はてなキーワード: 死にたいとは
自分の頭ではこうしたいああしたいって思っているのに何にも行動する気が起きなくて精神科に行けとか言われても行きたいとも病名が欲しいとかじゃなくて
一般世間で思われてる楽しいことをしていても漠然と心のどこかが真顔で死にたいとかおっもてしまっているのが最低で嫌い
健康で生かさせてもらってるのに最低すぎて自分が嫌になるきらいになりたいわけじゃないのに
キラキラもしていたかったしもっとかわいくきれいにもなりたいこんなのわがまま言ってる子供で吐きそうになる
でも正直そう思わないといけないのかなって
自分が気持ち悪くて気持ち悪くてどうしたらいいかわかんなくなっちゃう
なんで体うってまで生きようとしてんだろう
ほかの稼ぎ方もわかるけどいえからでれなくて
何にも考えないでおこうと思っても勝手に涙が止まんなくて
どうしたら外に出たいって思えるんだろう
根本がなんかぐちゃぐちゃで本当にどうしたらきれいになれるのかな中二病過ぎてきもちわりー
もっとだきしめてほしかった流さないでちゃんと消化させてほしかった呼ぶくらいなら
兄に会わせるくらいなら
でもでもさ一人ひとり限界のコップって違うんだよきっと
ごめんなさいごめんなさい
0528
全部ておくれなのかもしれない
ついていけない
壊れそうなみだがとまんない
自分の頭ではこうしたいああしたいって思っているのに何にも行動する気が起きなくて精神科に行けとか言われても行きたいとも病名が欲しいとかじゃなくて
一般世間で思われてる楽しいことをしていても漠然と心のどこかが真顔で死にたいとかおっもてしまっているのが最低で嫌い
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キラキラもしていたかったしもっとかわいくきれいにもなりたいこんなのわがまま言ってる子供で吐きそうになる
でも正直そう思わないといけないのかなって
自分が気持ち悪くて気持ち悪くてどうしたらいいかわかんなくなっちゃう
なんで体うってまで生きようとしてんだろう
ほかの稼ぎ方もわかるけどいえからでれなくて
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でもでもさ一人ひとり限界のコップって違うんだよきっと
ごめんなさいごめんなさい
0528
全部ておくれなのかもしれない
ついていけない
壊れそうなみだがとまんない
09/29
車を運転中、ジジイとババアが遠い距離で空を見ていた。むかし、横断歩道で何が空を見上げたら、他の人もつられてみるのかと言う実験があった。確か3から6人のどこかだった気がする。私は覗かないぞ〜と思ったが、気になる。車のバックミラーを見ても何も映らない。と思ったところで、前のビルの窓に中秋の名月が映った!ずるいババア!と思い、車からキョロキョロしたが、真後ろなのか、ビルで隠れてるのか、見えない。カフェで華金を謳歌したあと、みんなでお月見をした。ババアも私もみんなも、なるべくきれいなものをたくさん見て死にゆけると良いのでは。これは高校の先輩が言った「好きな人に刺されて死にたい」と似た感情であり、よくある感情だと思うなどした。名称とかないのかしら?
