はてなキーワード: ネタとは
部屋や物の写真を載せるな
中身について誰々とご飯食べたとかならギリいいがVには無いのにおすすめの化粧品とかネイルした等の話も微妙なラインというかあんまり好きではない 無いだろバーチャルに
今炎上してる身バレネタ擦り続けるしかない承認欲求の塊みたいな子も脱いだ写真載せて親が見たとかいう嘘松みたいなのでバズってる倫理観と頭がおかしい子みたいな身体出すのは完全論外
顔だけ隠したただの配信者じゃんか
バーチャルを名乗るな
コミケでヴィーガンが屠殺の写真を参加者に掲示し「その画像により吐き気を催した」という話
・ひょーげんのじゆー
・これは許容しなくてはならない
・目をそらす自由がある
・嫌なら見なけりゃ良い
滑稽だよね
これ、大阪の雀魂バニーポスターとか、エルフ先生の小水POPを「表現の自由」って場所に仕舞ってしまったから
もう何がどうなろうとそう言うしかなくなった人らが観測できるよ
本来は適当(ちょうどよく合うこと。ふさわしいこと)にお気持ちで調整してさ
ゲームや書籍がやってる自主規制とかで世間様とすり合わせしてさ
法規制って話が盛り上がらないようにしてるわけじゃん
でも、一部の不心得者が、その枠を抜け出してヤラカシた時にさ
ひょーげんのじゆーって
この言及者の滑稽なところは、法を犯してるわけじゃないとか言い出しちゃうところでさ
お前それ言ったら、相手が法規制のロビー活動するだけなんだぞってのが解ってないのよね
で、相手が法規制に動くと、ひょーげんきせー、って大喜びなんだけどさ
いやいやお前らが言ったんだろ?
「法を犯してない」って
ほな、法で縛りまひょってなるだけやん
表現テロやりたい放題で、法規制されてないならナンデモアリな場にしたいわけ?
絶対に、自分の身辺に不快な表現が出たら文句を言うだろう、かっっっるい言動のアカウントがさ
お盆は働いているマトモな人が休みでいなくなるからさらにブコメ記事の品質、コメントの品質が落ちる。
はてブをみていても日本終わってるな感しかない。ふわちゃんとかどうでもいいし、オッサンが臭いとかいう話もどうでもよすぎる。
夢でも救われた
救われた夢というか、自分が一番見たかった夢というか、これが現実であればと空想していた夢
子供時代、転校を繰り返してていたのだが、どこいってもいじめられていた
ただ、転校後にもらった手紙に
「いじめらていた君がいなくなったから、代わりにいじめられるようになった」とか書いてあって
振り返ると、普通の遊びと、いじめとかからかいとかの区別を感じれないくらい、
小学校はまあそんな感じだったのだが、中学は完全にいじめられていた
教室の中で自分だけがからかいの対象になり、はたかれ殴られ、泣きながら家に帰ったシーンを今でも思い出す。
まあそれでも何故か不登校になるようなことはなく、中高大となんだかんだいじめとからかいを繰り返しながら卒業したのだが、
自尊心がぼろぼろなのに気づかず社会にでてしまったので、会社入ってから全くコミュニケーションがとれず完全に病んでしまった
あ、なんか自分はおかしいんだと思って、色んな本読んだり、いろんな精神科や心療内科に通った
自信なさげに周りの目を気にしてキョドってるから、会社の人にバカにされるし、
時に「生きてて楽しい?」とか言われても、侮辱されたとか怒りとか感じることができず、
当時は話のネタができたくらいにしか感じれないくらい心が病んでたと思う
それからいろいろあって、今は心は落ち着いている。
ただ、友達がいない
ドラマや漫画で学生時代の友達と会い、昔話に花を咲かせるみたいなことは、全然できない
とはいっても中高大のときの級友は友達だったか?と言われるとたぶん友達じゃない気がする
対等な関係じゃなく、たた自分を卑下して無理にくっついてた感じがあるし特に会いたいとも思わない
中高大では感じなかった、楽しいとか一緒にいて安心するとかの感情は当時確かにあった
ただ転校後のいじめやコミュ不足から自分から連絡を断ってしまった
会いたいなとか空想しても、もう一生会うことはないんだろうなと思っていたら
今日、夢に出てきた
結構な年月がたって同窓会?的なところに自分が参加してる感があった
夢の中でも、自分の事覚えてるかな?みたいな不安を覚えながら皆のところへ足を運んでいた
声を交わしたは覚えてないが、
「転校してから辛かったよな」
「いじめられて辛かったんだよ」
みたいな心のやりとりがあったと思う
一応現実は安定しているから、自分では過去のいじめとか病とかは振り切ってたつもりだったのに、
夢から覚めて
ああ、これが一番待ち望んでいたことだったんだと思ったことに、
驚いたとのもあるし安心したのもあるし、なんか救われた感じがした
この堀口ってのがそもそもcolabo関連のゴタゴタが裁判というネットのコンテンツ消費スピードに追いつけない局面に入ってネタ切れ起こしそうになった暇空がネタ出しのためにピックした奴でしょ?
力が入ってるのは分かる
コネでたくさんの賞を取れたのも分かる
演技が臭すぎる。
俳優は喜怒哀楽の激しいヒステリックな演技をするし、ボソボソ話すから字幕が無いと何言ってるか分からないシーンがある。
「このままでは、と#&□△◆■!?」
まあこれは日本映画ならよくあることだ。
初っ端から違和感を覚えるシーンが続く。例えば、小型の船でゴジラから逃げるシーンでは戦艦が来たからと停船する。なぜ停まる?逃げ続けろよ。なにをボーッと戦いを見てるんだ?
