はてなキーワード: ブルーオーシャンとは
自分自身、ブルーオーシャンの意味を正確に把握しているわけではないので、確かな理由はわからない。
ちょっとググってみたら、ブルーオーシャン戦略の要素として、非顧客の顧客化があるという。
今まで見ていなかった層に目を向けろということらしい。
それでパッと思い出すのが、婚活という段になってオタクをターゲットにしようとする女。
自分は大して強くないけどここなら無双できるはず、というゲーセンの格下狩り感がイラつくのか、
あるいは野蛮人にカトリックを布教してやるみたいな上から目線に納得いかないのか。
それとも安上がり感が目立つからだろうか。
ブルーオーシャンとは直接関係ないかもしれないが、自称○○大好き芸人や、
大して詳しくないのにしゃしゃり出てくるアイドルなんかもやはりウザい。
お手軽に差別化しようという気持ちは理解できるし、テレビだから仕方ないと言えばそうだが、
ITの大航海時代がはじまって20年ほどがたち
ブルーオーシャンへとみな船の帆をあげ遭難していくのであった (完
さてプログラムを船にたとえて話をしてみよう
船の大きさは君に任せる。
船っていろいろあるからね。
君が仮に完璧な船をつくったとしよう。
だがその船は誰がどうやっていつまで運行するんだ?
船長になるためにカンナやユンボ(アセンブリなりクラウドなり)の使い方を知っている必要がはたしてあるだろうか
とある言語XやとあるハードウェアYの良さを語ったりdisったり
だがそれは、船の甲板にブナの木をつかうかクスノキをつかうかの違いか
田舎の商工会議所のお茶会議論にでてきましたー☆を言い換えただけにすぎない。
東京ーLA間を航海する話ではないし
所詮セキュリティの話は船底についたフジツボのとり方の話でしかない。
いい加減目を覚ますべきだ。
君は・・・
立派な船があっても
主砲を実戦で使うことのなかった大和のように沈む無かれ。
海関係の仕事 しかも無免許運転 遭難したらしかるべき情報を届けるところも無く
ハットヒヤリなどすら残らず・・・ また誰かが繰り返していくんだ。
そもそもゲーム(人間が作った)を余りしないので、その例えが良く分からないけど・・・・。
あるゲームの中に、王道(人気ジャンル)とマイナー(不人気ジャンル)というジャンルがあって、
単に、与えられた枠内にあるジャンルで、
そして単に人気がないという理由でマイナーなんだったら、やっぱり、マイナーにもいかないよ。
行く意味がない。エネルギーも出ないし、モチベーションもない。
単に、王道で勝てないから自分の存在意義を示す為に勝ちやすい所に行くっていう。
その考え方とは180度違うと言っているんだよ。
本当は、王道が好きだし、出来ることならそちらに行きたいけど、負けが嫌だから諦めるのとは全然違う。
人気ジャンル(王道)が本当に好きなら、私なら人気ジャンルにストレートに行くよ。
あなた、競争しちゃうタイプなんだね~。捻くれ者はあなたの方では?
