はてなキーワード: 効率厨とは
■事の起こり
俺は夜の大体定時(22時頃)チャットを立てて、ゲームを楽しんでいた。
ところで、そのチャット(以下雑談チャット)は普段は雑談ばかりであまりゲームのプレイ自体の研究をしていなかった。
そこで別の人間が、ゲームプレイ研究のチャット(以下研究チャット)を週一で立てることを提案。
それ自体は素晴らしいことだと思う。
ところが研究チャットも22時開始となり、雑談チャットと研究チャットが並行することになった。
明確には決めていなかったが、雑談チャットは俺が立てるものとなって居た。
そこでアンケートを取ることにした。
票は割れたが、最終的に6:4で両方のチャットを開くことに票が入り、週一で複数のチャットが同時進行することとなった。
別に俺はそれでいいと思った。うちのコミュはガチガチの効率厨から、エンジョイ勢までがゆるく同居しているのが特徴だからだ。
■何故か物言いがつく
ここでメンヘラ女(推定)(以下メンヘラ女)が登場。雑談チャットで2人になった時に、文句を言いだしたのだ。
文句の内容を要約すると
「あなたが毎日定時にチャットを開くことで、他が萎縮してチャットを立ち上げなくなる」と言うものだった。
コミュ自体には1チャットしか立ててはいけないと言う縛りはなく、管理権限も設定されていない為、
誰でもチャットを立ち上げることができるようになっていた。
その空気を潰しているのが俺で、アンケートはそれを助長するものだと文句をつけられたのだった。
■平行線
定時にチャットが開いていることが確定していれば、その時間帯にログインする人間が増えるだろうと言う考えに基づいたものだ。
一方メンヘラ女は特定個人によって定期的に開かれるチャットはコミュに参加している人間の自主性を奪い、
ひいてはコミュの衰退につながると主張する。
しかしそう言う割に、自分がチャットしたい時は勝手に立てると言うので、時間が不定期になることは分かっていた。
どれだけ話しても無駄であることは明白であるチャットは1時間ほど続き、
最後は「私は私の自由にさせて貰う」と捨てゼリフをはいてメンヘラ女は雑談チャットから退出していった。
先に書いてる通り、俺は22時でほぼ定時にチャットを立てていたが、21時や20時にチャットを立て、説明文はほぼコピペと言うものであった。
おいおい、特定個人によるチャット立てはコミュ衰退につながるんじゃねぇのかよと俺はつっこんだが、
最初の雑談チャットでのやり取りの時点で話が通じないタイプの人間であることは理解済み。
ようはメンヘラ女はチャット立てをすることで感謝されたいのだ。
自分が礼を言われて気持ちよくなりたいが為にチャット立てに乗り出してきたことは明白だった。
俺は定時の雑談チャット立てはメンヘラ女に譲り、別途、協力プレイ用のチャットルーム(以下プレイチャット)を定時で立てることにし、棲み分けを模索した。
まぁしかし俺だって人間だ。経緯が経緯だけに頭にきていた俺はTwitterに読めば分かる皮肉を投稿した。
これは正直まずかったが、俺も俺で相当頭にきて居た。
三日三晩耐えて、それでも冷えなかった怒りを140文字にめいいっぱい詰め込んで吐き出した。
■第二回平行線
さて、そのTwitterをみたメンヘラ女から個別メッセージが来た。内容はまぁ予想通りのTwitterへの反論だ。
で、メンヘラ女はコミュで大きな影響力を持つ別の女性に助けを求め、その女性からもう一回二人で話し合うよう雑談チャットで促された。
俺はどうせ話は平行線になるだろうことは予測できていたので、断ったのだが、ヒエラルキー的に最上位であるその女性の命令には逆らえず、個別のチャットルームを立てた。
そこで、またメンヘラ女と不毛な会話を繰り広げることになった。
コミュへの方針は平行線のまま、Twitterでの嫌味に対する反論や、個別メッセに対しての反論等。
1時間くらい話したが、そもそも大本のコミュへの貢献姿勢についてが平行線である以上、話は前にも後ろにも進まない。
しまいには泣き出すメンヘラ女(この時、相手はボイチャ、俺はテキストチャットだった)。
「私と仲良くしたくないんですか?」
知るか。もともとふっかけてきたのはてめぇだろうが。
ついにTwitterの投稿へリプやふぁぼりつをしないことまで責めだされる。
俺は基本Twitterはコミュツールとしてみていないから、リプを飛ばす習慣がないことを説明しても聞き入れず。
■結末
メンヘラ女はあくまで、自分がチャットを立てたい時は勝手に立てる方針は崩していない。
だが、事情も事情であるし、コミュの衰退も望ましくないと考える俺は、定時雑談チャットとプレイチャットを並行して立てることにした。
話の通じないメンヘラ女と仲良くしたい奴はそっちに行けばいい。
問題があるとすれば、そのメンヘラ女は既婚者だがオタサーの姫のような扱いを受けていることか。
メンヘラ女本人とはもう直接会話することもないだろうが、周りの取り巻きが勝手に攻撃してくるのは鬱陶しい。
その為にコミュを盛り上げようとしているのに、思いっきり冷水をぶっかけられた気分だった。
■おまけ
俺もメンヘラで療養中の身で気分の浮き沈みが激しい。
こう言うことがあると、心底堪える。
女性に限らず、初対面の人を連れてそんなに気取らなくていいお店に行くってあんまりなくない?