あと、船で移動したことがある人は分かると思うが、あんな会話ができるほどエンジン音は小さく無い。
ゴジラが東京を破壊するシーンでは、ビルの隙間に主人公を押し込んだら爆風から助かるが、そんなわけあるか。建物が吹き飛ぶ威力だぞ。
殴るシーンは殴る演出でしかない。殴られた人は痛みを感じないゴム人間なのかな。本当にひどい。昨日殴った相手の所にノコノコと来る橘さん。
戦いの準備シーンでは「ほら、いい顔してるだろ」と言う。労働者にいい顔もクソもあるか。机上の空論にもほどがある。
また、「船に乗せてください!」と言う部下に対して、離れてから「この国はお前たちに任せた」と言うが、本人に言え。
深海魚浮上シーンでは謎にガイガーカウンターの音。どこで鳴ってんの?
ゴジラが突然近くに来たシーンは笑ってしまった。「おい、あれ!」「もうこんなところに!」じゃねえ。誰かにちゃんと見はらせとけ。
戦闘機からの連絡でプライベートな話をして、応答がなかったシーンでは「無視してる…!」笑わせんな。
そもそもゴジラが上陸する理由が分からない。戦闘機1機に誘導される程度の動機なの?
ゴジラを目の前に撤退を進言する操縦士、それはさっき見た。人間が戦いの前に怯んだ表現はそれしか無いのか?
えっ?ゴジラって立ち泳ぎしてたの?
「やったか?」と言うの3回目なんだが。死亡フラグネタがネットで広まっていて、監督はそれがよほど面白かったのかな。
援護の船がたくさん来るが、ご都合演出過ぎないか?その曳航ロープの結合に何時間かかると思ってるんだ?あとどこから来た。
パラシュートで降りてくる敷島。それに驚く人々。みんなの目は節穴なの?
ドーベルマンさん
2022/8/27 7:40
2回答
ションボリルドルフは名馬ですか?
toh********さん
2022/8/27 9:36
シンボリルドルフ では? 名馬ですよ。
sat********さん
2022/8/27 8:14
「あれはやす子へのネタ返しである。派手に滑っただけ」という趣旨のブコメを付けて擁護してた奴を結構見た気がするんですが、なにか言う事はないですか?
フワちゃんから直々に「やす子のポストへ誹謗中傷するのならという意味でのポスト」だと明言されたよね?
つまり完全に間違いだったわけだけど、勝手なデマを撒いたお前らは謝罪しないの?
問題点は2つあって、
擁護のための優しい嘘…な訳ねーだろ
小さくてもデマはデマ。それが意図的なら尚更悪質。本気で言ってたんだとしても、結果的に間違いだったんだからデマであることに違いはない
これは一部の人だけだけど、「明らかに滑っただけなのに、こんなに叩いてるブコメがあって戦慄している!」みたいな言い分で、
「滑っただけだと思ってないブコメは頭がおかしい」ばりの批判コメをしている人も居たね
ゴージャスのネタがまたみたい
今日は、コミュニティの成長とともに良質投稿とゴミ投稿がどんな風に変わるかを考えてみることにしたんや。これを数学的にモデル化してみるで。
この段階では、コミュニティはまだ小さくて、面白い人たちが集まってるから、良質な投稿が多いんや。
面白い人が面白いことを書く理由は、彼らが新しいアイデアや視点を持ってるからや。
良質投稿は、面白い人たちが書くから、メンバー数に比例して増えるんや。
コミュニティが成長すると、面白くない人も「おもろいもん見たい!」って参加し始めるんや。
良質投稿はまだ増えるけど、ゴミ投稿も少しずつ増え始める。これは、面白くない人が自分も何か書いてみようと思うからや。
コミュニティが成熟すると、面白くない人が「俺も書くで!」ってなって、ゴミ投稿が増えるんや。
これは、彼らがコミュニティの規模に安心して、自己表現を始めるからや。
この段階では、ゴミ投稿が自己増殖するようになるんや。面白くない投稿が増えると、さらに面白くない投稿が増えるという悪循環や。
今の朝ドラは、全てを絶賛する人と沈黙する人に分かれている。そしてネットでは少数ながら、匿名で酷評する人がいる。私はAMラジオを好きでよく聴いているが、これまでは雑談ネタとして朝ドラの話題が割とよく出てきたが、今回に関しては非常に少ない印象がある。
個人的にはあまり評価しない立場である。今の朝ドラの何がダメなのかというと、絶賛している人の感想が「わかる、わかる!私も寅子さんと同じ!」みたいなものが多いことに象徴されている。
少なくとも自分が面白いと感じてきたドラマや映画は、自分とは異なる、基本的には想像の外にいる立場の人(たとえば戦場の兵士など)のリアルや心情が理解できるような内容である。これまでの狭かった自分の視野が広がる感覚といって良いだろう。
そもそも親兄弟も含めて、全ての人間は他者である。朝ドラのように80年前の社会に生きていた人間なら尚更であり、「私も同じ」と無条件に共感できるような内容だとしたら、それは質の高い表現とは言えないと思う。異なる他者への理解とは逆の、閉鎖的な視線をもたらしている可能性が高いことは、今回の朝ドラについての絶賛と沈黙の極端な態度にも表れている。