私の言う別のパイを探すというのは、(例えは少し悪いけど)
A地点で油田が見つかったとする、すると、みんながA地点の権利を獲得する競争を始める。
だけど、それには乗っからないでB地点の油田を探すという感じ。まあブルーオーシャンなんだけど。
あ~でも、サッカーというチームでプレイするゲームで、(サッカー知らないけど)
どの立ち位置も重要だけど、特に、人気のあるポジションがあって競争になるという場合は、
あえて人気の無いポジションに回るかな。それなら分かる。
2013に日本の調査捕鯨で出荷される鯨肉がハラール認定された件は記憶に新しいと思う。
かなり細かい規定があり、規定どうりに作ったとしても、最終的にハラール認定を受けなければ
イスラムの世界では一切出荷したり、店頭に並べたりしてはいけない。
逆に、規定どうりに作っていなくとも、ハラール協会から例外認定を受ければ認定される。
場合によって認定基準が曖昧なハラールについて調べてみたのだが、
世界に続々と進出するイスラム信者の数もまた無視できないモノとなっている。
彼らに対しての食ビジネスは、進出されはじめた国にとってはブルーオーシャンであり、
非常にうまみのある分野だ。
しかし、未だに各国で満足にハラールを満たす食品が提供されない事態が発生している。
支部は世界で41あり、主な拠点としては、ロンドン、ワシントンDCである。
彼らの掲げるものは、外国へのハラールへの理解と、ハラール食品の品質向上化であり、
ここまで書いたけど、飽きた。だれか続きよろしく
2035年には、日本の全ロボット市場は9兆円強、うちサービスロボット市場は5兆円、と載っていた。
その記事自体には別に異議を挟まないが、「週刊ダイヤモンドには恥ずかしくて書けないようなロボット分野」が抜けていると思う。
・人間の女性の大きさで、女性と同じ肌触り・体温の皮膚・乳首・外性器・膣
という機能を装備し、男性から見ても「リアル女性と見分けがつかない」レベルの性交ロボットになる。
日本全国1,000万人の童貞君が、100万円の女性型セックスロボットを購入したとして、市場規模が10兆円。
隣の中国市場は、優に100兆円。
僕がナンパをしなくなった理由
僕がナンパを再開する理由
http://qloneko.hateblo.jp/entry/2013/08/23/010336
ナンパという行為をやめますというなんか、バンド解散みたいな、
そんなオオゴトなんかそれ?っていうツッコミをしたくなるブログをチラチラみて違和感を覚えたので、
私 のナンパデビューについて(この言葉自体気持ち悪いけど。。)私のナンパのデビューは出会いを求めて言った
合コンや、当 時、つてで知り合った友達のパーティーに言って、
ホイホイ、お金をとられ、アムウェイのBBQに連れて行かれ、心底気持ちが悪くなってきたからです。
当 時の知り合いはみんな、自分を持っていないタイプの人だったので、
そもそもコンパを開いてくれるような友人もおらず、たまたま知り合った先輩に連れられて
上のパーティを行って、ハシゴして、今日も戦果なし、アムウェイだらけ、みたいな負け癖がついていた時に、
むしろパーティーにいた女子よりはるかに性格も見た目もきれいな人と盛り上がったのです。
上記のような、事があって、ナンパをしようとしていましたが、
やはり 最初のハードルとしては、道でナンパするっていうのは厳しい。
いまは一番のブルーオーシャンだと思いますが。そこで、300bar (新橋)や色んなところに繰り出していましたが、
そんなこんなでやはり負け続けて いたのですが、たまたま酒を飲んでいて(おっさんしかいない立ち飲み)、
鈴木保奈美に似た子がいたので、声をかけたら、話が盛り上がり、二次会に行こうとなって、
サラっと書いていますが、、ここまでたどり着くのに、多分めちゃめちゃ負けてます。
結果家に来てもらい、ゴールへとたどり着いたわけです。
楽器をやっているモロどタイプの子でした。尊敬できる人だったし、一緒にいて楽しかった。
この経験は自信になり、ナンパという武器を手に入れたという事になりますが、ナンパってやっていくと分かりますが、
やはり、色んな事を経験します。リスカの子はいなかったけど、悪夢を見るのか、薬をやっているのか、、、
という子や、逆ナン?されて、ついていったら薬をもられて財布や、iPhoneを盗まれたことや。
でも基本的にいやな事というより、感謝されたり楽しかったと言われたことの方が圧倒的に多いです。
