中では論理的な文を作ると思っているから、仮に設計書とかドキュメントとかが論理的なものなら全然馴染める気がするけど、というか理系職種のくせに設計書とかの類って全然論理的じゃなくて法則性がバラバラすぎてもう嫌になる。
ある法則はたぶん上司の感覚やその会社の慣習。せめて上司がそれを分かってくれていればいいのに、「これが正解だから」という態度でこられると意味がわからなくなる。
「これはこういう理由なのでこうしてください」と書かれるけど、俺からしてみたら「いやこれはこうだろ」「じゃあなんでこれはこうなんだよ」「何が一意なんだよここ一意じゃないじゃん」とか大量に意味わからないポイントが見つかる。
これだけは認められない
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%83%8D%E3%81%8D%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%81%AE%E6%B3%95%E5%89%87
働きアリのうち、よく働く2割のアリが8割の食料を集めてくる。
増田が言ってるのとはぜんぜん違うみたいだけど、
優次は手記に繰り返しこう書いていたという。
父と母から同じ遺伝子を引き継いでいる、という意味では「生物学的なコピー」と言えるだろう。
しかし、同じ遺伝子を持って生まれても、生まれた後の経過が違えば、当然違う人間になる。
遺伝子がソックリの双子の兄弟でも全く同じコピーにはならない。
従って、自分の意思では選べない先天的な要素だけをもってして、犯人とその家族は同じであると断定するのは、科学的に見れば誤謬である。
後天的な要素である個人の経験や育った環境によって同じ人間にはならないことを考慮するなら、やはり犯人とその家族は別物と判断するのが正解だ。
兄と弟は別の人格を持った個人であることを主張すべきだったのではないか。
残念だが、弟さんの選んだ自殺という道は間違いだったと言わざるを得ない。
心は脳を構成する原子の物理的作用により生じている。また、人類が環境を変化させることができるのは物理法則を発見し利用したからであって物理法則に抗ったからではない。
間違えた学習で成人するとラノベ脳でそんな疑問を抱くようになる
前例のない取り組みをする可能性やクリエイティブな才能と紙一重
実在する物理的なものと誤解して物質にそれを具現化させようとする事がある
召喚魔法とか魔術の呪文とかにあこがれてラノベ読みすぎて脳を痛めているのかもしれませんが
それが連なって理解という動作は脳内で情報が形成された状態です
形成された情報にしたがって物理法則や物理運動が形成されて実行効果になります
言葉で結果がでる という極限まで情報を絞った構造を逆転的に解析すると
おっしゃっているとおりですが
結果は言葉や文字といった符号で理解者が仲介せずとも自然現象は無限に発生しています
人間の手を加えたい局面においてのみできる範囲だけで干渉する方法を
飛んでくる石をよける方法を長々と説明したり解析したり命令したりせずとも
そしてよけることができます
それは 飛んでくる石を避けよ と呪文を唱えたり 空間をゆがめる力を
人の行動の集大成が それを参照するために文字や言葉にしているだけです
「法律にこう書いてある」
と言われても、その法律ってどこにあるんですか?
って思いませんか?
原本?というべき、ハンムラビ法典の石碑みたいなの(おそらく天皇の署名した紙面)があるんですか?
それが、一字一句間違いなく複写される仕組みというのは、どういうことをしているのですか?
オリジナルの文章は電子データで、天皇が署名するのはその複写である印刷物ですか?
複写が署名で承認されると、オリジナルが承認されたことになる的な。
それとも、天皇の署名は元の文章の電子データに電子署名するんですか?
そもそも、法律って、一万円札のように、みんなが信じているから価値がある、的なものなんですか?
「法律でこう決まってる」「こう書かれてる」と言われても
「神はこう言われた」
といわれるのに似たモヤモヤがあるのは私だけでしょうか?
法律が言語で書かれているなら、言語の法則は、憲法より上位の取決めによってなされる必要があると思うのですが、どう思いますか?
なんかトラバやブコメを読むと、上手く自分の言いたいことが伝わらなかったので、追記します。
例えばですね、法律ってものがない世界にいたとして、これから法律ってシステムを導入しようとするじゃないですか。
借用書とかだって、借り手と貸し手で一部ずつ原本を保管するでしょ?
契約とか合意みたいなカタチのないものだって、カタチにしないと気持ち悪くないですか?
自分がそういう(法律というシステムを導入する)立場なら、原本は石碑に刻んで、一次複写は石碑に紙をのせて上から鉛筆でこすって写し取ったものにして、一次複写はそれぞれ厳重に管理。
一次複写から画像データとしたものを二次複写として、二次複写を文字起こししたものを3次複写にして流通させるってシステムをとると思うんです。
普通、最初はそう考えるから、ハンムラビ法典だって石碑なんじゃないですかね?