というか、ババアと呼んでいることはきっと滲み出ている。私の雰囲気から。そのような汚い言葉遣いをするとそれが似合う人間になっていくから辞めたいと思った。そんな中秋の名月の日。
10/16
友達が私の話で大爆笑してくれて、私はとてつもなく元気をもらい、幸せな気持ちになった。笑いは1人で作るものではなく、みんなで作るものだよなあ。
図書館という名の巨大迷宮に迷い込み、10分で出るつもりが1時間かかった。そんな日もある。借りたい本が296件待ちだった。すごい世界だ。
10/09
ジップロックを使い切ったら底の方に「たすけて」と書いてあった。これは友人夫婦の家に行った際貰ったものだが、どちらの字だろうか。いや、もしかしたら夫婦もどこかから渡されたのかもな。
10/1
頭に木の枝がついている人間がいた。あれが長いバラの茎なら救世主なのに。救世主ファッション。犬なら?救世主犬。
09/28
最近自分がだめなんだ、と精神的に辛かったが、一晩寝たら元気になった。夜、夢の中で楽しい思い出を売って悲しい思い出を買ってもらってるのかも。きゃ!自分にこんな可愛らしい文章を書ける力があったなんて。おどろきもものきさんしょのき。シラフでこの文章をかけるのも驚き。真顔で打ち込んでいながらも、テンション200%なんだろうな。
(実際のところ私が見る夢は胸糞悪い夢しか見ない。私も友人のように海外旅行する夢がみたいです。安西先生。素敵な夢を見たいです。もう火事不法侵入刺し殺され車で人を轢く怯え逃げ惑い動揺する夢は勘弁してください。)
先日、同棲しないかと提案された。彼には気が早いところがあり、親族の結婚式に参加した際には交際1ヶ月の時点で「ウェディングドレス着せたいなと思った♡」と言うし、同棲だって本当は3ヶ月目の頃から打診されていた。身近な誰かに影響されたことはわかっていたので、あまり間に受けずにいたのだが、内心気持ちが着いていかず戸惑っていた。私は母と死別しているからか、明るい未来なんて考えたことないし、どうなりたいとかもない。どうせ何があったって人は死ぬ。25歳を過ぎた頃、逃避先だったアイドルに傾倒できなくなってしまい継続的な努力もできない趣味も目標もないいっそ早く死にたいと思っていた。30までに死ぬなら最後に後悔しないようにいっちょ恋愛しとくか〜という勝手な理由でアプリに登録して、たまたま話が合いそうな彼と3回会ったら告白された。彼が私のなにをそんなに好きなのかもよくわからなかった。でも、すぐに死にたいと思わなくなった。今までだったら深夜に1時間ひとりで散歩することもあったけど、それもやめた。というか、できなくなった。今死んだらもったいないなと思うようになったからだ。それどころか、いつまでに彼とどうなりたいとかも考えるようになった。たまたま知り合った彼は、私の生きる理由になったのだ。その彼は、決して順風満帆に生きているわけではないのに死にたいと考えることがないと言う。驚いた。あろうことか、「天寿を全うしよう」などと言ってくる。そこで初めて、人はみんな死にたがっているわけではないと気づく。衝撃だった。それどころか、私が考えたことのない、私との明るい未来の話をしてくるのだ。怖くて仕方ない。母親が死んだって明るくうまく生きていく人間はいくらでもいるが、私にはダメだった。自分の努力不足や運のなさで成功体験がないことを全て母の死のせいにしているのかもしれない。わからないけど、とにかく彼が少しだけ語った明るい未来が怖くて仕方なくて、1週間くらい泣き続けた。私が結婚?まさか。翌週も似たようなことを言うので、怖いから軽々しく言わないでくれと伝えた。すると、「幸せになっていいんだよ」と言って抱きしめてくれた。そんなことを言ってくれても、彼の好意を信じられずに「どうせそのうち好きじゃなくなるんでしょ」と2ヶ月くらい言い続けた。たまに「どう反応して欲しいわけ?」と言われることもあったが概ね優しく対応してくれたと思う。彼が独りよがりな発想をしているときは都度伝え、そこから数ヶ月。改めて同棲の打診があった。彼が住む家の更新が11月にあることは意識していたので、私もそのつもりだった。だが、そうなると父にも祖母にも言わなければいけない。80間近の祖母は病院に地域活動にゴルフに大忙しだが、最近物忘れも増えてきた。父もライブやプロレス、野球と趣味の多い人間である。とはいえ、彼や彼女がこれからもそうだとは限らない。私は、家から人が一人いなくなる寂しさを知っている。父や祖母が、家から人が一人いなくなり悲しむ姿を間近で見てきている。どういう行動をとるのかもなんとなく想像がつく。