で、自分にも彼女ができて(相当前の合コンつながり)その間は葛藤がありました。
ナンパってしていいのか?と思いながら。。結婚をしようかという話にもなって、
色々あって別れました。その間はやっぱ何か癖でナンパをしてしまい、罪悪感のようなものは当然感じていました。
更にいうと、みんな結婚していく。家庭を手に入れ、ゆるやかにランディングしていく中、
俺こういう感じで大丈夫か?という気分になったことはあります。
宮台真司氏によると、日常を抜け出しワンダーランドへとつながる云々といっておられますが、ソレは確かにそうだと思います。
ナンパして出会う子っていうのは、何か普段の生活で持っていないものを持っている人だったり
(逆にいうとそういう目が自分にできているのかもしれないですね)、
そして、何よりイニシャルコストはゼロです。コンパに行く前に可愛い子は来るのかとか、
誰かと競合するとどうするんだとかそういうことは気にしなくていい。
id:Chikirin氏の言っていることを見ていて思うのは、やっぱ、なんか浮世離れしてるよねっていうこと。
浮世離れしている=視点が違っているといういい方向にももちろんいくけど、
彼女がマッキンゼーの人だという事を感じるのは、やっぱ、レッドオーシャン、ブルーオーシャンの話
をされるときだと思う。
下記の四象限で考えると中学二年生ぐらいだと 人と違う道を行くx成功する を狙いに行く。
だけど、段々それが無理っぽい気がして、人と同じ道を行く方向に舵をきる。
マッキンゼーいけちゃうような人で、かつ、人事の担当でエースはれているような女性という
特殊性を持って、人と違う道をいく話を説かれても、なんか違和感あるのは
いや、彼女のような人が、こういう成功系の話をしてもらわないと誰もできなくなって
しまうので大変ありがたいと思うのだが、この裏側の話をセットで誰かしないと違和感残るよねっていう。
あとは、戦略コンサルという思考をダイレクトにお金に変えてきた人の考え方というのもあると思う。
実業で、思考を現実化する部分での難しさ、遅れをとってしまう普通な人(私)だとここまでうまく思考を
話をできないのかなって思う。。
いや、大変ありがたい話だけど、わたし的には海外ニート氏の話とかを合わせてよみたい。
成功する 失敗する
最近の電気なり電機の議論は ようするに製造業 って事を言っていて (面倒なのでグローバル企業は除外すると)
国内の基盤となる税金 (商社も国からの買い付けは受けているのでやはり重要) の源泉となっているのは
先のように 商社もその売り上げ先は国内企業である という意味で 国内の製造業・販売業が盛んになってくれないと 市場規模が下がるという意味で 商社もだめになるので 国全体が栄えないし
逆に 製造業が栄えていると 原材料の輸入だったり なんだりで 商社も栄える。
これはたとえば、飲食なんかも同じで 電機がだめで工場が閉鎖になると 周辺の飲食業が衰えるみたいな 因果関係にある。
というわけで、たいていの場合、商社やサービス業の根底にある 製造業 ないし 農林水産業で日本の国力をはかっている。というところはあるんだよ。
もちろん、老人向けサービスがブルーオーシャンだという話はあるが、そういう短期的な産業は国家レベルの場合そこまで重要視されない。少子化で同じく50年後は老人もへる。
重電にしろ、家電にしろ、車にしろ国内は落ち込んでるからな。ヤバイというのはある。それはほかの産業も連鎖するから市場規模が下がってヤバイという事。
国外2国外の商社売り上げが上がっても、日本に税金が落ちないなら国としては関係ないから、グローバル企業は除外しておく。
1/3ならともかく、非英語圏ブロック最有力の中国ですら1/6程度のマーケットにしかならない。これが6割の英語圏に対して独立した地位を保てるかどうか・・・自分は否定的ということ。まして日本語圏なんて・・・という話。
マーケットの大きさを比べる意味がわからん。一企業が全消費者相手にしないといけないわけでもなく実際はニッチを狙って一部の消費者だけ相手にするのが普通なのに。ガラパゴスを批判する人はレッドオーシャンブルーオーシャンがどうのこうのとかいう話についてはどう思ってるのか気になる。
あと独立した地位とか言うのも具体的に何を指してるんだろうか。なんらかの基準で判断するとグレナダ・ジャマイカ・ベリーズ・リベリア・シエラレオネ・ジンバブエ・ツバル・トンガ・ナウルやらが独立した地位で中国・ロシア・フランス・ドイツ・日本とかそうでないってことになったりするんだろうか。