紙がなかったら、粘土で写しを取ったりしたんじゃないですかね。
で、現代、石碑にあたるのは輪転機のアルミ板が法律の原本だと思うんですよ。
別に、紙が原本って運用でもいいですけどね、ならば一次複写は石碑とか金属板で欲しくなりません?
王羲之の書とか、真筆は残ってなくて、紙を石碑に写したものがトレーサビリティの最上位で、そこから刷りとった拓本が各国の博物館に保管されてるわけで。
やっぱり私の考え方が古いんですかね?
追記2
目には見えなくても引力というものがあるように、人間関係の中には殺人罪とか詐欺罪という「罪」が確かに存在する。
存在するというと語弊があるかもしれない。
数学でゼロで割ることが許されないように、それを許してしまうと今まで積み重ねたもの(社会)が成り立たなくなってしまうことが過去の歴史から明らかなので、共通知を言語化したものが法で、どこにオリジナルがあるわけでもなく、分散型の管理がなされている。
ということ?
ビジネスとか経済は完全な素人だから、見当ちがいなことを言ってるのかもしれない。
聞くに中国王朝のときから宝くじ(のようなもの)は存在し、漢文で宝くじは夢を買うようなもんだと言われてたらしい
それから、いわゆるガチャでSSR欲しさに様々なプレイヤーがたくさんのお金を費やすようになった。当時はデータに金を払うなんてって課金ビジネスは言われてた記憶があるけど、そこから比べれば随分受け入れられるようになったと思う。(関係ないけど、当時は基本無料ゲームが量産され高校生がゲームは無料が当然って言ったとかいう話もあった気がする…)
何回に一回の確率で得をする。確率は外れれば全額無駄になるものから、あるラインが最低でも保証されているものがある。
実態や確実なものが伴わなくても、可能性が存在するだけで人はそれに価値を見出して、対価を支払うことがある。
可能性は実態のないものである定量の価値から、可能性は大量に生み出せる。その関係は線形的ではなくて、かなり複雑なものになるけど、とりあえず何倍にもなることがわかってる。
昔からこの法則が知られてて、経済学をやっている人からすれば当然のことなのかは知らないけど、ZOZOの社長はこれを使って、限られたお金でたくさんのフォロワーを得た。たぶん、お金で同数のフォロワーを買うより安上がりだろうし、一握りの才能にかけて有名になるよりは遥かに確実なんだろう。
限られた予算からたくさんの可能性を再生して、予算以上の効果を上げるカラクリはこれによってたくさんの人の目にはっきりとした形で映ったのだと思う。
周りも結婚してるから結婚みたいな感じで結婚を目的化してしまうと結婚の本質を失う。結婚とは愛の完成を二人生涯を掛けて求めていくこと。したがって細かな意見の相違に怯むということは、愛し愛される段階にない。
2019/01/30
いや本当に真面目に言っておきたいんだけど
結婚を「愛」だとか思ってる人が居たらそれは間違いだから早めに性根を直して欲しい。
はてなというのはそれなりに酸いも甘いも噛み分けた客層の落ち着いたサロン(高齢化限界集落の婉曲表現)だと思ってたが
なんでこんな少女漫画読みすぎた中学生女子みたいな見解が1位になってるの。
そういう種類のものではありません。
むしろ毎日壊れていったり何かの切っ掛けでいきなりダメになったりするというのが絶対の法則です。
毎日新たな気持ちになり「今日一日は上手くいった」という感覚でやっていくものです。
細かな意見の相違が目に入らないとか、相手があまりにも常識外れなのに気にならず燃え上がるとか、
それは熱病であって理性ではなく、一事的な異常状態に過ぎません。
眞子様だって3年後なら「なんだよあの男やベーよ」とお気付きになります。
愛情深い人というのは客観的に言ってまともな性格ではありません。
「愛があるから目を瞑れるの」というのはだらしないとしか言いようがない性格であり、退廃的な人付き合いです。
愛し愛されて居なければ一緒に生活出来ないとか
愛がなければ細かな意見の相違を処理出来ないとか、
そのだらしがない性格の方をどうにかしようと思えないのか。
人間が生涯をかけて完成を目指すべきは
物に動じない理性と人格の完成、
愛に依存せず人と何の問題もなく付き合えるような智慧の完成だろう。
結婚は愛であって、愛でもなければ他人との細かな意見の違いを容認出来ない・すべきではないという了見、
この邪悪な了見こそが既婚者をどこまでも苦しめており、独身者を生涯独身へ遠い込んでいる。