父は目を潤ませて私の名前を呟くこともあるだろうし、「早いなぁ」と成長や時の流れに思いを馳せるだろう。自分の妻との出会いを思い返すかもしれない。昔こそ交友関係が広かったが、現在は定期的に飲みにいくようなコミュニティには所属していない。祖母だって悲しみこそしないだろうけど、ちょっと出張に行くだけでも「会えなくて寂しいじゃない」という。父と祖母はあまり仲良くないので、会話量が減ってしまいボケてしまわないか心配だ。そんなことは自分自身がどうにかすることであり、知ったことではないと思うこともある。実際、兄が単身赴任で家を空けたって寂しくもなんともなかった。もしかしたら彼らにとって私もそういう存在かもしれない。でも、どうしたって想像してしまうのだ。私がいなくなったあの家を。一つの終わりを。今生の別れじゃない。新居だって家から1時間半までの距離で探すつもりだ。いつだって帰れる。27まで実家にいたのだ。十分世話してもらっただろう。タイミングを流して家を出られず後悔しても、彼らは責任をとってくれない。自分で決断をせねばならない。そもそも人を気遣うふりして、私が住みなれた地元や実家を離れるのが寂しいだけかもしれない。でも、寂しがるふたりを想像しては、今も電車で泣いている。言えない。すごく困っている。
先日、同棲しないかと提案された。彼には気が早いところがあり、親族の結婚式に参加した際には交際1ヶ月の時点で「ウェディングドレス着せたいなと思った♡」と言うし、同棲だって本当は3ヶ月目の頃から打診されていた。身近な誰かに影響されたことはわかっていたので、あまり間に受けずにいたのだが、内心気持ちが着いていかず戸惑っていた。私は母と死別しているからか、明るい未来なんて考えたことないし、どうなりたいとかもない。どうせ何があったって人は死ぬ。25歳を過ぎた頃、逃避先だったアイドルに傾倒できなくなってしまい継続的な努力もできない趣味も目標もないいっそ早く死にたいと思っていた。30までに死ぬなら最後に後悔しないようにいっちょ恋愛しとくか〜という勝手な理由でアプリに登録して、たまたま話が合いそうな彼と3回会ったら告白された。彼が私のなにをそんなに好きなのかもよくわからなかった。でも、すぐに死にたいと思わなくなった。今までだったら深夜に1時間ひとりで散歩することもあったけど、それもやめた。というか、できなくなった。今死んだらもったいないなと思うようになったからだ。それどころか、いつまでに彼とどうなりたいとかも考えるようになった。たまたま知り合った彼は、私の生きる理由になったのだ。その彼は、決して順風満帆に生きているわけではないのに死にたいと考えることがないと言う。驚いた。あろうことか、「天寿を全うしよう」などと言ってくる。そこで初めて、人はみんな死にたがっているわけではないと気づく。衝撃だった。それどころか、私が考えたことのない、私との明るい未来の話をしてくるのだ。怖くて仕方ない。母親が死んだって明るくうまく生きていく人間はいくらでもいるが、私にはダメだった。自分の努力不足や運のなさで成功体験がないことを全て母の死のせいにしているのかもしれない。わからないけど、とにかく彼が少しだけ語った明るい未来が怖くて仕方なくて、1週間くらい泣き続けた。私が結婚?まさか。翌週も似たようなことを言うので、怖いから軽々しく言わないでくれと伝えた。すると、「幸せになっていいんだよ」と言って抱きしめてくれた。そんなことを言ってくれても、彼の好意を信じられずに「どうせそのうち好きじゃなくなるんでしょ」と2ヶ月くらい言い続けた。たまに「どう反応して欲しいわけ?」と言われることもあったが概ね優しく対応してくれたと思う。彼が独りよがりな発想をしているときは都度伝え、そこから数ヶ月。改めて同棲の打診があった。彼が住む家の更新が11月にあることは意識していたので、私もそのつもりだった。だが、そうなると父にも祖母にも言わなければいけない。80間近の祖母は病院に地域活動にゴルフに大忙しだが、最近物忘れも増えてきた。父もライブやプロレス、野球と趣味の多い人間である。とはいえ、彼や彼女がこれからもそうだとは限らない。私は、家から人が一人いなくなる寂しさを知っている。父や祖母が、家から人が一人いなくなり悲しむ姿を間近で見てきている。どういう行動をとるのかもなんとなく想像がつく。父は目を潤ませて私の名前を呟くこともあるだろうし、「早いなぁ」と成長や時の流れに思いを馳せるだろう。自分の妻との出会いを思い返すかもしれない。昔こそ交友関係が広かったが、現在は定期的に飲みにいくようなコミュニティには所属していない。