http://anond.hatelabo.jp/20091217224219
つづき。
「なんでまた、そんなところを」
ぼくはガイドブックから視線を上げて、うれしそうにする彼女を見る。
彼女はラオスのガイドブックを開き、ぺージをめくりながら、つぎつぎ指さす。
「やっぱりメコン河ですかね。特にこのシーパンドーン、四千の島という意味だって書いてありますし、あとはボーラウェン高原、すごくきれいなところなんです。さっきFlickrでチェックしたら、みんなバイクで。やっぱり取らないといけないですかね、免許」
ぼくはぽかんとする。
「あー、いや、1人あたりGDPとか、総人口とか、交通の便とか、そういうのを調べないと。それじゃあ、観光目的だよ」
はっきりと言う。
彼女のいまの夢は、観光目的でラオスに工場を建てるということ。
一見すると私益と社益の混同ではあるのだが、社益を私益にFIXさせることが出来るようになると、あんがい会社勤めは悪くないと思い始めたようだった。
「ラオスをバックパック旅行したいと思っていたんです。でも、それだといろいろ心配しないといけませんよね? でも工場建てて、そこに派遣されれば、全部解決だって気付いたんです」
なんとも途方がないことをうれしそうに言う。
確かに製造業は生産拠点を東南アジアに工場を移転しており、その中でもラオスの特に南部は穴場ではあるのだ(北部は中華系が占拠している)。いまは無理でも、3年後ぐらいなら、けっこうよい投資環境が整っているかも知れない。
「ね? いい考えでしょう?」
「え、ああ、筋はいいかも……」
「だから、いまのうちからラーオ語勉強しなくちゃ」
「はあ……」
こんなことをわざわざ言い出すまでもなく、多くの日本人は会社の夢と自分の夢を重ねることにより夢を実現させている。それが出来るようになれば、リスクは会社に背負わせたまま自分の夢を実現することが出来る。
彼女のようにそれがたとえ観光目的であったとしても、それが社益とFIXされれば、そのような夢や情熱を持つことは推奨される。
そのために同僚と夢を話し合い、共有し合い、仕事をこなして認められ発言力をつけ、いくつものプロジェクトを成功させ実力をつけなければならない。会社が夢を見ないなら、そこに自分のビジョンを植え付ける、たきつける。会社に絶望したのなら実績だけ作って、自分を別の会社に高く売りつける。
なんともたくましい。
半年ほど前、彼女がしきりに仕事を辞めたいと言っていたのを思い出す。
もう何度目かの作戦会議のあと、まだぐしゃぐしゃになってぼくのところに投げ出されていない別の案件で行き詰まっているらしく、彼女は言う。
「わたし、もうこの会社やめたいんです」
「え? なんで?」
「はあ」
「それに、子供の頃からの夢があるんです、わたしデザイナーになりたいんです」
それはよくある現実逃避で、ほとんどの場合上手くいかないことは保証できるのだが、彼女の場合、それが根深いように思えた。
「みんながなりたいものに、生活を掛けてしまうと、とってもつらいですよ?」
「ああ、よく聞く話ですね。競争者が多くて誰もがなりたいところは自然に過酷な労働環境になるって」
「作家なんかだと、たいてい仕事を持っていて、作家業が軌道に乗るまではその仕事をつづけるのがほとんどですし。本業の年収の倍を作家業で稼げるようになってから、作家業を本業にするなんて、よく聞く話で、それに」
ぼくは、言うべきか、言うべきでないか迷う。
それに気付いた彼女は、視線で続きを促す。
それなりに痛いことではあるのだ。
「本業にしてしまっていたときがあったんです、プロのカメラマンだったんです、昔」
ぼくは、彼女に話す。
進学校に入りながら、大学受験をやめてカメラの専門学校に入ったこと。それから、先輩のつてをつたってプロの端くれになったこと。下積み時代は長くて苦しくて、それでもある分野ではそれなりに認められるところまでは行ったこと。しかし、生活は激務で荒れ果て、収入は底辺に近いところだったこと。
それを彼女は静かに聞く。
「それで辞めたんです。先行きも暗いし。これをつづけても意味がないって」
彼女は首を傾げる。
「なんで辞めたんですか? カメラ」
「いえ、辞めたのは、カメラで生活することで、カメラは辞めてません」
ああ、なるほどと彼女は頷く。
「ぼくはカメラは好きだけど、カメラで生活することは好きじゃないって気付いたんです。実際のところ変わらないんです、カメラで生活していようがしていまいが、カメラすること自体は何ら変わらない。それが仕事である意味はないって気付いたんです」
