常に薄着して寒さに耐えるのが正解。そのうち慣れる。
はてブのカテゴリ別ページとかでもたまに出るけど、Google AdSense のうち表題のような広告。レイクのやつとか。
広告エリアにマウスカーソルが乗ると、3秒のカウントダウン後に広告となる YouTube 埋め込み動画の広告が再生される。
自宅じゃ非表示にしてるからいいんだけど職場の PC はそうはいかないんだよ。
何度か意図せず動画が再生されて不快な思いをしたし、最近はマウスオーバーで動作してカウントダウンが動き出す度イラッとしながら F5 で更新する。
本当に理解しかねるんだけど、こういうの作ってる人って自分がインターネットしてる時に意図せず動画が始まったりしても鬱陶しくないの?
この人、不動産屋からやんわりと嫌悪要因であることを示唆されてるのに無視してるのが面白い
今ブコメあたりでヒステリックに「子供に優しくない!老害!」とか喚き散らしてるやつらも、似たような認識なんだろう。
想像力の欠如
一緒にするって何と何を?
死んでるかもしれない人のtwitterに突撃する記者の、その理由を考えれば
「見知らぬ人の生死を、より早く知りたい」「どんなふうに苦しい思いをしたかを知りたい」という、下衆な大衆の欲望が見えてくる
身内であれば、生きてる可能性を考えるのであれば、いたずらに携帯の電池を減らすかもしれない行為はしないんじゃないかと、東日本大震災の時のことを思い出し
他の起業家の言うことはまったく参考にならないということ。
有り難くその人なりの言葉で持論を語ってくれても、本人以外には今ひとつ理解できず役に立たない。これは人間が一人一人違うからしょうがない。成功する方法がみんな違う。
セオリーも必勝法もない。正反対の意見がどちらも正しい。他人の真似をしてもどうにもならない。事業とはそんなものだった。
最初の頃は先人の意見はできる限り参考にすべきではないかと思って時間を割いていたが、後で振り返ってみると費用対効果が悪かった。
【全文】メタップスCEO佐藤航陽氏講演:最も起業に失敗しやすいのは「何でもこなせる執着のない人」 | U-NOTE【ユーノート】
いわゆるパーキンソンの凡俗法則ってやつですね。
セクハラ、パワハラが横行するのを見ていると、「怨念型」の上司がたくさんいるんだと痛感する。
若いうちにモテずに何もできなかった男が、立場を得て自信を付けると同時に、かつてできなかった願望を実現できるとなると、一気に暴走してしまうのだ。
「それはモテない男への偏見だ」という声が聞こえてきそうだが、モテる男だと不倫関係に発展するため、セクハラとして問題にはならない。セクハラとして弾劾されるのはいつだってモテない男なのだ。
セクハラのダークサイドに落ちないようにするには、若いうちにモテておくか、若いうちにセクハラしておくかするしかない。
「若いうちにモテる」は一定のスキルと習熟が必要なので難しいが、「若いうちにセクハラする」は誰でもできるのでオススメだ。
このとき、セクハラのターゲットとして選ぶべきなのは「かつてチヤホヤされた年上の女性」だ。
こういう人は年月の経過とともにチヤホヤされなくなり、自分の価値がどんどん目減りしているのではないかと焦っている。
そこであなたがセクハラすることで、「自分はまだまだイケる」と自信を取り戻す。あなたは性的欲求を満足させる。これはwin-winな関係のため、弾劾されることがない。むしろ気に入られて、セックスできることもある。
「一度もチヤホヤされたことない年上女性」は地雷なのでやめておこう。本気で嫌われるか、本気で惚れられるかのどっちかにしか転ばない。
将来セクハラをして、スケベオヤジだと蔑まれるダサい大人にならないため、若者は今のうちにセクハラしておこう。
「自分もいつからセクハラするんじゃないか? そうならないために何をしたらいいのか?」
そうやって当事者意識を持って行動することが大事だ。一番ダメなのは、セクハラが問題視されたニュースを見て、自分と切り離し、ただ嘲笑するだけの行為だ。
DSのRPGをやってたはずがその中にいつの間にか自分も入ってた感じ。
超能力系バトル。
高いとこで戦ってたけど、低いところの拠点も押さえる必要があるからそっちは頼むみたいな感じで、
下のほうに小さいキャラ(イメージ的にはミルキイホームズのラット)がナンタラカンタラネイル~って言いながらタツマキみたいになって接触無効状態を作りながら降りていってた。
でも動きは見た目に似合わず機敏なの。
ガッって頭つかむ感じで
デブが言う。
~ネイルって技は、実は攻撃力が全然ないからこうやって捕まえるのがラクなんだと。
そんで攻撃無効化しているのは、~ネイル=寝入る、つまり寝ることによって実現されていたんだと。