祖母だって悲しみこそしないだろうけど、ちょっと出張に行くだけでも「会えなくて寂しいじゃない」という。父とは仲良くないので、会話量が減ってしまいボケてしまわないか心配だ。そんなことは自分自身がどうにかすることであり、知ったことではないと思うこともある。実際、兄が単身赴任で家を空けたって寂しくもなんともなかった。もしかしたら彼らにとって私もそういう存在かもしれない。でも、どうしたって想像してしまうのだ。私がいなくなったあの家を。一つの終わりを。今生の別れじゃない。新居だって家から1時間半までの距離で探すつもりだ。いつだって帰れる。27まで実家にいたのだ。十分世話してもらっただろう。タイミングを流して家を出られず後悔しても、彼らは責任をとってくれない。自分で決断をせねばならない。そもそも人を気遣うふりして、私が住みなれた地元や実家を離れるのが寂しいだけかもしれない。でも、寂しがるふたりを想像しては、今も電車で泣いている。言えない。すごく困っている。
先日、同棲しないかと提案された。彼には気が早いところがあり、親族の結婚式に参加した際には交際1ヶ月の時点で「ウェディングドレス着せたいなと思った♡」と言うし、同棲だって本当は3ヶ月目の頃から打診されていた。身近な誰かに影響されたことはわかっていたので、あまり間に受けずにいたのだが、内心気持ちが着いていかず戸惑っていた。私は母と死別しているからか、明るい未来なんて考えたことないし、どうなりたいとかもない。どうせ何があったって人は死ぬ。25歳を過ぎた頃、逃避先だったアイドルに傾倒できなくなってしまい継続的な努力もできない趣味も目標もないいっそ早く死にたいと思っていた。30までに死ぬなら最後に後悔しないようにいっちょ恋愛しとくか〜という勝手な理由でアプリに登録して、たまたま話が合いそうな彼と3回会ったら告白された。彼が私のなにをそんなに好きなのかもよくわからなかった。でも、すぐに死にたいと思わなくなった。今までだったら深夜に1時間ひとりで散歩することもあったけど、それもやめた。というか、できなくなった。今死んだらもったいないなと思うようになったからだ。それどころか、いつまでに彼とどうなりたいとかも考えるようになった。たまたま知り合った彼は、私の生きる理由になったのだ。その彼は、決して順風満帆に生きているわけではないのに死にたいと考えることがないと言う。驚いた。あろうことか、「天寿を全うしよう」などと言ってくる。そこで初めて、人はみんな死にたがっているわけではないと気づく。衝撃だった。それどころか、私が考えたことのない、私との明るい未来の話をしてくるのだ。怖くて仕方ない。母親が死んだって明るくうまく生きていく人間はいくらでもいるが、私にはダメだった。自分の努力不足や運のなさで成功体験がないことを全て母の死のせいにしているのかもしれない。わからないけど、とにかく彼が少しだけ語った明るい未来が怖くて仕方なくて、1週間くらい泣き続けた。私が結婚?まさか。翌週も似たようなことを言うので、怖いから軽々しく言わないでくれと伝えた。すると、「幸せになっていいんだよ」と言って抱きしめてくれた。そんなことを言ってくれても、彼の好意を信じられずに「どうせそのうち好きじゃなくなるんでしょ」と2ヶ月くらい言い続けた。たまに「どう反応して欲しいわけ?」と言われることもあったが概ね優しく対応してくれたと思う。彼が独りよがりな発想をしているときは都度伝え、そこから数ヶ月。改めて同棲の打診があった。彼が住む家の更新が11月にあることは意識していたので、私もそのつもりだった。だが、そうなると父にも祖母にも言わなければいけない。80間近の祖母は病院に地域活動にゴルフに大忙しだが、最近物忘れも増えてきた。父もライブやプロレス、野球と趣味の多い人間である。とはいえ、彼や彼女がこれからもそうだとは限らない。私は、家から人が一人いなくなる寂しさを知っている。父や祖母が、家から人が一人いなくなり悲しむ姿を間近で見てきている。どういう行動をとるのかもなんとなく想像がつく。父は目を潤ませて私の名前を呟くこともあるだろうし、「早いなぁ」と成長や時の流れに思いを馳せるだろう。自分の妻との出会いを思い返すかもしれない。昔こそ交友関係が広かったが、現在は定期的に飲みにいくようなコミュニティには所属していない。祖母だって悲しみこそしないだろうけど、ちょっと出張に行くだけでも「会えなくて寂しいじゃない」という。父とは仲良くないので、会話量が減ってしまいボケてしまわないか心配だ。