「それで製図屋さんに?」
「ええ、この業界はニッチなんです。みんなきっとずっと製図ばかりしているのは退屈だろうと思うんです。なので高給で、仕事が楽で、専門性が高くて、安定しているにも関わらず、あまり多くの人がなりたがらない」
ぼくは笑う。
「そのとおり」
彼女が遠慮がちに聞く。
「どんな写真を撮るんですか?」
「え? ああ、自然が多いですかね。アマゾンとか一度撮ってみたいかなぁ」
結局のところとぼくは思う。
誰もが思いつきやすい夢というのは、非常に環境の厳しい実現しても不幸になりやすい夢であると。そこにあるレッドオーシャンを目指すよりは、誰も気付いていない未開のニッチのブルーオーシャンを目指す方がいい。
しかし、そんな南の楽園への道は紆余曲折が待っていて、それを探すためにそれほどハードではない仕事とのダブルスクールをすることは悪いことではないと。むしろ、そっちの方が、自分の可能性が多様になり、レッドオーシャンの血みどろの戦いに振り回されることなく、自分のやりたいように出来るのだと。
レッドオーシャンの嵐の中では船はコントロールさえ失ってしまうが、誰もいない大海原では、自分が取りたい進路を選ぶことができると。
そして、多くの日本人はもっと楽ちんな、会社に自分の夢を実現させるために、会社と自分の折り合いをつける選択をしているのだと。
いままさに、彼女がしているように。
「というわけで、ラーオ語覚えてくださいね?」
「え?」
「だって、そうですよね? うちの会社がラオスに工場を建てたら、製図屋さんも派出所をラオスに作らないと、契約あるんだし。そのときあなたが派遣されるためには、ラーオ語が話せるのはあなただけという状況になっているのが、望ましいんです」
「はあ」
なんとも、深慮遠謀な話だ。
「しかし、ラーオ語って、なんともニッチな」
「だからこそ、ブルーオーシャン、でしょ?」
ああ、それでラオスかと得心がいく。ラオスにほんとうに工場が建てられるかどうかはともかく、その夢のために情熱的に生きれるのであれば、それはよいことなのだ。
「計画にはぼくも入っているんですか?」
「え、だってあなたがいないと不便なんです、いろいろと。それに、あなた、わたしのことどう思っているの?」
伏し目がちに聞く彼女を見て、ぼくはどきりとする。
さんざんに曖昧だ、曖昧だと揶揄されてきただけに、その曖昧さを維持したいのだということは言えそうになかった。
たとえば、結婚してもいいというと、結婚のネガティブな面に意識がむき、それはどうかなと思い始める。同じように、恋人になりたいというと、恋人が出来たときのネガティブな面に意識がむく。
彼女はきまぐれだから、そのきまぐれに、その言葉の定義が合わなくなったとき、たとえばその気まぐれには恋人であることが不都合であったとき、その関係性を疎む、という性質があるのだ。
なので、彼女のきまぐれにいつでもつきあえるように曖昧にしておく。
ぼくはとてもストライクゾーンが広く、そして彼女はボールゾーンがおもいっきり広い。
なので、なるべくそのボールに球を投げないように、細心の注意を払う。
でも、ほんとうのところはそんな他人が作った言葉の定義は、いわばレッドオーシャンで、ぼくと彼女だけにしか適用できそうのない、ニッチなブルーオーシャンを探したいと思っている。
それはいったいどういうものなのかというと、それはぼくにも分からず、そのときどきに都合のよいように、彼氏にも、友達にも、相棒にも、変化するなにかだと思うのだ。
ときには問題を解決したり、ときにはいっしょに遊んだり、ときには恋愛物質に翻弄されたり、ときには抱きしめたり。
ようはぼくは彼女と一緒にいたくて、いろいろなことがしたくて、そこには好きという気持ちも、愛しているという気持ちも、一緒にいると楽しいという気持ちも、悪ガキのように作戦会議をするのも楽しいという気持ちも、彼女のあらしの側にいるとこっちも活性化するのでうれしいという気持ちも、ごっちゃになって含まれている。
「ねえ、どうなんです?」
「ラーオ語、覚えます。ひょっとしたら会えなくなる可能性を消しておきたいんです」
「また、曖昧」
彼女は不機嫌そうに眉をしかめた。
(それはきまぐれなあなたに合わせるためなんだけどなぁ……)
それでも、彼女はよしと意気込み、ラオスに工場を建てる計画の推進をはじめる。
その姿があまりにも眩しくて、ぼくはそれに見入ってしまう。
彼女の飛躍するような自由奔放なあらしの側にいると、こちらまで、もっと高い理想と夢を追わなければならない気になってくる。