全然知らない初めての人と会う時って、よそ行きの服着たりして身支度をきちんとして、雰囲気のいいお店に行くのでは?
そんでちょっと気取って探り合いながら、話をしていくうちにどういう人か知っていくから、急にその人のプライベートゾーンみたいなお店連れて行かれたりするのって、精神的距離の詰め方が早すぎると思う。
日常での価値観のすり合わせを一発目からするって、結婚を前提にした婚活といえど萎える。
人格が分からない内からそういうことされたら自分のことだけしか考えてないな〜って思うし。
何回か会ってて普段ロイホ行くんですよね〜みたいな話されたら、何食べるんですか?とかあれおいしいですよね、とかそういう話もできて、そこから親しみも湧くし、この人とならやっていけそうとか徐々に考えられるけど、初対面でしかもデートで一回目からファミレスって、効率厨みたいに最短距離でこいつのこと理解してやろうみたいなの透けてる感じでなんとなくやだ。
で、思うんだけど、他人の人生の選択に他人が「意味」を見出してジャッジすることからして変じゃない?と思うんだよ。子なし結婚が希望です、別居婚が希望です、ってさ、例えば90歳だけどタイ語勉強したいですとかと変わんないと思うんだよ。もう90で、老い先短くて使う機会もないだろうにタイ語とかマイナー言語学ぶ意味ある〜?ってさ、まあ意地悪なやつは言うのかもしれないけど、言わないじゃん。お前の人生だしまあ好きにやれよ。って思うじゃん?意味なんて求めないじゃん。なんで結婚になると、急に効率厨みたいな人が出てくるのか。「それなら別に同性でもよくない?同性婚すれば?」なんて、明後日のことを言い出すやつまで出てくるから地獄だよ
500円や50円は一枚10円や100円は五枚以下ですっきりさせたいからだ。
何故か度々ネットで「両替と同じだ」「店員の迷惑を考えろ」「効率厨」「計算できると自慢したいだけ」等々熱烈に叩く人達を見かけて、本当に意味が解らないなと思っていた。
この度女の大半はおつりを気にして出す男が離婚を考えるほど嫌だという謎のネットニュースが出て、おつり問題が男女問題になったようで、意味分からないまーんは馬鹿だと叩かれている。
何で男女の話になったのか解らんが、これでおつりどうこうと叩く奴=低脳まーんと馬鹿にされて消えていってくれるのならいいかなぁ。
同棲期間も含めるともう5年以上妻と一緒に暮らしている。自分は30代後半、妻は20代後半。
他の家庭がどうかはあまり知らないけど円満にやっている方だと思う。
今でも毎日笑いが絶えないし、お互いのパーソナリティについてまだまだ新しい発見がある。
お互い好きすぎて何をやるにも一緒だ。友達もそれなりにいるけど妻と遊ぶのが一番楽しいと感じる。
子どもは好きだ。私も妻も実家にいる間、ずっと子どもたちと遊んでいた。
妻は姉妹や従姉妹の中では一番年下で、妻以外の女性陣はここ数年で出産ラッシュだったようで親戚の人数がだいぶ増えた。
次は妻の番、とご両親含めて親戚の誰もが思っていることだろう。
妻と2人で過ごす時間は最高だ。どんな出来事も2人ならば楽しめる。
土曜の朝に突然電車に飛び乗って遠出したり。深夜まで映画館に篭って1時間以上歩いて帰ったり。
家でゴロゴロするのも、そのままリビングでセックスするのも楽しい。
共通の趣味もあるしその繋がりで友達も多い。みんなで朝までワイワイ騒ぐのだってまだまだ好きだ。
妻は手に職系の仕事をしていて、そこそこの給料をいただいている。
職場での信頼も厚く本人もやりがいがあって楽しそうだ。最近はやればやるだけ評価があがる状態らしい。