そんなことは自分自身がどうにかすることであり、知ったことではないと思うこともある。実際、兄が単身赴任で家を空けたって寂しくもなんともなかった。もしかしたら彼らにとって私もそういう存在かもしれない。でも、どうしたって想像してしまうのだ。私がいなくなったあの家を。一つの終わりを。今生の別れじゃない。新居だって家から1時間半までの距離で探すつもりだ。いつだって帰れる。27まで実家にいたのだ。十分世話してもらっただろう。タイミングを流して家を出られず後悔しても、彼らは責任をとってくれない。自分で決断をせねばならない。そもそも人を気遣うふりして、私が住みなれた地元や実家を離れるのが寂しいだけかもしれない。でも、寂しがるふたりを想像しては、今も電車で泣いている。言えない。すごく困っている。
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今月はじめ、突然上司から呼び出されて、法人飛び込み営業の部署に転属するか、会社都合扱いで退職するかを選べと言われた。いきなりそんなことを言われて、狼狽する私に、今この場で決めて答えを出して書類にサインしろと畳み掛けられる。明日まで考える時間を欲しいと言っても、時間は限られているし、今上司である私があなたに時間を割いていることで損失が発生しているんだから、5分以内に決めなさいと言われる。
法人飛び込み営業の部署が半年以内の退職率100%の追い出し部屋であることは社内の人間なら誰でも知っている。そんなところに回されるならと思って、私は退職を受け入れて、差し出された書類にサインした。
転写紙がはさんであって、双方合意の上での退職であり決定に対して不服を申し立てないことへの念書と、同業他社への転職しないことへの念書と、退職届までが一つのサインで済み、その日のうちに私は私物を整理して退職した。
今日、離職票が届いたけど、扱いは自己都合だった。ご丁寧に「双方合意の上での退職であり決定に対して不服を申し立てないこと」とサインの部分に赤マーカーをつけた念書のコピーを添えられて。
さすがにちょっとこれはないだろって思って、労基に電話して聞いてみたんだけど、録音等の証拠がなく、サインだけがある状況ではあたなの言い分は通らないと言われた。
上司を押しのけてでも回答を拒否すべきだったのか、追い出し部屋を受け入れてその間に戦略を練るべきだったのかは分からないが、少なくとも私の選択が取りうる中で一番駄目な選択だったのだろう。
40代後半の、いわゆる氷河期。転職エージェントと少し話したけど、そのくらいの年齢だと飛び抜けた技術か、管理職経験がないと仕事の紹介は難しいと言われ、同じグループの派遣への登録を進められた。
そこでも年齢と経歴を考えれば、紹介できるのは検品や品出しくらいらしい。何の技術も身につかないし、将来性もないが、食っていくには仕方がない。
もうどうにもならない気がする。社会を逆恨みして呪いの言葉を吐き続けるようになる前に楽な形で死にたい。安楽死を推進する政治家でも探しておけばよかった…。
「生きててごめん」ゼミの後、うつ病に 22歳で命を絶った大学院生
研究ってのがやってみたくてわざわざ外部有名大学の大学院に進学したけど、間違った選択だった。
同級生は実質1年先輩みたいなもんで、研究内容の基本すらわかっていないのは自分だけ。
体力も気力もなくて全くついていけない。
休日は存在しない。早く帰れた日でもスーパーはすべて閉まっている。
それに加えて深夜27時でも余裕でメールは回ってくる。大学院って労働基準法が適用されないのかな?
お盆休みも正月休みもないらしい。先輩は2年帰省できていないらしい。
・これまで聞いてきたプレゼンで一番ひどい。
・あなた(のような能力が低い人間)がこの場に存在していいのは学生だから。社会では無言で呆れられ人々は静かに離れていく。
なんでも教えてもらわなければできない。研究室にいるだけでみんなに迷惑をかけている。絶対2年で修了できない。やめたい。
でも、学生相談室が開いている時間に研究室の外に出ることはできない。
指導教員が「みんなが当たり前にやっていることを出来ないお前はどこにいっても通用しない」ってよく言うけど本当なのだろうか。
もし、環境が合わないだけならこれ以上お金を無駄にする前にやめたい。応援してくれた人の期待を裏切り、後ろ指をさされる人生になるけど。
もし、指導教員の言う通り自分の能力では社会で生きていけないなら早めに死にたい。
10年前はランドセル背負ってたのにな。自分がこんなに無能だとは知らないではしゃいでいた日々がまぶしい。