彼女は停滞を嫌う。
それがぼくに向くときに、うわ、頑張らなくっちゃとなるのが嬉しかったりするのだ。
(しかし、ラオスか……、途方もないなあ……)
http://anond.hatelabo.jp/20081219133411
そのパス付zipの手法で儲からなくなったから、今回のような方法が出てきたのではないでしょうか。
分からない方のために説明すると、パス付zipの手法というのは普通のzipを解凍するとパス付zipファイルと解凍手順書が入っていて、親切丁寧にオンラインカジノ等への入会手順が書いてあるものです。大体は入会が成功した時に表示されるページのURLの後ろから○文字がパスワードになっていると書いてあります。最近は登録したメールアドレスにパスワードが送られてくるというタイプが多いようです。
解凍手順書も初めの頃はただのテキストファイルだったはずなのに、いつの間にかHTMLになり登録用のリンクも踏みやすくなったり、手順説明が充実して初心者に優しくなったりと作成者の細かな努力をうかがうことができます。
パス付zipの手法も相当儲かったのでしょうが普及しすぎましたね。今回のアダルトサイトを巡回させる方法よりも明らかに分かりやすいので、いろいろな人に真似でもされたのでしょう。
パス付zipの手法も結局はオンラインカジノ等に会員登録させてその紹介料を貰うアフィリエイトですし。
著作物をお金を払わずに手に入れたいがために、パス付zip作成者にお金が入る行動を行うなんて酷い皮肉ですよね。
パス付zipやアダルトサイト巡回アクセス法は“本物”を用意しなくても行えるので、わざわざ“本物”を用意してあるとは到底思えません。パス付zipの場合は手順通りに事を進めても解凍できるかどうかさえ怪しいです。相手は無料で著作物をごにょごにょする人たちなので、中身がスカでも作成者に何かあることはまずあり得ないです。
考えれば考えるほど便利な手法ですね。
ふと道を歩いていて、
見えてしまったとする。
その場合、あなたはどれぐらいの
嬉しさを感じるだろうか。
それをお金であらわしてみたいと思う。
お金に換わるこの時代、
但し、パンチラが大好きな人も居る反面、
いるかもしれない。
熟女のそれが好きな人も居るかもしれない。
なので以下、あくまで自分を基準に割り出してみる。
まず前提として、「本人に頼んでパンチラを見せてもらう」
ことと全く違うことは強く言っておきたい。
それだと全く別のものになってしまうから。
ここで言いたいのは、「偶然に」見えてしまったパンチラの嬉しさは、
何円ぶんの喜びがあるか、という事に注意。
【その1】
100円玉を見つけた嬉しさと、
パンチラが見えた嬉しさを比べてみる。
【その2】
では大きく値段をあげて、
競馬で5000円当たった嬉しさと、
パンチラを比較してみる。
自分は5000円当たった方が嬉しい。
【その3】
1000円もらったときの嬉しさと比較してみる。
1000円の方に価値を見出す。
雑誌が2冊買えちゃうし。
【その4】
では500円玉を拾ったときの嬉しさと比べる。
文庫本なら1冊タダで貰える。
ものすごく判断に迷うが、
自分は500円の方がわずかに嬉しい。
パンチラは500円未満となる。
【その5】
250円だとどうか。
読みたかったジャンプを拾った、
もしくはポテチが2袋買える。
パンチラを選ぶこともある。
よって、パンチラは250円だ。
・・・以上の考察から、
250円の価値があることになる。
なかなか良い拾いものだ。
ただし、同じ日に連続で何度も見えてしまった場合などは、
250円→200円→150円・・・と
価値が下がってしまうだろう。
月会費5000円を払うと、
あなたは毎日ワクワクしながら会社に行けるのである。
この不況の世の中を活気付ける、
隙間ビジネスとして成り立つのではないか。
そんなわけないか。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://v.japan.cnet.com/blog/murakami/2008/09/23/entry_27014834/
いやいや、小さくて特異な世界だからガラパゴスなんでしょ/アメリカやら中国やらはそりゃガラパゴスとは言わんよ。だって国内市場デカいもん/品質云々じゃなくて、ケータイ端末を輸出できないのが問題なんでしょ?
でも、ずっと3Gでは世界最大の市場だったんだよ? どうしろっつーのよ? PDCから3Gに行かずにGSMに移行すればよかったとでも?