子どもを産めば今までとはワークライフバランスが全く変わってしまうだろう。
今も家事の分担は自分の方が多いし、子どもができたら最大限支えるつもりだ。妻を支えられることは嬉しいし、そこに不満はない。
だけどどんなに協力して頑張っても産むのは妻だし仕事への影響をゼロにすることはできないと思う。
妻はいわゆる効率厨的なところがあるので、子どもがいることで仕事が今までのように進められなくなった場合、ストレスを感じてしまうのではと不安である。
子どもが生まれたら今まで経験できなかったような喜びを得ることができるだろう。一緒に遊ぶの、すごく楽しいだろうなあ。
きっと子どもを作ったことを後悔することはないだろう。だって私は妻がいればなんでも楽しいのだ。
それでも、いつかその失ったものに思いを馳せてしまうかもしれないと思うと決断ができないでいる。
ちなみに作るなら3人は欲しい。
3人いれば誰かが中立になって場を収めてくれそうだ。
世の中の人達はどんなタイミングで子どもを作ろうと決心するのだろうか。
もしかしたら時の運に任せるという選択肢もあるかもしれないが、
自分たちは子どもを作るならば不妊治療が必要だということだけはわかっている。だから余計に腰が重い。
世間、周りの目が第一の親だった。私は常にそれに振り回されてきた。
人様に迷惑をかけるな、○○ちゃんが出来てるんだからあんたにも出来る。親は人が宝のように見えると言わんばかりだった。
親の付き合いでヤンママの子供にいじめられ、また他の親はスパルタで、子供は外で遊ぶべきと言われては知らない上級生にいじめられ、小学校入学頃から人間不信だった。
私が自信が持てるように親が何かさせる反面、比較されて自信を失う日々だった。
あんたのせいで私が頭を下げなきゃいけないと言われた時はもう何もしたくなくなった。
所詮赤の他人であるはずなのに、その他人との比較によって私は悪く言われてしまう。そう思うと友達という存在を喜べなくなった。
小学生は明るく元気という親からアニメから遠回しに伝わってくる理想像からはすでに遠のいていた。
宿題も習い事もしてた上で、テストはどちらかと言えばましな点だったがゲーム捨てると散々脅された。理由はわからない。
手伝いをして欲しかった?しかしあの親は効率厨で、予定が狂うのが嫌いなので手伝いさせるなら自分でやる親なのだ。
幻聴じゃない?人をそんな風に言うなんて可哀想な人といじめにあって不登校になった後に言われた時は心底ショックを受けた。
なんせいじめにあった当時にあったことは話していたし、玄関で泣き崩れたり、随分表に出していたのだ。相手は女なのに胸ぐらまで掴んできた。同じ女としてこれがまた酷くショックだった。名前でオカマといじめられてから、女の子らしくしなきゃというプレッシャーの中にいた私にとって恐ろしい事だった。だからやり返しもしなかった。
名指しで親には向こうがやってきたことを伝えたのに、一年後には学級だよりで加害者の話が出てきて胸ぐらつかみ女を褒めだした。さすがにキレた。
小学校の頃から、どこかに連れ去られたいという誘拐願望があったが、今もその気持ちは抜けない。
ちなみに私は医者からは幻聴の症状はないと明言されているし、むしろ母の兄が統合失調症になった。
私はあれこれ精神科の症状を持っているが、妹は学習障害もある。そういう家系に生まれてしまったのかもしれない。
そんな中で母は何も診断されていないが、それより今は母の記憶を消したいのである。そう思ったきっかけは年賀状は送るべきかという不安からだった。