夜中の衝動で書いた支離滅裂な文章にもかかわらず、たくさんの方が温かい言葉を書き込んでくださっていて驚きました。
髪色の明るい同い年ぐらいの人たちが楽しそうに歩いているのを見て、とても不思議な気持ちになりました。
「何してる人たちなのかな。働いているのか、学生なのか。肩書はなくとも夢を追っている最中なのかも。」
外の世界を見てそう考えていたら、ここ二カ月で自分の視野は狭まり変な方向まで思考が飛んでいたことに気づきました。
同時に研究室のことも悪く書き過ぎたかもしれないと思いました。
こんなに楽しいのに休むなんてもったいない!とばかりに、同じ環境で目をキラキラさせて研究に励んでいる学生もいるわけで…。
ここはスーパーマンたちがより輝くために用意された場所であって、とにかく私とは相性が悪かっただけかもしれないです。
世の中にはそういう人たちがいてそういう景色があるのだということは、進学しなければ知りませんでした。
一度知ってしまった手前、そっち側ではなかった自分にがっかりする気持ちは残りますが、良い経験でした。
相談室にも両親にも話せなかった悩みを、こんなに多くの人が見てくれるなんてすごい時代ですね。
大学院を続けるにしてもやめるにしても、皆さんの意見を参考にしてひとつずつできることは何か考えてみようと思います。
ありがとうございました。
自分の頭ではこうしたいああしたいって思っているのに何にも行動する気が起きなくて精神科に行けとか言われても行きたいとも病名が欲しいとかじゃなくて
一般世間で思われてる楽しいことをしていても漠然と心のどこかが真顔で死にたいとかおっもてしまっているのが最低で嫌い
健康で生かさせてもらってるのに最低すぎて自分が嫌になるきらいになりたいわけじゃないのに
キラキラもしていたかったしもっとかわいくきれいにもなりたいこんなのわがまま言ってる子供で吐きそうになる
でも正直そう思わないといけないのかなって
自分が気持ち悪くて気持ち悪くてどうしたらいいかわかんなくなっちゃう
なんで体うってまで生きようとしてんだろう
ほかの稼ぎ方もわかるけどいえからでれなくて
何にも考えないでおこうと思っても勝手に涙が止まんなくて
どうしたら外に出たいって思えるんだろう
根本がなんかぐちゃぐちゃで本当にどうしたらきれいになれるのかな中二病過ぎてきもちわりー
もっとだきしめてほしかった流さないでちゃんと消化させてほしかった呼ぶくらいなら
兄に会わせるくらいなら
でもでもさ一人ひとり限界のコップって違うんだよきっと
ごめんなさいごめんなさい
稼いでも稼いでもギャンブルで溶かすし、ギャンブル以外やりたいこともないしでなんかもう人生詰んでる。
俺も65くらいまでは生きててもいいかなーとは思うが、それ以上は気分で死にたい。20とか30のやつに命は大切と言うのは一理あると思うが、ある程度年齢いったら、勢いと気分で死にたいよな。
本当に死にたいならさ、「ここから飛び降りたら死ねそう」「ここだったら救急車も入ってこれまい」「ここから落ちたら後戻りできないな」みたいな感じで死ねるポイントを常日頃から探してるものだと思うけど?
酒飲んで川に入った死亡とかいうニュース見ると「この方法もなかなかいいな。橋から飛び込み決めたら嫌でも川のど真ん中だ」みたいな感じで、旅行へ行けたら何しようみたいな感じで死に方考えるでしょ。
熱中症のニュースを聞けば、「酒と睡眠薬飲んで暖房ガンガンに炊いて寝るか風呂に入ってれば死ねるな」とか思うでしょ。
そしてさ、もう死ぬんだよ?全部終わらせるんだよ?週末に「この仕事終わったら休みだ」って感じで少しの苦しみぐらい頑張ればいいじゃない。
最低限の身辺整理は常日頃からやって、準備できたら会社退職するみたいに川とか海とか滝に酒と睡眠薬飲んで飛び込めばいいじゃない。
残された人のこと考えるくらいなら生きなよ。自分勝手に死ぬんだから心の中で「すまねぇな」って謝って全部放り投げて死になよ。
死んだら葬式とかなんやらで手間かけること確定なんだから、偽善者ぶらないで最後のわがままで後片付けしてもらいなよ。
「みんなごめん。手間かけるね」って感じの軽いノリで死んだっていいと思うよ。ほかのちゃんと自殺してる人だって自分の葬式とか後片付けとかやってないでしょ。最後くらいやりっぱなしでいいんだよ。
ただ後片付けとかしてもらうのはいいけどさ、他人に人殺しさせるのはやっちゃいけないと思うよ。(積極的)安楽死って他人に自分を殺させることだよ。他人にやってもらうにはプレッシャー重すぎだからそれくらいは自分でしようよ。