ほう、と思ったけど結局バレちゃったからどうすんだと思ったら、
こっちのエントリ「御嶽山噴火に群がるマスコミのハイエナ取材 - Togetterまとめ」http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/724387
は、割と賛否両論に☆が集まってる
一方で、こっち「神さんはTwitterを使っています: "火山噴火の1分前のツイートを最後に音沙汰がない登山者にこのリプを送る朝日新聞記者~」http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/9ry3/status/515808119314595840
は、何が悪いんだ報道じゃねーか、的なブコメに☆が集まってる。
もちろん朝日だけを責めるのはフェアじゃない。一方で、フェアじゃないからといって、下衆だという事実は変わらないと思うんだけどね。
こいつらのつまらなさはハウツー本見てブログ書いてる感じなんだろうな。と思う。
書きたいことが元々あるわけでもないので、書いてる事自体はほとんどが糞で裏にアクセスやら炎上したくないやらがもうすすけてみえる。
で、内輪にしか走れなくて尻すぼみ。みんなで会って会ったことを記事にするしかない。
書きたいこともないのに、なんで始めたんだこいつら。
マジレスすると真の理系の女子は医薬に行く。それ以外の理系の女子で賢いものは文系に行き賢くないものは理系に行く。現場からは以上です。
つかはてなの理系男って何故理系=工学部としか考えないんだろうか。
工学部に女が行ったってろくな目に遭わないのは女子高生にだって分かる事だろ。
それに比べて医療系ははてなで言う所の理系より女性が働きやすい文系より遥かに女性が働きやすく将来性もあるわけで、そりゃこっち選ぶだろ。
「TOEIC800超えで米国公認会計士持ち」を必要とされる職場には
今どきの人間はそうじゃないということを、昼間同僚と馬鹿話をする過程で熱いトークをもって説明された御託。
賢者タイムに入って追加で取ろうとしたティッシュを机から落として思わず後ろにかけておいた部屋干しの下着を引っ張ったときに
不浄の左手の復権は、マウスやキーボードなど右手による操作を求められる電子端末の普及により、もたらされる。
なるほど……?と相槌を打ちつつも、
古風な人、機械音痴を上品に卑下した人間を自称していた自分には関係ないねと、思っていたので
いつの間にか起きていた逆転劇は僕の中に驚きを持って迎えられた。
そんな細かいことは大抵の人は日記につけるまでもない些細なことなのだろうけど、
僕にははっきり覚えている理由が二つある。
美鳥の日々のおっぱいで何かに目覚めた記憶と旧劇のシンジ君の真似という黒歴史。
とりあえず、いずれにせよ十年近く前の話だ。
使用してきた媒体の変遷により、右手、左手の主従を選ばなくてはいけなかったが、
スマートフォンの登場により、左手、右手を選ばなくてよくなった。
左右の利き手を選ばなくてよい。最近使いだした自分が言うのだから
他の誰かが百万遍すでに言っているのだろうが、この事実は本当に良いことだ。
昔は、新幹線で親戚の家に一人帰るとき、黒い背表紙のアダルトな小説を
駅のキオスクで心臓をばくばくさせながら素知らぬ顔で購入していた。
「小説家になろう」のノクターン部門を、携帯でスワイプしながら読むようになった今となっては
紙媒体の、あの読みたい見開きで止めることに四苦八苦していた苦労は何だったのかと思う。
ページを片手で捲る技術は左手のみでしか行えなかったことを思うと(親指でページを少しずつ繰り出すこと)、
左右を選ばなくていい状態で本能がままにことを為すのはいつだって利き手だ。
スマートフォンに馴染むこれからの世代では、多数の人たちがまた右手が恋人という
かつてを取り戻すのだろうな、と思う。
■日本では低学歴ほどiPhoneを使ってる気がする(周りの観測結果)
そこまで言うなら知ってると思うけどセカンドライフはそもそも定年退職後の人生って意味で、セミリタイア志向の活発な欧米やインド等で存在した概念なんだ。
日本人は理解しにくいけど、セカンドライフというと単に第二の生活なだけでなくそこに素晴らしく悠々自適なというニュアンスが加わる。
そのセカンドライフをネットワーク上のバーチャル空間に名付けたところがセカンドライフ社の面白い着弾点なんだよ。
日本で言えば厨二的ネーミングだけどあまりに秀逸なのでみんなが自然に受け入れた。でもサービス自体はまったく流行らなかった。つまり名前と実体は別物だってこと。
それがマイクラについても言える。あとは分かるな?