日本の携帯は単独でやっていけると思うけどな。日本の鉄道と似たような感じで(歴史的経緯から逃れられない部分も多いところも似ている)。そもそも日本語と日本人のライフスタイルが一番のネックだったし。
米国基準とグローバルスタンダードを混同してはいけないという話。欧米がやっていることなら何でも偉い、という言説には気をつけるべし。
携帯でひどいのは欧米といいつつ欧州をまったく知らずに米国しか見てない人が多すぎることだな。
ガラパゴスだっていいんだよ。それでメシが食えりゃ。そして快適なら。携帯電話は、端末メーカーが食えないのが問題。その原因はなにかを考えないでガラパゴスいうのはちと違う。
最近10社のうち2社は撤退ってことでアンチ国産ケータイの人たちが喜んで国内キャリアを叩いてたけど、テレビだって沢山のメーカが撤退してる。まあ日本のテレビ放送の規格は特殊かもしれないけど、でもテレビメーカは海外進出できてる。正直国内向け商品の仕様が特殊かどうかと、海外に輸出できるかどうかはあんまり関係ない。例えば韓国の携帯電話は本当に特殊なWIPI仕様が必須だけど、韓国メーカは世界中で強いわけでしょ。
グローバルスタンダードに乗っかろうとするということはすでに競争から遅れているということだと思う。
そうなんだよな。ガラパゴスだと叩いてた人たちが国内メーカに何を求めているのか、どういう状況になって欲しいと思っているのかいまいち見えなかった。Android携帯を作ればいいじゃんとか聞くけど、そうするとソフトではほぼ差別化できなくなるから、国内メーカのやることって端末の概要や外見をデザインして設計と製造をHonHaiに任せてそれで終わりになるよ。今のPCみたいになる。それがうまくいって輸出でちょっと儲けれるところまで行ったとしても、ブランドは日本メーカ・設計は台湾・製造は中国のものだよ? そんなのが輸出されたとして嬉しいのかねぇ? そんなのがいいっていう風潮が続くんならいっそもう日本のメーカは全部携帯電話から撤退して、日本人はみんなiPhoneとノキアの安物キャンディバーを使うことにしたほうがいいと思うよ。
シャープは(総務省指導の)新販売方式のショックとiPhoneショックによって国内での端末販売がかなりピンチになって、中国に活路を見出すしかなくなってるんじゃないかという気がする。このままもし中国でシャープ携帯が売れ始めたら、シャープはますます日本向け端末は作らなくなって、ソフトバンクはiPhone一色になっていったりして。そうしたら外国ではシャープのAQUOSケータイが売れてるのに日本ではiPhone、みたいな逆転現象が発生してしまったりして、そうなったら面白いな。
「ガラパゴス」をもっと違う言い方にできないものか。
そもそも、経営学は「全体」について考える学問じゃないんと思うんだよね。
たとえば、一時流行った「ブルーオーシャン」なんて、要するに「独占寡占は美味しい」という話だし、
経営学的発想とは、いかにして競争を回避し超過利潤を確保するかという課題への取り組みでもあるわけ。
それに対して、時に独占へ介入するなどして経済を競争的に保ち、社会全体の効用の最大化を目指す
というのが一般的な経済学の姿。とりあえずこの両者は別物で、だからこそ別々の学問として定立している事がわかる。
「経営学は社会全体について語る物」という誤解から、トリアージだからホロコーストだみたいな
品のない暴論が飛び出したんだけど(まあ仮に全体について語る物であったとしても噴飯物の妄想だよ)、
要は「トリアージを経営学として社会全体に敷衍し全体主義社会へ」という決めつけは、最初から矛盾を孕んでいたんだね.
誰かさんのセリフを借りれば「ちゃぶ台返し」的に、立論の第一歩から間違っていたわけ。
この騒動の流れ的に言えば、通俗的な女性のイメージや、トリアージという命の係わるデリケートな問題を
公開の記事にした点で(あるいは実名blogで顧客を侮辱するという失策をした点で)、件の先生が各方面へ
お詫びに追い込まれたりして、その点は既に決着がついているから十分だと思うけど、そこへ何を勘違いしたか
「あ??こいつなんか弱ってそう、俺様の知的関心のいい餌食だやっちまえ」的な勢いで、マニア的な屁理屈で
大した検討もなしに相手をナチ呼ばわりした馬鹿者がいたという話だね。