抑圧とは感情を意識外に追い出して押し込めることで誰でもやってるごく自然な行為であり「自我を守るため」という文言で正当化されうるものだが、
その延長なのかどうなのか知らないけど無意識の存在すら抑圧する風潮があるよね。これは百害あって一利なしだから正直やめてほしいんだ。
なるほど無意識の話は何とでも言えるからオカルトや怪しい商法と結びつきやすい。だから無意識の話を持ち出した途端に地獄の業火のごとく怒り狂うのも分からないでもない。
人間簡単にレッテルを貼ってしまうからね。ところで業火と劫火と号火の違い分かる?だけど無意識はれっきとして存在するものであって、君達も意識しなくても自転車に乗れたり心臓が動いたりする。
心臓や自転車のような物理的なものでもそうなんだから、「無意識の思考・感情・イメージ・認識」といった心理的なものだって当然存在するのは分かるよね。
いや当たり前のことだと思うんだけどここから確認しないと存在を認めたくないがあまりに理解すら出来ない人がいるらしいんだ。
例えば、意識的論理的な思考に凝り固まっている人を一蹴するのには「人の顔を見ればその人だと分かるのは何故?」と問うことだ。
昔「人の思考は全て論理的である、一見非論理的に見えても深い理由があってその人なりの論理で考えてるだけなんだ」と主張する人がいた。
そこで僕はこうつけ加えた。「なるほど機械論だね。論理的と言っても意識的論理だけじゃなく無意識的論理も認める立場なわけだ」と。
しかし意識的論理の立場では人の顔の識別が一瞬で行えることをどう説明するんだろう?甚だ困難に思える。
かつての同僚はこう言った。「パターン覚えてるだけっしょ。顔データから検索するだけだから一瞬」と。しかし残念ながら人の顔は角度や表情や体調や老化や化粧で結構変わる。
そんな表記のゆれに即応するにはパターン覚えると言っても単純に顔画像を蓄えてそれと一致しているか否かを見るだけでは不十分である。
顔認知メカニズムの研究はそんな知らないけど聞いた話では人間が写真だけから誰であるか認識すると実生活を模した環境での顔認知よりも正当率がはっきり下がる。
だから精密な判定には文脈からの補完も関与してるという考えが主流になってて写真だけから画像処理で判定するのはある程度以上の正答率になると厳しいのではという意見も出ているらしい。
そういう話を聞いてるとやはり意識だけでそんな複雑な処理が行われてるとは到底思えないよね。カフェにいたから誰々だと思ったなんてほんとにいちいち「意識」してるのか?
ところでこの手の意識の話でよく人々が陥るのが意識と無意識は明確に区別できるとすぐ考えてしまうことだ。よくよく考えてみるとそうではなく「言われてみれば意識してた」ものや「うっすら意識してた」ものや「意識してた気がする」ものがあるだろう。
意識してたかどうかを他者はもちろん本人も明確に知る術は無い。だから「Xに対する意識の意識がないからってXに対する意識がないとは断定できない!」「俺は意識の意識が得意だから実はすべて意識してるんだ!」なんて強弁するのは容易く
それを他者がキッチリ否定するのは極めて困難なんだよね。極端な話「心臓すら自覚がないだけで実は本人が意識して動かしてるんだ。ヨガの達人が心臓を意識して止められる話はあれはもともと心臓も意識で動かすものだからだ」なんて言えるわけ。
こうなってくると意識という言葉がゲシュタルト崩壊してくる。実は意識しててもそれを意識してなければ意識してないと盲信する余地が至るところに存在するし、反対に実は意識してなくてもそれを意識してると主張すれば意識してると強弁する余地が大いにある。
こういうのを数学ではill-definedと言う。定義になってない、定義として不適切ということだ。だから生理学的レベルで厳密な(well-defined)定義ができるようになる時代が待ち遠しいのである。出来たとすればの話だが。
しかしこうも言える。Xに対する意識の意識があればXに対する意識があるのだと。錯覚かもしれないし本人にしか分からないが多分あるのだろうと主観的には明らかになる。
だからたとえ生理学的定義が無理でも人々が意識の意識をより正確にできるようになれば無駄に無意識をブッ叩くことも激減することであろう。悪意でねじまげて主張する人は別としてな。
我々としてはメタ意識の支援ツールやメタ意識を促すカウンセリング的会話術を開発していけば随分と世の中の混乱が解消されるのではないかと思うのである。